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大阪に追随「京都方式」

昨日掲載した武漢ウィルス感染症緊急事態宣言の解除を示した「大阪モデル」にならって、5/12日に「京都方式」を発表しました。以下が京都府LINE公式アカウントの発表です。

【京都府LINE公式アカウント 新着情報 #新型コロナウイルス】
本日開催の専門家会議において、緩和判断基準(案)について議論頂き、概ね了解を得ました。
コロナ感染症は収束した訳ではなく、緩和は段階的かつ慎重に進めていく必要があります。
最終的には、15日に開催する専門家会議を踏まえ対策本部会議において決定します。

<4つの判断基準(案)>
①新規陽性者数 5名未満(7日間平均)
②感染経路不明者数 2名未満(7日間平均)
③PCR検査陽性率 7%未満(7日間平均)
④重症者病床使用率 20%未満
※全ての指標が7日間連続で下回っていることが確認できた段階で緩和に移ります。

大阪の3分の1の人口で換算すれば、大阪府感染経路不明者数10名より厳しめですが、数値で枠組みを決めたところは評価できます。と、思っていると政府も追随して、発表するようです。

政府は14日午後、安倍晋三首相が記者会見し、解除を判断した理由などを説明します。対策本部での正式決定は会見後となる予定です。

解除の根拠は、直近2週間で新規感染者数が減少傾向にあり、「直近1週間の新規感染者数が人口10万人あたり0・5人以下」などとするものの、必達の基準とはせず、医療提供体制に余裕があるかやPCR検査の拡充など各地域の状況を総合的に判断する方向です。

再び感染が急拡大する兆しがみられる場合は、改めて緊急事態を宣言する考えです。ただ、具体的な数値基準は示さず、直近の新規感染者数や、感染経路不明者の割合などをもとに判断する方向で調整中と言います。

どうも官僚色が強ければ強い程、責任を取りたくないのか条件が曖昧ではっきりしない感じがします。数値基準もハードルが高過ぎます。人口1億2千万とすれば、新規感染者数が週600人、一日85人以下ならOKですよということです。京都府260万なら週13人、1日2人未満ですから、京都の5人未満目標の倍以上のきつい目標となります。ただ、学校を3か月止め、飲食店も1か月以上止めれば達成はできるはずです。気になるのは煽り気味の自粛ムードと、その同調圧力を恐れて解除の決断が根拠なく遅れてしまうことです。

 

福島第1原発事故甲状腺検査、任意性確保に課題

福島第1原発事故甲状腺検査、理解進まず県聞き取り調査、任意性確保に課題/福島

2021/5/19【毎日新聞】

福島第1原発事故当時に18歳以下だった子どもに県が実施している甲状腺検査について、県は17日の県民健康調査検討委員会で、検査を受けた子どもと保護者への聞き取り結果を公表した。検査を受けることによる不利益や、自らの意思で検査を受けるかどうかを決める任意性についての理解が進んでいないことが明らかになった。

小中学生と高校生への甲状腺検査は、担当者が学校へ出向き、授業中などに希望者に対して実施されている。一方、学校での検査は断りづらく任意性が確保されにくいという意見や、無害の甲状腺がんの発見で心身に負担が及ぶ「過剰診断」の不利益を被るとの指摘も言われ続けている。

調査は今年3月、検査を受けた県内の高校生3人と、中学・高校生の保護者6人へのインタビュー形式で実施された。検査を授業中に学校で行うことに強制性を感じるかという質問には「半強制みたいな感じ」「時間をとってやるので、受けないのが変かな」などとの回答があった。また、検査を受けるかどうかを決めるうえで、検査による利益・不利益を知っているかとの質問には「受ける・受けないを決める考えはなかった」「デメリットは考えたこともない」「検査の情報は圧倒的に少なく、説明会をもっときめ細やかにやるべきだ」などの意見が出た。

県は今後、検査の利益・不利益を説明する文書を本格的に配る。星北斗座長(県医師会副会長)は「任意性の確保の工夫と同時に、検診の機会の容易さも考えなければならない」と指摘した。【寺町六花】
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武漢風邪のPCRスクリーニング検査で陽性になっても偽陽性もあるので罹患したかどうかは発症をみないと分からないことと同様の問題です。しかし、個人へのダメージが大きい点では比べ物にならないくらい、甲状腺超音波スクリーニングは問題が多いです。小児に関しては甲状腺癌の早期発見が再発率の低下に貢献するどころか真逆である可能性が高いという医師もいます。福島の放射能汚染の風評被害は、野菜や魚だけではありません。子どもたちの遺伝子異常の風評被害まであるからです。

超音波スクリーニングで発見される小さな腫瘍は悪性の甲状腺がんとは限らないです。しかし、今までは予防的には使われなかったこの検査が、任意ではあるけれども福島の子どもの早期発見のためにと言う大義名分で使われているのです。今までは、首にしこりなどの症状があって甲状腺超音波検査をしていたのが、症状のない人にまで拡大すれば、発見数は増えて当たり前です。そして、検査数を増やして腫瘍発見数が増えたからと言って悪性の甲状腺がんが増えたと言うエビデンスはありません。

韓国では甲状腺超音波スクリーニングでの過剰診断の問題が明るみにでてから甲状腺癌の手術件数は減少していますが、実は診断された数と手術数の割合は変化していません。つまり、甲状腺癌と診断された大多数の患者は過剰診断を知っていながらそれでも手術を受けることを選択しているのです。子供に対して癌を”放置する”という決断ができる保護者はなかなかいません。経過観察を選択したものの、数年後に不安に耐えられなくなって手術に踏み切るのです。子供にとっても甲状腺癌を経過観察するということは一生涯に渡って大きな重荷を背負わせることになります。

子供に癌患者とのレッテルを貼ることがQOLを大きく低下させる、ということを認識する必要があります。過剰診断の被害は小さな腫瘍が見つかった時点で始まっています。ところがこの小さな腫瘍が無害かどうかは時間がたたないと分からないのです。若年者の甲状腺癌の過剰診断は成人のそれより被害が深刻です。

それは問題が健康問題にとどまらず、人権問題も伴うからです。特に、福島県の子供に対しては、「遺伝子が放射線で汚染されている」「結婚すべきではない」等、心無い風評が残念ながら広がってしまっています。このような状況で子供たちに”がん”という診断名をつけることは彼らの人生に重大な影響を与えます。福島で甲状腺癌と診断された本人や家族が最も懸念しているのは健康問題ではなく「結婚」問題なのです。

その5:丁寧にひとつずつ

私たちは表出言語を教えられた経験はありません。自然に覚えたからです。行動障害を起こしていたりその可能性のある方に表出のコミュニケーションを教えるにも自分の経験がないのです。人は自分の経験にないことを習得するにはそれなりの時間がかかります。スポーツの経験のある方や習い事をされた方ならわかると思います。さらに、人に教えられるようになるには普通にできる人より深く広く熟知する時間が必要です。

サイン言語の研修会やPECSの研修会に行って少し職場でやってみたけど子どもがうまく反応してくれなかったり成果が出なかったりして、周囲からもなんとなく疎まれている感じがしてあきらめてしまう支援者は少なくないと思います。成功している方は、家庭でも現場でも長く粘り強く取り組んでいる方です。人の発達を考えても、自発のコミュニケーションの基礎が完成するまでに10か月から18か月かかるのです。焦りは禁物です。あの手この手の工夫も必要です。

子どもが自発の表出コミュニケーションの扉を開けると驚くような速さで表出コミュニケーションを吸収していくのも事実です。言葉の獲得まで進む方もいます。言葉があったけれどもうまく使えなかった人も適切に会話ができるようになる人もいます。

