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パラリンピックで子どもの観戦検討 学校連携プログラムで政府ら

パラリンピックで子どもの観戦検討 学校連携プログラムで政府ら

2021年8月7日 【東京新聞】

24日開幕の東京パラリンピックを巡り、一般観客を入れない場合でも、自治体や学校単位でチケットを購入してもらう「学校連携観戦プログラム」で子どもたちの観戦機会を確保する案が関係機関で検討されていることが6日、分かった。複数の関係者が明らかにした。会場がある自治体の児童や生徒に限れば「直行直帰」で、新型コロナウイルス感染拡大防止との両立を図ることができるとの見方が出ている。

組織委によると、パラの会場は東京都のほか、埼玉、千葉、静岡各県にあり、実施には組織委や自治体間の調整が必要になる。

政府筋は6日、会場での観戦は子どもたちにとって貴重な経験になるとして、パラの学校連携観戦を検討したい意向を示した。組織委関係者も、入場を子どもたちに限り、往復の交通手段などを工夫すれば、会場での観戦は可能との見方を示している。

パラの観客対応は8日の五輪閉幕後、政府、東京都、組織委、国際パラリンピック委員会(IPC)などの代表による5者協議で判断される見通し。

東京パラリンピック日本代表選手団の河合純一団長は5日、千葉県庁で熊谷俊人知事と面会し、学校連携観戦による観戦機会確保を求めた。(共同)

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菅首相 東京五輪「感染拡大につながっていない」 パラリンピック観客は「5者協議で判断」

2021年8月6日 【東京新聞】

菅義偉首相は6日、広島市内で記者会見し、東京五輪開催が新型コロナウイルス感染者の急増に関係しているという見方について「これまでのところ、五輪が感染拡大につながっているという考え方はしていない」と重ねて否定した。水際対策や選手・関係者らの行動管理を徹底していることを理由に挙げ、「東京都の繁華街の人流は五輪開幕前と比べて増えていない」とも指摘した。

一部の専門家などが主張する緊急事態宣言の全国拡大に関しては「地方の事情を判断する必要がある。独自の感染対策もある」と、慎重な姿勢を示した。

24日開幕のパラリンピックを有観客で開くかどうかは、五輪閉幕後に国際パラリンピック委員会(IPC)などと行う5者協議で決めると説明。31日まで東京都などに緊急事態宣言が発令されていることを踏まえ、「宣言下でのスポーツイベントの一般ルールや、今後の感染状況が判断材料になる」と述べるにとどめた。(井上峻輔)

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それなら,なんで五輪前に言わないのか,熊谷知事が学校連携観戦を決断した後でも,いくらでも子どもの観戦計画はできたはずです。「柳の下の二匹目のドジョウを狙う」諺にもあるように,主体性のない模倣はすぐにぶれそうな気もしますが,方向性は間違っていないと思います。そもそも「無観客試合」は人流が感染を広げるというエビデンスのない感情論の高まりに押されて決まったようなものです。本気で言っているなら,毎日に何百万人も通勤に使う山手線や甲子園の高校野球やプロ野球観戦こそ止めなければなりません。

無観客試合にしても,盛り場を閉じても陽性者数の増加は止まりませんでした。若者に陽性者が多いのは老齢者がワクチンを打ち終えた証です。重症者ベッド数が足りないと何度も報道されますが,重症者のベッド数を増やしていないことは報道されません。この原因は1.4兆円ものコロナ医療予備費に手を付けなかった役人と医師会のサボタージュです。子どもの重症化例は例外1例を除いて全て無症状か鼻水程度の軽症です。何より世界の陽性者数より二桁少ない我が国の現状を見れば,子どもの観戦を止める理由が見つかりません。

東京2020+1:ホンジュラスがんばれ! 児童らゴール裏で観戦 鹿嶋 /茨城 | 毎日新聞

「パラリンピックは学校観戦を」選手団長らが千葉県に要望

「パラリンピックは学校観戦を」選手団長らが千葉県に要望

08月05日 【NHK】

東京パラリンピック日本選手団の代表らが5日、競技会場のある千葉県の熊谷知事のもとを訪れ、学校連携観戦チケットによる子どもたちの観戦を実現させるよう要望しました。

東京パラリンピック日本選手団の河合純一団長とJPC=日本パラリンピック委員会の鳥原光憲会長は5日、千葉県の熊谷知事のもとを訪れました。

東京パラリンピックで千葉市の幕張メッセでは4つの競技が行われることになっていますが、河合団長らは無観客での開催となった場合も学校連携観戦チケットによる子どもたちの観戦を実現させるよう求める要望書を熊谷知事に手渡しました。

河合団長が「限界に挑戦するパラアスリートの活躍を見ることで子どもたちに気づきを与えたい」と述べたのに対し、熊谷知事は「コロナの収束が見通せない状況が続くが、当事者の声として要望を重く受け止めて今後の大会組織委員会との協議にあたっていきたい」と応じました。

会談の終了後、河合団長は記者団に対し、「コロナが厳しい状況で安全・安心は確保されなくてはならないが、パラアスリートの姿を子どもたちがライブで見ることが、彼らの未来に貢献できるということを訴えていきたい」と話しました。

河合団長らは今後、東京都など競技会場があるほかの自治体や大会組織委員会にも同様に要望を伝えるということです。

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パラ選手団は,沈着冷静な熊谷知事だからこそ目を付けたのでしょう。2019年9月千葉県を襲った台風15号で千葉県内のライフラインがズタズタになったときも,市長でありながら県知事よりも素早く首長間で連絡を取り復旧に尽力したことが思い出されます。それでも,物資が不足して市民生活は自粛を余儀なくされます。そんな時に,みんなが我慢しているのに支援学校の子どもが水遊びをして不謹慎だと市役所に苦情が入ったのです。熊谷市長はそんな自粛は求めていないし,しなくていいとSNSで一蹴した経過があります(自粛はご遠慮下さい: 2019/09/17) 。

今の状況とよく似ています。大変だ大変だと大騒ぎをして,被害を受けていない関係のない人まで騒ぎに巻き込んでいく風潮を打破するのは東京都でもなく政府要人でもなく,熊谷知事だと白羽の矢を立てたのだと思います。現に千葉県は無観客試合と決めた後でも,感染予防をしながらサッカーなどを子どもたちに観戦させています。以前,人口比で東京の5%しか陽性者のいない陽性率順位45位の岩手県が,子どもにソフトボール女子の観戦もさせなかったことについて非難しましたが,千葉県の陽性者は東京の50%,陽性率全国4位にもかかわらず,知事はぶれずに観戦させています。

今回も,ロックダウンしか方法がないと嘆く専門家ばかりをテレビに登場させ,軽症者を自宅で待機させるとは何事かと怒る人は映すが,政府予算のコロナ医療支援の1.5兆円を厚労省が使わずに余らせているサボりの事実は報じない偏向報道を,きちんと見抜いている首長がどれだけいるのか疑問です。政府には難癖をつけながら,これから始まる甲子園での夏の高校野球大会やプロ野球を感染予防のために中止しろと言うメディアは聞いたことがありません。スポンサーには頭が上がらないとは言え,あまりにもの二枚舌に辟易します。そんな中で,パラ観戦を熊谷知事はどう考えていくか見守りたいと思います。

発達障害児らの裸動画撮影、暴行の放課後デイ職員に懲役3年判決

発達障害児らの裸動画撮影、暴行の放課後デイ職員に懲役3年判決

2021/8/5 【神戸新聞NEXT】

兵庫県尼崎市内の放課後等デイサービス施設に通う発達障害児らを裸にして動画を撮影したり、暴行を加えたりする行為を、元職員の男(28)=兵庫県宝塚市=が繰り返していた。子どもを虐待から守るはずの職員が、なぜ道を踏み外したのか。神戸地裁尼崎支部であった公判で、動機と経緯が語られた。

7月5日、男は強制わいせつや児童買春・ポルノ禁止法違反、暴行などの罪に問われて判決公判に立ち、裁判官に懲役3年の実刑判決を言い渡された。

「警察の方から確認のために写真を見せられた時、涙があふれ出た」
公判で被害児童の親が代理人を通じ、事件を知った時の衝撃を伝えた。愛する息子が下着を脱がされ、おもちゃのように扱われている様子が映っていた。

「その日の送迎でも、被告と普通に会話していたことが、信じられない」
男は社会福祉士の資格を持ち、施設ではセンター長という責任ある立場で保護者からの信頼も厚かった。

判決によると昨年3~8月、施設の同僚と共謀するなどし、利用者の男児4人にわいせつ行為や暴行を繰り返してきた。検察によると、2019年12月ごろ、男は裸の男児の下半身をスマートフォンで撮影し、共謀した同僚と笑い合うと行為はエスカレートしていった。

20年4月には、当時9歳の男児の下着を脱がせた後、右足をつかんで無理やり開脚させ、動画を撮影した。当時11歳の別の児童には、三角座りをした背後から同僚が膝を持って抱え上げ、尻を突き上げるようにした上で、男がズボンや下着をまくり上げていた。頭部を平手でたたいたり、足で踏みつけたりもした。

動画には小さい体で必死に抵抗し、嫌がる表情が映っていたという。男は逮捕後、「泣いて嫌がる反応を見て欲求が満たされた」「動画を撮る方が反応がよかった」などと話した。

児童たちは精神的に追い込まれても、助けを求められなかった。1人は髪の毛をむしり始め、別の児童は自宅で無心に児童虐待の動画を検索するようになった。「SOS」を出し続けていたのだ。発覚経緯の詳細は明らかにされなかったが、通学する小学校が異変に気付いた。

法廷で歩きづらそうに証言台に向かう男はつえを握っていた。拘留のストレスで適応障害になり、手足がしびれるようになったという。

「自分がなぜこんなに重い罪を受けないといけないのかと思っていた」と当初は反省の色もなかったが、保釈後にニュースで大きく取り上げられる自分の名前を見て、事件の重大さに気付いたという。

男は被告人質問で、妻から1冊の本を受け取ったことを打ち明けた。

タイトルは「おかあさん、お空のセカイのはなしをしてあげる」。一人の少女が母親に、胎児の時の記憶を話すというエッセー漫画だ。なんで私は生まれたんだろう-。子どもの目線から、生まれてきた奇跡と喜びが描かれている。

妻からの「罪の大きさに気付いてほしい」というメッセージに、男はうつむきながら「自分たちに子どもができて、もし同じことをされたら絶対に許せないと思った」と漏らした。

裁判官は判決の最後に付け加えた。「(誰しも)子どもの行動を見て笑うことはある。しかし、あなたの行為は子ども本人、彼ら自身を笑っている。これは絶対に許されない」

なぜ男は児童たちを「人」として見ることができなかったのか。公判が終わり、足を引きずりながら法廷の奥へと消えていった。

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施設や学校での児童虐待の報道を扱うのは気分が悪いものですが、この事件はどこでも起こりうると考えています。物言えない弱者である児童や障害者、老人、病人を相手にした卑劣な犯罪ですが、当事者は露にも犯罪とは考えていないから、次から次に起こっているのです。記事のように保護者からの信頼があったからと言って虐待のリスクが低いとも言えません。

虐待は世代を超えて連鎖すると言います。専門家は、家庭で虐待を経験していることが当事者の虐待行為の「引き金」になっていると分析しています。子ども時代に親の力で支配され続けて、自分を大切にする気持ちが育たなかったことが、虐待行為につながっているというのです。「自分を大切にできなければ他者も大切にできないわけで、そこに暴力の連鎖の問題とか、思春期以降は性の問題と出てきて、力で支配する、あるいは力で支配された者が力で支配する、そういう循環が起こりうるのだろうと思います」と話しています。

誰もが100%親の愛情を受けてきたかどうかの保障がないのは仕方がないことです。それは、その人が成人したあと子どもに対してどういう感覚を持つかと言う結果論だからです。しかし、虐待の様々な事実と先に述べたような心理的なメカニズムを知ることによって、自分にもリスクがあると知ることが予防法になるはずです。

このような虐待の当事者を生んでしまうのは、周囲の大人、「行動しない傍観者」の問題だと考えます。虐待など自分は加担しないと思っていても、暴言や暴力の前に竦んでしまい告発が遅れてしまうのは、それを見ている職員もその虐待に傍観者として加わるリスクがあったと考えるべきです。

子どもに関わる人誰もが良い人であってほしいという願いは大事にされるべきですが、現実には何の保証もありません。傷ついた子どもの心は、簡単には癒すことはできません。自分の職場で虐待や傍観をどう防ぐのかは、記事ような虐待の事実を直視し、自分にも同僚にもそのリスクがないかどうか常に問い続ける具体的な取組が求められます。

