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みんなちがってみんないい

子どもが幸せになることば

この本にこんなことが書いてありました。ーーー子どもの発達障害への対応として、しばしば見聞きする対応で気になるのが次の二つです。第一は、不安に思っているが、「問題が表面化していないから」「担任の先生から言われてないから」などの理由で、気がついていないふりをします。親は一番身近にいて、子どもが苦しんでいることに真っ先に気がつく存在です。親が味方になってくれないと、子どもは苦しみます。もし本当に障害があるのなら、早く気がついて対応してあげることで、無用の傷つきを防ぐことができます。二つ目は自分の子には障害があるかもしれないと感じているが、子どもの苦手なことや欠点と見えることについて、親の自己流のやり方で(ネットで調べたり、本を読んだりして)克服させようとする。苦手なことを克服するために「慣れさせる」ことで解決しようとするケースをよく見聞きします。たとえば、ざわざわした音や人混みが苦手な聴覚過敏の子を「鍛える」ために、無理にそのような環境に耐えさせる。野菜の味が苦手で受けつけない子に、無理やり食べさせたりするなどです。障害がある子にとっての「苦手」は、本人のわがままや身勝手というレベルではなく、「耐えがたい苦痛」かもしれないのです。いちばん信頼している親から無理強いされることは、心の傷(トラウマ)となる可能性もあります。ーーー

とはいうものの、毎日子どもを育てているのは保護者です。気づかないふりではなく子どもの成長の可能性にかけてみようとしたり、見よう見まねで解決しようとするのはそんなにおかしなことではないです。むしろ、不安と孤独の中でそれを取り組みながら、「育児を失敗して、不幸になったらどうしよう……」「自分の思い通りに育てられない……」「正直、子育てを楽しめない」「子どもを好きになれない。できることなら一刻も早く自立してほしい」「子どもの意見を尊重したいと思うけど、つい口が出てしまう」などのネガティブな自分に嫌気がさしてしまい、心が病んでしまうことこそ要注意です。そんな時、「言いがちなことば」を「信じることば」へ変えてみるだけで親の心持ちが楽になり、結果として子どもとの関係性が改善されるというのが、この本の内容です。

【子どもが急かしてくるとき……】
・言いがちなことば「待っててって言ってるでしょ! 」
・信じることば 「ほんとに楽しみだね!」
【こぼさずになんとか食べられたとき……】
・言いがちなことば「えらいね! 」
・信じることば 「おいしかった?」
【指しゃぶりしたり爪を噛んでいるとき……】
・言いがちなことば「もう小学生になるんだからやめなさい! 」
・信じることば 「小学校、楽しいといいね」
【「もう学校には行かない! 」と言ったとき……】
・言いがちなことば「そんなことを言わないの! 」
・信じることば 「それぐらい嫌だったんだね」
【親からみて間違ったことを主張してきたとき……】
・言いがちなことば「いやそれは間違っている。その理由は……」
・信じることば 「自分の意見を言えるのはいいことだ」
【夜遅くまでテレビを観ているとき……】
・言いがちなことば「いつまでテレビ観てるの! 」
・信じることば 「先に寝るよー。おやすみ! 」
【進路に悩んで立ち止まりそうなとき……】
・言いがちなことば「あの高校に入れさえすれば……」
・信じることば 「おつかれさま。悩んでいるみたいだね」
【元気づけようと思って……】
・言いがちなことば「型にはまらず、自由に、自分らしく生きてほしい」
・信じることば 「そのままがいい。そのままで大好きだ」……etc.

子どもが幸せになることば
単行本– 2019/2/28 田中 茂樹 (著)     読んでみてください。

通所受給者証の使い方

この間、当事業所との契約・再契約のために持ってきていただく通所受給者証について、利用者の方の認識がまちまちですので再確認したいと思います。(京都府乙訓圏域のものを使って説明しますので、他地域は異なる記載のこともあります)

通所受給者証とは、福祉サービスを利用するための証明書で、居住される自治体から交付されます。
受給者証は、乙訓なら全部で12ページ(裏表6ページづつの2枚構成)あり、以下の項目が記載されています。時々、2枚目の「支援事業者記入用」用紙の昨年分を「書き込める空白があるから」と事業所に持って来られる方がありますが、受給者証と支援事業者記入用の2枚とも毎年更新されるもので、前年の用紙は使えません。以下、一番下に掲載した受給者証画像をもとに説明していきます。

(一)通所受給者証
住所・保護者の氏名、生年月日
児童の氏名、生年月日
交付年月日
(二)障害児給付費の給付決定内容
支援の種類
支給量等(全てのサービスを合わせて月に何日利用できるかの記載)
給付決定期間(通常1年間)
(この内容で2枠分)
特記事項欄 ※放課後等デイサービス指標該当 有・無 (どちらかに○がある)
(三)障害児給付費の給付決定内容(前頁と同じ内容、他のサービスがあれば記載)
支援の種類
支給量等
給付決定期間
(この内容で2枠分)
特記事項欄 ※放課後等デイサービス指標該当 有・無
(四)障害児相談支給給付費の支給内容
支給期間
指定相談事業所名(利用者が選んだ相談事業所名)
モニタリング期間(通常「6月ごと」等と記載)
予備欄(モニタリング対象月等が記載)
(五)利用者負担に関する事項
負担上限月額(通常は一割負担の上限限度額「4,600円」が記載)
適用期間(通常は給付決定期間と同じ期日)
食事提供加算対象者(放デイは非該当)
利用者負担上限額管理対象者該当の有無(該当か非該当が記載)
利用者負担上限額管理事業所名(複数事業所の中で上限額管理をする事業所)
特記事項欄(「複数障害児あり」と通所事業を使う兄弟がいる場合に記載)

(予備欄)乙訓はここまで6ページが1枚目(ほかの自治体では12ページ全部つながっているところもある)

障害児通所受給者証(支援事業者記入用)(2枚目の表紙)
(六)(七)障害児通所支援事業者記入欄
事業者及びその事業所の名称(育ちの広場すってぷ等を事業所が記入)
支援の内容(放課後等デイサービス等と記入)
契約支給量(すてっぷ等に月何日来るのかの契約量を記入)
契約日(事業所と利用者が新規契約又は更新契約がされた日を記入)
事業者確認印(事業所が押印)
当該契約支給量による支援提供終了日(上記契約内容を終了した日 事業所をやめる時に)
支援提供終了月中の終了日までの既提供量(契約支給量のこと)
事業者確認印(事業所が押印)

この繰り返しが数字番号で6枠続きます
予備欄
(八)(九)注意事項欄
以上が二枚目の6ページ分
乙訓圏域内でも微妙に書式が違います。例えば、特記事項欄 「放課後等デイサービス指標該当 有・無」の項目は長岡京市にはありませんし、向日市は記載はあるけど有無が記されていません。実はこの指標該当記入内容が物議を醸しだしているのです。このことは次回に書きます。

 

放課後等デイサービス「指標該当」

「指標」という項目は、状態像判定というものによって、指標(該当、非該当)が決定されます。この「該当」、「非該当」とは、簡単に言うと支援の多い利用者であるかどうかです。この項目は、放課後等デイサービスなどの事業所の基本報酬を決定するために使用されます。基本報酬とは、事業所の収入です。「該当」の割合によって基本報酬が決められます。「該当」になるためにはハードルが高いのです。これまでは、食事、排せつ、入浴、移動、行動障害のうち3つ以上について全介助 を必要が「該当」でした。一部介助、全介助を選択する基準もあいまいでした。そのため、排せつ、入浴、移動が本当であれば全介助であるにもかかわらず、一部介助となっているため、保護者から判定者(相談事業所)に伝えてほしいというお願いもあったそうです。

