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発達障害ある弟伝える 作文入賞の高2 「みんな同じ」意識持って

発達障害ある弟伝える 作文入賞の高2 「みんな同じ」意識持って

2022年2月17日 【朝日新聞】

内閣府と宮崎県などが募集した「心の輪を広げる体験作文」に、県立妻高校2年の川崎海晴(みはる)さん(17)が発達障害のある弟について書いた「すべての人々が幸せでありますように」が県内で唯一入賞した。家族を題材にすることにためらいはあったが、「読んだ人が変わってくれたら」という願いを込めた。

作文はこうつづられる。

私が初めて弟を「普通ではない」と感じたのは小学校2年生の時だった。

友だちから特別支援クラスに通う弟のことを「障がい者なの?」と聞かれた。5年生のときにはやんちゃな同級生から「お前も同じ障がい者なんじゃないの?」と言われ、自分のことがわからなくなる。

私はそれから時々、自分は「普通の人」ではないのかもと思うようになった。

その複雑な感情は親にも友だちにも話せなかった。高校に進学し、弟のことを友だちに打ち明ける。友だちは思いを受け止め、理解してくれた。この友だちを一生大事にしたいと思った。そして、「普通の人」について考える。

私は幸せを十分に感じて過ごしている。弟も同じだ。毎日、たくさんの思い出を作って、成長している。私たちに何の違いがあるだろう。

川崎さんは誰かとかかわる時、最初から障がいの有無で区別するのではなく、まず「みんな同じだ」という意識を持ちたいという。そう思ってくれる人が増えることで世界はもっと美しくなると訴え、作文は終わる。

川崎さんは昨年12月20日に県庁で河野俊嗣知事から入賞の盾をもらった。授賞式のあと、「作文が障がいをもつ人や回りの人たちのためになればと思って書きました。読んでくれた人が心にとどめてくれたら」と話した。将来は看護師のような、人のためになる仕事に就きたいという。

作文の高校生部門には全国から436編の応募があり、9編が入賞した。入賞作品は内閣府のホームページで読むことができる。(大畠正吾)
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令和3年度「心の輪を広げる体験作文」 「障害者週間のポスター」入賞作品集

すべての人々が幸せでありますように 川﨑 海晴(宮崎県立妻高等学校2年 宮崎県)

私は五人家族だ。父、母、姉、私、そして普通とはちょっと違う弟。弟は生まれつき心臓や精神面において、人より少し気を遣わなければならない。毎朝毎晩、薬を服用しなければならない。
私が初めて弟を「普通ではない」と感じたのは小学校二年生の時だった。

「弟って障がい者なの?」
友達が放ったこの一言に、私がどのような反応をしたのか、今では全く覚えていない。弟は私と同じ小学校の特別支援クラスに通っていた。だから友達はそのような発言をしたのだろう。また幼さゆえに、相手に対する配慮も悪気もなく、思ったことを口にしたのかもしれない。私が友達の立場だったら、同じことを言ってしまったかもしれない。ただ、今回は私が言われる立場だった。そして小学五年生になった頃、私は「普通」がわからなくなっていた。

あれは私が友達と仲良く、教室でおしゃべりをしていた時だった。クラスメートのやんちゃな男子が突然こう言った。

「お前も弟と同じ障がい者なんじゃないの?。」

この言葉を聞いた瞬間、私は石のように固まってしまった。友達は私に気にしちゃダメだよと声をかけてくれた。先生はその男子を叱った。その時私は思った。言われたように私は普通ではないのではないだろうか。混乱して、自分のことが自分でもよくわからなくなってしまった。このような感情が生まれたのは初めてだった。

私はそれから時々、自分は「普通の人」ではないのかもと思うようになった。親にも姉にも友達にも、もちろん弟にも話すことはできなかった。自分がわからなくなる小学生なんているのだろうか。その時の私は、とにかく怖くてしかたなかった。