四十住さくらが「金」・開心那は「銀」

四十住さくらが「金」・開心那は「銀」、岡本碧優4位・・・スケボー女子・パーク

2021/08/04 【読売新聞】

東京五輪の新競技・スケートボードは4日、有明アーバンスポーツパークで女子パーク決勝が行われ、 四十住よそずみ さくら(19)(ベンヌ)が60・09点でこの種目の初代女王に輝いた。夏季五輪で史上最年少の日本代表の12歳・ 開ひらき心那ここな (WHYDAH GROUP)が2位、岡本 碧優みすぐ (15)(MKグループ)が4位。

7月26日にスケートボードの女子ストリートで西矢椛(もみじ)(13)(ムラサキスポーツ)が「金」で日本勢史上最年少のメダルに輝いたが、今月13歳になる開はこれを更新した。開と同じ2008年生まれで、母親が日本人、宮崎県出身のスカイ・ブラウン(13)(英)が3位。

パークはおわんを複数組み合わせたような複雑なコースを舞台にして滑り、技の難易度や速さ、全体の構成、独創性などを競う。スノーボードのハーフパイプのように、傾斜を利用し、空中に飛び出すエア・トリックが見所。

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「12歳の頃は学校帰りに雑草食べてたぞ」・・・躍動する10代選手と比べため息

8/4(水)【読売新聞】

東京五輪は4日、スケートボード女子パークが行われ、10代の日本人選手が3人とも予選を通過し、決勝に進出した。ツイッターでは、華麗な技に驚く声と「それに比べて自分は…」とため息を漏らす投稿が相次いでいる。

この種目には、夏季の日本人選手で史上最年少出場の12歳、開(ひらき)心那(ここな)のほか、15歳の岡本碧優(みすぐ)、19歳の四十住(よそずみ)さくらが出場。開は、競技後のインタビューで、練習で未挑戦の技を予選で成功させたことを明かすなど、強心臓っぷりにも注目が集まっている。

ツイッターでは「おっさん12歳の頃は学校帰りに雑草食べてたぞ」「12歳の時なんてクワガタ捕りと釣りしかしてなかったで。まあ、今も変わらんけど」など、12歳の頃を思い返す投稿があふれている。

予選を2位で通過したのは、英代表のスカイ・ブラウンで、こちらも7月7日に13歳になったばかり。日本人の母とイギリス人の父を持ち、スケートボード中の事故で頭蓋骨骨折の大けがから復活しての五輪出場だ。

今大会から採用されたスケートボードは、7月26日に行われた女子ストリートでも、13歳の西矢椛(もみじ)が日本史上最年少の金メダルを獲得し、16歳の中山楓奈(ふうな)も銅メダル。銀メダルのライッサ・レアウ(ブラジル)も13歳と、10代選手が表彰台を独占。SNSでは「表彰台に上がった3人の年齢の合計(42歳)と俺の年齢が大して変わらないという事に気付き戦慄(せんりつ)を覚えた」「13歳が金メダルか。それに比べて俺は何してるんだよ」と、若い選手と自身を対比して嘆く声が渦巻いた。

新種目に限らず、体操男子では19歳の橋本大輝が個人で金2つ、団体で銀の、計3つのメダルを獲得。同じく体操で団体銀メダル、個人総合で5位に入賞した北園丈琉(たける)選手は18歳。競泳男子200メートルバタフライで銀メダルを獲得した本多灯(ともる)選手は19歳で、陸上3000メートル障害で日本人初の7位入賞となった三浦龍司選手も同じく19歳と、今大会では若い世代の活躍が目立っている。スケートボードでさらに10代のメダリストが増えるか注目だ。

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10代の選手がゴールドラッシュを起こしています。昭和のおじさんがアソビと蔑んだスケボですが、その凄さ今回余すところなく見せてもらい、おじさんは正直ノックダウンです。スノーボードはボードとシューズがくっ付いているから跳べるのはわかるけど、ボードと靴がくっ付いてないスケボはなんで自在に空中が跳べるのと驚いています。身体とボードの動きを完全に同期させるなんてそれだけでビックリマークの連続です。

しかも、女子がコンクリート上で跳び回っているのです。メイクを失敗したら大けがするようなトリックを次々に跳んでメイクしていきます。子どもだからできるというけど、誰でも落ちたことはあるはずだからその恐怖感を乗り越える必要があります。それは、子どもだろうが大人だろうが同じです。喝さいを浴びているメイクは何度も何度も練習して恐怖感を乗り越えてきた賜物です。みんなおめでとう!

政府が乗り出した「ギフテッド教育」の功罪

政府が乗り出した「ギフテッド教育」の功罪 業界の権威は「方向を間違えると危険」

2021/08/03 【デイリー新潮】

〈「突出した才能の子(ギフテッド)」国が支援へ〉。そんな見出しが躍ったのは7月13日付の朝日新聞。記事によると、突出した才能を持つ“ギフテッド”と呼ばれる子どもは記憶力や言語能力などに優れながら、学校での学習に困難を抱えて不登校になる例もあり、文部科学省が支援を検討するという。

才能あれど学習困難とはこれいかに。文科省いわく、

「今年1月に中央教育審議会から出された答申に『特定分野に特異な才能のある児童生徒に対する指導』への言及があり、これに基づいて有識者会議を設け、7月14日に初会合を行ったばかり。どんな子どもを対象に、どんな支援をするか、すべてこれから検討します」

要は一切白紙だそうだが、念頭には米国の「ギフテッド教育」があると見られる。この分野の米国における権威であるスタンフォード大学・オンラインハイスクールの星友啓校長は、
「ギフテッド教育において特定の分野とは、学校での数学、国語などの課目やスポーツ、芸術などの分野で、上位10%に入る層を適切にサポートすることを目的とするものです。何万人に一人の天才を育てるというものではありません」

確かに、ギフテッドの子どもたちには“頭が良すぎるがゆえに周りから理解されない”などのケースも少なくないそうで、特別なサポートが必要であることもしばしばらしい。だが、星校長は「ここで誤解してはいけません」と注意する。

「ギフテッド教育について取り上げる日本の報道などを見ると、これまでの日本の教育制度の中で十分にサポートを受けられなかった学習・発達障害の子どもたちへの特別支援を単に『ギフテッド』の新しいラベルで呼び変えるニュアンスを感じます。しかし、ギフテッド教育は“支援”だけでなく、子どもの能力を“伸ばす”ことに目を向けたもので、方向を間違えると、ギフテッド教育も特別支援もどちらもサポートできなくなってしまう危険性があると思います」

うちの子は学校になじまないがゲームは上手い、発想力がすごい。これで認めてもらえる!そんなふうに喜ぶ親たちの声も聞かれるが、どこまで理解しているやら。

「週刊新潮」2021年7月29日号 掲載

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ギフテッドについてはこのブログでも毎日新聞の記事を取り上げてコメントしています「ギフテッド」の子、進まぬ理解 高い知能:07/15 )。ギフテッドには2種類あって、他者からも信頼を得る「英才型」の子どもと、「2E型」(twice-exceptional=二重に例外)と言って才能も飛びぬけているが社会的な障害もある凸凹な子どもがいることを前回コメントしました。この2E型の子どもには発達障害について理解をしてないとそもそも支援が始まりません。

先日もブログで、境界知能といわれる人の中に発達障害の方が含まれていると書いたように、ギフテッドではないけれど適切な支援が得られなくて本来の力が出せない能力が凸凹な子どももたくさんいるのです。ギフテッドの中には発達障害の人もいるけれど、ギフテッドではないが支援が受けられないことが原因で通常以下の学力しか発揮できない発達障害の子どもは多いです。

もちろん、才能の高い子どもを早い段階から見出して、公的に支援することは大事なことです。小学校からの飛び級だって認めればいいと思います。ただ、その一方で、本来の力も出し切れずにいる発達障害の子どもへの支援が、週1回の通級で間に合わなければ特別支援学級の在籍でしか対応できていない問題や、発達障害支援を専門としていない教員が支援学級を担当している現実について調査し解決する必要があります。

なぜ何もかもうまくいかない? わたしは「境界知能」でした

なぜ何もかもうまくいかない? わたしは「境界知能」でした

2021年7月30日 【NHK】

「勉強も仕事も結婚もすべてうまくいかず、気づいたら20年ひとりぼっちで過ごしていました」及川奈穂さん、57歳。これまでの人生は、苦労の連続でした。

勉強は小学校低学年からついていけず。仕事の覚えが悪く何度も職場から解雇される。人間関係もうまくいかず、結婚生活も長く続かなかった-
なぜ何もかもうまくいかないのか?検査を受けて告げられたのは「境界知能」でした。(大阪拠点放送局 ディレクター 磯貝健人)

「境界知能」とは、知能指数の「境い目」の部分
「境界知能」とは、いったい何なのか。「境界知能」は、知能指数(=IQ)に関係して、専門家の間で用いられている言葉です。「知能指数」で、「平均的」とされる部分と、「障害」とされる部分の「境い目」にあたるところが、「境界知能」と呼ばれています。当事者の及川さんは、「その実態を知って欲しい」と、今回取材に応じてくれました。

すべてがうまくいかなかった人生
及川さんは、群馬県高崎市で1人暮らしをしています。料理や洗濯、掃除などの家事はすべて自分で行っています。私たちの質問にも、ひとつひとつ丁寧に受け答えをしてくれ、何十年も前の出来事を細かく覚えているのが印象的でした。

一見、何の不自由もないように見える日常生活。何もかもうまくいかないとはどういうことなのか。「実は買い物で困ることが多いんです」と及川さん。私たちは、スーパーでの買い物に同行させてもらいました。この日、買いに来たのは乾電池。値段の異なる2種類の乾電池を手に取ると、及川さんはその場でしゃがみ込んでしまいました。2本で329円と4本で398円、どちらが割安か…

外出時には常に持参しているというメモ帳を使って、計算を始めました。
「2本で329円だから、4本だと600円と…」
電池の購入を決めるまでに、約8分かかりました。

及川奈穂さん
「何かを素早くするということが、どうも苦手で…。時間を気にしないでいいなら、出来るんですが…」

障害者のクラスに入るも 通常クラスへ戻され…
及川さんが、周囲との違いに最初に気づいたのは、小学校低学年のころ。算数が苦手で、授業についていくことができなくなりました。そのため、障害のある子どもたちのクラスに入ることになった及川さん。しかし、周りに比べると、学習に支障がないと見なされ、すぐに通常のクラスに戻されました。

及川奈穂さん
「普通にできることもあって、周囲からはやる気がない、怠けていると見られることが多かったんです。私は私なりに一生懸命やっているのに、なんで怒られなきゃいけないのかなとか、悲しくなりました」

パンの名前覚えられず 数字も弱く
当時を思い返しながら語る及川さん。その目には涙が浮かんでいました。不自由さを抱えながらも、通常の教育を受け、高校へと進学。専門学校を卒業した後に社会に出ると、新たな壁が立ちはだかりました。

パン屋で働いていたときのことです。何度教えられても、商品を決められた場所に並べることができません。カタカナの多いパンの名前の覚えられないことが原因でした。数字にも弱く、レジ打ちでのミスも目立ちました。周囲からの冷たい視線に耐えられず、退職を余儀なくされました。

及川奈穂さん
「これ以上、わたしがここにいてはいけない空気を感じとってしまい、自分から申し出て辞めることにしました。職場全体がそういう雰囲気になったことに耐えられませんでした」

検査の結果「知能指数が境界レベル」
その後に就いた仕事も長続きせず、10以上の職を転々とした及川さん。32歳のときに出会った男性と結婚しましたが、ほどなくして離婚。なぜうまくいかないのか-

35歳となった2000年、初めて病院で検査を受けることを決めました。そこで告げられたのは、思いもよらない結果でした。
「IQ73 境界レベル」
知能指数(=IQ)が、平均的ではないが、障害でもない「境界知能」だとわかったのです。

及川奈穂さん
「初めてみたときには、何が何だか意味がわからなかったです。本なんか読んでみると、確かに正常値ではないんだけれども、低いわけじゃないみたいな、そういう分かりにくいところなんです」

「境界知能」だと分かり 腑に落ちた
自分の知能指数が平均を下回っていたことにショックを受けたという及川さん。その一方で、結果がわかったことで“安堵した”ともいいます。

及川奈穂さん
「これまで勉強や仕事がうまくいかないと、『私の努力不足なんじゃないか』と感じていたし、親や周囲からもそう言われてきました。でも、境界知能だとわかり、腑に落ちたというか、サボっていたわけじゃないんだと救われた気がしました」

