すてっぷ・じゃんぷ日記

タグ:学習支援

「背」

前回の続きです。前回の記事はこちら→5月14日(日)宇野先生講演 発達性ディスレクシアの評価と支援 その2

前回漢字の形を子ども達に教える時、パーツを文章にし、視覚と聴覚からアプローチして(聴覚寄り)教える方法がある、と書きました。

さて、「背」を教える時にはどんな文章がいいでしょう?筆者は

「背中の 北には 月がある」

と、ありきたりな文章しか思いつきませんでした…

講演会では

「背中に 北斎の 月」

と、「入れ墨!?」と突っ込まれる文が出てきました。こういったシュールであったり面白い文章の方が子ども達は覚えやすいのですね。宇野先生からは

「背脂が乗っかった 北海道の 月見そば」

と考えた子どもがいたそうです。「気持ち悪いよね~」とウケたそうです。ただ教室の中でどっと笑いが起きる方が子ども達の印象にも残り、覚えやすいと思います。

こういった漢字の覚え方は実は本にもなっています。「漢字九九」と検索すれば出てくると思いますが、特別支援の漢字指導教材としてよく使われています。通常の授業の中では覚えることが難しくても、こういった方法で覚えることが出来る子がたくさんいます。通常学級の中の漢字が苦手な子どもにも試してみるとよいかもしれません。

通常級での支援

昨年12月の文科省での調査で、発達障害の可能性がある小中学生は学級に8.8% とありました。現場での実感としてはもう少しいると感じているでしょう。

文部科学省初等中等教育局特別支援教育課 特別支援教育調査官の加藤典子先生のが調査結果について書いた寄稿を読みました。最後に大事なことが書いてあったのでこちらに引用させていただきます。

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通常の学級には、発達障害を含む障害があるだけではなく、教育上特別な支援を必要とする児童生徒が在籍していることを前提に、学級経営や授業づくりを行うことが必要であるとともに、学校全体として個々の児童生徒の障害の状態等に応じた指導内容や指導方法の工夫を、組織的かつ計画的に行うことが求められています。

また、令和4年3月に公表された「特別支援教育を担う教師の養成の在り方等に関する検討会議」報告において、「特別支援教育の考え方は、特別支援教育分野の専門性向上や進展のみならず、また、障害の有無にかかわらず、教育全体の質の向上に寄与するものである」と示されていることからも、特別支援教育を基盤とする校内支援体制の構築と充実は重要な意味をもっています。


全ての教職員が児童生徒に対する配慮等の必要性を共通理解するとともに、全ての児童生徒がお互いの特徴を認め合い、支え合う関係を築いていけるよう、児童生徒の多様性を踏まえた学校づくりや学級づくりを進めていくことが重要です。

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引用した部分に書いてある通り、通常学級の中にも特別な支援を必要としている子どもがいる、ということを前提に学級経営をしなければならない時代です。

しかし特別支援に力を入れている学校と、それが出来ない学校の二極化がされているように思えます。通常級では担任が出来なかった教諭や、講師をとりあえず支援級にあてがう学校が今でもあります。また、通常級の担任であっても支援が必要なことはわかりつつもどうしたらよいかわからないまま一年が進む、こともあります。(中には様々な理由をつけて個別支援をしたがらない教員もいますが…これは論外ですね。)

教室の中に特別支援が必要な子がいるのであれば全員にすればよいのです。必要のない子は必要ない、と自分で判断も出来るでしょう。いじめ等に繋がる、といった消極的な理由で特別支援を避けるのではなく、積極的に特別支援を用いる教員が増えてほしいと思います。

今までの学習が通用しない「分数」

特別支援教育士資格認定協会が発行している「LD/ADHD&ASD 2023年4月号」に分数について面白い記事がありました。分数の難しさについて2つのポイントを教えてくれています。

1つめの難しさは、分数はさまざまな点で整数とは異なる点にあります。小学校学習指導要領解説算数編(文部科学省 2017)で「小数が十進位取り記数法で表されているのに対して、分数は二つの数の関係で一つの数が表されており、構成する単位が分数によって異なることに着目する必要がある」と説明されているとおり、分数は整数・小数とは異なり、10進法が当てはまりません。たとえば、同分母同士の分数の大小判断では整数的な理解で解決することができますが、異分母の分数だと整数的な理解では対応できず、分数的な理解が必要となります。すなわち、整数は1つの数で1つの量をあらわすという明確な関係がありますが、分数では分子と分母という2つの数を使うことによって、初めて1つの量を示すことができる点に特徴があります。


