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息子が強度行動障害、在宅で介助「もう無理」 入所先見つからず

息子が強度行動障害、在宅で介助「もう無理」 入所先見つからず・・・疲弊する両親

2021年10月21日 【福井新聞】

自傷行為や暴れるといった「強度行動障害」のある人は、全国に少なくとも2万5千人いると言われる。重度になると常に介助が必要だが、施設側は人手不足に加え、他の利用者や職員の安全確保の面で入所を断らざるを得ないケースもある。入所先が見つからず、在宅で息子の見守りを続ける福井県福井市の夫婦は「24時間気が休まらず、普通の生活も困難になってきた。家で支えるのはもう無理」と悲鳴を上げる。

50代の夫婦の次男(23)は2歳で広汎性発達障害(自閉症)と診断された。特別支援学校小学部6年の頃から強度行動障害の兆候が現れ始めたが、在学中は比較的安定していた。高等部を卒業後、建物から飛び降りたり、電卓を投げつけたりする重度の症状が見られるようになった。家の部屋の窓ガラスを割ってしまうため、アルミ板に交換した。

次男は、障害者総合支援法に基づく支援の度合いが最も重い「6」。現在は週1回のショートステイと週4回の通所で、二つの施設を利用している。夜間は訪問ヘルパーが介助に当たる。夫婦は「環境の変化に敏感なので、1日の生活リズムが決まっているのが理想」と、施設への入所を切望している。

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福井県によると、夜間も排せつや食事を介助する指定障害者支援施設は県内に26カ所ある。昨年9月時点で、このうち17カ所に強度行動障害のある人が計408人入所しているが、次男のような重度の人数までは把握していないという。

知的障害者ら40人が入所する勝山市の障害者支援施設「九頭竜ワークショップいずみの郷」は一昨年、重度の男性1人を初めて受け入れた。3、4人で交代しながらマンツーマンで24時間介助する。担当職員は「行為の理由が分からない時もあり、意思疎通が難しい」と話す。

同施設は常に満員状態だ。男性と同時期に入所を希望した強度行動障害の女性もいたが、日中の通所で対応している。担当者は「重度の人をもっと受け入れようとすると、設備を整えなければならない。お金も人もまだまだ必要」と苦しい胸の内を明かす。

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国や自治体は「入所施設から地域へ」とうたい、生活介護や自立訓練などの福祉支援サービスを活用し、障害者の地域生活移行を推進している。それは、夫婦には遠い世界に見える。

「自分たちが死んだら、息子はどうなるのか。行政には現実を知ってもらいたい」。介護疲れから夫は十数年間、心療内科に通う。今年5月に症状が悪化し現在は休職中だ。「息子が喜んで、安心して暮らせる場所が社会にあってほしい」と願っている。

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動画を見ているだけでは、修羅場の時の様子はわからないです。でも、表出のコミュニケーションは弱い感じがします。成人にしては人との距離が近いですが、豹変して暴れだすことを気にされているのでしょう。そして、この家族はSOSを出しているのですから、入所施設が必要です。「入所施設から地域へ」というのはノーマラーゼーション社会には必要なことですが、家族の犠牲の上に成り立つものではありません。

しかし、国の政策は入所施設を経営するより通所施設を経営したほうが利用料がたくさんとれるように変わってきています。その結果、本当に必要な人が利用できず、入所する必要のない人が入所している傾向がさらに強まっているような気がします。行動障害が激しくなったり両親が老いて養育ができない理由で入所施設を待つ家族は全国でどれくらいおられるのでしょうか。

誰かのせいにしてもしかたがありませんが、23年間、早期療育から学校教育、児童通所事業、障害児医療と公的にかかわってきた結果でもあるわけですから、家族だけに責任を負わすのは筋違いだと思います。以前にも書きましたが、「入所施設の職員は、学校に足を向けて寝たらいけない。施設職員の仕事があるのは学校のおかげ」と皮肉を言った強度行動障害施設の施設長の言葉を忘れてはいけないのです。

行動障害があるのは家族の責任ではありません。ノーマライゼーション施策が、本人が成人しているのに親と暮らす事は不自然だというならわかります。ノーマライゼーションと言うなら独立させて、24時間の支援が保障されなければなりません。それが実現しないうちは、家族が望むなら入所施設で支援されるのが当たり前だと思います。自分たちの息子だからと自分に言い聞かせている様子を見ると、どこが世界第3位のGDP国なのかと情けなくなります。

高校生向けインターンシップ 社会の課題気付く場に

高校生向けインターンシップ 社会の課題気付く場に

2021年10月20日 【中日新聞】

高校生を対象としたインターンシップ(就業体験)が変わりつつある。単に就職したい分野での職業体験というよりも、社会の課題を知り、長期的な視野でキャリアを描くきっかけや、目的意識を高める場になってきている。背景にあるのは社会情勢の変化の速さ。今、高校生に求められる職業観とは。(白井春菜)

新時代の「職業観」養う
愛知県立横須賀高校一年の広瀬玄太さん(16)、安藤優翼(ゆうすけ)さん(16)の二人は八月、自転車でのまちづくりを進める名古屋市の一般社団法人「サイクルライフマネジメント」のインターンシップに参加した。伊藤透代表理事(32)が語る「皆が安全に道路を共有できる社会をつくりたい」との団体設立の思いに耳を傾け、外を走る際は常に周りに気を配り、変速時は手元のレバーではなく前方を見るなど自転車の安全な乗り方も教わった。その後、実際に自転車で名古屋市内を二時間ほど走り、自転車専用レーンや信号機の設置状況などを確かめた。

二人とも大学進学を希望。広瀬さんはまちづくりなどに関心があり、社会の課題を事業で解決する「社会起業家」の話を聞きたくて応募した。「起業した人は身近にいないし、将来は入った会社のために働くイメージが強かった。社会のために働く選択肢もあると気付けた」安藤さんはものづくりと、これからの働き方に興味があった。「二年から文系、理系にクラスが分かれる。その前に進路を考える機会になった」

同校の一年生有志十四人が参加したインターンシップは、事前学習と就業体験、振り返り学習で計三日間のプログラム。県が二〇一二年度から実施する事業の一環で、委託を受けたキャリア支援団体が学校と事業所を橋渡しする。生徒の関心がある分野を考慮し、受け入れ先は在日外国人向けメディア、発達障害児のデイサービス、有機栽培農家など愛知、岐阜両県の六事業所。多文化共生や環境問題などの解決に向け起業した若手経営者ばかりだ。

来年四月からの新学習指導要領では、「公共」に、インターンシップでどのように職業観が変わったかなどを振り返る活動の必要性と、職業選択の前に経験を積み、適性を知る大切さが示されている。同校のキャリア教育担当教諭は「社会貢献と利益追求の両立を目指す若い経営者は、新しい視点として生徒の刺激になる。しかし学校だけでは受け入れ先とのネットワークに限りがある」と実情を語る。

今回、調整を担当したコーディネーターの荒井直人さん(50)は「高校生向けインターンシップは近年、職業選択のためだけでなく、社会課題を意識する機会としての役割も重視されるようになった」と指摘する。「時代の変化で今ある仕事がなくなっていき、自ら課題を見つけて仕事をつくり出す力が求められる。社会課題と向き合う先輩たちの姿はヒントになる」と話す。