“生きづらさ” 周囲に気づいてもらえぬまま
「境界知能」とは何なのか、もう少し詳しく見ていきます。知能指数(=IQ)は、一般にIQ85-115が「平均的」とされています。おおむね70以下は、「知的障害」の可能性が考えられる範囲です。(※「知的障害」の基準は、自治体によって異なります)

その境い目にあたるのが、「境界知能」と呼ばれる領域です。その数は、統計学上は人口の約14%、1,700万人に上るとされています。専門家によりますと、この中には、知能指数とは別の指標で発達障害と認められる人もいるということですが、「境界知能」は「平均的とは言えないが、障害とも言えない」とされることが多いといいます。このため、その“生きづらさ”に、周囲に気づいてもらうことができないまま、人生を過ごしてきた人が多くいるとみられるということです。

「境界知能」は社会の認識不足が問題
医師として「境界知能」の人たちを診てきた青山学院大学・古荘純一教授は、「境界知能」は広く社会に認識されていないことが問題だと言います。

青山学院大学・古荘純一教授
「境界知能の人たちは、知能検査の結果だけでは知的障害とも発達障害とも診断されないため、教育や福祉の支援につながりにくいのです。また、自分自身も周囲の人も気づかないことが多々あります。こうした理解のなさが、当事者の人たちを苦しめてきました」

「境界知能」にあたることを初めて知った及川さん。
求職活動中の採用面接で、ある企業の人事担当者から言われたことを、いまも忘れることができません。

及川奈穂さん
「『あなたが障害者だったなら、受け入れられたんだけど、そうじゃないとわかったので、雇用することはちょっと厳しいですね』って言われました」

その企業は、法律に基づいて障害者を雇用していましたが、「境界知能」の及川さんは障害者に該当しないため、雇用できないと言われたのです。

及川奈穂さん
「私は私なりにすごく一生懸命仕事しているのに、障害者じゃないからだめと言われると、何をみて仕事をさせてもらえないのかと思いました。中途半端な人は、会社ではダメなのかと。境界知能の私は、一体何者なんでしょうか」

“負の連鎖”に陥っている可能性も
「境界知能」にあたる人たちが直面している困難に、もっと目を向けるべきだと訴えている専門家もいます。立命館大学の宮口幸治教授は、児童精神科医として、精神科病院や医療少年院で勤務した経験をもとに、そこで出会った境界知能の子どもたちの実態を書籍にまとめました。

2019年に発行されて以来、70万部を売り上げ、「境界知能」に関心が寄せられるきっかけとなりました。宮口さんが懸念しているのは、「境界知能」の人たちの間で、“負の連鎖”に陥っているケースもあるのではないかということです。

宮口さんが着目したのは、法務省が公開している令和元年の新受刑者の能力検査値のデータ。境界知能に該当する人(IQ70-84)は、人口の約14%。対して新受刑者の場合、「IQ70-79」だけで21%以上に上ります。

宮口さんは、次のような“負の連鎖”が起きていないか懸念しています。
『日常生活や勉強、仕事、人間関係などで困難を抱え、生きづらさを感じているにも関わらず、教育や福祉の支援を受けられずに社会的な孤立や経済的な困窮に陥り、罪を犯してしまうケースもあるのではないか。さらにはうつ病になって自殺をしてしまう、そういった悪循環も起きていないか』

立命館大学・宮口幸治教授
「境界知能の人たちの大多数は、社会規範を守って、普通に生活している。ただ、中には“負の連鎖”に陥っている人がいる可能性があり、そこにはしっかりと目を向けなければいけない」こうした“負の連鎖”に陥らないために、何よりも重要なのは、「早期発見・早期支援」だと宮口さんは指摘します。そのためには、「境界知能」や「障害」についての知識や理解が、社会全体に浸透していくことが欠かせないといいます。

早い段階から“トレーニング”で改善を
では「境界知能」の人たちに、早い段階からどんな支援ができるのでしょうか。

宮口さんは、小学校の子どもたち向けのトレーニング法を開発しています。
大阪の和泉市立国府小学校では、宮口さんが開発したトレーニング法を実践しています。

具体的にどのようなものかというと…
例えば、ひらがなや漢字が苦手な子どもが行うのは、「点つなぎ」というトレーニングです。点と点を結んで作られた絵を同じように描き写します。

なぜこうしたトレーニングをするのか?
字の習得が苦手な子ども場合、なぜ苦手なのかを分析すると、目で見たものの形を捉え、書き写す力が弱いからではないかと考えられています。このため、「点つなぎ」のトレーニングを毎日10分程度続けることで、ひらがなや漢字を習得する力を少しでも高めようとしています。

計算が苦手な子どもたちが取り組むのは、星のマークを5つずつ囲んでいくトレーニング。数をまとめながら足していく作業を繰り返すことで、計算するスピードを少しでも速めようとしています。この教室では、子どもの苦手な部分に合わせて、約30種類のトレーニングを行っています。

取り組みをはじめて5年。
この学校では、トレーニングを受けた子どもの約3割が、通常の授業にもついて行けるようになったといいます。宮口さんは、境界知能の人も、学習の土台となる「認知機能」の強化に取り組めば、状況を少しでも改善できると指摘します。

立命館大学・宮口幸治教授
「認知機能とは、見たり、聞いたりした情報を理解し、記憶する力のことです。国語や算数など学習の基盤になるこの力を伸ばすことで、伸びていく可能性があります。少しでも早くトレーニングを受ければ、改善する可能性は高くなります。出来ることが多くなると、自分に自信を持って成長していくことができます。周囲の人が、気づき、理解してあげることが大切だと思います」

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知能検査は、標準的な視覚や聴覚の力(視力や聴力の事ではなく視知覚や音韻意識という力)がある子どもを前提にして作られている検査です。従って知能に遅れがなくてもIQが低く出る子どもがいます。境界知能の子どもの中には、本来の知能は高くても、見え方や聞こえ方、数量感覚の弱さがある子どもが含まれています。これに大人が気付いて低学年のうちに専門的で適切なサポートをすることによって、3割程度の子どもが高学年になって知能検査をすると標準域にまで上がることが知られています。

知的障害(知的発達症)は能力の全般的な遅れを指しますが、軽度知的障害と言われる子どもの中は、部分的な弱さが原因で自信を失い学習性無力感に陥っている学習障害の子どもが含まれていると言われます。学習障害で効果の上がりやすい支援は人によって違いますが、宮口先生のコグトレ(認知機能トレーニング)は、視知覚が弱い人には効果があるトレーニング法なのだと思います。ドリル形式なので専門的な支援力量は必要としないので広がりやすいのだと思います。

ただ、文字を読むデコーディング(復号化)機能や文字を書くエンコーディング(記号化)機能に弱さがある人、発達性読み書き障害(ディスレクシア)のアセスメントや支援については、我が国ではまだまだ広がっていません。これは、我が国の読み書きの殆どが一音一文字という英語圏とは違う分かりやすさ(復号化・記号化の負荷が軽い)を持っているために、年齢の早い段階で発見できなかったことにあります。最近の我が国の調査では、ディスレクシアの比率は他人種と変わらず、軽度まで含めて知的障害のない人の1割程度を占めていることが分かってきました。

我が国の発達障害はADHDとASDという行動の問題は着目されやすいですが、学習障害は勉強の問題と勘違いされ軽視されがちです。学習障害の子どもたちの支援は、多様性社会を進めていくためにも、もっと重視されてもよいと思います。軽度知的障害の中に学習障害を抱えた人たちが多数いて、自尊心を失い就労も続かず負の連鎖・貧困の連鎖を世代間で作っていく話は宮口先生の言われる通りだと思います。及川さんの時代は知的障害を数値だけで厳格に決めていたのだと思いますが、今はIQが少々高くても生活全般に支障をきたしているなら障害を認めるようになっています。また、知的障害で診断が出せない時でも医師が学習障害などの発達障害を診断すれば精神障害手帳が出せるようになっています。

すべての先進国で男子よりも女子の成績が高い科学的理由

「驚愕の事実」すべての先進国で男子よりも女子の成績が高い科学的理由

7/30(金) 【プレジデントオンライン】

最先端の科学では人間の脳=こころの謎が次々明らかになってきている。著書『スピリチュアルズ「わたし」の謎』(幻冬舎)でその全貌を紹介した作家の橘玲氏は「すべての先進国では男子よりも女子のほうが成績が高い。男女に知能の差はないので、成績の差が生まれるのは『堅実性パーソナリティ』の性差が影響していると考えられる」という──。

※本稿は、橘玲『スピリチュアルズ「わたし」の謎』(幻冬舎)の一部を再編集したものです。

■歴史上の英雄には「多動力」タイプが多い
イギリスの心理学者ダニエル・ネトルは、「今日では障害とされている注意欠陥・多動性障害(ADHD)こそが、かつては強さだったかもしれない」と述べる(※1)。

ADHDと診断される子どもは堅実性スコアがきわめて低く、男の子の発症率は女の子の5倍と明らかに性差がある。

これは、(男の役割とされた)旧石器時代の狩猟で、目の前の刺激に対して素早く反応した方が有利だったことの名残だと考えられている。事実、プロスポーツの世界ではADHDの若者が成功している例がいくつもある。

堅実性が低いと「衝動的」「不真面目」「いい加減」などネガティブなレッテルを貼られるが、つねに不利なわけではなく、異性から「ぶっ飛んでいて魅力的」と思われたり、革命家やアジテーター、あるいは芸術家として成功することもある。

歴史上の英雄には、現代ならADHDと診断されるであろう「多動力」タイプが多い。

このことは、そもそもADHDが「病気」ではないことを示している。それは人類が進化の大半を過ごしてきた(旧石器時代の)環境では、きわめて有利なパーソナリティだった。

それが「発達障害」とされるようになったのは、わたしたちが生きているのが、人類の進化が想定しないほど「とてつもなく安定した社会」だからだ。その結果、本来であれば「正常」なパーソナリティが「不適応」になってしまったのだ。
※1 ネトル『パーソナリティを科学する』白揚社

■「女の方が男より真面目だ」といわれる理由
安定した現代社会では、「いま、ここの自分」より「いつか、あそこでの自分」に配慮できた方が有利なことは間違いない。とはいえ、堅実性スコアが高ければ高いほどいいというわけではない。

精神医学で強迫性パーソナリティ障害(OCPD)と呼ばれる症状は堅実性が極端に高く、全成人のおよそ2%がこの診断基準にあてはまる。

興味深いことに、OCPDと診断されるのは男性が女性の2倍で明らかな性差がある。特定のジャンルの商品を大量に入手し、完全なコレクションをつくることに人生を懸けたりする熱狂的コレクターも男に多い。

堅実性が極端に低いADHDは男が女の5倍で、堅実性が極端に高いOCPDは男が女の2倍ということは、堅実性の分布のばらつきが男の方が大きいことを示している。

その結果、(男が両極にばらついているのだから)堅実性の平均近くでは女の割合が高くなる。これが、「女の方が男より真面目だ」といわれる理由ではないだろうか(図表1)。

■男の子が劣化していく
アメリカにおいては、女子は小学校から大学まで、すべての学年で男子より成績がいい。

13歳と14歳の中学生で作文や読解が熟達レベルに達している男子は4分の1にも満たないが、女子は41%が作文で、34%が読解で達している。

2011年には男子生徒のSAT(大学進学適性試験)の成績は過去40年で最低だった。また、学校が渡す成績表の最低点の70%を男子生徒が占めていた。

これはアメリカだけの現象ではなく、OECD(経済協力開発機構)の調査によると、先進国のすべてで男子は女子より成績が悪く、落第する生徒も多く、卒業試験の合格率も低い。

スウェーデン、イタリア、ニュージーランド、ポーランドといった国々では、PISAテスト(15歳を対象とした国際学習度到達調査)の読解力部門で女子が男子をはるかに上回り、1学年から1学年半も先を行っているという結果が出た。これでは同い年の男女を同じクラスで教えるのは困難だろう。

カナダとオーストラリアでは、すでに大卒者の60%が女性だ。イングランドでは大学の入学申込者は女子4人に対し男子は3人以下、ウェールズとスコットランドでは、女子の申し込みが男子より40%も上回り、恵まれない家庭ではこのギャップがよりいっそう大きくなっている。

■知能が高いほど堅実性は低くなる
日本でも「女の子の方が男の子より優秀」と当たり前のようにいわれるが、男女の知能に(平均としては)差はない(男は論理・数学能力に優れ女は言語的知能が高いとか、知能のばらつきは女より男の方が大きいという研究はある)。

だとすればこれは、堅実性パーソナリティの性差が影響しているのではないだろうか。女の子の堅実性は平均付近に集まるのに対し、男の子は堅実性が高い方にも低い方にもばらついている。

