すてっぷ・じゃんぷ日記

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情緒的な理解?誤解?

「F君らと3人でゲームをしている時に、F君が『うるさい』と言ったように思ったので、『そうだね、うるさいね』と共感の意味の言葉を返したら叩かれました」と職員が報告してくれました。以前、言葉がうまく使えない人が感情表出の絵カードで「うるさい」と示したときに「そうだね、うるさいね」と共感すると興奮が収まったという話を、職員は覚えていたのだと思います。それなのに、なんで攻撃されるの?という疑問です。

絵カードでの感情表出は、マイナスの感情を暴れて発散するのではなく、相手に適切に表現することで気持ちを収める学習です。今の気分を伝える絵カード表出の学習時に、たまたま熱が出て「しんどい」カードを教える機会がありました。そこで、感情=気分というのはいつも「元気」ではなく、「しんどい」時もあり、その気分は相手にも伝わることをその人は学んだのです。その後、腹が立ったときにも「しんどい」カードを自発的に示すようになり、そうか「怒ってしんどいのか」と周囲が共感の慰め行動を続けることで、あまり怒らなくなったという事例でした。

この事例を模倣した事は良くわかるのですが、決定的に違う事があります。事例は何度も絵カードで双方が共有してきた感情カードですが、F君の発声した「うるさい」は職員と彼が共有した事がない音声だということです。もちろん文脈的には「うるさい」と言うべき場面です。但し、それはF君が機能的な言語表出ができる場合です。F君は欲しいものやしたいことを特定の大人に決まった場面で一語文で言えますが、感情の表出は難しく、ストレスを溜めて爆発させる事が多いです。しかも、表出の絵カード練習を系統的に学習していません。職員は「僕は、彼らがうるさいのでイラつくのだ」の意味が彼の発した「うるさい」だと理解したのです。しかし、ASDの人たちの中には不安な時に以前体験した言動を再現することがあります。

つまり、F君の気持ちは確かにイラついているのですが、イラついてフラッシュバックした言葉が「うるさい!」と大人が怒鳴る場面を再現したかもしれません。それは、自分に向けられた言葉か、他者に向けられた言葉かは分からないですがF君には不快な場面が想起されたと考えられます。だから、「うるさい」の後に、相手を叩くという見たままの言動が再現がされたのかもしれません。ASDの人の中には、強い不安を感じている時に、以前同じような感情を持った時の状況を再現することがあるのです。

不適切行動は、情緒的な解釈では行動の意味が理解できず解決策が見出せない場合が多いです。しかし、機能的なコミュニケーションの視点で考えていくと、行動を仮説することが可能になり支援策もいくつか見えてきます。絵カードなど「大人と子どもの双方が意味を共有できるツール」での学習が有効であることは確かだと思います。

情緒的理解とエビデンス

放デイで子どもたちはいろんな表情を見せます。喜んだり、悲しんだり、やる気になったり落ち込んだりと色々な表情を見せてくれます。その子どもたちの反応を分析して自分たちの支援を検証していきます。ただその検証の方法で障害特性やABA的な環境分析がないまま、自分の体験にマッチングさせて喋れない子どもの感情の原因を見つけようとすることが少なくないです。ある日、コミュニケーション障害のあるASDの方が落ち込んだのは、終わりの会でみんなが評価されたのに、対象者は評価されるべき作業がなかったので、自分が評価されないことが理由でかなり落ち込んでいたという報告がありました。そして、1人だけ評価しないことはあってはならないし、評価することがないような日課を設定しないしようにという反省がされました。よくあるストーリーで、対策も正しい結論が出ているようにみえます。スタッフの目にはそう映ったのです。

しかし、その状況をよく掘り起こしてみると、スケジュールにいつも通りの「作業」が提示されておらず、そのまま帰宅と示してあったのです。気がついたスタッフが、作業スケージュールを帰宅(終わりの会)の前に本人の了解なく付け加えたということがわかったのです。つまり、スケジュールを見て作業なしでで帰れると思ったのに、急にしかも帰り間際に作業ありにスケジュールが変更されたので落ち込んだのかもしれない可能性が出てきました。ASDの方が自分と他者を比べ、自分だけが褒められていないという理由で悲しくなるよりも、急なスケジュールの変更で見通しが崩れて苦痛を感じる方がはるかに可能性が高いだろうというのが結論でした。そして、事後の改善策は示したスケジュールをむやみに変更しないことと、変更が必要な時でも必ず本人の意向を確かめることでした。何より大きな課題は苦痛でも嫌と言えない表出のコミュニケーションの困難と、ビジュアルドライブ(視覚情報が強力で、嫌でも動かされてしまう傾向)の怖さでした。情緒的に理解していたらこの改善策は浮かんでこなかったと思います。特にコミュニケーションや感情の表出が苦手な子どもたちの場合、障害特性を踏まえてエビデンスのある理解と支援が必要となります。