すてっぷ・じゃんぷ日記

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清水って水の上に浮かぶお寺ですか?

小学6年生に、「京都のお寺と言えば、金閣寺・銀閣寺・清水寺といろいろあるけど・・・」と職員が話すと、「清水寺って水の上に浮かぶお寺ですか?」とP君が質問しました。「え?清水寺知らない?清水の舞台とかいうでしょ。12月になったら今年の漢字とか言って「密」ですって言って習字を書いている放送見たことない?」全員「ない」と取り付く島もありません。

全員、京都生まれの京都育ちなんだから、学校で習うはずだけどなぁと職員。せいぜい知られているのは金閣寺くらいでした。そうか、世界が京都に注目しているのにそこに暮らす子どもが知らないのでは話にならないと、11月からは京都市内巡りの計画を立てています。

事業所唯一の歴史好きのQ君に話すと、ものすごく喜んで食いつきました。ところが「小学生だけで電車やバスに乗って行ってもらう」と提案すると、途端にへなへなとなって「俺、電車もバスも一人で乗ったことないから無理」としょぼくれるのです。他の子に聞いても、電車もバスも一人で乗ったことがないし、切符も親が買うし、渡すと落とすからと切符そのものを持ったこともないというのです。

小学生はみんな箱入り娘や息子だったのです。「でも、みんなあと半年で中学生なんだから、公共交通機関ぐらい使えるようになろう」と励まして、現在企画を立案中です。京都の寺社仏閣に行ったことがない子どもは、行っても遊ぶものがないのですてっぷの利用者だけでなく他にもいるかもしれません。電車やバスに乗ったことがない子も自家用車があるので珍しくはないのかもしれませんが、誰もないと言うのが驚きでした。京都市の小学校では1日バス乗車券を買わせて市内巡りをする小学校もあるそうですが、乙訓では聞きません。せっかく京都に住んでいるのですから取り組む価値はあると思います。

帰りたくない

O君は最近一人で通所できるようになりました。今までは、スタッフの車で送迎していたのですが、今は来るも帰るもある程度は自分の裁量です。実はO君、以前から帰りを渋っていたのですが、自分の携帯電話で「これから帰ります」と家に連絡することで帰る契機にしていました。スタッフは、歩いて5分の距離とはいえ一人で帰るのが不安なのかなと思っていたのです。

ところが、だんだん日暮れの時間も伸びてきて外がまだ明るいとふんぎりがつかないようで「帰りたくない」と言って帰ろうとしないのです。しかたがないのでスタッフがお母さんに連絡して事情を話して、本人に受話器を渡すと「ハイ!ハイ!」と聞き分けよく返事をするのです。なので、もう帰るかなと見ているとさっきのお母さんの返事とはうって変わって「帰らへん」と言うのです。結局、最後の子が帰る時間まで粘っていましたが、「スタッフが帰ってくるまで待っている」と言うので、「アカン。カエリ!」と帰ってもらいました。

こういう葛藤も、一人で帰るという行動を支援しなければおこらなかったと思います。一人で帰らせることは様々なリスクもありますが、自分で考えて行動するから今回のような経験ができたわけです。放デイの送迎は当たり前と言う感じですが、子どもはこうしたことから生きた学びをするのだと改めて感じた出来事でした。

 

自立移動

Y君が散歩のときにいつもみんなから離れて歩くのでスタッフは見守りながら近くを歩いています。交通量の多い横断歩道でみんな青信号を待っていました。車が途切れた時に、ふっとY君が足を車道に踏み出したのでスタッフが止めましたが、信号は見てないのだという事がわかりました。

話し言葉でコミュニケーションできない人に信号や交通ルールがどの程度理解できるのかはよくわからないです。ただ、まったく無理だと思って信号や道路横断を教えないというのも違うように思います。赤なら止まることを教えるのは可能ですが、歩行者が青でも突っ込んでくる車両もあるので青の教え方は難しいです。

自立は可か不可かではなく、その間に依存度がどの程度かという考え方が重要です。「この人はわからないから」ではなく、どの程度ならわかるのかという見極めと挑戦が必要となります。「どっちにしたって人手はいる」という支援側の目線ではなく、一人でここまではできる、ここは手伝ってもらうという本人側の目線が必要です。その積み重ねが自尊感情を育てる土台になるのだと思います。

支援と自立

放課後デイサービスでは事業所が遠くて自力通所できない利用者に、送迎をするサービスがあります。近所に居住し自力で通える方は原則このサービスは使えません。ただ、どんなものでもグレーゾーンがあります。片道20分なら自力通所エリアだが21分なら送迎可能エリアかどうかなどという話です。

これには基準はありません。むしろ、その子どもにとって自力で通所することが自立のために良いという支援方針を持つなら少々遠くても自力通所にすべきだということです。時間を守って、自分の力で移動することは自立の第一歩だからです。もちろん、安全性の問題など自力通所の検討は総合的に行う必要があります。ただ、支援のつもりが、その子の自立の芽を摘んでしまうケースはしばしばあります。対象者への配慮のつもりが、行き過ぎた支援につながってしまう場合がある事を、福祉関係者は日常的な課題である事を自覚する必要があります。