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みんなちがってみんないい

褒め上手

子どもを褒めるという事は、子どもとの信頼関係を築くのに必要不可欠です。子どもは褒められたり、認められたりすることで人を信頼し、自分に対しても「自分は自分でいいんだ」という自己肯定感を抱くことができます。この自己肯定感が高い子どもは、気持ちが安定し、何かにつまずいて凹むことがあっても復元力が強いです。逆に、怒られたり、否定ばかりされた子どもというのは、この自己肯定感が育ちにくく、気持ちが不安定で、問題行動を起こしやすくなってしまいます。上手に褒めるためには、まず褒めるべき行動を分ける必要があります。

ペアレントトレーニング理論では、子どもの行動を「好ましい行動」「減らしたい行動」「無くしたい行動」の3つに分けて考えます。そして次に「減らしたい行動」や「無くしたい行動」をしたときの「代わりにとって欲しい行動」を考えます。例えば、家の中を運動場の様にして走り回ったりしているのを改善するには
好ましい行動  =「家ではおとなしく遊ぶ」 
減らしたい行動 =「家を運動場のようにして遊ぶ」
多動の子の動きを激しく制限するのは難しいので、体をいっぱい動かせる部屋でトランポリンと鉄棒とバランスボールをおいて、いつでもそこで遊べるようにします。体をいっぱい動かしたい時は、その部屋で遊ぶように声掛けをするようにします。代わりにとって欲しい行動 = 「運動遊びは運動遊び用の部屋でする」のです。ただ大人しく遊びなさいと怒るだけでは何も解決しませんし、何度も激しく怒っって行動を変えようとする事は子どもの自己肯定感を低くしてしまい、他の問題行動につながってしまう可能性があります。なーんだと思われた方が多いと思います。うちは家が狭いから無理と思われた方も少なくないと思います。でも、親の思い通りに子どもを従わせるなんて不可能とあきらめた方がいいのです。譲り合いの精神が大事であって、どっちが偉いかなんてマウンティングしなくてもいいのです。要は環境を作り変えて、お互いに新しいルールを作ってウィンウィンの関係を作るのです。

代わりにとって欲しい行動を上手に促すためには、親子の信頼関係がとても重要です。だから、子どもの「良いところ探し」と「褒めること」をまずはしっかりとする必要があるのですが、褒めるポイントが少なすぎてどうすれば褒められるんだろうと困る方も少なくありません。褒めるのは、子どもが100%出来た時じゃなくてもいいいのです。理想の25%を達成できていれば、その25パーセントを褒めてあげてください。例えば子どもにお風呂の掃除を頼んだ時、子どもは言われた通りに洗ったのですが泡がまだ落ち切っていませんでした。この場合、多くの親は「洗えてないじゃないか」「もっとちゃんと綺麗に洗いなさい」と言うのですが、子どもは「洗った」のです。25点くらいはあげられるのです。つまり、25パーセントを褒めるという事は、「洗った」「洗ってくれた」という出来ている行動に注目してそこを褒めることが重要なのです。怒られてばかりいる子は、褒めるハードルをもっともっと下げてあげればいいのです。

例えば、鉛筆さえ持とうとしない宿題嫌いの子どもには「宿題しなさい」ではなく、ちょっとでも宿題に取り組もうとしたら「やる気を出せたね」と、すぐに褒めればいいのです。食事中に食べ歩く子どもなら、座って食べられている時にすぐ褒めてあげます。この25パーセントルール、最初はうまくできないのですが、出来ていることに注目すればだんだんできるようになってきます。自分にも25%ルールで褒めれば、誰でも褒め上手になれるのです。

通学の荷物重すぎる?「置き勉」?タブレット?

通学の荷物重すぎる?「置き勉」、学校ごとにルール部活用具も加われば…

12月20日 16:00【熊本日日新聞】

熊日の調査報道企画「SNSこちら編集局」(S編)などに「通学時の荷物が重すぎる」との声が相次ぎ寄せられている。県内14市の教育委員会を取材すると、学校に教科書などを置いて帰る「置き勉」を、全市教委が「認めている」と回答した。ただ児童生徒や保護者らの実感とは必ずしも一致しないようだ。S編では現在、荷物の重さを量ってもらうなどのアンケートを実施している。

文部科学省は2018年9月、児童生徒の携行品が過重にならないようにする配慮を、全国の教育委員会に要請。これを受け、県内でも家庭学習で使わない教材の「置き勉」を認めるなどの対応が教委や学校に求められるようになった。

実際に荷物の重さを調べた自治体もある。荒尾市では小学校平均が5・3キロ、菊池市では学年別平均で小学校が3・7~4・7キロ、中学校が6・4~7・5キロだった。

菊池市教委は重さ調査後に校長会で「置き勉」の実践例を共有。人吉市教委は「生徒会で自主ルールを決めている中学校もある」とした。県内の学校ごとで“置き勉ルール”の違いがあるようだ。

熊本市教委は今年11月にも過重対策を各学校に再要請したが、「学校によって保管スペースや通学距離などの実態が違う」などとして、ルールづくりは各校に委ねている。部活動用具なども加わり、過重感が増している実態もある。(原大祐)

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ゆとり教育からの脱却を目指し昔に比べ教科書のページ数も増えました。置き勉を禁止されている子どものランドセルは4㎏以上あります。それ以外にも、登下校には体操服入れや水筒・習字セットに絵の具セット、リコーダーや鍵盤ハーモニカ、夏にはプールバック、雨には傘やカッパなどがあります。

しかし、重さの問題よりも何よりも不注意傾向の子には、忘れ物や落としものが多くなるのです。放デイは学校にお迎えに行きますから、子どもの帰り支度の場面に良く出くわします。ランリュックそのものは重くないですが容量が間に合いません。図書室から借りてきた百科事典風の図書を入れるだけでもう他のものがほとんど入りません。普通は大きなものは手提げに入れて小物はランリュックに入れて帰りますが、不注意傾向が強い子は実行機能と言って段取りの力も弱いので、物を整理して収納することができません。大きなものを詰めた結果、カバンの蓋が開いてぽろぽろと物を落とします。

近頃の水筒は大きめのものが多いのですが、持って帰るのを忘れやすいとランリュックに入れる子どもがいます。どうやって学校でなくすのか不明ですが、冬にはジャンパーを紛失する子もいて、これも暑い時はランリュックの中に入れます。親に紛失しないように入れておきなさいと言われるのでしょう。とにかく持ってくるものが多すぎるのです。カバンにデジタル教科書の一切合切が入ったタブレット端末とメモ帳とペン、体操服を入れてくるだけにならないものでしょうか。

 

