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過剰な対策はすべきではない理由

小学校でのクラスター発生 それでも過剰な対策はすべきではない理由
忽那賢志 | 感染症専門医 6/20(土) 10:17【Yahoo NEWS】

3月からほとんどの小学校・中学校・高校が新型コロナ対策として臨時休校となっていましたが、緊急事態宣言の解除を受け、各地域で学校再開が始まっています。そんなさなか、小学校でのクラスター発生の報道がありました。
北九州 集団感染の小学校 授業中や登下校時などに感染か
また、これまでにも小学校でのクラスター発生は報告されていました。
富山市の小学校でクラスターか 教室で感染可能性
我々はこの小学校でのクラスター発生事例を受けてどのように対応すればよいのでしょうか?果たして小学校での感染対策はより強化されるべきなのでしょうか?先日、私は長女の中学校の入学式に参加しましたが、すでに「新しい生活様式における入学式」が導入されていました。

生徒や保護者の椅子は適度な距離が取られ、出席者の数も制限されていました。体育館の窓は全開に開けられ換気が行われており(雨がガンガン入ってきてましたけど)、もちろん全員がマスク着用です。式典のプログラムに「国歌斉唱」がありましたが、副校長先生より「声に出さず心のなかで歌ってください」と参加者へのアナウンスがあり、心のなかで国歌を歌い、ちょっとサッカー日本代表になった気分がしました。このように、すでに学校は文部科学省から出された「学校における新型コロナウイルス感染症に関する衛生管理マニュアル~『学校の新しい生活様式』~」という長いタイトルのマニュアルに基づいた感染対策を行っています。

うちの子どもたちも健康観察カードが配布されて毎日検温してから登校しています。しかし、仮にこれに100%準拠したとしてもリスクはゼロにはならないでしょうし、緊急事態宣言が解除された今ではゼロリスクを学校に求めること自体が無茶というものです。ましてや対象は子どもです。マニュアルを完璧に遵守することは難しいでしょう。個人的には今回のクラスター発生によって世論が「もっと学校での感染対策を徹底しろ」という流れになることを危惧しています。

学校での感染対策を過剰に行うべきではない理由を以下に述べます。小児の感染例は国内でも、世界的にも少ない
日本では20歳未満の感染者は他の年齢層と比較して極端に少なく、国内全体のわずか4%です。確かに日本は少子高齢化が進んでいますので、そもそも子どもが少ないわけですが、それを差し引いても少ない感染者数です。

日本だけでなく、海外でも小児例は成人例よりも報告が少なく、例えば中国でも人口分布と比較しても明らかに小児の発生が少ないことが分かっています。ではなぜ小児ではこのように感染者が少ないのでしょうか。
小児の新型コロナウイルス感染症では、
・感染しても症状が出る割合が低い
・感染する割合が成人と比べて低い
・重症化する頻度が低い
ことが分かってきました。

新型コロナウイルス感染症では、感染したとしても症状が出ない"無症候性感染者"がいることが分かっています。どういう人が感染したら症状が出て、どういう人なら感染しても無症状なのか、という条件についてはまだよく分かっていませんが、小児ではこの無症候性感染者の割合が多くなるようです。

世界各国の感染者の状況の調査によって、70代以上の感染者のうち69%が有症状者になる(31%が無症状)のに対し、10代の感染者では約21%の人が有症状者になる(79%が無症状)であると報告されています。

年齢が低いほど感受性が低く、年齢が高くなるに従って感染しやすくなります。60歳くらいからはプラトーに達します。なぜ年齢によって感受性の違いが生まれるのかについては、まだ結論は出ていませんが、新型コロナウイルスが細胞内に侵入する際に結合するACE2受容体をコードする遺伝子であるACE2遺伝子の発現量が小児では少ないことが可能性の一つとして挙げられています。

さらに小児では新型コロナに感染しても重症化することは稀です。海外では新型コロナに関連した川崎病の様な病態(Multisystem inflammatory syndrome in children (MIS-C))が報告されており、警戒すべきではありますが、国内ではまだこのMIS-Cの報告はありません。

このように、小児では基本的にはそもそも感染者が少なく、有症状者や重症化も少ないため、ゼロリスクを求めるような学校での過剰な感染対策は避けるべきです。例えば学校閉鎖のような極端な対策も、保護者への負担が生じる一方で、流行全体に与える影響はごくわずかであることが分かってきています。今後もこのような学校でのクラスターは発生する可能性はありますが、国内全体を見渡せば流行のごく一部に過ぎません。流行を広げているのは小児ではなく我々成人です。流行の規模からすると、より注力すべきは今だと夜の街や病院でのクラスター対策でしょう。

日本小児科学会は緊急事態宣言が解除された翌日の5月26日に「新型コロナウイルス感染症に対する保育所・幼稚園・学校再開後の留意点について」という声明を発表しています。・学校での感染症対策を徹底したとしても新型コロナウイルス感染のリスクをゼロにすることは不可能です。地域の小児科や感染管理に関する医師と綿密な連携体制を構築し、刻々と変化する状況に対して適切な判断を行う必要があります。・子どもの教育、福祉、健康の源である保育所・幼稚園・学校生活は、子どもにとって最も基本的かつ大切な活動です。休所・休園・休校の問題点としては、子どもの教育の遅れ、生活習慣の乱れ、運動不足、それによる体重増加、栄養の偏り、食環境の変化、家庭内での虐待の増加、保育所・幼稚園・学校での福祉活動の低下、保護者の就労困難・失業、祖父母などの高齢者との接触機会の増加などがあげられます。

出典:新型コロナウイルス感染症に対する保育所・幼稚園・学校再開後の留意点について(日本小児科学会)
休校が子どもや保護者、社会に及ぼす影響は非常に大きいものであり、できるだけこうした処置を取らないようにコロナを意識した新しい学校での生活様式を送りながら、もしクラスターが発生してしまった場合は早期に検知し専門家の介入によって拡大を防ぐ、という対応が現実的ではないかと思います。

そして、学校でのクラスター発生のもとを辿れば成人での流行に行き着きます。我々大人が流行を広げないことが子どもたちを守ることにも繋がるのです。

 

大谷、球宴での二刀流が決定

大谷、球宴での二刀流が決定 エンゼルス・マドン監督が明言
スポーツ

2021/7/6 【毎日新聞】

米大リーグ、エンゼルスのマドン監督は5日、大谷翔平(27)がオールスター戦(13日・デンバー)で、投打の「二刀流」でプレーすると明言した。アナハイムでのレッドソックス戦前に「投げることについては結論が出ている」と語った。

ア・リーグを指揮するレイズのキャッシュ監督と既に話し合っており、登板する場合は1イニングを見込んでいたという。マドン監督は「どう投げるかについては結論が出ていない。先発で投げるのか、途中から登板するのかいろんな方法がある」と話した。

大谷はファン投票でアの指名打者(DH)部門で初めて選出された。4日には選手間投票により先発投手部門でも選ばれ、史上初の投打同時選出を果たした。前日恒例の本塁打競争にも出場が決まっている。

オールスター戦では公式戦同様にDH制が採用されるため、登板するにはDHを解除する必要がある。

大谷は今季、投手で12試合に登板し、3勝1敗、防御率3・60。打者では4日終了時点で78試合に出場して打率2割7分8厘、リーグトップの31本塁打、67打点、12盗塁。

5日には、6日午後6時38分(日本時間7日午前10時38分)開始予定の本拠地でのレッドソックス戦先発に備え、投球練習をした。球宴では登板間隔によって実際に投げない投手もいるが、大谷は中6日と十分に間隔が空く。(共同)

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投手でも打者でもメジャーリーグで活躍するなんて無理に決まっている、という常識を覆して二刀流でアメリカ全土を沸かしている大谷翔平は、オールスター戦の前座の本塁打競争も本番の投手も指名打者(DH)でも選出されました。何より、選手たちの投票で先発投手が決まったと言うのですからこれは快挙です。

指名打者と投手のどちらも無理なく出場できるようにとオールスターのルールを変える動きも*あると言います。アメリカではワクチン接種も進み野球場の人数制限もマスクも解除しているそうです。既成のルールに縛られずに、良いものは良い、変えるべきものはさっさと変えていくというのは、アメリカ文化の良いところです。

日本の野球シーンは、阪神タイガーズの「今年こそ優勝!」の勢いに甲子園は応援のファンで連日燃え、甲子園で観客を入れて実施する高校野球の地方大会は全国各地で熱い戦いが始まりました。それなのにオリパラは、陽性者がまた増えてきたと、無観客もやむを得ないと連日報道されています。同じ先進国でありながら、同じ国内でありながら差が大き過ぎると思います。

当然、今後も加速度的にワクチン接種は進み重症者が減って行くのは、欧米の様子を細かに知る政府には予測がついているはずです。このまま行くと、同調圧力に弱く、決めたことがなかなか変えられないという、我が国の一番ダメなところをオリパラで世界に示すことになります。ワクチン執行もオリパラ推進も世界一だと示せるように、二刀流の大谷選手の活躍から学びたいものです。

*DH制は投手の代わりで野手無しの専門打者として登録する。MLBルールで大谷が投手をするには、DH(指名打者)を果たした後DHを解除して投手になるしかないので、大谷の投球ウォーミングアップが不十分になり身体ダメージが大きい。自チームの選手シフトもやや不利になる可能性がある。

同窓会プランナー

この季節、実家に帰る方も多いので同窓会に参加される方も少なくないようです。最も企画が多いのは高校卒業時の同窓会のようですが、公立高校の1学年は平均的には200人程ですが、一昔前の1学年は500人程でした。ここに目をつけたのが同窓会プランナー会社です。同窓会の参加率は幹事の数にもよりますが、20名ほどの幹事がいれば3割は参加するそうです。これをホテルやレストランで1万円程の会費で同窓会SNSの設定から会場選び参加状送り、同窓会内容のプランニングまで4か月かけて全部込々でやってくれる会社がでてきました。会費1万ほどで儲かるのか?と思いますが、宣伝としての企業スポンサーを同窓会毎につけてこの企業からの宣伝費も入って来るので十分成り立つそうです。

簡単に言えば同窓会幹事代行屋さんなのですが、ここに独自の会員だけのSNSを組み合わせることによってスポンサーをつけられることに着目したところが秀逸なのです。同窓会幹事と言えどもほとんどの方が仕事を持ち、年々仕事が忙しくなるのが普通です。知り合いだけならまだしも、大コミュニティーの格式ばったお世話は年齢が増せば増すほど面倒になってきます。しかも代行料は参加費にわずかにつけるだけで済むのならお願いしようと思う方は多いと思います。