中学校を卒業し、高校に進学した。高校では私の周りは一変した。知っている人がほとんどおらず、新しい環境になった。私は楽しい毎日を送っていく中で、弟のことを極力友達に話さなかった。弟が「普通の人とは少し違う」ということを知られるのが怖かった。けれども二年生に進級した時、友達に弟がどこの高校に通っているのかと聞かれた。私はあまり話したくはなかった。しかし大切な友達に嘘はつけないし、つきたくなかった。弟のことを他人にこんなに話したのは初めてだったと思う。話した後の沈黙が恐ろしかった。もうダメだと思った時、友達は笑い出した。彼女は私に「変わらないさあ」と言った。そして私のことを大好きだと言ってくれた。私のことをいたわってくれた。これまでの私の思いを受け取って理解してくれた。私はこれまで毎日毎日怯えながら生きていたわけではない。ただ、私や弟のことを、誰かに受け止めてほしかった。私はこの友達を一生大事にしたいと痛いほど強く思った瞬間だった。

私は今、この機会に、私をこれまで大切に育ててくれた母に、初めてこのことを打ち明けたいと思っている。この文章を読んでもらいたい。母はどんな気持ちになるだろう。けれども私がずっと重く悩んでいたというように深く考えないでほしい。娘のいつものおみやげ話として読んでくれたら嬉しい。

そして私は「普通の人」って何だろうと思うようになった。私ははたして「普通の人」なのか、そうではないのか、今でも私にはよくわからない。ただ思うのは、人に障がいの有無を決定づけるのは、おそらくとても難しいということだ。私は今、生活に支障もなく毎日幸せを十分に感じて過ごしている。弟も同じだ、弟も毎日、たくさんの思い出を作って、成長している。私たちに何の違いがあるだろう。隣にいる友達や先輩と、車椅子で電車に乗っている人とどんな違いがあるだろう。皆同じように、日々喜怒哀楽を感じながら、自分の人生を一生懸命に生きている。誰かとかかわる時、最初から障がいの有無で区別するのではなく、まずは皆同じだという意識から始めたいと思う。少なくとも私はそうしたい。生きている誰しも同じ人間だから。そう考える人が増えることで、少しでも一人一人が平等である世界を築けたら、その世界はもっと美しくなるだろう。

すべての人々が幸せでありますようにと私はいつも願っている。

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障害児のきょうだいの事はこのブログでも扱いました。
障害を持つ子どもの「きょうだい児」 2020/04/02
不登校になった「きょうだい児」 2021/07/08
そこでも書いたことですが、一般的に言うきょうだい児問題は幼少期の問題ですが、障害のあるきょうだい児の問題は成人になっても続き、親亡き後の問題や、結婚問題なども深刻にとらえている人は少なくありません。家族だけで支え合うのは困難で、公的な相談支援や同じ境遇のきょうだい同士のピアカウンセリングなどをすすめていく必要があるということです。

川﨑海晴さんは、親友に話してやっと心に閉じ込めた弟の秘密を解放しました。きょうだいは、当事者と自分の関係性のことだけを考えているのではないという事が、この作文からわかります。普通とは何か、自分は普通なのかとういう問いから、もう一方で皆ぞれぞれの人生があり、それぞれに生きているという事においては全て同じでそれ自身が尊いことだと、違う事が同じだと言う多様性社会や共生概念にたどり着きます。障害者のきょうだいだからたどり着けるチャンスがあったとも言えます。

城ガール

空前の大ブームを迎えている日本の城。各自治体が発表した2018年度の統計によると、有料入城者数が200万人を超えた城は、大阪城、名古屋城、二条城。これは統計を取り始めてから初めての数字で、その波に乗り遅れまいと、城を観光資源として観光客誘致を図る自治体も続々と名乗りを上げている模様です。

ここ数年、沸き起こっている世の中のブームをみると、その多くは女性たちが牽引しています。鉄道好きの“鉄子”や、広島カープが好きな“カープ女子”等々、元気があるジャンルには女性の大いなる関心が欠かせません。歴史関連のムーブメントをみると、いわゆる「歴女」、すなわち“歴史好きの女性たち”です。刀剣ブームは「刀剣女子」、神社仏閣の御朱印ブームは「御朱印ガール」と呼ばれますが、ついにこの流れが城にも及び、“城ガール”という呼び名が生まれるに至っています。実際、城でも若い女性の姿を見かけることが当たり前になりました。

昨年末に横浜で開催され、3日間で延べ約2万人が来場した城イベント「お城EXPO」。このイベントでトークショーを行った日本城郭協会理事の加藤理文氏も、「年々、会場に若い女性の姿が増えているような気がします。男性しか来なかった時代を考えると、隔世の感があります」と、女性ファンの増加に驚きを隠せません。

