すてっぷ・じゃんぷ日記

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手を使う事

Tさんは手が使えますが、職員が全介助でおやつも食べさせています。何故手を使わせようとしないのか聞くと、食べないことがあるからと言います。おやつなのだから本人が嫌なのに食べさせる必要はないと言うと、食べてみたらおいしくていくつも食べることがあると言います。本人が欲しがるなら手を使わせればどうかと聞くと、手が出ないといいます。本人は職員が口に放り込んでくれるものだと思っているからかもしれません。しかし、これでは堂々巡りで、いつまでたっても文字通り手が出せません。

昼食などは栄養価も考える必要があるので全介助で食べさせることが必要な場合もあります。しかし、おやつは好みで食べるものですし、自分の手で食べることを覚える絶好の機会でもあります。「食べさせること」よりも好きなものを「自分の手で」食べることを教えたいのです。そのためには当たり前ですがTさんの反応をよく見ながら食べさせる必要があります。次々に食べる事よりも、「おいいしいな、もうひとつ欲しいな」という反応や「まずい、もういらない」という表情を読み取ります。その読み取りで手でつかむように誘導します。こうして、少しづつ自立を促していくのが療育に求められている役割です。

Tさんが机の上にあるものを手で跳ね飛ばす原因も、こうして考えていくとわかるような気がします。職員は物が落ちるのが面白い、人が騒ぐのが面白いからと言いますが、それもあるのかもしれませんが、行動の初めの原因はもっとシンプルだと思います。いらないものを跳ね飛ばすとしばらくは大人に従わなくてもいいと言う利得ではないかなと思います。もちろん、大人は善意で与えよう・させようとしていますが、機能的コミュニケーションがない本人がどう受け止めたかを考える必要があります。これはABC分析ができると思います。

 

自分のことは自分で

高学年が「先生次何するの~」「どうすんの~」{~君が~してはる~」「何したらいい?」と放デイで話すを、「知的な遅れもないのに、自分で考えて行動しないっておかしいと思いませんか?」と男性スタッフが言いました。ごもっともです。ついつい、支援と過保護を勘違いしてしまうのが放デイです。

以前も、高学年のT君が公園に水筒を忘れてきた時、スタッフに取ってきてほしいと言うので自分のものは自分で管理しましょうとスタッフが言うと逆切れされた話昨日はすみませんでした 2020/12/23を掲載しました。でもT君が大人がやればいいと思うのはT君のせいではなく、周囲の大人の問題です。子どもに任せて忘れ物で保護者にクレームをもらうくらいなら、大人が子どもの持ち物をすべて管理して家に送り届けようと考えてしまうのです。子どもに任せれば忘れたり落としたりするものですが、それも自立のプロセスの中では必要なことです。大事なことは、そのあとあきらめるのか、工夫するかの違いです。

しかし、それを避けるために大人がやってしまっては、子どもは伸びる可能性を失います。最近やっと子どもたちが、自分で考えられるようになってきたとそのスタッフは言います。「ノープランで大人に聞くだけではなく、自分はこうしたいがどうかなと大人に聞いてみよう」と「何したらいいのじゃなくて、これをしたい、これをやろう」という風に変わってきたそうです。子どもが自立できそうなことは失敗しそうでも工夫して自立してもらうことが放デイの療育です。すぐに声かけない、すぐに手を出さない、すぐに失敗をフォローしようとしない、1分だけ待つ余裕が大事です。

タイマーは自立のために

P君が近頃はタイマーが鳴ったら帰る用意を全て自分ですると報告されました。当たり前のことですが、これができるようになるのに3か月かかりました。P君はすてっぷに3年近く来ていますが、やっとできるようになったのです。それまでも彼は帰りの時間までタイマーを使っていたのですが、タイマーが鳴ると職員のところに持ってくるだけで自分で次の行動を起こそうとしなかったのです。結局、職員はタイマーを受け取って「帰宅の準備をしましょう」と言っていたのです。

これではタイマーが、スタッフのスケジュール指示を引き出すものにしかなっておらず、自立には意味がないということで、しばらく帰りにタイマーを使うのは中止して、自分でスケジュール操作を行うスキルの再学習をしてもらいました。帰りの指示は「帰りのカバン」絵を本人の前に置いてスケジュールの前に移動してもらいました。これが完全に一人でできるようになったらタイマーを導入してタイマーが鳴ったらスケジュールの前に移動を促しました。

やっと自分でタイマーが鳴ったらスケジュールに行って「休憩」を下に落として、「帰りのカバン」絵を今からやりますエリアに貼って、帰り支度をするようになったのです。タイマーは大人に報告するためにあるのではなく、当たり前のことですが子どもが自分から次のスケジュール行動を起こすためにあります。職員が困らないのでなかなか気がつかなかったという話です。

 

自立移動

Y君が散歩のときにいつもみんなから離れて歩くのでスタッフは見守りながら近くを歩いています。交通量の多い横断歩道でみんな青信号を待っていました。車が途切れた時に、ふっとY君が足を車道に踏み出したのでスタッフが止めましたが、信号は見てないのだという事がわかりました。

