すてっぷ・じゃんぷ日記

2019年11月の記事一覧

構造化支援にまつわる現場「あるある」

構造化支援とは、簡単に言えば視覚(またはその人の得意な知覚)情報が取り入れやすいよいうに工夫された支援と言えるのかもしれません。ビギナースタッフから、この支援を見て「冷たい感じがする」という感想を言われたことがありました。ベテランスタッフなら必ず出会う現場「あるある」です。

視覚支援を優先させたいとき、聴覚情報がノイズになって邪魔な場合があります。従って、何も知らない素人さんが見た目には「声かけもしないで、絵カードだけで指示とか、手をもってカードを取らせてスケジュールを教えたりするのは、人として冷たいんじゃない?」のような、感想を持たれることがあります。

私たちは、視覚や聴覚、または触覚から情報を入れる時、自動的に集中すべき感覚に切り替わります。あるいはカクテルパーティー効果と言って、賑やかな場所で選択的に声を聞き取る力も持っています。しかし、同じレベルで様々な情報が入ってくればどの情報も取れなくなります。たとえ頑張って情報をとったにしても、それではあっという間に疲れ果ててしまうでしょう。私たちが支援している知的障害や発達凸凹のある子どもの実態は、聴覚情報が苦手かもしくは注意の切り替えや選択が難しい子が多いのです。

賑やかに楽しそうに声をかけることが、その子にとっては苦痛なこともあるのです。私たちも物事に集中したいとき「もう!声かけないで!」という事があります。要するにビギナースタッフさんは、こうした障害や心理現象を学んでいないので、こうした支援が想像できないだけなのです。

逆に、こうした支援が子どもへの「標準支援」だと思い込んで、どんな子どもにも無頓着に同じ支援をするスタッフもいます。これも、構造化支援の意味を理解していないのです。このスタッフが大勢いると、どの子も同じスケジュール、同じパーティション、同じカードが使われ、一律「なんちゃって構造化支援」が行われます。そして、先の冷たく感じるスタッフとなんちゃって支援スタッフが鉢合わせると、双方に誤解が生じて対立するのも、現場のよく「あるある」事件です。ベテランのスタッフは「もーちょっと勉強してから張り合ってね」とため息をついているのも、現場「あるある」です。

マスターベーション

二次性徴期になると性器に刺激を受けると気持ちよいと感じたり、落ち着いたりするため性器を触ることがあります。性器を触ることはある意味自然なことであるため、「触ってはいけない」「駄目」などと行為を排除してしまうのは良くありません。性器を触ってはいけないとインプットされたために、排尿時に触ることが出来なかったり、性器を洗ったり拭いたりすることが駄目なことだと思い込んでしまうことがあります。男児ではマスターベーションを行うことが出来なくなる場合もあります。性器いじりをしている際には「人前では行わない」「自分の部屋やお風呂やトイレなど場所を限定させる」「寝る前や夜のみなど時間を限定させる」ように教えます。

人前で行ってしまった場合は激しく反応せずに人目に付かない場所へ移動させたり、周囲の目から隠れるようにします。性器を触ってしまう行動には性的な面だけでなく、手持ち無沙汰であったり、不安やストレスを感じている場合、陰毛が生えてきてチクチクする、パンツや生理用品の不快感、性器が汚れてかゆみを感じる場合など様々な理由があります。性器を触る行動が見られた場合には、どの様な時に行っているかを観察し、原因を調べて対処をすることも重要です。

マスターベーションとは『自慰行為』や『オナニー』などとも言われ、男子ならペニスに刺激をあたえ射精を行う行為で、女子なら乳房や性器を触って性的快感を得る行為です。マスターベーションは体に害は無く、至って普通の行いです。特に男子の場合には性的欲求を発散させ、気持ちを落ち着かせるためにも必要な行為でもあります。マスターベーションを行う場合には、性器弄りと同様に「人前では行わないこと」「自分の部屋や風呂場やトイレで行う」など場所を限定することが必要となります。また、性器を触るため清潔な手で行うことと、性器を傷つけないように行うこと、マスターベーション後にはしっかり処理を行い性器を清潔にすることも重要です。

制服

制服の効果はすごいです。先日Rさん達は学校で高校生の交流会がありました。もちろん高等部生ですから制服(標準服)で交流です。Rさんは、帰りも制服のままで放デイの送迎で駐車場に来ました。Rさんは送迎の切り替え場面などちょっとした見通しのなさで不安になって、故意に転倒してスタッフの注意をひくのですが、今回は制服のままでささっと車に乗り込んできて、「ありがとうございます」とお迎えのお礼までしてくれました。