この道のりを試行錯誤で切り拓いたのは100年前のヘレンケラーとサリバン先生。今日、表出コミュニケーション支援が最も体系化されエビデンス(科学的根拠)が確認されている方法は、PECS以外に私たちは知りません。ただPECSも細部にわたって万能ではないし人はみな個性があり違います。一番大事なことはその人が好きなことをたくさん知っていることです。先にも述べたように私たちは表出のコミュニケーションを「教えられた」経験はありません。だから私たちも表出のコミュニケーションの学習者です。行動障害を予防し強度行動障害を軽減するコミュニケーション支援は、子どもたちに並走しながら地道に学んで伝えて、一歩一歩進むことが大事だと思うのです。

川崎病類似の症例

新型コロナ、川崎病類似の症例急増に関与の疑い-イタリア医師ら指摘

ブルームバーグニュース Jason Gale 2020年5月15日 9:15 JST

少数の子供にしか見られないが、発症すれば血管に炎症が起き大事に至ることもある川崎病に似た症例が世界各地で報告されている。症例数は通常の約30倍に急増しており、新型コロナウイルスがこれを引き起こしている可能性があると、イタリアでの調査報告が指摘した。子供へのリスクについて、パンデミック(世界的大流行)の影響に苦しむ他国にも不吉な警告だ。

イタリアの感染拡大の中心地となったベルガモでの詳細な分析が14日、医学誌ランセットに掲載された。それによると、川崎病に似た症状の子供が10人見つかり、さらにニューヨークと英イングランドでおよそ90人の症例が報告された。

川崎病は5歳までの子供がかかることの多い希少疾患で、血管に炎症や腫れを起こす。発熱や発疹、目の充血、唇や口の乾きやひび割れ、手のひらや足の裏の赤み、リンパ節の腫れなどの症状を伴う。

新型コロナ感染症(COVID19)にかかっても子供は成人に比べて重症化するリスクは依然低いが、リスクはゼロではないと、この報告は明示している。新型コロナが猛威を振るう他国でも同様の症例が発生する可能性があり、学校再開を巡るガイドラインを策定するに当たり考慮すべきリスクだろう。

報告執筆者の1人でベルガモの小児科医であるアンナリーザ・ジェルバゾーニ氏は、「われわれの経験では、新型コロナに感染した子供のうち川崎病のような症状が出てくるのはごく少数だ」としつつ、「世界の各国が社会的な距離をとる政策の緩和を計画する中では特に、新型コロナが子供に及ぼす影響を理解していくことが重要だ」と電子メールで指摘した。

一般的な例では、この症状を発症した子供のうち約4分の1が心臓の合併症を起こすが、適切な治療が行われれば命に関わることはまれだという。この症状を引き起こす原因は判明していないが、感染に対する免疫の過剰反応が関係しているとみられる。

原題:Coronavirus Spurs Spike in Serious Blood Disorder in Children(抜粋)

不登校の「その後」見つめる

あの時ほしかったものを不登校の「その後」見つめるびーんずネット・金子純一さん(49)

2021年5月17日 【東京新聞】

七年前、仕事から帰宅すると、テーブルの上に小学三年だった長男からの書き置きがあった。「学校に行きたくないです」
突然の不登校にひどく慌て、悩んだ。「学校に行くことに意味を感じていたし、弱さや甘えを許してしまうと将来が心配だ、と思っていましたから」。一緒に風呂に入るたびに「新学期から学校に行こうな」と言い聞かせた。

長男は漢字を書くのが苦手だった。漢字ドリルの不正解だった部分に、先生が付せんをつけていく。その付せんが連なって、「ライオンのたてがみみたい」と同級生にばかにされたのだという。「漢字のない国に行きたい」と長男は打ち明け、大泣きした。

結局、新学期からも登校せず、子育てを巡って夫婦げんかに。翌朝、妻あかねさんから本を渡された。「子どもを信じること」(田中茂樹著、さいはて社)。先回りし、価値観を押しつける親の危うさが書かれていた。ぜんぶ自分のことだ、と思ったという。
「子どもが転ばないように、勝手に石をどけようとしていた。先回りはやめて、自分たちが変わろうって決めました」

二〇一八年、妻が産業カウンセラーの資格を取得したのをきっかけに、夫婦二人で「びーんずネット」の活動を始めた。不登校に関するセミナー開催のほか、不登校だった人々の「その後」に着目した事例集「雲の向こうはいつも青空」を年二回発行。今年三月で五冊目になった。

リアルで等身大の不登校を立体的に伝えるため、不登校の経験者や保護者、支える人々ら、一冊で七人のインタビューを紹介する。つづられているのは、正解のない、七人七色の雲と青空だ。読者は全国に広がり、「安心した」「勇気をもらった」との声が届く。
「不登校のその先はどうなるのか。悩んでいたあの時、まさに自分がほしかったものなんです」

長男は今、登校のない通信制高校の二年生。今年二月、肩まであった髪を切り、ファストフード店の厨房(ちゅうぼう)でアルバイトを始めた。やけどした手を見せるのも、どこか誇らしげだ。
「これで万々歳とは思わないけれども、親としてじんわりうれしい」。ほおが緩んだ。(石川修巳)

<びーんずネット>代表は妻の金子あかねさん。「まず、親が幸せになる」をキャッチフレーズに、気づきや学びの場となるセミナーをオンラインで開催。ほかにインタビュー事例集「雲の向こうはいつも青空」(税込み1100円)の発行など、不登校をテーマに活動している。詳しくはホームページへ。

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記事に出てくる「漢字のない国へ行きたい少年」は読み書き障害と思われます。小学校は毎日のように漢字の小テストがあります。先生は親切心ですが、読み書き障害の子どもにとっては、たまったものではありません。多くの学校は読み書き障害のない前提で学習を進めているし、読み書き障害のスクリーニングもしないので、苦しむのは子どもという事になります。

発達性読み書き障害の研究者で有名な宇野彰先生によると、学童期で日本語の読み書きで7~8%、英語になると10%存在すると言います。そのグレーゾーンまで含めると、無視できない数となっています。にもかかわらず、字が下手糞、書写が遅い、音読の家庭学習が不十分等といわれなき中傷を昔から受け続けてきたのです。しかし、現代は読み書き障害が発達障害の一つとして国際的に認知されているのです。これが不登校の主要な原因なら、学校は合理的配慮の不作為を問われ責任を追及されても仕方がありません。

不登校の原因は学習の問題だけではないですが、まじめな子どもであればあるほど、自分ができないのは他人がもっと頑張っているからに違いないと思い、自分を責めだんだん登校が苦しくなっていきます。学習障害を契機とする不登校だけは学校の力で防止してほしいものです。

その6:虐待防止

行動障害の原因や支援方法を理解をしていないと虐待の可能性が高くなります。今回は虐待防止について考えてみます。
2012年から始まった障害者虐待防止法の最後に「養護者に対する支援等に関する施策を促進」と書かれています。また、「養護者に対する支援」という部分では、家族など養護者の虐待について触れています。家族は、もちろん愛情をもって育てていますが、介護している人の中には大きなストレスを抱えていたり、相談できる人が周りにおらず追い込まれた状態にある人がいます。これらが原因であることが多いので、虐待までに発展しないように、家族などの養護者を支援していく事が必要としています。
また、虐待が起こってしまった場合には、なるべく早く小さいうちに見つけて、虐待がエスカレートする前に被害を防いでいくことが重要です。そこで、法律の中でも早期発見・早期対応ということが重視されています。