保護者にしてみれば、排せつ、入浴、移動は、少しは出来ているので、放課後等デイサービスの職員から〇〇君は、「全介助ですよね」と言われると嫌な気持ちになると思います。しかし、放課後等デイサービスの事業所からすると収入が減るので必死です。放課後等デイサービスにとって受け入れたがっているのは、指標該当児で軽い発達障害児です。手がかからないからです。収入が高く手がかからないのであれば、そちらの方を選ぶ事業所が増えるのは当然です。

現在の指標基準は、さらにハードルが上がり、そのほとんどが強度行動障害判定の12項目(10点以上)と、新たに「そううつ状態」「反復的行動」と「読み書き」の困難度が加わり(全体16項目中残る1項目は「大声・奇声」ですがこれは行動障害の中に入るものです)ました。その各項目(週1回で1点・毎日が2点)合計が13点以上でないと該当しないのです。この該当者の利用が半分以下だと報酬を減額するという事です。確かに、放デイには民間進出が激しく、「儲かる福祉」として参入してくることで、アニメとビデオゲーム漬けという放デイがあることや、スタッフの給与を安く抑えて経営者や株主だけがハイリターンの報酬を得ている事実も見逃せません。しかし、だからと言って強度行動障害基準に毛の生えた程度の判定基準で児童の発達支援事業の報酬基準にするのは間違いだと思うのです。

手がかかるというのはお世話の手数のことではないのです。行動障害が生じないようにいくつもの手立てで予防療育を実施したり、支援付きの援助でもよいから将来自立を目指す人に育てるのが放デイの仕事です。お世話一つにつき何円というような基準があてはまるはずもありません。支援の時間コストでいえば衣・食・移動が自立している発達障害の方に一つ一つ話を聞いて支援の最適化までの時間コストは重度の方と同じ場合もあります。ですから単純に見かけの障害の軽重で支援の軽重を図るべきではないというのが多くの支援者の弁です。そして、日本に8000人、療育手帳所持者の1.2%ほどと言われる強度行動障害の判定基準で放デイ該当児童を決めるというのは実態に合っていません。だから、多くの行政が独自の基準を持とうとしているのは良いことです。しかし、隣町に行くと基準が違うというのは税で処遇されるサービスとしては公平性に欠きます。厚労省の正しい見直しが図られるのが一番だという事です。

 

教員いじめ問題

MBSニュース10/8(火) 11:55配信
神戸市立東須磨小学校で、去年から今年にかけて30代から40代の教員の男女4人が、20代の男性教員に対していじめを行っていた問題。男性教員は激辛カレーを目にこすりつけられたり、買ったばかりの車の上に乗られたりなどのいじめを受けていました。男性教員は今年9月から精神的に不安定になり学校を休んでいます。

学校では今年4月に新しい校長が着任しましたが、関係者によりますと男性教員は去年9月から今年3月まで前の校長にいじめについて相談していたということです。市教委は初めて学校がいじめを把握したのは別の教員が相談した今年6月と発表していましたが、それより早く学校は事態を把握していたことになります。市教委は今後、実態解明を進めると共に加害教員らの刑事告発も視野に処分を検討しています。
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連日この報道でメディアは大騒ぎです。確かにまともな大人社会ではありえない光景です。これは、いじめではなく暴行傷害・器物損壊・偽計業務妨害・名誉毀損・強要の罪に問われる刑法の範疇です。さらに奇妙なのは、管理職は勿論、周囲の教員は何を恐れて黙していたのかです。おそらくこの加害の中心人物は巻き込み型人格なので恐ろしくて手が付けられない教員だったのかと推測します。確かにこういう輩はいるのでしょう。教育現場だから目立ったという事で、どこにでもいるのだと思います。関電と元助役の事件とも背景がよく似ています。

目的と規律を失った組織は、自分たちの地位や安全は暴力と不正の恐怖の中で成立していると錯覚させます。構成員の錯覚で揺るがない恐怖は「生贄」を探し始め、理性を失い粛清が始まります。これは組織の大きさに関係ありません。古今東西の迫害は、全て組織の堕落とそれを原因とした錯覚から生じる恐怖の連鎖が生み出しました。圧倒的な不正や暴力が正義に置き換わり、異常人格者が祀り上げられて行きます。なんだか情けなくなりますが、つらくても私たちはこの事実と向き合って、一つ一つ正していくしかありません。

子どもたちに伝えるべきことは、One for all, All for oneと言うだけでなく、人は誰でも環境によって堕落するということも伝えなければなりません。堕落した組織は恐怖に怯え理性を失ったヒトの群れでしかなく、群れは恐怖で共食いをするということです。それを予防するには、組織ガバナンスと組織規律が必要だという事です。要はリーダーの良き采配とそれを支持して行動するメンバーシップが大事だということを政治教育と合わせて行うことが大事です。One for all, All for one.「一人はみんなのために、みんなは一つの目的のために」は、多様性社会のバックボーンだと思います。

 

 

スクラップアンドビルド

あれがいい、これがいいと教育現場場はこれまでの行事を削ることなく新しい内容を増やしてきました。英語、プログラミング、土曜授業復活、学力テスト対策。これらは昔はなかったのに、新たに増えた学習です。新たに荷を積むのに古い荷を降ろさなければ、船は沈みます。教員の時間外勤務が増えるのは至極当然です。また、時代に合わない行事はカットすべきです。子どもだってその量の多さと時代遅れの行事に負担を感じています。

市町によっては4年生から実施される宿泊行事。実施前は旅行代理店の如く行き先との折衝や宿泊先・保護者とのアレルギー対応のやり取り、保護者説明会や子どもたちの部屋決めなど、実施中は夜尿の可能性のある子を夜中に起こしたりの24時間勤務です。思い切ってやめてしまえば、下見と本番に使っていた出張費を新しい教育に対応する研修に使え、他にかかっていた予算も削減できます。共同生活からの学びは多いですが、寝るのはシングルかツイン部屋で、食事も好きなものを選択する時代に、大集団で寝泊りすればギャップの大きさに苦しむ子が出て当然です。クラスには1人か2人でも、毎年3%を切り捨てるほどのメリットは見当たりません。

運動会のそもそもの目的は、日頃の成果を発表することが表向きで、裏向きは地域共同体としての祭りの一環というのが慣しでした。実態は見てもらうための運動会を目指して普段はほとんどやらないダンスやら組体操をひたすら練習しています。もちろん良い面もありますが、時間コストと照らし合わせるとコスパはかなり低いです。応援団・全体練習等の指導、うちわやプログラムの作成、当日のテント・機器の準備。基礎学力の底上げ教科内容の充実を片方で強調しながら費やす時間は莫大です。地域社会への還元といっても、校門には「部外者入場お断り」の不審者防止の貼り紙で地域からの決別を宣言しています。日頃の成果の発表なら、体育の授業+授業参観で充分です。

学芸会も運動会同様、これも見せるためのイベントです。もちろん脚光を浴びる体験は大事です。しかし、一方で学校生活12年間、脚光も浴びずに、木の役やら石の役をいやいや協力してきた人もいます。脚本選び、配役、演出、衣装作り、照明、進行、会場準備と演劇には多くの学びがあります。ただ、子どものためにと費やす時間が多い割には、残念な思いをしている子どもと保護者がかなり多いのです。劇発表は国語・英語の授業+学級活動+授業参観でOKです。

こうした主張をすると、学習は集団活動で得た仲間意識の向上の中で効果が上がるものだという反論があがります。学級集団活動は宿泊や運動会や学芸会がないとできないものでしょうか。教科学習の中ではできないのでしょうか。或いは、仲間意識が学力向上と本当に相関しているのでしょうか。ただ、大事な言葉を並べているだけのようにも思います。教科指導技術の低さを生徒指導で挽回しようとしているようにも見えます。この二つは悪循環を起こしています。生徒指導で忙しいから教科指導技術が向上しない。教科指導技術が向上しないから学力不振で子どもが満足せず、ますます生徒指導にのめり込むのです。