きっと、同じ制服を着た高校生同士の交流で盛り上がり気持ちが同期したのだと思います。たかが制服、されど制服。着る物で自分の気持ちが調整できるようになるのが青年らしいところです。

 

プラレール

プラレールは、タカラトミーが販売するロングセラー商品で、1959年に第1号が発売されており、50年を超える歴史があるおもちゃです。鉄道好きの子どもがターゲット層ですが、長きに渡るファンが多いため大人向けの商品も販売しています。形状は、プラスチック線路の上を、2車両~3車両連結できる鉄道模型が電池で走る仕組みです。実際に走っている鉄道車両をモデルにしているので、新しい鉄道ができる度に新商品が発売され続けています。

男の子の好きな乗り物、中でも特に親近感のあるのが電車。そのミニチュアバージョンが目の前を走る光景に、彼らの想像力がいっぱい膨みます。車両・レール・各部品の単体、プラレールで遊ぶには、自分で線路を組み立て、そこに踏切やトンネル・駅などを適当な場所に配置していきます。線路の組み立て方や配置は自由自在ですので、まず設計能力や想像力が育ちます。

そしてお片付けの際には収納能力、さらには収納や路線変更の際は全てバラバラにしますので、楽しみながら何度も繰り返し子どもの能力を育む「最高のおもちゃ」です。プラレールの適正年齢は3歳~15歳までという名目で販売していますが、大人向け商品もありますし、親子で遊ぶ家庭も少なくありません。子どもの頃に夢中になって遊んだおもちゃを、我が子と楽しめるのは、親にとってもうれしいことです。さて、本事業所のプラレールも1年半走り続け、ガタが来たので新車両を購入する予定です。もしおうちに眠るプラレールがございましたらお声がけください。

男組

高学年のT君のあとを下級生の4人が金魚のフンみたいにくっついて、山道を探検する姿がありました。久々に見ました。異年齢集団のいいところ。下級生は上級生にあこがれ、声をかけてもらうだけで幸せになります。上級生は自分を慕う下級生に目配せして、怪我しないかなどと気を遣う。教室の中ではできない関係、自由な戸外だから、大人の目が十分届かないから成立する関係。もう街角のどこにもその姿は見られません。

興味の無い事

利用者の子どもによっては興味のある事と無い事の差が激しく、興味のある事であればトコトン続ける事ができるのですが興味の無い事になると全く手を付ける事ができません。これを改善する事は非常に難しく、興味のある分野を伸ばして行く事に仕向けた方が暮らしやすい子が多いようです。

誰もが興味の無い事はありますが、彼らの興味の無さはスタッフでも理解できないと言われる程です。自分の食べるもの以外にに興味のない人は腹が減っていようがおいしそうな匂いがしようが、一切気にならないのです。好きな食べ物があればそれを食べ続ける事を好み、毎日3食同じ物でも問題はありません。逆に違う食べ物を食べる事の方が苦痛を感じてしまうのです。好きになるとそれだけに固執してしまうのです。

全てがある程度のバランスを保てない特徴を持つ自閉スペクトラム症の人達は、興味がない事がおかしいとは感じていません。ただ、自分には興味の無い事だと言う程度にしか認識していないようです。何かに興味を持つとそれ以外の事が見えなくなる傾向が強いのですが、時間を忘れて取り組んでしまう事が多々あります。それは自分が納得するまで続くのですが、家族や集団と上手く調和する事が難しいかもしれません。

自分が好きな事をするのは楽しい事。そして夢中になるのも同じだと思います。しかし一旦夢中になり始めるとその他の事が一切気にならなくなってしまうのです。誰かが話しかけても聞こえない事もしばしば。無視をしているのではなく聞こえないのです。日々こんな子どもたちと付き合っていると、自分のこれまでの基準やモラルが軽く打ち砕かれる時があります。そして、来るべきダイバシティ―な未来社会を夢想するのです。

凧揚げ

冬一番。風が冷たく強くなると凧揚げの季節です。里山公園に凧あげに出かけています。良い風が来ないので、普段は走るなんてとんでもないという顔をするR君が汗だくになって走り回っています。子どもたちが走る姿を眺めるのはいいものです。淀川の河川敷にでもいけばもっといい風がとらえられるので高く上がりそうです。ビニール袋で簡単にできる「ぐにゃぐにゃ凧」を自分で作って出かけていくのもいいかもしれません。

