すてっぷ・じゃんぷ日記

今日の活動

板書を見ながらの作業

登り人形「7/24 登り人形」の工作をしました。W君はお喋りが上手で記憶力も優れた子どもです。スタッフから、登り人形の作り方をホワイトボードに丁寧に書いているのに、W君全く違うものを作るのでなんでだろうという話がありました。手元の手順書で仕事を進めるのと、板書を見ながらの作業では天地の差に感じる子がいるのです。

発達性協調運動症(障害)については前回「11/22 発達性協調運動障害」で掲載しました。それには様々な原因がありますが、原因の一つである「見る力」について考えます。日常生活の中で、不器用さに悩んでいる子どもは意外と多いのです。のりを使えば手や机までベトベト・・・。ハサミで画用紙を切ったらガタガタ・・・。折り紙を折ればぐちゃぐちゃ・・・。これは手先の問題ではなく「見る力」に問題があるのかもしれません。

1.両眼視の問題
左右眼の視線を揃え、右目と左目に移った像を重ね合わせて一つの映像として知覚し、遠近感や立体感を捉える眼と脳の働きのことを「両眼視」といいます。この機能がうまく働かないと、遠近感や立体感を正しく把握することができないため不器用さにつながります。
2.視知覚・視覚認知の問題
形や空間の情報を分析し、それらの刺激を過去の経験に照らして解釈する力のことを「視知覚・視覚認知」といいます。この機能がうまく働かないと、遠近感や立体感を正しく把握できず、不器用さにつながります。
3.目と手の協応の問題
目から取り込んだ情報と連動して、手や身体の運動を調整する力が弱いため、正確で素早い動きができず、不器用さにつながります。視覚と運動の連動をトレーニングする「7/16 ビジョントレーニング」が効果的です。

このように、「見る力」と不器用さは様々な点で関係があることが分かります。日本では、見え方=視力と考えてしまいますが、視力がいくら良くても、視覚機能に問題があるケースも多いです。米国、カナダ、ヨーロッパには、オプトメトリストといった、視覚機能の検査・訓練を行う専門職があり、国家資格になっています。日本ではあまり聞かれませんが、アジアでも、フィリピン、韓国、中国など、オプトメトリストが認められている国、認められつつある国があります。米国では、視覚機能に問題があるために学習能力を発揮できない子どもたちや、視覚機能に問題があったり、より視覚機能を高めたいスポーツ選手、また、一般の人でも、見え方に何か異変を感じたら、まずがオプトメトリストのクリニックを訪ねるのが当たり前になっています。

私たちは調理など手順が必要なものは一人一人手順書を渡しています。それは手順を覚えておらず、作業速度が各人違うということもありますが、板書まで視線を移動させて視覚情報を短期記憶して保持したまま手元の作業に戻るということが難しい方が多いからです。もちろん板書だけで理解できる子もいますが視知覚や短期記憶が苦手な人に合わせて準備しておけば誰も困らないわけで、これが障害者差別禁止法に定められている合理的配慮(特定の障害者を対象としている施設ではただの準備不足)です。

暖冬

今日、光明寺の梅のつぼみが膨らんでいました。来週遅くには開花する感じです。西山を登っていくと、展望広場からは京都が一望でき京都タワーや五重塔もくっきり見えていました。登り始めるとジャケットはいらないくらい暖かいです。もう寒くはならずこのまま春を迎えるのでしょうか。昨日は山間部や北部では降雪があったそうです。京都市内の降雪観測が始まった1961年以降、降雪記録がない年は2013年以外ありません。今年は2回目の無雪年かと案じてたら、5日(水)頃から冬型の気圧配置が強まり、関西の上空1500メートル付近にマイナス6度以下の寒気が入る予想が発表されました。これは今季で最も強いだけでなく、数年に一度レベルの強さなので、降雪が期待できるかもしれません。

京都PECSサークルのご案内

 

京都PECSサークルのご案内

PECSを使ってのコミュニケーション指導を実施している人たちが集う学習や実践交流の場として,「京都PECSサークル」への積極的なご参加をお待ちしています。
■ 対 象:PECSレベル1ワークショップ受講者

■ 活動概要
オフライン(研究会)・オンライン(ZOOM・ML)でのマニュアルの学習,実践交流
*日 時:ほぼ3か月に1回 最終金曜か土曜
*場 所:現在は「ZOOM」、令和元年までは「こどもみらい館」
*地下鉄のご利用 地下鉄烏丸線「丸太町」 徒歩5分
■事務局
代表    門 眞一郎(児童精神科医フリーランス)
      久賀谷 洋(合同会社 オフィスぼん)
      澤 月子 (南山城学園SV)
      楠田 千佳(臨床心理士)
      灘 明日香(京都市発達障害者支援
                                                         センターかがやき)
      真鍋 由香(京都市立東総合支援学校)
                      辻村 文緒(京都府立丹波支援学校)
      加藤 健 (南山城学園)