学校をよく見ていると教科指導の優れた先生は学級指導も上手な先生であることが多いです。教科指導の下手な先生は学級指導も下手なことが多いです。どちらかだけ上手という先生は少なく、あまりいません。自費参加の研修会に行かれる多くの先生は良い授業をしています。公費研修会にしか行かない方の授業は残念な指導が多いと感じるのは偏見でしょうか。ただこれは、研修会の主催や中身とは全く関係がないと思います。要は、一流の講師の研修は自腹を切ってでも受けたいという、プロフェッショナルとしての仕事への向かい方の違いだろうと思います。学校は勉強する場所という基本に立ち返り、これまでの集団活動を優先すべきか新たな学習課題を優先すべきか考えてスクラップアンドビルドを実行してほしいものです。一番疲れているのは子どもです。

 

ワールドカップ・ベスト8

10月13日、ワールドカップ予選プール最終戦。ワールドカップでは3度対戦して、一度も勝利したことがなかったスコットランドに、28-21で見事に日本は勝利しました。「今週は多くの人に感動や勇気を与えるチャンスだったので、常に準備することを意識してやってきた。ピッチ立っていた23人だけじゃなく、『ONE TEAM』で勇気を持ってプレーできた」と主将リーチ・マイケルは語りました。「台風19号で被害に遭われた方がたくさんいる。ラグビーを通して、日本中に感動・勇気を与えられるようなプレーをしよう」日本代表を率いるジェイミー・ジョセフHC(ヘッドコーチ)は試合前のホテルで、選手に伝えたそうです。

スコットランド戦の勝因を、リーチは「我慢。最後まで走って、立ち上がって、タックルに行ったこと」と答え、フォワードを引っ張った堀江は「めちゃくちゃ強かったが、練習の成果が出た。フィジカルで圧倒してこようという気迫がすごかった。(後半は)流れが向こうにいくと思っていたので我慢した。ベスト8に入れて、めちゃくちゃうれしいです」と表情を崩しました。試合後、ジョセフHCは、「今週は万端の準備ができた。まぐれではない。いろいろな人たちが懸命に努力した結果だ。(中略)なにより、選手たちの『勝ちたい』という気持ちがスコットランドを上回った。ベテランも若手も150%の力を出し切った。それが勝利につながり、こうした景色をつくり出した」と語りました。

日本代表は「ワールドカップ・ベスト8」を目標に掲げてきました。ただ、戦いはまだ続きます。監督頼みの受身のチームではなく、リーダーグループがチームを引っ張り選手主体で行動できるチームに、選手たち自らが考えてチームを引っ張る集団にと、ジョセフHCは4年間かけて育ててきました。それが、今のジェイミー・ジャパンの強さです。10月20日、日本代表は準々決勝で、W杯優勝2回を誇る南アフリカ代表と対戦します。前回大会で逆転勝利を飾った「ブライトンの奇跡」を彼らは必ずリベンジしようと待ち構えているはずです。4連勝の勢いと『ONE TEAM』のジャパンプライドを、ラグビー強国南アフリカにぶつける大勝負が楽しみです。

余暇支援

自閉症や発達障害の人は、時間を持て余してしまったり、空いた時間に何をして良いのかわからない事があります。待ち時間などでも自分から時間をつぶすことが出来ず、手持ち無沙汰から悪戯をしたり、ふらふらと立ち歩いたり、常同行動を取ってしまうこともあります。また、時間を持て余すあまり、イライラして不機嫌になり、場合によっては怒り出すこともあります。大人になって社会に出てからも、平日は働いたり施設に通って時間を過ごすものの、休日には何もやることが無く、一日中家でテレビやアニメを眺めたりゲームをしているだけという事も多いようです。自分からやりたい事がないと、せっかくの休日も何もせずに終ってしまい、リフレッシュや気分転換もできなくなってしまいます。

自閉症などの発達障害の人は目に見えない時間の概念の認識が難しく、時間の感覚や流れへの理解が乏しいということがあります。そのため、休み時間が10分あるとわかっていても10分とはどれ位なのか、10分間で何が出来るのかがわからないということがあります。また時間の開始と終わりが明確でないと、何処から何処までの時間が自由に過ごしてよい時間かわからず、気が付いたら自由時間が終わってしまったということもあります。時間の間隔や配分などが難しい子どもの場合には、自由時間の開始と終了を明確にすることで時間への理解を促します。自由時間は開始の時間と終了の時間をタイマーや時計の針を具体的に示すことで理解できるようにします。終了時間前には「あと何分で終わりだよ」と何度か声をかけたり、残り時間がわかりやすいようなタイマーを使用することで終わりの時間が意識しやすくなり、行動の切り替えもスムーズになります。

自由時間の前後だけでなく、1日の流れやスケジュールを説明する際にも、何時から何時までが自由時間かわかるようにしておくと、見通しを付けやすくスムーズに行動できるようになります。本人がやりたいことや好きな事を事前に把握しておくのは何より大事です。やりたい事を把握しておくことで、本人が時間を持て余している場合には、好きな事を提示してあげることが出来ます。あらかじめ好きな事リストを作っておき、本人が暇そうにしていたらリストを見せて、自分でやりたいことを選んでもらうという方法も取ることができます。この方法を用いることで、空いている時間を過ごす方法としても使うことが出来ます。

やりたい事や好きな事の把握が難しい場合には、周囲の大人が本人の取り組める課題を与える方法もあります。時間を持て余してしまうと不安などからイライラするような子どもでも、出来る範囲の課題を与えると集中して取り組める事が出来る事も多いです。課題だけでなく本人の好きそうな活動を提示したり、お手伝いを頼んだりするのでも効果があります。


自分でやりたい事を選択できる場合には、いくつかの課題や活動内容を提示し、本人に選んでもらうのが一番ですし、選択できないなら選択できるように取り組むことはとても大事です。人から言われて行動できることは大事ですが、やりたくもないことを続けるのは誰でも苦痛です。余暇支援と自発の伝達手段や選択行動は裏表です。自分で選ぶから余暇は楽しく安心できるのです。

時間を持て余している際には自分から親や先生などに「暇である」「やることが無い」という事を伝えられるようにするのも重要です。発達に遅れのある子どもは自分の意見や気持ちを人に伝えるのが苦手であったり、伝え方自体が分からないという子どもも多いです。そのため、暇で時間を持て余している際には、その事を他人に伝える事を教える方法を教えましょう。「やることが無い」「何をして良いのか分からない」という事を他人に伝えて指示を受けることは、社会人として働きに出た際にも必要な報告と相談になるので、子どもの頃からこれらの報告が出来ると社会に出てからも役に立つことでしょう。

発達に遅れのある子どもはその特性などから、暇を持て余した際に何をやれば良いのか分からないということがあります。自分で決めることが難しい場合には選択できる方法を取ったり、周囲の人が声をかけます。好きな事や興味の幅を広げるのも重要な事の一つです。新しい物事に取り組むのにも抵抗を示したり時間がかかったりする事がありますが、新しい物事に触れさせてみたり、色々な場所へ外出する機会を作ることが必要です。また、発達障害の人は様々な外部の刺激などから、疲れやすいという特徴もあります。時間を持て余している場合には活動を行わせるだけでなく、休息やリフレッシュなど、のんびりする方法の開発や提案も重要です。