枠組みと交渉

絵カードコミュニケーションのP君が家庭で明日のスケジューリングの際に、学校の後の放デイ事業所のカードを外して、明日は行かない意思を示しました。おうちの方は、こんな要求は珍しいから何か理由があるのだとその要求を認めました。それから本人はずっとどこの事業所も行かない意思を示し続けています。

P君にしてみればたまたま要求が叶ってどこにも行かず家で過ごしてみると、なかなか快適だったのかもしれません。この場合、どういう課題があり、どういうアイデアがあるのでしょう。要求は、社会の中で一定の約束(枠組み)の中で認められます。今回は、交渉と契約、視覚的強化システム(PECSマニュアル13章)の課題とアイデアが必要になってきていると思います。(続く)

なぜ子どもは崖登りが好きなのか

子どもは不安定な場所での移動が好きです。道端の溝蓋の上や境界ブロックの上を歩いたり、コンクリ階段の手すりの上に上がってわざわざ歩こうとしたり、斜面を見ると走って上がろうとしたり、手ごろな樹木を見ると登ってみようとしたり、一見エネルギーの無駄遣いみたいな行動をします。

でも、これは前回「11/18感覚統合アプローチ」に書いたように身体と脳の統合的発達にはとても必要な行動です。不安定なところで平衡感覚(前庭覚)を使いながら、全体の力の調整をとりつつ必要なところで瞬発力(固有覚)を発揮して走破していく突破していくことによって、脳と身体の発達の基盤的システムの高次化を達成します。コンピューターでいうなら基本プログラム(WindowsとかmacOSなど)を走らせる前段階の電源やCPUやメモリーやキーボードやモニターなどの統合的な調整をするオペレーションシステム(OS)のバージョンアップと言えます。

なんのこっちゃと思われる方は、10か月頃の赤ちゃんが何度も立ち上がろうとする行動等、遺伝子にもともと仕込まれている発達行動にスイッチが入っているから、子どもはわざわざ「できそうでできなさそうなことをする」と言えばイメージができるでしょうか。てなことで、子どもが崖を上ったり下りたりするのは意味があるという話です。そして現代には、その発達の土壌である崖がなかなかないので、支援者は手ごろな崖を求めて彷徨うわけです。

再びスケジュール考

スケジュールについては「9/19効果のでないスケジュール」や「5/30視覚支援」で述べましたが、その趣旨は、大人が子どもを管理するためにするためのものではなく、支援を受ける側の方々が、理解しやすく、不必要な混乱をしない、つまり、生活の主人公になるために行うものです。

そのほかにもスケジュールによる視覚支援は、短期記憶の弱い人の記憶の代わりになり、作業や学習を進めるにあたっていちいち人に頼らなくても、自分で自立してすすめられるという利点があります。つまり便利なのです。

ただし、やりたくもない課題、必要性を感じない内容については、いくら手順を示してもやりたくないものはやりたくないのです。つまり主人公たる本人のやりたいことが、自分の力で実現できるから、スケジュールをはじめとする視覚支援を本人が使おうとするのです。自分にとってメリットがあるから使うのです。座らせたり、片づけさせられたり、準備させられたりするためにスケジュールは使われるのではありません。それは、ABAの理論に基づいた動機付けの工夫が別に必要です。スマートなスケジュール支援はそこまで考えた総合的な教育支援になっているものです。

 

見学・体験会

最近、次年度や新学期に向けての見学・体験会が当事業所でも開催されています。本日は低学年女子が体験に来ました。一緒にストラックアウトを取り組むことになった女子のNさんは、とても嬉しそうです。

何しろ当事業所の女子率は3割いないので毎日になると一人か二人、低高学年の区別まで入れるとほぼ一人の日もあって、ガールズトークができないという弱点があります。女子低学年の皆さんどうぞ見学にお越しください。

一人でできることの大事さ

以前「就労メニューとワークシステム8/9」でプットイン課題について紹介しました。認知の障害の重い人や、目と手の協応が苦手な人でも取り組める初歩の自立課題であることを述べました。

最初は大きな重さのあるものを穴に入れるだけの課題から、徐々に軽いもの、小さいもの、薄いものへと進んだり、大きさの違うものを入れ分けたり、形の違うものを入れ分けたり、時間を長くしたりして発展させていきます。