こんな仕事を思いついた人。大学時代はイベント屋さん、いわゆるパリピの仕掛け屋さんです。それを生業にしてしまったのです。成功のアイデアは自分の強みから生み出すものという法則を地で行っている方たちなのです。強みを生かすことは社会のあちこちに転がっているものなんだと感心してしまいます。

問題行動への対処法=分化強化

問題行動への対処法=分化強化(DRO/DRA/DRI/NCR)

子どもの問題行動に対処する場合、①問題行動の原因(強化子)を理解する ②そのための対応方法の1つに消去(計画的無視)がありますが、それだけではうまくいきません。というのも、消去という手段だけでは現実問題は対処しきれないからです。子どもの問題行動に『強化子を与えない』という手続きが『消去』です。これに対し、『分化強化』は次の様に定義されています。「分化強化は、望ましい標的行動を増やし、望ましくない行動を減らすために、強化(第4章)と消去(第5章)の原理を応用したものである。」もう少し噛み砕いていうならば、問題行動と適切な行動を分けて考え、問題行動を消去し、適切な行動を強化します。だから、分化強化と呼ばれるわけです。

分化強化は先ほど述べた通りですが、実はこの分化強化には①DRO(他行動分化強化)②DRA(他行動分化強化)③DRI(他行動分化強化)といった3つの種類があります。

他行動分化強化/DRO
DROとは、Differential Reinforcement of Other Behaviorの略で、問題行動以外の適切な行動を強化することによって、間接的に問題行動を減らす手法です。DROの特徴は「問題行動以外のあやゆる適切な行動」が標的となる点にあります。つまり、強化すべき行動が複数あるわけです。
発達障害児に限ったことではないが、子どもと接する場合、100%問題行動(社会的に望ましくない・やめて欲しい行動)に直面する。例えば
①泣き喚く=注目
②兄弟をいじめる=自己刺激
などが考えられます。
しかし、このような行動に1つ1つ対処するのは結構な労力が必要なわけです。そこで、問題行動には消去手続きで対処し、それ以外の場面の適切な行動を褒めてあげます。具体的には、
①泣きわめいてない時のことを褒める(ご飯を食べる、早く寝るなどこちらの指示に従えた時)
②兄弟をいじめてない時を褒める(大人しくおもちゃで遊んでる時)
これがDRO(他行動分化強化)です。

代替行動分化強化/DRA
DRAは、Differential Reinforcement of Alternative behaviorの略で、問題行動の代わりとなりうる行動を選択し、それをピンポイントで強化する手法です。”ピンポイント”というのがミソで、これに対し、先ほど説明したDRAは『問題行動以外の全ての行動』を強化することにありました。例えば、会社や学校で嫌なことがあった人が、枕を顔に押し付けて「バカヤロー」とか叫んでストレス発散してる場面、これ、DRAです。枕なしで叫んだら、迷惑(問題行動)になるので、それと似た機能を果たす、より適切な行動(代替行動)を強化しています。似た行動ですから、カラオケとかもありです。これを幼児に置き換えると、自分の欲しいものが手に入らず、泣き喚いたり、人を叩いたたりすることがあります。そういう時は、『ちょうだい』とか『貸して』などのような要求言語やサインなどを代替行動として強化すると良いです。『泣き喚くから物をあげる』というのは最悪の選択です。子どもは要求が通るとわかればその行動を続けてしまいます。

対立行動分化強化/DRI
DRIは、Differential Reinforcement of Incompatible behaviorの略で、Incompatibleは、両立できないという意味です。問題行動に代わる適切な行動の中で、とくに問題行動と物理的に両立できない行動を強化する手続きになります。例えば、親指をしゃぶる子どもには、手が空いてるから親指をしゃぶってしまうと考えます。そこで、両手を使わないとできない作業、お絵かき、塗り絵、ゲームなどその子が好きなもの、あるいは、新たな楽しい遊びなどを開発することで親指しゃぶりの頻度を減らすよう働きかけます。標的行動が「指舐め」ということであればこういうのを使うのも一つの手です。

非条件強化/NCR
NCR(Non Contingent Reinforcement)も分化強化の1種らしいです。問題行動の機能となっている強化の効力をなくすことでその行動頻度を減らそうとする働きかけです。紙を破ることが不適切行動になっている人に、ずっと紙を破らせ続けるのです。要は、「飽きさせる」のです。これで上手くいくのかなとは思いますがNCRも選択肢の中には入れておきます。
このようにして、応用行動分析では子どもの行動を変容させるときに分化強化と言う手法を使います。

「難聴を知的障害と誤診」中2女子、事業団を提訴

「難聴を知的障害と誤診」中2女子、北九州市福祉事業団を提訴

2021年7月6日 【毎日新聞】

北九州市の難聴の中学2年女子生徒(13)が、幼少期に市立総合療育センターで適切な検査を受けないまま知的障害と誤って診断され、実際は難聴と判明するまで約7年半にわたって適切な治療や教育が受けられなかったとして、センターを運営する市福祉事業団に約2000万円の損害賠償を求め、福岡地裁小倉支部に提訴した。6日に第1回口頭弁論があり、センター側は請求棄却を求めた。

訴状などによると、2歳のころから言葉の遅れが見られていた女子生徒は、3歳だった2011年にセンターで知的障害・広汎(こうはん)性発達障害と診断された。だが、知的障害児向けの特別支援学校で小学5年生になった18年、担任教諭から「唇の動きを読んでいるので、耳が聞こえていないのでは」と指摘され、他の病院の検査で難聴と判明。一部の音は聞こえるが不明瞭で、言葉として聞き取ることができない「オーディトリー・ニューロパチー」と分かった。

原告側は、センターで適切な聴力検査を受けられなかったために知的障害と誤診され、成長を発達させる重要な時期に言語獲得や適切な療育を受ける機会を奪われたと主張している。

女子生徒は現在、人工内耳を埋め込む手術を受け、声を出して簡単な会話もできるようになった。6日の弁論にも出廷し、裁判長に向かって「よろしくお願いします」とあいさつした。母親(39)は取材に「何度も難聴ではないかと訴えたが検査を受けさせてもらえなかった。センターは過失を認め、責任を持って向き合ってほしい」と話した。

市福祉事業団は取材に「具体的な主張の中身は裁判で明らかにする」とコメントした。【成松秋穂】

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極端に悪い聞き取り―オーディトリー・ニューロパシー
知的・発達障害と診断される子も

2020/08/25【時事メディカル】

東京医療センター臨床研究(感覚器)センター 名誉センター長 加我君孝医師

オーディトリー・ニューロパシー(AN)は、1996年に初めて報告された聴覚障害だ。同年に発表された2件の論文のうち、一方を報告した東京医療センター(東京都目黒区)臨床研究(感覚器)センター名誉センター長の加我君孝医師は「特に子どものANは、言葉の発達のためにも早期に発見して治療を行う必要があります」と話す。

言葉の発達が遅く、聞こえに心配があれば、早めに聴覚専門の医療機関へ

▽検査によっては正常に
ANを発症すると、中、高音域は音として比較的よく聞こえるのに、言葉の聞き取りが極端に悪くなる。聞こえの程度を調べる純音聴力検査と、正確に聞こえているかを見る語音聴力検査で、内耳に障害がある難聴(感音難聴)とは異なる特徴を示す。

また、音を受け取る内耳に障害がないかを調べる歪(ひずみ)成分耳音響放射検査(DPOAE)と、内耳から脳への聴神経の伝達経路に異常がないかを調べる聴性脳幹反応検査(ABR)を行うと、通常の感音難聴とは違う結果が出る。

加我医師は「通常の感音難聴はDPOAEもABRも無反応ですが、ANはDPOAEが正常、ABRが無反応となります。内耳では聞こえているのに、脳で聞き取れない状態です」と説明する。

▽3歳までに人工内耳を
問題は、ANが疑われる新生児が、先天性難聴の約5%前後存在することだ。新生児の聞こえを調べる新生児聴覚スクリーニング検査が推奨されているが、検査自体を行っていない施設もあり、行っていてもDPOAEのみだとANが見逃されてしまう。加我医師は「ANによって言葉の遅れが目立つ子どもは、知的障害や発達障害と診断されてしまうことも少なくありません」と指摘する。

新生児ANの場合、発達とともに主に〔1〕ABRが正常化して聴覚と言語の障害がなくなる〔2〕DPOAEも無反応となり重度の難聴になる〔3〕DPOAEもABRも変化なし―のいずれかになるという。変化は1~3歳ごろまでに生じるため、いかに早い段階で発見して治療を行うかで、言葉の成長が大きく左右される。

治療は、多くの場合が人工内耳手術の適応になるが、一部に補聴器が有効なタイプもある。子どもに人工内耳を入れる場合は、成長の過程を考えると、遅くても3歳くらいまでが望ましい。

加我医師は「言葉の発達が遅く、少しでも聞こえが心配だと感じたら、周囲の意見に惑わされず聴覚専門の医療機関を受診してください」と呼び掛けている。精密聴力検査が可能な医療機関は、日本耳鼻咽喉科学会のホームページで確認できる。(メディカルトリビューン=時事)

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就学相談で子どもの観察をしていた時、知的障害か難聴か迷った事があります。加我君孝医師が言うように、前から名前を呼べば一見聞こえているように見え、しかし、顕著な言葉の遅れがあるので知的な遅れかと思うケースです。また、言葉は知的発達だけでなく対人関係にも大きな影響を与えますので、難聴が放置されていると、対人関係も悪そうに見えてASDかもと思う事もありました。その中に、僅かですが難聴の子どもがいたのです。保護者ですら難聴とは微塵も思っていないケースもありました。

新生児の聴力スクリーニング検査には成分耳音響放射検査(DPOAE)も、内耳から脳への聴神経の伝達経路に異常がないかを調べる聴性脳幹反応検査(ABR)も検査機器がコンパクトになっていて簡易に実施できます。しかし、幼児検診では、難聴は早い段階でスクリーニングされているという思い込みもあり、オーディトリー・ニューロパシー(AN)を見落としやすい原因になります。