Snoezelen

スヌーズレンは、オランダ語の造語です。オランダのエーデという町にある知的障害を持つ人々が住むハルテンベルグセンターで生まれた活動とその理念です。創始者は、アド・フェルフール。1970年代の半ばからアドさんや近隣の施設でのアイデアや活動から始まりました。スヌーズレンの語源は2つのオランダ語、スニッフレン<クンクンとあたりを探索する>、ドゥースレン<ウトウトくつろぐ>から造られた造語であり、「自由に探索したり、くつろぐ」様子を表しています。どんなに障害が重い人たちでも楽しめるように、光、音、におい、振動、温度、触覚の素材、こんなものを組み合わせた感覚を重視した部屋が生まれました。出来上がった部屋は、障害を持つ人のみならず、その傍らにいる、介助者にとっても心地いい空間となりました。

スヌーズレンは、治療法でも、教育法でもありません。支援者は、治療効果や発達支援を一方的に求めることはせず、障害を持つ人のオープンな楽しみ方をありのままに受け入れ、一緒に楽しみます。スヌーズレンは、障害を持つ人が、自分で選択し、自分のペースで楽しむための、人生の大切な時間だという考え方です。そして共に過ごす人との相互作用により、社会的な存在を表す時間なのです。スヌーズレンを実践する上で、大切なことは、障害を持つ人と支援者が、同じ人間として同じ場で同じ感覚を経験し、互いの感じ方や喜びを共有すること、それを通して人と人との関係をより深めることだと言います。

今では、重い知的障害を持つ人々の分野だけではなく、様々な分野へと広がっています。そしてヨーロッパ本土、イギリス、アジア各国、アメリカ、カナダ、世界中の国々にも広く理念と活動が浸透していきました。特にヨーロッパでは、認知症を持つ老人、精神障害を持つ人々、小児病院、普通幼稚園、町のコミュニティセンターなどにも広がり、あらゆる人が利用し、心地よい時間を過ごす場と認知されるようになってきているのです。ここ日本でも急速な広がりを見せています。大事なことは、くつろぐ空間を多様な人で共有するという目的です。共有・共存の場、そのために、様々なスヌーズレングッズやスヌーズレンスペースが開発されてきたのです。ウォーターベッドやバブルチューブなど高価なアイテムと空間と言うイメージが強いですが頭だけ突っ込むようなスヌーズレンボックスなども開発されています。人工的な空間と思いがちですが、秋の黄昏時のベランダのハンモックと落ち葉とか、みんながうっとりできればそれは自然の中でもいいわけです。

 

不登校児の学校リリース

ASD不登校児者に再登校・教室復帰を目標とした指導を行うことは、ASDの特性から必ずしも適切とはいえないです。 ASD児者にとって安全で安心できる学校にするためには、そのための環境づくりが必要であり、できるだけ小規模の学校で少人数学級であり、教師が多様性を受け入れられる子どもたちを育てる能力があることが重要だと考えます。しかし、現状では 学校をASD児者の特性に合わせた環境にすることは難しく、その特性から不登校になるASD児者が少なくありません。

本人の特性や不登校に至った原因やその時の本人の状態等を充分にアセスメントしたうえで、再登校・教室復帰を目標にしない指導や、本人が安心して学習できる場所や制度を用意すべきだと考えます。 ASD当事者の体験から、小中学校でいじめを受け、学校に行くことが苦痛 にもなったが、不登校にはならなかった理由に、小学校から高校まで通った教会の日曜学校が居場所になっていたという報告があります。そこには、重度の知的障害や肢体不自由のある子どもたちも通っていて、その子たちと親しくなり手助けをすることで、自分にも誰かの役に立つことができると実感でき、学校とは違って自分が無条件に受け入れられる喜びも感じたと言います。 重度の知的障害や肢体不自由のある子どもたちは、めまぐるしい動きをすることが少なくて安心でき、通常学級の中ではできないことの多い自分が誰かの役に立てることで自尊感情も高められたというのです。

例えば、地域活動支援センターや就労支援施設 (喫茶)な どの福祉施設が、社会とつながるために定期的に通う居場所になると思います。そこで、個別指導の形で学習をしたり、施設の利用者と交流したりすることも大事かもしれません。ASDの特性は幅広く多様ですから、一人一人に合った居場所が必要で、幅広 く多様な選択肢があることが望ましいと考えます。学校にこだわらず、地域にある公民館、図書館、福祉施設、NPO等による子どもの居場所など、不登校になったASD児者が通えるところをその子の学校にするということができるなら彼らの発達保障の可能性は大きく広がります。その際、学校や教師や保護者が安全安心だと考える場所ではなく、本人が安全で 安心だと思える場所で学習できるようにすることが重要だと思います。

現在、公の適応指導教室等に馴染まないASD不登校児者については、民間のASD児者を受入れているフリースクールや学習支援等をする形でのホームスクールなどが受け皿となっていますが、経済的負担も大きく、数も少なく、本人に合ったところを見つけるのも難しいため、引きこもりになってしまうことが少なくありません。学校に限りませんが、 周囲と違う者を排除しようとする風潮は簡単にはコントロールできないし、教師は多忙で余裕がありません。学校 (社会)をASDにも優しいものにしていくためには、学校関係者だけではなく、地域の専門家や住民も含めた地域全体で特別支援教育に取り組んでいく必要があります。その中で、教育と福祉の連携について、制度的にクリアしなければならない点も含め、具体的にどのようにすればよいかを、大きな行政の動きを待つのではなく、最小限の自治体レベルでの工夫と実行が急務だと思います。発達障害と不登校問題は、いわば現代教育の制度疲労であり、従来の学校だけをあてにしていても、学校だけで解決できる問題ではないと思います。

 

言い訳への対処法

言い訳をする人は傷つきやすいので、言い訳をしたからといって頭ごなしに怒るのは逆効果です。言い訳をする人は怒られることが怖いので、表面上謝っていても心の中では言い訳をして責任逃れをしています。ただ怒っても心の底から反省することはありません。とても臆病なので自分のせいだと素直に認めることができないのです。相手に事の重大さを気付かせたい、同じ過ちを繰り返してほしくないと思うのならまずは怒らないで話をしなければなりません。言い訳を始めたら、ひとまずその主張を聞いてあげるのです。怒られないで言い分を聞いてもらえることで、相手は少し冷静になれるでしょう。大きな問題を起こしてしまった時などは、ついカッとなって怒ってしまいがちですが言い訳をする人を相手にする時はこちらが堪えなければならないのです。

言い訳をされても怒らず、ある程度相手の話を認めてあげることが大切です。すべてを否定されると逃げ道がなくなってしまうので、言い訳をする人は精神的につらい状況になってしまうのです。本来なら、悪いことをしてしまったのなら怒られるし謝るのが普通なのですが、言い訳をする人は心が弱い人なのでそれに耐えらえません。なので言い訳を少し認めてあげる必要があるのです。嘘でもいいので、君の意見も一理あるけれどなどと付け加えて話をしてあげましょう。そして優しくなにが悪かったのかを説明してあげるのです。そうすることで、自分の言うことも少しは正しいのだと思うことができます。全面的に自分が悪いわけではないと思うことでほっとして、こちらの話もすんなり聞き入れてくれるようになります。言い訳をする人というのは繊細な生き物です。面倒ですが、相手をする時はこちらが大人になってあげなければなりません。

自分が悪いことに気が付きつつも認めるのが怖いだけの人ならまだ扱いやすいのですが、言い訳をする人の中には本気で自分は悪くないと思っている人もいます。このタイプは厄介で、こちらが一生懸命説明したところで自分が悪くないという考えは変わりません。何故なら、自分の立場からしか物事を考えていないからです。言い訳をする人は自己中心的な人とよく似ているのです。こういうタイプにわかってもらうには、実際に相手が嫌がるようなことをして同じ言い訳をするのが一番です。自分で言い訳をしている時は自分のことしか考えていないので、言い訳をしていることにすら気が付いていない可能性があります。しかしこうして自分がやられてみて、その時初めて言い訳をされる方の気持ちがわかるわけです。君がやっているのはこういうことなんだと教えてあげれば、言い訳は恥ずかしいことなのだと理解できるかもしれません。