虐待の類型は養護者・職員・使用者と分けて書かれています。

〔養護者による虐待の5つの類型〕
①身体的虐待:障害者の身体に外傷が生じ、若しくは生じるおそれのある暴行を加え、または正当な理由なく障害者の身体を拘束すること。②性的虐待:障害者にわいせつな行為をすることまたは障害者をしてわいせつな行為をさせること。③心理的虐待:障害者に対する著しい暴言または著しく拒絶的な対応その他の障害者に著しい心理的外傷を与える言動を行うこと。④放棄・放置:障害者を衰弱させるような著しい減食または長時間の放置、養護者以外の同居人による①から③までに掲げる行為と同様の行為の放置等養護を著しく怠ること。⑤経済的虐待:養護者または障害者の親族が当該障害者の財産を不当に処分すること。その他当該障害者から不当に財産上の利益を得ること。

〔施設・事業所(職員)における虐待の5つの類型〕
①身体的虐待②性的虐待⑤経済的虐待は養護者と同じです。③心理的虐待では、「~不当な差別的な言動」が加筆されます。④放棄・放置では、「他の利用者による①から③までに掲げる行為と同様の行為の放置その他の障害者を養護すべき職務上の義務を著しく怠ること。」が加わります。

〔使用者による虐待の5つの類型〕
①身体的虐待②性的虐待⑤経済的虐待は養護者と同じで、③心理的虐待は、職員と同じです。④放棄・放任では、「養護者以外の同居人」や「他の利用者による」となっていたところが、「~ほかの労働者による」とし、同僚・上司・部下などからの身体的、性的、心理的な虐待が起こっていることを容認したり見過ごすことが書かれています。この使用者による虐待については、障害児童も高齢の障害のある人もこの虐待防止法が適用されることになっています。

〔事業所での身体拘束・行動制限について〕
本人を落ち着かせるためにとか、周りへの影響を考えてなどの理由で本人の行動を抑制することが、本人にとってはマイナスになってしまう可能性があることや、倫理的な部分で問題になってくることがあります。障害特性などをしっかりと理解し、できる限り支援方法の共有化やマニュアル化などによって行動障害が起こってしまう前に、適切に支援することが大事です。身体拘束については、切迫性、非代替性、一時性の3要件すべてを満たすことが必要です。ただ、身体プロンプト(スキル獲得のための身体誘導で、徐々に消去していく行動支援)と身体拘束は全く違うものですから支援の専門家は行動支援の手法について良く学習をすることが必要です。
「問題行動」に対処するために、身体的虐待に該当するような行動制限を繰り返していると、本人の自尊心は傷つき、抑えつける職員や抑えつけられた場面に対して恐怖や不安を強く感じるようになります。人や場面に対しての誤った学習を繰り返した結果、さらに強い「問題行動」につながり、さらに強い行動制限を行うという悪循環に陥ります。行動障害に対する知識と支援技術を学び、支援をマニュアル化することなどによって職員全体で共有し、行動制限の廃止に向けて取り組むことが施設・事業所での障害者虐待を防止することにつながると共に、支援の質の向上にもつながります。

YouTube「向日が丘学習支援チャンネル」

臨時休業中の学校のホームページを見ると、先生方が色々頑張って発信している学校もあります。小中学校独自ではテキストベースのものが多いですが、支援学校はおもしろい動画のオンパレードでした。

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京都府立特別支援学校で学まなんでいる児童生徒のみなさん、学校に通かよえない毎日が続いていますが、元気にしていますか。このページぺーじ『まなびのバイキングばいきんぐ』は、コロナウィルス感染拡大予防のため在宅となっているみなさんを応援するために、全の府立特別支援学校の先生が協力して立ち上げました。このページには、みんなの笑顔を思浮かべながら考えた先生たちのアイデアがたくさん詰まっています。自分のできそうなもの、楽しそうなものを選んで見てください。そしてやってみてください。そして、学校でまた会えたときに、どれが楽しかったか教えてくださいね。それでは、「見みてみよう・やってみよう!!」

http://www.kyoto-be.ne.jp/tokubetsu/cms/?page_id=96

これの向日が丘支援学校版がyoutubeにアップされています。

https://www.youtube.com/channel/UC-R92ycFKYIO1WexpZVym8Q

校舎内やスクールバスに投影するプロジェクションマッピングや簡単なマジックなど楽しいですよ。一度覗いてみてください。

 

わいせつ教師のブラックリスト

わいせつ教師のブラックリスト共有化を考える
園田寿 | 甲南大学名誉教授、弁護士

5/21(金)【Yahoo!ニュース】

■はじめに
教師による学校内での児童生徒に対するわいせつ事件があとを絶ちません。優越的立場を背景に、抵抗できない弱い者に対して自己の性的欲望を暴力的に満たすのは、もっとも卑劣な行為だといえます。ところが現行の制度では、処分を受けて教員免許状を剥奪された者が、最短で3年経過すれば再び教職に返り咲くことができるようになっています。性的な不祥事を起こした教員が再び教壇に立つことができないようにするべきだとか、3年という時間はあまりにも短すぎるといった意見がありますが、もっともだと思います。そこで、この点を改善すべく、法律案が検討されています。

法律案は、わいせつ教師のブラックリスト(データベース)を作成し、免許状の再交付にあたって全国の教育委員会、学校法人の採用担当者などが閲覧できるようにするという仕組みを提案しています。私は、この法律案の基本的な方向性に反対するものではありませんが、十分な議論が必要だと思います。本稿では、その議論の端緒を整理してみたいと思います。

なお、2021年5月10日付けで、学校における子どもの人権を考える会(共同代表:佐久間亜紀、慶應義塾大学・教師教育学)による「『教職員等による児童生徒性暴力等の防止等に関する法律』案についての論点整理」が公にされています。法案の内容については、基本的にこれに依っています。

■現行制度の確認
現行の教員免許法では、(1)懲戒免職、(2)分限免職、(3)その他教員にふさわしくない重度の非行がある場合には、「免許状取上げ」の処分を行い、「当該処分の日から3年を経過しない者」には免許状の再交付を行わないという規定になっています(第5条1項)。

懲戒免職とは、犯罪や重大な非行などを行ったことを理由として解雇される場合で、(「身分保障の限界」という意味の)分限免職は、心身の故障、勤務成績不良や懈怠(けたい)などを理由とした免職で、必ずしも犯罪や非行などを理由としたものではありません。

問題は、このような理由によって免許状が取上げられた者であっても、最短3年が経過すれば申請によって免許状が再交付されうるという制度になっている点です。

実際に、「福岡県で生徒へのわいせつ行為で懲戒免職を受けたことを隠し、虚偽の履歴書を提出して88~2018年に埼玉県で教員として勤務した」といったケースが報告(埼玉新聞2021年3月23日)されていますし、同様のケースは少なくありません。

■法案の内容
今回の法案はとくに以上のような点について、制度を改めることが目的です。そして、目玉となるのがデータベースの構築ですが、それは以下のような内容になっています。

(1)次のような行為を「児童生徒性暴力等」と定義する。
a. 強制性交、わいせつ行為(刑法上の罪)
b. 児童買春のあっせん、児童ポルノ所持、製造、輸入、盗撮による製造等(児童ポルノ禁止法上の罪)。
c. 児童生徒を著しく羞恥させたり、不安をおぼえさせるような態様で、衣服の上から、あるいは直接児童生徒等の身体に触れたり、通常衣服で隠されている下着や身体を撮影し、または撮影目的でカメラ等を向けたり設置したりする行為
d. その他、性的羞恥心を害する言動であって、児童生徒等の心身に有害な影響を与える行為

(2)児童生徒性暴力行為等によって免許状が失効した場合、各教育委員会がその教員の情報を、文科省が一元的に管理するデータベースに迅速に登録し、各教委や学校法人などが採用の参考とする際に閲覧できるようにする。

