すてっぷ・じゃんぷ日記

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絵カード使う進路先

P君のお母さんが、もうすぐ卒業だけど近所に絵カードコミュニケーションや視覚支援を大事にしている成人施設がないと言われます。自閉症協会などが取材でよく取り上げる施設はもうすでに満員で、京都市内の中でも数えるほどしかないと言われるのです。

それに、これから行こうとする施設に「視覚支援をしてほしい」「PECSを使っていほしい」と言えば、施設側に嫌がられるかもしれないので言いにくいそうです。障害のある人の進路はいつも需要側の方が多くて、供給側が少ないのでサービスを受ける側があれこれ言うのは気後れするというのです。

確かに、そんなことを親が言わなければならないというところで、教育や福祉行政が掲げる「途切れない支援」っていったい何ですかと言いたくなります。そんなことは学校が進路先に求めるべき内容で、親が気を使いながら施設に言うべきことなのかと首をかしげたくなります。

しかし、学校が視覚支援を標準の支援内容と考えずに高度なオプションサービスくらいに考えているとすれば、途切れない支援とは関係のない話で、学校は応えてきたが進路先にまでは求められないという発想になるのかも知れません。

未だに、ASD者への視覚支援や代替コミュニケーションを標準的な支援と考えていない施設が山のようにあること自身が情けないですが、視覚支援で何百万もかかるわけでもなく、PECSの研修だって毎年順番に講習すればそれほど高額なわけでもなく、こんなものは合理的配慮の範疇ではないのかとも思います。しかも、福祉施設ですから標準装備で当然だろうと思うのです。時代遅れの実践を変えようとしない福祉法人の既得権益を打ち破るために、正当な競争を持ち込もうとした30年前の基礎構造改革でしたが、まだまだ道半ばです。

 

 

卒業式

今日は向日が丘支援学校の高等部卒業式です。すてっぷにも2人高等部卒業生がいます。昨日はS君が「さようなら」と去っていきました。卒業式後はもう進路先のサービスがはじまるそうです。Tさんは4月からなのでもう少し時間があります。昔は、高等部卒業証書授与式には施設からもお祝いに行けたのですが感染予防のためにそうもいきません。ホームページ上からではありますが、高等部生の皆さんのご卒業をお祝い申し上げます。

今は、福祉が充実してきて、選ばなければ進路先がないということはありません。ただ、その分民間就労での障害者受け入れが弱くなったと感じているのは私だけでしょうか。乙訓地域には三菱・村田・サントリー・オムロン・ダイハツ等と名だたる大企業がありますが、これらの企業やその関連企業に受け入れてもらった支援学校生はいません。

京セラや関電、GSユアサ(ユアサ電池)などは企業内に障害雇用の子会社を作って、社内環境整備や地域貢献の作業に障害者を雇用しています。ダイバーシティー社会実現には障害者も健常者も同じ場所で働くことが大事です。政府も助成金や税制優遇などで企業内子会社の設立を勧めますが、大企業にその気がなければ前には進みません。ぜひとも大企業が結集するこの地にその先鞭を取ってほしいと思います。

節目だから進路を考えられる

土曜にG君が昼過ぎにやってきて「また、やってしまった」と朝から来られなかったことを反省していました。週末は自分へのご褒美に、平日我慢しているゲームを夜中までやることにしているそうです。そして、今度こそは朝から放デイに行くぞと決意するのですが、朝目覚めても「もうちょっと寝よ」と昼まで寝てしまうそうです。

6年生の2学期ともなれば、子どもは中学校の生活に思いを馳せてあれこれと情報を友達などから収集するものです。でも、不登校の子どもにはリアルに情報を得る機会もないし、節目の時期の雰囲気も感じることができません。親や周囲の大人は進路についてあれこれ相談したり、悩んだりしますが、進路について正面から考える機会を与えられていない子どもには、その内容も親の思いも十分には伝わりません。大人は配慮のつもりで学校の事を話すのを控える場合が少なくありませんが、それではますます子どもは情報が得られません。

進路選択という節目の時期は子どもにも親や関係者にも大変な時期ではありますが、成長の時期でもあります。親や関係者は新しいステップに進むための情報を子どもに示し、子どもはできれば実際に見て自分の進路を考える機会です。これは節目の時期だから出来ることで、いつでも出来ることではないです。当然、大人と子どもは知識量が違うので意見の食い違いもあるし、正しいとわかっていていても反発することもあります。けれども、それは双方にとって殻を破るときの痛みです。自分の選択を表明することは、自問自答を深めます。「またやってしまった」という彼の言葉に「次こそは」という可能性を感じながら、進路のことを考えさせられました。