国立に立ち上がったスカイツリー パラ閉会式「多様性の象徴」に

国立に立ち上がったスカイツリー パラ閉会式「多様性の象徴」に[連載・ツリーとともに](2)

2022/01/07 【読売新聞】

昨年9月5日午後8時、新宿区の国立競技場。13日間にわたって世界中の人々を魅了した障害者アスリートたちによる祭典・東京パラリンピックの閉会式が始まった。

国旗の掲揚や君が代の斉唱が厳かに終わった後、各国選手団の旗手が入場。横たわった東京スカイツリーのオブジェに近づき、手のひらサイズの円形の鏡を次々に貼り付けていく。

無数の鏡でキラキラ光るスカイツリー。パフォーマーたちが引っ張り起こそうとするが、あえなく倒れてしまう。多くの人たちが加わり、さらに選手たちの声援が後押しとなって、スカイツリーはついに立ち上がった。全ての違いが輝く街「ダイバーシティー」の完成。それを祝うように、スタジアムから一斉に花火が打ち上がった。

鏡は大会で輝きを放った選手たちの象徴で、選手たちが東京の街に輝きを与える――。総合演出を手がけた小橋賢児さん(42)は式を見届けると、「あらゆることをやりつくした。みんなの願いが通じたようだ」と感涙にむせんだ。

考え抜き行き着いたのは「調和のとれた不協和音」
パラリンピック閉会式の演出依頼は突然だった。本番まで1年もない時期、スマートフォンに大会関係者からメッセージが届いた。「まさか自分が……」と鳥肌が立った。

子役の頃から俳優として活躍してきた。ただ、俳優業をこのまま続けることに不安を抱き、27歳で休業。米国へ留学した。大陸を横断中、フロリダ州で野外コンサートに出掛けた時のこと。みすぼらしい服装の人もそうでない人も、いろんな肌、いろんな国の何万という人たちが体を揺らしてともに音楽を楽しんでいた。「違いを持つ人たちも、互いに共鳴しあえる場が作れるんだ」。演出の世界へ進み、10年あまりの歳月が過ぎていた。

パラリンピックという、異なる障害を持つ選手たちが競い合う場をどう表現するか。数週間考え続け、たどりついたテーマが「調和のとれた不協和音」だった。強さや速さを追い求めるだけではなく、個々の違いをありのままに出すことで、人々が感動を共有できる場になるはず、とのメッセージを込めた。

東京スカイツリーなら国立のフィールドで
このテーマを国立競技場のフィールドで形にする方法は、大道具の職人にいたるまですべての制作スタッフから意見を募った。

あるスタッフが口にした「東京スカイツリーなら、高いところから広く選手の活躍を届けられる」というアイデアに思わず膝を打った。

新型コロナウイルス感染防止のため、海外からやってくる選手たちは、競技以外は選手村から出ることさえ許されない。閉会式で東京の街並みを出現させれば、選手たちをそこへ案内できる。ツリーの白いフォルムは、何色にも染まる「多様性の象徴」にも見えた。ツリーのオブジェの周りにカラフルな毛糸やフリル、バルーンでビルや花々、橋を作り、個性を表現した。

本番を迎えるまで、ゲストの出演交渉が決裂したり、コロナ禍で出演者が大勢集まる機会が減ったりと多くの困難に直面した。それでも「楽しむことが大切」という信念は曲げず、現場のスタッフたちには笑顔で接することを心がけた。

スタッフや出演者らは、障害者のために振り付けを工夫し、夜遅くまでパフォーマンスの練習を繰り返すなど、要求に応えてくれた。「違いを認め合い、心からやりたいことができるのは素晴らしい」と心の底から感じた。

大会後、3年後に催される大阪・関西万博のイベント統括を任せられた。「また人生を豊かにするような、出会いが生まれるといいな」。どうやってもう一度、世界に日本をアピールしようか、心を躍らせている。

歌舞伎にも 絵本にも
東京のシンボルとなったスカイツリーは、イベントにとどまらず、舞台や書籍など幅広い分野で登場するようになった。

ツリー開業を前に、浅草の隅田川沿いに仮設された芝居小屋「平成中村座」では、歌舞伎の演目中、舞台奥の大扉が開くと、隅田川越しにスカイツリーが借景になる演出が行われた。

また、2012年出版の絵本「ゆめのスカイツリー」(金の星社)では、子どもたちが夢で見たという、パリのエッフェル塔を肩車したり、月に届くほど背が伸びたりするツリーが描かれている。16年リオデジャネイロ五輪の閉会式では、東京をPRするショーでツリーの模型が登場した。

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オリパラ閉幕からほんの3か月程しかたたないのに、遠い過去のように感じます。それでも、競泳男子100平山口の世界新金メダルやボッチャ杉村の金メダル、メダリストにはならなかったけどパラアスリートの奮闘に対する感動は鮮明に覚えています。パラの開会式も閉会式も世界的に高い評価を得たのも嬉しいことです。

裏舞台で懸命に働いていた関係者の方々の思いもこの記事で知ることができました。オリパラ開会前は、障害者いじめに関与していたという演出者の話で炎上して開催そのものが危ぶまれていましたが、パラのイベントでしっかりリカバリーできて胸をなでおろした関係者は少なくなかったと思います。

思えば開催を前にして、オリパラの開催を危ぶむような報道が続きました。森会長の不適切発言も議事録をよく読むと、女性は優秀な方が多いので、今度も女性理事を入れてほしいという趣旨の発言でした。女性の話が長いという旨が趣旨ではないことは全文を読めば分かることですが、メディアはこれを切り取って書き立て、オリパラ反対の政治家たちも後に続きました。

気になるのは、フェミニズムや少数民族擁護、少数者の権利擁護の看板が大きな政治家ほど、20世紀にあり得ない女性権利の侵害や民族弾圧、人権侵害について批判の発信が弱いことです。たかがオリパラの会長発言とは言いませんが、森会長を罵ったメディアや政治家が、アフガンのアクンザダ師や中国の習近平について執拗に批判している姿は見たことがありません。タリバーンや中国共産党の人権侵害を暴き非難しても視聴率や支持率向上にはつながらないからだと思います。こうして、同じ事でも一方を非難し、他方は非難しないことを二重基準=ダブルスタンダードとか二枚舌とかいいます。

オリパラをはじめとするスポーツ競技は多様性社会を保障する民主主義の象徴でもあります。冬季北京五輪は来月ですが、パラ開催式に中国がどんな演出をするのか見てみたいものです。片方で人権蹂躙や国際法を平気で破りながら、もう片方で民族自決と国際平和などと嘯く二枚舌は共産主義国家や独裁国家のお家芸です。多様性社会を映し出したスカイツリーはこうした二枚舌の言動も包み隠さず映し出します。