(3)各教委が第三者委員会の意見を基に、再交付の可否を判断する「裁量権」を認め、その際、教員の更生状況などを勘案する。

端的にいえば、文科省がわいせつ教師のブラックリストを作成管理し、このデータベースを各教育委員会や学校法人が参照して免許状の再交付の可否を決定するというものです。

はたしてこのような制度は、今までの制度に矛盾なく溶け込むのでしょうか。以下、その点を考えたいと思います。

■一般的な問題点
国の基本的な制度からの大きな方向転換になりはしないか
第一の論点は、ブラックリスト共有化という新しい提案が、国の従来からの制度に対する大きな方向転換になりはしないかという点です。

現在の刑罰制度は、根底に応報という考え方(苦痛を与えることによって過去の犯罪行為を清算すること)があり、その枠内で犯罪予防(一般人の犯罪を予防し、受刑者本人の将来の犯罪を予防する)を考えるというものです。そのため、実際の刑罰執行(行刑制度)は、受刑者の再社会化(更生=人生のやり直し)を目的として組み立てられてきました。

その一つに前科抹消制度といわれる制度があります。
これは、刑に処せられて一定の時間が経過すると、刑の言渡しがなかったことになるという制度です。刑の言い渡しを受けて、判決が確定すると市町村役場に置かれている犯罪人名簿に登録されます。しかし、前科は更生の障害となる場合があるため、昭和22年に刑の消滅の規定(刑法34条の2)が設けられ、執行終了または免除後一定期間(禁錮以上は10年、罰金以下は5年、刑の免除は2年)を罰金以上の刑に処せられることなく経過したときに、刑が消滅し(法律上の復権)、前科人名簿からの抹消が認められました。

わいせつ教師のブラックリスト共有化は、この前科抹消の制度と基本的に調和するのでしょうか。ブラックリストからの削除についての規定も、登載期間についての規定もないので、ブラックリストに登録することで、一度過ちを犯した者を刑法の原則を超えて社会から排除するおそれのある制度となる危険性はないのでしょうか。社会制度としてこのような仕組みを設けることは根本的に妥当なのかという点について疑問があります。

本制度は、再び教職に付かせないということだけが狙いなので、他の職業に付くことへの制約にはならない、つまり職業選択の自由を侵すものではないといえるでしょうか。これが次の論点です。

罰則規定がないのは問題
刑法学者としての観点からこの新提案を見た場合、もっとも気になる点は、情報漏洩や悪用についての罰則規定がないことです。

教育委員会や学校法人がブラックリストを閲覧するわけですが、教育委員は公務員ですから、得た情報を漏洩したり悪用した場合は守秘義務違反の罪(最高1年以下の懲役)がありますが、私立学校の採用担当者は私人であって、罰則がありません。私立学校の校長などが、友人の予備校や塾の経営者、さらには一般企業などに情報を漏らすようなケースも想定することが必要でしょう。

ブラックリストには性犯罪歴が登録されているわけですから、もしもこれが漏れたりした場合はたいへんなことになります。本人はもとより、家族や親戚へのダメージは想像以上でしょう。

ブラックリスト共有化が教員免状の再交付を厳格にするだけの制度だから問題はない、といえるのかです。

「児童生徒性暴力等」の概念は明確なのか
ブラックリストに登録されることは、本人にとって重大な制裁的効果があります。登録の前提条件である「児童生徒性暴力等」の概念は、明確なのでしょうか。

この概念の中には、刑法上の性犯罪から、明確に「犯罪行為」として認識されないような行為まで、行為の性質と重さの異なるさまざまな性的行為が含まれています。それらに対する一律的な行政的制裁として免状の取上げがあるわけですが、これにさらにブラックリストへの登録という実質的な制裁処分が課されることになります。その際、なされた行為における侵害性の軽重は問題となっていません。このような仕組みは、近代法の大原則である責任主義(許されるのは責任の重さに応じた制裁)に反する疑いが濃厚です。

また、具体的に当該行為が「児童生徒性暴力等」に該当するとの判断は、だれがどのように行うのかも問題ですし、本人の弁明の機会なども十分に保障されなければなりません。

■では、どうすればよいのか
誤解のないようにいいますが、私も性的な問題を起こした教師がわずか3年で免許状の再取得が可能であるという現状はたいへん問題だと思います。しかし、ブラックリストに登載して排除するという方向性にも疑問があります。

では、どうすればよいのか。

今回の法案では、教育委員会の裁量権を認めることも提案されています。一定の法定要件が具備されれば免許状がオートマティックに再交付されるのではなく、再交付の可否について教育委員会が個別に判断することになります。この提案じたいに異論があるわけではなく、むしろ望ましい制度だと思います。しかし、ブラックリスト方式を前提に考えると、教育委員会が検索して該当者がヒットすれば、それだけで該当者についてさらに実質的個別的な審査が行われる可能性は、特別な事情がない限りきわめて小さいと思われます。

この教育委員会の裁量権を活かすためには、再交付に際して参考とされるデータベースはブラックリスト方式ではなく、ホワイトリスト方式とされるべきです。つまり、まず全教員リストから、懲戒、分限等の処分があれば、その都度ここから該当者を削除していき、いわばホワイトリストを作成する。そして教育委員会が免許状の再交付を審査する際にはこれを参照し、申請者がこれにヒットしなければ、さらにその者について聴聞の機会も保障して個別に実質審査を行う。このような仕組みであれば、法案が目指すものと同じ効果が得られますし、官民の多くの人たちに共有されるデータベースのあり方としても望ましいのではないかと思います。

いずれにせよ、新しい提案について十分に議論されることが必要です。

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性犯罪の再犯率は低くありません。しかも、学校教員や施設職員から子どもが受けるわいせつ事件のほとんどは、行政処分を受け社会的制裁を受けたのだからと起訴されないことも多く、軽微なものと判断されるものは略式起訴程度で終わるものがほとんどで、服役をするほどのものはごく稀です。

犯罪の種類でいえばわいせつ罪は強制も準強制も最高懲役20年と罪が重いのですが、職員が犯す罪は健全育成条例違反の淫行罪がほとんどで懲役2年が最高で、初犯なら執行猶予がつくものがほとんどです。従って前科抹消制度が摘要されれば前科すら消えるのです。

免許制度をわいせつ前科のある人には免許を与えないようにする法案も、憲法の掲げる職業選択の自由を侵すとして断念されました。そこで、行政処分リスト(官報)を調べる証明システムを免許申請や採用時に求める仕組みを文科省が考えたのですが、履歴は今年からと言う情けないシステム(教員の懲戒免職・解雇理由、官報に記載 03/30)なので、日本版DBS(子どもの性被害どう防ぐ?: 01/06) を法律で決めようと言うわけです。英国では2012年にスタートしたそうですが、日本型民主主義(憲法)は時間がかかり過ぎます。

子どもの呼称

福祉の関係者の中には、「~ちゃん」「~くん」と呼ぶことを、人権侵害または人権侵害への傾きがあるとする見解を持つ人がいます。呼称は、そのように単純な問題ではありません。こういう指摘に対して、現場の支援者が納得できない気持ちは理解できますが、ちゃん付けが正しいわけでもありません。

呼称の問題を単純化する悪弊は、自治体職員や福祉支援者に地域住民・利用者を「お客様」と呼ばせることや、学校教育における児童生徒の男女差別を解消するための手立てとして、男女すべてを「~さん」に統一して呼ぶとするなどがあります。「お客様」は消費者主権主義にもとづくビジネスモデルにおける呼称ですから、ビジネスモデルに包摂されない地域住民やサービス利用者は、行政の主権者ではありますが金銭とサービスを交換する「お客様」とは違います。敬意をもって丁寧に接することと、お客様扱いは意味が違います。学校における「~さん」への呼称の統一というのは、差別事案を具体的にとらえて克服していこうとするのではなく、呼称の統一によって「性区別なく公平に扱っていますよ」、「君付けは上から目線だから使いません」というのは、アリバイ工作程度にしか感じないのです。だからと言って、これが全部間違いだというのも逆のステレオタイプのような気がします。もう少し呼称や敬称の問題の本質をつかんだ上で、プロとしての流儀を明確にしたいと思うからここで取り上げてみたのです。

