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わいせつ教師のブラックリスト

わいせつ教師のブラックリスト共有化を考える
園田寿 | 甲南大学名誉教授、弁護士

5/21(金)【Yahoo!ニュース】

■はじめに
教師による学校内での児童生徒に対するわいせつ事件があとを絶ちません。優越的立場を背景に、抵抗できない弱い者に対して自己の性的欲望を暴力的に満たすのは、もっとも卑劣な行為だといえます。ところが現行の制度では、処分を受けて教員免許状を剥奪された者が、最短で3年経過すれば再び教職に返り咲くことができるようになっています。性的な不祥事を起こした教員が再び教壇に立つことができないようにするべきだとか、3年という時間はあまりにも短すぎるといった意見がありますが、もっともだと思います。そこで、この点を改善すべく、法律案が検討されています。

法律案は、わいせつ教師のブラックリスト(データベース)を作成し、免許状の再交付にあたって全国の教育委員会、学校法人の採用担当者などが閲覧できるようにするという仕組みを提案しています。私は、この法律案の基本的な方向性に反対するものではありませんが、十分な議論が必要だと思います。本稿では、その議論の端緒を整理してみたいと思います。

なお、2021年5月10日付けで、学校における子どもの人権を考える会(共同代表:佐久間亜紀、慶應義塾大学・教師教育学)による「『教職員等による児童生徒性暴力等の防止等に関する法律』案についての論点整理」が公にされています。法案の内容については、基本的にこれに依っています。

■現行制度の確認
現行の教員免許法では、(1)懲戒免職、(2)分限免職、(3)その他教員にふさわしくない重度の非行がある場合には、「免許状取上げ」の処分を行い、「当該処分の日から3年を経過しない者」には免許状の再交付を行わないという規定になっています(第5条1項)。

懲戒免職とは、犯罪や重大な非行などを行ったことを理由として解雇される場合で、(「身分保障の限界」という意味の)分限免職は、心身の故障、勤務成績不良や懈怠(けたい)などを理由とした免職で、必ずしも犯罪や非行などを理由としたものではありません。

問題は、このような理由によって免許状が取上げられた者であっても、最短3年が経過すれば申請によって免許状が再交付されうるという制度になっている点です。

実際に、「福岡県で生徒へのわいせつ行為で懲戒免職を受けたことを隠し、虚偽の履歴書を提出して88~2018年に埼玉県で教員として勤務した」といったケースが報告(埼玉新聞2021年3月23日)されていますし、同様のケースは少なくありません。

■法案の内容
今回の法案はとくに以上のような点について、制度を改めることが目的です。そして、目玉となるのがデータベースの構築ですが、それは以下のような内容になっています。

(1)次のような行為を「児童生徒性暴力等」と定義する。
a. 強制性交、わいせつ行為(刑法上の罪)
b. 児童買春のあっせん、児童ポルノ所持、製造、輸入、盗撮による製造等(児童ポルノ禁止法上の罪)。
c. 児童生徒を著しく羞恥させたり、不安をおぼえさせるような態様で、衣服の上から、あるいは直接児童生徒等の身体に触れたり、通常衣服で隠されている下着や身体を撮影し、または撮影目的でカメラ等を向けたり設置したりする行為
d. その他、性的羞恥心を害する言動であって、児童生徒等の心身に有害な影響を与える行為

(2)児童生徒性暴力行為等によって免許状が失効した場合、各教育委員会がその教員の情報を、文科省が一元的に管理するデータベースに迅速に登録し、各教委や学校法人などが採用の参考とする際に閲覧できるようにする。

(3)各教委が第三者委員会の意見を基に、再交付の可否を判断する「裁量権」を認め、その際、教員の更生状況などを勘案する。

端的にいえば、文科省がわいせつ教師のブラックリストを作成管理し、このデータベースを各教育委員会や学校法人が参照して免許状の再交付の可否を決定するというものです。

はたしてこのような制度は、今までの制度に矛盾なく溶け込むのでしょうか。以下、その点を考えたいと思います。

■一般的な問題点
国の基本的な制度からの大きな方向転換になりはしないか
第一の論点は、ブラックリスト共有化という新しい提案が、国の従来からの制度に対する大きな方向転換になりはしないかという点です。

現在の刑罰制度は、根底に応報という考え方(苦痛を与えることによって過去の犯罪行為を清算すること)があり、その枠内で犯罪予防(一般人の犯罪を予防し、受刑者本人の将来の犯罪を予防する)を考えるというものです。そのため、実際の刑罰執行(行刑制度)は、受刑者の再社会化(更生=人生のやり直し)を目的として組み立てられてきました。

その一つに前科抹消制度といわれる制度があります。
これは、刑に処せられて一定の時間が経過すると、刑の言渡しがなかったことになるという制度です。刑の言い渡しを受けて、判決が確定すると市町村役場に置かれている犯罪人名簿に登録されます。しかし、前科は更生の障害となる場合があるため、昭和22年に刑の消滅の規定(刑法34条の2)が設けられ、執行終了または免除後一定期間(禁錮以上は10年、罰金以下は5年、刑の免除は2年)を罰金以上の刑に処せられることなく経過したときに、刑が消滅し(法律上の復権)、前科人名簿からの抹消が認められました。

わいせつ教師のブラックリスト共有化は、この前科抹消の制度と基本的に調和するのでしょうか。ブラックリストからの削除についての規定も、登載期間についての規定もないので、ブラックリストに登録することで、一度過ちを犯した者を刑法の原則を超えて社会から排除するおそれのある制度となる危険性はないのでしょうか。社会制度としてこのような仕組みを設けることは根本的に妥当なのかという点について疑問があります。

本制度は、再び教職に付かせないということだけが狙いなので、他の職業に付くことへの制約にはならない、つまり職業選択の自由を侵すものではないといえるでしょうか。これが次の論点です。

罰則規定がないのは問題
刑法学者としての観点からこの新提案を見た場合、もっとも気になる点は、情報漏洩や悪用についての罰則規定がないことです。

教育委員会や学校法人がブラックリストを閲覧するわけですが、教育委員は公務員ですから、得た情報を漏洩したり悪用した場合は守秘義務違反の罪(最高1年以下の懲役)がありますが、私立学校の採用担当者は私人であって、罰則がありません。私立学校の校長などが、友人の予備校や塾の経営者、さらには一般企業などに情報を漏らすようなケースも想定することが必要でしょう。

ブラックリストには性犯罪歴が登録されているわけですから、もしもこれが漏れたりした場合はたいへんなことになります。本人はもとより、家族や親戚へのダメージは想像以上でしょう。

ブラックリスト共有化が教員免状の再交付を厳格にするだけの制度だから問題はない、といえるのかです。

「児童生徒性暴力等」の概念は明確なのか
ブラックリストに登録されることは、本人にとって重大な制裁的効果があります。登録の前提条件である「児童生徒性暴力等」の概念は、明確なのでしょうか。

この概念の中には、刑法上の性犯罪から、明確に「犯罪行為」として認識されないような行為まで、行為の性質と重さの異なるさまざまな性的行為が含まれています。それらに対する一律的な行政的制裁として免状の取上げがあるわけですが、これにさらにブラックリストへの登録という実質的な制裁処分が課されることになります。その際、なされた行為における侵害性の軽重は問題となっていません。このような仕組みは、近代法の大原則である責任主義(許されるのは責任の重さに応じた制裁)に反する疑いが濃厚です。

また、具体的に当該行為が「児童生徒性暴力等」に該当するとの判断は、だれがどのように行うのかも問題ですし、本人の弁明の機会なども十分に保障されなければなりません。

■では、どうすればよいのか
誤解のないようにいいますが、私も性的な問題を起こした教師がわずか3年で免許状の再取得が可能であるという現状はたいへん問題だと思います。しかし、ブラックリストに登載して排除するという方向性にも疑問があります。

では、どうすればよいのか。

今回の法案では、教育委員会の裁量権を認めることも提案されています。一定の法定要件が具備されれば免許状がオートマティックに再交付されるのではなく、再交付の可否について教育委員会が個別に判断することになります。この提案じたいに異論があるわけではなく、むしろ望ましい制度だと思います。しかし、ブラックリスト方式を前提に考えると、教育委員会が検索して該当者がヒットすれば、それだけで該当者についてさらに実質的個別的な審査が行われる可能性は、特別な事情がない限りきわめて小さいと思われます。

この教育委員会の裁量権を活かすためには、再交付に際して参考とされるデータベースはブラックリスト方式ではなく、ホワイトリスト方式とされるべきです。つまり、まず全教員リストから、懲戒、分限等の処分があれば、その都度ここから該当者を削除していき、いわばホワイトリストを作成する。そして教育委員会が免許状の再交付を審査する際にはこれを参照し、申請者がこれにヒットしなければ、さらにその者について聴聞の機会も保障して個別に実質審査を行う。このような仕組みであれば、法案が目指すものと同じ効果が得られますし、官民の多くの人たちに共有されるデータベースのあり方としても望ましいのではないかと思います。

いずれにせよ、新しい提案について十分に議論されることが必要です。

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性犯罪の再犯率は低くありません。しかも、学校教員や施設職員から子どもが受けるわいせつ事件のほとんどは、行政処分を受け社会的制裁を受けたのだからと起訴されないことも多く、軽微なものと判断されるものは略式起訴程度で終わるものがほとんどで、服役をするほどのものはごく稀です。

犯罪の種類でいえばわいせつ罪は強制も準強制も最高懲役20年と罪が重いのですが、職員が犯す罪は健全育成条例違反の淫行罪がほとんどで懲役2年が最高で、初犯なら執行猶予がつくものがほとんどです。従って前科抹消制度が摘要されれば前科すら消えるのです。

免許制度をわいせつ前科のある人には免許を与えないようにする法案も、憲法の掲げる職業選択の自由を侵すとして断念されました。そこで、行政処分リスト(官報)を調べる証明システムを免許申請や採用時に求める仕組みを文科省が考えたのですが、履歴は今年からと言う情けないシステム(教員の懲戒免職・解雇理由、官報に記載 03/30)なので、日本版DBS(子どもの性被害どう防ぐ?: 01/06) を法律で決めようと言うわけです。英国では2012年にスタートしたそうですが、日本型民主主義(憲法)は時間がかかり過ぎます。

『ドラゴン桜』で説明した東大の「文化」

『ドラゴン桜』で説明した東大の「文化」にOBから疑問の声 学生間の試験対策を「発達障害の学生のため」と紹介?

2021/05/24 【リアルライブ】

日曜劇場『ドラゴン桜』(TBS系)の第5話が23日に放送され、平均視聴率が13.8%(ビデオリサーチ調べ、関東地区、以下同)だったことが各社で報じられている。第4話の14.3%からは0.5ポイントのダウンとなった。

第5話は、専科の生徒との勝負に負けた藤井(鈴鹿央士)は苛立っていた。そんな様子の藤井を案じた理事長の久美子(江口のりこ)は、東大専科と一流大学コースで再度勝負することを桜木(阿部寛)に提案する。そして、東大専科には5人目の生徒がやってきて――というストーリーが描かれた。

※以下、ネタバレ含む。

専科に来た5人目の生徒とは、学年で成績ワースト1位という発達障害の健太(細田佳央太)。桜木は健太のその異様な記憶力に注目し、健太が好きな昆虫研究の英語の論文を渡すことで勉強欲を刺激することに成功していた。

そんな中、水野(長澤まさみ)が話した、発達障害でも東大で勉強できる、ある文化が話題になっている。

「健太は目から入った情報は忘れないものの、一方では聴覚的短期記憶能力が低く、これまで授業についていけなかったとのこと。このことから幼馴染の麻里(志田彩良)から『仮に東大に入れたとしても講義についていけないんじゃ?』と指摘する場面がありました。しかし、水野は『大丈夫。東大には書き起こし文化があるから』といい、当番制で教授の話を書き起こす制度だと説明。『そのぐらい東大に通う発達障害の学生は多いのよ』と話していました」(ドラマライター)

この水野の説明に、視聴者からは「書き起こし文化なんてあるんだ!」「そんな文化あるなんてすごいな」という感心が集まっていたが――。

「しかし、SNSからは東大OBを名乗るユーザーから『ミスリード』を指摘する声が噴出することに。実際、この書き起こし文化は東大法学部の学生の間で自発的に行われているもので、発達障害の学生のためだけではなく、そもそもの目的は試験対策とのこと。ツイッターからは『発達障害を起源に持ってくるのは無理がある』『書き起こしは公式ではないし万能でもない』『学生間の試験対策を発達障害に配慮した文化にするのはちょっと…』という指摘が上がっていました。また、大学側の制度ではなく学生間で行われている文化のため、書き起こしがない授業も多く、語弊があるとの指摘もありました」(同)

ドラマでの説明と現実での乖離に、多くの東大OBが違和感を抱いてしまったようだ。

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前回(ドラゴン桜 05/15)、健太(細田佳央太)のサバン症候群が発揮されると書きましたが、予想通りでした。ドラマは全てが事実ではないのに、あえて疑義を唱える元東大生の『ミスリード』指摘にはステレオタイプの方に少なくない特性を感じます。けれども、東大が発達障害を持つ学生の支援に力を入れていることは事実です。2010年には、発達障害の学生をサポートする専門機関である「コミュニケーション・サポートルーム」を立ち上げています。

開設当時、東京大学学生相談ネットワーク本部は、「東大が多くの発達障害の人を抱えるのは事実」「支援室の開設は発達障害と共に生きる東大としての第一歩」と言っています。また、日本学生支援機構の調査によれば、東大は対人関係スキルを身につけるためのセミナーを全学生に向けて開催しているそうです。今回の件について、東大のコミュニケーション・サポートルームは学生のプライバシー保護のためにノーコメントだそうですが、ノートテイク支援の是非を聞いているだけなのにあえてコメントしないという事は、様々な支援事例があるので安易に触れられないということでしょう。