この障害は1996年に初めて報告された聴覚障害ですから一般には良く知られていないかもしれません。そして、難聴そのものは0.4%の確率でほぼ乳児期にスクリーニングされているので、言語聴覚士など聴覚のスペシャリストがいないと、ANが見落とされる可能性はまだまだ高いかもしれません。ただ、記事のケースは、親が難聴かも知れないと幼児期に訴えているのに検査もせずに医師が診断していたとなれば、普通ではあり得ない対応だと思います。

お客様相談センター

朝、事業所のPCスイッチを入れるとLAN回線が不通。電話も不通。ONU(光回線終端装置)のエラーかと再起動させても回復しないので、もしや断線?と光ケーブルをたどると、コネクターの根元で断線していました。光ケーブルの終端処理をした接続は専用器具が必要で素人に修理はできません。ONUより外側は通信業者しか修理できないと法律にあるそうで、なんか既得権限をうっすら感じますが、その関係で工具すら販売していないので仕方がありません。

しかたがないので、お客様相談室へ電話。案の定、待たされること1時間。「ただいま大変ご相談が込み合っており・・・。」「込み合ってないお客様相談室ってあるんかーい」と自動アナウンスに突っ込み入れながら待ちました。修理は明日とのこと。すてっぷは通信手段が絶たれても子どもがyoutubeにつながらないと不満を言うくらいで、個人携帯でなんとかなります。でも、最近はネットをフルに使っている大型事業所もあります。例えば毎日の日誌はすべてメール転送、希望日申し込みもネットサービス、お迎え時間も配車も職員動静シフトもネット連絡で運営しているのです。そんなところは臨時対応が超大変です。お客様相談室につながるまで電話をかけ続け、うまくつながっても修理は後日です。事務方の悲鳴が聞こえてきそうです。

善意に判断すれば、どこも人手不足なのですぐには電話に出られない、すぐには対応できないとも考えられます。でも、ネット販売なんかの電話って大抵すぐにつながります。時は金なり。それだけ人員を割いている証拠です。儲けにならないトラブルやクレーム部門は人手を減らすということでしょう。ただ、通信業者は法改正で雨後の筍のように参入してきています。これまでの電気通信法の既得権限の上にあぐらをかいていた事業者も競争に取り込まれます。顧客のアフターサービスに不満を持たせるとすぐに客は奪われます。そう思いながら、新たな通信業者の検索をしようとしたら、あーネットが切れているのでした。トホホ。

 

学習から就労を一貫支援

発達障害児ら向け 学習から就労を一貫支援 福井・坂井の企業

福井新聞 2020年6月19日(金)

発達障害などで困っている子どもの学習と就労を一貫して支援する県内初形態の事業「WALLESS(ウォレス)」を、福井県坂井市の企業が立ち上げた。学び方や人との接し方を個別指導する放課後等デイサービスを福井市内に開設。障害者雇用の企業コンサルティングを併せて手掛け、利用者とのマッチングを図る。「誰もが個性を生かして働ける社会をつくっていきたい」としている。

 事業名は「WALL(壁)」と「LESS(減らす)」に由来する。運営会社を設立したのは、これまで人材育成事業を展開してきた山内喜代美代表取締役(福井市)。「障害があったり、困っていたりする子どもにとっての、社会の目に見えない壁を少しでもなくしたい」と思いを込める。

 放課後等デイサービス「ウォレスアカデミー」を4月、福井市大手3丁目のビル内に開設した。預かり目的がメインで集団行動を学ぶ一般的な施設と異なり、中高生を含む6~18歳の子どもに個室でマンツーマン指導をするのが特徴。塾のようにして、週1、2回の頻度で50分ずつの利用予約を受け付ける。

 学習障害(LD)や自閉症スペクトラム障害(ASD)などの子どもたちが対象。保育士や教員の資格を持つ講師が、読み書きや計算、社会でのマナーなどを教える。新型コロナウイルスの影響が落ち着いて利用は増え、現在は小中高生26人が通っている。

 「ウォレスワーク」と銘打った企業向けの取り組みでは、県内の特別支援学校で就労支援の経験を積んだ専門スタッフが、職場での障害のある人への接し方や特性の生かし方を助言。アカデミー利用者の適性に照らした雇用のマッチングを目指す。来年には就労トレーニング「ウォレスジョブトレ」も始める予定。

 アカデミーに通う注意欠陥多動性障害(ADHD)の小学3年男児の母親は「文字に苦手意識がある息子にあった教え方をしてくれている」と目を細める。管理者で社会福祉士の永田弘幸さんは「障害や症状だけで区分せず、オーダーメードの対応をしていきたい」と意気込んでいる。

 山内代表取締役は「子どもが対人関係などで困っていても、学習に問題がなければ対処されないままで、社会に出てからつらい思いをして、ひきこもりになるケースがある。早い段階から子どもたちに向き合って、将来のためのサポートをすることが必要」と話している。

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NPOホップすてーしょんも同じようなコンセプトで新事業所を計画中です。小学校高学年から中学生までの発達障害を起因とする学びの課題に取り組むことは極めて重要な課題だと感じています。もちろん、その学びの課題の背景には学習上の困難だけでなく、対人関係の困難や行動上の困難があることも少なくありません。また、進路という視点から考えると、就労にソフトランディングすることが困難なケースが多いです。学校を卒業してから、成人してから、取り組むのではなく、早い時期から自分の特性を知り、支援を受けることで自分らしさを発揮できるのだと考えられるように取り組むことが重要だと考えています。

不登校になった「きょうだい児」

不登校になった「きょうだい児」 兄に響いた先生の言葉 佐藤仙務

2021年7月8日 【朝日新聞】

私が養護学校の小学1年生だったとき、普通学校に通っていた二つ年上の兄が不登校になった。小学3年生の夏ごろから1人で学校に行けなくなった兄は、よく母と一緒に私が通う名古屋の養護学校についてくるようになった。

当時小学1年生だった私は、そんな生活を少し不思議に思うくらいだったが、おそらく母は「このまま一生、学校に行かなくなるのではないか」と心から心配していたはずだ。

学校に行かなくなった兄障害児の僕と迎えた小4の春
母としては、何とかして学校に行ってもらいたい思いがあり、兄と交渉した結果、一緒に学校に行くことで話がついたようだった。日中は母に教室の後ろにいてもらい、教室で一緒に過ごす。そんな日々が始まった。

それから母はますます忙しくなった。朝は父を会社へと見送り、そして5年生の長男を小学校へ見送った後、私と不登校の兄を車に乗せ、私の通う養護学校に向かう。私を送り届けたら、今度は兄と小学校に行って、一緒に教室で過ごす。もちろん放課後になると、母は兄を連れて養護学校まで迎えに来てくれる。兄は日によって、母が付き添っても学校に行けない日もあった。

小4の春、先生と出会う
そんな生活を続けて、兄が小学4年生になった春のこと。転機が訪れた。4年生になった兄のクラスの担任が新しい先生へと代わった。当時50代ぐらいの女性の先生だったのだが、兄が不登校になっているといううわさを耳にし、以前から気になっていたという。その先生は自身のお子さんが不登校だった経験もあったそうで、きっと不登校だった私の兄のことを放っておけなかったのだと思う。

先生は本当に優しくて明るい人だった。4年生になっても母と登校する兄に対して「1人で学校に来なさい」ということを言わなかった。むしろ学校は無理に行くべき場所ではないという持論を持っていた。それに先生は教室の後ろで兄を見守る母を決して邪険にすることなく、「私では分からない目線で、お母さんが気付いたことを何でも教えて」と言っていた。

兄は先生のことをとても信頼しており、「学校が終わったら家に遊びに来て」とよく言っていた。先生は多い時には週何回も家に立ち寄ってくれた。

先生の言葉が兄に届いた
だが、そんな怒濤のように思えた生活にも終わりが訪れる。それはある日、先生が学校でふと兄にこう言ったことがきっかけだ。

「もし途中で帰りたくなったら、先生がすぐに家まで送ってあげる。」

きっと、他の先生が同じことを言っても兄は首を縦に振ることはなかったと思う。でも、先生がそう言うならと、学校に1人で行くチャレンジを始めた。

これは後日談だが、先生は当初から兄の不登校を深刻に捉えていなかったらしい。ただ、先生は年の近い弟が障害児である兄にとって、母親を私に取られている感覚がしているはず、と心配していたようだ。だから先生は、兄が母と一緒に学校に行くことも決して否定せず、教師としても全力で愛情を注いでくれた。

今度は僕が、兄の学校へ
それからというもの、兄は不登校ではなくなり、学校もほとんど休むことはなかった。そして私も兄がきっかけで、その先生と仲良くなることができた。先生は小学4年生の兄の担任を終えた後、今度は一つ下がって3年生の担任になった。その頃私も3年生になっていたので、先生の計らいで兄の通う学校に行く機会が増えた。

先生のクラスで健常児のみんなと交流を深めた。当時私は、養護学校で過ごす日々を日記で記していたのが、それを見せると興味津々で見てくれたことがうれしかった。

私はずっと養護学校ではなく、一般の小学校に行きたいと思っていた。でも実際に行ってみると、思っていた以上に大変な部分もあった。少人数の養護学校と違い、大人数の子どもたちの中で過ごす上で、自分の居場所や役割というものをどこで見いだせばよいのか分からなかった。その時、何となくだが、兄の学校に行きたくないという気持ちも理解できた気がした。

あらためて気づいた「養護学校もいいところ」
それからも兄はときどき、私の通う養護学校に遊びに来た。そして、恒例のように学校に来るたびに目をキョロキョロさせ、ボールプールを見つけては、間髪入れずに勢いよく飛び込むのだ。手足をバタバタと動かし、ケラケラと笑いながらも、いつかと同じように私にこう言うのだ。
「学校にボールプールがあるなんていいなー」
私はやっぱり幼稚な兄だなと思いながらも、少しニヤッとしてこう返した。
「養護学校も、なかなか良いところでしょ」

あれから20年以上の月日が経つが、先生は今でも不登校の子どものための支援をしているという。そして兄も今では、家庭を持ち、この春からランドセルを背負うことになった女の子の父親をしている。(佐藤仙務)