福祉的支援における呼称の問題は、サービスの種類で区別して考える必要があります。一つは施設入所支援やグループホームのように親密圏を構成する支援サービスの中で、支援者と利用者が取り結ぶ関係性にふさわしい呼称の場合です。もう一つは、就労継続支援や就労移行支援に代表されるような、公共圏において支援するか、「公共圏に向けて」支援する時空間において支援者と利用者が取り結ぶ関係性にふさわしい呼称です。だから、この場合は呼び捨てにしたり「~ちゃん」はあり得ません。

親密圏における呼称は、関係当事者の同意に従ったいかなる呼称も、公序良俗に反しない限り、人権侵害には該当しません。ただ、支援者の優位性をテコに利用者を「子ども扱い」して呼び捨てにしたり「~ちゃん」と呼称するのは論外です。しかし、この問題の本質は呼称にあるのではなく「子ども扱い」することに人権侵害の根幹があるのです。関係者の相互了解さえあれば多様な呼称が容認されてもいいのかもしれません。ただ、利用者が施設やグループホームから地域社会のさまざまな活動(就労、買い物、外出、友人との仲間活動等)に参加する場面で呼び捨てや「~ちゃん」を使用し続けることは、人権侵害につながる問題をはらんでいます。地域社会における一般市民の受けとめ方の中に障害のある人に対する「子ども扱い」や特別視を助長しかねないからです。

「~ちゃん」の呼称が、いつの間にか人権侵害につながる恐れがあるという指摘は、呼称の問題が本質なのではありません。親密圏そのものがはらむ「割り切れないリスク」に問題の本質があります。親密圏における「暮らしの中の人権侵害」の問題には立ち入らず、呼称という表面的な問題で片づけているとも言えます。障害のある人が親密圏と公共圏のそれぞれにおいて、難しさを感じることなく、もっとも活き活きと周囲の人たちとの関係をゆたかに取り結べるための呼称を、ケース・バイ・ケースで考えるべきかもしれません。ただ、言霊文化を重んじる日本では、声に発した言葉が、相手にも自分にも良くも悪くも影響を与えると言われてきました。敬語や呼称敬称によってその関係性を持続させるという考え方は行動科学としては理にかなっており、あながち否定できるものでもありません。

そこで、児童サービスの場合も同じ課題が浮かび上がります。支援者が子どもを名前呼びにしたり、ちゃんづけしたりするのは良くあります。特別支援の必要な子どもの場合は日常茶飯といっていいかもしれません。しかし、ここにも親密圏と公共圏、もしくは公共圏に向けた支援かどうかということが問われます。中学高校生の利用者に「~ちゃん」と呼びかけた声を、同じ場所で小学生が聞いているという状況に、あまりにも鈍感ではなかったかと思うのです。子どもへの支援者の言動は子どもの言動に乗移っていきます。家族以外からいくつになっても「~ちゃん」と呼びかけられている子どもに、公共圏での自尊感情は担保されるのでしょうか。また支援者自身がそのことを意識できるのでしょうか。さん付け君付けだけで、子どもに敬意を払うことができるわけではありません。そのことを深く理解していること、それがプロとしての流儀と言えるのかもしれません。

 

ソーシャル・ナラティブで感染不安の解消を

毎日、垂れ流される武漢ウィルスの感染情報に恐れをなしているASD児のことについては何度か掲載してきましたが、問題は正確に感染のリスクが子どもたちに知らされていないことです。なので、他者に接触すれば感染すると誤解している子どもが少なくありません。これをソーシャル・ナラティブ風に書くと以下のようになります。

新型コロナウィルスに感染した人はこの4か月間で16367人。10万人に13人です。これは、サイコロを6回振って6回連続で同じ目が出る確率に近いです。つまり、感染する人はものすごく少ないのです。

4か月間で交通事故に遭う確率は10万人に100人で、先の感染確率の8倍で0.1%です。この確率でも、通事故にあうかもしれないから外出しないという人はほとんどいません。それはごく小さな確率だからです。信号を守る、一時停止をする、交差点で左右をよく見て通行するという交通ルールに気を付ければ事故を防止できる確率だと考えられるからです。

新型コロナウィルスの感染率はそれより一桁小さな確率です。これは外出してもほとんど感染しないと考えて良い確率です。マスクをする、外のものを触った手で目や口を触らない、帰ったら手を洗う、この三つを守れば予防できる確率だと考えられます。

コロナウィルスは人に直接接触しても皮膚から感染はしないウィルスです。つまり、皮膚感染を恐れる必要はありません。友達の身体に触れても感染しないのです。どうしても気になる時は、ポケットに除菌シートを入れて黙ってそっと手をふけば気持ちが落ち着くかもしれません。

このウィルスは70歳以上のお年寄りの人に感染したときに重い肺炎になりやすいです。しかし、子どもが感染しても、何も起こらないか、少し熱が出るくらいの人が多いです。新型コロナウィルスの感染が原因で死んだ子どもは、わが国には一人もいません。

テレビでは、感染が少なくなっているのに、感染すると危険だという情報を毎日何回も放送しています。これは、感染数が少なくなったという放送より、感染は危険だという放送の方が視聴率が上がるからです。テレビ放送は視聴率が上がるように作られるので、真実が放送されないこともあります。ただ、子どもには何が正しい情報か調べる方法がないので、私は、親や先生に聞いて確かな情報を教えてもらいます。

私は、外でマスクをすれば直接口を手で触れないし、帰ったら手を洗うのでウィルス感染の予防ができます。そして、もしも、子どもが感染しても軽い症状だけで治ってしまうので、私は心配しなくても大丈夫です。

『ドラゴン桜』で説明した東大の「文化」

『ドラゴン桜』で説明した東大の「文化」にOBから疑問の声 学生間の試験対策を「発達障害の学生のため」と紹介?

2021/05/24 【リアルライブ】

日曜劇場『ドラゴン桜』(TBS系)の第5話が23日に放送され、平均視聴率が13.8%(ビデオリサーチ調べ、関東地区、以下同)だったことが各社で報じられている。第4話の14.3%からは0.5ポイントのダウンとなった。

第5話は、専科の生徒との勝負に負けた藤井(鈴鹿央士)は苛立っていた。そんな様子の藤井を案じた理事長の久美子(江口のりこ)は、東大専科と一流大学コースで再度勝負することを桜木(阿部寛)に提案する。そして、東大専科には5人目の生徒がやってきて――というストーリーが描かれた。

※以下、ネタバレ含む。

専科に来た5人目の生徒とは、学年で成績ワースト1位という発達障害の健太(細田佳央太)。桜木は健太のその異様な記憶力に注目し、健太が好きな昆虫研究の英語の論文を渡すことで勉強欲を刺激することに成功していた。

そんな中、水野(長澤まさみ)が話した、発達障害でも東大で勉強できる、ある文化が話題になっている。

「健太は目から入った情報は忘れないものの、一方では聴覚的短期記憶能力が低く、これまで授業についていけなかったとのこと。このことから幼馴染の麻里(志田彩良)から『仮に東大に入れたとしても講義についていけないんじゃ?』と指摘する場面がありました。しかし、水野は『大丈夫。東大には書き起こし文化があるから』といい、当番制で教授の話を書き起こす制度だと説明。『そのぐらい東大に通う発達障害の学生は多いのよ』と話していました」(ドラマライター)