2つめの難しさは、子どもたちが生活の中で理解している分数と算数で習う分数のズレにあります。子どもたちは就学前の年長児から1、2年生において、分数概念として、全体から部分に分割するインフォーマルな知識は獲得していることが知られています。たとえば兄姉には多めに、弟妹には少なめに分けるような、等分配ではない生活経験をとおして、「“半分にする”とか“等しく分ける(分配する)”という行動を獲得しています。


一方、学校で習う分数は、小数同様、1以下の端数(はしたの数)を扱う学習として位置づけられています。そのため、このインフォーマルな知識を算数でうまく活用できません。幼児は生活体験の中で、丸いケーキを3人で分けたときと4人で分けたときの1人分が多いのはどちらなのかをすでに知っているにもかかわらず、分数を学習した後に「1/3と1/4はどちらが大きいか」という問題に誤答してしまいます。

このように分数は今まで学習してきたことが通用しないことが多いです。そのため子ども達が混乱して勉強が嫌になったり、本質を理解しないまま学年が上がりつまづいてしまうこともあります。現在は分数パズルなどの視覚的に大きさがわかりやすい道具もあります。そういったものを活用して子ども達が混乱しないような授業をしていきたいですね。

がんばりすぎに注意!

新年度になり、子ども達は張り切っています。特に普段「宿題はやりたくない~!」と話している子が今じゃんぷに来ると「宿題するわ!」と言って黙々と宿題と向き合っています。

ただ去年の4月も同じような姿を見ました。筆者は去年じゃんぷに来たばかりだったので、「話に聞いてたより全然勉強するやん」と思っていたのですが、ある日突然宿題から逃げるようになったのを今でも覚えています。つまり、新年度は新しい環境の先生に良いところを見せようと張り切っているようです。

それ自体はとても良いことです。きっかけがなんであれ、苦手なことに対して向き合って努力することは素晴らしいです。ただ恐らく多動なことも相まって「頑張る」のコントロールも難しいようです。

学習障害の子ども達は私たちが思っている以上に学習に対しての苦手感が強いです。「やっぱり限界だ~」と感じてプツンと力が切れ、さらに出来ない自分に対してのネガティブイメージもあり、自己肯定感が下がっていきます。

子ども達が頑張っていることを止めることは出来ません。努力認めつつ、「休憩してもいいんだよ」と伝え続けていこうと思っています。「いつでも休憩してOK」と最初に伝え、休憩する場所を決めてしんどくなったらそこに行っても良い、というルールを伝えています。がんばるのもOK、休憩するのもOK、とある程度枠組みを作った上でそれを伝え、それぞれ自分のペースを掴んでほしいと思っています。ホップ、ステップ、ジャンプ!

単位換算定規

じゃんぷの学習支援で使っている道具の中に「単位換算定規」があります。これは面積・長さ・液量・重さ・体積の各単位を方眼上に表記されています。中央には数字の1と0が書かれた帯が備えられ、左右にスライドできるようになっています。例えば「1」を「km」の位置で止めると、長さならば「1キロ=1000メートル=10万センチ」と読むことができ、液量ならば「1キロリットル=1000リットル=1万デシリットル」だと分かります。4年生の算数で出てくる「ヘクタール」や「アール」など、普段子ども達が日常で聞かないような単位も、すぐ平方メートルに換算できる便利な道具です。

単位の換算は学習が苦手な子どもにとっては難関となることが多いです。定型発達の子どもでもややこしくなり、間違うことが多くなる問題なのですが、「単位が変わると数字が変わる、でも量(距離)は同じ」というのがかなりややこしいです。それがいくつも出てき、その時その時で100=1になったり1000=1になったりと混乱することも少なくありません。

この道具はその複数ある単位換算を一目で見てわかるようになっています。同時処理が得意な子どもにとってはぴったりな道具だと言えます。継次処理型の子どもでも一つ一つの単位を説明し、自分で操作して量(距離)が同じとわかると覚えることが出来る子もいます。

少しずつこういった教材が増えてきています。この道具自体もそんなに高くはないのですが学校で配られる算数セットに入っているのは見た事がありません。このような道具をどんどん使って子どもが学習をしやすい環境が増えていくことを願っています。