ビリー・アイリッシュ

全米高校生のアイドルでもあるミュージシャンのビリー・アイリッシュトゥレット障害・症候群(音声と運動のチックを併せ持ち、発達障害も併発していることが少なくない)を抱えた暮らしについて語り、ファンと繋がることで「より心が休まる」ようになったと話しています。

現在18歳の彼女は、2019年の米ビルボード・アルバム・年間チャートで、デビュー・アルバム『WHEN WE ALL FALL ASLEEP, WHERE DO WE GO?』が1位に輝きました。ビリーは「エレンの部屋」(アメリカ版 徹子の部屋?)に出演して自身の抱えている障害について語っています。この症状は日本ではビートたけしさんや石原元都知事のチック症状で知られています。

「『トゥレット症候群のアーティストのビリー・アイリッシュが“エレンの部屋“に登場』みたいなことは言われたくないのよ」「(チックを)抑える方法は身に付いているしね。大抵、事前収録のインタヴューでは(適切に発言を)カットしてくれるわけでしょ。だけど、ある時、(発言を)カットしないっていうことを知らされずにインタヴューを受けたの」と、インタヴューが事前収録のものではないことを知らされずに、ビリーのチック症状が出た状態で放送されてしまったことを明かしています。「いろいろな形に編集されて、たくさんの人たちから『ビリーのこの(わざとの)表情はすごく笑える(イカしてる)』っていうことを言われたわ。本当は単なるチックの症状に過ぎないのにね」と彼女は語ります。

ビリーは「それから、ファンの中にもそれを抱えている人たちがたくさんいるっていうことが分かって、より心が休まるようになったわ。繋がりを感じられたの。こういうことを話すと、ファンたちが『嘘でしょ。私もずっとそうだったの。それが分かって、彼女は私の憧れになったわ』っていうことを言ってくれるの」と語っています。

映画界のトム・クルーズやスティーヴン・スピルバーグ、IT業界のビル・ゲイツやスティーブ”・ジョブズなど有名な人が発達障害をカミングアウトすることは、欧米では青少年にとてもいい影響を与えると言われています。彼女もまた、その希有の才能と特性は個性の中で共存するものだとティーンエイジャーに発信しています。

木土大接近

観覧車が特等席?木星・土星が397年ぶり「超大接近」

2020年12月21日 20時27分【毎日新聞】

397年ぶりの「超大接近」と話題になっている木星と土星が、21日の日没後、南西の空で最も近づいた状態で観測された。両惑星の離角は約0・1度で、月の直径のおよそ4分の1程度しかない。

相模原市緑区では、ライトアップされた「さがみ湖リゾートプレジャーフォレスト」の観覧車の上に、木星と土星が接近して輝く様子が見られた。双眼鏡で眺めると、同じ視野の中で接近した両惑星の他に、木星の周囲を回るガリレオ衛星もはっきりと確認できた。

木星は現在マイナス2等、土星は0・6等の明るさ。両惑星とも日没から1時間ほど後の南西の低空で、すぐに見つけられるほど目立つ明るさで輝いている。

約12年で太陽を一周する木星と、約29・5年で一周する土星は、地球からの見かけ上、約20年ごとに接近して見える。国立天文台によると、これほど近づくのは1623年7月以来で、次回は60年後だという。両惑星の見かけ上の「最接近」は22日午前3時ごろだが、日本ではその時間には両惑星は地平線下のため、21日夕が最も近づいて見られた。惑星の動きは遅く、22日夕にも、同じように大接近した様子が見られる。

全国の天文台や天文関係者などが、両惑星がどのように見えたかを報告する観測プロジェクト「惑星で星空視力大実験!!!」を実施している。詳細はウェブサイト(https://www.nayoro-star.jp/mokuseidosei/jp/)。【手塚耕一郎】

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家康・秀忠の遺志を継ぎ、武家諸法度・参勤交代の制などを整え、幕政の基礎を築き、キリシタンを弾圧して鎖国体制を強化した徳川家光[1604~1651]江戸幕府第3代将軍も同じ現象を見たでしょうか。世界ではフランスでルイ13世が即位し(~1643)ロシアではロマノフ朝が成立している時期です。そして、1633年「天文学の父」ガリレオ=ガリレイは宗教裁判にかけられ、「それでも地球は動いている」と有名な言葉を残しました。実はこの木星はガリレオをガリレオたらしめた惑星なのです。

1564年、ガリレオ・ガリレイは現在の北イタリアに位置するフィレンツェ公国ピサに生まれます。日本では翌年に足利義昭が上杉謙信に援助を依頼しています。NHKの大河ドラマ「麒麟が来る」で今週放映している織田信長の時代です。

1581年、17歳のときにピサ大学に入学し、ユークリッドやアルキメデスを学び、1586年に最初の科学論文を発表します。ガリレオは25歳で大学教授の地位を得て、1610年まで数学、幾何学、天文学を教えます。そして、木星の衛星ガリレオ衛星を自分で作った天体望遠鏡で発見し論文を発表します。木星の衛星の発見は当時の天動説には不利なもので、彼は世界的な名声を博したのです。

その後、ガリレオは金星が大きさを変えることを発見します。古代ギリシアのアリストテレスらの天動説に従うならば、地球から金星の距離は一定のため、大きさは変化しないはずだと主張します。ガリレオが地動説について言及し始めると、異端であると訴えられます。1616年、52歳のガリレオは宗教裁判にかけられ、地動説を唱えないよう注意を受けます。しかし、1630年に地動説の解説書「天文対話」を執筆します。これにより1633年の2回目の宗教裁判で終身刑を言い渡され、軟禁状態での生活を送ることになります。

ガリレオは経済的に苦境に立たされ病気がちになり、看病してくれていた長女も病気で失い、その後ガリレオは失明します。ガリレオは困難な状況にも屈することなく、口述筆記で研究の成果を残しました。1642年1月8日、彼は77年の生涯を閉じました。天文対話を書く7年前、1623年の木星土星の大接近をガリレオは見ています。

ガリレオが敬虔なカトリック教徒であり、キリスト教が強大な力を持っていた時代に、教会と信者の同調圧力に屈せず、何故地動説を唱え続けたかについては、発達障害説を説く人が多いです。発達障害では通常の生活において困難も多いのですが、1つの事柄に執着する能力が高く、先進の人々に受け入れられその能力が開花すれば、世界を変えるところまで行きつくのだと思います。

 

 

ボードゲームの「先生」に転身 元小学校教員が専門店

ボードゲームの「先生」に転身 元小学校教員が専門店 三郷

2022年1月11日 【朝日新聞】

大人も子どもも楽しめるボードゲームの魅力を発信する店が埼玉県三郷市にある。店主の小野貴弘さん(48)は元小学校教員。クラス活動にボードゲームをとり入れたことがきっかけで「どっぷりはまって店まで出してしまった」。各地の愛好者が店に集まり、交流の場にもなっている。