その結果、堅実性が低い男子生徒が学校教育から脱落しはじめていると考えればこうした現象に説明がつく。

現代社会では、「賢くて真面目な子どもは成功する」と信じられている。これは間違いとはいえないが、奇妙なことに、知能と堅実性には(わずかに)ネガティブな関係があるらしい。知能が高いほど堅実性は低くなるというのだ。

これは常識に反するようだが、頭が切れるひとは前もって準備しなくてもうまくやれてしまうため、わざわざ手間暇をかけて訓練を積む必要がないと考えれば理解できるだろう。高すぎる知能は堅実性を引き下げる効果があるのかもしれない。

最後に「勤勉な日本人」と堅実性の関係だが、いまのところ人種別に堅実性スコアを比較した研究はないようだ。だが、ヒト集団で生得的なちがいがないとしても、日本人の堅実性のレベルが高く見える理由はシンプルに説明できる。

外向的なひとは欲望に向かう強力なエンジンをもっており、内向的な性格はエンジンの出力が弱い。これはアクセルを思いきり踏んでもスピードが上がらないのと同じだ。

大馬力のエンジンを制御するには強力なブレーキが必要だが、出力の弱いエンジンなら簡易なブレーキでもなんとかなる。内向的な(エンジンの馬力が小さい)日本人は、平均的なブレーキ(前頭葉の活動)でも堅実性スコアが高くなり、高い神経症傾向の影響もあって、電車の時間を1秒単位で管理するようになるのではないだろうか。

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ADHDは危険を恐れずに獲物を求めて新しい土地を探し続ける石器時代は有能であった人類の名残だと言われます。学習障害の中心的な問題である読み書き障害は、視空間記憶処理の良い人が生き残るのに有利だった狩猟時代の名残だと言います。文字文化を築いた農耕以降の社会は500万年の人類史のわずか数千年で0.2%に満たないのです。現代の発達障害は人類が生き残った証でもあり、進化の途中の姿でもあるわけです。

公立高校受験で問題なった、男女同数にするために男子に下駄をはかせる事はけしからんと言ったけど、サバイバル能力の両端に分布した男子よりも中央部に多く分布する女子の方が高得点を得るのは自明の理なので、男子が学力で負けるのは当たり前となんだか妙に納得してしまいます。しかも、男子のその両極端の分布があったから人類は進化してきたと言われれば、下駄をはかせることぐらいに目くじらをたてるのもいかがなものかと思ってしまうのです。

日本人はサバイバル能力のエンジンが小さいから前頭前野の働きが普通でも調整が効きやすく堅実性スコアが上がるが、一方で神経症的な気質を生むと言う話は、昨今の「コロナゼロ」「ステイホーム」に導こうとする集団神経症的な動きにも妙に一致しているように思います。・・・と書いている筆者などは堅実性スコアの低い、死をも恐れぬ石器時代人間ということになるのでしょうか。

スマホ利用増 悩む学校…子供視力低下 「1日2時間」制限も

スマホ利用増 悩む学校・・・子供視力低下 「1日2時間」制限も

2021/07/29 【読売新聞】

子供の視力低下が止まらない。新型コロナウイルスによる一斉休校や外出自粛で、スマートフォンなどデジタル端末に触れる時間が長くなったことが一因とみられ、専門家は屋外での活動や端末の利用制限などの必要性を訴えている。


東京都文京区の「こひなた眼科」では昨春の一斉休校後、近視の子供が例年より2割増えたという。藤巻拓郎医師(53)は「自宅でのスマホゲームや動画視聴、オンライン学習などが増えたためでは」とみており、「1日2時間を目安に学校で屋外活動を行うことや、端末の利用時間の制限が必要だ」と指摘する。

総務省によると、スマホでのネット利用率は年々増えており、昨年8月末時点で6~12歳が40・6%、13~19歳は81・4%に上った。

学校現場は、子供のスマホ利用に歯止めをかけようと頭を悩ませる。東京都内のある公立中では、各生徒にスマホなどの利用時間を「1日2時間まで」などと目標を決めさせ、自制を促している。スマホなどを使わない「ノーメディアデー」を設ける学校もある。

一方、コロナ禍で全小中学生への学習用端末の配備が前倒しされた。今年度からは大規模なデジタル教科書の実証事業が行われており、全国の約4割の小中学校(約1万2200校)で利用されている。授業で端末を使う時間が増えると見込まれる中、学校現場からは「授業中、端末の画面に目を近づけて集中している児童が何人もいて驚いた。視力に影響しないか」(東京都内の公立小学校長)など、心配する声も聞かれる。

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「スマホ脳」でのデジタルデバイス叩きもそうですが、何でもスマホや電子媒体が悪いという単純な帰結が多いので気になります。現代社会でデジタルデバイス(ICT機器)抜きに学習や仕事が成り立つのでしょうか?この手の報道は科学的な根拠はなく心配だけを煽ります。予防法も「時間制限」だけに単純化していますが、正しい使い方に触れていないので注意が必要です。眼から近い距離での作業は、紙の本を読むことも、電子デバイスを使って文を読むことも、極端なことを言ってしまえば机に向かって勉強をすることも、基本的には近視が進む原因になります。

スマホが問題視されているのは、長時間手元を見続けているとか、電子書籍のように文字を読むだけじゃなく、ゲームのようにチカチカするものをやっていることが多いからだと思います。デジタルデバイスが眼にとってどう影響があるのかは、デジタルデバイスを使って、「何を」「どうやって」見ているかにもよるので、デジタルデバイス自体が眼に悪い、と結論づけることはできません。

デジタルデバイスで文字を読むことが、紙の本を読むことに比べて、ことさらに眼に悪いということはありません。勉強をがんばることと、近視にならないことはなかなか両立しないことです。必要であれば紙の本であろうと、電子媒体の文字であろうと読むべきだと思います。電子書籍、電子媒体が今後主流になることは間違いないと思いますので、それを「眼に悪そう」という先入観で止めるのではなく、正しく使えばいいと思います。アメリカでは以下のようにしてデジタルデバイスによる近視予防法が提唱されています。

1.適切な距離を保つ
適切な距離とは、60センチくらいです。これは大体大人の腕の長さに保つということです。あまり近すぎたり、遠すぎたりするとピント調節に労力を要し非常に眼が疲れます。
2.グレア(眩しさ)を調節する
モニターが明るすぎたり、暗すぎたりすると眼が疲れます。光の量を調節する事が大切です。
3 .休憩を取る
長時間本を読んだり、モニターを見続けると眼精疲労になります。これ対しては「20-20-20ルール」というものがあり、20分ごとに20フィート(6メートル)先のものを20秒間見るという作業です。遠くのものを見ることによって、眼の緊張が取れます。
4.ドライアイ対策
モニターを見続けると眼が渇き、ドライアイの症状が悪化します。自覚のないドライアイの方も少なくありません。ドライアイ点眼薬をこまめに点し、保湿をしましょう。
5.部屋を明るくする
モニターを見る際に、周囲が暗いと余計に疲れます。周囲の照明を調節することが大切です。

このように5つのポイントを守ることで、モニターによる眼精疲労を防ぎ、延いては眼を守る行動をとることができます。日本近視学会の「親子で学ぶ近視サイト」というHPもあるので正しい知識を持ってICT機器を使うことが大切だと思います。

東京五輪、茨城県の小学生らが観戦

東京五輪、茨城県の小学生らが観戦

2021年7月27日 【日本教育新聞】

新型コロナウイルス対策として多くの会場が無観客となった東京オリンピックだが、茨城県では、学校連携プログラムで小学生らが観戦に訪れている。開幕に先立つ7月22日には、鹿嶋市の小学校の児童らが、茨城カシマスタジアム(鹿嶋市)で、男子サッカー予選の試合に見入った。

茨城県では、5日まで男女サッカーの試合が行われる予定。いずれも無観客だが、学校が主体となって児童・生徒が観戦する「学校連携プログラム」は実施可能とした。県内の44市町村のうち、鹿嶋、つくばみらい2市が参加を選択。他に、このプログラムを利用する私立高校がある。

22日にはニュージーランド対韓国戦が午後5時から始まった。その1時間ほど前に、バスで会場そばの駐車場に着くと、ボランティアの案内の下、徒歩でスタジアムに移動。試合開始前には、スクリーンで両国の選手の紹介や、手拍子を使った応援方法の説明などがあった。

試合では選手らが会場の外まで響く声を出しながら勝利を目指した。前半終了後、低学年の児童らが会場を後にした。午後7時には、他の児童がバスへと向かった。7時過ぎに、市立三笠小学校の代表児童が取材に応じた。「みんなで遊べない中、みんなでオリンピックを見られて楽しかった」などと話した。

同小学校では、試合に先立ち、韓国の国旗をあしらったうちわを用意。当日の応援に備えた。

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1964年から57年ぶりの東京五輪です。まさに一生に一度の機会ですが、IOCから招待されていた関東や東北の学校は、感染予防を理由に軒並み辞退していきました。このブログで何度も書いたように、本音は子どもの感染を恐れたからではないと思います。連日繰り返された、「コロナ怖いぞ」のメディアの大合唱の中で、児童の感染例は無症状か鼻水程度の軽症だと分かっていても、プロ野球やサッカーが連日スタジアムで開催されていても、感情的な人達のバッシングが怖くて断らざるを得なかった学校がほとんどでしょう。大勢と違う事を言ったら身の危険を感じるファシズム社会のようです。

結局、東京五輪は、東京都と神奈川、千葉、埼玉の首都圏3県、北海道、福島県の会場は全て無観客となりました。一方で、宮城、静岡両県は収容定員50%以内・1万人を上限として有観客で開催する方針です。茨城と千葉県でも学校連携観戦プログラムのみですが、観客を入れて開催します。宮城県や静岡県、そして子どもたちは招待した茨城と千葉県も知事が良く持ちこたえています。ところが、この中で感染者が最も少ない福島は、知事自らが無観客試合を選択してしまいました。人流という新しい言葉ができましたが、有観客にすることで都会からの人流で福島県の感染が拡大すると言うのです。

科学的な根拠は何もないまま、被災地復興のオリパラを無観客としただけでなく学校観戦もやめたのです。来場するのは地域の子どもたちなのですから茨城千葉のようにしても何の問題もなかったはずです。昨日13年ぶりの金メダルを獲得したソフトボール日本チーム。このオーストラリア戦もメキシコ戦も多くの小中学生が招待されていたはずです。そして今日は野球のドミニカ共和国戦が始まります。この福島での無観客試合でどれほどの予防効果があるのか、茨木千葉と何が違うのか、子どもたちに科学的に説明できる大人はいるのでしょうか。

「不登校に悩む子どもらの励みに」

「不登校に悩む子どもらの励みに」・・・自宅で過ごした6年、恩師らと乗り越え大舞台に挑む

2021年7月26日【読売新聞】

不登校を乗り越えたスイマーが、初めての五輪に挑む。28日に競泳男子200メートル背泳ぎの予選に出場する砂間敬太選手(26)(イトマン東進)。自宅で過ごした6年間は水泳と距離を置いた時期もあったが、才能を惜しんだ恩師らの励ましでプールに戻った。「不登校に悩む子どもらの励みに」。目標はメダル獲得だ。(山口佐和子)

なぜ不登校になったのか、自分でもはっきりわからないという。奈良県大和郡山市立小学校4年の時、急に学校に足が向かなくなった。「何かで休んだ後に理由を聞かれたり、久しぶりに登校して注目されたりするのが嫌になった」。中学卒業まで多くを自宅で勉強するなどして過ごした。

好きだったはずの水泳さえ嫌になった。川遊びに夢中になる姿を見たカヌー好きの父親に連れられ、3歳で近くのスイミングスクールに通い始めたのが水泳との出会い。順調に記録を伸ばし、ジュニア選手の中で目立つ存在だったが、不登校になるとともにプールからも足が遠のいた。

「君なら絶対に五輪に行ける」。小学5年の時、コーチから声をかけられてプールに戻った。中学3年時には国体選手に選ばれるほどの活躍ぶりだったが、学校には通えないまま。そんな生活への葛藤から、国体を最後に水泳をやめる決意を固めていた。

翻意したのは、天理高(奈良県天理市)水泳部の山本良介監督(65)の一言があったからだ。国体への出場を終え、帰りの新幹線を待っていると声をかけられた。「君は日本の宝になるような選手なんだ」。水のつかみ方やキックのタイミングに天性の才能を感じていた山本監督からの誘いに心が動き、進学を決めた。

高校では陸上やホッケーなど様々な競技に励む仲間から刺激を受けた。寮生活では支えてくれる仲間ができ、普通に学校に通えるようになった。水泳でもジュニア強化選手に指定され、国際大会に出場。山本監督は「マリモみたいな選手。水につけているだけで大きく成長した」と笑う。