大事なことは、東大で授業の講義が書き起こされるかどうかの真偽ではなく、普通の学校の授業で視覚的支援が合理的配慮としてなされているのかどうかです。視覚的支援がないから学習に取り組めないし、不適応行動の原因を知能が低いからと誤解しているから、いつまでたっても不適応行動が収まらない、という桜木(阿部寛)の台詞にこのドラマのメッセージがあります。そして、「だけど」と付け加えた桜木(阿部寛)の、「無理やりに学習をさせようとはしなかった担任の行動は、健太(細田佳央太)の学校への安心を形成して、学習への嫌悪感を与えなかった」という台詞内容も支援の本質を感じさせました。

1人1台コンピューター「一見よさそう」の落とし穴

学校1人1台コンピューター「一見よさそう」の落とし穴
科学医療部次長岡崎明子

2021年5月25日 【朝日新聞デジタル】

小学生の娘が、学校から配られたiPadを使うようになってから2カ月がたつ。コンピューターを活用した教育を広げるため、文部科学省が進める「GIGAスクール構想」の一環だ。3月末までに、全国のほとんどの小中学校に1人1台分のパソコンやタブレット端末が配られた。

アップルのスティーブ・ジョブズは家で子どもがiPadを使うのを制限し、読書や会話の時間を大切にしていたという。だから私も、娘が幼い頃からなるべくスマホやiPadを遠ざけてきた。それなのに。

娘は喜々として「今日はヤフーで『三角形』を検索した」などと教えてくれる。国は、この構想は学びを個別最適化し、創造性を育むと言う。でも本当にそんなエビデンス(科学的根拠)があるのだろうか。

学びの質を研究してきた東大名誉教授の佐藤学さんに聞いてみた。「実は、ICT(情報通信技術)教育が学力向上につながるというエビデンスはほとんどないのです」

最も信頼できるのが、国際学習到達度調査(PISA)の調査委員会が2015年にまとめた報告書だという。先進国の集まりであるOECD加盟の29カ国のデータを分析すると、学校でコンピューターの使用が長時間になると、読解力も数学の成績も下がっていたという。衝撃的な内容だ。

PISAの担当者はその理由を二つ挙げる。一つは深い思考を育む先生と子どもの対話がコンピューターによって阻まれる可能性。もう一つは従来の授業スタイルのままコンピューターを入れることの限界だ。

佐藤さんはこれに加え、今のICT教育の現場で使われるソフトの質を挙げる。答えを入力すると即座に○×が表示され、正解なら次に進むといったものも多い。

ここから続き
「刺激と反応の学びは短期記憶にしかなりません。そもそもGIGAスクール構想は20年前のコンピューター教育。協同で探究する学びに改革する必要があります」

世の中には、「一見、よさそう」と思って導入したものの、実は効果がなかったということが結構ある。

今から半世紀前の1976年2月。米国の陸軍基地で1人の新兵が豚インフルエンザで亡くなった。見つかったウイルスは、18年のスペイン風邪と同じH1N1型だった。パンデミック再来を恐れた当時のフォード大統領は、専門家の助言に従い、全国民2億人以上にワクチンを接種するという前代未聞の事業を決断した。

接種は10月から始まり、4千万人以上がワクチンを打った。だがギラン・バレー症候群など多数の副反応が報告され、わずか10週間で事業は中止された。実際のところパンデミックは起きなかった。残ったのは、公衆衛生行政への不信感だけだった。

検証報告書は、貧弱な証拠から組み立てられた理論に、専門家らの過信があったと指摘している。エビデンスがない政策は税金の無駄となるだけでなく、ときに害を与える。

コンピューターに向かう時間が増えることが、子どもたちから深く思考する機会を奪うとしたら。その代償は計り知れない。私は子どもには、物事を多面的にとらえ、自分の意見をしっかり持った大人になってほしい。1人1台を進めるにしても、エビデンスのないまま広げ、貴重な学びの場が「実験台」になるのは勘弁だ。

コンピューターに一切触れるなと言っているわけではない。実はPISAの報告書には、ヒントとなりそうなデータもある。例外的に、オーストラリアではコンピューターを使うほど読解力が上がっていた。

日本のICT教育は、先進国の中では周回遅れだ。だからこそ、効果をあげている他国の例に学べるというメリットがある。ジョブズはこうも語っている。「教育の問題はテクノロジーでは解決できない。これは、政治の問題なのだ」(科学医療部次長 岡崎 明子)

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ICTを使えば学習ができるようになると言うのは正しくないです。当たり前のことですが、学習ができるように作られたICTならば学習ができるようになるのです。例えば、今はやりの講義アプリのスタディーサプリがあります。あれは、優秀な講師が講義をするので学力が平均以上の人にとってはとても役に立ちます。しかし、基礎学力の伴わない人が使っても成績向上は望めません。また、聴覚情報が苦手な人にも向いていません。

下のグラフは2015年のもので、このグラフだけで本当にICTの利用と非利用の格差が出たかどうかはどんなデーターの取り方をしたかどうかわからないので何とも言えません。こういう数字のマジックを使うのはメディアの得意技です。PISAの500を平均とした標準偏差100の5〜6点差は、入試偏差値の平均50・標準偏差10にすれば1ポイント未満の数値です。これをわざわざグラフで大きく切り取って見せているのです。また、日進月歩のICT世界での2015年当時とは一昔前とも言え、適切な学習アプリが開発されているとは言えないからです。少し自信がない記者は、アップルコンピュータのカリスマ、スティーブ・ジョブズを引っ張り出して、自説を補完します。

ICTを使った学習を○×の短期記憶の学習機とレッテルを貼るのも、メディアの得意技です。PISAの報告書によれば、周回遅れのはずの日本はICTを使ってないのに読解力は落ちているのです。このことについては何も触れずに我田引水です。ICT機器を学習に使うメリットは、その人の興味や関心、分かる速度に合わせて自学自習ができる事や、学習したことや気づいたことを簡単に仮想空間で共有できることです。まさに、教室から外に飛び出した授業が展開できる可能性が広がっているという事です。

ICTと学力とは関係がない事ですが、日本のワクチン開発が先進国の中で遅れているのは、政治の責任と言うより、メディアが散々ワクチンの副作用をエビデンスもないまま恐怖を国民に煽ったからです。副作用が恐ろしいぞと特殊例だけをあげて煽れば、誰も国内で売れない商品を開発しようとはしないでしょう。その舌の乾かぬうちに今度は開発が遅れているのは政府の責任だと言うのです。今回のメディアによるICTの教育展開の批判も同じ類の根拠のない無責任な主張ではないかと思います。今大事なのは、ICT機器を利用するためらいではなく、学校や家庭のネットワーク環境を整備してソフト開発にどんどん民間会社を呼び込んで良いソフトを競争して作ることです。

 

端末持ち帰り調査

<学校ICT時代端末持ち帰り調査>(上)小中学校編岐阜が先行、福井認めず

2021年5月26日 【中日新聞】

小中学生に一人一台ずつ学習端末を配備する国の「GIGA(ギガ)スクール構想」。新型コロナウイルス禍による休校も想定し、文部科学省は学校だけでなく、自宅での学習にも端末を生かしてほしい考えだ。こうした端末の「持ち帰り」にどう対応するか?。中部九県の県庁所在地と政令指定都市の計十市教委に取材した。(北村希、加藤祥子、河原広明)

昨年九月に全児童生徒への配備を済ませ、直後から「持ち帰り」に取り組むのは岐阜市。同市教委担当者は「休校時でも自宅の子どもと学校の先生をつなげる環境をいち早くつくりたかった」と話す。

学校便りの配信など保護者との連絡に用いたり、一部の学校で不登校の児童生徒向けに授業を中継したりするなど積極的に活用している。コロナ禍による昨年の一斉休校では「学びの保障」が課題に。文科省は「一人一台」の配備完了時期を二〇二三年度から二〇年度に前倒し。自宅への持ち帰りも促す。

名古屋と金沢、富山の三市も本年度中の持ち帰りを「認める」と回答。富山市では既に持ち帰りを進めている学校も。名古屋市教委の担当者は「学びの継続性を考えると持ち帰りは必要」と説明する。ただ、配備が慌ただしく進んだこともあり、自治体によっては一部の学校で「持ち帰り」を試行し、効果的な活用法を検討したり、課題を見定めたりする場合も。津市は本年度に全七十校のうち四校で試行。その結果を基に来年度以降の全体の対応を決める。

同市教委の担当者は「地域や学校ごとに状況が異なり、一斉に導入するのは難しい。小一から中三まで学年の幅も広く、どんな課題が出てくるか予想できない」と漏らす。
一方、「コロナによる休校など有事以外は認めない」とするのは福井市。市教委の担当者は「(破損時の)保険や家庭の通信環境の確保などで費用負担が大きい」と説明。「効果も十分検証されておらず、紙を用いた学習を続けながら、周りの状況を注視したい」とした。

通信環境確保に四苦八苦
「持ち帰り」では家庭の通信環境の確保が欠かせない。ネットを活用した調べ学習をしたり、休校時などに学校と家庭をつなぐ「オンライン授業」に取り組んだりするためだ。
GIGAスクール構想で配る端末は、通信回線の契約付きか否かの二種類。十市のうち唯一、「通信契約付き」にした岐阜市では、家庭の通信環境に関係なくネットに接続できる。残り九市の端末は、家庭で通信環境が整っていないとネットに接続できない。

名古屋市と津市、金沢市など五市は通信環境がない家庭に、ネット接続に必要な機器「モバイルルーター」を貸し出して対応する。機器を整えても、ネットにつなぐ通信費を誰が負担するかも各市の悩みどころ。使う頻度にもよるが、一人分は少額でも、全児童生徒分だと額が膨らむからだ。

全ての児童生徒分を市が全額負担する岐阜市や「検討中」の市を除き、各市は家庭負担が基本。その上で、名古屋市や津市などのように生活保護受給世帯などを対象に全額または一部を補助するケースが多い。

補助以外の方法も模索されている。長野市教委の担当者は「通信環境のある学校や公共施設を開放し、家庭の負担を減らす方向で検討したい」、浜松市教委の担当者は「市で負担するのは予算的に厳しく、休校時などに通信環境がない家庭の児童生徒は学校に来てもらう形も検討する」と話している。

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<学校ICT時代端末持ち帰り調査>(下)高校編配備済みの岐阜と福井は可生徒の個人所有方式も

2021年5月27日 【中日新聞】

国の「GIGA(ギガ)スクール構想」の一環で、県立高校でも生徒に学習端末の配備が行われている。中部九県の教育委員会に端末の自宅への持ち帰り状況を聞くと、認めているのは「一人一台」が完了した岐阜県と福井県のみ。そもそも全児童生徒の端末代を国が負担する小中学校と異なり、高校では国の負担は一部にとどまるため、配備状況に差が生まれている。(白井春菜、杉浦正至、福沢英里)

高校生の端末について、国は三クラスに一クラス程度分は配備できるよう負担。新型コロナウイルス関連の交付金なども使って「一人一台」を目指すよう求めている。小中学校で一人一台で学んだ生徒が、高校でも同じ環境で学べるようにするためだ。

交付金も投入して一人一台を達成した岐阜県。大垣市の大垣北高校は公費端末を生徒が家に持ち帰り、手書き入力ができる学習支援アプリで宿題をこなす。以前は宿題に使ったノートを授業開始後に教員が見て回ったり、授業後に集めてチェックして返却したり時間を要した。今では教員が授業前に自分の端末から各生徒の宿題の状況を確認でき、授業時間を有効に使える。

同県教委ICT教育推進室の室長は「コロナ禍や台風による臨時休校など有事への備えにもなる」と強調。推進室職員、ICT担当の教頭と指導主事の計十数人が県立校八十三校を手分けして回り、教員らの活用を後押し。画面のひび割れなどの破損は、故意でない限り県教委加入の保険でカバーする。

福井県も同様に一人一台を達成して持ち帰りを認める。担当者は「家庭学習に使い、休校しても学びの継続性を確保するため」と話す。学校の課題に取り組むなど授業と連動した活用を想定している。

富山県の端末配備は今年の夏ごろに完了する見込み。持ち帰りを認める予定だが、時期は各校が実情に応じて判断する。担当者は「オンライン授業や課題の提出など学校教育に限らず、教育目的なら資格取得に向けた勉強なども認めていく」と述べた。
一人一台の体制になっていない静岡、石川両県は、持ち帰りの方針について「未定」と答えた。

一方、生徒が個人所有の端末を持ち運び、学習に使う「BringYourOwnDevice(BYOD)」方式を採用する県も。大半の生徒が保護者負担で端末を用意し、それが難しい家庭には公費端末を貸し出す。

長野県は二一年度にタブレットかスマートフォンでBYOD方式に。公費で配備した端末は持ち帰りを認める方向で検討中だ。二一年度中に全生徒の三分の一強に国費端末が行き渡る予定の愛知県は現時点で認めていない。ただ、担当者は「端末の紛失や損傷時の補償、弁償の枠組みなど、さまざまな課題が解決できれば二一年度中にも認めたい」と話す。

通信費 多くは自己負担ルール作り課題
家庭の通信環境の確保はどうか。環境が整わない家庭向けに、多くの県でネット接続に必要な機器「モバイルルーター」などを貸し出す用意がある。通信料は県費で負担する岐阜県を除き、多くが自己負担。富山県は「今後の検討」とした。
家庭の状況に応じて、国の「高校生等奨学給付金」を案内する県も。通信料相当として年一万二千円が補助される制度だ。それでも足りない場合、福井県は低所得世帯向けに補助を上乗せしている。

スマホの所有率が高い高校生でも、端末依存やネットトラブルの懸念はある。岐阜県はフィルタリングソフトを入れて、会員制交流サイト(SNS)やゲームサイトにつながらない設定にしている。三重県の担当者は「情報モラルはこれからの社会を生きる世代に必要な基本スキル」と教育の必要性を強調する。
持ち帰り時のルールについて愛知、福井両県は学校の実情に応じて決めてもらう。富山県は、県教委で作ったひな型を各校に周知した上で、ルール作りを各校に委ねる。

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記事を読んでいて、この期に及んでもGIGAスクール構想での各生徒にPC一台配備の意味が理解できてない役人がいることが、明らかになった感じです。これは前回も掲載(「校長がブレーキになってはいけない」 文科相 02/20)しましたが、危惧した通り自治体によって相当違う対応になっています。

特に福井県は福井市教委と、福井県教委で真逆の対応となっているのが驚きです。小中では金がないから家庭に持ち帰らせないとし、高校は県が買い与えてでも家庭学習を推進する対応です。つまり県全体としてGIGAスクール構想をたたき台にしたICT教育の統一的な構想がないので、同じ県下でも方針が違うのでしょう。京都府と京都市も似ていますが、京都市は府と同じくらいの財政権限を持つ政令市ですので比較対象にはなりにくいです。

京都府や地元の自治体は、家庭持ち帰りや家庭の回線環境についてまだ統一的な見解を発表していませんが、この記事にあるような否定的な見解を持つ学校関係者も少なくありません。いったいいつになったら、子どもたちは家庭でルールに沿って自由に端末で学習ができるのでしょう。岐阜県のように持ち帰りを前提にセルラー機器(民間回線接続)を購入している自治体もあるのですから、 ひとえにICT教育担当の役人にかかっていると言っても過言ではないと思います。以下は東京渋谷区の子ども用の持ち帰りルール例です。かなり決まりが多いですが、それでも子どもを信じて持ち帰らせようと言う関係者の気持ちに共感できます。政府の施策なのに住んでるところでこれほど運用に差があっては、公教育の名折れだと思います。

裏面あり画像クリックでPDFが読めます

みんなと違う子だから発達障害?