みさと団地センターモール商店街の一角にある「さいころテーブル」。棚には約300種類の国内外のボードゲームやカードゲームが並び、購入したり有料で遊んだりできる。「ゲームというと勝敗を競うイメージが強いけど、一緒にミッションを達成する全員協力型もある。自分に合ったゲームを案内します」と小野さん。

2019年6月に開店する前は、約20年間、都内の小学校に勤めていた。ボードゲームとの出会いは8年前。発達障害などのある子どもが通う少人数学級を担任した時、ボードゲーム好きの同僚に勧められてクラス活動にとり入れてみた。すると、「子どもたちが見違えるように生き生きしたんです」。

推理系のカードを使って駆け引きする「ハゲタカのえじき」では、勝ち負けで驚くほど盛り上がる。それだけでなく、感情の起伏の激しい子どもでも、ルールを学んで気持ちを抑えられるようになる。コミュニケーション力と社会性を育む効果を実感し、「こんな面白いものがあったのか」と小野さん自身が夢中になった。

やがてボードゲームを紹介するブログを開設し、豊富な知識と解説がネットの話題に。「自分のやりたいことを追求したい」と思い切って19年3月に教員を辞め、3カ月後には自宅近くの団地の空き店舗を見つけて開店にこぎつけた。

異例の転身から2年半余り。この間、コロナ禍で休業した時もあったが、看板に「3さいから99歳まで」と掲げた通り、客層はじわじわと拡大しているという。

土日祝日は親子連れ客が多いが、平日の夜は大人の客が中心となる。いつしか愛好者が連絡を取り合って毎週金曜日に集まるようになった。

昨年12月17日の夜は30~40代の男女11人が参加。小野さんお勧めのボードゲームを楽しんだ。

話をやりとりしながら違うお題のカードを持つ人を当てるコミュニケーション型ゲーム「ワードウルフ」では、プレーヤー同士の心理を探り合うスリリングな会話が熱を帯びた。

春日部市から参加した30代男性は「初めてのゲームでも、店主がわかりやすく説明してくれる。気配りも上手で、さすが元小学校の先生です」と話す。

小野さんにとっても、店が小さな社交場となることは想定外だったそうだ。「ボードゲームは人が顔を合わせてはじめて成立する。ある意味でぜいたくな時間を提供しているのかもしれませんね」

店は通常、火・水定休。詳細はホームページ(https://saikoro-table.com/別ウインドウで開きます)。(米沢信義)

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良い先生だったのだろうという事がよく分かります。40代前半で教員に見切りをつけて店を出すあたりがかっこ良すぎます。ボードゲームやカードゲームにはまり込む大人は結構いますが、感心したのはボードゲーム屋一本で店を開いたところです。場所代一人15分100円で20席程、平日は16時から22時までの6時間、席稼働率が3分の1なら1日2万円の売上です。20日間営業で40万円、固定経費と新しいボードゲームを仕入れたら一人でギリギリ生活の勘定です。教員時代の収入は得られません。それでも店を開くなんてかっこいい!

放デイで、ボードゲームをたくさん用意して社会性を育みますというキャッチはあちこちで見かけますが、ボードゲームだけで社会性が育めるなら苦労はないです。ただ、子どもが自発的に興味を持つ遊びは学びが多いというのは事実です。そして最も必要なのは、子どもが興味のあることを度真剣に取組んでいる大人の存在です。子どもは遊びでも仕事でも真剣な大人が好きです。ジャンルはそれがボードゲームだろうがサッカーだろうがなんでもいいのです。その大人がやる事喋ることが全て憧れになります。

こうした大人の存在をカリスマティックアダルトと呼びます。ちょっと性格変だけど岩石にめちゃくちゃ詳しい先生や、Nゲージを語らせると一日中しゃべっている爺さんや、野山に行くと滅茶苦茶元気になる野外親父とか、引きこもっているけどファイナルファンタジーの生き字引と言われるおっちゃんなどはその道の子供の絶大な支持を受けています。そうですか小野先生やっぱり学校やめて道を究めますか。そうだろうなぁ。

ゲーム障害

ゲームのやり過ぎで日常生活に支障を来す「ゲーム障害」が、世界保健機関(WHO)ICFによって新たな依存症に認定されました。実態把握はまだあまり進んでいないですが、依存状態に陥ると抜け出すのは容易でないとされ、世界各地で睡眠障害をはじめとした健康被害も報告されています。主にインターネットを通じたオンラインゲームに自制できないほどのめり込み、学校や会社に行けなくなるなど日常生活が困難になった状態が続くことを指します。通常は12カ月以上続く場合に当てはまるが、深刻ならより短い期間でも診断が下されます。オンラインゲームは生活スタイルの異なる人たちが同時にプレイするため、昼型の人が夜型の人とグループを組めば、どちらかの生活リズムが狂ってしまう。そのままゲームにのめり込めばリズムの狂いは深刻さを増し、さらに解決しにくくなります。

ゲーム障害は一般的に男性の方が多いといわれる。自閉症スペクトラム障害(ASD)や注意欠陥多動性障害(ADHD)といった発達障害の特性のある人もリスクが高い傾向にあるとされます。親の保護下にある子どもの場合は状態が顕在化しやすい一方、一定年齢を過ぎても引きこもりなどで社会との距離が広がっている場合は外部から見えにくいという側面があり、決して子どもだけに限った問題ではありません。

オンラインゲームの多くは明確な終わりがなく、延々とプレイできる特徴があります。ゲームを続けていれば、プレーヤーたちが集まるコミュニティーで目立つ存在になったり、攻略ランキングで上位に入ったりして、さらにやめるタイミングを逃してしまいます。こうした状況が続くうち、ゲームの優先度が次第にほかのさまざまな活動を上回るようになり、自分の意志ではやめることができない依存症に至ってしまいます。

家族がゲームを取り上げたとしても状況が改善するとは限らず、逆に本人との緊張関係が高まるだけというケースが多いです。医師ら家族以外の第三者が間に入り、フラットな目線で問題を整理することが望ましいのです。その際もプレイした時間や、学校や会社に遅刻した回数など、あくまで客観的なデータを示しながら状況が良くなる方向を目指すべきです。本人が殻に閉じこもらないような働き掛けができるよう、家族を支援する体制も求められます。

講師の採用

どんなに慕われても・・・1年で代わる先生たち学校で増える非正規教員の実態

2020年12月22日 17時53分【毎日新聞】

学級担任も部活動の指導も任されるが、給与水準は低く、翌年度も教壇に立てる保証はない――。そんな不安定な立場の先生が小中学校で増えている。増加の背景と問題点を探った。【大久保昂/東京社会部】