高校3年の時、天理市の依頼で、不登校の子どもを抱える保護者らに体験を話した。その時に口にした目標がある。「五輪でメダルを取り、不登校に悩む子どもらの支えになる」。ひきこもりの少年時代を笑い飛ばす、お笑いコンビ「千原兄弟」の千原ジュニアさんの活躍に励まされた自身の経験が根底にあった。

中央大に進学。5年前のリオデジャネイロ五輪では代表入りが確実視されていたが、代表選考会を兼ねた日本選手権で0・24秒の僅差で出場を逃した。悔しさで2か月ほど泳ぐことができなかったが、この経験をバネに成長を遂げ、今年4月の日本選手権で2位に入り、五輪出場を射止めた。

「決勝に残り、五輪を楽しんできますよ」。7月に奈良県で最終調整した際、山本監督にそう決意を語った。自分の泳ぎを通じ、不登校の子どもらに勇気を与えたいと誓う。

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アスリートの紹介では、人生の転機のきっかけとなる言葉が紹介されます。その多くが、子ども時代に関わった親を含めた大人たちの言葉です。様々な言葉がありますが、共通するのは二つです。君ならできる、好きなことをとことんやればいい、です。

子どもは好きでやっているだけで、自分にどんな力があるのかは気づいていません。それを大人が見出して、できるできると励まし続けます。山本監督は、水につけるだけで育つ「マリモ」に砂間選手を喩えましたが、その水の養分は子どもをその気にさせる大人の言葉です。

スケボーでメダルラッシュを迎えている日本のアスリートはスケボー2世です。スケボーの楽しさを知っている親だからこそ、アメリカで、世界で、とことん楽しんで来いと言えるのでしょう。その機会を得た子どもたちは、トップアスリートの直向きさと底抜けの明るさに直に触れて自分の未来をイメージします。

もちろん、大人から才能があると言われたけれど、日の目を見なかった子どもや、トップアスリートの凄さに圧倒されて挫けてしまう子どものほうがはるかに多いのが現実です。それを才能の差と言う人がいますが、それは結果論だと思います。マリモを大きく育てるには、才能の花を咲かせるには、君はできると信じて励まし続ける養分の量が大事だと思います。

水泳授業中止でも子供の水難事故防げ 体育館で指導

水泳授業中止でも子供の水難事故防げ 体育館で指導

2021/7/20 【産経新聞】

新型コロナウイルスの感染拡大で、感染リスクの軽減のため、学校の水泳授業を中止する自治体が増えている。一方で、児童生徒が水に触れる機会が減ることで水難事故防止という側面が見過ごされることを懸念する声も。コロナ禍でプールでの指導ができない中で、専門家が工夫を凝らしながら事故を防ぐ取り組みを続けている。

「浮いて待てー」。今月15日、大阪府富田林市の市立喜志(きし)小学校の体育館で、あおむけに横たわる児童に別の児童が大きな声で呼びかけ、浮輪の代わりになる空のペットボトルを放り投げた。

水難救助の専門家らでつくる「水難学会」(新潟県長岡市)による「ういてまて教室」の一場面だ。本来は、溺れた際の対処法をプールで教えるが、同小は昨年に続いて水泳の授業を中止したため、体育館へと場所を移しての実施となった。

教室では、水難学会の斎藤秀俊会長(長岡技術科学大大学院教授)が子供だけで水辺に近づかないよう注意しつつ、もし溺れたときには、力を抜いてあおむけに浮いた姿勢で救助を待つよう指導。「体いっぱいに空気を吸えば浮かぶ。『助けて』と声を上げると息が抜けて沈んでしまう」などと説明した。同小の徳富豊教諭は「学校の近くにも川があるので事故が心配だった。実体験として学ぶいい機会になった」と意義を強調する。

教室は例年、全国で開催されていたが、昨年はコロナ禍でほぼ中止に。今年は同小のように水泳の授業がなくなったことで、体育館で教室を行う学校も増えているという。

水泳の授業について、スポーツ庁と文部科学省は地域の感染状況を踏まえ、対策を講じた上で実施を検討するよう求めている。しかし、十分な対策を取れないことを理由に授業を見合わせた学校は少なくない。

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先日利用者の4年生の子が「俺泳げないねん」と残念そうに言っていました。水泳指導があれば4年生で泳げない子は、ほぼいなくなります。前には進めなくても水に浮くスキルは最低身についています。昨年は子どもへの感染の実態が把握しきれなかったのでプール指導中止は仕方がないにしても、今年は状況が違います。

ほとんどの子どもは無症状、発症しても頭痛と鼻水程度であることが分かっています。しかも、プールサイドは殺菌用の塩素水の飛沫で満たされており、屋外で換気も最高の状態ですから感染可能性はゼロに近いです。更衣の段階で接触感染があると言いますが、それなら体操服に着替える体育の更衣は問題がなく水着更衣に問題があるという事になり筋が通りません。

学校が恐れているのは心無い保護者を含めた大人からの感染したら責任取れのバッシングです。もしも、自校から感染クラスターが出たら水泳を認めた校長以下の教員が叩かれるという恐怖感がプール指導を中止している本音でしょう。それでも子どものためにといくつもの心ある自治体と学校がこの夏からプールを再開をしています。

科学的な根拠もないことで叩かれることを恐れるより、子どもたちの教育を進めたいという、学校の意気込みに頭が下がります。そして、水難事故防止教育は、実際に着衣して靴も履いて水に浮かんだ感覚こそが子どもには重要です。子どもには百の言葉より一つの体験が理解を進めます。浮くトレーニングは年齢が早ければ早いほど定着しやすいです。2年間プール指導がないのは先の子どもの例のように泳げない子どもを固定化してしまう恐れがあります。

熱中症の危険がある時期に、戸外でマスクを外す指示をせず子どもに「選択させた」と言う指導者も、今年も感染「予防」のためプール指導を中止する学校も、他者の目ばかりを気にして、子どもの利益を考えているとは思えないです。しかし、個人の責任にしても同調圧力に弱い人には解決はできません。昨日の高校野球試合復活に動いた萩生田文科相のように、トップが動かない限り決めたことを変えることができないのです。萩生田文科相、プール復活とプールでの水難事故防止授業実現にも一肌脱いでくれませんか。

 

米子松蔭の夏が復活 主将の叫びが政府も動かした

米子松蔭の夏が復活 主将の叫びが政府も動かした 学校関係者コロナで一度は出場辞退も

2021年7月20日 【スポニチアネックス】

鳥取県高野連は19日、どらドラパーク米子市民球場内で会見を開き、学校関係者1人に新型コロナウイルス感染が判明したため出場を辞退し、17日の境との2回戦が不戦敗となった米子松蔭の“復活”を決めた。21日の午前10時30分から、境と2回戦を戦う。周囲の波紋を呼んだ決定が、わずか2日間で覆された。

悲痛な叫びが世論を動かし、最後は鳥取県高野連までを動かした。一度は鳥取大会への出場を辞退した第1シードの米子松蔭について、急転直下、出場容認を決定。田辺洋範会長は経緯について、難しい判断を迫られたことを明かした。

「本大会でも感染防止に努めて、ルールに基づいて対応してまいりましたが、米子松蔭高校が21日から学校を再開できる、という状況になりました。不戦勝となっておりました境高校にも説明し、ご理解をいただきまして、試合を開催するということになりました」

きっかけはツイッターへの投稿だった。出場辞退を受け、西村虎之助主将が18日「試合もできずに、このまま終わってしまうのは、あまりにも辛いです。何とか出場する道を模索していただけませんか?」と無念の思いをつづった。これに、各界の著名人が続々と反応。橋下徹元大阪府知事や、吉村洋文大阪府知事が対応を痛烈に批判し、大騒動に発展していった。

この日午前には米子松蔭の関係者が同高野連に嘆願書を提出した。午後には西村康稔経済再生担当相までもが「先週末から平井鳥取県知事に試合ができないか対応をお願いしています」と投稿。加藤勝信官房長官はこの日の記者会見で、出場機会を確保するよう県高野連に要請したと明かした。政府までが動き、撤回が避けられない情勢に。田辺会長も「県民、全国からもいろんな多くの声が届いております」と、世論が後押しとなったことを認めた。

大会の感染対策要領は、生徒や教職員に感染者が出た場合はその学校は臨時休校になるため参加できないが、保健所の調査を踏まえて専門家と協議すれば参加できることもあると定めている。野球部内の感染者がいないことを確認するための保健所が、不戦敗となっていた試合前に開いていなかったことも問題を大きくしていた今回の騒動。西村主将もツイッターを更新し「多くの方々の声援を胸に感謝の気持ちを忘れず試合に臨みたいと思います。本当にありがとうございました」とつづった。完全燃焼したいという球児たちの最後の夏にかける熱い思いは、すんでのところで救われた。

《21日に境と2回戦》鳥取県高野連は境との2回戦が21日に設定された理由として、新型コロナによる米子松蔭の臨時休校が20日までで終了することを挙げた。対戦相手である境の了承も得たという。これに伴い、以降の日程は2日ずつ延期。当初26日に予定されていた決勝戦は、28日に開催される。

▼米子松蔭・長崎成輝校長 寛大な措置に感謝している。生徒には全力を出し切ってもらいたい。

【米子松蔭経過】
▽7月16日深夜 学校関係者1人の新型コロナウイルス感染が判明。野球部員、野球部関係者らとの接触はなく、独自の抗原検査で陰性を確認
▽17日 感染者、濃厚接触者なしを証明できず、9時開始の境との2回戦を出場辞退。メンバー表交換が8時10分で、保健所が開くのが8時30分だった
▽18日 西村主将が悲痛な叫びを自身のツイッターに投稿。各界の著名人も続々と反応
▽19日午前 米子松蔭の関係者が大会復帰を求める嘆願書を鳥取県高野連に提出。米子松蔭が21日から学校を再開することも決定
▽19日午後5時 鳥取県高野連が会見

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ほんとうに良かったです。これで、勝っても負けても悔いはないし、正しい世論の力を高校生たちは感じて生涯の糧にしていくはずです。ツイッターがあって良かったです。SNSの普及を煙たがる人も少なくはないですが、これが本来のSNSに求められていた力です。大メディアの支配を受けず、大メディアをも動かす力を持つのがSNSです。この間、組織的にSNSを使い感染恐怖を煽って政局に影響させようと言う動きも看過できませんが、正しく使えば大きな力になります。

SNSは人種・性別・年齢に関係なく発信できます。もちろん有力なフォロワー(インフルエンサー)がその発信をピックアップしてくれなければ、小さなつぶやきのままですが、内容がタイムリーで共感性の高い発信なら、呟きは瞬く間に世界を駆け巡ります。ネット界に課題は多いけど、それでも良い時代になったなぁと昭和生まれは思います。

※ソーシャルグラフ=リアルソーシャルグラフの略 現実世界での人間関係に基づく関係
※バーチャルグラフ=バーチャルソーシャルグラフの略 ネット上で知り合った者同士の仮想的な関係

コロナ辞退の米子松蔭“再出場”の可能性

コロナ辞退の米子松蔭「再出場」の可能性  主将の悲痛ツイートに米子市長「各方面に働きかける」

2021年7月19日 【スポーツ報知】

春の鳥取大会を制した米子松蔭が17日に学校関係者の新型コロナ感染で鳥取大会(第1シード)の出場を辞退し、境との初戦が不戦敗となった問題について18日、伊木隆司米子市長(47)がツイッターで「試合が再調整されるよう、各方面に働きかけます」と投稿。一転“再出場”の可能性が浮上した。

発端は、この日の午後1時半頃、ツイッターで主将の西村虎之助中堅手(3年)とみられるアカウントが「部員から陽性者は出ていません。試合もできずに、このまま終わってしまうのは、あまりにも辛いです。何とか出場する道を模索していただけませんか?」(原文ママ)などと訴えかけた。

これに、各界の著名人がツイッターで反応。弁護士の橋下徹氏(52)は「この高校生の声を無視するのか!彼らの後の人生を想像しろ!オリパラを開催した執念をここでも見せろ!」「高野連と政治家たちはアホ、ボケ、カスの極みや!」など“援護射撃”。国際政治学者の三浦瑠麗さん(40)も「あまりに理不尽」など出場を求めるツイート。作家・乙武洋匡氏(45)も自身のツイッターで疑問を投げかけた。

また、不戦敗の再検討を求めるオンライン上の署名活動も実施されている。前代未聞の“敗者復活”はあるのか。

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全国高校野球 鳥取大会 米子松蔭が出場辞退 学校関係者がコロナ感染 /鳥取