よくある光景は、プットイン課題を勉強を教えたり指導のように考える方がいます。こういう方は、自立課題の意義そのものを間違えていて、ゴールが見えていません。自立課題は、自立して作業する気持ちよさを教えることが目的であって、ステップアップして難しいことをさせることが第一の目的ではないということです。一人でできる喜び、自分だけの力で達成する喜び、「GOOD JOB!」「おつかれさん」と言ってもらえる喜びを教えるのが自立課題なのです。そのために、子どもにわかりやすい作業をしてもらうために手を変え品を変え課題を作っているのです。

10ピースのパズルができたから20ピースのパズルを与えるのではなくいろいろな種類の10ピースのパズルが一人ででき気持ちのいい終わり方ができることが大事なのです。ゴルフボールが入れられたら、ピン球も入れられ、ビー玉も入れられ、という幅を広げる展開を考えてほしいです。

 

キックベースボール

キックベースはボールを遠くに飛ばせる人こそがスターです。キックベースにおける正しい蹴り方=飛距離の出る蹴り方です。もちろん、狙った位置(人のいないところ)に正確にボールを飛ばすの技術も必要ですが、まずは、初めてキックベースを経験する子どもには飛距離が重要です。遠くに飛ばせたほうが、やっていて楽しいからです。

ボールを遠くに飛ばす蹴り方は、インステップキックです。足の甲(足の一番硬い部分)で蹴るので、蹴る時のインパクトが強くなり、飛距離を稼げます。まず大事なことは、ボールの「真ん中」に足の「甲」を当てるというイメージが大事です。スイング打はなんでも、ボールの打点から最後まで目を離さないことが大事です。インステップキックも、自分の足とボールの中心を最後までしっかり見据えたまま、蹴ることが大事です。とりあえず、助走は走る事と蹴ることの調整が難しいので、助走はあとからつけます。ボールも制止したままからはじめます。ボールの真ん中を足の甲で蹴る(というより「叩く」といった感覚がコツです)目は足から離さない。この一連の流れを掴むことから始めます。甲で叩く感覚で蹴れるようになったら助走です。

助走するときは、真っ直ぐではなく、斜め45度くらいからボールに入るほうが蹴りやすいです。真っ直ぐ転がってきたボールに対して、真っ直ぐ向かって蹴り抜くのは蹴りにくさを感じるため、多くの人は斜めから入ったほうが、やりやすいです。蹴る瞬間は、足首を固定したまま(力を入れたまま)にする。足首がふらふらしていると、ボールに伝わるインパクトが弱くなるので、遠くに飛びません。足の甲にボールが当たった後は、そこで動きを止めずに、勢いそのままに、しっかりと足を振り抜きます。インステップキックは、狙った位置に正確にボールを飛ばすのは難易度が高い蹴り方ですが、とりあえず遠くまで飛ばしてキック力に自信を持つことが大事です。

発達障害中高生の放デイ事業展開は難しい

本法人ででは、夏から、通常の学校に在籍する高学年や中高生の放デイを立ち上げるべく職員を募集していましたが、現在まで人材が見つからず、当面次年度は新しい事業所は立ち上げられないと判断しました。

そのため、通常学校の小学生の利用は小学校在学中として、新入生の入所ニーズに応える方向で考えています。つまり小学校卒業と同時(3/31まで)にすてっぷも利用契約終了とします。

小学校を卒業したからといって、発達障害のある中高生の放課後のニーズがなくなるわけではありません。むしろ、同じニーズを持つ仲間の居場所として、自己理解や社会性の育ちの場として、今日ますます必要になっていると言えます。私たちとしては、今後も鋭意努力して人材さがしを続けていくつもりです。お知り合いにこうした志をお持ちの方がおられましたらぜひご紹介ください。

 

ドングリ

車内を掃除していたらシートの間からどんぐりがたくさん出てきました。子どものポケットから落ちたものでしょう。子どもの収集欲は凄いですから、大人が思っている以上に真剣に集めます。全部同じに見えるどんぐりも、ツヤツヤしたもの、不格好なもの、スラッとしたものと面白い形のものが見つかり、楽しいです。

『どんぐりの木』なんて言い方しますが、実はどんぐりは『ブナ科』の木の実の総称です。
▼ドングリ(団栗、英: acorn)とは、ブナ科の、特にカシ・ナラ・カシワなどコナラ属樹木の果実の総称である。ドングリからその樹種を判別することは可能だが難しく、木自体を見る方がはるかにやさしい。ただし、属の見分けは比較的やさしい。▲
どんぐりのシーズンは9月末から11月上旬です。日本では20種類近くのどんぐりがあり、ブナ属、コナラ属、マテバシイ属、シイ属。どんぐりは、ブナ科の樹木の果実の総称でクリ属に属するクリもどんぐりの仲間と言えば仲間ですが、クリは除いてどんぐりと考えるようです。