話し言葉でコミュニケーションできない人に信号や交通ルールがどの程度理解できるのかはよくわからないです。ただ、まったく無理だと思って信号や道路横断を教えないというのも違うように思います。赤なら止まることを教えるのは可能ですが、歩行者が青でも突っ込んでくる車両もあるので青の教え方は難しいです。

自立は可か不可かではなく、その間に依存度がどの程度かという考え方が重要です。「この人はわからないから」ではなく、どの程度ならわかるのかという見極めと挑戦が必要となります。「どっちにしたって人手はいる」という支援側の目線ではなく、一人でここまではできる、ここは手伝ってもらうという本人側の目線が必要です。その積み重ねが自尊感情を育てる土台になるのだと思います。

スタッフの療育の理解

J君が自立課題をするのを若手スタッフに任せました。内容はビー玉をつまんで穴に入れるプットイン課題です。スタッフは丁寧に一つ一つJ君がビー玉をつまむように指示し、穴に入れるたびに「すごいねーできたねー」と励ましていました。それを見ていたスタッフが、自立課題というのは自分の力で最後までやり遂げることを目的にした課題で、声掛けや行動プロンプトはできるだけ少ないほうがいいとアドバイスしました。

「なんでですか?」と若手スタッフの質問にアドバイスしたスタッフは驚いたそうです。若手と言ってももう1年以上実践しているスタッフから「初心者あるある」の質問を受けたことに驚いたというのです。確かにスタッフには常勤のスタッフだけでなくアルバイトのスタッフや経験の浅いスタッフがいますから、毎日、子どもへの指示の出し方や距離の取り方も説明はしています。

しかし、なぜ自立課題に取り組ませているのか?なぜ、声掛けを少なくするようにしているのか、なぜ、子どもとの距離をつめないようにしているのかについて、その目的を話したことはありません。支援のハウツーは話すけど、ここの療育が何を目指しているのか説明したことがありません。そんなことは自明の理だと、当たり前のことだと常勤スタッフが思っているからかもしれません。でも、結構このコンセプトは普通の人には当たり前ではないのです。人は励まされたり、お世話されて頑張ろうとすると理解されているからです。そして、もしもそれが真実ならなぜJ君がこれまでそうならなったのかという想像力が必要になります。

どんなに障害が重くても、どんなにハンディーがあったにせよ、人間は自分の力でできることで自尊心を育てるのです。できることならお世話はされたくないし、一人でやりたいのです。これは障害があろうがなかろうが同じです。もしも、成人のあなたがあれこれができなくていちいち人の手助けや励ましがいるとすればこれほどめんどくさいことはないという想像力が必要です。

そんなわけで、月曜から1週間、スタッフに「子どもたちが少しでも一人で自立して行動できるように、スタッフのみなさんの工夫をお願いします。次週はそのアイデアをお一人ずつ話してください。」というアナウンスをすることにしました。さてどんなアイデアが出てくるか楽しみです。

 

余暇を探す

Q君は暇な時間が上手に過ごせません。ブロックを組み立てるとかyoutubeを見るとかキャラクターを並べるとかの興味のあることがあまりないので、大人の注目を集めるようないたずらをします。PCの電源を引き抜いたり、ドアから出たり、仲間の作業の邪魔をします。

余暇の過ごし方は、本人の好きなことを保障します。しかし、好きなことが大人の注目を集めることとなると目が離せなくなります。余暇とは余った暇と書きますが実は大変重要な意味を持ちます。自分の楽しみを実現する時間です。もちろん、対戦スポーツなど人を必要とするものもありますが、基本的には一人で楽しめる活動がないと自立が困難となります。

Q君はロゴや文字などの書写の能力がありそうなので、レタリングやカラーリングの作業が好きにならないだろうかなどと話しています。考えてみれば、本来、余暇の内容は本人が決めるもので、他人が余暇の内容を考えてあげるというのも不思議な感じですが、人がいなくても一人で過ごせるというのは思春期以降の大切な力です。Q君の余暇が見つかるように、彼の強い力を生かせるものを考えていこうと思います。

再びスケジュール考

スケジュールについては「9/19効果のでないスケジュール」や「5/30視覚支援」で述べましたが、その趣旨は、大人が子どもを管理するためにするためのものではなく、支援を受ける側の方々が、理解しやすく、不必要な混乱をしない、つまり、生活の主人公になるために行うものです。

そのほかにもスケジュールによる視覚支援は、短期記憶の弱い人の記憶の代わりになり、作業や学習を進めるにあたっていちいち人に頼らなくても、自分で自立してすすめられるという利点があります。つまり便利なのです。

ただし、やりたくもない課題、必要性を感じない内容については、いくら手順を示してもやりたくないものはやりたくないのです。つまり主人公たる本人のやりたいことが、自分の力で実現できるから、スケジュールをはじめとする視覚支援を本人が使おうとするのです。自分にとってメリットがあるから使うのです。座らせたり、片づけさせられたり、準備させられたりするためにスケジュールは使われるのではありません。それは、ABAの理論に基づいた動機付けの工夫が別に必要です。スマートなスケジュール支援はそこまで考えた総合的な教育支援になっているものです。