城をテーマにした、携帯アプリ「ニッポン城めぐり」はGPS(位置情報)を使い、訪ねた城を攻略していくソフトです。使用する16万人超が18年に訪れた城をランキング形式で発表しています。これによれば上位7城は、江戸時代までに建てられた天守が現存する城。冒頭の有料入城者数1位の大阪城はこちらでは19位に沈んでしまう。城好きになればなるほど、本物志向なのかもしれません。

戦国時代末期の日本には、およそ2万以上の城があり、柵で囲っただけの砦(とりで)のような城も含めればその数は4万~5万にも及んだともいわれています。なお、これらすべての城に、城の象徴である天守が築かれていたわけではありません。江戸時代には、幕府への遠慮から天守台を築きながらも天守は築かれなかった城も多く、実際に天守が築かれていたのは100城をわずかに超える程度でした。そんな日本の城ですが、現代までに大きくわけて3度の危機に瀕しています。

1度目は、江戸幕府を開いた徳川家康が1615年(慶長20年)に発した「一国一城令」。家康は諸大名に対して居城以外のすべての城の破却を命じました。これにより城の数は約170城に整理され、約60の天守だけが残されました。2度目の危機は、明治維新後の1873年(明治6年)に出された、「廃城令」。これにより、多くの城は天守などの建造物を売却し、城跡は官公庁用地や軍事施設に転用されてしまい、1891年(明治24年)までに40城の天守が破却されました。そして3度目が、太平洋戦争による戦禍です。開戦前には20城の天守が残されていましたが、空襲により水戸城、名古屋城、大垣城、和歌山城、岡山城、福山城、広島城の計7城の天守が焼失。戦後まで現存したのは13城、しかし、1949年(昭和24年)の失火延焼により、北海道の松前城天守が焼失してしまいます。戦後、松前城が焼失したことにより、江戸時代までに建てられた天守が現存するのは、わずか12城だけとなり、そこから、この12城を『現存十二天守』と呼ぶようになったのです。

今ではすべて「天守」とされていますが、江戸時代には弘前城や丸亀城は幕府への遠慮から天守とは呼ばず「御三階櫓」と呼んでいた。現存十二天守のなかで唯一の山城、岡山の備中松山城です。備中松山城は、大松山、天神の丸、小松山、前山、の四つの峰からなる臥牛(がぎゅう)山全域に築かれた城で、標高430メートルの小松山に二重二階の小ぶりな天守が建てられています。近年の城ブームの火付け役となった雲海に浮かぶ天空の城・竹田城と同じように、秋に気象条件(10月下旬~12月上旬の晴れた日の早朝がベスト)さえ整えば、備中松山城も天空の城となります。「日本のマチュピチュ」とも呼ばれる石垣しかない竹田城とは違い、備中松山城は天守が雲海に浮かぶ城となります。

この城ブームの土台を作ったのは、もっと細分化された門オタ垣オタ瓦オタ籠りオタという超マニアの方々です。彼らは、城そのものではなく曲輪と城門の構造や石垣の組み合わせぶりや、城瓦の発掘をしたり、日本中の城の籠城戦術を考えて城模型を組み立ててバーチャル籠城を楽しんでいます。全国各地に飛び回って、その城の構築の歴史的物理的バックボーンを含めて調べつくすなんてとても魅力的な趣味だと思います。

香港政府が国安法の学校指導要領

香港政府が国安法の学校指導要領、6歳から法規定を勉強

2021年2月5日 午後3:58【香港ロイター】

香港政府は、昨年施行した国家安全維持法(国安法)について学校向けのガイドラインを出した。国安法で禁じる外国勢力の介入や政権転覆について6歳から教えることなどが盛り込まれている。

4日夜に公表された教育局のガイドラインは、民主化運動が盛んな香港を中国共産党の路線に沿うよう社会変革を目指す内容。

「国家の安全は非常に重要である。教師はこれを議論の余地のある問題として扱うべきでない」とし、教師は「国家の安全を守ることは全国民の責務であり、国家の安全について議論や妥協の余地がないと明確に指摘」すべきだとしている。

初等学校では、国歌の斉唱や「敬意をもって聴く」方法を教えるほか、警察や人民解放軍を香港を防衛してくれる機関として教える。国家分裂、テロリズムなど国安法で定める4つの処罰対象も教える。

