すてっぷ・じゃんぷ日記

タグ:ソーシャルナラティブ

ソーシャルナラティブ

最近、低学年のX君が「公園なんかいきたくなーい」と頻繁に言うのですが、公園に行くとX君が一番楽しそうに遊んでいます。高学年の先輩たちが口走る言葉をそのまま真似している感じです。でも、そう口走るのは、何のために放デイに来ているのか、遊びに来ているのに何故スケジュールがあるのか引っかかることがあるからだと思います。

ASDの子どもがこういう引っ掛かりを持った時には、説明が大事です。ASDの子どもは社会的な暗黙の了解ができません。以前、X君のあこがれの先輩たちが、すてっぷに来ている支援学校の人たちだけでなく、自分たちにも障害があるからここに来ているのだと彼らの先輩から聞かされて驚いていたというエピソードがあります。説明がされていなかったので何十回と利用しているのに不思議に思わなかったというわけです。

X君にはソーシャルストーリー™(以下SS)が必要だと思い、職員が以下のSSを作りました。(表題でソーシャルナラティブと表記しているのはキャロルグレイがソーシャルストーリー ™を商標登録しているので許可なく利用できないからです)

「すてっぷは 勉強をするところです。それは、社会で他の人たちと、なかよくくらしていくためのべんきょうです。ゲームをしたいときはしたいと言っていいです。ただ、できる時とできないときがあります。できるかどうかは、すてっぷの先生がきめます。ゲームは決められた時間でします。それは、次のスケジュールがあるからです。ただ、『もっとゲームがしたかったな』と自分の気持ちを言う事はしてもいいです。」

そうすると、いきなりX君が「僕はすてっぷに遊びに来ている」と言いきるので困ったと職員が報告してくれました。「勉強」は学校でするものでステップでするのは「遊び」だというカテゴリーがしみ込んでいるのでここは「勉強」は撤回して「遊びの学び」みたいな初めて聞く造語で切り抜けるように職員には提案してみました。

SSには6つの文型(事実文、見解文、指導文、肯定文、協力文、調整文)から成り立っています。事実文は書き手の意見や仮説・推論を排除した事実についての説明する文です。見解文は人の心の中の思い、人が知っていること、考えていること、感じていること、信じていること、意見、動機、あるいは体調や健康状態について説明する文です。指導文はある状況や考えに関して、対応の仕方の提案や対応の仕方の選択肢を明示することで、自閉症の子どもの取る行動についてさりげなく導く文です。

肯定文は前後の文章の意味を強調する効果があり、その子の暮らす場所で一般に共有されている価値観や意見を表現する場合に用いられます。協力文は子どもの手助けをするために、他の人が何をどのようにしてくれるのかを説明する文です。調整文はSSで学んだ情報を思い出して自分なりの方法でその場に適用するために、子ども自身が考えて、自分で書く文のことです。

これらの文型を用いてSSは作られ、Gray(2006)のSSのガイドラインで様々な判定基準を定めているので、それにそぐわないものはSSとは認められていません。ですから、先の提示文はSSとは言えず、ソーシャルナラティブ(社会的物語・説明文)と言うべきですが、ASDの子どもに伝わりやすさを考えるとSSのガイドラインは重要です。さて、X君はどこまでわかったのでしょうか?子どもによって理解の仕方は違うので本人の理解の状態を見ながら書き直していくことも大事な作業です。

どうすれば伝わる?

高機能ASDのF君、今日も感染恐怖で何度も手を洗い、何枚もペーパータオルを使って手を拭きます。使ったペーパータオルが多かったので、ゴミ箱からこぼれ落ちました。スタッフが拾うように促しても「汚いからダメ」と拾えません。それを見ていてスタッフは拾わないための「屁理屈」と考えているようでした。でも、彼は本当に感染するかもしれない恐怖で、拾えないと思っているので、感染のメカニズムをソーシャルナラティブで伝える必要があるのではないかと話し合いました。

また、今まではコップで飲めたのに、ストローでないと飲めなくなったのはホコリが気になったからという報告がありましたが、むしろ、人の手が触れるコップの縁に唇をつけるのが感染恐怖につながっているのだと思われます。

ペーパータオルの件も、床のものが拾えない件もストロー派になったことも、何一つ理由としては筋が取っていませんから、ASDの障害特性を知らない大人は、屁理屈を言って大人の言う事を聞こうとしない幼稚な言動だと思うのです。

彼らは本当に感染が恐怖なのです。テレビや大人の話は彼らの不安に拍車はかけるけど、感染のメカニズムについては正しい情報は与えてくれません。正しい情報がなければ、人は恐怖をどのように解決するかを考えれば彼らの行動が理解できます。科学的な根拠がなくても自分で作ったルールやルーティンを決めてそれにすがることで安心を得るのです。

彼らに必要なものは世の中の当たり前とされている正しい情報です。奇妙な行動や変な事を言って、言う事を聞かない人なのではなく、当たり前の事が分からなくて困っている姿なのです。

ソーシャルストーリーやソーシャルナラティブがASDの方には必要だと何度言っても真剣に受け止めてもらえないのは、「その程度の事は説明されなくてもみんなは知っている事」という定型発達者の常識をASD者にあてはめているからです。定型発達者は誰も説明しないけど経験を重ねて自然に気付く「暗黙の社会的了解」を山ほど知っています。「親や先生が言うこの種の事は間違いは少ない」とか「みんながとる行動は安全だ」というような基準がASDの方には全く理解できないのです。だから、定型発達者にとっては当たり前のことであっても、論理だてて正確に伝える必要があるのです。