この水野の説明に、視聴者からは「書き起こし文化なんてあるんだ!」「そんな文化あるなんてすごいな」という感心が集まっていたが――。

「しかし、SNSからは東大OBを名乗るユーザーから『ミスリード』を指摘する声が噴出することに。実際、この書き起こし文化は東大法学部の学生の間で自発的に行われているもので、発達障害の学生のためだけではなく、そもそもの目的は試験対策とのこと。ツイッターからは『発達障害を起源に持ってくるのは無理がある』『書き起こしは公式ではないし万能でもない』『学生間の試験対策を発達障害に配慮した文化にするのはちょっと…』という指摘が上がっていました。また、大学側の制度ではなく学生間で行われている文化のため、書き起こしがない授業も多く、語弊があるとの指摘もありました」(同)

ドラマでの説明と現実での乖離に、多くの東大OBが違和感を抱いてしまったようだ。

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前回(ドラゴン桜 05/15)、健太(細田佳央太)のサバン症候群が発揮されると書きましたが、予想通りでした。ドラマは全てが事実ではないのに、あえて疑義を唱える元東大生の『ミスリード』指摘にはステレオタイプの方に少なくない特性を感じます。けれども、東大が発達障害を持つ学生の支援に力を入れていることは事実です。2010年には、発達障害の学生をサポートする専門機関である「コミュニケーション・サポートルーム」を立ち上げています。

開設当時、東京大学学生相談ネットワーク本部は、「東大が多くの発達障害の人を抱えるのは事実」「支援室の開設は発達障害と共に生きる東大としての第一歩」と言っています。また、日本学生支援機構の調査によれば、東大は対人関係スキルを身につけるためのセミナーを全学生に向けて開催しているそうです。今回の件について、東大のコミュニケーション・サポートルームは学生のプライバシー保護のためにノーコメントだそうですが、ノートテイク支援の是非を聞いているだけなのにあえてコメントしないという事は、様々な支援事例があるので安易に触れられないということでしょう。

大事なことは、東大で授業の講義が書き起こされるかどうかの真偽ではなく、普通の学校の授業で視覚的支援が合理的配慮としてなされているのかどうかです。視覚的支援がないから学習に取り組めないし、不適応行動の原因を知能が低いからと誤解しているから、いつまでたっても不適応行動が収まらない、という桜木(阿部寛)の台詞にこのドラマのメッセージがあります。そして、「だけど」と付け加えた桜木(阿部寛)の、「無理やりに学習をさせようとはしなかった担任の行動は、健太(細田佳央太)の学校への安心を形成して、学習への嫌悪感を与えなかった」という台詞内容も支援の本質を感じさせました。

気象病

「う~ん15時から降水率60%か~ビミョ~」今日は雨が降るかどうか、梅雨の時期だからこそ外で遊ばせたいスタッフは、ヤフー天気予報といつもにらめっこしています。ところで、季節の変わり目に体調変化や気分変動があるように、気圧が下がると体調が乱れ、片頭痛や関節痛、耳鳴りなどの症状が悪化する「気象病」はご存じでしょうか。季節の変わり目と同じように自律神経のバランスの乱れが関係するそうです。

気圧の低下によって悪化する症状の多くは、自律神経のバランスの乱れが関わっています。春先や秋口などの季節の変わり目や、梅雨時の低気圧接近による気圧の低下で、以下のような症状が悪化することがあると考えられています。

①片頭痛:片頭痛のはっきりとした原因は不明ですが、血管の拡張によって痛みが生じることが知られています。過労や環境の変化などによるストレスとともに、気温や気圧の急激な変化も、痛みの引き金となります。②関節痛:気圧が下がり、相対的に体内の圧力が上がることで、関節まわりの炎症部分が圧迫されます。また、気圧の低下による血流の増加で、自律神経の痛みに対する過敏性が高まると考えられています。③めまい:気圧の低下により相対的に耳の内部の圧力が高まることで、耳の内部にある器官(蝸牛や三半規管)から内リンパ液という液体が漏れだすことで、回転性めまい(ぐるぐると回っているような感覚になるタイプのめまい)が悪化します。④耳鳴り:気圧の低下により、相対的に耳の内部の圧力が高まることで起きます。エレベーターで高層階に行くときに耳鳴りが起きるのと、同じ仕組みです。⑤過敏性腸症候群(IBS):主にストレスによって胃腸の調子が悪くなる状態で、便秘型・下痢型・混合型に分類されます。低気圧が日本に近づく春先や秋口になると、自律神経のバランスが乱れ、症状が起きやすくなります。⑥精神関連:自律神経失調症、パニック障害、うつ病、統合失調症、不安障害などの精神疾患は、自律神経のバランスの乱れを招く気圧の低下によって、悪化しやすいと言われています。尚、昔は喘息も低気圧と関係すると言われてきましたが、最近の研究によると気圧変化か心理変化かどちらかはっきりとは言えないそうです。

それぞれの症状の悪化は、気象状況の影響かどうかに関わらず、医療機関を受診して、適切な治療を行うことが何よりも大切です。治療に加えて、日頃から予防するには、自律神経のバランスを整えるトレーニングも有効です。
●ウォーキングなど適度な運動を行い全身の血行を改善する。●栄養(繊維質タンパク質)がとれる食事と、規則正しい時間に食事をして代謝を整える。●シャワーではなくぬるい湯船にゆっくりつかって汗をかきリラクゼーションする。●就寝する2時間前以降はインターネットやゲームを禁止して快眠を得て生活リズムを整える。●小集団でのレクリエーションや軽作業など計画的に軽いストレスに慣れる。
要するに、自律神経系に働きかける、運動や食や温度管理や、過剰な視覚ストレスを避けつつ日常的に調節できる範囲で仕事や勉学の負荷をかけることです。放デイにできることは、雨の隙間を縫ってみんなで体を動かすことだという事です。

 

ソーシャルナラティブ

昨日のソーシャルナラティブという言葉が初めて出てきたので解説します。これは、以前書いたソーシャルストーリーTMのことです。自閉スペクトラム症の人の捉え方に合わせて(=理解の仕方に配慮しながら)、社交上の約束事や暗黙の了解について伝える方法です。非自閉スペクトラム症の人々が、自閉スペクトラム症の人に物事を伝える際のマナーとも言えます。開発者のキャロル・グレイが書いた書き方ルールは著作権があり、「ソーシャルストーリーTM」とされています。それをまねて(C・グレイ)のルールに完全には従わず、オリジナルのものを書く場合は、区別のために「ソーシャルナラティブ」と称すべきなので今回はソーシャルナラティブと書きました。

ソーシャルナラティブという用法を日本でおそらく初めて論文で用いた藤野・米山(2009:415)らには、用語について以下のような注があります

「ソーシャルストーリーTM」という名称は米国において 商標登録され,現在では Gray による公認を受けなければ,この名称を使った講演,研修会,研究発表などを行うことは許可されていない(Gray, 2006)。一方,Myles, Trautman, & Schelvan(2004)はソーシャルストーリーTM に代表される社会的状況の意味を説明し望ましい行動の 見本を記述した物語を使った支援方法の一般呼称として“Social Narrative(ソーシャルナラティブ)”という名称を 創案し使用している。本稿でも Myles らにならい,この ようなタイプの教育技術を「ソーシャルナラティブ」と 総称することにした。また先行研究で“Social Stories” を使用したと記載している論文でもGrayによる公認を受けたことが明記されていないものは“Social Narrative(ソーシャルナラティブ)”を使用したものと解釈し,本稿ではそのように表現した。

 

1人1台コンピューター「一見よさそう」の落とし穴

学校1人1台コンピューター「一見よさそう」の落とし穴
科学医療部次長岡崎明子

2021年5月25日 【朝日新聞デジタル】

小学生の娘が、学校から配られたiPadを使うようになってから2カ月がたつ。コンピューターを活用した教育を広げるため、文部科学省が進める「GIGAスクール構想」の一環だ。3月末までに、全国のほとんどの小中学校に1人1台分のパソコンやタブレット端末が配られた。