中等学校では、中国が国際社会で直面する課題や機会、国安法の4つの罪について教育する。

インターナショナル・スクールや私立学校には異なるカリキュラムを認めるが、国家の安全の概念を正しく理解させる責任を負うとした。

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盗人猛々しいとはこのことです。自分たちは国際法も国際慣習も従わぬとして、東シナ海も南シナ海も占有して、武漢風邪でWHOが調査に入るというとWHO加盟の最大国にもかかわらず1年間も調査を遅らせて証拠を隠滅しました。チベットやウィグル、内モンゴル自治区での民族弾圧は人権意識などみじんもありません。そして、中国は香港特別行政区基本法で「1国2制度」を定めたのにそれも反故にしてしまいます。子どもに法は守るべきものだと言っても中国共産党の無法ぶりが際立つだけです。

そればかりか、中国共産党は自分の国以外での中国政府への批判も、今回の香港国安法で「外国の国家、機関、組織もしくは個人から直接的あるいは間接的に指示や統制を受けたり、資金やその他の援助を得る者」について、特定の活動を遂行することで国家安全保障に敵対しているとみなされた場合、当事者も支援者も有罪とするとしました。中国共産党が国家安全に敵対すると指定すれば何でもかんでも違法扱いするぞと言うのです。自分は国際法にも従わないが、自分の国の悪口を言うやつは国外でも処罰するという法に世界中が従えというのです。こんな法律を子どもに守れという国は、終わりが近いか世界を呑み込むかどちらかだと思います。

ワリエワが涙する奥で号泣「みんな金メダルを持っている! だけど、私は…」

ワリエワが涙する奥で号泣「みんな金メダルを持っている! だけど、私は...」

2022.02.18【THE ANSWER】

北京五輪は17日、フィギュアスケート女子フリーが行われ、ショートプログラム(SP)4位の17歳アレクサンドラ・トルソワ(ROC)は自己ベスト177.13点も及ばず、合計251.73点の銀メダル。競技後は涙を流し、大荒れに。「もう二度とリンクに戻らない!」「私はこのスポーツが大嫌い!」などと言い放ったという。その詳細をロシアメディアが伝えている。

17歳の感情は堪え切れなかった。最終滑走のSP1位カミラ・ワリエワ(ROC)にミスが相次ぎ、まさかの4位。トルソワの銀メダルが確定した。しかし、リンクサイドでワリエワがエテリ・トゥトベリーゼに抱きついて涙する後ろで、トルソワも涙ながらに何やら叫んでいる。声をかけたコーチのセルゲイ・ドゥダコフ氏に促された手を振り払う素振りも見せ、感情をむき出しにした。

中継シーンに映り、海外メディア関係者らも驚かせたシーン。ロシアメディア「championat.com」はその内容を詳報し、大荒れの理由を伝えている。ワリエワは「大嫌い!」とコーチの手を振り払いながら叫び、「人生で二度とリンクに戻らない! 私はこのスポーツが大嫌い! もうすべてが大嫌い!」と言い放ったという。

さらに「このスポーツが嫌い!」と繰り返しながら、セレモニー出席を拒否。「みんな金メダルを持っている! だけど、私は持っていない。私はこのスポーツが大嫌い。人生でもう二度とやらない」「こんなのありえない、そんなのダメよ! そんなのダメよ!」などと怒りを露わに。声をかけようとしたコーチのエテリ・トゥトベリーゼ氏に対しても「いやよ! あなたはすべて知っていた。あなたはすべて知っていた」と遮ったという。

トルソワは4回転ジャンプ5本という異次元の構成に挑戦し、自己ベストを更新。しかし、金メダルのアンナ・シェルバコワ(ROC)に次ぐ2位だった。「みんな金メダルを持っている!」との発言の心中を察すると、19-20年シーズンのシニアデビュー以来、トルソワはグランプリ(GP)ファイナル、世界選手権、ロシア選手権など主要大会は2、3位続き。ワリエワ、シェルバコワらに先を越され、悔しさが爆発したことが涙の理由のようだ。

記事では「トルソワが2位になって激しく泣いた。フィギュアスケートをやめるぞと脅し、トゥトベリーゼ氏を非難していた」と紹介。「アレクサンドラ・トルソワは信じられないことをした――完全に五輪の記録となる5本の4回転ジャンプを跳んだ。しかし、そのような達成をもってしても彼女は2位だった」とシェルバコワに及ばなかったことを伝えている。