佐藤仙務
佐藤仙務(さとう・ひさむ)
1991年愛知県生まれ。ウェブ制作会社「仙拓」社長。生まれつき難病の脊髄性筋萎縮症で体の自由が利かない。特別支援学校高等部を卒業した後、19歳で仙拓を設立。講演や執筆などにも注力。著書に「寝たきりだけど社長やってます―十九歳で社長になった重度障がい者の物語―」(彩図社)など。ユーチューブチャンネル「ひさむちゃん寝る」では動画配信も手がける。
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障害児の「きょうだい」(ひらがな表記は姉妹や兄妹、姉弟も表現するから)支援の必要性は、問題が起きない限り見過ごされがちです。保護者は障害のあるきょうだいの事で手いっぱいの場合もありますし、共働きだとどちらの親にも余裕がありません。それを小さな時期から感じ取って甘えたくても我慢する日常が続くとしんどくなるきょうだいもいます。それを見ている障害のある当事者からの視点が今回の記事です。

当事者のみんながこの様に感じているわけではないのでしょうが、低学年なのに、兄や担任の分析が的確だと思いました。そして、一言一句漏らさず兄と担任のやり取りを知っているところは、家族がオープンな関係を大事にしているのだろうと感じました。障害のある当事者も含めた家族もまた、健常者の兄を支えているのだろうと思います。

一般的に言うきょうだい児問題は幼少期の問題ですが、障害のあるきょうだい児の問題は成人になっても続きます。親が当事者を支えられなくなった後の問題や、結婚問題なども深刻にとらえている人は少なくありません。これらを家族だけで支え合うのは困難です。公的な相談支援や同じ境遇のきょうだい同士のピアカウンセリングなどをすすめていく必要があると言われています。

DNAスイッチが運命を変える

NHKスペシャルでDNAスイッチをON、OFF することでその人の体質や能力を変化させることが可能となってきていることが放送されていました。生活習慣病の代表「糖尿病」や「がん」の発症に関わるDNAスイッチの情報なども解明されつつあります。また、今後はDNAスイッチを自在にコントロールすることが実現するかもしれないと言われています。

番組では、340日間宇宙ステーションにいた人のDNAスイッチを調べると、宇宙での極限状態に耐えられるように様々なDNAスイッチが変化していたとのことを取り上げていました。人間は環境によって自動的にDNAレベルで環境に適応する体に変化するというのです。また、病気の耐性に対しては、現在いくつかのガンについて薬でDNAスイッチを”耐性有り”に切り替えることが可能になりつつあり、臨床試験を行っています。

音楽能力では、いろいろな音楽を聞き続けるとDNAスイッチが入り、音色など聞き分けられる能力が向上することが解明されつつあるそうです。ということは自分の能力を向上させるには向上させたい能力に関係することを継続的に続けると向上する可能性を示唆しているのです。ちなみに人間のDNAスイッチは2%程度しか使われていないのですから、人間はまだまだ使っていない能力があるということです。

今まで精子のDNAスイッチはリセットされた状態だと考えられていたのですが、最新の研究では親のDNAスイッチの状態を引き継ぐことがわかりました。マウスを使った研究で、肥満に関するDNAスイッチを調べた結果、肥満だったマウスの子どもと孫は少量のエサでも肥満になったそうです。つまり肥満に関するDNAスイッチが子ども、孫と引き継がれ、太りやすい体質になっていることわかったそうです。そこで、太った人がトレーニングして一時的に痩せたときに肥満に関するDNAスイッチをOFFにし、子供へ肥満に関するDNAスイッチを遺伝させない取り組みも始まっています。ただ、卵子の場合は、妊娠中にダイエット等するとDNAスイッチに悪影響があるそうです。

これまで、遺伝には逆らえない、子々孫々と祖先からの遺伝は運命として引き受けるしかないという考えがありましたが、これは人間の努力や環境の影響を含めて子孫が引き受けると、訂正する必要があります。そして、人は努力する環境にあって、適切な行動をすれば自らの才能のスイッチや病気から身を守るDNAスイッチが入るという科学的根拠があることを私たちは知る必要があります。

6歳までの適切な療育の効果

発達障害の子どもの可能性を奪う…日本の「療育施設」の現状
大坪 信之2020.7.4【幻冬舎ゴールドオンライン】

※当記事は、2018年12月4日刊行の書籍『「発達障害」という個性 AI時代に輝く――突出した才能をもつ子どもたち』から抜粋したものです。

発達障害の子どもの約4割は、療育を受けられていない
発達障害と上手につき合っていくためには、「療育」を受けるという方法があります。療育とは、治療と教育の両方を併せ持つもので、社会に出ても困らないようにするためのトレーニングです。ところが、発達障害と診断される子どもが増えるにしたがって、療育を受けられる場が足りなくなっています。

文部科学省の調査によると、発達障害とされる子どもが推計で約60万人いるとされていますが、そのうち4割弱は特別な支援を受けていません。本来、発達障害の子どもは、療育を受けることで、社会に出て活躍できる足がかりをつくることができます。にもかかわらず、多くの子どもたちが療育を受けられずにいるというのは、本人にとっても社会にとっても大きな痛手です。

それぞれの自治体には、障害のある子どもに対して、それぞれに合った治療・教育を行う場として療育センターが設けられています。療育センターには、通所支援の場として、6歳までの未就学児に発達支援を行う児童発達支援事業所・児童発達支援センター、医療型児童発達支援を行う医療型児童発達支援センター、6~18歳(場合によって20歳)が通う放課後等デイサービス、保育所等訪問支援があります。

療育センターで療育を受けようと思ったら、まずは市区町村の窓口に相談に行く必要があります。窓口には相談員がいて、必要に応じて療育センターに申し込みをすることになります。ところが、6歳以下の子どもが実際に療育センターで療育を受けるためには、3年待ちが当たり前というのが現状です。発達障害の子どもの数は増えているのに、療育センターの定員はほとんど変化がありません。療育を受けたい子ども数が増えているのに、受け皿は増えていないのです。

「6歳までの適切な療育」が子どもの生きづらさを軽減
子どもの脳は、6歳までに急激に発達していきます。6歳までに適切な療育を受けることができれば、発達障害の子どもの生きづらさは、かなりの部分が解消します。しかし、現状では、たとえば3歳児健診で発達障害だといわれたとして、すぐに療育センターに申し込んでも3年待ちが当たり前です。つまり、6歳までに療育を受けることができないのです。

ハーバード大学をはじめとして様々な研究で、6歳までに効果的な療育を受けられれば、IQを上げることができるとしています。これを受けて、日本の療育の現場でも、就学までの教育の場にしようということでつくられたのが、「児童発達支援事業所」でした。

それまで療育の場となっていたのは、「児童デイサービス」と呼ばれるものでした。児童デイサービスは、就学・未就学を問わず、通所の療育施設として設けられていました。それが、2012年に「障害者自立支援事業法」と「児童福祉法」が改正され、未就学児を対象とした教育の場である「児童発達支援事業所」と、就学児を対象とした預かりの場である「放課後等デイサービス」に分けられたのです。

とはいえ、もともとは就学・未就学問わず預かり保育の場であった「児童デイサービス」が、午前中は「児童発達支援事業所」、午後からは「放課後等デイサービス」となっただけというケースが多くあります。教育のノウハウを持っていないために、相変わらず預かるだけの場となっていることもあります。

放課後等デイサービスについては、2012年の法改正によって、株式会社も参入できるようになりました。国の目標としては中学校区に1施設で、全国で9700施設ですが、すでに10000施設を超えています。これほど増えたのは、放課後等デイサービスに関しては、場所を確保して、人手があればつくれるからです。

一方、「児童発達支援事業所」がなかなか増えないのは、専門性が必要だからです。幼児教育に専門性がある事業体となると、幼児教室の運営会社くらいでしょう。参入できる事業体の数が少ないのがボトルネックとなっています。就学までに適切な療育を受ければ、IQが上がるのですから、本当は未就学児を対象とする児童発達支援事業所の方が必要なはずなのに、こういった理由からなかなか増えていないのです。

軽度の発達障害であれば、療育の開始が遅れることも…
また、発達障害の判定ができる小児科の医師が少ないことも問題です。診断を担当する医師が発達障害に詳しくない場合、「もう少し様子を見ましょう」などといわれて、診断が先送りになれば、余計に療育の開始が遅れます。療育センターでは重度の子どもが優先されますので、軽度と見なされた子どもは、より不利になります。一般に「グレーゾーン」といわれるような子どもに至っては、療育センターに通う機会すら得られないのが現状なのです。

療育を受けられる施設は、各自治体の療育センターだけではありません。ほかの選択肢はどうなのでしょう。その一つに、病院で療育を受けるという選択肢があります。しかし、療育を行っている病院で初診の予約をとろうとしても、10か月から1年待ちは当たり前という状況です。当然、療育の開始までにはそれ以上の時間がかかることになります。

では、民間の療育機関はどうでしょう。民間の施設については、預かることがメインの「預かり型」が多く、療育を受けられる「教育型」の施設が少ないのが課題です。比率としては、預かることがメインの事業所が9割近いというのが現状です。もちろん、「預かり型」のニーズがあるのも事実です。発達障害の子どもを育てているお母さんの苦労は計り知れません。子育ては、ただでさえ大変ですが、たとえば多動傾向のある子どもを一日中追いかけているお母さんは、心身ともに疲れ切っていることも多くあります。そういうお母さんに、ひとときでも休んでもらうためには、預かり型が果たす役割は大きいといえるでしょう。

しかし、子どもの将来を長い目で見たとき、社会の中で能力を発揮していくためには、幼児期に適切な療育を受けることが大切です。教育型の施設が足りず、しかるべき時期に適切な療育が受けられないというのは、その子の将来にわたる大きな損失なのです。

療育が受けられる施設の数が足りないのと同時に問題なのが、療育の質です。自治体の療育センターの現場では、先生が自作の教材を使って、それぞれのやり方で療育を行っています。そのため、療育のノウハウが蓄積されにくいという現状があります。・・・・(後略)

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NPOホップすてーしょんも、この著書と同じような危機感を就学前の発達障害療育に対して持っています。公立の療育センターでも施設によって療育者によって療育方法が異なるし、民間の児童発達支援事業でも経営方針によって様々な療育が行われていますが、セオリー通りの療育からエビデンスがはっきりしないものまで様々です。就学前の児童発達支援も昨日掲載した高学年以降の発達障害支援と併せて新しい事業所の内容として計画中です。発表はもうしばらくお待ちください。

 