『みんなと違う子だから発達障害』という考え方はなぜ危険なのか

5/27(木) 12:31【婦人公論】

個性の強さから学校で問題児扱いされるような子どもたちを集め、彼らに自由な発想と学びの場を提供することを目指した教育が、東京大学にて行われています。ディレクターを務める中邑賢龍教授が「みんなと違う子だから治療する、という考え方は危険すぎる」と警告する理由とは?

※本稿は、中邑賢龍『どの子も違う――才能を伸ばす子育て 潰す子育て』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。

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◆たくさん届く相談メールを前にして

毎日、さまざまな人から子育てについての相談メールが私のところに届きます。
自分の気に入らないことには感情を剥き出しにして抵抗する子、苦手なことに関して心を閉ざし、貝のようになってしまう子など、少し読んだだけで、見守る家族のご心労がひしひしと伝わってきます。

ここで見方を変えてみましょう。私からすれば、それらの子どもたちは、みな人間らしいとも言えます。親の苦悩を感じつつも、実際、その行動のユニークさや豊かさには、思わず頬が緩むこともしばしば。

しかし、だからといって、現状の学校や社会は必ずしもそんな彼らに優しいわけではなく、「集団に馴染めない=困ったこと」と一元的に捉え、彼らに特別な教育や指導を受けるように求めています。

実際、それが機能する子どももいるでしょう。しかし、その教育や指導に苦しみ、闘う子も少なからず存在します。

なぜ、子どものことをしっかり考えているはずの学校や社会が、結果として彼らにとっての《壁》になってしまうのでしょうか? 以下いくつかの事例を紹介しながら、彼らの行動の本質について考えてみたいと思います。

◆なぜ小学4年生はカーテンの中で授業を受けたがったのか
子どもが大人の常識とかけ離れた行動をとると、ほとんどの親は驚き、「信じられない! 何でこんなことするの! 早くやめなさい!」などと声を荒らげます。その行動の裏に、実は子どもなりの事情があるにもかかわらず、大人はそれを理解しようとする前に、まず声を出してしまう。

たとえば私の知る例として、カーテンの中に入って授業を受けようとする小学校4年生のA君がいました。

先生は「椅子に座って授業を聞きなさい」と怒るのですが、彼はカーテンから出ようとしません。先生が怒れば怒るほど、クラスの子どもたちの目も「勝手なことをする変わった子だ」というものになっていきます。

そこでA君に「なぜ授業中にカーテンに入りたがるの?」とお母さんがたずねたそうです。すると彼は、「カーテンに入っていたら、ノートを取らなくていいから」「そうしたら聞くことに集中できて、授業がよく理解できるようになる」「授業が分かると楽しい」と話したそうです。

◆「ルールを外れたから悪い」を改めよ
いったい、誰がこんな答えを想像したでしょうか? 子どもが机から離れてカーテンに入っている、と聞けば「授業を受けずにサボっている」と感じる親がほとんどでしょう。だからこそ、「椅子に座って授業を受けなさい」とたしなめると思います。

しかしA君の場合は、自分に一番合った学び方を自分で発見していたのです。
背景を知れば、カーテンに入ることは批判される行為ではなく、褒められるべき行為だったと私は思います。しかし日本の多くの学校においては、「授業は椅子に座って正しい姿勢で受ける」というルールが存在します。

つまり、彼がいかにカーテンの効用を説明したとしても、その理由や事情を理解していない先生にとって、この行為は単にルール違反となってしまう。

大切なのは「ルールを外れたから悪い」と一律に判断するのでなく、まずはその背景を探ってみること。彼らのユニークな行為の背景には、個々の子どもの有する性格や、認知の特性が影響していることが多々あるのです。

◆理解できない行動をとる可能性もある
これまでの日本では、そういった「違う」子を区別してきました。しかしそれでは進展がありません。「彼は『違う』子だから治療する」「ほかの集団に移す」といった発想にしかならないわけです。

自らの経験や知識に乏しい人が、A君の行為を受け入れることは容易ではないでしょう。
一方、最初から自分とは「違う」認知特性や、性格特性を有する人がいるのが当たり前で、理解できない行動をとる可能性がある、という事実を理解しておけば、次に出会ったA君のような子どもにも、温かく接することができるようになるはずです。

◆発達障害と診断される子どもがなぜ増えているのか
最近では自分の子どもが発達障害の診断を受けた、と相談される機会が増えています。国が積極的に発達障害支援を進めているという影響もあるのかもしれません。

なお私自身の考えを記せば、単にユニークなだけの子どもまでが発達障害の診断を受け、治療を受ける機会が増えているようにも感じており、そうした流れには危機意識を持っています。

もちろん社会に適応できず、子ども本人が困っているケースもあるでしょう。しかし、多くの場合は本人ではなく先生や親が困っているだけ、というのが現実です。子どもが一人で好きにしている分には何も問題ない。なのに、集団に適応するために治療が行われている、というのが実態ではないでしょうか。

◆集団に適応すべく投薬治療や訓練を受ける子どもたち
幼稚園や小学校のような一斉指導の場で、勝手な行動は認められません。事故が起こるのを防ぐ、また、他児の学びの妨害とならないため、結果として立ち歩きや発声、攻撃行動などを持つ子どもは、投薬治療やソーシャル・スキル訓練(SST: Social Skills Training)を受けるのが一般的になりつつあります。

しかし大人の立場として困る特性の多くは、実は子どもの持つユニークな個性であり、才能でもある。
私のまわりにいる研究者を見ていると、空気を読まない、集中力がすごい、こだわりが強い、思考が面白いほど拡散している、といった人たちばかりです。そしてその特性があるからこそ、ユニークな研究ができているわけです。もちろん、周囲が支えてくれる環境があるのが前提とはなりますが。

◆彼らを修正するのではなく環境を調整しよう
少し前なら、個性の強い子も、ある程度まで集団の中で許容される雰囲気がありました。
しかし、今の社会では基本的に「人と違う」行動は許されず、子どもたちも相当なストレスを感じているはずです。個性の強い子は、果たして本当に治療されなければならないのでしょうか。

このまま早期から子どもの治療を続けていく時代が続くと、おそらく個性が乏しくなる分、画期的なイノベーションが起こりにくい社会になる気がしてなりません。
ユニークな子どもたち、その全てを障害と認定し、性急に治療する、という考えはとても危うい。むしろもう少し、ゆるやかに支えていくことが重要です。

彼ら自身を修正するのでなく、環境の方を許容できるものに調整できれば、個性を伸ばしながら、成長することは十分可能なのです。

中邑賢龍

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中邑先生の主張に同意します。ただ、こういう主張を誤解して取り上げ、だから服薬も支援も必要なく昔のようにおおらかに構えていればいいのだというほったらかしの自然放置論は百害あって一利なしです。かつての民主党の「コンクリートから人へ」のスローガンに似ています。ダムは自然破壊だと主張してステレオタイプに全国の治水工事をストップした結果、大洪水の被災が毎年起こっています。なんでもかんでも同等に扱うと被害が大きくなる例はいくらでもあります。

中邑先生は東大で「異才発掘プロジェクト」を主催し、多くのユニークな子どもと触れ合っていますから彼らの事が良くわかるのだと思います。放デイで働く私たちも行動や学習不振の問題から支援学級に入級し才能を埋もれさせている子どもに出会う事があります。子どもの特性に大人が気づかず、やってもやっても分からない勉強を繰り返す事で学習性無力感に苛まれている子もいます。ある子は教室を飛び出し、ある子は教師に悪態をつき、仲間からは異端としていじめを受ける元々の原因は、特性に応じた大人の手立てが遅れたためです。

初期の段階で少し支援すれば、少し服薬すればこんなに傷つかずに済んだだろうと思うケースの方が多いのです。中邑先生のメッセージを読んで我が意を得たりと特別なニーズ支援を否定する輩がいそうで危惧します。大事なのは早期発見と早期支援です。もちろん、周囲の大人や集団が本人を受け止める度量を広くするのは大前提ですが、何もしないのはダンピングといって安上がりの教育施策に理由を与えてしまいます。アメリカのブッシュ政権の時期にインクルーシブ教育が大事だと言う建前で多くの発達障害児が通常学級に放置され大失敗をしました。個性の尊重と支援・治療は本来対立するものではありません。本人をしっかり見ないで、機械的でステレオタイプな支援が優れた能力まで摘み取ってしまうと言う警告だと受け止めたいと思います。

わいせつ教員対策法成立

わいせつ教員対策法成立 免許再取得、拒絶可能に

2021/5/29【毎日新聞】

教員による児童生徒へのわいせつ行為を防止するための新法が28日、参院本会議で全会一致により可決、成立した。わいせつ行為で懲戒免職となった教員の免許再取得を都道府県教育委員会が拒絶できるようにする議員立法で、国がデータベースを整備することも規定。一部を除き公布から1年以内に施行される。

新法では、教員のわいせつ行為などを「児童生徒性暴力」と定義し、同意の有無にかかわらず禁止すると明記した。国や地方自治体、学校に防止や早期発見、調査などの対応を求める。


現行の教育職員免許法では、免職により免許を失効しても3年後に再取得が可能。処分歴を申告せずに他自治体に採用され、わいせつ行為を繰り返したケースがあり、規制を求める声が高まっていた。

新法は、免許授与権を持つ都道府県教委に「裁量権」を与え、更生状況などが「適当と認められる場合」に限定。第三者による審査会の意見を踏まえることで、教委の判断が恣意(しい)的にならないようにして公平性を担保する。

採用時の活用を想定し、わいせつで免職となった教員の氏名や処分理由などを国がデータベース化するとした。

付則には、子どもに関わる職業従事者の性犯罪歴を照会する制度を検討することを盛り込んだ。

文部科学省によると、2019年度にわいせつ行為やセクハラで懲戒処分や訓告を受けた公立小中高などの教員は過去2番目に多い273人。文科省も昨年、免許再取得の制限期間を延長する法改正を目指したが、「職業選択の自由」に抵触する恐れがあるなどとして断念した。

「大きな一歩」「実効性懸念」
わいせつ教員対策を強化する新法は、再び教壇に立たせないようにするだけでなく、教育委員会や学校に防止や調査を求めた。問題を訴えてきた人らは「子どもへの性暴力根絶に向けた大きな一歩」と評価する一方、「身内に厳しく対処できるのか」との疑問も抱いており、実効性のある対応が必要と指摘する。

「教員の性暴力に特化した法律ができるのは画期的」。全国学校ハラスメント被害者連絡会の共同代表を務め、対策を求める5万筆超の署名を文部科学省に提出した郡司真子さんは強調する。指導や恋愛と称した性暴力もあるとし「何が問題か先生が理解できるよう具体的な基準を国が作るなど実効性ある対応を」と注文した。

小学生の時に被害に遭った千葉県の女子生徒(14)の父親も「大きな一歩。良い流れだ」と評価。ただ、実際に法律を運用する学校や教委について「きちんと対応するのか不安」と明かす。被害を受けた当初、校長は教員を異動させず、女子生徒に転校を勧めたといい、「教委や学校の姿勢に誠実さが感じられなかった」と振り返る。女子生徒は今も大人を怖がり、自宅からほぼ出られない。父親は「被害に遭った子どもの目線に立った対策を」と話す。

教員の性暴力対策の必要性を訴えてきたフォトグラファーの石田郁子さん(43)も、実効性に懸念を口にする。自身も10代後半、通っていた札幌市立中の教員から被害を受けた。市教委に訴えたが取り合ってもらえず、市と教員を提訴。昨年12月の東京高裁判決が性暴力を認めた後、市教委はようやく懲戒免職にした。「加害者が否定すれば教委はかばい、なかったことにされる」とし、独立した第三者が調査する仕組みが必要だとした。

性暴力被害に詳しい上谷さくら弁護士は「教育現場は性暴力が起きやすい構造にある。新法は現場が対策を講じるための大きな後押しになるはずだ」と語った。
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今後は教育委員会が免許再申請者の提訴を恐れて怯まない限りは現実的な法制度が教員レベルでは完成したと言えます。付帯決議はされましたが、保育士や指導員など福祉現場の法制度改革がまだ残っています。また、痴漢事件でみられるような事実無根の虚偽の訴えについても、個人的な恨みなどが法制度化によって増えてくることは予測がつくので、これへの罰則(刑法では虚構申告罪・虚偽告訴等罪・偽計業務妨害罪がある)や名誉回復の行政手続きなども用意する必要はあります。