2021/7/18【毎日新聞】

第103回全国高校野球選手権鳥取大会に出場していた米子市の米子松蔭高は17日、学校関係者が新型コロナウイルスに感染したため出場を辞退したと発表した。野球部員に濃厚接触者はおらず、同日朝に実施した抗原検査でも全員が陰性だったが、大会の感染防止対策要領と、抗原検査だけでは安全を保てないとする保健所の判断に従った。同校は春季県大会で優勝し、第1シードで大会に臨んでいた。

辞退は17日朝に決まり、長崎成輝校長が記者会見を開いて経緯を説明した。16日深夜に学校関係者の感染が判明し、野球部が大会に出場できないか早朝まで協議したが、感染拡大防止のため辞退を決めたという。野球部員は17日朝、球場へ出発するため学校に集まっており、その場で辞退を伝えられ、泣き崩れたという。

長崎校長は「今、生徒たちが気持ちの整理をすることは不可能で、かなり日にちが必要だと思う。教職員で卒業やその後につながるようサポートしたい」と述べた。同校は22日まで臨時休校し、校舎を消毒する。【野原寛史】

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日本は先進国の中でもトップクラスの感染予防ができているのに、首相も東京都知事も「安心・安全」が第一と陽性者数が欧米に比べればわずかに増えているだけで、オリパラの無観客試合を決めてしまいました。自分に降りかかるリスクを避けているだけにしか見えない今回の措置は、一体誰のための安心安全なのかわかりません。こんなことをすれば、日本中の「責任者」が思考停止に陥るに決まっています。「学校関係者」は生徒でも職員でもなく野球部と関係のない人ならばそれこそ臨時休校ですらやりすぎだと思います。

抗体検査も全員無抗体だったが、保健所から安全は担保できないと言われたから辞退した、だから俺たちには責任がないというふうにしか聞こえません。高野連の「感染防止対策要領」は、昨今の若年者の7割は無症状で症状のある人も鼻かぜ程度と分かったはるか前に作られたものでそもそも実効性がありません。結局、公式には誰も辞めろとは言っていないのに、校長が集団感染とその後のバッシングを恐れ、高野連に「迷惑」をかけないように出場を辞退したとしか見えません。

この規則は、毎日行われているプロ野球やJリーグがチームや球場の「関係者」が感染する度に休場するとを考えれば、どれだけバカげた規則か理解できると思います。例え感染者がでても校長へのバッシング以外の実害はほとんどないのですから、これくらいのリスクは校長先生が背負って欲しいものです。そして感染をゼロに抑えることなど、科学的な見地からすれば妄想に過ぎないことだと、世の責任者と名つく方々は、テレビの無責任な煽り報道に流されずに正しい判断をしてほしいと思います。

 

障害ある子の通学、支援制度を

障害ある子の通学、支援制度を 保護者の付き添い「負担大きい」西宮の当事者団体、市に要望

2021/07/11 【神戸新聞】

障害の有無にかかわらず、同じ学校や教室で学ぶ「インクルーシブ教育」(包容する教育)。その広がりに向けて課題となっているのが、子どもの通学だ。発達障害や肢体不自由など一人での通学が難しい場合、地域の学校では保護者が付き添わなければならない。市民団体「インクルネット西宮」(兵庫県西宮市)はこのほど、当事者らに実施したアンケートの結果を公表。保護者らの声を踏まえ、通学支援制度の創設を市に求めた。(鈴木久仁子)

西宮市の角裕美さんは、人工呼吸器を必要とする小学4年の長男(9)を近くの市立小学校に通わせている。長男は看護師のケアを受けながら、通常学級で、同級生と一緒に授業を受ける。

「息子は学校が大好きで、幼稚園からの“仲間”に囲まれ、表情が豊かになった。一人離れて遠くの支援学校に行くより地域で育てたい」と裕美さんは語る。

一方で登下校は裕美さんが付き添わなければならず、体調を崩すと子どもが元気でも欠席させざるを得ない。また、裕美さんは看護師の資格を持つが、毎日の送迎がある現状では復職もほぼ不可能だ。

特別支援学校に通学する児童生徒は福祉タクシーや送迎バスを利用できるが、地域の学校を選択した場合は利用できない。「大変さは認識しているが、登下校は保護者の責任」と西宮市教育委員会。裕美さんは「一人親や幼いきょうだいを抱える家庭など、さらに負担は大きい」とため息をつく。

「インクルネット西宮」は医療的ケアが必要な子どもが地域の友だちと学べるようにと5年前に発足。現在は教員や保護者ら20人で活動する。

代表の目良知美さんは「親が送迎するのは当たり前と思い込み、これまで声を上げる発想もなかった。でも、どこの学校を選択しても子どもがきちんと学校に通えるためには通学支援は不可欠」と話す。

実態把握のため、同団体は5月にアンケートを実施。地域の学校に通う、市内の障害児の保護者ら109人が回答を寄せた。

結果、86%にあたる94人が子どもの登下校に付き添い、うち半数の47人は学校から付き添うよう求められていた。保護者の体調が悪いときには38人(40%)が学校を休ませ、教育の機会を損なっていることも分かった。

登下校に付き添う94人の回答を見ると、半数以上の53人が就労しておらず、うち39人(74%)は仕事をしたいと考えていた。また24人が、放課後等デイサービスを利用しているが、その理由を61%が「自宅までの送迎機能を利用するため」としていた。

地域の学校に在籍する、支援の必要な児童生徒は年々増加傾向にある。兵庫県の調べによると、2020年度、地域の小中学校・義務教育学校の特別支援学級に通う児童生徒数は8150人。前年度に比べ589人増えた。

今年6月には保育所や学校への看護師配置などを柱とする「医療的ケア児支援法」も成立した。目良さんは「子どもの学びを保障する観点からも、きちんとした制度として導入してほしい」と話している。

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「登下校は保護者の責任」と言うけれど、子どもの移動能力の差は保護者の責任ではありません。障害によって自立通学ができないことは親の責任ではないのですから社会が支援するべきです。西宮市教育委員会は子どもの障害は親の責任だと言っているに等しいと知るべきです。ただ、人工呼吸器使用の子どもの場合は、親が離れれば呼吸器利用は医療行為ですから看護師が管理する必要があるので、ハードルは一つ上がります。しかし、考え方は同じで、子どもが人工呼吸器をつける必要があるのは保護者の責任ではないのですから、社会が支援すべきです。

障害のある子どもの通常学校への通学について、移動支援等福祉制度を使う話は子どもの入学前になるとあちこちで出てきます。福祉の目的を達成するために様々な工夫をして行政施策として実現している自治体は、京都市をはじめいくつかあります。行政施策のない自治体でも既存のサービスを運用して頑張っている自治体もあります。しかし、支給決定をする側の行政担当官が運用は「目的外使用」だから認められないと言い続けている自治体の方がはるかに多いです。登下校の僅かな時間のために、働きたくても働けない保護者は少なくありません。

通学支援のない地域で保護者が就労している場合、放デイなら送迎がついているので下校時は学校に迎えに行き夕方自宅まで送ってくれるという理由で利用する人もいます。保護者が送迎ができないと言う理由で、地域の学童保育所が利用できない障害児も少なくないと思われます。ダイバーシティ社会だのインクルーシブ教育だのお役所の掲げるお題目は立派ですが足元がおぼつきません。子どもは社会で育てるものだと、ヘルパーや移動支援事業の運用をもっと広げて、子どもが子どもらしく生活できるようにしたいものです。

ヤングケアラー、小学生も全国調査

ヤングケアラー、小学生も全国調査 政府方針、早期発見と支援狙い

2021/7/5 20:17【毎日新聞 】

政府は、通学や仕事をしながら家族の介護や世話をする子ども「ヤングケアラー」の実態を把握するため、今年度中に全国の小学生にアンケートする方針を固めた。政府は2020年12月~21年1月に中高生を初めて調査、その結果を4月に公表したが、小学生は対象から外れていた。調査対象を拡大することで、子どものケア実態をより正確に把握し、支援につなげる狙いがある。【山田奈緒、三上健太郎/デジタル報道センター】

中高生への実態調査で家族のケアを始めた年齢は中学2年が平均9・9歳、全日制高校2年が平均12・2歳との結果が出た。過度なケア負担で学業や進路選択に支障が出たり、孤立につながったりすることが分かっており、実態調査を通じて小学生のヤングケアラーを早期に発見したい考えだ。

調査方法は中高生調査と同様、厚生労働省と文部科学省が協力し、子どもに直接尋ねる形を検討している。ただ、低年齢の子どもは家庭状況を客観視することや質問内容の理解が難しい。有識者らから意見を聞き、質問方法などを調整する。

小学生のケアを巡っては、研究者や自治体の調査でも実態把握は進んでいない。一般社団法人「日本ケアラー連盟」は15年に新潟県南魚沼市で、16年には神奈川県藤沢市で教員にアンケートし、間接的に小学生のケアを調べた。例えば南魚沼市では、働いている親に代わって年下のきょうだいを世話する小学4年の女児、精神疾患がある母の感情面をサポートする小学3年の女児、日本語が第一言語ではない母の通訳に追われる小学4年の男児――など、幼くても家族ケアの担い手になっている小学生がいた。

政府は大学生も初めて調査する。ヤングケアラーに法令上の定義はないものの、同連盟は「18歳未満」と定義し、埼玉県が全国で初めて制定したケアラー支援条例も児童福祉法に合わせて「18歳未満」と定める。18歳未満との位置づけが主流だが、元ヤングケアラーや専門家から、ケア負担が大学生活や就職活動などに影響しているとの指摘が出ていることを踏まえ、調査対象に加えた。

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核家族化が進み、さらに母子家庭が激増している中で、親が家族を支えられなくなると、子どもが家族を支えることになります。しかし、子どもは社会的救済の手段も知らないので、周囲の大人の気づきは遅れがちです。一昔前なら、担任の先生が家庭に立ち寄って、子どもの家族状況まで気にしていたのが、最近は出来るだけプライバシーに立ち入らない方向に学校が変わってきているので、家族の事情はなかなか把握が難しいと言います。

片親の場合の社会的交流環境は、頼る親族もなく、就労環境も非正規の場合は誰も家族がどうなっているのか子どもがどうしているのかも本人からの発信がない限りは把握できません。こうした中で、親を支えるために家事や精神的な支えをしている子どもたちがいます。昔も、親や家族を支える子どもはいましたが、今日のヤングケアラーの特徴は、文字通り社会から孤立していることが特徴だと言えます。

「進路の変更を考えざるを得ない、もしくは変更した」「自分の時間がとれない」「友人と遊べない」「睡眠時間が十分に取れない」などの悩みを持ちながらも、親から「他人に相談してはいけない」と口止めされたりしているので、スクールソーシャルワーカーに家の事情を話したがらない子どもは多いと言います。そして、親のケアは家族から離れない限りいつ終わるとも分からない、見通しのない中でのくらしが続くので、次第に子どもの精神までも蝕んでいきます。

今回政府が小学生を対象にしたのは、前回の調査で家族のケアが始まった年齢の最年少が小3か小4という回答を得ていたからです。放デイにも「要保護家庭」の子どもは来ており、ヤングケアラーの子どもや今後その可能性がある子どもも通所してきています。片親と子どもだけという小さい家族の場合は病気などで簡単に家族の機能を失ってしまいます。この対策を地域で作っていくためにも全量調査はとても必要だと思います。

 

「ギフテッド」の子、進まぬ理解 高い知能

「ギフテッド」の子、進まぬ理解 高い知能/特定分野に優れた能力親も孤立、自ら「応援隊」設立

2021/7/14【毎日新聞】

生まれつき高い知能や、芸術など特定分野で優れた能力を持つ「ギフテッド」と呼ばれる子どもたちがいる。天才のイメージが持たれがちだが、学校や同世代の子どもたちとなじめず、孤立するケースも少なくないという。ギフテッドの子を育てているという親に、その苦労や思いを聞いた。

ギフテッドは、米国では認知が進んでおり、知的能力や特定の学問、リーダーシップ、芸術などのうち、一つ以上の分野でずば抜けた能力を見せるか、その力を潜在的に持つ人と定義されている。

兵庫県伊丹市の冨吉恵子さん(49)の長男(20)も、幼少期からギフテッドの特徴があった。小学校では授業を仕切ったり、教師も知らないことを発表したりした。漢字ドリルに四つ並んだ漢字を使って即興で物語を作ることもあり、創造力の高さをうかがわせた。