名古屋23日体験者が報告
高校生向けにインターンシップのプログラムを提供するキャリア支援団体「アスバシ」(名古屋市)は、本年度の報告会を23日午後1時半から、同市北区の愛知学院大名城公園キャンパスで開く。

プログラムに参加した生徒有志が座談会などをする予定で、高校生や学校関係者が体験者の声を聞く絶好の機会だ。例えば、建設会社で体験した女子生徒は、建設現場で働く女性の少なさを目の当たりにし、志望する業界を女性も働きやすい環境に「変えていかなければ」との思いを強くしたという。

アスバシでこのプログラムを統括する鈴木友喬(ゆたか)さん(19)によると、新型コロナ下、本年度はできるだけ現場に行けるよう感染状況に応じて時期を調整し、事前、事後学習はオンラインを併用した。「体験した生徒からは、前向きな意味で『思っていたのと違った』という声が多数届いた。進路選択の前にさまざまな大人と出会うことで選択肢が増える」と、インターンシップに参加する意義を強調した。

報告会は参加無料。専用フォームから事前申し込みが必要。
https://asubashi.org/vision/

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高校生からのインターンシップのねらいは、何のために大学行くのかを問い直すいいきっかけです。先日、就職面接に来た福祉系の学生さんの話ですが、「教師になりたいが、採用試験に合格するまでの間、放デイで働かせてほしい」とのことでした。「教師になりたいなら、講師の道があるからここで働くよりキャリアが積めて有利だよ」とお断りしました。本音がそうであっても、面接で言うべきことではないという事を置いといても、単に安定した収入を得るのではなく、働いて自分を活かすというキャリア観がまるでないなと感じました。

確かに、大学を卒業するまで目の当たりにするのは学校の教師しかありませんから、教師になりたいというのは自然です。しかし、ではそれまで自分が専攻してきた大学の中身は何だったのでしょう。もちろん、教師になりたいからと教育系の出身大学ばかりの教員では子どもも息が詰まってしまいますから、様々な専攻をした学生が教員を目指すことに異論はありません。ただ、採用試験に通るまでは放デイで働くという感覚が分からないのです。教員へのキャリアを積み上げていきたいならここじゃないよねと思うからです。

高校生のインターンシップは、そういう意味で、自分のやりたいことを見つけたり、実際にやってみて想像と違ったりするギャップを修正したりする意味で大事だなと感じます。本当に大学に行く意味があるのかどうかも含めて、中学・高校の時代に様々な就労体験をしたり考える機会を与えていくことは大事だと思います。その一方で、人生100年の時代にそんなに慌てて就労先を選ばなくても色々躓いたり考えたりすればいいのではないかと言う考え方もあります。

これは大学時代はモラトリアムでもかまわない、30歳くらいまではあれこれ転職するのも人生の幅を広げるという団塊世代の経験談を語る人もいます。団塊の世代の若者の時代は日本は高度成長期で何をしても暮らしていける時代で、給与もどんどん上がっていた時代です。少子化の日本は今後、超人手不足時代を迎え、売り手市場になるのは間違いないです。今よりはどんな職にも就きやすくはなると思います。そういう意味では慌てなくてもいいというのは一理あるかもしれません。

けれども、だからこそ、自分を活かす職業を高校生から探し始めるという攻めの姿勢は大事にしていいと思います。大卒で自分探しだとニートを続けている人を目にしてもったいないなぁと思う事もあります。モラトリアムが長ければいいと言うものでもないように思います。選択することはパワーのいる作業なので、個人差はあるけど選択する時期と言うものがあると思います。

放課後デイ11事業所で過大請求

放課後デイ11事業所で過大請求=定員超過、6年で1億円―検査院

2021/10/18 【時事通信】

障害を持つ児童生徒が通う「放課後等デイサービス」などのうち、6道県と2政令市の11事業所が、定員を超過して受け入れたにもかかわらず、給付費を過大請求していたことが18日、会計検査院の調査で分かった。過大請求額は6年間で1億円を超え、検査院は厚生労働省に是正を求めた。

放課後デイや就学前の子どもを対象とした児童発達支援を行う事業者に対し、厚労省は定員を超過した場合、市町村に請求する給付費を70%に減額するよう求めている。過度な受け入れを未然に防ぐのが目的で、国の負担は2分の1。

利用者の多い474事業所を検査院が調べたところ、8事業者が運営する11事業所が、減額せずに請求し、総額は2014~19年度で計1億1589万円に上ることが判明した。事業者側が減額制度を知らなかったり、誤って理解したりしていたという。検査院は厚労省に対し、過大請求分を返還させた上で、減額制度を周知徹底するよう求めた。

厚労省によると、ニーズの高まりを受け、放課後デイや児童発達支援の事業所は年々増加している。一方で、給付費の不正請求などを理由に指定取り消しの行政処分を受けるケースもある。
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この記事を読めば、また放デイの不正があり、感染症対策の不正請求と同じように税金を食い物にする事業所への怒りが湧いてくると思います。ただ、厚労省関係のたくさんある会計検査の中で、放デイが狙い撃ちされている感もします。この間、不正の目立つ放デイ事業者に対して一罰百戒の効果を狙ったのではないかとも思えます。

例えば、すてっぷの例で考えると、定員が10名ですから15名を超えるとその日の全員の利用料を3割で減算請求、または、過去3か月の利用者の1日平均が13人を超えても当月は3割減の請求となります。これを過去6年間、行政指導で是正を求める事もなく事業所だけに責任を擦り付けるのは無理があるように思います。おそらく、地域に事業所が少なく、やむを得ず定員を超えて利用させたという事例もあるのではないかと推測します。つまり、あくまで善意で定員越えについて市町行政の暗黙の了解事例もあると思うのです。

ちなみに、新型コロナ禍の厚労省の通達には休校などのイレギュラーがあって、保護者負担を減らすために、定員を超えた利用者を受入れざるを得ない場合は減算しなくてもいいという通達が出ています。すてっぷの利用者の学校でも少なくない学校が感染予防で休校になったりして、保護者が休まざるを得ない状況が続きました。この月曜日は先の土曜日の運動会の学校代休という事もあり15名を超えて利用者を預かっています。普段なら振替をお断りするのですが、感染休校が続き予防のために放デイを利用できなかった利用者支援と保護者負担を和らげるための配慮です。

今回は、通達があるので請求は認められると思います。このように、利用者超過の原因は様々な地域や家庭の状況があり、市町行政がそれを知らないわけがないので、霞が関の机上の理屈だけで不正があったとリークしたのだろうなと想像します。会計検査は5つの観点で検査します。正確性や合規性だけでなく有効性や効率性も考えて総合的に判断してほしいと思います。地域の事を正確に把握して行政を適正かつ柔軟にコントロールする政治家を選ぶことが大事だと思います。

 

授業もテストもなし 映画「屋根の上に吹く風は」 問う学びの形

授業もテストもなし 映画「屋根の上に吹く風は」 問う学びの形

2021/10/17 【毎日新聞】

鳥取県智頭町の山あいにある「新田サドベリースクール」は、授業やテストのない異色の「学校」だ。そこへ集う児童・生徒らの日々を記録した映画「屋根の上に吹く風は」が23日から、名古屋市中村区のシネマスコーレで上映される。浅田さかえ監督(60)は「先行きが見えない今だからこそ、一つの学びの形として紹介したい」と話している。