いじめを受けて学校が行った「仲直りの会」を疑問視

いじめを受けて学校が行った「仲直りの会」を疑問視 いじめ問題専門委員会〈仙台市〉

7/8(木) 【仙台放送】

2018年、仙台市泉区で母親が女子児童と無理心中した事件で、7月7日、仙台市のいじめ問題専門委員会が開かれ、いじめの訴えを受けて学校が行った「仲直りの会」について、疑問の声が上がりました。

7日、調査部会でいじめの再発を防ぐ提言などの協議が行われ、当時小学2年の女子児童へのいじめを受けて学校が行った「仲直りの会」に、多くの委員から疑問の声が上がりました。

いじめ問題専門委・調査部会 甲斐田沙織 委員
「仲直りの会って、そんなに簡単にできるものかなと。非常に安易に行なわれていた」

いじめ問題専門委・調査部会 新免貢 委員
「学校側が善意で行っていることでも、児童生徒には、そのこと自体がプレッシャーであると私は感じる」

学校は当時、女子児童の母親からいじめの相談を受けたわずか6日後に「仲直りの会」を開いていて、委員からは「事実確認をした上で行うのが望ましい」という声も上がりました。

いじめ問題専門委・調査部会 小野純一郎 部会長
「委員は長期欠席などにつながるようなきっかけになってしまったんじゃないかと
「仲直りの会」のやり方がもう少しきめ細かくやった方がよかった」

仙台市の「いじめ防止基本方針」は、被害児童が関係改善を望み、加害児童の内省の深まりが確認できた場合は、謝罪や和解の場を設けるとしていて、調査部会は「仲直りの会」のあり方についても、提言としてまとめる方針です。

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「握手して」「ハイ仲直り」喧嘩の際にはこの指導はありですが、いじめの場合は成り立たないです。いじめは一方的なもので、仲直りと言うのは被害者にも落ち度があると暗に示しているようなものです。こんなポンコツな生徒指導をした学校も学校ですが、これを調べている専門委員会が3年前の話を扱っている事の方が驚きでした。母子が無理心中で亡くなった原因が、学校のいじめであったことを世間が知ったのは、事件から僅か半年後の父親の会見でした。

最初は亡くなった児童の小学校の父母に児童の急死を知らせる通知こそあったものの、それ以上の説明は学校からはなかったのです。憤った父親は娘の遺したメモを手に会見を開いたのです。
《しにたいよ しにたいよ なにもいいことないよ わるいことしかないよ いじめられてなにもいいことないよ しにたいよ しにたいよ》
メモ用紙いっぱいに鉛筆書きの平仮名で「しにたい」の4文字が繰り返されていました。児童は登校渋りが増え校長室登校をしていたと当時の関係者は言います。

父親は、『娘は同級生からいじめを受けており、母親もいじめへの対応で体調を崩して友人づきあいが減った』と明かし、そのうえで『学校に繰り返し相談したが、表面的な対応が続いた』として無理心中の責任は学校にあると訴えました。メモは事件当時に児童が書いたものだと言います。お母さんは、わが子を守るために何十回も学校を訪れ、地域の一部の住民は、『モンスターペアレント』と心ない噂を立てる人もいたそうです。

母親が、遺したメモには、《今回の事が将来にわたり影響が及ぶ可能性が大きいことを重く認識してほしい。娘の学習する機会、心身の健康が奪われている。いつかの時点で本当に自殺する事があれば、今回の事が原点である事を訴え続けていきます》と書いてあったと言います。学校の誰が思いついたのか明らかではないですが「仲直り会」は、無理心中の引き金になったとしても不思議ではありません。

しかし、こうした全容を明らかにするのに事件から3年もかかり、まだ検討を続けているというお粗末さです。加害者の子どもや保護者への配慮があったのかもしれませんが、母子が二人亡くなっているのですから、せめて母子の親族には真実を早く知らせよう、間違いがあったら早く正そうと言う気持ちは働かないのでしょうか。遅くても真実を明らかにするに越したことはありませんが、親族がこの件を提訴しなかったことを良いことに結論を先に延ばしていると言われても仕方がないと思います。

職業準備性ピラミッド

職業準備性ピラミッドとは、下図の通り、働く為に必要な項目がピラミッド型に配置されているものです。

就職活動をする際に、その職業でのスキルの内容、つまりパソコンができるとか計算ができるとか、設計図が読める等仕事の内容が注目されがちです。このピラミッドで言う一番上の「職業適性」の部分です。

しかし、職業適性は障害があろうがなかろうが、一番大事なことではありません。「自分探し」は大事ですが、それは職業適性だけを探すものではありません。実は、このピラミッドの土台、「健康管理・障害の理解」であったり、「日常生活管理・基本的な生活のリズム」がしっかりしていなければ、働く事だけでなく、就職活動もできません。まずはしっかりした土台があって、長く、活き活きと働ける基礎的な力が必要だと言うことです。

土台の中でも大切なのが、その土台に書かれている「~~管理」という「管理」という言葉です。例えば最下段の「健康管理・障害の理解」ですが、人は心と体が健康な時ばかりではありません。特に凸凹の能力特性を持つ方は、就業での対人ストレス等も加わり不調になることも少なくありません。不調であっても自分なりの対処方法を持ち、キーパーソンに相談をしながら働けることが大事だと思います。そのうえで、自分で心身の健康をどのように管理して長くその職場に貢献できるかを考え、安定した就労が持続できるように工夫することが大切です。

「仕事内容は会社で教えられるが、働く基礎である社会性や自己管理を会社で教えることは難しい」と少なくない経営者が言われます。もちろん、できることやできないことには人によって様々ですから、苦手なことは支援を要請したり、強みを活かしながら弱みをカバーすることはできます。ここで言いたいのは、ピラミッドの基礎部分は家庭や学校・地域生活で子ども時代から長い時間をかけて身につけて行くもので、短期間で身につくものではないということです。さらに、その基礎の基礎、働く意欲は遊びや好きなことを続ける経験や、失敗してもあきらめず励まされ支援され立ち直る経験の蓄積から育つものだと思うのです。

 

 

 

授業についていけない僕を救った落語

識字障害で授業についていけない僕を救った落語
柳家花緑 2020.06.28【幻冬舎PLUS】

自身の経験を軽妙につづった花緑さんの新刊『僕が手にいれた発達障害という止まり木』より、一部を公開します。

*   *   *

「読めない」「書けない」から、授業についていけない
僕の本名は小林九(こばやしきゅう)といいます。小学校時代のあだなは、「バカな小林くん」。いやぁ、子どもって残酷(ざんこく)ですね。まくら言葉のように、僕の名前の上に「バカな」がつくんですから。

なぜ「バカな小林くん」なのかというと、教科書が読めないから。一文字一文字追うので、ものすごく時間がかかるし、意味もつかめない。

一番つらかったのは、授業中に「小林くん、何ページの何行目から読みなさい」と、立って読まされるときです。つっかえつっかえなんとか読むのですが、緊張するとますます読めない。すると、クラスのみんなが笑うんです。

教科書が読めないと、すべての教科についていけなくなります。言葉の認識が苦手なので、思考力も育ちません。1年生でついていけないということは、2年生になると完全に落ちこぼれです。

担任の先生からは、しょっちゅう怒られていました。というのも、授業がさっぱりわからないので、ついしゃべったり、よそごとをしてしまうんですね。だから先生からしてみたら、授業を妨害(ぼうがい)する問題児です。

自分なりに、必死でついていこうとはしていたんですよ。でも、どうしてもついていけない。すると、自分でも「自分はバカなんだなぁ」と思ってしまいます。

言い換えると、自分で自分のことを、あきらめてしまうんですね。だから、「バカな小林くん」と言われても、なにも言い返せません。

宿題も、ほとんどやったことがありません。どうせわからないし、やる気も起きません。でも、「やらなきゃいけないことを、やっていない」という負い目みたいなものは、子どもながらに感じていたと思います。だから、なんかもやもやしてしまう。

そうそう、こんなこともありました。祖父の五代目柳家小さんには、大勢の弟子がいました。そのなかの一人が、柳家小三太(こさんた)師匠という先輩。当時は前座で、「小たか」と名乗っていました。で、僕が宿題をしないのを見かねてか、ある日、宿題の算数のドリルを一緒にやってくれたんです。

翌日、今日は珍しく宿題を提出できると意気揚々(いきようよう)。宿題が先生から戻ってくると……なんと答えが全部×、間違っていました(笑)。

でも、「バカな小林くん」と呼ばれても、学校には毎日行っていました。なんでかなぁ。たぶん、友だちと遊びたかったからでしょう。というより、しゃべりたかったから。それくらい、しゃべるのが大好きな子どもでした。

あっ、あと、「好きな女の子に会いたい」という気持ちも大きかったですね。小林くん、なかなかノーテンキです。

落語のおかげ
小学校5年生の通知表の所見欄には「気が散って学習に身が入りません」と書いてあります。でもその後、「心をおちつけて、絵を描くときのように、根気よく復習しましょう」と続きます。

というのも、勉強はできないけれど、図工はすごく得意だったんです。絵を描いたり工作をするのは、遊びの感覚。熱中し出すと、それこそ我を忘れてとことん熱中するので、絵を描いているときはすご~く静かです。

中学に入ると、音楽と美術はたいてい5段階の5。数学や社会、英語が1なので、そのコントラストといったら! 好きな科目のときは、ウキウキしましたね。それに助けられていた面もあります。

僕の場合、相当な落ちこぼれだったので、いじめにあっても不思議ではありません。実際、今思えば彼も発達障害だったんだろうなと思えるクラスメイトは、いじめられていました。

僕がいじめられなかったのは、落語のおかげです。9歳から落語を始め、祖父の高座に初めて出たとき、その様子がテレビで放映されたんです。すると、信じられないようなことが起きました。なんと、バレンタインデーにチョコレートをもらったんです。それも、5人から! ちなみに兄はカッコいいので、いつも山のようにチョコレートをもらっていましたが。

まぁ、当時はテレビに出たというだけで、ちょっと一目おかれた。だから、いじめられなかったのでしょう。本当に、落語には助けられました。

母は、いずれ僕を落語家にしようと心に決めていたようで、小学校2年のころから日本舞踊や三味線などの習い事をさせられました。それは、自分としては楽しかったんです。踊りや音楽はけっこう得意だし、好きだから熱中するんですね。

これは余談ですが……。

母は直感で、兄にはクラシックバレエを習わせようと思ったようです。確か当時兄は、10歳くらい。もう、恥ずかしいと思う年齢ですから、タイツなんて穿(は)いて踊るのはイヤだとゴネました。すると母は、兄にこう言いました。