アップルのスティーブ・ジョブズは家で子どもがiPadを使うのを制限し、読書や会話の時間を大切にしていたという。だから私も、娘が幼い頃からなるべくスマホやiPadを遠ざけてきた。それなのに。

娘は喜々として「今日はヤフーで『三角形』を検索した」などと教えてくれる。国は、この構想は学びを個別最適化し、創造性を育むと言う。でも本当にそんなエビデンス(科学的根拠)があるのだろうか。

学びの質を研究してきた東大名誉教授の佐藤学さんに聞いてみた。「実は、ICT(情報通信技術)教育が学力向上につながるというエビデンスはほとんどないのです」

最も信頼できるのが、国際学習到達度調査(PISA)の調査委員会が2015年にまとめた報告書だという。先進国の集まりであるOECD加盟の29カ国のデータを分析すると、学校でコンピューターの使用が長時間になると、読解力も数学の成績も下がっていたという。衝撃的な内容だ。

PISAの担当者はその理由を二つ挙げる。一つは深い思考を育む先生と子どもの対話がコンピューターによって阻まれる可能性。もう一つは従来の授業スタイルのままコンピューターを入れることの限界だ。

佐藤さんはこれに加え、今のICT教育の現場で使われるソフトの質を挙げる。答えを入力すると即座に○×が表示され、正解なら次に進むといったものも多い。

ここから続き
「刺激と反応の学びは短期記憶にしかなりません。そもそもGIGAスクール構想は20年前のコンピューター教育。協同で探究する学びに改革する必要があります」

世の中には、「一見、よさそう」と思って導入したものの、実は効果がなかったということが結構ある。

今から半世紀前の1976年2月。米国の陸軍基地で1人の新兵が豚インフルエンザで亡くなった。見つかったウイルスは、18年のスペイン風邪と同じH1N1型だった。パンデミック再来を恐れた当時のフォード大統領は、専門家の助言に従い、全国民2億人以上にワクチンを接種するという前代未聞の事業を決断した。

接種は10月から始まり、4千万人以上がワクチンを打った。だがギラン・バレー症候群など多数の副反応が報告され、わずか10週間で事業は中止された。実際のところパンデミックは起きなかった。残ったのは、公衆衛生行政への不信感だけだった。

検証報告書は、貧弱な証拠から組み立てられた理論に、専門家らの過信があったと指摘している。エビデンスがない政策は税金の無駄となるだけでなく、ときに害を与える。

コンピューターに向かう時間が増えることが、子どもたちから深く思考する機会を奪うとしたら。その代償は計り知れない。私は子どもには、物事を多面的にとらえ、自分の意見をしっかり持った大人になってほしい。1人1台を進めるにしても、エビデンスのないまま広げ、貴重な学びの場が「実験台」になるのは勘弁だ。

コンピューターに一切触れるなと言っているわけではない。実はPISAの報告書には、ヒントとなりそうなデータもある。例外的に、オーストラリアではコンピューターを使うほど読解力が上がっていた。

日本のICT教育は、先進国の中では周回遅れだ。だからこそ、効果をあげている他国の例に学べるというメリットがある。ジョブズはこうも語っている。「教育の問題はテクノロジーでは解決できない。これは、政治の問題なのだ」(科学医療部次長 岡崎 明子)

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ICTを使えば学習ができるようになると言うのは正しくないです。当たり前のことですが、学習ができるように作られたICTならば学習ができるようになるのです。例えば、今はやりの講義アプリのスタディーサプリがあります。あれは、優秀な講師が講義をするので学力が平均以上の人にとってはとても役に立ちます。しかし、基礎学力の伴わない人が使っても成績向上は望めません。また、聴覚情報が苦手な人にも向いていません。

下のグラフは2015年のもので、このグラフだけで本当にICTの利用と非利用の格差が出たかどうかはどんなデーターの取り方をしたかどうかわからないので何とも言えません。こういう数字のマジックを使うのはメディアの得意技です。PISAの500を平均とした標準偏差100の5〜6点差は、入試偏差値の平均50・標準偏差10にすれば1ポイント未満の数値です。これをわざわざグラフで大きく切り取って見せているのです。また、日進月歩のICT世界での2015年当時とは一昔前とも言え、適切な学習アプリが開発されているとは言えないからです。少し自信がない記者は、アップルコンピュータのカリスマ、スティーブ・ジョブズを引っ張り出して、自説を補完します。

ICTを使った学習を○×の短期記憶の学習機とレッテルを貼るのも、メディアの得意技です。PISAの報告書によれば、周回遅れのはずの日本はICTを使ってないのに読解力は落ちているのです。このことについては何も触れずに我田引水です。ICT機器を学習に使うメリットは、その人の興味や関心、分かる速度に合わせて自学自習ができる事や、学習したことや気づいたことを簡単に仮想空間で共有できることです。まさに、教室から外に飛び出した授業が展開できる可能性が広がっているという事です。

ICTと学力とは関係がない事ですが、日本のワクチン開発が先進国の中で遅れているのは、政治の責任と言うより、メディアが散々ワクチンの副作用をエビデンスもないまま恐怖を国民に煽ったからです。副作用が恐ろしいぞと特殊例だけをあげて煽れば、誰も国内で売れない商品を開発しようとはしないでしょう。その舌の乾かぬうちに今度は開発が遅れているのは政府の責任だと言うのです。今回のメディアによるICTの教育展開の批判も同じ類の根拠のない無責任な主張ではないかと思います。今大事なのは、ICT機器を利用するためらいではなく、学校や家庭のネットワーク環境を整備してソフト開発にどんどん民間会社を呼び込んで良いソフトを競争して作ることです。

 

端末持ち帰り調査

<学校ICT時代端末持ち帰り調査>(上)小中学校編岐阜が先行、福井認めず

2021年5月26日 【中日新聞】

小中学生に一人一台ずつ学習端末を配備する国の「GIGA(ギガ)スクール構想」。新型コロナウイルス禍による休校も想定し、文部科学省は学校だけでなく、自宅での学習にも端末を生かしてほしい考えだ。こうした端末の「持ち帰り」にどう対応するか?。中部九県の県庁所在地と政令指定都市の計十市教委に取材した。(北村希、加藤祥子、河原広明)

昨年九月に全児童生徒への配備を済ませ、直後から「持ち帰り」に取り組むのは岐阜市。同市教委担当者は「休校時でも自宅の子どもと学校の先生をつなげる環境をいち早くつくりたかった」と話す。

学校便りの配信など保護者との連絡に用いたり、一部の学校で不登校の児童生徒向けに授業を中継したりするなど積極的に活用している。コロナ禍による昨年の一斉休校では「学びの保障」が課題に。文科省は「一人一台」の配備完了時期を二〇二三年度から二〇年度に前倒し。自宅への持ち帰りも促す。

名古屋と金沢、富山の三市も本年度中の持ち帰りを「認める」と回答。富山市では既に持ち帰りを進めている学校も。名古屋市教委の担当者は「学びの継続性を考えると持ち帰りは必要」と説明する。ただ、配備が慌ただしく進んだこともあり、自治体によっては一部の学校で「持ち帰り」を試行し、効果的な活用法を検討したり、課題を見定めたりする場合も。津市は本年度に全七十校のうち四校で試行。その結果を基に来年度以降の全体の対応を決める。

同市教委の担当者は「地域や学校ごとに状況が異なり、一斉に導入するのは難しい。小一から中三まで学年の幅も広く、どんな課題が出てくるか予想できない」と漏らす。
一方、「コロナによる休校など有事以外は認めない」とするのは福井市。市教委の担当者は「(破損時の)保険や家庭の通信環境の確保などで費用負担が大きい」と説明。「効果も十分検証されておらず、紙を用いた学習を続けながら、周りの状況を注視したい」とした。