浅田監督「撮影は驚きの連続」
新田サドベリースクールは、不登校などの子どもを受け入れるフリースクールで、義務教育の場として認められる学校教育法の「1条校」ではない。6~22歳を受け入れているが年齢別のクラス分けはなく、先生にあたるスタッフも含め全員が「ちゃん付け」やニックネームで呼び合う。主体性を重んじる教育が特徴で、映画の冒頭、床に寝転がって一日中携帯ゲーム機で遊ぶ子どもたちの姿が出てくるが、これがサドベリーの日常風景だ。

浅田監督が撮影を行ったのは2018年2月~19年6月。「昭和の価値観の教育で育った私にとっては驚きの連続。最初は『この子たち、大丈夫かな』と思った」と振り返る。豊かな自然を生かした稲作をしたり、一緒に過ごすスタッフを自分たちが選挙で選んだりする独特な学習環境を撮り続けた。「何事も話し合い、異なる意見に耳を傾ける姿を見て、普通の学校とは別の良さがあると感じていった」

これまでテレビのドキュメンタリー番組を多く手がけてきた浅田監督にとって、今作が映画初挑戦だ。「このまま大人になって、どうなるか想像がつかない」と吐露する保護者の不安や「ここの教育になじめず離れていった親子もいる」とのナレーションも入れて、押しつけがましくならないことを心がけた。

文部科学省によると、2020年度に不登校と判断された小中学生は19万人を超えた。浅田監督は日本の学校教育を否定するつもりはないが、「これだけの数がいるのだから、従来とは別の教育スタイルも社会に受け入れられていいのでは」と提起している。

サドベリーの子どもたちはよく屋根に上って遊ぶ。そんな近ごろ見なくなった光景をタイトルにした。「彼らのいるその場所に、新しい教育の風が吹いている気がした」

シネマスコーレの上映は11月5日まで(10月30、31日を除く)。初日の23日は、上映後に浅田監督による舞台あいさつを予定している。【井上知大】

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サドベリースクールは、1968年米国マサチューセッツ州で創設された私立校サドベリー・バレー・スクールが最初です。その後、同じ理念を持った学校が世界各国で登場しました。日本に導入されたのは1997年。兵庫県に「デモクラティックスクール まっくろくろすけ」が開校されました。日本ではまだ20数年しか歴史がありませんが、小説家の吉本ばななさんらが情報発信をされており少しずつ注目を集めています。

サドベリー・モデルの信念は、子どもは生まれながら好奇心を備えていて、生きていく上で必要のあることは自分で学んでいくことができる、という考えです。サドベリー・スクールは生徒とスタッフだけが参加できる「スクール・ミーティング」によって民主的に運営され、学費額・予算配分・職員採用なども生徒とスタッフが決めていきます。自分たちの学校自治を当事者が行っていく、デモクラティックスクールと呼ばれる所以です。

またサドベリー・スクールはすべての年齢の子どもたちが一緒に過ごすことによって生徒たちの学びと成長が促されると考えており、恣意的に生徒たちを年齢によってグループ分けすることはしません。自由教育の考えは、19世紀までの教師教授者中心の注入主義の旧教育を子ども中心主義の教育に改革しようとした流れです。

わが国でも大正デモクラシーから様々な自由教育が生まれては消え、消えては生まれてきました。最近は不登校の子どもの行くフリースクールも手続きによっては出席と認める流れの中で、こうした様々な「学校」が注目されています。京都シネマでの上映は今週金曜日からです。

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京都シネマ
10/22(金)公開『屋根の上に吹く風は』舞台挨拶決定
日時:10/22(金) 11:00の回上映後
ゲスト:浅田さかえ監督
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東大阪 中学生自殺 いじめが直接原因と判断難しい 調査委

東大阪 中学生自殺 いじめが直接原因と判断難しい 調査委

10月15日 【NHK】

おととし、東大阪市の中学生が自殺を図りその後、死亡したことについて、市の教育委員会が設けた弁護士らでつくる調査委員会は、中学生がいじめを受けていたことを認めたものの、自殺の直接的な原因だと判断することは難しいとする報告書をまとめました。
そのうえで、委員会はこの生徒には発達障害があり、学校側の対応などが不十分だったと指摘しています。

おととし1月、東大阪市の中学校に通っていた当時2年生の女子生徒が自宅で自殺を図り、翌月、死亡しました。
その後、市の教育委員会は、女子生徒の両親からの要請を受けて、大学教授や弁護士らでつくる委員会を設置し、調査を進めてきました。

15日に公表された報告書では、女子生徒は、▼ほかの生徒が所持品を紛失した際に、教室や校門の付近でカバンの中身を見せるよう複数の生徒から迫られたことや、▼「うざい」、「不細工」などの悪口を言われたり、蹴られたりしたことがあったとしたうえで、これらの行為は「いじめ」に当たると判断しました。
ただ、こうした行為が執ようになされたものではなく、「著しく悪質ないじめとまでは言えない」としました。

さらに、女子生徒には発達障害があり、学校生活での友人関係などにストレスを抱え、その苦しみを周囲に理解されず孤独感を募らせていたのではないかと指摘しています。
そして、最終的な結論は「いじめが自殺の複合的な要因の1つであるとは言えるものの、直接的な原因であったと判断することは難しい」としています。
そのうえで、▼学校で発達障害に配慮した指導ができておらず、▼教員の間で生徒に関する情報の共有も十分でないなど、課題があったと指摘しています。

【市教委 課題受け止め再発防止を】。
報告書の公開を受けて、東大阪市教育委員会は会見を開き、諸角裕久 教育次長は、「このような事案が起きてしまったことは残念だ。報告書の中で指摘を受けた課題や提言を真摯(しんし)に受けとめ、再発の防止に努める」と述べました。

また、報告書をまとめた調査委員会の委員長で、京都教育大学の元教授の初田幸隆氏は、「いじめから自殺までに時間があり、直接の原因になったのかは判断が難しいが、亡くなった生徒の心理的な負担になったと思う。生徒の通っていた学校には、いじめについての解釈が限定的なところがあり、改善を求めたい」と話しています。

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小学6年生の利用者を前にして一番気になっているのが中学校でのいじめです。中学校と小学校の違いは担任の目の行届き方です。一日教室で児童を見ている小学校担任と1日にホームルームと担当教科でしか生徒を見ない中学校担任では目の行き届き方が違います。子どもにとっては四六時中同じ担任の目がないことで自立心を促す事にもつながりますが、担任教師の目が行き届かない場所でいじめが起こりやすくなることもあります。

特に、対人関係やコミュニケーションに課題を持つ生徒の場合、どうしても上手く集団に溶け込めなかったり、仲間からの誘いがあっても場にそぐわない反応をして、生徒間でのその異質感を共有確認する話題にあがりやすく、いじめの芽になっていくこともあります。ただ、だからと言って四六時中大人が見守れば良いと言うわけではないと思います。

障害のある人の理解は、車いすや白杖や補聴器などシンボルがあるものは理解しやすいです。しかし、発達障害は見えない障害なので説明しても子どもには理解しにくいし、本人自身も知らされていない場合も多いので、当事者にも周囲の子どもにも双方に誤解が生じます。多くは、たまたま関わったときに嫌な思いや大きな違和感を感じて「変な子」というレッテルが先に貼られてしまいます。

本人にしてみれば、周囲からの扱いは他の人とは違うことくらいは感じるけれども、どうすればいいかわかりません。相手の思いが読めないことや、そもそも交流している仲間が少ないかいないことから自分の誤解も修正できません。それでも、小学校は本人の事を保育所から知っている仲間や、入学当時から本人を知っている先生が、自然にサポートをしているのです。