言い訳をする人の中には、なにを言ってもちっとも効果がない人もいます。残念ですがこういう人はもう変わりません。できるだけのことをやって、それでも言い訳をしてくるようなら言い訳を始めた直後に席を立つようにします。言い訳を聞くのもストレスになりますし、尽くしても変わらない相手にわざわざ付き合い続ける必要はありません。それに、席を立つことで不快に思っていることをアピールできます。黙ってその場を離れてしまえば、話をするわけではないので言い訳はできません。それを繰り返していれば、言い訳をすると話を聞いてくれなくなってしまうということを覚えるでしょう。人から無視をされるのは痛いですから、次第に言い訳も減っていきます。荒療治ですが言い訳を聞かなくてすみますし、言い訳をする人も自分の発言についてよく考えるようになるかもしれません。

恐怖を感じることによる言い訳など、多くのケースは「自分は悪くない!」ということを伝えたいために生じる場合がほとんどです。少し悪い表現で表すのなら彼らは「臆病」なのです。言い訳が悪いという考えはいったん捨てて、自分の考えを伝える、相手の思いを受け止めるという意識をすると、無駄なエネルギーを使わずに済むかもしれません。

 

デイジー教科書

「マルチメディアデイジー教科書」は、学習障害やADHD・アスペルガー症候群など発達障害の子どもや、弱視などの障害のある子どものために作成されている教科書のことです。通常の教科書に、音声読み上げ機能と、テキストのハイライト機能がついており、音声を聞きながらハイライトされたテキストを読むことができます。デイジー教科書は、小学1年生から中学3年生まで、全国で使われている主要科目の教科書が提供されています。簡単な申請をするだけで、希望の教科書を無料で利用できます。デイジー教科書は学校での利用だけに限らず、家庭での音読の補助や授業の予習復習に活用できるのでとてもおすすめです。学習障害の傾向のある子供、または文字を読むことや音読が苦手なお子さんをお持ちの方は、ぜひ利用してみてください。

「マルチメディアデイジー教科書」とは、学習障害(読字障害)など発達障害、弱視など視覚障害やその他の障害で、通常の教科書を読むことが難しい児童のために、制作されているデジタル教科書です。2008年から文科省の委託事業として(公財)日本障害者リハビリテーション協会とボランティア団体によって制作・提供されています。デイジー教科書は、音声のナレーションに合わせて、文字がハイライトされます。また、子供に合わせて、音声のスピードや文字の大きさ、文字色や背景色などが細かく調整できます。デイジー教科書には、文字を読むことが苦手な学習障害の子供にとって様々なメリットがあります。
1どこを読んでいるか分かりやすい
2文節の区切りが分かり、どう読めばいいのか理解できる
3漢字や単語の読み方、イントネーションが分かる
4デイジー教科書で下読みをして予習をしておくことで、授業の理解度が深まる
5教科書にルビをふるなど、保護者の負担が軽減される

デイジー教科書を利用したい場合は、利用申請をします。医学的診断や学校の許可などは必要ありませんが、年度ごとに申請する必要があります。デイジー教科書のサイトのフォームから、メールアドレス・パスワード・保護者氏名を入力します。 デイジー教科書申請フォーム確認メールに記載してあるページにログインし、デイジー教科書の申請を行います。住所や、利用する児童の学年や学校名を入力します。利用を希望する教科書を選択して申請します。申請が承認されると、 約1週間以内に【SchoolBook】よりメールが届きます。以上で申請が完了し、デイジー教科書のデータがダウンロードできるようになります。

 

日本ラグビーを育てたダイバーシティー

ラグビーW杯の日本と南アフリカの試合は、残念ながら日本は敗退してしまいました。しかし日本代表の躍進は海外からも予想だにしないほどの活躍ぶりとなりました。何より、日本国内の注目を一気に集めた1カ月間でした。このブログでも、以前に「ラグビー・ワールドカップ9/25」に書きましたが、外国人選手が半分いることで、日本人のラグビー力量が引き上げられているのです。日本が強くなったのは、外国人選手のおかげと言うよりも、生まれた国が異なる人がいるというダイバーシティーな環境が世界水準に日本ラグビーを育てたということです。

そして、海外から来た選手は日本のことを本当に好きになって日本も、日本のファンのこともリスペクトしています。試合相手の南アフリカ出身のピーター・ラブスカフニは、「南アフリカ出身であることが誇りであるのと同じくらい、日本代表であることが誇り」「第二のベースホーム=祖国」だと言います。日本に帰化し長く日本で貢献してきたトンプソン・ルークはこてこての関西訛りで「南アフリカめっちゃ強い」と言いながら、引退声明を翻して4回目のW杯に最後まで関わりました。みんなちがってみんないいの原理を今回のラグビーW杯は見せてくれたような気がします。

これでベスト4が決まりました。準決勝は10/26イングランド対ニュージーランド、10/27ウェールズ対南アフリカです。11/2横浜国際球技場で優勝はどこのチームでしょう。最後まで目が離せません。

ADHDと遺伝

親がADHDの場合、その子どももADHDである可能性は非ADHDの親の場合と比べると5〜10倍高いといわれています。これを確率に直すと、親がADHDの場合、50〜80%(平均70%)の確率で遺伝するという研究結果が出ています。このようにADHDと遺伝の関係は有力視されていますが、ADHDの発症にかかわる特異的な遺伝子はまだ発見されていません。なぜなら、ADHDは遺伝要因単体では発症せず、そこに経済的問題、家族背景、虐待などの環境要因が組み合わさることで発症するためです。しかし、ADHDの発症に関与している可能性のある遺伝子がいくつか指摘されています。

家族や近親者の病歴がADHDの発症に影響している可能性が指摘されています。保護者の方が、過去に自分がADHDと診断された経験があったり、現在ADHDの症状があり困っていたりする場合、子どものADHD診断や対処法の手がかりとなることもありますので、まずはかかりつけの小児科医など身近な医師に相談してみましょう。実際、ADHDの症状を持つ保護者がADHDの子どもの様子をみていると「自分の子どものころとそっくりだ」と思うこともあるようです。その場合、保護者は「自分が感じてきた生きづらさを子どもにさせたくない」という一心で厳しく育てようとしてしまうことがあります。一方で、「ADHDの症状を知っている理解者であり、経験者」として子どもをサポートできる可能性を持っています。

ADHDは、昔はわかりませんでしたが、早期に専門的な介入を行い、適切にケアをしていけば、日常生活における困難さを低減することが可能です。これは学習障害や自閉スペクトラム症にも言えることです。充実した学校生活を送り、社会で自立できるよう、気になることがあれば医療機関の受診や地域の発達障害支援センターなどへ相談することが大事です。一人で解決しようとしないで、他者の力を借りて行けばいいのです。自分の信用できる関係者を思い出してください。困ったことを放置しないで「助けて」と言ってみましょう。誰だって苦しい時はあります。一人で乗り越える必要はありません。助けてもらっていいいのです。そして、誰でも助けでくれるわけでもありません。助けてくれるまで発信し続けるのです。下手な鉄砲も数うてばあたります。まずは「助けて」ということです。

片付けられない

片付けられない状態が悪化すると、家がゴミ屋敷化するだけでなく、精神的にも不安定になり約束を忘れたり締め切りが守れないなど社会生活も乱れてきます。それは原因と結果が逆じゃないかと言う考えもありますが、環境状況が精神に与える影響は絶大です。まずは環境に原因を求め、それでも効果がなければ病的な原因も考えます。要らない物やゴミを処分するには分別したり、ゴミ捨て場までゴミを運んだりしなければなりません。ゴミが大きければ簡単には捨てられませんし、高齢になるほど『捨てる』ハードルは高くなるでしょう。捨てられなくなっているのは、高齢者ばかりではありません。子育て中の若い世代にも片付けられない人は増えています。

