すてっぷ・じゃんぷ日記

2021年5月の記事一覧

トイレ考

Gちゃんは、紙オムツです。でも、排泄があると必ず自分でオムツを履き替えて上下とも完璧に着替えています。それなのに、定時排泄では一切排泄はせずトイレの外でオムツに排泄して自分で新しいオムツと衣服に着替えます。着替えが自分だけで完璧にできるのは、ご家族や就学前施設の方が丁寧に教えられた賜だと思います。でも、こんなに丁寧に衣服の着脱ができるのに、なぜ排泄だけはトイレでできないのかが話し合いました。

そういえば、持ってきたお弁当の扱いもほぼ一人で出し入れや片付けができます。教えられたことは、ほぼ一人でできるのです。Gちゃんはお話ができないけれど日常生活のことで聞いたことはほぼ理解できていると引き継ぎを受けています。私たちは喋れない人が状況を理解する時、言葉だけでなく見たもので理解できるように支援します。そして、喋れない人には、見えないものは伝わりにくいので、オーダーメイドの支援が必要で、体性感覚など視覚支援がしにくいものは工夫がかなり必要だと感じています。

もちろん、喋れない人でも排泄の自立をしている人はいますが、「喋れる人」で排泄自立ができていない人はいません。肢体不自由があっても排泄の援助要求ができることを自立とみるなら、喋れる人は皆排泄が自立していると言えます。子どもの成長を見ても、遅い早いはあっても喋れるようになるとともに排泄は自立していきます。つまり、排泄自立は双方向のコミュニケーションが成立している中で教えることができるようです。

大人が「ウンチ頑張って」と子どもも一緒に「うーん」「うーん」と言って意味を共有するから体性感覚と理解言語・表出言語が結びつくのでしょう。では、Gちゃんをはじめとする、「おむつに排泄はするもの」と思っている人たちにはどう伝えれば上手くいくでしょう。ちなみにGちゃんは女子なので男子のようにおしっこを視覚的に確認するのもやや難しいです。大人も「うーん、うーん」といろいろ考えて挑戦しようと職員で話しました。良いアイデアが実践されたらまた報告します。

情緒的な理解?誤解?

「F君らと3人でゲームをしている時に、F君が『うるさい』と言ったように思ったので、『そうだね、うるさいね』と共感の意味の言葉を返したら叩かれました」と職員が報告してくれました。以前、言葉がうまく使えない人が感情表出の絵カードで「うるさい」と示したときに「そうだね、うるさいね」と共感すると興奮が収まったという話を、職員は覚えていたのだと思います。それなのに、なんで攻撃されるの?という疑問です。

絵カードでの感情表出は、マイナスの感情を暴れて発散するのではなく、相手に適切に表現することで気持ちを収める学習です。今の気分を伝える絵カード表出の学習時に、たまたま熱が出て「しんどい」カードを教える機会がありました。そこで、感情=気分というのはいつも「元気」ではなく、「しんどい」時もあり、その気分は相手にも伝わることをその人は学んだのです。その後、腹が立ったときにも「しんどい」カードを自発的に示すようになり、そうか「怒ってしんどいのか」と周囲が共感の慰め行動を続けることで、あまり怒らなくなったという事例でした。

この事例を模倣した事は良くわかるのですが、決定的に違う事があります。事例は何度も絵カードで双方が共有してきた感情カードですが、F君の発声した「うるさい」は職員と彼が共有した事がない音声だということです。もちろん文脈的には「うるさい」と言うべき場面です。但し、それはF君が機能的な言語表出ができる場合です。F君は欲しいものやしたいことを特定の大人に決まった場面で一語文で言えますが、感情の表出は難しく、ストレスを溜めて爆発させる事が多いです。しかも、表出の絵カード練習を系統的に学習していません。職員は「僕は、彼らがうるさいのでイラつくのだ」の意味が彼の発した「うるさい」だと理解したのです。しかし、ASDの人たちの中には不安な時に以前体験した言動を再現することがあります。

つまり、F君の気持ちは確かにイラついているのですが、イラついてフラッシュバックした言葉が「うるさい!」と大人が怒鳴る場面を再現したかもしれません。それは、自分に向けられた言葉か、他者に向けられた言葉かは分からないですがF君には不快な場面が想起されたと考えられます。だから、「うるさい」の後に、相手を叩くという見たままの言動が再現がされたのかもしれません。ASDの人の中には、強い不安を感じている時に、以前同じような感情を持った時の状況を再現することがあるのです。

不適切行動は、情緒的な解釈では行動の意味が理解できず解決策が見出せない場合が多いです。しかし、機能的なコミュニケーションの視点で考えていくと、行動を仮説することが可能になり支援策もいくつか見えてきます。絵カードなど「大人と子どもの双方が意味を共有できるツール」での学習が有効であることは確かだと思います。

大縄跳び

D君の遊びを探していて、大繩とびなら個人の縄跳びと違って「共同あそび」感があっていいんじゃないかと取り組んでみました。「10回飛びました。よくできました。ブランコへ行きます」とD君。跳べと言われたから跳びました感満載でブランコに行きました。「ん~手ごわいなぁ」と職員が思っていると一緒に来ていた小学生チームがキャーキャー言って跳んでいます。その歓声につられてEちゃんも「縄跳びします」と跳んでいきました。大縄跳びでこんなに盛り上がるとは思わなかったです。D君以外ですが・・・。

さて、これからどうやってみんなで跳ぶかですが、小学生があんなに喜ぶなら、D君やEちゃんを引き入れて大縄跳び合戦をしてもいいかなと思っています。D君は一人はさみしくてみんなに見ていて欲しいのですが、課題をこなすのは嫌だと言う人です。そんなD君にどうすればみんなで遊ぶと楽しいよと伝えられるのか思案中です。「ハイ10回終わりました。縄跳び終わります」と迷惑そうな顔をするD君を思い浮かべると気持ちがなえてしまうのですが、大好きなサイダーとか持ち込んだりしたらうまく楽しめないかなと思ったりしています。遊ばない子の遊びを作るのは本当に難しいなぁと思います。