ところが、学校生活では摩擦を生む。権威で支配されることに反発したのだ。授業で計算問題を解く際、タイマーで時間を計る教師を「時間制限にどんな効果があるのか。計算が速くて何の意味があるのか」と問い詰め、明確な回答がないと「信念もなくやっているのか」と憤った。宿題をやらず、テストでは用紙に記された「解きなさい」の文言にも怒る。寄り道を禁じる下校のルールには「寄り道しないと人生の醍醐味(だいごみ)は生まれない」と反論し、「学校には余白がないから息が詰まる」と愚痴をこぼした。

冨吉さんが胸を痛めたのは、長男が幼い頃から「生涯の友達がほしい」と毎日のように訴えて泣いたことだ。小学校低学年の頃、同い年の子どもたちは遊びといえば鬼ごっこ。大人のようには会話を楽しめず、孤独に苦しんでいた。

長男を「ギフテッドかもしれない」と感じたのは小学4年の時。小児科医の勧めで知能検査を受けると、高い知能指数(IQ)が出た。長男には頭痛や湿疹の持病があったが、医師からは同級生と精神年齢が合わないストレスが原因だと指摘された。臨床心理士からは、周囲の精神年齢が近づく高校生になるまでは友達はできないと断言された。

医師には私立中学校への進学を助言されたものの、長男が「偏差値主義者のビジネスに乗りたくない」と葛藤するあまり体調を崩し、受験をやめた。進んだ公立中ではほとんど授業に出ず、小学3年から毎日続けていたニュース解説の手作りの壁新聞を張りにだけ行った。全日制高校への進学は諦める一方、中学卒業から半年で高卒認定試験に合格。通信制高校を転々とし、交友関係のストレスで難病を発症しつつも1年浪人して大学へ入り、映像学部で学んでいる。

発達障害と誤診
こうした苦労があった子育てだったが、支援はほとんどなかった。世界では専門の教育プログラムが導入されている国があるが、日本にはない。ギフテッドへの認知が進んでいない日本では、発達障害と誤診されることも少なくない。冨吉さんも精神科医やスクールカウンセラーに相談したが、「放っておいてもちゃんと育つ」としか言われなかった。

発達心理学が専門の角谷(すみや)詩織・上越教育大准教授によると、ギフテッドは言語や認知能力は発達しているが情緒的には標準あるいは遅れていることがある。角谷准教授は「自身の興味に強く動機づけられた行動を取る、必要性がないものには取り組まない、権威でコントロールされることに抵抗するといった行動などの背後にある深い洞察を周囲に理解されずに『わがままな子』とみなされたり、行動を周囲に理解されずに不登校になったりすることも多い」という。

手探りで長男を支えてきた冨吉さんは2017年、同じ経験や悩みを持つ親たちに呼び掛け、「ギフテッド応援隊」を設立。会員で集まって交流し、専門家を招いて講演会も開いてきた。21年4月には一般社団法人化し、会員は全国に約250人にまで増えている。

活動の一環で、電子書籍「ギフテッド育児奮闘記」を20年10月に出版した。幼児期から高い言語能力や音楽の才能を発揮した女児や、国内の小中学生が対象の算数オリンピックで小学3年の時にファイナリストになった男児ら会員の子ども8人が登場。その多くが学校になじめず、学ぶ環境を求めて親が奮闘する経緯を紹介した。出版を企画した会員でフリー編集者の万永安芸さん(44)は「一言では伝わりにくいギフテッドも、実例を並べることで見えてくるものがある」と狙いを語る。

冨吉さんは「ギフテッドの親は子どもと学校の間で対応に疲れ切っている」と明かす。秀でた面を説明すると自慢や過保護と思われてしまい、誰にも相談できずに孤独を感じる親は少なくないという。「ギフテッドの存在と特性を知り、特に教育関係者に理解ある対応をしてほしい」と願う。【稲田佳代】

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ギフテッドの正式な定義はなく、アメリカでは州によって様々な定義が用いられています。その中でも大半の州が下記のテキサス州の内容と同じような定義を用いています。
「ギフテッド・タレンテッドの生徒とは、同じ年齢・経験・環境を持つ子供と比較して、著しく高いレベルを達成する、あるいはその可能性をうかがわせる子供。知的能力、独創性や芸術の分野において高い実行能力を示す、並外れたリーダーシップ能力を持つ、あるいは特定の学術分野で秀でている。」

ギフテッドは発達障害とは違うという様に記事では読めますが、ギフテッドには「英才型」と「2E型」の2種類があります。英才型は全般的に高い知能を持つ人を指します。認知や記憶などの能力が高いため、学業成績はかなり優秀なことが多いです。社会性も高く周囲から見ても非常に優秀に見えるため、才能を伸ばすための機会が提供されやすいとも言えます。

2Eとは「twice-exceptional」のことで、「二重に例外」という意味です。ギフテッドと発達障害を併発している状態を指しており、ある分野では突出した才能を示しますが、苦手なことはとことん苦手な傾向にあります。「発達に凸凹がある」などと表現されたりもします。突出した能力が見られるものの、社会性が劣るなどマイナス面の印象が強くなりがちで、才能に気づかれることなく過ごしているケースが多いです。これは学校の先生や友だちが気づかないというだけでなく、両親や自分自身すら気づいていないケースも含みます。放デイで働く私たちがたまに出会う子どもは2E型です。

ギフテッドと発達障害は異なる概念ですが、いくつか共通する特徴が見られるため、ギフテッドなのにADHDやアスペルガー症候群と誤診されているケースが非常に多いです。「ギフテッドかつADHD」や「ギフテッドかつASD」、「ギフテッドかつLD」という存在(=2E)を正しく理解することが大切です。

ギフテッドと発達障害の共通点
・好きなこと・興味のあることへの集中力が非常に高い
・完璧主義で、細かいところまで気にして締切を守れないことがある
・論理的思考力が高く、考えが奥深い
記事の子どもはASDの特性があり、正論であっても嫌がられる言い方であることが分からないという、他者感情が読めない2Eタイプです。問題の本質は障害と言えば何か健常者より劣るような印象を持ちやすいことです。発達障害があっても誰も真似のできない発見や開発をする人はいます。類い稀な才能を開花できるかどうかはその人を取り巻く人的環境が大きいのです。大人が扱いにくい子どもだと言う理由で「障害」のレッテルだけ貼られて才能が葬られていくとすれば、それは人類の大きな損失だと思います。彼らを面白がって認めてくれる、カリスマティックアダルト(身近な憧れの大人)の存在が欠かせません。

知的障害者対象に「農業科」 奈良県立高が新設、全国初

知的障害者対象に「農業科」 奈良県立高が新設、全国初の試み

7/13(火) 【日本農業新聞】

相互理解へ学科超え実習
奈良県は2022年度、知的障害のある生徒が農業を学べる学科を県立高校に新しく設ける。全国初の試みで、3年間茶や野菜の栽培などを学ぶ。障害のない生徒も同学科の生徒と実習などに取り組み、障害の特性などへの理解を深める。農福連携が広がる中、その担い手育成に乗り出した格好だ。(本田恵梨)

4月から県立山辺高校(奈良市)に「自立支援農業科」を新設する。同校には現在、農業が学べる「生物科学科」と、県立高等養護学校(田原本町)の2、3年生で農業を学びたい生徒が通う分教室があり、両校の生徒で野菜栽培などに取り組むこともあった。一方で、分教室では教育課程が異なり交流程度にとどまってしまう、高校卒業資格が取れない、などの課題があったという。

県学校教育課は「共通の授業や実習の機会をこれまで以上に充実させることによって、農業知識はもちろん、コミュニケーションも一緒に学んで相互理解につなげてほしい」と話す。

農福連携の担い手育成
新学科では、養護学校のサポートを受けながら、それぞれの障害の程度に応じて指導していく。分教室は段階的に移行。生物科学科は「生物科学探究科」として新たに設置する。

農福連携で生産した食品を認証する日本基金が18年度に行った調査では、多くの農業者が障害者の農業技術習得や障害者とのコミュニケーションに課題を感じているという。基金は「農作業経験のある障害者や障害特性に理解のある農業者が育成できれば、農福連携の広がりにつながる」と話す。

農水省によると、農福連携に取り組む農業経営体などは19年度末時点で4117。国は、農業高校などでの農福連携学習や特別支援学校での農業実習などを推進し、新たに取り組む組織などを24年度までに3000増やす目標を掲げる。

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農福連携は、障害者等が農業分野で活躍することを通じ、自信や生きがいを持って社会参画を実現していく取組です。農福連携に取り組むことで、障害者等の就労や生きがいづくりの場を生み出すだけでなく、担い手不足や高齢化が進む農業分野において、新たな働き手の確保につながる可能性もあります。近年、全国各地において、様々な形での取組が行われており、農福連携は確実に広がりを見せています。

ライフステージで考えていくと、支援学校高等部の進路実習に農作業を提供する農業団体との連携があり、成人期では福祉施設と農業団体の農作業の事業委託の連携、そして、農業団体が実際に障害者を職員として雇用していくという流れがあります。先の高校の話は、農村地域での公立高校の定員割れ、支援学校高等部への発達障害生徒の増加という全国的な傾向の中での新しい高校教育のあり方の一つとして、インクルージョンと農福連携を模索している姿と言えます。

農業は作業の種類が多く、作業の内容も異なることから、障害者一人ですべての農作業をするのは困難です。しかし、農作業を切り分け、複数の障害者が一つのチームとなって、能力に応じてそれぞれが得意な作業を行うことで農作業も可能となります。更に、農作業をマニュアル化したり、農作業・農器具を工夫することで、障害者ができる農作業の範囲は拡大します。これから農業の経営も実際の農耕の作業もAI化が進み、人間の仕事は農場の整備や自動化できない収穫作業などに変わっていきます。

AI化には大規模化が必須となります。そうなると、今の個人経営では農業は成り立たず、自ずと団体経営や法人経営に変わっていきます。しかし、人口減による人手不足から、今でも外国人労働者を農業研修と言う名目で雇用していますが、これもある程度の規模の農地でないと雇用できません。人手を失った農地は手つかずの休耕地として年々増えています。傾斜地の棚田は、斜面の崩壊を未然に防いできました。また、水田は洪水や地すべりも防止しています。人手不足による農地の喪失は私たちの大切な環境資源を失うことにもつながります。

このようにして、農福連携は単なる障害者雇用の促進施策というより、先祖から引き継いできた農地を守り環境を守る大プロジェクトです。その一環として、後期中等(高校)教育のあり方を障害のある人も含めて考え変えていくことは大事な取り組みだと思います。

教員免許更新制、文科省が廃止検討

教員免許更新制、文科省が廃止検討 うっかり失効の原因

2021年7月12日 【朝日新聞】

教員免許に10年の期限を設け、更新前に講習を受けないと失効する「教員免許更新制」について、文部科学省が廃止する方向で検討していることが、政府関係者への取材で分かった。教員の資質確保を目的に第1次安倍政権時代の2009年度に始まったが、教員の負担が増え、教員不足の一因にもなっていると、学校現場から批判が出ていた。

更新制については萩生田光一文科相が3月、中央教育審議会に「抜本的な見直し」を諮問した。中教審では廃止論が大勢で、8月にも廃止の結論を出す見通し。これを受け、文科省は廃止を表明し、来年の通常国会で必要な法改正を目指す方向だ。廃止となった場合、教員が受けてきた30時間以上の更新講習の代わりに、オンラインによる教員研修の充実などが検討されている。

更新制は「不適格教員の排除」を目的に自民党などが導入を求め、「教員の資質確保」に目的を変えて09年度に始まった。無期限だった幼稚園や小中高校などの教員免許に10年の期限を設け、期限が切れる前の2年間で計30時間以上、大学などでの講習を受けなければ失効するしくみだ。

ただ、夏休みなどに自費で受ける講習は多忙化する教員に不評で、文科省が今月5日に公表した調査では、約6割が講習に不満を抱いていた。更新期限があるため、定年退職前の教員が早期退職する動機となったり、産休や育休をとる教員の代わりに任用する教員が不足したりと、教員不足の一因とも指摘された。また、制度が複雑なため、現職教員が更新を忘れて教壇に立てなくなる「うっかり失効」も相次いでいた。

これまでの中教審の小委員会で文科省は、都道府県などが行う教員研修をオンラインなどで充実する案を提示した。委員からは「こういうことができれば更新制でなくてもできるのではないか」などと賛同する発言があり、廃止論が大勢となっている。(伊藤和行)

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記事にもあるように、この制度は指導力不足教員問題から教員の質を確保するために作られた制度ですが、案の定、ただの研修制度として骨抜きにされた経過があります。「指導力不足教員」は法令(教員免許法改正法の施行通知)では「指導が不適切である」教諭等と表現されています。「指導が不適切である」ことの認定について、教育公務員特例法の一部改正関係(第25条の2第1項関係)には、以下のように記載されています。

