すてっぷ・じゃんぷ日記

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麻婆茄子

今日の昼食は麻婆茄子です。日本でアレンジされた四川料理(中華料理)の一種だそうです。本来は「魚香茄子(ユーシャン・チエヅ)」として知られるナスとひき肉を使った料理です。麻婆豆腐と同じ味付けで、豆腐の代わりに揚げた(蒸す場合もある)ナスを使って作られるのが日本アレンジの麻婆茄子ということです。

 

「焼き飯」と「チャーハン」

本日は始業式。給食がないのでみんなおなかを減らして帰ってきます。メニューは「焼き飯」。みんなたらふく食べておなか一杯でした。ところで、「焼き飯」と「チャーハン」はどう違うのでしょう?「ピラフ」は生のお米を炒めてからスープで調理するのでさすがに別物ですが、「焼き飯」と「チャーハン」の明確な違いは何でしょうか。調べてみると、ご飯を炒めてから卵、具材を入るか、その逆かだそうです。そのため、チャーハンには卵が必ず入りますが、焼き飯では、卵を入れないで作られることもあります。それ以外には、中華料理専門店以外ではチャーハンの作り方であっても遠慮してか焼き飯として提供されている事もあります。それから、チャーハンは醤油やごま油を使用しますが、焼き飯はオイスターソースや和風だしその他いろいろアレンジOKで調味料縛りはありません。起源となった料理は、インド料理の「プラオ 」です。西方のウズベキスタンやトルコを経由してフランスに伝わりピラフ料理が生まれました。東方の中国に伝わると、チャーハンとなり中国を経由して日本に伝わり焼き飯という料理に変化したらしいです。

餃子づくり

本当に美味しい餃子を作るなら手作りの皮から。小麦粉を練って作る手作りの皮ならもちもちもパリパリも自由自在です。
小麦粉の種類の違いはタンパク質の量。小麦に含まれるタンパク質はグルテンというタンパク質で、水を加えて捏ねることで粘りと弾力を出します。グルテンは強力粉に多く含まれ、グルテンの量はそのまま麺や生地のコシにつながります。ケーキや天ぷらは軽い食感にするために薄力粉、コシや固さが必要な麺やパンには強力粉、中間の餃子の皮やうどんには中力粉と、調理によって使い分けます。分量は小麦粉2にお湯1です。
作業台に打ち子(小麦粉)を広げ1時間ほど寝かした生地を分け、転がして棒状にします。生地を均等にするために棒状にしたものを均等に切る方法がいいです。切り分けた生地を手で丸め手のひらで押し付けて丸く広げます。麺棒で上下に広げ、きれいに丸くするのは難しいので、薄く伸ばしてなんとなく丸くなっていれば大丈夫です。生地が破けないように気持ち中心を厚めに。外側を薄くすることで包みやすくします。味は間違いなく市販のものより美味しくできるので、丸くすることにこだわらず、気楽に作ると楽しい皮作りになるかと思います。
てなことで、本日は朝から、餃子づくりに取り組み、お昼の時間が1時間ずれ込むほど熱心に作りました。チョー分厚い皮の餃子もあってご飯がいらないくらい腹持ちがいいです。

オムそば

そのまま食べても美味しい焼きそば。そこにオムレツを乗せたらさらに美味しさアップ!本日は大人も子供も大好きなオムそばです。さて、オムそばというくらいだから、オムライスのようにケチャップでしょうか?でも、焼きそばにソースの味がついてますし、ソースでしょうか?結局その人の好みだとは思いますが、みなさんのおうちではどうでしょうか。結局、ケチャップだろうがマヨネーズだろうが関係なく、あっというまになくなりました。

カレーライス

本日は、海の日。家族でレジャーに出かけた方もいるので利用者は少なめです。スタッフは夏の準備を始めているので総動員です。午前中は公園遊びでおなかペコペコ。そんな時はやっぱりカレーライスです。3杯も食す強者もいてびっくりです。カロリー満点、腹持ち一番!日本のカレーライスは明治維新と共にはじまります。

1860年(万延元年)福沢諭吉が「増訂華英通語」でカレー(コルリ)を紹介。1872年(明治5年)カレーライスのレシピを記した本『西洋料理指南』(敬学堂主人)、『西洋料理通』(仮名垣魯文)が出版。1873年(明治6年)、陸軍幼年学校の生徒隊食堂の昼食メニューに、ライスカレー。1876年(明治9年)、札幌農学校教頭クラークが、「生徒は米飯を食すべからず、但しらいすかれいはこの限りにあらず」の寮規則。1877年(明治10年)、東京の「米津風月堂」が、初めてライスカレーをメニューに記載。1889年(明治22年)、神戸居留地にあるオリエンタルホテルのカレーライスを「The Pioneer.」誌上で絶賛。1903年(明治36年)、大阪の「今村弥」(現ハチ食品)が、カレー粉を製造販売。1906年(明治39年)、東京・神田の「一貫堂」が、初の即席カレールウ「カレーライスのタネ」発売。1908年(明治41年)、海軍が配布した『海軍割烹術参考書』に、「カレイライス」のレシピが載り海軍カレーとなる。このカレーが戦後復員兵によって日本全国に広がり、様々な家庭の味、店の味と進化していったそうです。