「九にもやらせるから」

「それなら習いに行ってもいい」

そんなわけで、兄と一緒にバレエを習いに行くことになりました。

ところが通い始める直前に、兄が階段から落ちて腕を骨折してしまいます。しかたなく、僕だけ小林紀子バレエ団に通うように。兄の小林十市(じゅういち)は後にプロのバレエダンサーになりますが、そんなわけで実は僕、バレエに関しては兄の先輩です(笑)。

いよいよ修行開始
正式に落語の修行を始めたのは9歳のとき。最初に教えてもらったのは、『から抜け』という、与太郎(よたろう)が出てくる噺です。

与太郎とは、落語によく出てくるキャラクターで、ちょっとマヌケで、失敗が多い。人から言われたことを、一度では理解できません。でも、あいきょうがあって、人からあまりきらわれない――とまぁ、子ども時代の僕みたいなキャラクターです。

『から抜け』は、小噺(こばなし)がいくつかあるような感じで、全体で7分くらい。与太郎だけではなく、近所のおばさんや、兄弟、父親も出てくるので、キャラクターを演じわけるように、と教わった記憶があります。教えてくれたのは、叔父である、今の六代目柳家小さん。当時は柳家三語楼(さんごろう)といいました。

落語は、「口伝(くでん)」というやり方で師匠から教わります。口伝とは文字通り、「口で伝える」。つまり、師匠がしゃべるのを聞いて、覚えるわけです。

その昔、録音機器がなかった時代は、まさに師匠の一言一句を記憶するしかなかったのでしょう。僕が修行を始めたころは、カセットテープに録(と)らせてもらって、それを何度も繰り返して聞いて、マネしてしゃべっていたんだと思います。

2席目は『桃太郎』という親子の話。その後、祖父に『芋俵(いもだわら)』という泥棒の話を習いました。そのときに初めて、間(ま)というものを教わりました。祖父の口マネをしながら、「そうだ、もっとそこはゆっくりだ」といった感じで教えてもらい、繰り返し稽古をした覚えがあります。

中学に入ると、カセットを聞いてノートに書きとるようになりました。残念ながら、当時のメモは残っていません。たぶん、先輩の誰かからノートに書いたらいいと言われたのでしょう。中学校を卒業するころには、11席くらい、やれるネタがありました。

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この続きは『僕が手にいれた発達障害という止まり木』(幻冬舎)で! 全国の書店で好評発売中です。

教員免許更新制、文科省が廃止検討

教員免許更新制、文科省が廃止検討 うっかり失効の原因

2021年7月12日 【朝日新聞】

教員免許に10年の期限を設け、更新前に講習を受けないと失効する「教員免許更新制」について、文部科学省が廃止する方向で検討していることが、政府関係者への取材で分かった。教員の資質確保を目的に第1次安倍政権時代の2009年度に始まったが、教員の負担が増え、教員不足の一因にもなっていると、学校現場から批判が出ていた。

更新制については萩生田光一文科相が3月、中央教育審議会に「抜本的な見直し」を諮問した。中教審では廃止論が大勢で、8月にも廃止の結論を出す見通し。これを受け、文科省は廃止を表明し、来年の通常国会で必要な法改正を目指す方向だ。廃止となった場合、教員が受けてきた30時間以上の更新講習の代わりに、オンラインによる教員研修の充実などが検討されている。

更新制は「不適格教員の排除」を目的に自民党などが導入を求め、「教員の資質確保」に目的を変えて09年度に始まった。無期限だった幼稚園や小中高校などの教員免許に10年の期限を設け、期限が切れる前の2年間で計30時間以上、大学などでの講習を受けなければ失効するしくみだ。

ただ、夏休みなどに自費で受ける講習は多忙化する教員に不評で、文科省が今月5日に公表した調査では、約6割が講習に不満を抱いていた。更新期限があるため、定年退職前の教員が早期退職する動機となったり、産休や育休をとる教員の代わりに任用する教員が不足したりと、教員不足の一因とも指摘された。また、制度が複雑なため、現職教員が更新を忘れて教壇に立てなくなる「うっかり失効」も相次いでいた。

これまでの中教審の小委員会で文科省は、都道府県などが行う教員研修をオンラインなどで充実する案を提示した。委員からは「こういうことができれば更新制でなくてもできるのではないか」などと賛同する発言があり、廃止論が大勢となっている。(伊藤和行)

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記事にもあるように、この制度は指導力不足教員問題から教員の質を確保するために作られた制度ですが、案の定、ただの研修制度として骨抜きにされた経過があります。「指導力不足教員」は法令(教員免許法改正法の施行通知)では「指導が不適切である」教諭等と表現されています。「指導が不適切である」ことの認定について、教育公務員特例法の一部改正関係(第25条の2第1項関係)には、以下のように記載されています。

「指導が不適切である」ことに該当する場合には、様々なものがあり得るが、具体的な例としては、下記のような場合が考えられること。
各教育委員会においては、これらを参考にしつつ、教育委員会規則で定める手続に従い、個々のケースに則して適切に判断すること。
1 教科に関する専門的知識、技術等が不足しているため、学習指導を適切に行うことができない場合(教える内容に誤りが多かったり、児童等の質問に正確に答え得ることができない等)
2 指導方法が不適切であるため、学習指導を適切に行うことができない場合(ほとんど授業内容を板書するだけで、児童等の質問を受け付けない等)
3 児童等の心を理解する能力や意欲に欠け、学級経営や生徒指導を適切に行うことができない場合(児童等の意見を全く聞かず、対話もしないなど、児童等とのコミュニケーションをとろうとしない等)

簡単に言えば、児童に合わせた学習内容が作れず、児童に合わせた指導ができず、児童の気持ちが理解できない教員です。これだけでは、多くの教員が当てはまりそうですが、重要なのは3番目です。学習内容や指導方法の良し悪しは教員のキャリアやスキルの問題ですから指導を受ければ改善できます。しかし、相手の気持ちが理解できない問題は訓練を受けても簡単には改善しません。

更新制は知識だけを更新する座学なので、このタイプの教員の課題を支援する研修にはなり得ていないというのが現場の感覚かもしれません。むしろ、このタイプの教員は座学研修はしっかり受けるまじめな方が多いようにも思います。更新研修を受けても、現場で失敗したことを自分からうまく謝れなかったり、自らの間違いを認めず、児童の問題にしてしまう等の社会性の課題は解決しません。更新制は、教員の資質向上を掲げたけれども一部の教員には効果がないのです。

一度決めてしまうと効果がなくてもいつまでも変えられないと、感染防止施策をあげてこのブログで非難してきましたが、やればできるじゃないのと少し政府を見直しています。願わくば、プール授業の中止や校外行事の見送り、屋外のマスク着用等、根拠のはっきりしない学校感染防止施策も、効果のないものとして文科省が必要なしと例外なくキッパリと指示を出し、さっさと撤回させてほしいと切に思います。

サービス支給量

支給量とは、福祉サービスを利用できる日数や時間数のことです。児童デイサービスの場合、「支給量」とは、ひと月に利用することができる日数です。支給量については、子どもの特徴や保護者のニーズ等に合わせて、自治体が決定します。この上限基準は厚労省が決めます。ところが、自治体によってこの基準が異なることがあります。事業所が少ないとかいろいろ理由はあるでしょうが法の下の平等、つまり人権の問題があります。

 相談支援を利用されている方の支給量については、相談支援事業者が自治体に提出した「サービス等利用計画案」に基づいて、支給量が決定されます。上限を超えた支給量を受ける場合は、相談支援事業所が自治体と保護者の間に入り、支給量変更の申請を行います。障がいの状況や家族の状況等によって上限を超えた支給量を受けることが必要と認められると、上限を超えた支給量を受けることが可能になります。

 自治体とは市町のことですが、大抵は保健所管轄範囲、乙訓なら向日市長岡京市大山崎町で基準を申し合わせているので同じ基準です。ただ、障害の種類も程度も多様、家庭事情も多様なものに基準を設けても意味がないのです。この基準はあくまでも公的な財政上の予算を明確にするために利用者数で割り算した数値です。

この数値の中には多様な事情は入っていません。たったそれだけのものなのに、この数値に意味を付け足す相談支援者がいます。親が楽をしてしまう。子どもが普通に育たない。親が働いているなら足りないところは学童保育を利用すればいい。こんな乱暴な話はありません。そんな考えで相談事業料や給料を、税金からもらっているのです。

平成の福祉の基礎構造改革の最も重要な点は障害者とその家族に措置や施すという考えは間違いで、サービス側と対等平等だから契約に変えたということです。今、NHKの連ドラは保育所制度が始まった昭和の中頃、家で子育てするのが当たり前という行政窓口の意見に母親が苦悩するところを描いています。同じことばが令和の障害者の親に向けられているのです。こうした化石のような話が未だにあることは残念ですが、契約制度はこうしたサービス事業者を変えられるようになったことです。利用について疑問を持たれたら是非事業者を変えてご相談になることをお勧めします。

 

デジタル対応、世界に20年遅れ

揺らぐ「学びの保障」 デジタル対応、世界に20年遅れ
教育改革 危機が促す

【日経電子版】 (2020/7/7 5:27更新)

新型コロナウイルスの感染拡大が教育を揺るがしている。全国休校がもたらした学習格差、画一的な教育制度、再考を迫られる大学のグローバル展開――。教育の新たな形を示せるかがコロナ時代の国家の競争力をも左右する。

 「自宅にいる人も見えていますか」。東京都立白鴎高校(台東区)の教員が教室内の生徒20人とパソコン画面に映る生徒20人に呼びかけた。同校は6月の分散登校期間、対面とオンライン(遠隔)の併用授業を行った。

休校中の4月に教員数人が始めた遠隔指導は全教員約70人が動画の配信をできるまでになった。生徒は宿題も遠隔で出した。田中幸徳副校長は「オンラインと対面を融合し、教育の質を高めたい」と意気込む。

デジタル技術を変革に生かすデジタルトランスフォーメーション(DX)の波が学校にも押し寄せてきた。休校中に地域間などで学習機会の格差が生じ、どんな時も学びを止めない「学びの保障」が揺らいだとの悔いが現場を突き動かす。