「4月以降も仕事あるのかな」
年度末が近づくと、携帯電話を手放せなくなる。教員としての任期が年度末で切れるため、4月以降も仕事があるかどうかについて、いつ教育委員会から連絡が来るか分からないからだ。女性は首都圏の公立小学校で先生をしている。仮に仕事が見つかっても、別の学校に移ることは「暗黙の了解」で、渡り鳥のように転々としていく。給与は同い年の正規教員と比べると7割ほどだ。

「本当に子どものことが好きなんですよ」
明るく話す女性の姿からは、教師という仕事にやりがいを感じている様子がひしひしと伝わってくる。大学を卒業したのが5年前。まだ20代の後半に差し掛かったところで、教員としては若手と言える。ただ、世間で一般的にイメージされる教員とは立場が少し違う。「臨時的任用教員」。教育委員会と数カ月~1年の契約を結んで教壇に立つ非正規教員だ。教員採用試験に合格して採用された正規教員と同様にフルタイムで勤務するため、「常勤講師」と呼ばれることもある。

「普段、自分が『非正規』だと感じることはあまりない」と女性は言う。4年続けて学級担任を受け持ってきたし、学年主任の同僚が産休に入った時は、その仕事の一部を引き受けた。退勤時間は、職場内でも後ろから数えた方が早い。それでも、ふとした瞬間に自分の立場を思い知らされる。教育委員会が開く研修の申込書の職種欄には「教諭」ではなく「講師」と記入する。そして契約が切れる年度末になるたびに不安がよぎる。「来年度も仕事あるのかな」

「来年も先生がいい」に本当のことが言えない
保育士だった母親の影響で、子どもと関わる仕事がしたいとの思いは幼少期から漠然とあった。それが「小学校の先生」という具体的な姿に変わったのは、小学5、6年の担任の先生との出会いがきっかけだ。その先生は、良い部分を引き出したり、苦手なものを克服するきっかけを作ったりするのが上手だった。ある日の体育の授業でのこと。倒立や側転をしたら、クラスメートから小さな称賛の声が上がった。先生はそれを聞き逃さなかった。「みんなの前でやってごらんよ」。人前に出るのは苦手だったが、思い切って実演した。

すると、普段はあまり話さない同級生からも「すごい!教えて!」とせがまれた。世界が少し広がった気がした。殻を破る手助けをしてくれた先生。「自分もこんな仕事ができたらいいな」。将来の夢は固まった。中学校の授業で課された職場体験では、迷わず小学校を選んだ。高校の夏休みは近くの児童館で子どもの世話に明け暮れ、大学時代も小学校でボランティアをした。とにかく子どもと触れ合うのが好きだったし、先生になりたかった。

大学4年の時に小学校の教員免許を無事取得し、生まれ育った県の教員採用試験を受けた。ところが、なかなか合格できない。1次の筆記試験は何度かパスできたものの、面接や模擬授業が課される2次試験で落とされた。不合格の通知には「講師」としての勤務を勧める案内が添えられており、複雑な気分になる。

「来年も先生がいいな」
教え子にこう言われた時は返事に困る。信頼関係ができている先生が続けて教えた方が子どもは安心できるし、学習効果も上がるのではないかと思う。ただ、立場上それはかなわない。「クラス替えもあるし、校長先生が決めることだからね。でも、もしそうなったらよろしくね」子どもをがっかりさせないようにごまかしてきた。

背景に教員の育休取得の増加とその質の変化
義務教育の現場で、常勤講師の増加が指摘されて久しい。文部科学省によると、2008年度には5万3530人だったが、20年度は7万3347人と約1・4倍になった。なぜこんなに増えているのか。文科省が背景の一つに挙げるのが、教員の年齢構成の偏りだ。

1990年代に教員採用を抑えていた各地の教員委員会は、「団塊の世代」などの教員の退職分を補充するために00年初頭から採用増にかじを切り、今も高止まりが続く。これによって結婚や出産を迎える人が多くなる30代の教員が大きなウエートを占めるようになり、産休や育休の取得者も増えた。

年度途中などに教員が欠けた場合、教育委員会は授業に穴を開けないように代わりの先生を探さなければいけない。文科省によると、産休や育休の代替教員として配置された常勤講師は、08年度は1万4812人だったが、20年度は2万5968人へと増加している。

こうした事情に加え、産休や育休の「中身」の変化を指摘する研究者もいる。慶応大の佐久間亜紀教授(教育学・教職論)は昨年、ある県と共同で講師の需要が高まっている背景などを調査した。すると、小中学校の正規教員の育休取得率には変化がない一方、近年は育休が長期化している実態が浮かんできた。

分析したのは、県内の特定の教育事務所管内における育休の取得者数と取得期間だ。14年度と18年度で比べたところ、育休を取る教員は140人前後と変化がなかった。ところが、育休の取得期間を見ると、14年度には95%以上を占めていた「3年以内」の教員が、18年度は約63%まで減少。逆に、14年度は一人もいなかった「5年以上」の取得者が18年度は約1割いた。

育休の長期化が進んでいるのは、教員の仕事と子育ての両立が難しいからだというのが佐久間教授の見立てだ。文科省が16年度に実施した調査によると、小学校で約3割、中学校で約6割の教員が「過労死ライン」とされる月80時間以上の残業をしていた。佐久間教授は「待機児童対策などの子育て支援策がもともと不十分な上に、教員の長時間労働の解消も進まない。講師頼みの背景には、正規の先生の勤務条件の問題があるということにも目を向ける必要がある」と訴える。

自治体には正規教員の採用を抑えたい事情がある
ただ、産休や育休による欠員補充は講師需要のごく一部に過ぎない。それ以外の理由による配置も、08年度の3万8718人から20年度は4万7379人と増えている。一時的に穴を埋める「ピンチヒッター」だけではなく、非正規の立場でありながら「レギュラー」として活用されるケースも増えているとみられる。

具体的にどんな事情があって講師を配置しているのだろうか。依存度が高い自治体に直接聞いてみた。教員定数に対して常勤講師(産休・育休の代替は除く)が占める比率が16・4%と全国で最も高い沖縄県。県教委の担当者は「正規教員を増やしたいが、なかなか増やせない」と言う。

沖縄県は教員の需要が特に増えている自治体だ。「団塊の世代」の退職という全国的な事情に加え、合計特殊出生率が1・82人と突出して高く、子どもの数は減っていない。更に県独自の取り組みとして、特別支援教育を充実させたり、小中学校の少人数学級化を進めたりしており、その分の教員も必要となっている。ただ、県教委によると、教員採用数を一気に増やした場合、倍率が下がって質の担保が難しくなる。新人教員に課す研修の受け入れ態勢も足りない。