学校内のわいせつ行為を警察に通報し行政処分と並行させる義務は良いと思います。校長らは嫌がるのですが淫行の軽犯罪であっても通報を行う必要があると思います。校長は事件化を嫌がり被害者の気持ちをなだめようとしますが、これが校内セクハラの温床にもなってきました。しかし、今回の法律もどこからを通報対象にするのかは曖昧です。

公立学校は独立性が弱く、校長は上を向いて学校経営をしがちです。職員の人事や懲戒行為は、もしもの公判に耐える体制が必要ですから校長は行政組織に守られる分、権限は少なくなる仕組みです。しかし、逆に言えばこの仕組みは、校長の判断の間違いも曖昧にする仕組みです。学校の権限と責任を増やし強化することで子どもの人権は守られるという意見は一理あります。

eスポーツで引きこもり解決 

eスポーツで引きこもり解決 潔癖症の漫画家とスクールの出会い

2021/5/30 【毎日新聞】

引きこもりだった人が、ゲームで社会とつながっていく。金沢市のビジネススクールと潔癖症の漫画家の出会いで生まれた漫画がある。なぜ、ゲームなのか。生きづらさを感じる人らのためのスクールと、漫画の世界観を紹介する。【森野俊】

潔癖症、学ランを洗濯する日々
漫画「ケッペキゲーマー」は人と接するのが苦手な主人公が、ゲームを通じて人とつながり、変わっていく姿を描いた物語。極度の潔癖症で引きこもりだった少年は、関節リウマチで手足が不自由な車いすの少女の一言でゲームに触れる。ゲームの前では全ての人が対等であることに気づいた少年は、ゲームの腕前を競う「eスポーツ」の世界に足を踏み入れていく――。小学館の青年コミック誌「ビッグコミックスペリオール」で連載が始まり(現在は電子版のみ)、28日に単行本1巻が発売された。

「漫画の半分くらいが、自分の経験や考えからできています。同じ境遇の人だけでなく、支える家族など周りの人たちにこそ読んでほしい。どんなことを感じ、考えているのかを周りの人が理解してくれるだけで、問題の半分は解決すると思います」

そう話すのは、作者の「あまの」さん。中学時代は毎日欠かさず学ランを洗濯し、卒業する頃にはグレーにしたほどの潔癖症という。当時は「人が触ったものが黒いオーラをまとっているように感じていました」と振り返る。

あまのさんは、障害者とeスポーツ、自身が抱える潔癖症をそれぞれ漫画にしたいと考えていた。半身不随のプロゲーマーの記事を読んで、「三つがクロスした一つの漫画を描きたい」と思うようになった。障害とゲームが関係する取り組みを探して見つけたのが、金沢市のビジネススクール「カラフル・金沢」。ゲームを使い、引きこもりだった人を就労につなげる取り組みを進めていた。

カラフル・金沢では、障害がある人や引きこもっていた人、生きづらさを感じる人らが社会生活を送るための訓練をし、就労や起業を目指している。2016年に「ビジネス」「生活」「起業・経営」の3コースで設立され、19年4月にゲームコースが加わった。ゼネラルマネジャー(GM)の別宗(べっそう)利哉さんは「好きなこと、得意なことは、社会でいろいろな経験をするきっかけにできます」と力を込める。

「ゲーム漬けにさせて本末転倒」「ゲームをして仕事につながるのか」。ゲームコースの開設当初はメールなどで批判があった。別宗さんは「いつもは教室の隅にいる子が、ゲームの話になると輪の中心にいます。コミュニケーションを生み、自己肯定感も上がると思いました」と振り返る。ゲームコースは、他の3コースを受講するゲーム好きな生徒が議論を重ねてできたものだった。

自力と他力を合わせる
現在ゲームコースには、精神疾患や知的な障害、発達障害などがある10~30代の7人が通う。ほとんどの生徒がアルバイトを含めた社会経験がなく、両親の職業すら知らない人もいるという。

授業では、eスポーツ大会で採用される「ぷよぷよ」などのパズルゲーム、「ウイニングイレブン」といったスポーツゲーム、「エーペックスレジェンズ」など操作が複雑なシューティングゲームを用いる。主に対戦形式のゲームをプレーして攻略法を話し合う。

また、1カ月に1回程度、生徒が授業で取り組みたいことを話し合い、実行するプログラムが用意されている。既存のゲームを幅広い年齢やあらゆる心身状態の人が楽しんで対戦できるよう、ルールを修正して遊んだり、自作のカードゲームでの対戦を提案したり。ゲーム大会の開催も案に挙がり、企画書や参加申込用紙の作成、当日の運営まで役割を分担して実施した。

プログラムには、企画や提案、タイムマネジメントなど社会人に必要な能力の向上を図る狙いがある。別宗さんは「自力と他力を合わせることの大切さを知る機会になります」と強調する。

あまのさんは19年6月ごろから、カラフル・金沢の取材を始めた。暗い雰囲気をイメージして訪れたが、参加者の表情は明るく、雑談も途切れない。「その中心にあるのがゲームでした」と振り返る。「人の目を見るのが怖いとか、何を話していいか分からないなど、社会で出くわすものの対策や練習、突破口の一つになると感じました」と話す。

あまのさんは転校が多く、人間関係を一から作る上で相手が何を考えているか分からず想像して苦しんだ。「それが潔癖につながったと思います。はたから見える以上に自分たちは苦しんでいます。引きこもりも潔癖も、やめられるならやめたい。漫画にはその気持ちを込めました」と語る。

漫画「ケッペキゲーマー」には、カラフル・金沢の別宗さんも「ぱすてるの別所さん」として登場。読んだ生徒は「障害のある方が描かれた漫画ですか?」「どうしてこんなに自分たちの気持ちが分かるんですか?」と感想を寄せた。

ゲームコースは開設して2年が経過した。オンラインで4人対戦ができるオリジナルのカードゲームを作った生徒や、コンピューターグラフィックス(CG)やアニメのキャラクターを用いて動画配信、投稿を行うバーチャルユーチューバー(Vチューバー)に挑戦する生徒も出てきた。別宗さんは言う。

「今まで人を避けていた子たちが、ゲームを通じて人を喜ばせています。好きなことだから主体的に動ける。これが社会に出るスタートです」
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記事を読んでいて、高3生でプヨプヨ日本選手権で1位になり外車を買った、ドラマ「コントが始まる」の神木隆之介演じる瞬太を思い出しました。金髪の青年で焼き鳥屋でアルバイトをしています。趣味はスナック通いで、主食はポップコーンです。小学生の頃から1人で家にいることが多く、買い与えられたゲームで時間を潰して過ごし、中学生になるとゲームセンターに通い始め、対戦型ゲーム「ぷよぷよ」に熱中します。「ぷよぷよ」一色の生活を始め、高校3年生の頃には日本一を決める大会で頂点に立ちます。元々は社交的な人間ではなく、目立たない存在でしたが、文化祭での演技が話題となり一目おかれる存在になります。卒業後はプロゲーマーの道を歩むが、春斗と潤平に出会ったことで「マクベス」のメンバーになりドラマが展開していきます。

ゲーム会社のセガはeスポーツ大会として2か月に一回、プヨプヨ選手権の賞金に100万円を超える金額を出資して、ゲーマ人口のすそ野を広げようとしています。これは任天堂をはじめ世界中のゲーム開発会社も同じ立場です。そんなわけで世界的には賞金1000万円を超える大会も少なくありません。このブログでも以前、障害者雇用の一環としてeスポーツの選手養成のための就労支援事業が出てきたという記事を掲載しましたが、プロスポーツなら就労職種の一つではあると妙に納得した経緯がありました。どんなことであっても、人は好きなものに対しては熱心に努力するので、上達が早くモノになるのです。好きこそものの上手なれです。

中学生徒8人が搬送 運動会練習中

熱中症か 中学生徒8人が搬送 運動会練習中 福岡 篠栗町

2021年5月31日 【NHK】

31日昼すぎ、福岡県篠栗町の篠栗北中学校で運動会の練習中に複数の生徒が相次いで熱中症とみられる症状を訴え、生徒の男女8人が病院に搬送されました。

31日午後0時40分ごろ、篠栗町の篠栗北中学校で、グラウンドで行っていた運動会の練習中に、複数の生徒が気分が悪くなったと学校から通報がありました。

消防と学校によりますと、男子生徒1人、女子生徒7人の合わせて8人が熱中症とみられる症状を訴えて病院に搬送されました。

このうち3人が重症とみられいずれも意識はあるということです。

学校によりますと、31日は午前中、全校生徒およそ310人が参加して、来月開催する予定の運動会のリハーサルを行っていました。

31日昼前ごろに、生徒2人が体調不良を訴え、このうち1人は回復しましたが、リハーサルが終わった後に別の7人が新たに体調不良を訴えたということです。

学校では、生徒にはマスクをするよう指導していましたが、競技中は外してもよいとして、生徒の判断に任せていたとしています。
また、生徒たちにはこまめな水分補給を呼びかけていたということです。

松本修校長は取材に対し「2年ぶりの運動会となり子どもたちが外で長く運動することに体が慣れていなかったかもしれない。今回の事態を重く受け止め再発防止に努めたい」と話していました。

31日の福岡県内は気温が上昇していて、篠栗北中学校からおよそ10キロの所にある福岡空港の31日午後0時40分の気温は28.9度を記録し、夏日となっていました。

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本番よりもリハーサルがしんどいと子どもたちは言います。集団演技で「ハイ良くできました。では、その調子でもう一回!」「なんでやねん!」と子どもたちは突っ込みを入れます。「できたんやったらもうええがな」と。発達凸凹の子どもたちにとっては、大嫌いな体育祭あるあるです。

それにしても、炎天下でマスクをさせて待機させたら危険と、誰も咎めない学校職員の思考停止状態が心配です。今のところ日本人の感染確率は0.5%、炎天下のマスク使用で重篤な熱中症確率は300名中8人で約3%、武漢風邪の6倍の確率です。さらに、PCR陽性者のうち人体に影響のない無症状者が6割(*)なので重篤な身体ダメージだけで考えれば熱中症は15倍以上の危険率です。(PCR検査を使用した調査では、陽性判定者のうち無症状だった例(無症状感染者)の割合中央値は65.9%;Annals of Internal Medicine誌2021年1月22日オンライン版の報告)

一般人ならともかく確率計算を生徒に教える中学校の教師は何をしているのかと心配になります。もちろん8名の生徒の熱中症確率は結果ですが、生徒を炎天下でリハーサルさせる経験はこれが初めてでもないはずです。「競技中は外してもよい」は下手な言い訳に過ぎません。待機時間の方が競技時間よりはるかに長いのは周知のことです。

熱中症は下手をすると死に至ります。それくらいの判断ができないくらい感染報道に洗脳されているのかと思うと恐ろしくなります。エビデンスのないリスクマネジメントは呪いよりタチが悪いです。屋外飛沫感染の事実は医学的に確認されていないのですから、体温調節が未成熟な子どもの高温下でのマスク装着は、運動の可否に関わらずリスクが高過ぎると思います。

トランスジェンダー女子の学校スポーツ参加禁止

トランスジェンダー女子の学校スポーツ参加禁止 米フロリダ

2021年6月2日 マイアミ/米国【AFP】

米フロリダ州で1日、トランスジェンダーの女性が公立校で女子の運動部に参加することを禁止する法律が成立した。

法律は7月1日から施行され、女子チームに入る生徒や学生は、出生証明書で生物学的な性を証明することが義務付けられる。

州内のキリスト教系の学校で法律に署名したロン・デサンティス(Ron DeSantis)知事は「競技の整合性を守ることが非常に重要だと信じている」と話し、「フロリダでは女子は女子の、男子は男子のスポーツをプレーする。われわれはスポーツを行う際、イデオロギーではなく生物学を土台にする」と続けた。

共和党のデサンティス知事は、性的少数者(LGBTQ)の「プライド月間(Pride Month)」初日に法律に署名した。

これを受け、ヒスパニック系で、ゲイを公表している民主党のカルロス・スミス(Carlos Smith)州議会議員は「おぞましい」ことだと話している。性的少数者の権利擁護団体ヒューマン・ライツ・キャンペーン(HRC)も、訴訟を起こす意向を表明している。

共和党の知事が率いる州では、すでに同様の法律が成立しているところもあるが、フロリダはその中でも最も人口が多い州となっている。(c)AFP

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宗教との関係があるのか共和党の強い州はLGBTQ問題を避けて通りたがるし、逆に民主党は伝統的なものに反発するキャンセルカルチャーの意識が強く、こうした極めて個人的で繊細な問題を政争の具にします。どちらも法律と裁判で決着をつけようとするのは、勝ち負けだけで良いのかと、スポーツ精神も地に落ちてしまい、ちょっと受け入れがたいです。

筆者の個人的な感覚では別に目くじら立てずにトランスジェンダーの参加を認めていいと思います。女子のラグビーチームに「男子サイズ」の人がボールをもって突進してきて、相手チームがフリーズしている動画を見たことがあります。それで勝ったから何なのと皆思うはずです。スポーツは見た目がチーム同士で拮抗しているから面白いのです。逆に言えば、チーム力が拮抗していれば性差は関係がないです。個人競技はウェイトで区別すればすむ話です。

日本のラグビー熱が盛り返したのは一昨年のワールドカップでしたが、これの下地を作ったのは外国人選手の活躍です。古くはプロ野球・大相撲・プロサッカー、最近ではバスケットやバレーボールまで外国人選手の参加で盛り上がりを見せます。ナショナルチームへの外国人参加は良くてトランスジェンダーの女子スポーツ参加の何が悪いのか良くわかりません。きっと、世間はそれで面白くなければ振り向きもしなくなるし、面白ければ盛り上がるだけです。

アマチュアの世界は純血主義でというのも、かえって気持ちが悪いです。大事なのはやっている本人と見ている人が感動できればそれでいいと思います。ラグビーワールドカップで、189cm・113kgのリーチマイケルの突進力にも感動しますが、スクラムハーフで166cm・73kgの田中史朗が巨人の中を潜り抜けていくのも痛快です。 日本がベスト8入りしても外国人がいるから興覚めだと言う人には言わせておけばいいと思います。女子スポーツにトランジェンダーの人が参加する事の好き嫌いは個人の勝手ですが、法律で規制したり裁判で争うような筋のものではありません。