どんぐりを拾ったら、『どんぐりコマ』を作ります。ドングリと言っても大きさ形は様々でそれぞれがちょっと変わったドングリを見つけてきて比べ合ったりするのがこの遊びの醍醐味です。拾ってきたどんぐりにきりで穴を開けます。どんぐりは結構固くて、穴を開けるのに力が必要でなかなか大変です。器用な子どもなら大丈夫かもしれませんが、持ち方や力の入れ方が下手だと怪我をしてしまうかもしれないので最初は必ず大人が穴をあけてください。穴が開いたら、穴につまようじを差し込んで完成です。たった2ステップで、どんぐりコマの完成です。但し、ドングリのバランスが悪いとコマがうまく回りませんので、数を沢山作る必要があるかもしれません。日本の四季をどんぐり遊びや野山の自然で感じてほしいものです。

 

挑発行動の見極め

前回K君の不適切な行動を紹介しましたが、高学年の行動は低学年には憧れとなり、不適切な行動の真似は集団のモラルの低下を招くというお話をしました。案の定、前回K君の行動を見ていたM君が「僕は公園なんか行きたくない」と挑発行動に出てきました。どうしようとスタッフから相談がありました。挑発行動の対応は、理を尽くして説明してもあまり効果がないです。理由なき憧れの不適切行動はスルーするのが原則です。そしてブロークンレコード「今日のみんなの予定は公園です」の繰り返しです。公園に行ったら、M君は声を上げて楽しそうにみんなと遊んでいたそうです。人の心情を理解していない場合の行動と、人の心情を試す挑発行動の見極めは支援者にはとても大事です。

 

モラル支援

高学年のK君がみんなを待たせているのに、待たせたことを謝罪もしないで下級生に横柄にあたることがあったという報告がありました。スタッフにしてみれば、在宅がちのK君がみんなと遊ぶことができる機会の出鼻をくじきたくなかったという思いがあります。しかし、反省会ではそれは支援だろうかと議論になりました。

まず、不適切な言動をスタッフはあれこれの理由があってもスルーしてはいけないことです。なぜ皆を待たせて謝罪がないのか正面から聞くことです。高学年の存在は、低学年にとってあこがれの存在です。しかしそれは下級生に横柄にしたり謝らなくていい存在ではありません。スタッフがその言動をスルーすれば集団モラルは劣化してしまいます。スタッフは、どんなに急いでいても、相手の気持ちがわかりにくい子どもたちだからこそ、なぜ謝罪が必要か丁寧に説明することが支援です。その場でできないなら後で話そうと保留して、その言動を許してはいないことを全体に示す必要があるという話をしました。

 

できるできない

ストラックアウトでG君とH君が遊びました。G君は投げて当たったエリアに自分で「当たり」シートを貼りつけて、次の順番のH君に球を渡せるようになったという報告の一方で、H君は何処に当たったかも見てないし、順番を意識して球を渡すこともできないという報告でした。

G君は「~したら~する」がわかる認知発達の段階、H君は「人と同じようにしたいけどうまくはできない」段階。この二人を比べるのではなく、先の認知発達の段階と照らし合わせて活躍できているかを見ることが実践者の目です。G君は視覚支援の成果もあって大人の介入なく「~して~する」が見事にできているし、H君もG君のように的に向かって投げようとしています。どちらもOKです。

ロールプレイ

キックベースをしていた時のことです。D君はルールもよくわかりどうすれば勝てるかも良くわかっています。一方、E子さんはキック力(打撃力)はあるけど走るのは遅い。F君は最近やっとチームプレーに馴染めるようになってきたところです。

この3人がチームを組んでプレーしていました。D君はE子さんが遅いので「もっと速く走って!」と檄を飛ばし、F君には「守備はもっと前で!」とアドバイスをします。二人とも気分が悪いとそそくさとプレーから離脱してしましました。スタッフが二人の会話に耳を傾けると「何様やねん」「言い方が腹立つ」とD君をディスります。