担当者は「採用を一気に増やすのではなく、ある程度平準化したい。非正規に依存する現状を良いとは思っておらず、将来的には正規の比率を全国並みに引き上げたい」と釈明する。常勤講師の比率が15・4%と2番目に高い奈良県も、退職分を一気に埋めた場合のデメリットを避けるために「採用の平準化」を進めている点は同じだ。ただ、それだけではなく「少子化」も理由に挙げる。

奈良県は沖縄県とは違い、子どもが減っており、これに合わせて必要な教員数も減少傾向にある。県教委の担当者は「取り過ぎると後々しんどくなる」と打ち明ける。いま必要な教員をすべて正規採用した場合、将来的に過剰な教員を抱えることにならないか心配だというわけだ。

需要の高まりによって深刻化する「講師不足」
産休や育休の増加と自治体による正規採用の抑制――。こうした事情から来る講師需要の高まりは、学校現場に「講師不足」という深刻な問題をもたらした。16万人を超える小中学生を抱える大阪市は、常に講師の確保に苦労している自治体の一つだ。年度当初は何とか教員の頭数をそろえているが、年度途中で離脱者が出た場合はすべてを補充するのが難しい。今年度も11月1日時点で小学校で49人、中学校で9人の教員が欠員となっている。教頭などの管理職も含めた他の教員がカバーし、何とかやりくりしているとみられる。市教委の担当者は「現場に負担をかけているのは間違いない」と話す。

公務員を対象外としている「無期転換ルール」
私が非正規教員の問題を初めて取材したのは11年。社会のあちこちに「リーマン・ショック」の爪痕が残り、「派遣切り」や「雇い止め」が大きな問題となっていた。その時に感じたのは、民間企業だけではなく、教育委員会という公の機関までもが、労働者を何年も非正規で働かせ続けることへの疑問だった。

民間企業の雇用契約は、この時の反省から一定の改善が図られた。12年8月に労働契約法が改正され、有期雇用が5年続いた場合、労働者の申し入れがあれば、無条件で無期雇用に切り替わるルールが設けられた。しかし、公立校の非正規教員はいまも変わらず、20年でも30年でも講師の立場に据え置くことが認められている。労働契約法は公務員に適用されないからだ。

日本労働弁護団の常任幹事で、教員の労働問題に詳しい嶋崎量(ちから)弁護士は「教員だけではなく非正規の公務員に共通した問題」と前置きした上で、「いつまでも不安定な有期雇用が続くという点で、民間企業より劣悪な条件に置かれている」と指摘する。その上で「学級担任を受け持つなど正規教員に近い仕事を5年も続ければ、立派な戦力だと考えるべきであり、民間企業と同じように無期転換したり、正規化したりする仕組みが必要ではないか」と訴える。

落ち続けてもあきらめられない魅力的な仕事
「番号、なかったよ」
今年10月上旬。冒頭で紹介した女性教員は、勤務校の校長から校長室で採用試験の結果を伝えられた。6度目の挑戦は2次試験まで進んだものの、またも合格には届かなかった。最初は結果を冷静に受け止めたが、職員室の自席に戻ると悔しくなり、こぼれそうになる涙を必死でこらえた。

学生時代の仲間の中には、先生を目指したものの、その道を諦めていった同級生たちがいる。採用試験で不合格が続くことに耐えられなくなった人。合格したものの職場が合わずに「精神的につらい」と言って教壇を去った人――。女性自身も「別の道を歩んだ方がいいのかな」との考えが脳裏をよぎったことがある。踏みとどまらせてくれたのは、講師として教壇に立ったことで得られた充実感だ。子どもたちのノートやテストの結果を見て、自分の授業を通じて力をつけてくれたことが分かるとやっぱりうれしい。

来年度も契約が更新されれば、講師生活は5年目に突入する。「大変なことも嫌なこともあるけれど、できるところまでやってみよう」。正規教員を目指してチャレンジし続けると心に決めている。

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すてっぷに通う子どもの学級担任も講師がいます。講師かどうかは確認したことがありませんが、宿題の出し方等を見ていて、発達障害のことをあまりよく知らないのではないかと感じる時もあります。講師の先生だから仕方がないかなと思う事もあります。もちろん若手の講師の先生でもバリバリ学んで、素晴らしい指導をしておられる方もいます。問題は、その努力に使った時間だけ採用試験の勉強はできないという矛盾です。

学生時代に努力しなかったのだから仕方ないと言われる向きもありますが、人間には遅咲きや晩熟の人もいます。講師として職場に出て初めて教育の魅力に気が付く人だっています。教員養成系の大学に入り、就職前の1年は各教委が囲い込みのために行うインターンシップや養成セミナーに通って試験のコツを知り、要領よく採用試験に受かる新卒の教員と、産休や育休、病休の便利使いで何年も講師を続けて現場から感謝されている教員の差が、来期も教員が続けられるかどうかの安定感のあるなしでは差が大きすぎます。

民間では何年も同じ職種で正規と同じ働きをしている労働者は正規雇用していく向きがあるのに、本人が採用試験を受け続けているのに5年以上たっても採用されない講師はざらにいます。ただ、5年やって認めてくれないなら、その職には縁がなかったと他の職種を探すのが合理的だとは思いますが、そこまで認められないのはよほどモチベーションの低い講師なのかと思えば、そうではない人が少なくないというのが悩ましいのです。

競争倍率だけで質の良し悪しを考えるのは、相手がどこの誰かわからない場合の競争の時です。講師は何年も何人もの人達が見ているのです。その善し悪しがわからないはずがないのです。試験の得点だけでは人は測れないと言っていますが、いかに嘘っぽい話か教員採用が証明しているようなものです。今回の小学校35人学級の実現がいかほどの講師を正規として採用するのかわかりませんが、努力している人を掬い上げるのが教育の王道というものです。

 

「助言しない」意識変革を

「助言しない」意識変革を

2022/1/12 【産経WEST】

「私は臨床心理士なので、具体的なアドバイスはしない」。困難を抱える子供や保護者の支援を担う心理の専門職、スクールカウンセラー(SC)への取材を重ねる中で、何度も聞いたセリフだ。だが文部科学省は問題解決のため、SCに対して保護者に助言をするよう明確に求めている。それが、なぜそうなるのかと驚いた。

SCという名称の固有の資格はなく、文科省によると、現在のSCの大半は臨床心理士の有資格者だ。臨床心理士が心療内科などで行うカウンセリングでは、相談者が自分の考え方のクセといった問題に自ら気づけるよう、本人の話に傾聴して共感を示し、内省を促す手法が主体とされる。この一面においては、「臨床心理士はアドバイスはしない」のだろう。