『子育てに専念しているから』『忙しくて時間がないから』など理由はそれぞれですが、特に深刻なのが何らかのストレスでうつ病を発症した人です。婦人のうつ病は、産後のホルモンバランスの乱れから発症する場合が多く、発症すると何も手につかなくなります。片付けをする気力もわいてこないので、部屋が散らかっても対処できないのです。うつ病は、気力の喪失・判断力の低下が顕著です。様子を見ておかしいと感じたら、なるべく早く専門医に相談するように勧めることが大事です。

『AD/HD(注意欠如・多動症)』の人も片付けが苦手です。注意力に欠けていたり、落ち着きのない行動が目立ったり、頻繁に忘れものをするなどが症状です。発達障害は、脳の神経伝達物質が十分に機能しないために起こります。当人の意思とは関係ない不具合なので、この症状が出ているなら、片付け下手を責めても意味がありません。服薬などで解決しなければ『片付けが苦手』という個性として理解します。ただ、AD/HDとうつ病は併発しやすいので、医療のサポートが重要です。

家の中が片付いていない子は、物を大切にできない、忘れ物が多い、段取りが悪い事が多いです。片付けをしない家では物が散乱しており、何が大切で何がいらないものかわかりません。結果として子どもは物を大切にできなくなります。また、整理整頓とは程遠い暮らしのため、片付けられない親を持つ子は、段取りをつけて物事に当たることが苦手で、無駄な動きが多く、忘れ物の多さも目立ちます。また、掃除がされない家では、ダニやカビ、害虫が繁殖します。ホコリで気管支炎を患ったり、ダニや害虫でアトピー症状が出たりする子もいます。汚すぎる家での子育ては、一種のネグレクト(育児放棄)ともいわれます。気になる子を見つけたら、役所等に相談するとよいかもしれません。しかし、家の中をかたずけたいという気持ちが親になければ問題は解決しません。

サポートするのは、行政だけでなく協力者やサポートチームが必要です。近親者や友人、ご近所でも、その親が信頼できる方ならだれでもいいと思います。片付けを行う時に重要なのは、不要な物を捨てることです。しかし、物を捨てるなら、持ち主の承諾が必要になります。『捨てる、邪魔』などマイナスな言葉は使わず「不要な物を減らして、快適な暮らしをして欲しい」など暮らしをサポートしたいという気持ちを示すことです。それでも手に追えなかったり、片付けに時間が取れなかったりする場合は、片付けのプロに発注することも視野に入れます。例えば、イオングループで家事支援事業を展開する『株式会社カジタク』には、『片付け名人プレミアム』というコンサルティング型片付け整理収納サービスがあります。このサービスは、オリジナルな片付け方を提案してくれるのが特徴です。ライフオーガナイザーは、生活動線や生活パターンまで配慮してプランを提案してくれるので、自分たちでは難しい理想の片付けを実現できます。片付け終了後に渡されるアドバイスシートがあれば、その後もリバウンドなく綺麗な家を保てます。

片付けがうまくいったとしても、これまでと同じ生活パターンを送っていては、すぐに元の状態に戻ります。居心地のよい部屋をキープするには、部屋を散らかさないように努力しなければなりません。部屋を散らかさないために最も重要なのは、むやみに物を買ったりもらったりしないことです。物が増えてきたら収納を増やすのではなく、物を減らすのです。たとえそれが生活に必要な消耗品でも、大量に所持する必要はありません。物の保管スペースを決めて、そこに収まる分だけに所有すれば綺麗な部屋を長くキープできます。

こまめに掃除する習慣を身に着ければ、ゴミや汚れを溜め込むことはありません。掃除道具を身近な場所に置く、毎日決まった時間だけ掃除するなど、小さな事から習慣にします。それでもついつい忘れてしまうという人は、掃除スケジュールを管理できる掃除アプリなどを活用します。なかなか片付けに取り掛かれない人は、ブログやSNSで『#掃除宣言』するのも効果的です。他人に宣言すると、モチベーションが上がります。結果や成果も逐一SNSに上げていけば、同じような境遇の人からアドバイスや共感の声をもらえるかもしれません。片付け作業が孤独に感じる人は、他人と共有することで孤独感からも解放されます。

学習障害

学習障害のある子どもは、勉強していく上で必要となる「書く・読む・聞く・話す・計算・推論」のいずれかまたは複数の力が、同年代の子どもに比べて一著しく低いです。中には知的障害やASD・ADHDなど他の発達障害が併発する人もいます。ただ、勉強ができない理由には、知的障害が原因の場合もあります。知的障害と学習障害では原因が違います。原因が違えば支援方法も異なるので注意が必要です。知的障害は読み書きが必要な学習面だけでなく認知の全般的な遅れです。学習障害は、認知能力の凸凹であり、会話をしていると全く遅れを感じないばかりか優れた洞察力や創造性がみられる子どもも少なくありません。近年、学習障害と診断される子どもが増えてきていますが、これは学習障害の認知度があがったためで、昔は学習障害に気づかれず適切なフォローをされないまま大人になっていくケースが多くありました。

学習障害は、脳機能の障害のため、その原因の一つは遺伝です。ただ、学習障害が親から子へと遺伝するメカニズムは未だ解明されていません。親や兄弟で学習障害の人がいると、学習障害の発症率が高くなることから原因の一つとして遺伝が挙げられています。ただ、学習障害でない親から学習障害をもつ子どもが産まれることもあり、単純に遺伝だけで説明がつくものでもありません。学習障害が遺伝するメカニズムが容易に解明されない理由の一つとして、「学習障害はある特定の遺伝子が原因ではない」ということが挙げられます。また、学習障害になりやすい原因となる遺伝子が親から子への遺伝しても、必ず学習障害の症状が出るわけでもありません。。

学習障害は環境要因も原因となります。遺伝は、学習障害の原因の一つでありますが、全てではありません。学習障害は、遺伝的要素の他に環境要因が合わさって発症するとされています。学習障害を含む発達障害の子どもに対して、「親の育て方やしつけがなっていないせいだ」と心無い発言をされることがありますが、様々な研究により学習障害を含む発達障害は、先天的な脳機能の障害のため、親の育て方が原因でないことは明らかになっています。現在は、学習障害に対しての世間の認知度も高くなってきているので、親を責める発言は減ってきていますが、学習障害児に対して学校や社会で適切なフォローがされず、親の責任とされているケースは今でもあります。以前は学習障害そのものが見過ごされていた事例も珍しくありません。ただ、先にも述べたように環境因も合わさって発症する場合があるので、通常の子どもの環境と比べて劣悪な場合(睡眠・食事・運動など日常生活のリズムが小さな頃から家族全体で崩れている等)は、保護者の責任がないとは言えません。

学習障害の子どもを持つ親にとって大切なことは、原因を知ることよりも、子どもが学校や社会で困難が少なくなるようにサポートしてあげることです。学習障害は、本格的に勉強を始める小学校入学以前はなかなか親も気づきにくいですが、子どもの様子に他の子どもと違う点が多いように感じたらできるだけ早く専門家に相談してみましょう。より早く学習障害と診断されることで、早期に療育を開始できるため、より高い効果を期待することができます。学習障害の原因は、遺伝だけでなく、様々な環境要因が合わさってています。環境要因の中には、親の力ではどうすることもできないものが多いので、学習障害を予防することはできません。学習障害の子どもに対しては、子どもの症状にあった学習法を見つけてあげ、子どもがより意欲的に学習に取り組めるようにサポートしてあげることが大切です。

