すてっぷ・じゃんぷ日記

2019年7月の記事一覧

バスケットゴール

今日は雨が降りそうなので、高架下公園の人工芝エリアで野球やバスケットをしました。バスケットボールはシュートが楽しいのですが、どこの公園のゴール高も大人用の305cmなのです。これはアメリカ人の身長にあわされたもので、日本人には高すぎます。それに、公園で遊ぶ多くは子どもですからせめてミニバスケット用の260cm高のゴールをもっと設置して欲しいです。高くて力が及ばないのでせめてボールの重さを軽くしようとソフトドッチ用のソフトスポンジボール250g(バスケボールは500g)を購入して試しています。今日はシュート決まったかな?

パタパタ・ストラックアウト

本日も猛暑日。ちょっと体力消耗気味のみなさんは室内でストラックアウトゲーム。今回はうちわであおいで的を倒し、パーフェクトを狙います。もの倒し名人のK君には大変ウケました。

 

本日も雨の合間に里山公園で遊んできました。帰ってきたらゴロゴロと雷鳴が轟いていました。

近年になって落雷は温暖化などの影響で、ゲリラ豪雨やスコールのような大雨に伴って増加傾向にあるようです。従来は、山間部での落雷が主でしたが、ここ数年は都市部での落雷のケースが増えていると考えられています。雷は「高い所・高い物・高く突き出た物」に落ちやすい性質があります。建物の屋上・山の頂上などや、また、周囲に高いものがないグラウンドや、平地が広がる公園・ゴルフ場・屋外プール・堤防・砂浜などは要注意です。落雷による死亡事故で1番多いのは「開けた平地で雷の直撃」、2番目が「木の下の雨宿りでの落雷」です。この2つが全落雷事故死の半数以上を占めます。建物の軒先で雨宿りするは非常に危険です。建物に落雷してしまうと、雷の電気は外壁を伝って襲いかかってくるからです。また、木の陰での雨宿りも、間接的に落雷する可能性があります。「ビル・高い物・木からは、屋外ではできるだけ離れる」が原則です。

カレーライス

本日は、海の日。家族でレジャーに出かけた方もいるので利用者は少なめです。スタッフは夏の準備を始めているので総動員です。午前中は公園遊びでおなかペコペコ。そんな時はやっぱりカレーライスです。3杯も食す強者もいてびっくりです。カロリー満点、腹持ち一番!日本のカレーライスは明治維新と共にはじまります。

1860年(万延元年)福沢諭吉が「増訂華英通語」でカレー(コルリ)を紹介。1872年(明治5年)カレーライスのレシピを記した本『西洋料理指南』(敬学堂主人)、『西洋料理通』(仮名垣魯文)が出版。1873年(明治6年)、陸軍幼年学校の生徒隊食堂の昼食メニューに、ライスカレー。1876年(明治9年)、札幌農学校教頭クラークが、「生徒は米飯を食すべからず、但しらいすかれいはこの限りにあらず」の寮規則。1877年(明治10年)、東京の「米津風月堂」が、初めてライスカレーをメニューに記載。1889年(明治22年)、神戸居留地にあるオリエンタルホテルのカレーライスを「The Pioneer.」誌上で絶賛。1903年(明治36年)、大阪の「今村弥」(現ハチ食品)が、カレー粉を製造販売。1906年(明治39年)、東京・神田の「一貫堂」が、初の即席カレールウ「カレーライスのタネ」発売。1908年(明治41年)、海軍が配布した『海軍割烹術参考書』に、「カレイライス」のレシピが載り海軍カレーとなる。このカレーが戦後復員兵によって日本全国に広がり、様々な家庭の味、店の味と進化していったそうです。

アメドジ

アメリカ中で一大ムーブメントとなっている全く新しいポップ・カルチャー・スポーツ、それが<アメリカン・ドッジボール>略して『アメ・ドジ』です。大ブームのきっかけとなったのが、メガヒット・ムービーとなった映画「ドッジボール」。待望の日本公開を前に、映画の応援団長にあのロバートが就任。彼らがチョー熱血指導(?)してくれるこのルールガイドを読んで、さっそくみんなもレッツ・ドッジ! てなことで本日の午後あいにくの雨でしたが、高架下公園で「雨」ドジを強行しました。

各チーム共に、外野へ子を置きません。ボールを当てられ、アウトになった子は、相手のチームに入り戦います。当てれば当てるほど仲間が増えます。どちらかのチームが全滅したら終わりです。このアメリカンドッジのルールは、日本の子どもたちによって伝えられたルールです。アメリカの「アメリカンドッジボール」のルールとは違います。要するに、はないちもんめドッジとも言えます。