だが臨床心理士の資格は個人的な背景にすぎず、自治体から採用されてSCになったのなら、「SC」としての責務を全うしてもらわなければならない。文科省の有識者会議によるガイドラインは、子供にはカウンセリング、保護者には助言をするよう明記している。このガイドラインを基に各自治体が作成する活動指針も、同様のはずだ。

保護者は悩みや不安を抱え、すがる思いで相談に訪れる。それなのに、カウンセリング手法で話を聞いて共感されるだけでは、解決の糸口すらつかめない。中学生の長女が不登校になった愛知県の女性(53)は、SCから「本人が登校する気になるのを待ちましょう」と言われるばかりで、何をして待てばいいかの助言もなく不安を募らせたという。だが、取材に「臨床心理士として言えるギリギリが、『待ちましょう』だ」と答えたSCもいた。

もちろん取材では、子供の抱える問題の原因を見立て、積極的に助言するSCにも出会った。メールで連載への感想を寄せてくれたSCの女性(56)も、保護者との面談のたびに必ず助言をするといい、「子育て期はあっという間。保護者の悩みに今、対応して解決しなければならない」と話した。だが、そんなSCはむしろ少数派だとの声もあった。

SCには心理分析の知識だけでなく、教員と連携するためのコミュニケーション能力などさまざまな資質が求められる。財務省は今年度、各省の事業の有効性や効率性を調べる「予算執行調査」で、SCについて「資質の向上が最需要事項」と指摘した。

だが、「うまく助言できない」のではなく「助言しない」と決めているのであれば、資質以前の問題だ。文科省と自治体は今一度、SCの職務内容を周知徹底してほしい。SC側も、学校にかかわる専門職として求められている役割が何かを改めて考え、意識を変える必要があるのではないか。(藤井沙織)

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傾聴して指示はしない、カウンセリング理論の基本です。ただ、保護者は生徒と親子関係にあり保護者が影響を与えている場合があるとは言え当事者ではないですから、「助言しない」という理由が不明です。「子どもに助言しない」と言う助言はありですが、親にも教員にも助言しないと頑なに拒むカウンセラーがいるとすれば、その方自身が社会性の課題を抱えていると考えるべきです。そもそも導入時から臨床心理士を学校に迎え入れるのに、傾聴だけするカウンセラーで教育相談に役に立つのかと言う議論がありました。

この懸念を抑えて押し切ったは、かつての文化庁長官河合隼雄さんの力が大きいです。不登校や引きこもり相談のパイオニアであった河合さんが臨床心理士会をてこにSCを定着させたという経緯があるのです。秘密を守ることは子どもとの信頼関係を築く第一歩ではありますが、全てではありません。他の大人とも情報共有することを子どもが安心して理解できるようにするのもSCの仕事です。

SCには生徒のカウンセリング業務以外にコンサルテーション(助言)業務が課されています。対象は保護者と学校関係者です。ところが、この人たちに向かって「助言しない」と言ったら業務放棄です。一度決めたら修正できない「お役所仕事」で全ての公立学校にSCを文科省は置いたのですが、とうとう現場の不満が爆発し、財務省の経費削減路線と合わさって「SCは役に立たない」大合唱が始まったわけです。

SC採用の際に臨床心理士会の心理士ならフリーパスと言う採用の仕方にも問題があります。今は少なくなりましたが、子どもの特性によっては傾聴が役に立たないことを知らない臨床心理士もいるのです。そして、子どものカウンセリングと関係者への助言はセットにして効果が上がるのは当たり前のことです。助言しないと言うSCは辞めてもらえばいいのです。制度そのものと運用(採用方法)の問題をすり替えないでほしいと思います。

保護者の子どもの障害受容

早期の気付きと、早期からの支援が後の子どもの成長発達に効果的なことは言うまでもありません。子どもに何らかのつまずきがあるのではないかと気付いた場合は、早いうちに専門機関等に相談し、場合によっては診断を受けておくことが望まれます。LD、ADHD、高機能自閉症は、全般にわたり発達に遅れがあるわけではないので、気付くことが難しいと言われることがあります。しかし、その一方で、親の会の調査によれば、言葉の遅れ、特定のものへのこだわり、動作がぎこちない、集団行動が取れない等の特性から、大半の保護者は3歳位までに子どもに何らかの障害があるのではないかと気付いています。LD、ADHD、高機能自閉症の子どもたちは、幼児期には診断が難しい場合や、その状態が成長に従って変わってくる場合もありますが、保護者は子どもが得意なこと、苦手なこと等、子どもの特性をきちんと把握し理解した上で、それに合わせた援助や療育に将来を見据えて取り組んでいくことが大切です。

一般に、保護者が子どもの障害に気付き、受容に至るまでには、下記に示すようなプロセスを経ていく傾向があるとされています。多くの保護者から、もっと早く対応しておけばよかったという声があがっています。障害を受容していくことは難しいことですが、結果として子どもにもよい影響を与えることにつながります。
1 疑念・混乱
LD、ADHD、高機能自閉症の子どもたちは、乳幼児期には育てにくかったり、逆に手間がかからなかったりする場合もありますが、通常の発達とずれを示すことがあります。幼児期には、何か気になるという思いを多くの保護者が感じるようです。落ち着きがなかったり、集団行動が取れなかったりする場合には、育て方の問題として責められる場合もあります。原因が分からないために、子どもの様子に心配を抱きつつも否認したり、混乱に陥ったりしてしまいます。
2 ショックと安堵
こうした葛藤の時期を経て診断を受け、LD、ADHD、高機能自閉症といった診断名が付いた時には大きなショックを受けます。一方で、育て方の問題ではなかったことが明確になったことで、多くの保護者が一瞬ほっとした気持ちになります。
3 努力・挑戦
そして何とか発達の遅れを取り返そうという取組が始まります。親子ともに目の前にある課題や行動等に対して一所懸命取り組みます。
4 障害の受容
以上のような段階を経て、子どもの状態を正面から受け入れられるようになります。目の前の課題に背伸びして取り組むのではなく、将来を見通して現実的な対処への取組を始めます。適切に支援・療育を重ねていくと、苦手な部分を克服したり、得意な分野で補うことにより問題を克服したりして、目立たなくなるケースもあります。しかし、各種の支援や療育を重ねても、どうしても克服できない苦手な部分が残り、生涯にわたり何らかの困難を伴うケースもあります。

