すてっぷ・じゃんぷ日記

タグ:自閉症

「うぅ~」

障害のある方の中には障害が重く、言葉のない方がいます。例えばタイトルにあげたように「うぅ~」と声を出すだけの方もいます。言葉がなく、会話でのコミュニケーションが難しいため、「何を考えているのかわからない。何も考えていないのではないだろうか。」と誤解されることもあります。

さて、なぜこのようなことを突然書いたかというとY先生から「東田直樹さん」について教えてもらいました。恥ずかしながらこの業界では有名な東田直樹さんの「自閉症の僕が飛び跳ねる理由」を読んだことがなく、つい先日Y先生に本を借りてようやく読みました。また、東田直樹さんと作家のデイヴィッド・ミッチェルさんのドキュメンタリー「君が僕の息子について教えてくれたこと」もようやく見ることが出来ました。

「自閉症の僕が跳びはねる理由」を読むと東田さんが自身の障害について考えていること、普段の生活について感じていることを丁寧な文章で書かれています。何よりも動画で見た東田さんがこのような文章を書くことに大変驚きました。

見えている姿と本人の考えていることは本当は違うのかもしれません。私たちは専門家なので、子ども達を適切にアセスメント・評価をしながら支援を考えていく必要がありますが、わかった風になっていたと思うことがあります。

子ども達は日々成長しています。筆者も子どもから学ぶことが毎日あります。私がこれまでの教員生活で担任した子ども達、また、すてっぷ、じゃんぷで見た子ども達を改めて見直す必要があるように感じました。

指示待ちとカタトニア

外に出かけた時のことです。F君が立ち止まったままで「あっ あっ」と言って、散歩で歩くことを「行こうね」と促してほしそうにします。「いいよ。歩こうね」と促すとほっとしたように歩き出しますが、また何かの拍子で同じことを繰り返します。いわゆる指示待ちの激しいタイプでカタトニア様の症状です。カタトニアについては以前(カタトニア 2020/12/17)に掲載しています。

すてっぷでは子どもでも見てわかる工夫をして、できる限り「促してさせる」(言ってさせる)を避けています。もちろん子ども達は言えばします。「車からカバン下ろしてね」「手を洗ってね」と言えばします。でも、そう言わなくてもするという生活を目指しています。

小さい時は、それがしつけのように思っている大人は多いです。「食べてね」「かたづけます」と言えばする。いうことを子どもが聞いてくれて大人は満足するのです。

けれども、思春期にはこの関係が破綻することが多いです。「今しようと思っていたのに」「言われたくない」。とにかく「言う(指示する)」だけで「悪態を付く」場合もあります。

大人は、それまでの「しつけ」の延長だし、障害があってわからないことが多いから「良かれと思って」とは言いますが、それは「上から目線」でもあり、「自分は信用されてない」が子どもには伝わります。

こうした対応で、爆発するタイプでなければ、子どもの多くは「指示待ち」になります。「促してさせる」は「言われないとしない」となります。大人しいと言われますが、思春期には別の形の行動障害がでることが少なくありません。それが「強固な指示待ち」「自傷」「こだわり」。周囲も扱いが大変になってきます。

怒りの爆発にしても指示待ちにしても、この「促してさせる」「言えばする」を続けていくことは、悪い結果しか生みません。指示待ちの子は「カタトニア(寡動)」=動かなくなる症状が強くなることがあります。

カタトニアは、その昔、緊張病と言われたこともありました。統合失調症の中でカタトニアは語られていたのですが、現在、自閉症の人たちにも青年期に近い症状が出てくる人たちがいることが知られ始め、それもカタトニアと呼ばれるようになりました。

もともとの統合失調症のカタトニアと自閉症のカタトニアの何が同じで何が違うか、実はまだ解明されていません。すべて同じなのか実は違うものなのか、双方の本態そものもが解明されていないのです。

全然動けなくなってしまうこともあります。できていたこともできなくなるし、食べることも何もかも、ほぼ全介助状態になります。しかし、固まってしまうとは限らず、動きはできても自立性は低くなり、究極の指示待ち状態のようになるケースもあります。

自閉症の人で、カタトニア状態になるのは20代ごろに発症する、ということが言われています。しかし個人差があって、十代後半からその状態になる場合もあります。状態には変化があり、まだ動ける状況の時期もあれば、2時間くらい突っ立ってしまうとか、ある動作の途中で固まってしまうこともあります。

そんな人も、子どもの頃は多動であったり活発であったりしていた、という人も比較的多いのです。介助自体は難しくなくとも、できていたことができなくなるのを見るのは、親としては悲しいものです。何をどうしてやったら良いのかわからなくなるのですが、良くなったり悪くなったりするものは、先に書いた躾の問題だけでなく神経学的な病気と考える方がよいと思います。

できていたことができないのは本人もつらく苦しいと思います。本人たちは表情にも表せなくなっていますが。苦しみながら発する言葉には、表面は変化がなくとも内面では辛いのだと思います。発症した後のかかわり方は重要です。無視したりせず、どこで声をかけてほしいかはわかってくるので優しくかかわっていくことだと思います。服薬で劇的に改善する人もいるので医療との連携も重要です。関東のよこはま発達クリニックの動画にカタトニアの理解と簡単な支援方法があったので掲載しておきます。