家、学校つなぎ学習支援

家、学校つなぎ学習支援

2021/06/03【読売新聞】

高松市 オンライン対応進める
新型コロナウイルスの感染拡大や災害などで臨時休校になり、児童生徒が登校できない場合に備え、高松市が学校と家庭をオンラインでつなぐ学習支援を進めている。タブレット端末の使用による成果や課題などを踏まえ、今後、全市立小中学校への普及を目指す。(林信登)

休校想定 木太南小で試行
■Zoom使い
「みなさん、こんにちは。聞こえていますか」。5月28日午後4時頃、高松市立木太南小6年4組の教室で、平田将己教諭(26)がビデオ会議システム「Zoom(ズーム)」を通じて呼びかけると、児童約30人が画面越しに手を挙げるなどして応えた。

約30分間のオンライン学習で児童は、専用の学習支援ツールアプリで出された課題に回答した後、別のアプリを使って英語や国語の問題を解くなどした。その様子が教室の電子黒板に映し出され、平田教諭は「分からないことはないですか」などと状況を見守った。

久次米紗帆さん(11)は「教室で受けるのとは違い、新鮮な感じがした」、平田教諭は「細かい指導ができない側面もあり、画面越しのコミュニケーションを工夫していきたい」と振り返った。

■1人1台
昨春、新型コロナで市立小中学校が臨時休校となった際、各学校は児童生徒の学習に遅れが生じないよう、学習プリントを作成。各家庭に郵送したり、直接配ったりした。

この経験を踏まえ、市は教諭らの負担軽減などに加え、休校時の家庭学習をより充実させるため、国の「GIGAスクール構想」で昨年度末までに全69校で1人1台配布されている学習用のタブレット端末を自宅に持ち帰り、オンライン学習に活用することにした。

今年度から全学年で端末を活用している木太南小で7月まで毎週、オンライン学習を試行し、効果や課題を検証する。

■教諭も研修
教諭側も様々なノウハウを蓄積していく必要があるとして、放課後の30分間をオンライン研修に充てる取り組みを並行して進めている。市総合教育センターの中浦将治所長は「いざという時に備え、子どもたちも先生もオンラインでの学習に慣れておく必要がある。子どもたちの学びの機会が失われることがないようにしたい」と強調する。

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当事業所が知る限り、自宅に配布されたタブレットを持ち帰ってきたと言う話は未だ聞きません。大阪市の騒ぎのように校長と市長が、環境も整わないのにできないと校長が言えば、市長は組織の意向が気に食わないなら辞めたらいいとやり合っているのを横目に、無料で何回でも40分継続利用できる民間アプリZOOMを使って授業をすればいいじゃないかと考えている学校だってあります。

校長先生たちのいう環境が整わないというのは、GIGAスクール構想での自治体の教育専用サーバーに繋げないと言っているだけで、民間のリモートサーバーは、家庭にネット回線さえあれば誰でも使える環境にあります。批判することが目的で児童と教師の頭上で空中戦を演じるよりも少しはこうした動きに目を向けて欲しいと思います。何もかも揃わないとICTを使った教育ができないわけではないからです。できることからやればいいのだと思います。

回線が込み合う都会よりも地方の方が回線はサクサク反応するかもしれません。岐阜市の全ての児童生徒にセルラー(4G回線)付きタブレットを配布しているのは画期的と以前も書きましたが、岐阜市は全生徒がリモート対応できるのでどんな実践をするのか楽しみです。そして、子どものタブレットを後生大事に充電式保管金庫に入れている学校は、かならず遅れを取ると思います。タブレットが手元になければ子どもも教師も簡単なことでも使わないからです。GIGAスクール構想での狙いは子どものデジタルリテラシー(デジタル機器操作に慣れる事)をまずは育てることです。学校では金庫に保管せずいつでも触れてネット利用を含めて操作ができるようにしておくことがまずは大事です。そして家庭に持ち帰らせ短時間でも少人数でもリモートの経験をさせることが大事だと思います。

不登校YouTuberゆたぼん激怒

不登校YouTuberゆたぼん激怒過去動画への「マスクしろ」批判に「ホンマにアホやと思う」

6/3(木) 【J-CASTニュース】

【動画】「学校でマスクは外せ!」ゆたぼんさんの主張

■「学校でマスクは外せ!」と主張
2021年5月27日、今年2月に大阪府高槻市の小学校で当時5年生の男子児童が、体育の授業で持久走を走った直後、体調が急変し死亡していた、と毎日放送などが報じた。事故との関連は不明だが、児童はマスクをした状態で持久走に臨んでいた可能性もあるという。

このニュースを受けてゆたぼんさんは、「学校でマスクは外せ!」と題した動画を公開。「運動する時とか体育の時はマスクをつける必要はないし、逆にそれで死んでしまう可能性もあるから、みんなもマスクを外したほうがいい」と説いた。

続けて、「だいたい、いつでもどこでも『マスクつけろ』って言ってるやつが頭おかしいねん」と述べ、

「俺の動画でも、誰もいない海で撮影してる動画やのに『マスクしろ』ってコメントしてきたり、コロナが出る前の動画にも『マスクしろ』ってコメントしてくるやつがおって、ホンマにアホやと思うわ。自分で考えることもできひんで、脳みそが"マスク脳"になってて、完全に思考停止してるねんな!」
と痛烈に批判した。

「ホンマ何の意味があるねん!」
ゆたぼんさんは先日、自分の妹が学校の遠足で「コロナの影響でバスが乗れない」との理由から、児童全員マスクをつけたまま1時間歩かされたといい、「ホンマにヤバいなって思ったわ。沖縄でマスクつけて1時間歩くだけでも地獄やのに」「ホンマ何の意味があるねん!」と憤った。

そして、「結局これも『学校に行け、学校に行け』って言ってるのと同じで、みんながマスクつけてるから苦しくても『マスクしろ!』ってなってるだけやねん」とゆたぼんさん。「学校に行って死んでしまうくらいなら学校なんて行かんでいい。今自分に一番大事なものは自分の命!自分の人生!自分の心や!みんな人生は冒険だ!自由に生きよう!死んだらアカン!」と力説していた。

コメント欄には「確かに思考停止でマスクは危険だと思う」「これはぐぅ正論」「時と場合だね」「ちょっと極論じゃね?体育の時間は外しとるがな」など様々な意見が寄せられている。
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王様の耳はロバの耳や、裸の王様を思い出しました。『王様の耳はロバの耳』は、ロバの耳をした王様の散髪をした床屋が絶対にしゃべるなと言われたのに我慢できず、森の中の葦に向かって叫びます。すると、葦が風で揺れるたびにその言葉を繰り返し呟く様になり、いつの日かその葦の前を通る人々へ伝わってしまうお話です。

『裸の王様』は、周りがイエスマンばかりのある国の王様が、馬鹿には見えない糸で作った服と詐欺師に騙されて、無い服を着て国中を歩きます。国民も皆、見えないのに王様が怖くて裸でいる事を言えないのに、一人の子供が裸である事を指摘し、やっと大人も認めはじめますがパレードは延々と続く…お話です。

ゆたぼんの言う通りです。武漢風邪のウィルスが戸外で飛沫感染したと言う研究結果は世界中で一つもありません。あるのはスーパーコンピュータ富岳でランナーの飛沫シミュレーションをしたら、結構周囲に拡散するというだけで、感染の根拠ではありません。

ゆたぼんの地元沖縄では、来週から2週間の休校だそうです。市民の外出禁止を課さない学校休校は、感染拡大防止効果はなかったと言われているのに、何を根拠にして子どもの学習権を奪うのか意味不明です。私たちもイソップ寓話の床屋やアンデルセン物語の子どもになる必要がありそうです。

水泳の授業、あなたの学校は?

水泳の授業、あなたの学校は? 神戸・西宮市は中止、姫路市は実施

2021/6/6 【神戸新聞NEXT】

新型コロナウイルスの感染拡大を受け、昨年は多くの学校が中止した水泳の授業。今年は手探りで実施する市町も出てきた。兵庫県内では、対策を取って予定する姫路市、昨年に続いて中止を決めた神戸市など判断が割れている。(小尾絵生)

兵庫など全国の公立学校は2020年度、5月末までの長期休校が明け、手探りで学校生活を再開したこともあり、多くが水泳の授業を見送った。体育や音楽の授業、運動会、音楽会などの行事も縮小した。

スポーツ庁と文部科学省は水泳の授業について、前年度と同様、本年度も中止は求めず、感染対策としてプールの残留塩素濃度の管理▽身体的距離を2メートル以上確保▽手をつないだり体を支えたりするなど密接活動は避ける-などを求めた。

しかし、神戸市教育委員会は5月21日付で市立小中学校などに水泳授業中止の方針を伝達。理由には、更衣室で密になる、常に2メートル以上の距離を保つのは難しい、マスクの着脱ができない-などを挙げた。

西宮市教委も、市立小中学校に対し「水に入っての授業は行わないことが望ましい」と方針を伝えた。両市教委とも中止は2年連続。行えなかった指導内容は次年度の計画に盛り込むよう学校に求めた。

西宮市教委の担当者は「新型コロナの若年層の陽性者が増えている。水泳をきっかけに感染者を増やすわけにはいかない。ただ、昨年も授業を行えず、現中学3年生はそのまま卒業してしまう。中止は苦渋の決断だった」と明かした。

姫路市教委は原則実施を決定。2メートル以上の身体的距離を確保するため、これまで学年単位が基本だった授業をクラス単位に変えるなどし、1回当たりの人数を減らす予定だが、全学年で十分な授業回数の確保は難しくなるという。

小学校では6年生を優先するなど、学校は授業計画に苦心する。同市教委は「感染対策を最優先に、無理のない計画を立てるよう呼び掛けている」とする。

一方、県教委によると、県立高校では水泳は選択制が多く、人数が限られるため、原則実施が大半。神戸市教委も、市立高校については緊急事態宣言が解除された後は実施可能とする。
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プール授業を実施しても非難こそあれ表立って賛同されることはないのなら、「仕方がない」と表明して実施しない方が役人や教員にはストレスはかかりません。いったい誰のための水泳授業かと思いますが、いずれは収まる感染恐怖なら、今はやり過ごせばいいと言う判断は大人の理屈です。

プール授業で感染したというケースがこれまであったとは聞きません。もしあったなら、全国で水泳授業が何件実施されている中で何件の感染だったのか明らかにして欲しいです。民間のスイミングプールも営業をはじめ、各地の水泳競技の大会も開催され、何故、学校のそれもほとんどが戸外のプールの水泳授業が見送られるているのか、明確な理由は示されません。

一方、戸外活動中のマスク着用は児童には熱中症の危険があります。200人に一人の陽性者確率そのうち6割以上は無症状の武漢風邪を恐れて熱中症のリスクを冒しています。熱中症の重症者は死に至ります。武漢風邪で死に至る子どもは皆無です。水泳授業に変えての戸外の体育授業や教育活動は熱中症のリスクを考えてノーマスクでお願いします。

プール 香川県のほとんどの小学校が「対策取りながら実施」

去年は中止が相次いだ「プールの授業」 今年は香川県のほとんどの小学校が「対策取りながら実施」

6/7(月) 17:38【KSB瀬戸内海放送

高松市などの小学校では6月からプールの授業が行われています。
2020年は新型コロナの影響で多くの自治体がプールの授業を中止しましたが、2021年は香川県のほとんどの小学校で対策を取りながら行われています。

高松市多肥上町の多肥小学校は6月2日にプール開きしました。
(多肥小学校/久利知光教頭)
「学校として最大限のコロナ対策をしながら、子どもたちには存分に活動を楽しんでもらいたい」

■2021年は香川県の7市9町で全ての小学校が「実施」
プールの授業は新型コロナの感染拡大を受けて、2020年は高松市やさぬき市が全ての小学校で中止するなど、香川県でも見送る学校が多くありました。

KSBが学校や教育委員会に確認したところ、2021年は高松市や丸亀市など7市9町で全ての小学校が「実施」するとしています。一方、さぬき市は7つある小学校のうち1校が「実施」、3校が「中止」、残る3校は「検討中」としています。

高松市教育委員会は2021年4月、プールの授業を行う場合は、更衣室の密を避けることや泳ぐときに距離をしっかり取ることなどを各小学校に通知しました。

多肥小学校では着替え中の密を防ぐため、男子は体育館のステージ、女子は2つの更衣室に着替えるスペースを分けました。また、例年は2クラス合同で行う授業を、2021年は1クラスごとにしました。

(白戸ゆめのリポート)
「プールサイドには黒と赤のマークがそれぞれ2メートル間隔で付けられています。この場所に授業中、児童が立つことによって密を防ぎます」

この他、一度にプールに入る人数を減らしたり、対面にならないように一方通行で泳いだりとさまざまな対策をとっています。

■久しぶりのプールにあふれる笑顔
2年ぶりのプールの授業は例年通りとはいきませんが、児童たちには笑顔があふれていました。

(6年生の児童は―)
「初めに入る時はちょっと冷たかったけど水に入るとだんだん慣れてきて気持ちよかったです」
「みんなで安全に気をつけながら楽しく出来たと思います」

(多肥小学校6年生の担任/野﨑佳子先生)
「制限のある中でもきょうはマスクが外れたということで、子どもたちの久しぶりの笑顔が見られたというのが一番良かったと思います」

多肥小学校は例年、1クラス当たり10回以上プールの授業を行っていましたが、2021年は1クラス当たりの授業数は少なくなりそうだということです。

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これが普通の対応だと思います。500名に1名(*)の確率で感染して症状が出る武漢風邪を恐れて実施しないのではなく、クレームが恐ろしくてプール開きができない学校が少なくありません。文科省もスポーツ庁も感染予防をしながらプール指導を行う通達を出していますが、相変わらず、「対策を講じることが困難であり、児童生徒の安全を確保することができないと判断する場合は、今年度においては水泳授業の実施を控えるようお願いします」と昨年と同じフレーズを残しているので、各校が対策をしないままプール実施が見送られる可能性があります。どんなことでも困難な理由は挙げればきりがありません。大事なことは実施する気があるかどうかです。