各国は先を行く。「最も遅れていることを改めて自覚した」。3月23日の国連教育科学文化機関(ユネスコ)での教育担当の閣僚級会合。フランスやイタリアなどの発言を聞いた萩生田光一文部科学相は絶句した。参加11カ国で日本以外の全てが休校中にオンラインで指導をしていたからだ。

上智大の相沢真一准教授(教育社会学)によると「日本の学校のデジタル対応は世界から20年近く遅れている」。2000年代前半は日本の学校のコンピューター整備状況は各国と大差がなかった。しかし09年には授業中のデジタル機器の利用状況が経済協力開発機構(OECD)加盟国で最低水準となり、18年も同様だった。「日本の学校は情報機器を遊び道具とみて遠ざけたが、世界は鉛筆やノートと同じ文房具にした」

3月下旬から原則休校になったオーストラリア。広大な国土で教育格差が生じないよう10年以上前から政府などが遠隔学習に力を入れ、子ども1人に1台の情報端末を配備してきた。休校中もホームルームから授業までオンラインが広く活用された。

日本にも好例はある。3月の休校後すぐ遠隔授業を始め、4月には全小中学校に広げた熊本市だ。16年の熊本地震での休校の経験を糧に、18年度からNTTドコモなどと組み、タブレット端末の配備に力を入れてきたことが奏功した。

デジタル技術に対応した人材を育てるためにも学校教育のDXは避けて通れない。18年の国際学力調査で読解力と科学的リテラシーが世界トップ級になった欧州のエストニアは、情報技術(IT)立国を掲げて約20年前から全学校の教室にパソコンとネット環境を整備。教材も電子化する。学習履歴を基に単位を与えて飛び級を認め、優れた才能を発掘する制度も整えた。

日本もコロナ禍を受けて1人1台の端末を今年度中に配備する目標は立てた。しかし登校を再開した途端にオンライン指導をやめ、対面授業に戻る学校も相次ぐ。非常時も学びを止めず、新たな時代を生き抜く人材を育てようとする強い意志はそこにない。問われているのは危機感と覚悟だ。

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放デイも、PCやタブレット端末を子どもの余暇支援にしか使えていません。子どもたちの学びのためにシステムを導入するとなると、大手のICT教育の会社と連携するしかありませんが、使い方はそれぞれの運営に任されているのですから、明確な戦略をもって取り組むべきだと思います。新しいものを導入するとき、あれこれ批判することは簡単ですが、成果を出すには地道な努力が求められます。努力もせず、先生が使えないだの予算がないだのとICT導入の困難ばかりを言い訳にしてきたトップは、スマホが使えない大人が少なくありません。それが結局、先進国の中で日本が取り残された原因のようにも思えます。

ただ、ICT機器を利用する大人のデジタル機器への親和性は大事ですが、今や一人が一台スマホを持ち、毎日スマホを使っています。ICT教育を進めるにあたって、これ以上に大人に必要な経験はあまりないと言えます。経営者や責任者のICTへの投資の決断一つでICT教育は進むはずです。

知的障害者対象に「農業科」 奈良県立高が新設、全国初

知的障害者対象に「農業科」 奈良県立高が新設、全国初の試み

7/13(火) 【日本農業新聞】

相互理解へ学科超え実習
奈良県は2022年度、知的障害のある生徒が農業を学べる学科を県立高校に新しく設ける。全国初の試みで、3年間茶や野菜の栽培などを学ぶ。障害のない生徒も同学科の生徒と実習などに取り組み、障害の特性などへの理解を深める。農福連携が広がる中、その担い手育成に乗り出した格好だ。(本田恵梨)

4月から県立山辺高校(奈良市)に「自立支援農業科」を新設する。同校には現在、農業が学べる「生物科学科」と、県立高等養護学校(田原本町)の2、3年生で農業を学びたい生徒が通う分教室があり、両校の生徒で野菜栽培などに取り組むこともあった。一方で、分教室では教育課程が異なり交流程度にとどまってしまう、高校卒業資格が取れない、などの課題があったという。

県学校教育課は「共通の授業や実習の機会をこれまで以上に充実させることによって、農業知識はもちろん、コミュニケーションも一緒に学んで相互理解につなげてほしい」と話す。

農福連携の担い手育成
新学科では、養護学校のサポートを受けながら、それぞれの障害の程度に応じて指導していく。分教室は段階的に移行。生物科学科は「生物科学探究科」として新たに設置する。

農福連携で生産した食品を認証する日本基金が18年度に行った調査では、多くの農業者が障害者の農業技術習得や障害者とのコミュニケーションに課題を感じているという。基金は「農作業経験のある障害者や障害特性に理解のある農業者が育成できれば、農福連携の広がりにつながる」と話す。

農水省によると、農福連携に取り組む農業経営体などは19年度末時点で4117。国は、農業高校などでの農福連携学習や特別支援学校での農業実習などを推進し、新たに取り組む組織などを24年度までに3000増やす目標を掲げる。

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農福連携は、障害者等が農業分野で活躍することを通じ、自信や生きがいを持って社会参画を実現していく取組です。農福連携に取り組むことで、障害者等の就労や生きがいづくりの場を生み出すだけでなく、担い手不足や高齢化が進む農業分野において、新たな働き手の確保につながる可能性もあります。近年、全国各地において、様々な形での取組が行われており、農福連携は確実に広がりを見せています。

ライフステージで考えていくと、支援学校高等部の進路実習に農作業を提供する農業団体との連携があり、成人期では福祉施設と農業団体の農作業の事業委託の連携、そして、農業団体が実際に障害者を職員として雇用していくという流れがあります。先の高校の話は、農村地域での公立高校の定員割れ、支援学校高等部への発達障害生徒の増加という全国的な傾向の中での新しい高校教育のあり方の一つとして、インクルージョンと農福連携を模索している姿と言えます。

農業は作業の種類が多く、作業の内容も異なることから、障害者一人ですべての農作業をするのは困難です。しかし、農作業を切り分け、複数の障害者が一つのチームとなって、能力に応じてそれぞれが得意な作業を行うことで農作業も可能となります。更に、農作業をマニュアル化したり、農作業・農器具を工夫することで、障害者ができる農作業の範囲は拡大します。これから農業の経営も実際の農耕の作業もAI化が進み、人間の仕事は農場の整備や自動化できない収穫作業などに変わっていきます。

AI化には大規模化が必須となります。そうなると、今の個人経営では農業は成り立たず、自ずと団体経営や法人経営に変わっていきます。しかし、人口減による人手不足から、今でも外国人労働者を農業研修と言う名目で雇用していますが、これもある程度の規模の農地でないと雇用できません。人手を失った農地は手つかずの休耕地として年々増えています。傾斜地の棚田は、斜面の崩壊を未然に防いできました。また、水田は洪水や地すべりも防止しています。人手不足による農地の喪失は私たちの大切な環境資源を失うことにもつながります。

このようにして、農福連携は単なる障害者雇用の促進施策というより、先祖から引き継いできた農地を守り環境を守る大プロジェクトです。その一環として、後期中等(高校)教育のあり方を障害のある人も含めて考え変えていくことは大事な取り組みだと思います。

フラッシュバック

フラッシュバック (flashback) とは、強いトラウマ体験(心的外傷)を受けた場合に、後になってその記憶が、突然、そして非常に鮮明に思い出されたり、同様に夢に見たりする現象です。突然怖い目にあった時の心的外傷後ストレス障害(PTSD)や急性ストレス障害の特徴的な症状のうちの1つです。これは単に嫌な事を思い出すというレベルの現象ではなく治療の対象といわれています。

フラッシュバックという用語は過去に起こった事で、その記憶が無意識に思い出されて、それが現実に起こっているかのような感覚が非常に激しいときに特に使われます。フラッシュバックが起きた場合には、必ずしも映像や音が存在する記憶とは限らず、「恐怖」などといった感情や味覚、痛覚など、感覚の衝撃として発生することもあります。

フラッシュバックは、幼児期に経験した外傷体験を言語的に認識する能力を持たないまま記憶し、それでもなお忘れられない場合にも起こります。この、体験を取り込むことに失敗する現象のことを解離といいます。この記憶はまともに意識に上らないため、時間が経っても薄れません。また、フラッシュバック性の記憶はその鮮明さにも関わらず言葉で表現することが困難です。さらに時間とともに原記憶よりも鮮明さは増す傾向が強いのです。

幼年期のトラウマの体験者は、これらの感情の記憶を意識化しないまま持っている可能性もあり、そしてフラッシュバックにおいてそれらを再経験する可能性があります。ASDの方達の中にも対人関係理解の混乱時の苦痛の思い出が、その後フラッシュバックを引き起こす原因になることがあります。このフラッシュバックの治療は、行動療法の脱感作療法や認知行動療法がありますがいずれも言葉理解や表出が必要なので、言語表出レベルが低い方には大変難しいです。当時の恐怖のきっかけになるようなことを避ける予防策を取りながら、EMDRなどの新しい脱感作療法を行うことが必要と言われています。

フラッシュバックは、現在の本人の関係者が努力をしていないからでも、楽しいことが少ないから生じるものでもありません。何かのきっかけで電子レンジで解凍されるように生じる精神医学的な現象として捉える必要があります。被虐待の経験者に多いことからもわかるように、ASDへの特性を無視した対応は、虐待と同じPTSDの原因になる可能性があることを理解することが彼らのフラッシュバックを予防していくことにつながると思います。

熊本豪雨災害

決壊、浸水…豪雨の爪痕深く 橋崩落は14カ所 熊本県南部

2020/7/6 6:00【西日本新聞 熊本版】 和田 剛 郷 達也 壇 知里

熊本県南部を襲った豪雨の被災地では5日、建物や道路の破損など爪痕の大きさが徐々に明らかになってきた。ぐずついた天気が続く中、決壊した堤防の緊急工事や水没した自宅や家具の片付けなど、各地で復旧に向けた動きも出始めた。

県によると公共土木施設の被害は、道路ののり面崩落や路肩決壊など計38カ所▽橋の崩落14カ所▽土砂災害30カ所▽人吉市の公共下水道施設1カ所-など。このほか、八代市坂本庁舎1階が水没した。

道路の寸断などにより5日朝時点で8市町村に孤立集落が確認された。球磨村は78地区1432世帯が孤立するなど被害が大きく、このうち8地区では停電と断水、電話の不通が重なっているという。