LD、ADHD、高機能自閉症の子どもたちは、一所懸命やっているのに勉強がうまくいかない、周囲から仲間はずれにされ、忘れ物をして先生から叱られる等、成功体験が少なくストレスを貯め込んで、自信を失ってしまったりする場合があります。こうしたことの積み重ねで意欲を失ってしまったり、いわゆる二次的な障害に陥ったりする場合もあります。家庭内では、小さな成功体験の場を作ったり、よいところを誉めたり、好きな遊びの時間を作ったり、自信を付けさせたり、精神的に解放される場面を作ったりすることが大切です。

また、本人が自分は他の人とはどこか変わっていると気付き、思い悩む時が来ます。子どもがそのようなサインを出して来た時には、子どもの不安を解消するために、子ども自身の自分への気付きに添って説明することが必要です。子どものよい点を話題にし、人はそれぞれ個性や違いがあり、得意なことや苦手なことがあること、障害や困難は子ども自身のほんの一部に過ぎないこと、苦手な部分を補うためには努力が必要なことなどを、子どもの自尊心を尊重しながら、理解できるように説明することが大切です。さらに、保護者は親として子どもの養育に取り組むだけでなく、よき支援者であることが求められます。時として叱ったり、厳しく教えたりすることも必要となりますが、そうした中にも子どもが常に保護者の愛情を感じ取れるよう心がけ、子どもの心を支え続けるよき理解者として、共に歩んでいくことが大切です。

LD、ADHD、高機能自閉症の子どもたちは「中枢神経系に何らかの機能不全がある」と推定されていますが、原因は完全に解明されているわけではありません。また、医学的に根本的な治療をする方法もないというのが現状です。これらの子どもたちには、医学的な診断が必要な場合がありますし、医療からの支援が有効な場合もあります。特にADHDについては、子どもによっては症状の抑制に高い効果を示す薬があり、薬物療法が用いられることがあります。

ADHDの薬物療法はあくまでも症状を一時的に抑制するものであり、根本的に治療するものではありません。しかし、注意集中困難などの主症状を一時的に抑制することにより、療育に効果が出てきたり、本来もっている能力を発揮したりすることが期待できます。

子どもに自信をもたせ、自己の存在感、生きがい等を育てていくことが、二次的な障害を未然に防ぎ障害を克服する力となっていきます。保護者は、時には叱ったり、厳しく接したりすることが必要ですが、その場合でも「私は貴方が可愛くて、好きで、誰よりも愛している!」というメッセージを絶えず送り続けることがとても大切です。子どもの困難を克服していくためには、子どもと保護者が信頼関係を築き上げ、一緒になって取り組んでいくことが必要です。そのためには上述の愛情のメッセージとともに子どもを認め信頼している姿勢を示すことなどから、家庭の中で子どもとの信頼関係を築き上げていくことが、人間として人生を豊かに送るための土台づくりになっていきます。特に知的に高い子どもほどLD、ADHD、高機能自閉症かどうかの見極めが困難な場合があります。性格の偏りなのか見極めが難しい場合もありますが、発達のアンバランスを生活全般にわたって観察することにより見分けることができます。早期に発見し、適切にかかわっていくことが、将来の社会生活をスムーズに送れるようにするために何より大切です。

勉強面や生活面など不得意な部分の改善に一所懸命取り組んでいると、いつも注意をしているような状況に陥ってしまいがちです。こうなると、かえって逆効果になり、子どもと保護者がともに精神的にまいってしまいます。これだけはというポイントに絞り、細かいことはあまり注意しないことが時には必要です。LD、ADHD、高機能自閉症の子どもたちの中には、学校の勉強は何とかこなすものの、基本的な生活習慣が身に付かないまま、成人期を迎えてしまう場合が多く見受けられます。整理整頓、金銭管理、身だしなみ、忘れ物をしない等は自立に欠かせないスキルであり、将来を見据えて幼少期から日常生活の中で計画的に取り組んでいくことが大切です。また、家事などの手伝いに取り組ませることも大切です。洗濯物たたみ、食器洗い、部屋の掃除、風呂の掃除など、子どもが一人で行うのが難しいことは、最初は一緒に取り組み、徐々に援助を減らして、一人でこなせるようにしていきます。やり方を覚えた時や、手伝いができた時は必ず誉めるなど、意欲を高め、楽しく取り組めるように心がけます。

こだわり、自分勝手、強迫観念、対人関係の形成の困難さ等、子どもたちがもつ特性は、周囲の理解を得ることが難しく、学校生活だけでなく将来自立し社会生活を送って行く際にも問題になってきます。この子どもたちは、経験のないことについて頭では判っていても実際の場面でうまく対応できないことがあります。本人の特性を生かしながら、社会に適応していくためには、人間関係をスムーズにしていくための対応の仕方を身に付けていくことが大切です。様々な経験や体験学習をする中で考えさせながら、対処方法を身に付けさせたり、行動の自己調節、自己制御の心を育てたりすることも必要です。子どもが自己制御を身に付け、多動、パニック等の行動面の問題を克服していくことは簡単ではありません。無理じいや周囲の焦りは、かえって逆効果になることもありますので、じっくりと取り組むことが必要です。本人がストレスを少しずつ発散でき、親子ともに精神的に解放できる場を作ることも忘れてはならない大切なことです。

LD、ADHD、高機能自閉症の子どもたちは、全般的には知的発達に遅れがなく、周囲から学習面の遅れを本人のやる気のなさや努力不足と思われがちです。しかし、視覚・聴覚等の認知特性や注意集中等に困難があるために、子どもそれぞれに、得意な分野、不得意な分野があります。学校の先生とも相談しながらその特性に合わせた取組が必要です。家庭で勉強に取り組む時にも、学校の先生に相談しましょう。また、専門機関を利用している場合は、担当の先生とも相談して、役割分担をしながら、一貫性のある指導となるよう心がける必要があります。

不得意な分野については、子どものつまずきを把握し、スモール・ステップで取り組みます。不得意な分野で追いつめたり、無理に努力を強要したりすると逆効果になりかねません。小さな成功や努力を誉め、自信や意欲を高めるように心がけます。例えば計算については、電卓を使うなどの補助具を活用することにより、その問題を克服していく方法もあります。机上の勉強では理解が難しいことでも、身近なことや実体験に結び付けると理解しやすくなります。例えば、今日学校であったことを話す、旅行に行く場所を一緒に地図で調べる、アルバムの写真を見ながらその時の話をする、買い物の計画を立てて金額を計算してみる等、実体験と結び付け、楽しみながら取り組めるようにすると効果的です。不得意な分野にばかり目を向けるのではなく、得意な分野を伸ばすように心がけることが大切です。得意な分野が伸びてくると、やればできるという気持ちが育ち、本人の自信にもなります。また、このことによって不得意な分野をカバーすることや、自立に生かすことにつながりますので、うまく支援していくことが大切です。