中学では価値観の同調性に目覚める時期の生徒たちと、当事者を初めて知る教職員がサポートをすることになります。確かに当事者の事を良く知る生徒も入学していますが、まずは自分が安定した関係性を確保することで精一杯だというのが中学生の事情です。記事の生徒の場合、特支級だったのか通級支援があったのか、何もなかったのかが分からないので何とも言えませんが、不安定な彼らを見つけ出し支援する相談室や支援室があってよいと思います。そして、不十分ではあっても、早期発見と早期支援が彼らの命を支える担保にはなると思います。

中学生へのコロナワクチン保護者 75%「接種望む」

富山市中学生へのコロナワクチン保護者 75%「接種望む」

2021年10月15日 【中日新聞】

学校感染症対策会議アンケ 「情報量足りぬ」半数超
中学生の新型コロナウイルスワクチン接種を巡り、小児科医などでつくる「富山市立学校新型コロナウイルス感染症対策検討会議」は、市内の中学生の保護者向けに実施したアンケート結果を公表した。保護者の75%が子どもにワクチン接種を求める一方、ワクチンに関する情報量が「足りていない」と答えた保護者が5割を超えた。(広田和也)

アンケートは九月十~十七日に市内中学校の生徒約一万人の保護者向けに実施し、四千四十六人が回答した。検討会議がリーフレットで結果を公表した。
子どもにワクチン接種をさせる予定かの問いには、「すぐに接種させたい」が48%で最多、続いて「できれば接種させたい」が27%と、接種を希望する保護者が全体の四分の三を占めた。希望する理由には「病気が怖い」「周囲に感染させたくない」「学校行事に参加させたい」が挙がった。

ほかに「できれば接種させたくない」が5%、「絶対接種させたくない」が2%、「しばらく様子をみたい」が18%。希望しない理由には「副反応が怖い」「情報が不足」「効果が信用できない」などがあった。

子どもにおけるワクチンの安全性や副反応などの情報量については「ほぼ十分」が最多の41%、「十分」が7%だった一方、「やや不足」(37%)「不足」(15%)と不足を指摘する保護者が五割を超えた。子ども自身が接種をどう考えているかの問いには、接種を希望する子どもの回答が53%と半数を超えたが、保護者よりも22%ほど少ない結果となった。

検討会議の種市尋宙(たねいちひろみち)座長(富山大講師、小児科医)は「情報量が足りない状況でも、接種を求める保護者が多いという矛盾が生まれている。このワクチンが明確に副反応が出ることを納得した上で、接種するかを検討すべきだ」と強調。今月中旬にも、最新の医学的情報を踏まえ、接種する場合と接種しない場合の注意点をリーフレットで伝える方針で、「情報を提供することで、接種について家族で話し合えるようにしたい」と語った。回答結果を示したリーフレットは、富山市のホームページで入手できる。

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3回目の摂取と小児への接種が課題になるほどワクチン接種が進んできた証拠です。子どもの感染症状のほとんどは無症状か微熱程度なので、小児のワクチン接種は推奨する程度で良く、家族で決めればいいと個人的には考えています。ただ、情報提供と称して副反応をやたらに強調すると子宮頚がんワクチンの二の舞を演じることになるのではないかと危惧しています。

日本の子宮頸がんワクチンの接種率は先進国中最下位です。その結果、新たに毎年1000人以上の若い女性が亡くなり、がんを発見しても子宮を全摘出しなければならない女性も後を絶ちません。これは朝日新聞のワクチン副反応キャンペーンに他のメディアも同調した結果、厚労省が訴訟を恐れて任意接種に変更したからです。それまで70%あったワクチン接種率はみるみる落ちていき、イギリスの86%接種率にはるかに及ばない1%未満に激減したという特殊な反ワクチン事情が日本にはあります。

今回、メディアは新型コロナの感染者が重篤な症状ばかりを報道して煽りすぎた結果、さすがにワクチンの副反応キャンペーンは真逆の報道をすることになり控えたと言う経過もあって、瞬く間に世界のトップクラスに接種率が追い付きました。それなのに、隙あらばと、小児のワクチン接種をネタに副反応を強調し始めています。政府の役人も、医師も日本の反ワクチンキャンペーンの痛手を負い大変ナーバスになっています。

メディアの副反応キャンペーンで、さらに役人や医師の接種意欲が後退していくという、負のスパイラルを起こしはしないかと案じています。新型コロナの症状の多くは軽微なのでそう心配はしていませんが、子宮頸がんワクチンのように本当に必要なワクチンを、エビデンスもなく煽り報道で抑止して多数の子どもの健康が害されると言う結果が再び起こらないように注意が必要です。

「ネットいじめ」5年で倍増 チャット悪用

「ネットいじめ」5年で倍増 チャット悪用

10/14(木) 【産経新聞】

文部科学省が13日に公表した令和2年度の問題行動・不登校調査では、パソコンやスマートフォンを通した誹謗(ひぼう)中傷といった「ネットいじめ」の認知件数が1万8870件と過去最多を更新した。東京都町田市立小学校に通っていた6年生の女子児童=当時(12)=が昨年11月に自殺した問題をめぐっては、文部科学省が進める「GIGA(ギガ)スクール構想」で児童に1人1台配備されたタブレット端末のチャット機能を悪用したいじめが行われた可能性が指摘されていて、対策が急務となっている。

「ネットいじめ」の認知件数は平成27年度が9187件。この5年で倍増した。また「ネットいじめ」は年齢が進むにつれ割合が増加する傾向にある。令和2年度でみると、小学校ではいじめ全体に占める割合の1・8%だが、中学校では10・7%、高校では19・8%だった。

今回の調査によると、「ネットいじめ」に関する啓発活動を実施したと回答したのは小中高校全体の約8割。しかし、急激な増加傾向を考えれば、効果が出ているとは言い難い。また匿名性が高いなどのネットの特性を踏まえると、認知件数と実数の乖離(かいり)も想定される。都内の女子高生(17)は、「授業中は学校で配られた端末が使い放題。先生に隠れて友達同士でチャットでやり取りをしている。中には悪口が書かれたという話を聞いたことがあるが、履歴を消してしまえば分からない」と話す。

町田市で小6が自殺した問題では、市教育委員会がいじめの詳細を調査中で、当初、端末の履歴からはチャットを悪用したいじめの痕跡を発見できなかった。その後、専門家に依頼して履歴の復元などを行っているが、当時の状況をどこまで把握できるかは不透明だ。

都内のベテラン小学教員は「パソコンやタブレットに関しては子供の飲み込みが早く、善しあしは別として教員にとって想定外の使用をするケースが出ている」と指摘。しかし、過度な利用制限を行うことは、教育現場のデジタル化の恩恵を大きくそぐことにもつながりかねず、ジレンマがあるという。ある都内自治体の教育長は「結局は学校でのネットリテラシー教育を徹底し、家庭でも指導をしっかりしてもらうしかない」と話していて、改善には時間がかかりそうだ。

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え?違いますよね。学校でのネットリテラシー教育の程度が「ネットいじめ」の多い少ないの原因ではありませんよね。思わず呟いてしまいました。いじめが人権問題だと言う人権教育の程度がネットいじめを含むいじめの増減の原因です。チャットで他者を貶めるのはダメで会話ではいいと言う問題ではないからです。どうしてメディアは事の本質からわざと外すような意見を流布するのかさっぱりわかりません。