渋々でも納得する練習

子どもが何か希望通りに行かず機嫌が悪くなった時などに、納得させようとして言葉で色々説明したり、子どもの希望が通るように(要求が通るように)動いてあげることがあります。また、事前にそのような状況にならないように工夫し、機嫌を損ねないように環境を整えるかもしれません。

思った通りにいかない場面や、要求が通らない場面があまりにも多ければ、ストレスが大きすぎるので配慮してあげる必要はあります。しかし、子どもの機嫌を損ねないように配慮するだけではなく、思い通りに行かないことがあることを知り、渋々でも納得するという経験を積むことも大切です。

日常生活を送っていると、物が壊れて直せなかったり無くしてしまったり、決まった時間に家を出ないといけなかったり、家族に急な用事が入って楽しみにしていた予定をキャンセルするなど、実際にどうすることもできない場面があると思います。そのような場面で、機嫌を大きく損ね、長く引きずるようであれば日常生活に困難をきたします。また、少し思い通りに行かない些細なことで、機嫌を損ねるようになるかもしれません。集団生活にも支障をきたします。上手くいかなくても渋々納得する力をつけるためには、渋々納得する経験を積んでいく必要があります。

状況を理解する力や知識をつけるため、なぜ我慢しないといけないかを分かりやすく説明してあげることは大切です。例えば、「壊れてしまったからもう動かない、お母さんも直すことができないから、あきらめるしかないです」など。子どもの言語スキルによっては、絵にかいて説明してあげても良いです。しかし、説明しても子どもが納得せず、怒ったり、駄々をこねたりしたとき、それ以上言葉や絵で説明して納得させる必要はありません。もうその状況を受け入れるしかないことを経験させてあげてください。「もう仕方ないです」とだけ言って取り合わないようにし、子どもから離れます。

子どもは泣いたり怒ったりすると思いますが、時間が経つと諦めます。子どもが諦めて落ち着いたら、何もなかったように普通に接してあげてください。「よく我慢したね」と軽く声をかけてあげても良いです。子どもが思い通りに行かず混乱したり、怒ったりした時に、機嫌を直すために何とかしてあげようと働きかけるのではなく、学習の機会と考えて渋々納得させる、諦めさせるということも大切です。そういった経験を積むことで、思い通りに行かない時に怒っても仕方がないことを知り、我慢できるようになってきます。このような対応に合わせて、状況を理解する力や知識を伸ばしてあげることで、大きく混乱することなく生活できる時間が増えていきます。

ただ、大人の勝手な都合(大人側のミス)だけでなくなったり変更したりする理不尽なトラブルで諦めさせることを経験させると、信頼関係が崩れて本人も約束を破るようになって回復がとても困難になるケースがあるので、大人側のミスであるなら、正直に理由を述べて丁寧に謝る、がっかりさせたことについて詫びる、お詫びのしるしに金品を与えるのではなく子どもの苦情をよく聞いて共感するという行動を大事にする必要があります。

家で子どもが荒れる理由

家で子どもが荒れる理由はいろいろあります。保護者はあれこれ環境の変化を考えて外で何かあったと推測します。学校でなにかあったんだろうか?学童保育所や放デイで嫌なことがあったのだろうか?いじめられているんだろうか?怒られたのだろうか?あれこれと考えてみます。でも、お世話になっている先生に何かあったかとは聞き辛いものです。また、何かあれば先生から書面や電話で連絡してくるし、先生が何もないと考えていれば、聞いたとしても「いつもとかわらない」という返事が返ってくるのがほとんどです。

次に、傾向や確率で考えてみます。A先生が担当なら荒れることが多いとか、何曜日がよく荒れるとかそれなりに根拠を探します。そこに法則性が見いだせるなら、次に原因を推測します。同じ曜日に荒れるのは、嫌なことがある日と考えて共通する取り組みを考えます。実は、このようにして原因を追究するのは事業所も学校も同じなのです。家で何か変化があったかと考えるのです。そして、少ない情報から多大な憶測を元に原因を探します。保護者と関係がとりにくい場合はなおさらその憶測と思い込みは激しくなります。

結論としては、わずかな情報と憶測で原因がわかるなら、誰も苦労はしないということです。多くの事象の原因は一つではなく複合的で、複雑に絡み合っていることが多いです。ただ、一つだけ言えることは、自分の目の前で起こっている子どもの荒れなのに、他の場所に原因を求める発想では、その荒れはなかなか収まらないことです。原因は自分かもしれないという可能性を捨てず、まず自分の対応を見直すことが大事です。自分の対応を見直す中で子どもの課題がわかってくるし、他の場所での子どもの課題や成長も見えてきます。ただ、この作業は子どもに関わる全員が取り組む必要があります。家庭と支援先で子どもの発達や障害に基づく支援について同じ理解ができていない場合は子どもの混乱は長引きます。つまり、関係者が一同に連携して支援を見直すことができれば、トライアンドエラーの時間はかかっても必ず子どもの混乱は減少していきます。

その連携のために、相談支援という仕事を専門に引き受けている事業所があるのです。親や事業所や学校は相談事業所に動いてもらって連携できるようにするわけですが、これは絵に描いた餅だなと思うことがあります。相談事業所はまず保護者と話し合ってサービス利用の中身を考えサービス利用計画書を作り行政にも会議で示します。次に必要な事業所を保護者と一緒に選びます。運よく一度で決まったなら次は最長でも半年後にモニタリングの文書を保護者聞き取りや複数の事業所から聞き取って作成します。これが定型の仕事です。

少なくとも3回の会議と2回の文書作成がノルマです。継続モニタリングだけでも年2回会議は必要です。年間稼働日が250日とすれば相談事業者が抱えることができる利用者は100人が限界でしょう。相談員はだいたいこの件数を超えて抱えています。新規で最初の基本報酬は年3万円程度、継続のモニタリング2回で年2万6千円程度、一人が稼働して必要収入を得るには新規継続合わせて100人程が経営収支ラインでもあるからです。

基本の会議だけでこんなにパンパンな状態のところに、さらに他の連携会議を入れる余地は少ないし、丁寧に会議を重ねるとなると持ち出しが多くなります。事業所や学校は招集されても会議費すら保障されないものですから善意で来てもらうしかありません。家で子どもが荒れる理由を探して解決する連携会議が合理的に専門的にできるようになるには、まず相談事業の根本から見直さないと難しいという課題が見えてきます。そうはいっても真摯な連携に勝る策はありません。

 

感情を学ぶ

感情は、チャールズ・ダーウィンが提唱した6つの基本的感情である<喜び><驚き><悲しみ><恐怖><嫌悪><怒り>の他に、心理学者のポール・エクマンが加えた10の感情<楽しみ><軽蔑><満足><当惑><興奮><罪悪感><得意><充足><官能的な喜び><羞恥>の16の感情があります。

基本的感情は赤ちゃんも持つ感情で、追加された10感情は成長ともに持つようになる感情です。例えば、軽蔑の感情や罪悪感に苛まされる赤ちゃんはいませんが、成長過程で軽蔑や罪悪感などの感情を持つようになるからです。

なぜ人は感情を持つのかは多くの議論があり、大きく分けると「遺伝」「身体的反応」「思考」「文化」の4つ仮説があります。どれか一つではなく複合的な要素が絡みあっていると考えられていますが、ネガティブ感情をコントロールできるようになるのも成長の証です。

ネガティブ感情を持った時に感情をコントロールできるようなれば、※人前であがらなくなる。※怒りにまかせて酷いことを言ってしまうことがなくなる。※失敗しても消沈せず、平静な気持ちでいられる。※自分の欠点を恥ずかしいと思ったりしなくなる。※恋に盲目的になり、感情に突き動かされて大失敗しなくなる。その為には、それぞれの感情がどんな時に、そしてなぜ沸き起こるのかを理解する必要があります。

