すてっぷ・じゃんぷ日記

タグ:謝罪

昨日はすみませんでした

P君をいつも通り学校に迎えに行くと、「昨日はすみませんでした」と突然頭を下げて謝るのです。「いえいえ別に何とも思ってないよ」と言って恐縮しましたとスタッフがいいます。スタッフが子どもから自発的に次の日に改めて謝罪されることが、これまで一度もなかったので驚いたという話です。

P君は前日、公園に水筒を忘れたのです。「水筒忘れてきたから、取ってきてほしい」とスタッフに言いました。「え?君の水筒を探すなら、『すみません。水筒を公園に忘れてきたみたいなんで、一緒に探しに行ってほしいです』と言ってください」とスタッフに窘められます。「取ってきてくれてもええやん!けち!」とP君は逆切れしました。

結局、二人で探しに行ったのですが、スタッフは「車の中で待っているから、まずは自分で探しておいで」と促すと自分で探せたそうです。話はここまでなのですが、支援を受けている子に依存的な言動が多いのが気になるという話をそのあとスタッフ間で話していたのです。忘れ物も多い、落とし物も多い、不器用で物を壊しやすいなどがあって、ついつい大人が手伝ってしまう事が多いことが原因かもしれません。大人は手伝っているつもりが、当の本人は自分の事でも大人がするものという誤解をしているのかもしれません。

でも、P君は「自分のものは自分で探せ」と大人に言われたのが初めてだったのかもしれません。自分で探したことも初めてだったのでしょう。そして、自分で見つけた時に嬉しかったのかもしれません。きっと一晩中そのことを考えていたのでしょう。「先生ごめんね」をどう伝えていいか考えていたのだと思います。それが、いきなり「昨日はすいませんでした」だったのです。迎えに行ったスタッフはとても嬉しかったそうです。

大人が謝ること

G君が、とても暇なので何かいい遊びはないかなとスタッフに聞いたそうです。するとスタッフが、「何もないね、自分で考えたら」と応えたので、G君は頭にきたそうです。「スタッフをあてにして聞いたのに、なんだよ」と怒っていました。そこは「ごめんなー、良い案おもいつかんわ~」だと思うのです。子どもにうまく謝罪する大人は子どもとの会話もスムースです。ビギナースタッフは余裕がないので一緒に考えたり謝ることができません。

子どもをがっかりさせたのであれば、大人は謝らなければなりません。誰にでも間違いはあることを子どもに手本として教える意味があるからです。子どもに謝れるようになることはとても大切なのに、子どもに謝ることは自分の弱さを示すことだと考えている大人がいます。

間違ったことをしたとき、約束を反故にした時、また衝動的になって相手に失礼なことをしたり危険な状態を作った時、謝ることの大切さを大人は子どもに教える必要があります。

子どもに謝ることを教えると、子どもの共感力が育ちます。そうすることで自分の行動に対し責任を持ち、行動をコントロールできるようになります。謝ることに恥を感じ謝ることを避ける大人の横では、子どもは失敗することができないと考えてしまいます。謝ることは、子どもと大人との関係を改善し、失敗してもいいという価値観の基礎を作ります。

大人の言葉で子どもが傷つけられたのに、子どもが謝罪を聞かなかった場合、子どもは、力をもつ人は、謝る必要はないと考えます。そして、その後も同じ関係を続けても良いと学ぶかもしれなせん。

子どもに謝ることは、人と協力し、人を大切にし、人と共に生きることを教えることでもあります。誰もが失敗はするけれど、謝ることで自分の行動を振り返り、状況を修正することができると教えられるのです。謝る時、誰もが恥を感じますが、謝罪は後で気分の良くなる行動です。誰かに謝ると、それまでよりはお互いに気分は良くなると教えることもできます。

子どもに大声をあげる時はよくあります。大人にストレスのかかる状況では、冷静でいられず、声をあげる時があります。これは避けるべきことですが、やってしまった場合は謝ります。子どもが楽しみにしていたことを忘れた時。子どもと一緒に時間を過ごせない時。間違ったことをしたり、子どもに嫌な思いをさせた時は素直に謝ることが大事です。大人にとっては取るに足らないようなことで落ち込むことが子どもにはあります。子どもの感情を軽んず、自分が間違っていたことを認め、心から謝まることが大事です。

子どもに謝る時は、なぜ謝っているかを説明します。例えば「相談受けたのに、うまく応えられなかったから謝るね。いい提案が思いつかなくてごめんね」などです。子どもにがっかりさせたなと感じたら、すぐに謝ります。不満のある状態や失望を長引かせても事態は悪くなるばかりです。子どもは大人から学び、大人の後に続くのです。

ごめんね

F君がおやつを持って立ち歩いているときに、肢体不自由のGちゃんの腕がF君の手に当たりました。F君大声で泣きだして「感染したらどうするんだー!だからこいつらは嫌なんだよ~」F君収まりがつかず、公衆の場でのNGワードがつぎつぎに飛び出し泣きじゃくるという一件がありました。発達障害の人たちの中には、触覚過敏の場合があり、緊張している時などはちょっと当たっただけで大騒ぎするほど刺激を感じたりする事があります。パニックとはいえ大声でNGワードはまずいので、別室に移動してもらいました。

F君、家に帰って今日あったことを家族に話し、家族からこんこんと諭されて「謝って来る」と決意しました。謝罪に来たF君は「緊張する―」と言いながら、言葉のないGちゃんに「ごめんなさい」が言えました。自分の言葉に責任を持つことを、ここで一つ一つ学んでいけばいいのだと思います。

 

モラル支援

高学年のK君がみんなを待たせているのに、待たせたことを謝罪もしないで下級生に横柄にあたることがあったという報告がありました。スタッフにしてみれば、在宅がちのK君がみんなと遊ぶことができる機会の出鼻をくじきたくなかったという思いがあります。しかし、反省会ではそれは支援だろうかと議論になりました。

まず、不適切な言動をスタッフはあれこれの理由があってもスルーしてはいけないことです。なぜ皆を待たせて謝罪がないのか正面から聞くことです。高学年の存在は、低学年にとってあこがれの存在です。しかしそれは下級生に横柄にしたり謝らなくていい存在ではありません。スタッフがその言動をスルーすれば集団モラルは劣化してしまいます。スタッフは、どんなに急いでいても、相手の気持ちがわかりにくい子どもたちだからこそ、なぜ謝罪が必要か丁寧に説明することが支援です。その場でできないなら後で話そうと保留して、その言動を許してはいないことを全体に示す必要があるという話をしました。