トルソワは一度は拒否したセレモニーにしっかりと出席。冷静さを取り戻し、出席した会見では5本の4回転ジャンプを跳んだことに満足した一方、結果が及ばなかったことの怒りと失望があったことを明かしたという。

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同じ17歳のメダリストでも、「アイスや、梅干し、いかの天ぷらなどが好きなので食べたい。あとは家族と一緒にたこ焼きパーティーをして、友達にメダルを掛けてあげたい」とインタビューに応えた、スノーボード女子ビッグエア銅の村瀬心椛(ここも)選手とは大違いです。まぁ、そこまで勝ち気でないとあのロシアスケーター勢の軽やかな滑りは会得できないとも言えますが、同じ選手団の仲間までディスるとは潔さがなく興覚めです。

しかし、この言動の背景にロシアの金まみれのメダル至上主義が垣間見えます。ロシアは金メダル一つで数億の金がスポンサーから約束されています。そこにコーチや監督が群がり、若いアスリートはその道具のような扱いを受けているから、こんな発言が出てくるのだろうと思います。ドーピング違反のワリエワは競技に参加できても受賞は暫定なのでその結果如何で、スポンサーは離れ、今後どんなバッシングが続くか15歳でも十分にわかるのがロシアのスポーツ界なのでしょう。演技に失敗するほどの動揺があるのは十分に理解できます(それでも十分に美しい滑りですが・・・)。

先日のスノーボード女子ビッグエア4位の岩淵選手の、渾身のトリックへの勇気を讃えて皆が駆け寄って抱き合う光景はロシアのフィギュアスケート界にはあり得ないのだろうなとも思います。五輪アスリートは若者だけではありませんが、それでも若者の祭典には違いありません。一瞬の技に賭ける清々しいアスリート像というと傲慢な視聴者目線だと言われそうですが、岩淵選手に集まったアスリートの行動こそ子どもたちに伝えたいオリンピアン精神だというのは間違いないです。

魅力的な声

表情豊かな歌声、深夜ラジオの心に染みる語り口……。ふと耳にした魅力的な声に、思わず耳をそばだてたことがあります。人の声は、私たちの心に思いのほか強く影響を与える。うっとりするような声に心が軽やかになったり、もっと聞いていたいと感じる一方、ゾワッとする声で不快感を覚えることもあります。影響するのは他人の声だけではありません。声は、自分の心とも密接につながっているといいます。

誰でも、その人本来のいい声を持っています。全身を使って深い呼吸をすると、体のゆがみや滞りが取れて、自然にいい声が出ます。そんな声が体の中に響くと、声を出すだけで全身が気持ちいいし、心も心地よさで満たされます。もちろん、いい声を聞いた相手にも心地よさが伝わります。

声は「体」「心」「呼吸」と直結します。いい声が出る体は凝りやゆがみがなく、呼吸も深いです。自分と相手を心地よくするので、人間関係のストレスも解消できます。しかし、実際にそんな声を出している人は少ないです。それは、私たちの体がいろいろなクセを抱えているからです。姿勢のクセ、動作のクセ……。体のどこかが常に緊張し、不自由にゆがんでいます。緊張を手放せない体は、それ自体がストレス源として知らず知らずのうちに気分を落ち込ませ、いらだたせます。
 
そして深く呼吸できない体が発する声は、詰まった感じで通りが悪いです。そんな声は、相手にも不快な感じを与えがち。会話は弾みにくいし、いい関係を築くのに余計な苦労がいります。いつも人間関係で悩むという人は、声の出し方の問題なのです。「声の響き」という実感をバロメーターにすれば、体の変化を自分で感じやすいです。今の声が普通と思っているから気づいていないけれども、滞りが取れて声がスコンと通れば気持ちいい事が実感できます。

いい声が出る体は、ベースに心地よさが宿り、気分が安定します。呼吸が深く、ストレスに強くなり、多少のことでは心が揺らぎにくいです。重要なのは深い呼吸とゆっくり吐く息です。そしてその声が、周りの人にも心地よさを広げます。まさにいいことずくめです。これが、子どもの支援には欠かせないのです。