D君は良かれと思い勝ちたい一心で檄を飛ばしただけですが、それが二人は気にくわないのです。この場合はどちらも指導が必要です。友達の頑張ったプレーは「セーノ」で声をそろえて「ナイスプレー」と褒める、失敗したら声をそろえて「ドンマイ!」と言う。一人に10回声かけるまでは決してディスらないこと。では両者ともプレーの前に、一回ロールプレーで練習しよう。チームメイトの頑張りをよく見ましょう。

さて来週はどうなるか?楽しみ楽しみ。

 

お疲れ様です

みなさん学校祭で調子の悪い人が多いと書きましたが、出番が終わった人は徐々に回復しております。今日は放デイのスタッフもたくさん見に来られていました。「~君がかわいかった」とか「~さんは気合が入ってた」とか口々に御贔屓の子どもたちの話題を交わしておられました。

ちなみに、読者の皆さんが中学高校の時はいかがだったでしょうか?中学を境目に自分たちで自主的に作る学校祭は楽しかったでしょうし、つじつまを合わせたやらされ感の多かったものは嫌だったのではないでしょうか。大事なことは子どもたちが主体的に取り組んでいることです。けれども主体的とは大変むつかしい言葉です。みんなに表現したい見てほしいという動機は何もないところからは生まれてこないし、何らかの表現のチャンスも必要です。そのチャンスは、他者の誘導であっても最終的に本人が選んだものかどうかというのは本人しかわからないものです。最初は嫌だったけどやってみて好きになる場合もあるからです。

そういう意味では小学校時代はチャンスを「合理的」に試す時期かもしれません、思春期に入ったらまずは本人の選択が重要です。一律平等に参加させようとするのは個性の無視です。参加を拒否することも表現をしないこともOKだという柔軟性が大人に求められています。それでも出番が終わった人たちは晴れ晴れとしています。みなさんお疲れさまでした。

しんどいから笑う?

C君、お迎えの時から笑っているので、調子いいかなぁと思っておやつ作りをしていたら、調理台の上に置いてあるオムレットの具材用のバナナ丸々一本を、ホットプレートの上でごろごろ転がして焼いてへらへら笑うので、普段はそんなことする子じゃないのになんか妙だったというスタッフの報告がありました。

今週は文化祭の前で授業や時間割もイレギュラーでいつも通りではないので、みんなかどうかは分からないですが、少なくない利用者の子どもたちは疲れています。そして、C君のへらへら笑いは楽しいのではなく、疲れてへとへとだという感情表現の間違いです。疲れたらへらへらしたりテンションが高くなる人は結構います。そして、自分が疲れたことに気が付いていません。

私けっこう得意かも

ニットクイックルーム(大型リリアン編み)を手芸に提供してみたら、結構うまく編めました。にんまりして「私けっこう得意かも」とどんどん編んでいくBさん。手にマヒがあってもこれなら編んでいけます。とっても誇らしげです。

おやつにオムレットを作ったのですが、不自由な手で粉を計量してると後ろから「もうちょっと」「あー多かったかなぁ」と外野がうるさいのでBさんしょんぼり。一人でできること=大人に介入されないこと=自尊感情が高まること、その逆は一人でできないこと=大人にしょっちゅう指示されること=自己否定感が高まること、を学んだ一日でした。

そだねー

利用者のほとんどは友達やスタッフと絡まって生活しています。絡まって生活していると、相手の行動が許せなかったり、スタッフの理不尽な言動に腹を立てたりすることは日常的な事です。絡み合って生活しなければ対人感情は発生しませんので、感情のコントロールはこういう現場でしか教えようがありません。しかし、発達障害の人に感情の存在を教え、適切な感情の表現を教えることは大変むつかしいです。

怒ると大声で怒鳴ったり甲高い声で騒ぎ立てていたA君に、「怒るのはいいけど、大声を上げたり泣くのはNGです」と感情表現コードを決めています。でも、怒ることは彼にとっては大声だったり泣いたりなのでこの言い方では「怒るな」としか理解できません。怒りそうになると「怒らない、笑顔ニコ」と感情を抑え込んでしまいます。普通の声で「怒った」とか「頭来た」とスタッフに言いに来るのは「感情表現コードOKです」と伝えてきました。最近ようやく、友達のふるまいに「むかむかする」等と独り言をつぶやいているのですが、この振る舞いを「グッジョブ」と言って強化していいものかどうか悩みどころです。誰にでも「むかつく―」と言っても困るからです。「そうかー。そだねー」とスタッフが共感することでいいんじゃないかということになりました。プラスの感情は共有しやすいですが、マイナスの感情の共感と言うのは難しいです。だけど、人間生活にとってとても大事なコミュニケーションです。