国会で野党は武漢風邪を人質にして、オリンピック開催の是非を問いますが、どうすれば開催できるかは論じ合っておらず選挙前の政治利用としか思えません。政府もメディアに煽られた世論を気にして分かりにくい答弁で是々非々の姿勢が示せず、国民の不安を高めます。高松の学校もきっとメディアに煽られた人たちがクレームを入れてくると思いますが、先生たち子どもたちのために頑張ってください。応援しています。*0.5%のPCR陽性者の4割弱が感染症状のある人なので 、0.2%が発症確率となります。

各地で相次ぐ学校侵入

各地で相次ぐ学校侵入専門家、風化懸念も大阪・池田小事件から20年

6/8(火) 【時事通信】

大阪教育大付属池田小の児童殺傷事件後、全国の学校で危機管理マニュアルの作成が義務付けられた。

ただ、侵入事件は各地でたびたび発生。専門家は事件の風化を懸念しており、「学校現場の危機意識を高めることが重要だ」と指摘する。

「新しい先生が来ると、現場に連れて行き話をする」。昨年、池田小に着任した真田巧校長(53)は校内で唯一、事件を直接知る存在だ。当時は6年の担任で、校舎3階からうつぶせに倒れた教員や逃げ惑う子どもが見えた。職員室に急いだが全く状況がつかめず、犯人確保後にようやく不審者侵入を知ったという。

同小では事件後、正門に警備員が常駐し、フェンスには赤外線警報装置を設置。教室や廊下など約300カ所に非常ボタンが取り付けられた。年5回行われる訓練は、不審者役の侵入経路や居場所を教職員に伝えず開始。協力して発見し、さすまたで取り押さえる。真田校長は「情報交換や発信を通じ、他の学校でも学校安全を考える機会をつくる存在でありたい」と話す。

現在は各学校での安全計画や危機管理マニュアルの作成が義務化されたが、池田小の事件後も学校侵入自体は食い止められずにいる。2003年には京都府宇治市の小学校で男が1年の児童2人を負傷させ、14年にも金沢市の小学校で、運動会の最中に刃物を持った男が侵入した。19年にはお茶の水女子大付属中学校で、秋篠宮ご夫妻の長男悠仁さま(14)の机に刃物が置かれる事件も起きた。

池田小を視察し、事件翌年に公表された文部科学省の危機管理マニュアル作成に携わった学校安全教育研究所の矢崎良明代表(68)は「事件後、門や玄関の施錠が広まったが、まだ十分実施されていない地域や学校もある」と指摘。事件を知らない若手教員が増えており「休み時間でも教室を子どもだけにしないといった課題を忘れず、研修を通じて現場の危機意識を高めていくことが重要だ」と話している。

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毎日学校までお迎えに行く放デイ職員にとっては、校門の管理が厳格なのは面倒ですが、子どもの命を守るためには協力しようと思います。しかし、筆者が知る限り下校時にインターホンで顔確認して施錠を遠隔操作する設備のある学校は2校だけでした。テレビカメラは宇治の事件があってからは全校に設置されたようですが、まだまだ不審者にとっては入り放題というべきです。

学校には表門と裏門の二つがありますが、裏門はひっそりしている分カメラでも不審者は捉えやすいですが表門は保護者や業者、放デイの職員と見分けがつきません。学校開放の参観日や行事の時が最も不法侵入の可能性が高くなると思います。ガードマンが置けないならせめてICカードを関係者には与えて入校チェックを管理する等、防犯にはもうあと一工夫が求められていると思います。世知辛い世の中になったものですが、命にはかえられません。

最近は学校荒らしも増えていて、ICT機器が教室から盗まれるケースが相次いでいます。防犯をしようと思えば、タブレット充電器付き金庫となるわけですが、1台30万円近くする割には盗難を考えた構造ではないので簡単に開錠できてしまい保管した40台(時価200万円)すべて持って行かれるケースなどが後を絶ちません。自宅に持って帰らせれば教員の防犯配慮の負担も減らせるし児童のコンピュータリテラシーも高めることができます。

医療的ケア児支援法案成立へ

医療的ケア児支援法案成立へ 介護の担い手不足解消を=賀川智子(東京地方部)

2021/6/10【毎日新聞】

たんの吸引や人工呼吸器など日常的に医療的なケアを必要とする子どもたちと、その家族を支援する「医療的ケア児支援法案」が今国会で成立する見通しだ。小さな命を将来につなぐため孤軍奮闘してきた家族にとって一筋の希望の光になるかもしれない。だが、支援法ができてもすぐに担い手不足が解消し家族の負担が減るわけではない。

深刻なのは支援の地域間格差と親、特に母親の負担の大きさだ。九州地方に住む公務員、坂口菜月さん(31)は、1223グラムの低体重で生まれ、気管切開をした1歳2カ月の長女七海ちゃんが起きている間、20~30分に1回たんの吸引をする。ケアで睡眠時間が4時間ほどの日もあった。夫が仕事の平日は「少しでも目を離したら娘の命にかかわる」と気が抜けない。昨年11月から8カ所ほどの保育園に電話をかけたが入園できず、今春の職場復帰をあきらめ、来年3月まで育児休暇を延長した。日々不安だという。

事情に応じた、選択肢欲しい
七海ちゃんのような19歳以下の医療的ケア児はこの10年間で倍増し、全国に約2万人いる(2019年厚生労働省調べ)。背景に新生児医療の進歩があり、16年の児童福祉法改正で初めて「医療的ケア児」が定義された。今回の新法は「居住地域にかかわらず等しく適切な支援を受けられなければならない」との理念を掲げ、公的支援がこれまでの努力義務から責務に“格上げ”される。さらに学校の設置者に対し、保護者が付き添わなくても学校に通えるよう看護師の配置などを求め、普通学級から多くが門前払いされている現状の是正も促す。

ただ、課題は残る。
東京都の村林瑠美さん(36)は、特別支援学校小学部1年の長女が放課後等デイサービスに週5日通所し、午後5時半ごろ送迎車で帰宅する。会社の介護時短勤務制度を使い家で長女を迎えられるが、フルタイムの勤務は厳しい。村林さんは「入浴や夕食まで担ってくれる長時間のデイサービスや居宅介護など、各家庭の事情に応じたさまざまな選択肢から選べるようにしてほしい」と願う。

また、看護師らケアを担う人材は慢性的に足りない。そもそも「医療的ケア」は、医師法上は医師と看護職員が行う医療行為に含まれるものの、生活援助行為として治療行為とは区別され、ほとんどのケアは医師でも看護師でもない親がしている。12年の社会福祉士及び介護福祉士法改正で、研修を受けた介護職員などもたんの吸引などの医療的ケアができるようになったが、配置する学校は少ない。

学校の理解不足、看護師依存増す
NPO法人「地域ケアさぽーと研究所」の下川和洋理事は、「医療行為だから医療の専門家以外にはリスクが高い」と配置を敬遠してしまう傾向があると言う。その結果、看護師のいない学校では結局は親が付き添わないといけなくなる。下川理事は「一番の課題は医療的ケア児の正しい理解が学校現場にないこと。看護師以外にもできるケアは多くあるのに、看護師への依存度が増している。医療職でない人でも法的に可能な範囲できちんとケアを担ってもらうのが大切」と指摘する。

学校を出た後の生活介護事業所などでも「看護師の配置が難しく、受け入れ先がとても少ない」と東京都の福満美穂子さん(49)は言う。長女の華子(かこ)さん(17)は生後22時間後、脳に酸素が届かず脳性まひで寝たきりになった。いま特別支援学校高等部3年で、卒業後の居場所探しで悩んでいる。

新法が成立しても、新型コロナウイルスへの対応などで看護師不足がすぐに解消するとは思えない。一方、国はコロナワクチンの「打ち手」を歯科医師らに広げている。ならば、看護師の配置を進めるのと同時に、ケアの担い手の職種や範囲をさらに広げることはできないだろうか。国の責任の下、ガイドラインを示して担い手を配置すれば母親の負担は減ると思う。

戦後間もなく制定された児童福祉法の理念にこんな文言がある。「すべて児童は、ひとしくその生活を保障され、愛護されなければならない」

その責任は保護者だけでなく国や地方公共団体も負う。私は、医療的ケア児やその家族への支援は、一部の特殊な問題ではなく、みんなが共有して取り組まなければならない問題だと思う。障害の有無に関係なく、すべての子どもを全国どこでも安心して産み育てられる環境の整備は少子化対策そのものだからだ。

国はこども庁の創設を検討しているが、2万人の子どもに「学校に通って友達と一緒に勉強する」という当たり前の権利を認めずに、少子化対策と言えるだろうか。新法に実効性を持たせるため、国は柔軟性とスピード感を持って取り組んでほしい。

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特別支援学校も2012年から「社会福祉士及び介護福祉士法」の一部改正によって、研修を受け認定された教員は常勤する学校看護師の元で・口腔内の喀痰吸引 ・鼻腔内の喀痰吸引・気管カニューレ内の喀痰吸引・胃ろう又は腸ろうによる経管栄養・経鼻経管栄養という特定行為ができるようになっています。同じように放デイも看護師が勤務し登録特定行為事業者(喀痰吸引)として認定され、研修認定者がいれば、先に掲げた5つの医療的ケアの実施が可能となります。

乙訓近辺には向日市と洛西の2か所に登録特定行為事業者(喀痰吸引)の放デイがあります。ただ、医ケアを必要とする子どもは単に痰を吸引したり栄養を注入すれば良いと言うものではなく、気管カニューレが抜け落ちたり、突然呼吸が不安定になる等、呼吸器系は命にかかわることも少なくないので安全安心な仕組みが必要です。医師がいない中で実施されるこの仕組みは、看護師の心理的負担が大きいとも言われます。また、この法律は、発達障害者支援法と同じく理念法なので具体的な施策は書かれていません。現場が必要とする財政的保障や医療スタッフの配置等が進むように、この法律の積極的運用が行政に求められています。

「みんな仲良く元気よく」が子どもを追いつめる

なぜ「みんな仲良く元気よく」が子どもを追いつめるのか

06/10 【婦人公論】

個性の強さから学校で問題児扱いされるような子どもたちを集め、彼らに自由な発想と学びの場を提供することを目指した教育が、東京大学にて行われています。そこでディレクターを務める中邑賢龍教授は「かつての日本では、それぞれの特性に合った生き方を選べた。今はそれが許されていないことが教育に悪影響を及ぼしている」と警告しますが――

※本稿は、中邑賢龍『どの子も違う――才能を伸ばす子育て 潰す子育て』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。
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第二回●「子育ては褒めるのが大事、叱るのは良くない」が招く危うい未来
なぜ子育てしにくい社会が放置されているのか
プラットフォーマーと呼ばれる巨大企業があらゆる業界を飲み込み、成長を遂げる中、ここにきての新型コロナウイルスの広がりもあり、さまざまな企業や業種が時代に取り残されれつつあります。

その結果、足元の経済格差はさらに広がってしまいました。国の財政難も深刻になり、自助努力が難しい人だろうと公助になかなか頼れないという“壁”のようなものを感じる時代になっています。

本来ならば公助の社会を構築するべく、地域住民がより協力する必要があるのかもしれませんが、そうしたコミュニティも、すでにこれまでの変化の中でほぼ崩壊してしまいました。

弱々しい社会に、親子の問題の解決を頼るのが難しいのは明白で、また同時に社会そのものの構造として、多くの人が子育てしにくいと感じる状況が続いています。
しかし、放置していればいつまでも解決はなされない、そうした社会が築く“壁”について、今回少し考えてみたいと思います。

人と違うことをすればいじめられるから
「個性を豊かに」と言いながら、学校などでは、自分の気持ちを隠して同化しないと仲間に入れません。「仲良くする」とはつまり、みんなと一緒に遊ぶことで、仲間から外れて一人でいると「可哀想な子」だと捉えられてしまう。

今「人と違うことをすればいじめられる」と考える子や親が多いようです。
だからこそ目立ってはいけない、自分の好きなことばかりするのは良くない、時には我慢して集団に合わせるのが必要と考えます。しかしそんな環境で育った子どもは、きっと大人になっても人と違うことをするのを強く恐れるはずです。

社会に出ても空気を読み、上司の意見に同調しながら働くことで認められるのが、今の日本かもしれません。しかし、現実として活発な議論ができないような組織から、変化やイノベーションは起きません。

やりたいことを我慢し、人の都合に合わせて行動する人は「優しい」と評価されますが、それはそれで、どこかおかしい。
いじめられないように、自分を殺して生きるなんてとても馬鹿げています。絶対に、いじめる方が悪いのですから。

大人に求められるのは”違い”を認めること
今の学校では一つの目標に向かい、協働して成果をあげることが重視されています。「みんな仲良く、元気良く」という言葉が絶対。現実としてそうなることを期待されているわけで、それに該当しない子どもはいじめられる傾向が強くなると言えます。

いじめられる子どもは素直に、その特性に従って行動しているだけなのに、ペースが違う、方向が違うといったことを理由に、いじめの対象になるわけです。
「好きなことをやりたかったとしても、人と違うといじめられてしまうし、やめた方がいい」と言われたら、言われた人は自己否定するしかありません。

私は繰り返し「子どもは皆違って、それでいい」と述べていますが、でも現実の世界でそれを通したら、子どもがいじめられてしまうと心配になっている人もいることでしょう。
だからこそ大人である私たち自らが違いを認め、ユニークさを評価し、それで社会の雰囲気を変えていく必要があるのです。

閉鎖的で、変わることのできない組織は必ず衰退していきます。一方で、私たちの手にはインターネットという、場所や立場を超えて発言し、人と結びつくツールがあります。枠を超えてダイナミックに結合する新しい社会を創造し、そちらを選んで生きていきましょう。

