すてっぷ・じゃんぷ日記

今日の活動

オノマトペ

H君とおにぎりを作ろうと、お手本で掌にご飯をのっけて「ぎゅーっとね」っとスタッフは言います。H君「ギューット…」と復唱はしてくれたものの、手には力がはいりません。ASDの方への擬態語での表現は言葉より伝わるのが難しい場合があります。これは言語が違うと擬音語擬態語が全く違う事からも言えます。川がさらさら流れるようすを、英語圏ではmurmur(マーマー)と言いますが日本人には全くぴんと来ないのと似ています。

オノマトペという言葉の意味は、擬音語や擬態語のことを意味する言葉です。擬音語とは、物や生き物が発する音や声を、文字にした言葉のこと。擬態語とは、心で思っていることや状態など、実際は音のしないことを、文字にした言葉のことです。日本語のオノマトペはフランス語の日本語読みです。ワンワン・ニャーニャー・コケッコッコー・いらいら・うきうき・うとうと・きらきら・いきいき・びゅーん・ぎゅー・ばーん。そもそも、欧米人が虫がすだいているのは雑音にしか聞こえないのを日本人は音にします。漫画を読めば分かるように、日本には欧米よりはるかに多くオノマトペがあるそうです。この音の情景や感覚を伝えるのは大変むつかしいといいます。

指示しない

高学年のM君が怒って文句を言いに来ました。「スタッフは僕には時間を守れとか細々と甲高い声で注意するのに、Nさんが時間を守らなくても何も言わないってどういうこと!」。Nさんが、話し言葉でのコミュニケーションは十分できないことを彼はよく知っています。「君それ本気で言っているの?」「とても残念やわ」と返しました。彼はうなだれてみんなのもとへ帰っていきました。要するにM君はスタッフの自分のへの指示の仕方が気にくわなかったのだと思います。でも、Nさんと自分を比較して不公平と言ったことは自分でも残念だったのでしょう。

小学校高学年に接する場合、叱り方や注意の仕方も重要です。小学校高学年の場合、これまでと同じような叱り方をしていても、言うことを聞かなくなってしまうこともあります。

まず重要なのは、「指示しない」ということ。子どもに叱る場合、小さな頃には「こうしなさい」といって叱ることが多いものですが、小学校高学年になると、命令口調の叱り方は反発につながることがあります。そのため、「こうしなさい」ではなく、自分で解決策を引き出すことができるようなメッセージを伝えるとよいです。たとえば何か失敗したとき「なぜ失敗したの?」ではなく「どうすればよかったと思う?」という問いかけの形でメッセージを伝えることで正直な気持ちを引き出すことができます。また、単に叱るのではなく、「それに対して大人である私はどう思ったか」と、「私」を主体にしてメッセージを伝えると子供にも伝わりやすくなります。

感情の分化

K君が、凧が高く上がって、「怖い」と言ったのはその日風が強くて凧が持っていかれそうになったからだという報告がありました。その日、K君は公園で初めて凧を上げたと言います。ぐんぐん上がっていく凧を見て「すごいなぁ」「かっこいいなぁ」と思ったけど、彼の感情表現は「怖い」が多いのです。これはK君に聞いてもわかりませんが、ドキドキする感情のことを「怖い」にまとまているのではないかなとも推測できます。「怖い」とK君が言った後「でも、高いねー すごいねー K君かっこいいねぇ」とスタッフが言葉を添えてあげても良かったかもと話し合いました。プルチックの感情の輪を見ていると恐れと驚きは隣り合わせです。

 

 

高学年の役割

山登りで、高学年の利用者に光が当たらないと議論になりました。低学年や障害の重い人と同じように歩いているだけでは達成感がないのではなど意見が出ました。高学年には高学年としての役割、みんなの役に立つような演出がいるということになりました。どこの生活型の放デイでも抱えている高学年の支援ギャップについて丁寧に考えていこうと思います。

仲直り

終わりの会がなかなか始まらずGくんがいらいらして、隣に座っているHさんをたたいてしまいました。叩くことの機能分析は、ここから手っ取り早く離れるためには、周囲の人を叩けば「おいおいお隣さん何もしてないでしょ」ということでG君がその場から離され、G君の要求は実現します。

言葉のないG君から叩かれたHさんは意味が分からないから恐怖です。「怖かった」と告げるHさんを「怖かったなぁ」とスタッフは慰めるしかありません。それでもいろいろG君と取り組んでいるうちに思ったほど怖くないことに普通は気づいていくものですが、場面理解が苦手で誤解して決めつけてしまう傾向の強い子どもの場合は一緒にいることが苦痛になるので関係改善が難しくなります。

考えられる解決策は感覚の快状況を自然に共有する空間の提供です。例えば並んでブランコする等が一番いいように思います。動的(働きかけて得られる)快を共有することで関係を改善する方法は結構大きくなっても通用する手段です。ただし、G君の機能的コミュニケーション訓練も日常的に取り組むことが求められています。