【お問い合わせ、お申し込み先】
E-MAILにてご連絡ください。 owner_kpecs@googlegroups.com
アットマークは小文字にして送信してください。

学童保育と放デイ

学童保育と放デイを両方利用している利用者は多いです。乙訓地域の場合は放デイの支給量が通常週3回に制限されているので、他の地域より学童保育を利用する方は多いかもしれません。障害のあるなしに関わらず誰でも受け入れていこうというのが社会の流れですが、全ての学童保育施設でどんな子でもそのニーズに応えられているわけではありません。インクルージョンという考え方が福祉や教育の世界で言われていますが、まだまだ言葉だけの理想的概念と言わざるを得ません。公的金銭的な設備投資は難しいにしても、工夫すれば一歩前に進める事例でも、これまでの指導の考え方や同調圧力が邪魔をして踏み切れない現場や職員マネジメントの困難さがあります。

放課後や長期休業中も、その子なりに多様性のある社会の中で生きてほしいという考え方を保護者が持つことは大事なことです。しかし、騒々しい環境が苦手な発達障害の子やそのグレーゾーンの子にはストレスが多いのも事実です。「どうしたら学童クラブでストレスなく過ごせるか?」と学童クラブの指導員も保護者も悩むことがあると思います。障害に合わせて環境を調整する合理的配慮という言葉がありますが、先に述べたようにお金の問題ではない現場マネジメントの課題があります。一人でも納得しないと新しいことに踏み出せず、議論の堂々巡りをしている現場ほど、分担すると個人責任にしてしまいがちな傾向があります。頑張って新しい提案をしても、失敗したら自分だけが責任を問われるのでは提案する気にはなりません。この問題を解決するリーダーの配置こそが必要なのだと思います。

また、保育園では子どもの力も弱く、動作も比較的ゆっくりで、予測できないことも限られるため、行動をある程度は制することができます。幼児はそもそも生活のほとんどに支援が必要なので、障害があるないで支援の考え方にあまり差がありません。保育園では受け入れてもらったのに就学したら冷たいと思っている保護者には、先述のように保育園とは違うという説明が必要です。

また、行動問題が生じて他の子と違う個別の支援が必要なのに、行動問題は障害や発達の問題なので仕方がないとされていたり、反対に加配スタッフが子どもに寄り添い過ぎて自立に必要な支援になっていない場合も、障害があるのだから大人が寄り添えば良いという「善意の誤解」があります。

学童保育の職員の質の問題などか取り沙汰されますが、放デイが整備されつつあるので、学童クラブの障害児保育の需要は下がってきています。子どもにとっても、10人ほどの集団で過ごす方がよほどストレスなく過ごせるからです。それなら学童保育から特別な支援を要する子どもはいなくなっていいのでしょうか?それは違うと思います。今、インクルーシブを掲げて障害のある子どもの施策が進められていますが、その結果、障害児の囲い込み(エクスクルーシブ)とも言われる現象が起こっています。ちょっとクラスでついていけなくなると支援学級に入級する流れが起こっています。その結果支援学級に知的に遅れのない児童が増え、結果、支援学校小学部に軽度の知的障害の子どもが増えるという現象が見られる地域もあります。これは特別支援教育が進む上での発展途上の中間現象かもしれませんが、振り子がブレ過ぎているように感じます。

私たちは学童保育に隣接した障害や発達についての専門技術を有する放デイがあればインクルージョンは進むと考えています。何もかもを満たす施設を望むのではなくお互いのいいところが発揮できるように、物理的に近づけて設置すればいいのです。隣同士であればスタッフの交流も進むし、様々な支援スキルも伝えることができます。教育だ福祉だと縦割り行政の壁にはまり込まず(学童保育は小学校内にあるので教育行政管轄が多いです)、自治体のトップが相互乗り入れのグランドデザインを描いて実行することが求められます。

少数の子どもの施策がなかなか進まないのは児童期が短く成長変化の多い時期のために、要求が実現するまでに子どもは次のステージに上がってしまうので、組織的な動きになりにくいのです。けれども多様性を認めた社会を作るためには、児童期にインクルージョン環境の中で特性に応じた支援が必要な子どもに行われ、それを他の子が日常的に見ていることがどうしても必要です。このプランを市民全員で共有できるなら共生社会は早い時期に実現できるのではないでしょうか。

トイレトレーニング

見学で訪れる就学前の子の中には排せつが自立していない子どももいます。保護者の方は保育所で言われた通りしているけどなかなか自立しないと焦られている方もおられますが、焦る必要は全くありません。トレーニングの時機と方法がその子の状態と特性にヒットすればあっという間に自立する子も少なくないです。みんなと同じやり方でうまくいかないなら、別のやり方を選べば良いのです。