かつては特性に合った仕事で生活できた
こういったお話をする際、いつもアフリカのマリ共和国の首都、バマコに行った時のことを思い出します。

街を歩く人に「どんな仕事をしているの?」と聞くと、多くの人は「色々」と答えてくれました。彼らは特定の職に就いているのでなく、その日、そこにあった仕事をするのだそうです。

自分ができる仕事を少しだけやって、それで生活する。彼らは決して裕福な生活を送っているわけではないですが、のんびりした穏やかな暮らしがそこにはありました。

日本でも、それぞれの特性に合う仕事を選び、それで生活できる社会がかつてありました。特に半世紀前までの働き方は多様でした。たとえば1960年代くらいまでの産業構造を調べると、第1次、2次、3次産業がバランスよい状態に保たれていることが分かります。

そのため少々の凸凹やペースの違いがあっても、個人の特性に応じた働く場所がありました。小さな工場に行けば気難しい職人さんがいて、愛想は悪くとも、コミュニケーションは上手でなくとも、素晴らしい仕事を見せてくれました。

また、街の八百屋や魚屋に行けば、休むことなく動き回る店主が、詳しく商品の説明をしてくれました。こちらが早く帰りたくても話が続くので帰れない、なんてことがあっても、そこで得た野菜や魚の知識は今も生きています。

読み書きが苦手で、学校の成績が悪かった友人がいますが、彼は中学を卒業し、地元で家業の農業を手伝っています。テストの点が悪くとも、体力があって根気強い彼は、農業には適していたのか、高校に進学することのないまま、今でも楽しそうに働いています。
日本でも、それぞれの特性に応じて、自分のペースで働けるような社会があったわけです。

追いつめられた人にさらに無理を強いていないか
しかし、パソコンやインターネットが登場し、道路や航空路などの整備で物流が発展すると、スピードや経済効率が優先されるようになり、ペースが遅いというだけで社会から取り残される人が出てきました。

また農業や製造業の大規模化・機械化の中で、多くの人が仕事を変えることを余儀なくされ、現在では商業、運輸通信業、金融業、公務、その他サービス業からなる第3次産業がすっかり主流になっています。

第3次産業はほかの産業形態に比べ、コミュニケーションや読み書きの力が問われます。時にはパソコンの前に座り、同じ部屋の中で、長時間仕事を続ける必要もあるでしょう。

つまり、特性的にそれが苦手な人だと「働く」という点で、すでにたくさんの壁が生まれてしまっているわけです。

実際そういった社会構造の変化によって不適応を起こした人が増えた結果、彼らを支援する意味でも「発達障害」という障害が、制度側の都合で生みだされたようにも感じています。そして、彼らを社会構造に当てはめるための訓練が今も続いているのです。

追い詰められた人に、さらに無理を強いる。そうしたアプローチばかりになっている今の社会は、とても残念です。むしろ苦手を認めつつ、特性を活かして働ける仕事を意識的に生み出す。そうした動きがより活発になってほしいと筆者は考えています。

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中邑先生の多様性社会が大事だと言う意見には完全に同意できます。しかし、ちょっと観念的でステレオタイプな感じもします。昔が良かったと言われるけど、生産力が低い時代では子どもは親の所有物のように乳児や女児の子捨てが当たり前だったし、戦後でも今は虐待と言われるような事が躾として認められていたのですから、一面だけで子どもの環境の是非は評価できません。

昔、支援学校の国際交流の時間に外国のアーティスト(絵画)を招いて、授業の前に校内を案内した時の事を思い出しました。彼は生徒たちの織物作業の授業を見て、いろいろ質問していました。彼の質問に対して、生徒はこの程度の事ができても社会には通用しないからというような返答をしました。

絵描きの彼は、手を大きく振って「それは間違いだ」と生徒に演説を始めました。「君たちの織りのスキルはアフリカの途上国なら指導員になれるレベルだ、世界は日本のように機械化されている国だけではない。人口比で言えば日本が珍しいくらいだ」と生徒に語り掛けました。生徒たちはこの外人のおっちゃん何言ってんのという表情でしたが、話が終わると笑顔でアフリカの学校の様子を聞いていた光景を思い出しました。

中邑先生の話やアーティストの話で、この国の現状がすぐさま変わるわけではありません。でも、大人が子どもに向かって発信するメッセージは、常識や現実だと思っていることは結構限定的なもので、一昔前や違う国では、違う文化があり、それもまた現実なのだと伝える事が大事です。

だからと言って、この国を昭和に戻したり発展途上の国にすることはできないけれども、変わらないものは何もないというメッセージを送り続ける事が大事なのだと思います。今後生産労働時間が減り、余った時間を生かせるのは凸凹の子どもたちだと私は思っています。中邑先生の文章は、それは違うなと思わせるところもありますが、色々考えさせてくれる本です。

「教職員がPCR検査の検体採取」 1人が感染

徳島教組「教職員がPCR検査の検体採取」 1人が感染 新型コロナウイルス

2021年6月15日 【朝日新聞】

徳島県教職員組合は14日、阿南市内の中高一貫校で4月末に新型コロナウイルスのクラスター(感染者集団)が発生した際、教職員がPCR検査の検体採取に従事させられたと明らかにした。作業後に1人の感染が判明したという。県教組は教職員に検体採取にあたらせないよう求める請願か陳情を県議会に出す方向で調整しているという。

県教組によると、検体採取はドライブスルー方式で、教職員は車に乗った生徒の名前を確認して唾液(だえき)採取用の容器を手渡し、採取後に回収する作業などに当たった。フェースシールドや手袋の配布はあったが、マスクは各自が持参した不織布マスクだったという。

小原伸二委員長は「十分な説明もないまま危険を伴う作業をさせるのはおかしい。子供の命を守るのは当然だが、教職員の命も守らなければならない」と語った。一方、県教委は「しっかりとした安全対策をするとともに、教職員には十分な説明を行って児童生徒の速やかな教育活動の再開のため、今後とも必要な協力は行う」としている。

作業について、県感染症対策課は生徒本人が唾液を採取し、教職員は容器の回収にとどまり、保健所職員の立ち会いのもと十分な安全対策をとっているなどとして、「容器の受け渡しであって検体採取ではない。作業による感染は考えにくい」としている。(杉田基)

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教員に検体収集を行わせているのは職務内容ではなく危険な行為で不当だと言う教員組合の頓珍漢ぶりは驚きですが、報道はもっと問題です。検体を「採取」と朝日は書いていますが、実際は症状のない生徒から検体ボトルを保健所職員と一緒に集めただけです。教諭は生徒と毎日向き合っており、クラスターが発生した学校なら教員が感染する可能性はいつもあり、たまたま検体集めをした教員が感染したからと言って作業が感染の原因とは考えにくいという公式発表もあるのに、「検体採取」の後に「感染」と表題に書くのは二つを関係づける印象操作であり、フェアな報道ではありません。

こんな報道をしても、不安を煽るだけで感染予防にはつながらないばかりか、教員や子どもに関わる職員は感染予防に協力するのは仕事じゃないと思っているという誤解を、市民に与えるだけで迷惑です。この間のメディアの煽りに煽る感染報道は売らんがための「炎上商法」とも言えますが、商売の域を超えています。

朝日はオリパラ開催反対を社説に書きながら、会社自身はオリパラのオフィシャルパートナーです。オリパラ報道・放映は協力金や放映権料を支払っても十分利益が出る見返りがあるのでしょう。夏の高校野球も朝日が主催ですが、今年は感染懸念の報道すらなく実施です。高校野球は甲子園の賃貸料も放映権料も無料ですからCM料で丸々利益が出ます。それでも、オリパラも高校野球も儲けが目的ではなくスポーツへの貢献だと朝日は言いきります。

やっている事と言っていることが違う場合、その言葉には信憑性はありません。この間のオリパラ中止を煽る報道は朝日だけではありませんが、世間が注目してくれれば(儲かれば)炎上商法でも何でもあり、というのがメディアの本音ではないかと思います。しかし、結果としては、社会の公器としての報道の権威を貶めておりたいへん残念です。

 

いじめ動画流出で学校が英断 生徒4名が逮捕 (香港)

いじめ動画流出で学校が英断 生徒4名が逮捕されるも厳しい姿勢を貫く
暴行動画を確認した学校が、警察に通報。被害を受けた生徒のことを一番に考え、行動を起こした。

2021/06/16 【ニュースサイトしらべぇ】

いじめが起きてもそれを隠し、学校と保護者・生徒の間で穏便に済ませようとするケースがある。しかしこのほど、ある学校がいじめ行為を確認し、警察に連絡。強い姿勢を示したことを、『South China Morning Post』など海外のメディアが報じた。

■教室で起きた悪質ないじめ
5月27日のこと、香港の学校に通う男子中学生(13)が、ある女の子をデートに誘おうとした。それを知った女子3名、男子1名の計4人が教室で同生徒にからみ、いきなり顔面を平手打ちする、ひざまずかせて思い切り蹴り上げるといった暴行に及んだ。

男子生徒の顔を打った生徒の数は、少なくとも3名。さらに何者かが、男子生徒を背後からキックまでする様子を撮影し、短い動画にまとめてSNSで公開した。

■即座に動いた学校
これだけひどい目にあったにもかかわらず、男子生徒は親や教師に被害を打ち明けることができずにいた。しかしSNSにアップされた動画が話題になり、学校側も確認。男子生徒とその保護者に代わってただちに通報し、警察の介入を求めた。

学校側はその後、ホームページに「いじめは一切許容しません」という声明を掲載。「警察の捜査が進んでいる段階のため、情報の開示はできません」「ですが学校側も厳しく対処していく所存です」とも書いている。

■逮捕者は4名
この件について調べを進めた犯罪捜査班は、同じ学校に通う14~15歳の生徒4名(男子1名、女子3名)の身柄を確保した。すでに全員が保釈金を支払い自宅に戻っているが、捜査が完結したわけではない。

被害を受けた生徒は、重傷は負っておらず、警察も「病院で治療を受ける必要はなかった」と発表している。

■学校に期待する対応
いじめ問題は多くの学校で起きるが、対応は学校によってずいぶん異なる。教職員がいじめを隠し再発防止に失敗した結果、罪のない被害者が自殺してしまうケースも実際にあった。

この動画を見た人たちの多くは通報・逮捕を肯定的に評価しているようで、「逮捕するのが当然」「典型的ないじめっこ集団だと思う」「被害者の痛みを思い知れ」と厳しく加害者を批判するコメントがネットにあがっている。

被害者、加害者、そしてその保護者たちは、学校の指導法と対処をしっかり見ている。「どうせ通報なんかできっこない」と加害者に思わせないためにも、厳しい対応を望む声は多い。 マローン 小原
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確かに学校の対応は素早く、行き過ぎた暴力を学校で隠蔽せず、警察を介入させた姿勢は評価できます。保釈金を払って釈放という事は香港では中学生でも大人と同じく拘置所に拘留し日本とはかなり違うようです。学校があえてホームページに学校見解を発表しているという事は、これまでも同様の事件が続き、学校としても決着をつけたかったのでしょう。SNSではいじめた中学生らを袋叩きにしていますが、子どもの行動は大人社会の反映だという意見が見当たらず、強制消去されたのかもしれません。

1年前に香港政府は中国共産党の指示によって市民に対して言論の自由を暴力で封殺しました。その前から現在に及んで、ウィグルやチベットで民族の宗教や文化を奪い漢民族との混血を強引に進め、歯向かうものは親族までも収容して強制労働に向かわせています。昨年からは、内モンゴルの学校でモンゴル語の禁止が始まりました。こうした権力の暴挙に対して何も言えない社会の中で、子どもの人格がどのように形成されていくか考えただけで恐ろしくなります。

今回の香港の学校の行動は正しいですが、中国共産党の決定が全てに優先される中で、封建時代のような社会感覚が育つのは仕方がないのかも知れません。120年以上培われた香港の民主主義が暴力によって簡単に散ってゆく姿を私たちは目の当たりにしました。今国会で「中国」を名指しにしてその暴力政治の非難ができない国会議員や政党には、民主主義を語る資格はないと思います。

見て見ぬ振りをすることを公の場で行う姿を、子どもたちがどんな目で見ているか想像できないはずはありません。それでも中国の暴挙を告発できない議員には、いじめっ子の取り巻きでものを言わない子どもたちと同じ感情=次は自分が報復される恐怖感があるのかも知れません。そんな負い目を中国から受けている人に公教育が任せられるはずがありません。

「どうしても頑張れない人」に必要なこと

『ケーキの切れない非行少年たち』著者が語る、「どうしても頑張れない人」に必要なこと 「細かく口出しばかりをしてはダメ」

6/16(水) 【Real Sound】

児童精神科医・宮口幸治氏の70万部を超えるベストセラー『ケーキの切れない非行少年たち』(2019年、新潮新書)。医療少年院には、丸いケーキを3等分する問題にもうまく答えられない非行少年たちがいると指摘し、そうした認知機能の弱い「境界知能」の少年たちに合わせたトレーニングの重要性などを論じた。

今年の4月には続編『どうしても頑張れない人たちケーキの切れない非行少年たち2』(新潮新書)が刊行された。今作は仕事や勉強などを「どうしても頑張れない人たち」に着目し、周りはどう支援するといいかが詳細に紹介されている。宮口氏に、前作の反響と今作を執筆した狙いについて話を聞いた。

■「どうしても頑張れない人」がいる理由
記者:前作はベストセラーになりましたが、改めてその反響はどうでしたか?
宮口:SNSの反響を見ていましたが、たくさんの若い方が読んでいることに驚きました。新書を初めて読んだという方もいました。「犯罪者への見方が変わった」など、前向きな感想が多かったように思います。

若い人たちは専門書に関心がないと思われているかもしれません。でもそれは大きな思い違いです。みんな専門書でも手にとって、しっかり勉強してわかりたいと思っている。今回、改めて気づいたことでした。