昨今のいじめ件数が増えたと言うニュースも、もともと現場が教委に忖度して少なく見積もりすぎた自治体が昨今のいじめ事件から啓発されてこれまで認知していなかった案件を上げて修正しただけだと思います。その証拠に京都府は最初から些細ないじめ案件まで全てすくい取って集約しているので、調査開始時からずっと10名に1件と言う全国ワースト10のいじめ認知件数です。メディアは表面的な事だけを報道して内容を吟味するものがあまりにも少なく、逆に、感染症の報道などは憶測だけで事実が存在するかのように描く印象操作の報道が後を絶ちません。

おそらくこの記事のヘッドラインだけを読む人は、子どもへのICT機器の普及がネットいじめの原因なのだと思う人は少なくないでしょう。報道はもう一歩踏み込んで人権教育が教育内容にどう反映しているのか、何時間くらいが取組まれているのかを報道すべきです。都内の女子高生(17)の取材も、学校配布の端末のチャットで「悪口が書かれたという話を聞いたことがあるが、履歴を消してしまえば分からない」という発言をそのまま掲載していますが、履歴はメインサーバーに記録されていて端末で消去したつもりでも消去はできない(サーバー設定は必要)ということを付け加えるべきです。こういう中途半端な取材記事は不信感を煽るだけです。もう一歩踏み込んだ取材をメディアの方にはお願いしたいと思います。

“あかさたな”で研究者になる~天畠大輔 39歳~

「あかさたな」で研究者になる~天畠大輔 39歳~

2021年10月12日【Eテレ】

天畠大輔さん(39)は中学生の時、医療事故により脳が大きく損傷。話すことも、字を書くこともできなくなり、生きる希望もなくしかけた。やがて母親が見つけた「あかさたな話法」によってコミュニケーションを回復。多くの人の手を借りながら大学に進み、研究者となり、自らの25年の経験を世に伝えようと1冊の本を書いている。題名は『弱さを強みに』。そこにこめた思いとは。ノンフィクション作家柳田邦男さんと語り合う。

再放送 京都10月19日(火)午後1:05放送予定https://www.nhk.or.jp/heart-net/program/heart-net/1880/
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自己紹介

http://www.tennohatakenimihanarunoka.com/profile/index.html

天畠 大輔
14歳の時、医療ミスにより、四肢麻痺・発話障がい・視覚障がい・嚥下障がいを負い、重度の障がい者となり車椅子生活を余儀なくされる。 ルーテル学院大学を経て、立命館大学大学院先端総合学術研究科先端総合学術専攻一貫制博士課程修了【2019年3月博士号(学術)取得】。現在は、㈱Dai-job highを運営する傍ら、中央大学にて「『発話困難な重度身体障がい者』と『通訳者』間に生じるジレンマと新『事業体モデル』」の研究を行う。立命館大学生存学研究所客員研究員。日本で最も重い障害をもつ研究者。東京都武蔵野市在住。1981年生まれ。

研究テーマhttp://www.tennohatakenimihanarunoka.com/profile/dai.mp4

将来の夢
研究者として、「障がい者とコミュニケーション」を専門に研究し、 障がい者がよりよい生活を送れるようにすること。
ロックトインシンドロームの支援者の財団を立ち上げること。
(ロックトインシンドローム=閉じ込め症候群、頭のてっぺんからつま先まで、全身が麻痺状態だが意識や知能はまったくもとのまま。自分という人間の内側に閉じ込められてしまうといった状態。映画「潜水服は蝶の夢をみる」の主人公にもみられるもの。)

資格
相談支援専門員(2019年7月取得)
認定心理士(2011年6月取得)

趣味・特技
昔から映画が好きで、邦画はほとんど見ている。翻訳家の戸田奈津子に憧れて英語の勉強を始めた。
音楽鑑賞(サザンオールスターズ、Mr. Children、スピッツ、斉藤和義ほか)。オシャレすること。聴覚だけで英検準2級取得。

症状
14歳の時、急性糖尿病で倒れた際の医療ミスにより、それ以来四肢麻痺になった。
心停止の状態が20分以上続いたことにより、脳の運動野が破壊されたからである。
視力にも障害があるが、全く見えないわけではなく、立体や色、もちろん人の顔も認識できる。
ただし、紙面やパソコンの画面など、平面のものは見えにくい。知能における障がいはなく、情報を受けとる際は聴覚情報が中心。
発話が困難なためコミュニケーションには時間を要するが、本人の手を引いて一語一語を確認することでコミュニケーション可能。

コミュニケーション方法
介助者が私の手を持つ。介助者が「あ・か・さ・た・な・・・」と子音を言う。
私が伝えたい子音の所で手を引く。子音が決まる。
例えば「あ」で止まった場合、今度は介助者が「あ・い・う・え・お」と母音を言う。
「う」で止まったら、最初の言葉は「う」となる。
この繰り返しで会話していく。

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天畠さんは、他人の介助なしには何もできない自分の弱さがあるから、人間関係のありかたやコミュニケーションのあり方を深くとらえる強さになると言います。「弱さは強さだ」と言う考え方は、多様性社会を作る上で培われた考え方です。強いものや等質なものだけでの社会は持続しないし進歩もないと言われています。弱い者も異質な者も共生できる社会は懐深く賢い社会になるという事です。

天畠さんは、自分の意思と関係なく体が動く不随意運動があるほか、時々あごが外れて息ができなくなるため、24時間の見守りと介助が必要で、約20人が交代で介助に携わっています。天畠さんは、学者ですから論文を書くのにも介助者が必要です。その際には、介助者も天畠さんの研究に関わることになります。

彼の「あかさたな」話法で論文を書く場合は、それまでの文脈を介助者が理解し、彼が次に言わんとすることを予測して、最初の言葉から僅かな文字数で次の文章を予測完成させて、その是非を彼に確認する作業が必要になります。天畠さんにとってもこの話法は煩わしいのですが、文字が読めず不随意の筋緊張が激しい彼には、視線入力などの人工センサー入力は難しく、人の介助を要するこの話法以外のコミュニケーション方法は今のところ見つかっていないようです。

そこで、彼は研究論文に、「通訳者」と「介助者」の「分離二元システム」を提唱し、優秀な通訳者を養成すべきだと言う結論に達します。つまり、介助者に優れた「通訳」までを求めることには無理があり、彼のような学者レベルの通訳だけでなく、表出コミュニケーションの障害を持つ人たちの通訳は専門的にトレーニングした人が必要だと言うのです。この考え方は、実は私たちの仕事にも通ずるところがあります。

アウトプットに障害を持つ者は、自己の障害を説明することすら難しいため、社会的理解を得られにくいです。このような一方通行のコミュニケーションに陥ってしまった人々は、やりたいことを諦めて「妥協」生活を余儀なくされている現状があります。上野千鶴子氏は「ケアされる側の沈黙とケアする側のパターナリズム」(上野 2011:159)が両者のミスコミュニケーションを生むと言います。