最近、怒りのコントロール方法が紹介されるようになりましたが、文化的遺伝的側面で考えるのであれば欧米人のように怒りを抑えずに自分が怒っていることを表す傾向がある民族もいれば、日本人のように怒りを抑えてしまい鬱積した感情としてストレス化してしまう民族も存在します。「怒り」の感情ひとつをとっても生活ベースによって対処方法が違う場合もあるでしょう。

「恥ずかしい!」と思った瞬間や嫌な気持ちになった時、それがなぜ起こっているのかを冷静に判断し対応することができる人を社会性が高い人と言います。感情の揺れは、自己肯定感に大きく影響します。自分の失敗に関する感情(怒り、悲しみ、罪悪感など)を処理しきれない状態が続くと、自分のことを認めることは難しくなってきます。レジリエンス(逆境から離脱する力)は、「自己肯定感」の影の力で「感情力」とも言えますが、自己肯定感というベースを固めるために「感情コントロール」は避けて通ることができません。

「怒り」「羨望」という感情のコントロールは「自分との関係」(自己肯定感や自己評価)を改善することができます。自分との関係が良好になると、次に変化するの家庭や職場など、身近な人との人間関係が変化します。感情を学ぶと相手の感情を理解し、共感することができるようになるからです。感情の学習は集団活動の中でしか行えません。しかし、自然に身につく人とそうでない人がいます。そして現代社会は、後者の人たちが増えています。感情を学ぶことが必要な社会になっているのかもしれません。

「お節介な人」と「気が利く人」

同じことをしていても、「お節介な人」と言われる場合と、「気が利く人」と言われる場合があります。人それぞれ、考え方や感じ方が違うので、お節介になったり、気が利く人になったりします。電車に乗っていて、年配の方に席を譲る行為も、席を譲られた方によっては、「お節介だな」と思って断る人もいれば、「気の利く人だな」と思って、ありがたく席を譲ってもらう人もいます。受け取り方は人それぞれです。

同じことをしても、全員から「気が利く人」と受け取られる訳ではありません。逆に、全員から「お節介だな」と受け取られるということもないでしょう。でも「お節介」と「気が利く人」の受け取りは相手次第と言うわけでもありません。お節介な人と称されることが多い人と、気が利く人と称されることが多い人の違いは自分優先か他者優先かです。

自分の意見を押し付けたり、相手が拒否しているにも関わらず何かをしようとする人は、お節介と称されることが多くなります。それは、相手の内面を見ているというより、自分を見ているからです。「何かをしてあげることができる自分」に意識が向いているのです。だから、相手がそのことに対して、「お断り」の意思表示をしたときに、落ち込んだり、傷ついたりもするのです。相手の気持ちや意志、状況に、あまり関心がなく、自分に関心があると、お節介な人として称されることが多くなってしまいます。一概には言えませんが、お節介と称されることが多い人は、自信がない人が多いかもしれません。自信がないので、「何かをしてあげること」で、自己有能感を得たくなるのでしょう。また、意識が自分に向いていますから、相手が明確なお断りをしないで、困った顔をするだけでは、相手が困っていることに気づくことができません。

気が利く人と称されることが多い人は、相手の気持ちや意志、状況に関心をもっています。「何かしてあげることができる自分」ではなく、「相手」に意識が向いているのです。だから、相手が明確なお断りの意思表示をしなかったとしても、相手が困っていることに気づくことができます。そして気付いたら、「必要なかったのだな」と、サッと手を引くことができます。また、「余計なことをしてしまって、ごめんなさい」と謝ることもできます。自分ではなく、相手を尊重することができていると、気が利く人と称されることが多くなります。気が利く人と称されることが多い人は、相手の態度に左右されないですし、自分の気持ちと相手の気持ちの両方を見ることができますので、自信がある人が多いのかもしれません。人と自分の意見や気持ちが違っていても、それで自己価値が左右されることがないのです。

相手が、「お断り」の意思表示をしたときに、それを快く受け入れることができるかどうかは、「お節介」と「気が利く人」の違いなのかもしれません。「お断り」を「拒絶」と受け取ってしまうと、快く受け入れることができないので、相手への押し付けということになってしまい「お節介」になってしまうのです。自分に意識が向いているか、相手に意識が向いているかの違いなのかもしれません。

喜怒哀楽の感情表現が難しい

ASDを持つ人は、「喜怒哀楽」の表現をすることに、人一倍苦労します。ASDを持たない方の場合、辛い時は「辛い!」という表情や表現をしますが、表現に労力を要する人が辛い時、表現そのものができなくなります。辛いことで「無表情」「無反応」になっているのですが、客観的には「全く堪えていない」「受け止める気がない」ように見えてしまいます。受け手はASDの方を反応をさせようと、語気を強めるなど「力」を使ってくることがあります。そして、さらに思考が停止して相手の語気が強まる…という悪循環が生じます。また、苦しくて困っているのに「嬉しそうな表情」をしてしまうことすらあります。こうなると双方のコミュニケーションは取りようがありません。

ASDを持たない人は動揺している時ほど感情表現が激しくなります。しかしASDを持つ人は一つ一つの感情表現にエネルギーを使うため、急激な驚きや不安はフリーズ(思考停止)してしまいます。怒られて反省しているのに、それが伝わらず「反省の色がないな!」と言われてしまう方も多いです。ASDを持つ人は、怒られるなどの激しい感情を受けた場合、激しく動揺します。これを真正面から受け止め表現しようとすると、精神が壊れてしまうので、感情に「フィルター」をかけて「何も感じない」ようにすることで身を守ろうとしているのかもしれません。

ASDを持つ人は、対人緊張を持ち合わせているケースが多くあります。そのため、人と対面しているときは常に張り詰めた状態でいることがあるのです。緊張していれば、当然表情は硬くなります。表情が乏しいと、相手にはどのように受け止めているかが分かりにくくなります。また、表情が乏しいことで相手には「余裕を見せている」「微笑すらしている」ように見えることがあります。「挑発されているのではないか」と誤解されることで、相手はさらに感情が高まります。そうしてどんどん、コミュニケーションが難しくなってしまいます。

ASDを持つ人は反応がなくても、心のダメージは残っています。また過去の情報をうまく消化することが苦手です。そのため、フラッシュバックが生じ、いつまでも悪い記憶がよみがえってしまうのです。そして今回の「傷」がもとで、フラッシュバックされた分もまとめて感情を爆発させることがあります。「あの時も分かってもらえなかった!!」と過去の分の怒りまでその時の相手にぶつけてしまうこともあるのです。このようなヒステリック状態になるとお互いの関係に溝ができるほか、何より本人にさらに深い傷がついてしまいます。

このような事態を未然に防ぐには、事前に辛い時にどうなるかを伝え周囲が理解しておくことです。「辛い時には無表情もしくは微笑しているようになります」と事前に伝えておく、ということです。相手の中で「辛い=無表情」ということが分からないからこそ、語気を強めたり感情的になったりするわけです。『無表情』は障害を持たない方にとっての「堪えていない」反応だからこそ、最悪の形で誤解されてしまいます。

また、辛い時の対応も大切ですが、そもそもは辛くなる前に対処することが前提です。定期的にキーパーソン等と相談をもち、辛いことや悩み、問題を早めに解消させるように心がけます。相談の機会が多ければ、その中でどういう感情表現をするのか相手に理解してもらえるからです。対面でのやり取りだと、表情や雰囲気など「ASDにとって誤解されやすい状況」が多いです。大切な報告や指示などは書面などの対面以外の方法を双方が使えるようにすることも大事です。