記者:前作出版後、少年院の矯正教育のプログラムに変化はありましたか?
宮口:まだこれからでしょうね。少年院などの国の施設は本1冊ですぐに変わらないでしょう。ただ、多くの施設関係者から「子どもたちにもっと可能性があることに気づいた」という反応をもらいました。「今までどうしていいかわからなかったけれど、ヒントをもらった」と言われました。また、本で紹介したコグトレ(認知機能強化トレーニング)の依頼が殺到するようになりました。

記者:今作は「どうしても頑張れない人たち」がテーマですね。
宮口:前作よりも前から考えていたことでした。(企業などのメッセージで)「頑張ったら支援します」という言い回しをよく聞くことがありますよね。私はひねくれているところがあって、「じゃ頑張れない人はどうなんだろう」と昔から思っていました。

記者:頑張ったときだけというのは、少し突き放しているような印象を受けます。
宮口:支援することはいいですよね。でも頑張れなかったときは支援しませんという条件つきなんですよ。やっぱりそれはよくありません。本来の支援のあり方は、頑張れなくても、成果を出せなくても、ずっと支援をすることです。自分の子どもが何かを頑張れなかったとしても、無条件の支援をするじゃないですか。支援される側からしても、無条件の支援があって初めて心に響くと思います。

記者:「どうしても頑張れない人」がいるのはなぜなのでしょう?
宮口:頑張るための最低条件として、安心・安全の土台が必要です。食べ物がない、住むところがない、虐待を受けている。そんな状況で頑張れるはずがありません。さらに何度も失敗体験が積み重なっている場合、頑張る意欲は出てきません。昔から動物実験でも、どんなにやってもダメな場合は、無気力になってしまいます。人間も同じです。また、頑張れないのは知的なハンディも背景として考えられます。

記者:見る、聞く、想像するといった認知機能の弱さが原因である可能性を指摘していました。
宮口:認知機能が弱い子どもで分かりやすいのは知的障害の子たちです。頑張れないし、できないんですよ。たとえば、小学校3、4年生のクラスに1年生がいるようなイメージです。九九もわからない子に、3、4年生の算数はまずできません。毎日授業についていけなければ、頑張ろうという気は絶対に起きません。そういう場合は、手順を追って指導していかないといけません。

記者:学校を卒業してから社会に出るとさらに大変そうでした。
宮口:学校で先生が見てくれているときはいいかもしれません。しかし、社会に出ると、ハンディがあってしんどいことを考慮してくれなくなります。見た目だけでは、他の人と違いがわからないこともあるからです。ただサボっていてやる気がないと見られてしまう可能性があります。

記者:一方で、「努力しないで頑張らなくていいんだよ」と言う主張に対しても、宮口さんは違和感を抱いているように感じました。
宮口:できることはちゃんとやり尽くして、それでもできない場合にはじめてかける言葉だと思います。発達障害や知的障害の場合、主治医は平気で「この子にあまり負担をかけないように」と言ったりします。だから親も信じてしまう。でもやらせる前に「頑張らなくていいよ」と言うのは本当に無責任と感じます。昔と違って今は、IQは環境と関わり次第で変わる可能性があるとされています。何もやらせないまま、気がついたら手遅れになってしまうことも多いのです。

■実は支援する側が元気をもらっている
記者:努力をしたとしても「どうしても頑張れない」。そんな人たちに対する支援の3つの基本は、安心の土台、伴走者の存在、チャレンジできる環境だそうですね。
宮口:わかりやすいように、電気自動車に例えてみましょう。子どもなど支援する相手を電気自動車、支援者を充電器だとします。電気がなくなりそうになったら、いつ帰ってきてもきちんとした電圧で充電してくれる。これが安心の考え方です。

伴走者は横の助手席に乗ってくれる存在です。注意したいのは、運転について細かく口出しばかりをしてはダメであること。とにかく静かに見守りながら、困ったときにちゃんとアドバイスをあげるという姿勢が大事です。

安心の土台と伴走者の存在があると、初めて新しいことにチャレンジしたい気持ちが出てきます。子どもだったら、勉強、スポーツ、友達関係など。大人だったら、仕事、趣味など。何でもいいので新しいことができる環境に身を置くと、頑張ってみたいと思うようになるんです。

記者:発達障害や知的障害のケースだけでなく、多くの人の日常のいろいろな場面で参考になりそうです。
宮口:実はそうなんです。この本は基本的にみなさんへのメッセージです。会社の部下と上司など、いろんな場面でこの原理は使えます。ちょっとでも力になってもらえたら、という意図がありました。

記者:支援中に逃げ出したり反抗してしまうような人が、本当は一番支援が必要だとしていました。そんな矛盾の中でどうすればいいでしょう?
宮口:とても難しいところです。でもちょっとした工夫ができるはずです。たとえば、余計な声かけをしないこと。ずっとかまってほしいわけじゃないんですよ。余計な一言を言うことで、やる気を奪ってしまうことがあります。求められたときには決して見捨てずに「いつまでもいますよ」と示すだけでもいいですよね。

これが簡単なようで、ものすごく難しい。支援する側も生身の人間なので、自分の調子が悪いことだってあります。そんなときに逃げ出したり、反抗されたりしたら、支援をやめたくなってしまう。せっかく助けようとしたのに断られたとものすごく傷ついてしまう。だから支援をしている人にも、同じように安心・安全と伴走者が必要なんです。支援者同士で、足の引っ張り合いなどをしている場合じゃないんですね。

記者:他に支援について考える上で大事なことはありますか?
宮口:実は支援をする側が逆に元気をもらっているのだという視点です。誰だって人の役に立ちたい。人に世話をされて幸せになるんじゃなくて、人の世話をして感謝されることで元気になっていくんです。だから支援をしてくれる人に、しっかりお礼を言ってあげたら、ものすごく元気が出ると思うんですよね。そういう視点は大事かなと思います。

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逃げ出す人こそ支援が必要とはその通りです。逃げ出しはしないけど、当事者に不適切な言動をとられるのは、事業所の日常です。支援する側がそのことについて、怒ったり無視したりしていたら、それは支援のプロではなくただの素人です。だけど、寄り添うだけでは相手は変わらないです。そこにプロフェッショナルとしての支援者のスキルが試されます。

つまり、逃げ出したり反発したりするの当事者だけの責任ではないです。支援者との関係性が当事者の行動を生み出しているのですから、支援者の行動を変えて行けばその関係性は変えていけると思います。確かに、手ごわい方もおられますが、そんな時は相手だって手ごわいなぁ、やりにくいなぁ、支援されにくいなぁと感じているのです。そんなことを色々考えさせてくれる一冊です。

 

学校が親子に立ちふさがる「壁」となってしまう理由

学校が親子に立ちふさがる「壁」となってしまう理由

6/17(木) 【婦人公論】

個性の強さから学校で問題児扱いされるような子どもたちを集め、彼らに自由な発想と学びの場を提供することを目指した教育が、東京大学にて行われています。そこでディレクターを務める中邑賢龍教授は「親子のために存在する学校が、彼らの前に立ちふさがる”壁”になることもある」と指摘します――

※本稿は、中邑賢龍『どの子も違う――才能を伸ばす子育て 潰す子育て』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。

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◆なぜ学校が親子にとって”壁”になってしまうのか

以前にも増して、最近「学校に子どもが馴染めない」と心配する親が増えているように筆者は感じています。

その結果、親は「子どもが教科書を読めないので、タブレットの持ち込みをお願いしたい」、「子どもの興味が違うので、内容をそれに合わせてほしい」、「ぺースが遅いので時間を延長してほしい」といった希望を、学校に伝えるようになりました。

一クラスに何十人もいる児童、生徒を一斉に教える先生からすれば、そんな余裕があるはずもないので、単に親のわがままやクレームとして聞きながしているかもしれません。学習指導要領に定められた単元をちゃんと教えなければならない先生ができることには、実際、限度があります。

しかし、子どもが可愛い親は、なんとか学校での問題解決が図れないか、一所懸命に模索する。そしていつの間にか学校を、目の前に立ちふさがる“壁”として見出してしまうのです。

◆学校には複数のステークスホルダー(利害関係者)が存在する

そもそもですが、学校はいくつかの組織から成り立っています。

小・中学校なら義務教育ですから、国の定めた法律の元で学習指導要領に従い、決められた時間数の教科を、教科書を使って教えていくことになります。

それを教える教員の養成は、国が定めた教員免許を発行できる大学や学部中心に行いますが、免許そのものの交付や採用試験は各県の教育委員会が実施。採用された教員は、市町村が管轄する学校への配属となります。

そして学校ごとに最高責任者としての校長がいるのに、県にも市町村にも教育委員会があって、そこに委員会の最高責任者である教育長がいます。

つまり、学校には学校長、市町村教育委員会、都道府県教育委員会、文部科学省という複数のステークホルダーが存在しているのです。

◆だから「たらいまわし」が起こる

そのため、もちろん事案によりますが、もし学校ですぐに解決できないような問題が生じれば、責任の所在が明確でないことから「現場は上の判断で」「上は現場の判断で」といった、たらいまわしがしばしば起こってしまう。

加えて言えば、教育内容も、義務教育であるが故に全国一律で自由度は極めて低く、親の要望に臨機応変に応えることは難しいというのが実態です。

そうした状況が、親や子どもたちが学校を“壁”として感じてしまう理由の一つではないかと筆者は感じています。

◆「原則」に縛られる学校教育

時に学習指導要領も、学校を越えられない“壁”にしてしまうことがあります。

前提として、義務教育では検定された教科書を使い、教科ごとに決められた時間数の授業を実施することが求められています。

すでにあらゆるものがデジタル化されて長いですが、2021年2月現在、教科書において、デジタル教科書はあくまでも副教材にとどまり、印刷された紙の教科書を同時に使うことが原則になっています。

授業についても対面が原則で、2020年の春、コロナ禍で一斉休校となった際に行われたオンライン授業もなかなか授業時間数に加えられませんでした。そのため、多くの学校では、土曜日や夏休みなどに補講を行う必要がありました。

◆自由に学びたいだけなのに

一方、著書『どの子も違う――才能を伸ばす子育て 潰す子育て』に記したようなユニークな子どもたちの多くは、そもそも集団での一斉指導の中で学んでいくことをあまり得意としていません。「個々に応じた教育」と言いながらも、現実として学習指導要領に則ることが重視され、変わらない形で続く教育のもとで学ぶのは容易ではありません。

本来なら、教科書も時間割もない、そんな緩い授業や教室があってもいいのかもしれない。しかし現在の学校教育の中で、そんな自由な学び方は認められていません。

通常教育の中、一部の生徒を対象に、特別な授業スタイルで教えることは大変でしょう。

通級指導教室と呼ばれ、一部の時間だけ部室などを使い、少人数で教えるクラスはありますが、特別支援教育の範疇に入ることからか、そこで学ぶのを拒否する子どもや親もいます。

ユニークな子どもの多くは障害があるわけでなく、もっと自由なスタイルで学びたがっている。それだけなのに、いまだに彼らは自分たちを抑え込むことに必死な学校に身を置くことを求められているのです。

◆世界一多忙な日本の教員

しかし現実を見れば、あまりにも忙しくなった個々の先生からすれば、未来の学校の姿など、考える余裕も無いのかもしれません。

以前より、学校においてはあらゆる管理が厳しくなっています。特に2002年からは、文部科学省が学校設置基準において学校評価を求めるようになり、学校でもPDCAサイクルの確立が強く求められるようになりました。

OECD加盟国など48カ国・地域が参加(初等教育は15カ国・地域が参加)し、日本では小学校約200校及び中学校約200校の校長が参加した「OECD国際教員指導環境調査」(2018年度)によると、参加国・地域の中学教師の平均勤務時間が38・3時間/週であるのに対し、日本の教員の労働時間は56時間/週にまで達し、これは参加国中で最長となっています。

それだけ多忙になっているにもかかわらず、学習進度は守らなければならないので、学習につまずきのある子どもなどへの個別対応が難しく、また同時に、個々のペースを容認しにくくなっていることが考えられます。

逆に、学習進度が早いような子どもたちも、現在の法律で飛び級が認められていないことから、一斉指導の中で授業の妨げと認識され、結果として排除されている可能性もあるでしょう。

ともあれ、こうして学校が置かれた状況を少し鑑みただけでも、それが“壁”とならないための施策が今急いで求められているよう、筆者には感じられてならないのです。

中邑賢龍

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今回はやたらに学校の融通の悪さの言い訳が多いです。学習指導要領はあくまでも基準であり、全員に摘要するものではないことは法律の中でも明らかにされています。学校教育法には第四章 小学校 第二十九条、第五章 中学校 第四十五条にも、その教育の目的は「心身の発達に応じて」施すと断りがあります。学習指導要領は標準的な「心身の発達」に従って作られているだけで、学習障害など凸凹の子ども達にまで適応できるものではありません。つまり、学校のいう教科書通りにというのは言い訳に過ぎず、標準に収まらない子どもの「心身の発達に応じて」教育を考えていくのも学校の仕事なのです。

学校人事への権力関係を全て会社経営になぞって「ステークホルダー=利害関係者」と表現するのはちょっと無理があります。国民主権なのですから、利害関係者は「国民」一つです。ただ、国民とは誰なのか問題があり、国民の利益を執行する組織系列を複数の「利害関係者」と表現したのだと思います。それは、教育行政だけでなく福祉行政も行政と名の付くものはみな同じ構造です。この構造は、明治時代から変わっていない行政構造というか、ますます強固になっていると思います。

外交・安全保障と金融を除く行政機構に必要なことは、上位機構からの権限移譲と既得権限の廃止です。権限移譲によって組織の責任者や、その責任と義務の執行が身近に見える仕組みが作れます。責任は取ってもらうが法に基づく限り自由にやってよろしいという仕組みがこれから求められているのだと思います。もちろんチェック機能は議会だけでなく地域コミュニティーにも任せる仕組みが必要です。中邑先生は、自由な学びには自由で自立的な行政機構が必要だと考えているのだと思います.。