すてっぷ・じゃんぷ日記

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休憩・遊び??

よく子どものスケジュールに「休憩」とか「あそび」とか示して「自由にしていいよ」と言う意味で使っていることがあります。でも、これは子どもによっては、何をしていいかわからない事になります。今日は子ども自己刺激の声が大きかったと言う報告があったりしますが、その前にその時子どもがどうしていたのかが大事です。

何かをしていて声が出るなら、貧乏ゆすりとか椅子のギッタバッタンと同じようなものですが、何もしていない時に声が出てしまうなら、暇なので自己刺激をしているか、声を出していると誰かがするべきことを指示してくれる事があるので、「暇なので指示して」という注意喚起かも知れません。

コミュニケーション障害が重い子どもの場合は、後者が多いです。そうであるならば、やり直し行動で絵カードで好きなものを要求する等を教えます。大事なことは、大人が思っている「休憩」「あそび」は目に見えるものではありませんから何をしていいかわからない子が少なくないのです。「休憩」ではなく「忍たまビデオ見る」とか「髭男のアルバムを聴く」「シルバニアンファミリーを並べる」等具体的な余暇の過ごし方を提示することが大事です。

自由は不自由

ちょっとした時間が空くと、「ひま~。おもろない」とよく子どもが言います。「ふーん、暇なんや。うらやましいわ。なんでもできるやん」と子どもには返しています。自分の子ども時代と比べても仕方ないですが、「ひまやなー」と自問することはあっても、大人に暇やから何とかしてくれと言うようなことはありませんでした。そんなことを言おうものなら、「勉強しろー!部屋の掃除してー!買い物行けー!庭の草抜きして―!」と矢継ぎ早に指示が飛んでくるからです。暇な時間は、夢想したり友達と何かを見つけたりする大事な時間でした。

もちろんASDの人たちの特性で、自由時間や余暇時間が苦痛な人がいることや、大人になっても休日は一日中家でテレビやアニメを眺めたりゲームをしているだけで家族が心配していることはわかります。だから、スケジューリングで空白時間を埋める支援も行うわけですが、それでも「ひまやー」と言われると「自由は不自由や」と、やるせない気持ちになるのは私だけなんでしょうか。

「自由在不自由中 (自由は不自由の中にあり)」

BY 福沢諭吉