表出性コミュニケーションの障害を持つ子どもたちの療育を考える時、その障害が身体的(麻痺等が原因)であれ、機能的(心理発達の障害が原因)であれ、その障害に基づき相手の心象を正確に読み取るスキルがないと、間違った代弁者となってしまいます。「~君は~したいと思っている」「~したくないと思っている」という生活欲求の理解ですら本人と介助者は全く違う事を考えている場合があることは、このブログで何度も紹介してきました。私たちは、そのレベルでは絵カードやICT機器などによる代替コミュニケーションを子どもに教えることを提案しています。

しかし、話が込み合ってくると長々と表現しないと伝わらないことはたくさんあります。それは年齢が増し、生活や対人関係が複雑になるにつれて、的確に通訳してくれる人はますます必要になります。わずか30分の放映ですべてが理解できたわけではないですが、彼と彼に関わる介助者の経験を無駄にしてはいけないと強く思いました。以前、「こんな夜更けにバナナかよ」という筋ジス・鹿野靖明さんとボランティアたちを描いた映画がありました。この話も、当事者と介助者の関係性を描きましたが、今回のドキュメンタリーはこの映画にも勝る強いメッセージが伝わってきました。ぜひご覧ください。

 

大津・男子生徒いじめ自殺から10年

遺族「子どもを取り巻く環境は変わっていない」大津・男子生徒いじめ自殺から10年

10/11(月) 【MBSニュース】

滋賀県大津市で、中学2年の男子生徒がいじめを受けて自殺してから10月11日で10年になります。男子生徒の自殺をきっかけに新たな法律もできましたが、遺族は、子どもを取り巻く環境は変わっていないと話します。

10月11日午前8時半ごろ、大津市役所では教育長や職員らが黙とうをささげました。

10年前の2011年10月11日に大津市の当時中学2年の男子生徒が自宅マンションから飛び降りて自殺しました。当初、市教委は『いじめと自殺の因果関係』を認めていませんでしたが、第三者委員会が「いじめが自殺の直接的な原因」と認定しました。

また、遺族が加害生徒らに損害賠償を求めた裁判は最高裁まで争われて、2021年1月にいじめと自殺の因果関係を認めた判決が確定しました。

亡くなった男子生徒の父親は10月11日の午後に会見を開き、父親は子どもを取り巻く環境は当時から変わっていないと話しました。

(亡くなった男子生徒の父親)
「とても10年前より子どもをとりまく環境が良くなっているとは考えられません」

生徒の自殺をきっかけにいじめの早期発見を学校に義務付ける「いじめ防止対策推進法」が成立しましたが、いじめは今も後を絶たないとして、父親は法律の実効性に疑問符を投げかけます。

(亡くなった男子生徒の父親)
「全ての学校、全ての教育委員会がそうだとは申しませんが、新しい法律ができても変われない学校、それを所管する変われない教育委員会があることは間違いありません」

一方、教育現場では新しい取り組みも始まっています。大津市教委は2020年からAI(人工知能)による数値化を始めました。市内の小中学校から報告される「いじめ事案報告書」について、いじめかどうかの判断が難しい事例をAIに分析させると、約5200件の過去のデータをもとに『深刻ないじめに発展する可能性が何%あるのか』を教えてくれます。

(大津市教育委員会児童生徒支援課古蒔順一朗指導主事)
「このAIを使った深刻度を学校にも提示することで、客観的な根拠を持って学校に指導助言しやすくなった。全ての子どもたちの笑顔を守っていくためのいじめ対策を進めていきたいと思っています」

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前向きにやろうとしていることに水はさしたくないのですが、このブログで一貫して主張していることは、市長がまずやるべきことは責任者の更迭です。一罰百戒で全てが解決するものではありませんが、管轄下で事故が起きたときは、責任者の職を解き降格するなどの懲戒を最高責任者が行うべきです。子ども同士の事件に公務員の業務の瑕疵を問えるのかという意見もあるでしょうが、管轄内で業務と因果関係のある事故が生じたなら、まずは綱紀粛正のために責任者降格は民間会社ならあたりまえです。

けれども市長は校長や学校責任者、役人の降格すらできていません。市長が腹をくくれないからです。第3者委員会では関係者を切る権限はないのですから、この委員会はどこまで行っても市民の不満のガス抜きでしかありません。市長は人事の一新で改革を訴えることもできません。そして、機械に任せたら公平に判断するだろうという、方向性がまるで違う答えを出してきます。大津事件や様々ないじめ死亡事件の怒りは、いじめた子どもへの怒り以上に、学校組織や教育委員会をはじめとした行政が真摯な対応しないという事への怒りです。

例え、校長や教育長が更迭されても遺族の怒りは収まらないとは思います。しかし、いじめの対応の瑕疵は明々白々なのですから、行政はAI導入などと小賢しいことをしてお茶を濁すのではなく、リアルに組織が組織としてけじめをつける事を断行すべきです。そうした上で予防策を講じない限り、その予防策ですらまともに動くことはありません。人が人にできることはそう多くはないです。詫びて人事で責任を取るのは最高責任者の最低限の仕事です。

「一緒にいれば分かりあえる」は幻想だ…

「一緒にいれば分かりあえる」は幻想だ・・・小山田氏「障がい者イジメ」発言で注目、知られざる「ダンピング」の実情

2021.10.07【文春オンライン】

『ロッキング・オン・ジャパン』等、複数の雑誌で小山田圭吾氏が過去の障害者いじめを語り、東京五輪開会式の演出チームを辞任した問題は広く報道された。その際に、彼個人よりも、背景にある障害児教育の問題に目を向けていたのが野口晃菜博士だ。

インクルーシブ教育の専門家として各種委員を務めるほか、学校・自治体・民間企業などと連携して共同研究、仕組み作り、助言等を行っている野口氏は「ダンピング(投げ捨て)」という問題が障害児へのいじめの背景にある可能性を指摘する。重度脳性麻痺と発達障害を持つライターのダブル手帳(@double_techou)が野口氏に「ダンピング」について伺った。

「ただ一緒にいるだけでわかりあえる」は幻想だ
▼ダンピングとは何ですか。

野口晃菜博士(以下、野口▽)ダンピングを説明するために、まず「インクルーシブ教育」の説明をしますね。

これは日本だと単に「障害のある子とない子が同じ場で学ぶ」という意味で使われがちです。しかし本来は「ただ一緒にいる」のみならず、「合理的配慮」の実施も含意する言葉で、それが為されて初めてインクルーシブ教育といえます。

多数派の人のみを中心とした教育でなく、「障害」を含む多様な子どもの存在を前提とした教育をつくっていくことがポイントです。

たとえば読み書きの困難や色々な障害など、学び辛さを抱える子がいたとしましょう。既存の方式を彼らに強いると学ぶ機会を奪ってしまう。眼鏡の子に裸眼で黒板を読めと言うのと同じです。

そこで一人一人に合わせ、音読の代わりに読み上げツールを使う、黒板を書き写す代わりに写真を撮る、タブレットで入力する等々、本人と相談しつつ他の子と同様に学びにアクセスするための工夫をすることが「合理的配慮」です。

そうした工夫もなくただ一緒にいるだけ、障害のある子どもを通常の学級に放り込んでいる状態がダンピングです。

▼このダンピングは、いつ頃から問題になっているのですか。

野口▽米国や英国では70年代以降、障害のある子も同じ場で学ぶことが重視され、その機会が増えていった。その中で「何の工夫もなくただ一緒にいるだけでは逆に学びからの排除が起こってしまう」という指摘が出始めたという経緯です。