下のグラフはトレーニング開始時期の調査ですが、通常でも2年以上の開きがあります。トイレトレーニングでは3歳までにパンツに変えて濡れる感覚を教えるんだという通説がまかり通っていますが、知的な遅れや発達障害を併せ持つ子はそれではうまくいかないことが少なくありません。通常のやり方での成功の原動力は、大人に褒められたい認められたいという動機の強さです。その要求が弱い場合は、別のアプローチを考えれば良いのです。また、濡れた感覚は子どもによって感じ方が違います。特に発達障害の子どもの感覚は過敏すぎたり鈍麻すぎたりで大人が思うような濡れて嫌な感覚を感じてないこともあります。結論から言えば、時機を見定めて短期集中型(3日から1か月程度)で視覚支援(何をどうするか成功したらどうなるか絵にして知らせる)や行動療法(ご褒美作戦)を用いたトレーニングで成功している例も少なくないのです。

時機を見定めるまでは、紙パンツでいいのです。3歳頃から布パンツで始めて1年も2年も失敗を続けている子どもがいますが、本人にとって失敗が当たり前になってかえって成功しにくいです。また、この失敗は時機を見誤っているか方法が間違っているのかもしれないと考えるべきです。子どもの個性は違うのですから、トレーニングも個性に合わせたほうが成功します。以下に通常のトレーニング方法を掲載しました。知的な遅れのある子や発達障害の子にどこが合わないか考えてみましょう。
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通常の場合のトレーニングの考え方はまず布パンツへの移行です。薄いタイプであれば、おしりに濡れた感触がすぐに伝わり、子供も失敗に気付くと同時に、漏れた不快感を感じます。この「不快感」がトイレトレーニングではとても大切で、子どもは不快感を味わうことによって「パンツにおしっこをしたら気持ち悪いんだ、だからトイレにするんだ」ということを学び、早くトイレトレーニングが進むと言われます。そして、水分をよく吸収する分厚いパンツは、洗濯が少なくすむけれど、子どものトイレトレーニングには不快感が少ないので不向きだと言われています。また、トイレトレーニングは子ども自身の意欲がとても大切で、パンツがモチベーションになるので、その子が好きな色やキャラクターのパンツを履くことで、トレーニングに意欲的になると言われます。

トレーニングの時期は「排尿の間隔が2~3時間空いていること」が目安になり、お喋りの早い子は「トイレ行きたい」と言えるのでトレーニングしやすいと言われます。トイレトレーニングは「3歳の誕生日を迎えるまで」を目安に、春~夏の終わり頃までが寒く無くて良いそうです。冬は寒くてトイレの間隔が短くなるので失敗が増えて良くないというのが理由です。
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いかがでしたか?濡れるのが気持ち悪く感じるということや、~だから~するという通常3歳頃の認知や言葉の力、排尿間隔が2時間以上という成功のための前提があるのです。逆に言えばこの前提が揃わなければトレーニング効果が上がりにくいという事です。効果がないのに延々と平均の子どもたちと同じ方法で取り組む就学前施設は、是非工夫をしてほしいものです。そして、別の方法があるのですから取り組んで欲しいものです。就学前児を支援する何とか支援センターはその工夫の助言をするためにあるのですからもっと積極的に支援して欲しいものです。そして、みんな同じ時期や同じやり方でなくても良いし、他にも視覚化や構造化、他の行動療法アプローチがあることを広めて欲しいものです。

転ばぬ先の杖?

「転ばぬ先の杖」とは、失敗しないように前もってあらゆる準備をしておく、前もって準備をしていれば、いざという時も失敗することはないという意味です。普段、歩く人は、まさか、自分が転ぶことはないと思っているので、杖を使うことはありません。しかし、いざ転んで怪我をしてから、杖を持つようになっても遅いので、前もって準備しておくことが大切という注意喚起の意味で使われることが多いです。「石橋をたたいて渡る」も同義です。

私たちの取り組みの場合は、なんでもかんでも失敗しないように準備する「転ばぬ先の杖」「石橋をたたいて渡る」とはちょっと意味がちがいます。しかし、「戦を見て矢を矧ぐ(いくさをみてやをはぐ)」の行き当たりばったりでもありません。S君とT君がカードゲームをしてS君が勝ったのにT君が「自分の知るルールは違うが今回は一番で許す」と上から目線で行ったのが、S君カチンときて席を立つハプニングがありました。あとでスタッフが、最初に「上がり」のルールを確認すればよかったと言うのですが、問題が起こらないのが良い療育でもなかろうと言う話になりました。