「指導が不適切である」ことに該当する場合には、様々なものがあり得るが、具体的な例としては、下記のような場合が考えられること。
各教育委員会においては、これらを参考にしつつ、教育委員会規則で定める手続に従い、個々のケースに則して適切に判断すること。
1 教科に関する専門的知識、技術等が不足しているため、学習指導を適切に行うことができない場合(教える内容に誤りが多かったり、児童等の質問に正確に答え得ることができない等)
2 指導方法が不適切であるため、学習指導を適切に行うことができない場合(ほとんど授業内容を板書するだけで、児童等の質問を受け付けない等)
3 児童等の心を理解する能力や意欲に欠け、学級経営や生徒指導を適切に行うことができない場合(児童等の意見を全く聞かず、対話もしないなど、児童等とのコミュニケーションをとろうとしない等)

簡単に言えば、児童に合わせた学習内容が作れず、児童に合わせた指導ができず、児童の気持ちが理解できない教員です。これだけでは、多くの教員が当てはまりそうですが、重要なのは3番目です。学習内容や指導方法の良し悪しは教員のキャリアやスキルの問題ですから指導を受ければ改善できます。しかし、相手の気持ちが理解できない問題は訓練を受けても簡単には改善しません。

更新制は知識だけを更新する座学なので、このタイプの教員の課題を支援する研修にはなり得ていないというのが現場の感覚かもしれません。むしろ、このタイプの教員は座学研修はしっかり受けるまじめな方が多いようにも思います。更新研修を受けても、現場で失敗したことを自分からうまく謝れなかったり、自らの間違いを認めず、児童の問題にしてしまう等の社会性の課題は解決しません。更新制は、教員の資質向上を掲げたけれども一部の教員には効果がないのです。

一度決めてしまうと効果がなくてもいつまでも変えられないと、感染防止施策をあげてこのブログで非難してきましたが、やればできるじゃないのと少し政府を見直しています。願わくば、プール授業の中止や校外行事の見送り、屋外のマスク着用等、根拠のはっきりしない学校感染防止施策も、効果のないものとして文科省が必要なしと例外なくキッパリと指示を出し、さっさと撤回させてほしいと切に思います。

いじめを受けて学校が行った「仲直りの会」を疑問視

いじめを受けて学校が行った「仲直りの会」を疑問視 いじめ問題専門委員会〈仙台市〉

7/8(木) 【仙台放送】

2018年、仙台市泉区で母親が女子児童と無理心中した事件で、7月7日、仙台市のいじめ問題専門委員会が開かれ、いじめの訴えを受けて学校が行った「仲直りの会」について、疑問の声が上がりました。

7日、調査部会でいじめの再発を防ぐ提言などの協議が行われ、当時小学2年の女子児童へのいじめを受けて学校が行った「仲直りの会」に、多くの委員から疑問の声が上がりました。

いじめ問題専門委・調査部会 甲斐田沙織 委員
「仲直りの会って、そんなに簡単にできるものかなと。非常に安易に行なわれていた」

いじめ問題専門委・調査部会 新免貢 委員
「学校側が善意で行っていることでも、児童生徒には、そのこと自体がプレッシャーであると私は感じる」

学校は当時、女子児童の母親からいじめの相談を受けたわずか6日後に「仲直りの会」を開いていて、委員からは「事実確認をした上で行うのが望ましい」という声も上がりました。

いじめ問題専門委・調査部会 小野純一郎 部会長
「委員は長期欠席などにつながるようなきっかけになってしまったんじゃないかと
「仲直りの会」のやり方がもう少しきめ細かくやった方がよかった」

仙台市の「いじめ防止基本方針」は、被害児童が関係改善を望み、加害児童の内省の深まりが確認できた場合は、謝罪や和解の場を設けるとしていて、調査部会は「仲直りの会」のあり方についても、提言としてまとめる方針です。

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「握手して」「ハイ仲直り」喧嘩の際にはこの指導はありですが、いじめの場合は成り立たないです。いじめは一方的なもので、仲直りと言うのは被害者にも落ち度があると暗に示しているようなものです。こんなポンコツな生徒指導をした学校も学校ですが、これを調べている専門委員会が3年前の話を扱っている事の方が驚きでした。母子が無理心中で亡くなった原因が、学校のいじめであったことを世間が知ったのは、事件から僅か半年後の父親の会見でした。

最初は亡くなった児童の小学校の父母に児童の急死を知らせる通知こそあったものの、それ以上の説明は学校からはなかったのです。憤った父親は娘の遺したメモを手に会見を開いたのです。
《しにたいよ しにたいよ なにもいいことないよ わるいことしかないよ いじめられてなにもいいことないよ しにたいよ しにたいよ》
メモ用紙いっぱいに鉛筆書きの平仮名で「しにたい」の4文字が繰り返されていました。児童は登校渋りが増え校長室登校をしていたと当時の関係者は言います。

父親は、『娘は同級生からいじめを受けており、母親もいじめへの対応で体調を崩して友人づきあいが減った』と明かし、そのうえで『学校に繰り返し相談したが、表面的な対応が続いた』として無理心中の責任は学校にあると訴えました。メモは事件当時に児童が書いたものだと言います。お母さんは、わが子を守るために何十回も学校を訪れ、地域の一部の住民は、『モンスターペアレント』と心ない噂を立てる人もいたそうです。

母親が、遺したメモには、《今回の事が将来にわたり影響が及ぶ可能性が大きいことを重く認識してほしい。娘の学習する機会、心身の健康が奪われている。いつかの時点で本当に自殺する事があれば、今回の事が原点である事を訴え続けていきます》と書いてあったと言います。学校の誰が思いついたのか明らかではないですが「仲直り会」は、無理心中の引き金になったとしても不思議ではありません。

しかし、こうした全容を明らかにするのに事件から3年もかかり、まだ検討を続けているというお粗末さです。加害者の子どもや保護者への配慮があったのかもしれませんが、母子が二人亡くなっているのですから、せめて母子の親族には真実を早く知らせよう、間違いがあったら早く正そうと言う気持ちは働かないのでしょうか。遅くても真実を明らかにするに越したことはありませんが、親族がこの件を提訴しなかったことを良いことに結論を先に延ばしていると言われても仕方がないと思います。

不登校になった「きょうだい児」

不登校になった「きょうだい児」 兄に響いた先生の言葉 佐藤仙務

2021年7月8日 【朝日新聞】

私が養護学校の小学1年生だったとき、普通学校に通っていた二つ年上の兄が不登校になった。小学3年生の夏ごろから1人で学校に行けなくなった兄は、よく母と一緒に私が通う名古屋の養護学校についてくるようになった。

当時小学1年生だった私は、そんな生活を少し不思議に思うくらいだったが、おそらく母は「このまま一生、学校に行かなくなるのではないか」と心から心配していたはずだ。

学校に行かなくなった兄障害児の僕と迎えた小4の春
母としては、何とかして学校に行ってもらいたい思いがあり、兄と交渉した結果、一緒に学校に行くことで話がついたようだった。日中は母に教室の後ろにいてもらい、教室で一緒に過ごす。そんな日々が始まった。

それから母はますます忙しくなった。朝は父を会社へと見送り、そして5年生の長男を小学校へ見送った後、私と不登校の兄を車に乗せ、私の通う養護学校に向かう。私を送り届けたら、今度は兄と小学校に行って、一緒に教室で過ごす。もちろん放課後になると、母は兄を連れて養護学校まで迎えに来てくれる。兄は日によって、母が付き添っても学校に行けない日もあった。

小4の春、先生と出会う
そんな生活を続けて、兄が小学4年生になった春のこと。転機が訪れた。4年生になった兄のクラスの担任が新しい先生へと代わった。当時50代ぐらいの女性の先生だったのだが、兄が不登校になっているといううわさを耳にし、以前から気になっていたという。その先生は自身のお子さんが不登校だった経験もあったそうで、きっと不登校だった私の兄のことを放っておけなかったのだと思う。

先生は本当に優しくて明るい人だった。4年生になっても母と登校する兄に対して「1人で学校に来なさい」ということを言わなかった。むしろ学校は無理に行くべき場所ではないという持論を持っていた。それに先生は教室の後ろで兄を見守る母を決して邪険にすることなく、「私では分からない目線で、お母さんが気付いたことを何でも教えて」と言っていた。

兄は先生のことをとても信頼しており、「学校が終わったら家に遊びに来て」とよく言っていた。先生は多い時には週何回も家に立ち寄ってくれた。

先生の言葉が兄に届いた
だが、そんな怒濤のように思えた生活にも終わりが訪れる。それはある日、先生が学校でふと兄にこう言ったことがきっかけだ。

「もし途中で帰りたくなったら、先生がすぐに家まで送ってあげる。」

きっと、他の先生が同じことを言っても兄は首を縦に振ることはなかったと思う。でも、先生がそう言うならと、学校に1人で行くチャレンジを始めた。

これは後日談だが、先生は当初から兄の不登校を深刻に捉えていなかったらしい。ただ、先生は年の近い弟が障害児である兄にとって、母親を私に取られている感覚がしているはず、と心配していたようだ。だから先生は、兄が母と一緒に学校に行くことも決して否定せず、教師としても全力で愛情を注いでくれた。

今度は僕が、兄の学校へ
それからというもの、兄は不登校ではなくなり、学校もほとんど休むことはなかった。そして私も兄がきっかけで、その先生と仲良くなることができた。先生は小学4年生の兄の担任を終えた後、今度は一つ下がって3年生の担任になった。その頃私も3年生になっていたので、先生の計らいで兄の通う学校に行く機会が増えた。

先生のクラスで健常児のみんなと交流を深めた。当時私は、養護学校で過ごす日々を日記で記していたのが、それを見せると興味津々で見てくれたことがうれしかった。

私はずっと養護学校ではなく、一般の小学校に行きたいと思っていた。でも実際に行ってみると、思っていた以上に大変な部分もあった。少人数の養護学校と違い、大人数の子どもたちの中で過ごす上で、自分の居場所や役割というものをどこで見いだせばよいのか分からなかった。その時、何となくだが、兄の学校に行きたくないという気持ちも理解できた気がした。

あらためて気づいた「養護学校もいいところ」
それからも兄はときどき、私の通う養護学校に遊びに来た。そして、恒例のように学校に来るたびに目をキョロキョロさせ、ボールプールを見つけては、間髪入れずに勢いよく飛び込むのだ。手足をバタバタと動かし、ケラケラと笑いながらも、いつかと同じように私にこう言うのだ。
「学校にボールプールがあるなんていいなー」
私はやっぱり幼稚な兄だなと思いながらも、少しニヤッとしてこう返した。
「養護学校も、なかなか良いところでしょ」

あれから20年以上の月日が経つが、先生は今でも不登校の子どものための支援をしているという。そして兄も今では、家庭を持ち、この春からランドセルを背負うことになった女の子の父親をしている。(佐藤仙務)

佐藤仙務
佐藤仙務(さとう・ひさむ)
1991年愛知県生まれ。ウェブ制作会社「仙拓」社長。生まれつき難病の脊髄性筋萎縮症で体の自由が利かない。特別支援学校高等部を卒業した後、19歳で仙拓を設立。講演や執筆などにも注力。著書に「寝たきりだけど社長やってます―十九歳で社長になった重度障がい者の物語―」(彩図社)など。ユーチューブチャンネル「ひさむちゃん寝る」では動画配信も手がける。
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障害児の「きょうだい」(ひらがな表記は姉妹や兄妹、姉弟も表現するから)支援の必要性は、問題が起きない限り見過ごされがちです。保護者は障害のあるきょうだいの事で手いっぱいの場合もありますし、共働きだとどちらの親にも余裕がありません。それを小さな時期から感じ取って甘えたくても我慢する日常が続くとしんどくなるきょうだいもいます。それを見ている障害のある当事者からの視点が今回の記事です。

当事者のみんながこの様に感じているわけではないのでしょうが、低学年なのに、兄や担任の分析が的確だと思いました。そして、一言一句漏らさず兄と担任のやり取りを知っているところは、家族がオープンな関係を大事にしているのだろうと感じました。障害のある当事者も含めた家族もまた、健常者の兄を支えているのだろうと思います。

一般的に言うきょうだい児問題は幼少期の問題ですが、障害のあるきょうだい児の問題は成人になっても続きます。親が当事者を支えられなくなった後の問題や、結婚問題なども深刻にとらえている人は少なくありません。これらを家族だけで支え合うのは困難です。公的な相談支援や同じ境遇のきょうだい同士のピアカウンセリングなどをすすめていく必要があると言われています。