日本の場合、障害のあるなしにかかわらず、積極的に一緒に学ばせようという地域と、障害のある子どもは基本的に特別支援学級に通わせる地域があるなどかなり差があって、「ダンピング」以前に、子どもたちが一緒に学ぶ環境が、全国的に実現できていません。

▼小山田圭吾氏が通っていた小中高一貫校は、障害を持つ生徒を積極的に受け入れ、一緒に学ばせていたといいます。「子どもは一緒にいれば何もせずとも自然と分かり合える」と言う人もいますが……。

野口▽幻想だと思います。社会には「障害」という言葉があり、偏見も蔓延していて、幼い子もその中で生きてますから。

子どもは大人の言動や態度を実によく見ています。私が気になるのは、学校でも、家庭でも、メディアでもはびこる能力主義です。その下で学級経営をしたら、障害のある子はどうしてもできないことが目立ってしまい、「なんでこんなこともできないんだ」という感情を他の子から向けられたり、本人の自己効力感もどんどん下がっていったりしかねない。

だから、「できる」「できない」が最重要のものさしにならないように学級経営する必要がある。特別な工夫もなくただ一緒にいれば分かり合える訳ではないと思います。

▼現実にはそうした配慮を受けられてない障害児も多くいるでしょう。ただそれを是とする意見もあります。曰く、障害児にとっても、虐められたり、皆できることが自分だけできなかったり、といった惨めな経験こそ、社会の何たるかを体感するまたとない授業になる、と。割と上の年代だとこうした教育観の人は珍しくないと感じます。どう思われますか?

野口▽あり得ないと思います。私は成人した障害のある人と接する機会もありますが、その中には学校で一生分の傷を負った方もいます。そんな形じゃない学び方で教えるのが学校でしょう。

▼暴力を使わず学ばせる。

野口▽そここそ教育の役割なのに、それを放棄して、いじめや排除を正当化するのは虐待です。

得意不得意や「どんな時助けてほしいか」を口に出す
▼国が出している「合理的配慮」の事例集(※1)を読んだら「児童間でのコミュニケーションを増やす」「トラブルを未然に防止する」などと書いてあったのですが、学校側からの働きかけでこうしたことを実現するのは実際に可能なのでしょうか。

野口▽私が学校に勧めるのは、自分の得意不得意や「どんな時助けてほしいか」「こう接してほしい」等を考える授業を全員に行うことです。その中に障害のある子どももいたりするでしょう。でも自分の特徴を周囲に喋る力は、障害の有無にかかわらず皆に必要です。

人との距離が近すぎる子もいれば、一方的に自分のことを喋る子もいますよね。互いの特徴や適した意思疎通の仕方を知ればトラブルの未然防止にもなる。障害のある子どもだけ助けが必要なのではなく「得手不得手は皆ある」前提での学級経営が重要です。

▼小山田氏の炎上の際に複数の障害者団体が声明を出す中で強調されていたのが、いじめの懸念を理由に「障害のある子と無い子とを分けて教育しよう」という流れに傾くことへの危惧です。「ダンピングが悪いから分離教育が良い」とはならないわけですよね。

野口▽はい。ただ「いじめを受けるリスクがあるのなら別の場に」と思わざるを得ない状況も理解できますし、そう考える保護者も多いでしょう。

▼分離教育について考えさせられたのが、東京都教委が企業就労率100%を目標に特別支援学校への導入を進める特別なカリキュラ厶が人気との記事です(※2)。企業が障害者枠で雇用する人のために切り出す仕事は事務や清掃などの間接業務が多いため、就労対策もそうした業務中心の訓練とのことでした。

野口▽大学に進む障害のある人も今後増えるでしょうが、高卒ですぐ働く方がまだ圧倒的に多いです。だから特別支援学校の高等部では「18歳で自立しなきゃ」という理由で作業学習ばかり詰め込まれている印象です。その中で「うちに来れば就労できる」と謳う学校も出てくる。

それが高校の果たすべき役割かは疑問です。そのぶん部活や他の高校生が青春時代を満喫している活動に割ける時間は短くなってしまっています。

※1……独立行政法人国立特別支援教育総合研究所インクルーシブ教育システム構築「合理的配慮」実践事例データベース
※2……障害児向け「エリート校」が生まれる根本理由(東洋経済、2018年6月13日)

▼大学も就職予備校と揶揄されますが18歳と22歳の差は大きいですね。社会的に不利な障害者の方が実質的に4年早く人生設計を迫られる。考えれば不思議です。

野口▽本来逆ですよね。米国で私が見た学校では、障害のある人は22歳まで公教育において就労移行支援、地域移行支援を無償で受けられるんですよ。

▼大学に行かずとも4年の猶予がある。米国の教育から学べる点は多そうです。

野口▽もちろん米国にも課題は多いですが、私自身、米国イリノイ州で教育を受けたことが今の活動の原点でもあります。

小6の時に米国に引っ越したのですが、同じクラスに様々な障害のある子がいたんです。脳性麻痺で車いすに乗っていて首を少し動かすことしか難しい同級生もいました。

それまでそういう人に会ったことがなかったので衝撃を受けたし、日本ではどこにいるんだろうと思いました。その子はセンサー式のボタンで意思疎通していて「こういう技術を使えばコミュニケーションができるんだ」と興味を持ちました。

▼その子達の周囲との関係はどうでしたか?

野口▽皆「ハーイ」みたいな感じでいつもカジュアルでした。コミュニケーションを積極的に取っている人が多かったです。

あと私が米国にいた90年代~2000年にかけてはADHDと診断される人が増えていた時期でした。あくまで私が通った学校の話ですが、クラスにもかなりそういう子がいて、彼らが実に抵抗なくそれを話すんです。

「俺、ADHDだからちょっと保健室行って薬飲んでくるわ」みたいな。私にはすごく新鮮でした。でも他の子も「へえ」みたいな反応なので、私も「へえ」みたいな感じで。

多動で机に座って勉強できないんだけど、バスケが得意でドリブルしながら本読んでる友達もいました。そのほうが覚えられるらしくて。

「タブレットを持っていくと『ズルい』と言われる」
▼懐の深い教室ですね。逆の意味で印象深かったのが、野口先生が以前あるシンポジウムで発言されていた日本の話です。タブレットを使えば学習できて、他の子どもたちと一緒に授業を受けられる子でも「これを通常学級に持っていくと皆に『ずるい』って言われるから」と嫌がるケースが多いと仰っていますね。

野口▽学級経営の方法を工夫せず急に「あなただけタブレットで勉強しよう」と言えば本人も嫌がって当然なんです。今の教育現場には皆と同じペースで同じことをするのが正しいという価値観があり、生徒自身もそれを内面化していますから。

まずは、学級に「学び方は一人一人違っていい」と浸透させることや、本人が自分に合った学び方を知ることが必要です。

▼理解を醸成して初めてタブレットが活きると。

野口▽ええ。テクノロジーをただ導入するだけでは解決しません。

▼関係者が一致して地道な努力を続けられるかが鍵になりそうです。

野口▽ただ、「通常学級を選んだら何の支援も受けないよう覚悟しなさい」などと言って自己責任にする人も未だにいるのが現状です。

▼何か改善を要望しても「好き好んで普通学級に来たんだろ」とダンピングの正当化に使われる?