今回の問題はルールの問題と言うより、同学年なのに上から目線で言うS君と、それが我慢ならないT君の摩擦です。T君にはS君の何にむかついたのか、S君にはT君がなんで怒ったのかを二人でスタッフと考えれば良いし、今度うまくやるにはお互いどうすればいいのか考えるいい機会です。スタッフには、こういう摩擦が起こったときにどう導いていくか予め準備押しておくのが「転ばぬ先の杖」です。逆にこういう摩擦が想定外だとスタッフが感じるなら「戦を見て矢を矧ぐ」実践となっていることを事業所として反省しなくてはなりません。

表情の絵カード

終わりの会で、今日は何が良かった?と聞きます。お話の苦手なP君には感情カードを提示してみました。すると、「楽しい」表情を選択して、小さな声で「たこやきタノシカッタ」と答えてくれました。ここまでは計画通り、その後が素晴らしかったのです。P君の表現を見ていてた、少しおしゃべりができるQさんもR君も表現カードを見渡して今日の経験について自分の感情を選んで表現してくれました。

表情の絵カードの役割は、自閉症(ASD)のこどもが相手の気持ちを理解したり、自分の気持ちを伝えるために使います。彼らは表情や感情の読み取りだけでなく、表出も苦手な人が多いので、こうして機会を見つけては気持ちを聞いたり伝えたりしています。

でも、今回良いなと感じたのは、それを見ていた、少しおしゃべりができる子どもたちも、感情カードがあったほうが自分の思いが伝えやすいと発見してくれたことです。

絵カードの表情は何気ないカードのようにも感じられますが、感情を伝える最も大切なものであり、円滑な社会性や人間関係を築いていくために役に立ちます。

今家庭でできることをはじめる

「光とともに」
『光とともに… ~自閉症児を抱えて~』は、2001年から10年近くにわたって月刊マンガ誌『フォアミセス』に連載され、その間にテレビドラマ化もされて大ヒットした作品です。コミックスの累計発行部数も全16巻260万部を超え、「このマンガを読んで、自閉症について初めて知った」という読者も多いです。

自閉症の息子(光君)を抱えた1人の母親の姿が描かれていて、診断される前後の苦悩や、障害の特性行動に悩む母親の姿が描かれています。自閉症の母親なら少なくない人が読んでいるという、バイブル的漫画です。1巻の最後の保育園の卒業式の場面。園児がそれぞれ、将来の夢を口にして発表するなか、言葉が話せない光君の変わりに、母親が光君の手を上げて「大きくなったら、明るく元気に働く大人になります」と宣言する姿が感動的です。

作者の戸部けいこさんは、執筆中に病気で亡くなられて物語りは完結はしていないですが、きっと光君が働く姿を描かれたかったんだろうなぁと思います。主人公の母親が壁にぶつかった時に、「だったらどうしよう」と考える姿も感銘をうけます。子育てのゴールは自立。子どもの成長を考えるときに、成人して「就労」ということを基準に、色々なことを選択しようというメッセージが込められた漫画です。

昨年末までに就学先を決めた方は、新しい学校の様子や子どもの状況の情報交換しながら、新年度を迎える準備をされている方も少なくないと思います。行き先の学校ことが気になる時だからこそ、「大きくなったら、明るく元気に働く大人」になるために、学校以外の家や地域で何が必要か、今家庭でできることをはじめる事が大事と、光君のお母さんは描かれています。

自由は不自由

ちょっとした時間が空くと、「ひま~。おもろない」とよく子どもが言います。「ふーん、暇なんや。うらやましいわ。なんでもできるやん」と子どもには返しています。自分の子ども時代と比べても仕方ないですが、「ひまやなー」と自問することはあっても、大人に暇やから何とかしてくれと言うようなことはありませんでした。そんなことを言おうものなら、「勉強しろー!部屋の掃除してー!買い物行けー!庭の草抜きして―!」と矢継ぎ早に指示が飛んでくるからです。暇な時間は、夢想したり友達と何かを見つけたりする大事な時間でした。

もちろんASDの人たちの特性で、自由時間や余暇時間が苦痛な人がいることや、大人になっても休日は一日中家でテレビやアニメを眺めたりゲームをしているだけで家族が心配していることはわかります。だから、スケジューリングで空白時間を埋める支援も行うわけですが、それでも「ひまやー」と言われると「自由は不自由や」と、やるせない気持ちになるのは私だけなんでしょうか。

「自由在不自由中 (自由は不自由の中にあり)」

BY 福沢諭吉

 

食べ物教材

本事業所では、食べ物教材を扱うおやつ作りのプログラムがありますが、利用者の味覚の片寄りは半端ないです。昔ならどんな子どもも喜んだケーキも「甘いの嫌い!」な子どもが増えてきて半数の子どもが食べません。「お誕生日だから今日はケーキだー」と家路をスキップする子は減っているわけです。特にこの事業所では「甘いの嫌!辛いの上等!」派が多いので、たこ焼きなどの粉モンやソース味モンが無難です。