負けと癇癪

C君は、ボーガンシュートゲームで得点が最下位になって、ショックで床にひっくり返って泣き叫んで癇癪を起しました。発達に関係なくASDの子どもの中には勝ちにこだわって1番じゃないと嫌、負ける可能性があるから勝ち負けのあるゲームやらないという子が少なくありません。勝ちが優れていて、負けが劣っているというデジタルな価値観でプロセスは関係ありません。自分の感情だけに翻弄されて相手がどう感じているかも無頓着です。周囲が嫌がっているのに大声でつまらない議論の勝ち負けにこだわる人の幼少期も、きっと勝々価値観に支配された子どもだったのかもしれません。

勝ったり負けたり、人によって勝てるものと負けるもの、いろいろあるんだという多様性を学ぶためには、小さい時期から「負けるが勝ちゲーム」をお勧めします。偶然性のあるカードゲームやくじ引きじゃんけんなどがいいでしょう。負けた人から1番。勝った人は最後の順位です。「負けた人いちばーん」とみんなでたたえます。つまり、勝ち負けの基準を変えてしまうのです。こうして負けるが勝ちを経験すると意外に負けに平気になってきます。というか、その程度の価値観しかないのに生死の境目みたいに苦しんでいたという事です。幼少期から「負けるが勝ちゲーム」に色々バリエーションをつけて取り組んでみることをお勧めします。

代替行動分化強化 2

不適切な行動の対応については、何度か書いてきました。子どもが不適切な行動をしたとき、もっとも重要なことは、その行動は罰があるということを教えるより、他の方法で利得が得られることを教えることです。

言葉の分かりにくいA君が、B君の大声がうるさいので叩いた時、スタッフがとるべき行動は、叩かなくても大声を止められる方法をA君に教えることです。でも、もっとも良くみられる指導は「B君にごめんなさいは?」です。音声模倣ができる人なら「ゴメンナサイ」と言うかしれません。でも「ゴメンナサイ」の意味は通じていません。なぜなら、叩けばB君が黙るからです。つまりA君の叩く行動は要求を実現しているからです。学習したことは、叩いた後大人が指示したら「ゴメンナサイ」を言うことです。

発達障害のある人の問題行動に関しては、『機能的コミュニケーション訓練』という代替行動分化強化(DRA=Differential Reinforcement of Alternative behavior)の手続きが有効です。これは、問題行動と同じ機能(目的)を持つ社会的に適切な行動(カードコミュニケーション)を分化強化するという手続きです。(声がうるさいから)助けて」カードを大人に示せば、スタッフがB君を遠ざけてくれるようになれば良いわけです。もちろん、突然の行動ですから少々の代替行動の訓練で、完璧な学習は困難かもしれません。行動問題を予測して予防することも大事です。でも事が起こったら、お詫びの音声模倣をさせるよりは、即座に「助けて」「やめて」カードをスタッフに渡す行動を教えた方が、不適切行動を減らせる可能性があります。

子どもの考え方

ボウガンのおもちゃで的当てをして遊んでいます。空き缶にあてて倒すのですが、空き缶の中に重りを入れておいて倒れにくいものを倒すと高得点が得られます。認知レベルが9歳を超えると、倒れやすい力点は支点(接地点)から最も離れた場所だという事に気が付きます。見えないものを見る力(理屈)です。それより前の段階だと経験数に裏打ちされていきます。てっぺんに当てたら倒れることが多いと学んでいきます。当て方にも子どもたちの考え方が反映されていて面白いものです。

代替行動の分化強化

食事介助の必要なG君はこのごろやたらお腹が減ってくるらしく、ご飯がたりないと、机を蹴って要求します。これに対しスタッフが、「おなか減ってるねーおかわりするねー」と対応するのはアウトです。机を蹴ったら、おかわりが出て来るという行動が強化されるからです。机を蹴ったなら、おかわりカードか「欲しい」カードを持たせて後方から手を介助して介助者に渡させます。その行動ができたら「はいどうぞ」と少量提供して、もう一度カードを手元に置いて要求行動を促して同じ行動ができるように何回も行います。行動を起こして意味を伝えてくる方ですから、行動は必ず代替することが可能です。この方法は色々応用できます。

心の杖

今日のYさんは、一番お気に入りのスタッフなのに、やけに絡んできます。食事中にカレーが付いた口で背中から抱き着いてきたり、あきらかに注意喚起(自分の方を振り向かせる)行動です。おかしいなぁと思っていると、帰宅後に朝持って出た人形が見当たらないとのこと。Yさん人形がどこかに行って不安だったのです。

以前「ライナスの毛布12/3」で心の杖について書きましたが、あの話には続きがあります。心の杖が不可抗力でなくなったらどうするのかということです。きっと今日の状況のように不安でたまらないと思います。それでその不安を色々な行動で表現するのですが、第3者には伝わらないことが多いです。

結局、必要なのは表出のコミュニケーションです。「人形をなくしてしまった」「不安だ」「どうしよう」という発信さえできれば、「よし一緒に探そう」とか「大丈夫かな」とか、もし見つからなくても「困ったねぇ」「悲しいねぇ」と共感のコミュニケーションができます。困ったことがあっても共感してもらう事で心を癒せます。その時、必要なのは自発表出のコミュニケーションなのです。それは話し言葉である必要はなくその人が手っ取り早く伝えられる方法ならなんでもいいのです。悲しいの感情カードを大人に渡せば、周囲にいた人なら察しはつくはずです。そこに「人形」カードが加われば確実です。絵カードコミュニケーションを言葉の苦手な方に薦めるのはこういう理由があります。