野口▽はい。これは先生個人よりも構造に問題があると思います。そもそも障害を理由に普通学級と特別支援学級の選択を迫られること自体、酷でおかしいんです。障害のない子どもはそうした選択をしなくてもいいわけですから。

当然に地域の学校に通い適切な支援を受けられるのが前提であるべきです。その仕組みを国として整備していかねばなりません。

「特別扱いはしない」が正しいわけではない
▼インクルーシブ教育を語る上でリソースの話は避けて通れません。

野口▽ええ。時に異なる障害種同士によるパイの奪い合いになることがあります。しかしその根本にはそもそもの教育予算全体が少な過ぎるという問題がある。従って、一致団結して全体のパイを増やしていくのが大事だと思います。

▼実際の教育現場に着目するといかがですか。

野口▽個々の合理的配慮を具現化するにあたっては、本人も含めた関係者間で「今あるリソースの中でどれだけできるか」の合意形成を図らねばなりません。

しかし障害を持つ子どもやその保護者と学校・教育委員会とが対立するケースもあります。

▼普通学級への就学を断られたり?

野口▽それもあるし、普通学級へ就学した上で、プリントを他の子よりも拡大してルビをつけてほしい、別室で試験を受けたい、タブレットを持ち込みたい等様々です。こうしたことに学校側が初めから「無理です」と対応したことが引き金になったりするんです。

合理的配慮の紛争を調停する独立した公的第三者機関を設け、そこが間に入り一緒に解決していく仕組みだと相当違うでしょう。本人が最大限自分らしく学び過ごすために何ができるか、各々が知恵を出し合えばやれることは沢山あります。

▼「皆に合わせろ、特別扱いはしない」と言われて育ったので、教育と合意形成は対極にあると思っていました。

野口▽確かに教師という人がいて皆を指導する側面や、皆が同じ時に同じ事をせざるを得ない場面もあるでしょう。

しかし国の方針も教育現場も、主体性を育む方向に進みつつあるのもまた確かです。例えば、先生だけが勝手にルールを決めるのではなく、生徒達自らが話し合って校則を見直す動きも現れています。

▼ルールは皆で作ってもいいし、その過程も学びである、と。

野口▽ええ。だから合理的配慮にしても「ずるい」みたいなことがあれば皆で考えたらいいんですよ。むしろそれは子どもに人権や障害を教えるチャンスです。先生が全て正解を持ってて渡すのではなく、子どもとともに考える。

「そうか、なんでずるいと思うんだろうね」とか「じゃあなんで合理的配慮ってあるんだろうね」とか。子どもたちが主体的に学び先生が一緒に考えながら支える。そんな教育観を大切にしたいです。

◆ ◆ ◆

なぜインクルーシブ教育が必要なのか
野口氏はダンピングを入り口にインクルーシブ教育の何たるかを語った。つまり障害児と健常児のお互いにとって、同じ教室で机を並べることが幸せな体験になるようにする知恵だ。

ただそもそも何故両者が同じ教室で一緒に学ぶべきなのか。これは健常者の中にはピンとこない方もいるかもしれない。

私が考える最大の理由は、子供の頃から両者の接触機会を多く確保しておかないと、障害者の存在が忘れられたまま回っていく今の社会が続いてしまうからだ。

今回の問題にせよ、小山田氏の報道は過熱する一方、虐められる側の障害者の存在は置き去りにされた。

彼が自身のサイトで公式の謝罪文を掲載した数日前、私はヤフーニュースで彼のインタビュー記事を見つけ、コメント数の膨大さに圧倒された。それはさわりだけの無料記事で話の中身は殆ど不明にも関わらず、想像を絶するほどバズっていたのだ。

しかしメディアが彼への取材を熱心に試みたのとは対照的に、障害者の側の話はこの間ほとんど聞かれなかった。仮に当時の直接の関係者に当たれずとも、現在や過去に虐められた経験がある障害者、保護者、障害者団体、障害児教育に携わる教師など、この問題を語れる人は多い。彼らに発言の機会を与える努力がもっとあって良かった。

こうした報道姿勢と障害者への関心の低さは強力なサイクルを形成しており、メディアはあまねくこの構造に囚われている。大切なことでありつつもメディアを介して伝えるのはとてつもなく難しいメッセージは多い。それは私自身も、何かを発信する側に回った時に思い知らされることだ。ここでは特にそのうちの三つを挙げたい。

第一に、報道に登場していなくとも私達障害者は絶えずどこかに存在し続けていること。悲惨な事件や旬の話題が起きた時だけ瞬間的に現れて消える陽炎ではない。

第二に、私達は露悪的なキャラを作るためのアクセサリーではないし、人を社会的に抹殺するための武器でもない。つまり何かの目的のために作られた道具ではないということ。

第三に、私達は何らかの行為の対象や目的語になるだけでなく、行為の主体、動詞の主語にもなれるということ。

私達も人間である以上はどれも当然だ。しかし常に肌感覚として持てる人がどれだけいるか。そう簡単なことではないし、まして報道を介してやり取りできるたぐいの感覚ではない。

それを培うには同じ空間で一緒に長い時間を過ごす経験が必要であり、インクルーシブ教育への期待は大きい。幼少期の経験から私達を頭の片隅にでも置いてくれる人が増えていけば、報道が変わり、制度が変わり、社会が変わる時が来るだろう。

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※野口 晃菜
株式会社LITALICO執行役員 LITALICO研究所所長
1985年生まれ。小学校6年生の時にアメリカへ渡り、障害児教育に関心を持つ。高校卒業時に日本へ帰国、筑波大学にて多様な子どもが共に学ぶインクルーシブ教育について研究。その後小学校講師を経て、現在障害のある方の教育と就労支援に取り組む株式会社LITALICOの執行役員・LITALICO研究所所長として、障害のある子ども8,000名への一人ひとりに合わせた教育の実現のための仕組みづくり、公教育や児童養護施設との共同研究などに取り組む。共著に「インクルーシブ教育ってどんな教育?」や「地域共生社会の実現とインクルーシブ教育システムの構築―これからの特別支援教育の役割」などがある。博士(障害科学)。
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長い記事を引用したのは、記者のスタンスよりもインタビューに答える野口さんの明快さに惹かれたからです。彼女の話は5年程前にLITARICOの長谷川社長の話の前座?で聞きました。とにかく長谷川社長も野口さんと同年齢で、会社全体が若武者集団と言う感じでした。創業が2005年から就労移行支援事業を皮切りに、全国展開の障害者福祉の会社に急成長して、2000名を超える従業員を擁しているのがLITALICOです。日本の障害者福祉に新しい時代が来たなのと感じさせてくれました。

もっと、驚いたのが、こうした福祉や教育ベースの研究は大学研究者や政府関係の研究所所属の研究者が行うものという常識を覆し、会社の中にシンクタンクをもって自分たちの理念を企業ベースで進めようとしている事でした。もちろん、現在の福祉や教育関係の民間事業所でかつて研究者だった人が経営している法人はいくつかありますが、シンクタンクが持てるほどの資本力があるところはここだけです。

LITALICOの経営が全て上手くいっているわけではないし、マニュアル対応に傾きすぎてサービスに合わない利用者が離れていく傾向も耳にしますが、サービスコンセプトがはっきりしているので全体の療育や就労支援の方針がぶれる事はないと思います。野口さんが米国やイリノイ州の教育を正確に紹介してくれているので、インクルーシブを目指す我々には貴重な示唆を与えてくれています。若いと言うのはまっすぐで良いなと思います。

 LITALICO研究所 facebook.comより