肥薩おれんじ鉄道八代-出水間は二十数カ所で被害が確認。くま川鉄道は保有車両5両すべてが浸水し、球磨川第4橋梁が流失した。

医療・福祉施設の浸水被害は、医療施設28カ所▽高齢者施設18カ所▽保育所6カ所▽障害者施設2カ所-など。

芦北町の芦北高校と芦北支援学校、球磨村の渡小学校などの校舎に床上浸水した。小学校7校▽中学校4校▽高校12校▽特別支援学校2校が6~8日(一部は6日のみ)に休校する。

人吉市中神町では、球磨川の堤防が長さ約40メートル、幅約4メートル、高さ約8メートルにわたって決壊。現場では5日、ブロックなどで堤防の形に戻す緊急工事が行われた。国土交通省八代河川国道事務所人吉出張所の中村良一所長(47)は「少しの雨でも水位が上がる。雨が降っているので怖い」と茶色く濁った川面を見つめた。 (和田剛、郷達也)

「ダムによらない治水」極限まで検討したい  蒲島知事

蒲島郁夫知事は5日、県南部の豪雨被害を巡り「球磨川の氾濫を実際に見て大変ショックを受けた。改めて『ダムによらない治水』を極限まで検討したいと確信した」と述べた。人吉市や八代市を視察後、県庁で報道陣の取材に答えた。

蒲島知事は2008年の就任直後、国が五木村に建設を予定していた川辺川ダム計画の白紙撤回を求めて反対を表明。翌年に民主党政権が計画中止を表明した。国と県、流域市町村がダムに代わる治水策を協議しているが、議論はまとまっておらず、建設計画自体の廃止手続きは取られていない。

蒲島知事は「白紙撤回の決断は県民の意向だった」として「この12年間で(ダムに代わる治水策が)できなかったのが非常に悔やまれる」と話した。 (壇知里)

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自然災害で福祉施設が受けるダメージは大きなものです。特に利用者が即座に移動できない入所型施設や児童施設の災害リスクは大きいです。災害危険地域に福祉施設などを作ってはいけないという法律が施行したのはごく最近です。そして、法律施行前に作られた施設はそのままです。

ハザードマップの危険地域には少なくない福祉施設があります。福祉施設は民間経営ですから、土地価格の安価な場所に作らないと経営が成り立ちません。安価な場所は、危険地域が多いのです。

蒲島知事の(川辺川ダム建設の)「白紙撤回の決断は県民の意向だった」という発言が開き直りだという批判は多いですが、ダムができれば減災ができるかどうかは別問題だと思います。想定外の自然災害が起きればダムも堤防も防波堤も役には立たないということを、私たちは平成時代に経験してきたからです。そして、最も弱い子どもと障害者と老人にこの課題は顕在化します。

老人や障害者や子どもが利用する施設は、優先して安全地域へ施設ごと誘導する政策が必要ではないかと思います。すぐさま命を守る行動を起こすような地域ではなく、弱い人が利用する施設は避難しなくてもよい地域に移設していくのが、人口減を迎える日本の優先課題だと思います。

 

「ギフテッド」の子、進まぬ理解 高い知能

「ギフテッド」の子、進まぬ理解 高い知能/特定分野に優れた能力親も孤立、自ら「応援隊」設立

2021/7/14【毎日新聞】

生まれつき高い知能や、芸術など特定分野で優れた能力を持つ「ギフテッド」と呼ばれる子どもたちがいる。天才のイメージが持たれがちだが、学校や同世代の子どもたちとなじめず、孤立するケースも少なくないという。ギフテッドの子を育てているという親に、その苦労や思いを聞いた。

ギフテッドは、米国では認知が進んでおり、知的能力や特定の学問、リーダーシップ、芸術などのうち、一つ以上の分野でずば抜けた能力を見せるか、その力を潜在的に持つ人と定義されている。

兵庫県伊丹市の冨吉恵子さん(49)の長男(20)も、幼少期からギフテッドの特徴があった。小学校では授業を仕切ったり、教師も知らないことを発表したりした。漢字ドリルに四つ並んだ漢字を使って即興で物語を作ることもあり、創造力の高さをうかがわせた。

ところが、学校生活では摩擦を生む。権威で支配されることに反発したのだ。授業で計算問題を解く際、タイマーで時間を計る教師を「時間制限にどんな効果があるのか。計算が速くて何の意味があるのか」と問い詰め、明確な回答がないと「信念もなくやっているのか」と憤った。宿題をやらず、テストでは用紙に記された「解きなさい」の文言にも怒る。寄り道を禁じる下校のルールには「寄り道しないと人生の醍醐味(だいごみ)は生まれない」と反論し、「学校には余白がないから息が詰まる」と愚痴をこぼした。

冨吉さんが胸を痛めたのは、長男が幼い頃から「生涯の友達がほしい」と毎日のように訴えて泣いたことだ。小学校低学年の頃、同い年の子どもたちは遊びといえば鬼ごっこ。大人のようには会話を楽しめず、孤独に苦しんでいた。

長男を「ギフテッドかもしれない」と感じたのは小学4年の時。小児科医の勧めで知能検査を受けると、高い知能指数(IQ)が出た。長男には頭痛や湿疹の持病があったが、医師からは同級生と精神年齢が合わないストレスが原因だと指摘された。臨床心理士からは、周囲の精神年齢が近づく高校生になるまでは友達はできないと断言された。

医師には私立中学校への進学を助言されたものの、長男が「偏差値主義者のビジネスに乗りたくない」と葛藤するあまり体調を崩し、受験をやめた。進んだ公立中ではほとんど授業に出ず、小学3年から毎日続けていたニュース解説の手作りの壁新聞を張りにだけ行った。全日制高校への進学は諦める一方、中学卒業から半年で高卒認定試験に合格。通信制高校を転々とし、交友関係のストレスで難病を発症しつつも1年浪人して大学へ入り、映像学部で学んでいる。

発達障害と誤診
こうした苦労があった子育てだったが、支援はほとんどなかった。世界では専門の教育プログラムが導入されている国があるが、日本にはない。ギフテッドへの認知が進んでいない日本では、発達障害と誤診されることも少なくない。冨吉さんも精神科医やスクールカウンセラーに相談したが、「放っておいてもちゃんと育つ」としか言われなかった。

発達心理学が専門の角谷(すみや)詩織・上越教育大准教授によると、ギフテッドは言語や認知能力は発達しているが情緒的には標準あるいは遅れていることがある。角谷准教授は「自身の興味に強く動機づけられた行動を取る、必要性がないものには取り組まない、権威でコントロールされることに抵抗するといった行動などの背後にある深い洞察を周囲に理解されずに『わがままな子』とみなされたり、行動を周囲に理解されずに不登校になったりすることも多い」という。

手探りで長男を支えてきた冨吉さんは2017年、同じ経験や悩みを持つ親たちに呼び掛け、「ギフテッド応援隊」を設立。会員で集まって交流し、専門家を招いて講演会も開いてきた。21年4月には一般社団法人化し、会員は全国に約250人にまで増えている。

活動の一環で、電子書籍「ギフテッド育児奮闘記」を20年10月に出版した。幼児期から高い言語能力や音楽の才能を発揮した女児や、国内の小中学生が対象の算数オリンピックで小学3年の時にファイナリストになった男児ら会員の子ども8人が登場。その多くが学校になじめず、学ぶ環境を求めて親が奮闘する経緯を紹介した。出版を企画した会員でフリー編集者の万永安芸さん(44)は「一言では伝わりにくいギフテッドも、実例を並べることで見えてくるものがある」と狙いを語る。

冨吉さんは「ギフテッドの親は子どもと学校の間で対応に疲れ切っている」と明かす。秀でた面を説明すると自慢や過保護と思われてしまい、誰にも相談できずに孤独を感じる親は少なくないという。「ギフテッドの存在と特性を知り、特に教育関係者に理解ある対応をしてほしい」と願う。【稲田佳代】

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ギフテッドの正式な定義はなく、アメリカでは州によって様々な定義が用いられています。その中でも大半の州が下記のテキサス州の内容と同じような定義を用いています。
「ギフテッド・タレンテッドの生徒とは、同じ年齢・経験・環境を持つ子供と比較して、著しく高いレベルを達成する、あるいはその可能性をうかがわせる子供。知的能力、独創性や芸術の分野において高い実行能力を示す、並外れたリーダーシップ能力を持つ、あるいは特定の学術分野で秀でている。」

ギフテッドは発達障害とは違うという様に記事では読めますが、ギフテッドには「英才型」と「2E型」の2種類があります。英才型は全般的に高い知能を持つ人を指します。認知や記憶などの能力が高いため、学業成績はかなり優秀なことが多いです。社会性も高く周囲から見ても非常に優秀に見えるため、才能を伸ばすための機会が提供されやすいとも言えます。

2Eとは「twice-exceptional」のことで、「二重に例外」という意味です。ギフテッドと発達障害を併発している状態を指しており、ある分野では突出した才能を示しますが、苦手なことはとことん苦手な傾向にあります。「発達に凸凹がある」などと表現されたりもします。突出した能力が見られるものの、社会性が劣るなどマイナス面の印象が強くなりがちで、才能に気づかれることなく過ごしているケースが多いです。これは学校の先生や友だちが気づかないというだけでなく、両親や自分自身すら気づいていないケースも含みます。放デイで働く私たちがたまに出会う子どもは2E型です。

ギフテッドと発達障害は異なる概念ですが、いくつか共通する特徴が見られるため、ギフテッドなのにADHDやアスペルガー症候群と誤診されているケースが非常に多いです。「ギフテッドかつADHD」や「ギフテッドかつASD」、「ギフテッドかつLD」という存在(=2E)を正しく理解することが大切です。

ギフテッドと発達障害の共通点
・好きなこと・興味のあることへの集中力が非常に高い
・完璧主義で、細かいところまで気にして締切を守れないことがある
・論理的思考力が高く、考えが奥深い
記事の子どもはASDの特性があり、正論であっても嫌がられる言い方であることが分からないという、他者感情が読めない2Eタイプです。問題の本質は障害と言えば何か健常者より劣るような印象を持ちやすいことです。発達障害があっても誰も真似のできない発見や開発をする人はいます。類い稀な才能を開花できるかどうかはその人を取り巻く人的環境が大きいのです。大人が扱いにくい子どもだと言う理由で「障害」のレッテルだけ貼られて才能が葬られていくとすれば、それは人類の大きな損失だと思います。彼らを面白がって認めてくれる、カリスマティックアダルト(身近な憧れの大人)の存在が欠かせません。