通信環境確保に四苦八苦
「持ち帰り」では家庭の通信環境の確保が欠かせない。ネットを活用した調べ学習をしたり、休校時などに学校と家庭をつなぐ「オンライン授業」に取り組んだりするためだ。
GIGAスクール構想で配る端末は、通信回線の契約付きか否かの二種類。十市のうち唯一、「通信契約付き」にした岐阜市では、家庭の通信環境に関係なくネットに接続できる。残り九市の端末は、家庭で通信環境が整っていないとネットに接続できない。

名古屋市と津市、金沢市など五市は通信環境がない家庭に、ネット接続に必要な機器「モバイルルーター」を貸し出して対応する。機器を整えても、ネットにつなぐ通信費を誰が負担するかも各市の悩みどころ。使う頻度にもよるが、一人分は少額でも、全児童生徒分だと額が膨らむからだ。

全ての児童生徒分を市が全額負担する岐阜市や「検討中」の市を除き、各市は家庭負担が基本。その上で、名古屋市や津市などのように生活保護受給世帯などを対象に全額または一部を補助するケースが多い。

補助以外の方法も模索されている。長野市教委の担当者は「通信環境のある学校や公共施設を開放し、家庭の負担を減らす方向で検討したい」、浜松市教委の担当者は「市で負担するのは予算的に厳しく、休校時などに通信環境がない家庭の児童生徒は学校に来てもらう形も検討する」と話している。

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<学校ICT時代端末持ち帰り調査>(下)高校編配備済みの岐阜と福井は可生徒の個人所有方式も

2021年5月27日 【中日新聞】

国の「GIGA(ギガ)スクール構想」の一環で、県立高校でも生徒に学習端末の配備が行われている。中部九県の教育委員会に端末の自宅への持ち帰り状況を聞くと、認めているのは「一人一台」が完了した岐阜県と福井県のみ。そもそも全児童生徒の端末代を国が負担する小中学校と異なり、高校では国の負担は一部にとどまるため、配備状況に差が生まれている。(白井春菜、杉浦正至、福沢英里)

高校生の端末について、国は三クラスに一クラス程度分は配備できるよう負担。新型コロナウイルス関連の交付金なども使って「一人一台」を目指すよう求めている。小中学校で一人一台で学んだ生徒が、高校でも同じ環境で学べるようにするためだ。

交付金も投入して一人一台を達成した岐阜県。大垣市の大垣北高校は公費端末を生徒が家に持ち帰り、手書き入力ができる学習支援アプリで宿題をこなす。以前は宿題に使ったノートを授業開始後に教員が見て回ったり、授業後に集めてチェックして返却したり時間を要した。今では教員が授業前に自分の端末から各生徒の宿題の状況を確認でき、授業時間を有効に使える。

同県教委ICT教育推進室の室長は「コロナ禍や台風による臨時休校など有事への備えにもなる」と強調。推進室職員、ICT担当の教頭と指導主事の計十数人が県立校八十三校を手分けして回り、教員らの活用を後押し。画面のひび割れなどの破損は、故意でない限り県教委加入の保険でカバーする。

福井県も同様に一人一台を達成して持ち帰りを認める。担当者は「家庭学習に使い、休校しても学びの継続性を確保するため」と話す。学校の課題に取り組むなど授業と連動した活用を想定している。

富山県の端末配備は今年の夏ごろに完了する見込み。持ち帰りを認める予定だが、時期は各校が実情に応じて判断する。担当者は「オンライン授業や課題の提出など学校教育に限らず、教育目的なら資格取得に向けた勉強なども認めていく」と述べた。
一人一台の体制になっていない静岡、石川両県は、持ち帰りの方針について「未定」と答えた。

一方、生徒が個人所有の端末を持ち運び、学習に使う「BringYourOwnDevice(BYOD)」方式を採用する県も。大半の生徒が保護者負担で端末を用意し、それが難しい家庭には公費端末を貸し出す。

長野県は二一年度にタブレットかスマートフォンでBYOD方式に。公費で配備した端末は持ち帰りを認める方向で検討中だ。二一年度中に全生徒の三分の一強に国費端末が行き渡る予定の愛知県は現時点で認めていない。ただ、担当者は「端末の紛失や損傷時の補償、弁償の枠組みなど、さまざまな課題が解決できれば二一年度中にも認めたい」と話す。

通信費 多くは自己負担ルール作り課題
家庭の通信環境の確保はどうか。環境が整わない家庭向けに、多くの県でネット接続に必要な機器「モバイルルーター」などを貸し出す用意がある。通信料は県費で負担する岐阜県を除き、多くが自己負担。富山県は「今後の検討」とした。
家庭の状況に応じて、国の「高校生等奨学給付金」を案内する県も。通信料相当として年一万二千円が補助される制度だ。それでも足りない場合、福井県は低所得世帯向けに補助を上乗せしている。

スマホの所有率が高い高校生でも、端末依存やネットトラブルの懸念はある。岐阜県はフィルタリングソフトを入れて、会員制交流サイト(SNS)やゲームサイトにつながらない設定にしている。三重県の担当者は「情報モラルはこれからの社会を生きる世代に必要な基本スキル」と教育の必要性を強調する。
持ち帰り時のルールについて愛知、福井両県は学校の実情に応じて決めてもらう。富山県は、県教委で作ったひな型を各校に周知した上で、ルール作りを各校に委ねる。

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記事を読んでいて、この期に及んでもGIGAスクール構想での各生徒にPC一台配備の意味が理解できてない役人がいることが、明らかになった感じです。これは前回も掲載(「校長がブレーキになってはいけない」 文科相 02/20)しましたが、危惧した通り自治体によって相当違う対応になっています。

特に福井県は福井市教委と、福井県教委で真逆の対応となっているのが驚きです。小中では金がないから家庭に持ち帰らせないとし、高校は県が買い与えてでも家庭学習を推進する対応です。つまり県全体としてGIGAスクール構想をたたき台にしたICT教育の統一的な構想がないので、同じ県下でも方針が違うのでしょう。京都府と京都市も似ていますが、京都市は府と同じくらいの財政権限を持つ政令市ですので比較対象にはなりにくいです。

京都府や地元の自治体は、家庭持ち帰りや家庭の回線環境についてまだ統一的な見解を発表していませんが、この記事にあるような否定的な見解を持つ学校関係者も少なくありません。いったいいつになったら、子どもたちは家庭でルールに沿って自由に端末で学習ができるのでしょう。岐阜県のように持ち帰りを前提にセルラー機器(民間回線接続)を購入している自治体もあるのですから、 ひとえにICT教育担当の役人にかかっていると言っても過言ではないと思います。以下は東京渋谷区の子ども用の持ち帰りルール例です。かなり決まりが多いですが、それでも子どもを信じて持ち帰らせようと言う関係者の気持ちに共感できます。政府の施策なのに住んでるところでこれほど運用に差があっては、公教育の名折れだと思います。

裏面あり画像クリックでPDFが読めます

子どもへの診断告知

子どもに自分の障害について早い時期から告知していくことは必要なことだと言われています。ただ、診断名だけを告知しても、障害受容はできません。近視を説明するのに近視だというだけでなくメガネやコンタクトを装着させることで、なるほどと思わせるような支援の有効性とセットで教える必要があります。告知は子どもに諦めさせたり大人に従わせたりするためではありません。それでは診断名を否定的なものと考えてしまいます。診断名を知っても苦手なものは苦手です。子どもの苦手な理由を聞いて支援策を考えることが大事です。困難な状況であっても具体的支援で乗り越えるしかないのです。告知で何とかなるという発想は、治療方針を示さず当事者が聞いたこともない病名を告げて患者が安心すると言っているのと同じことです。「ADHDだから気をつけろ」とだけの注意は具体的な助言ではありません。これは「多動で不注意だから注意しろ」と言っているのに過ぎません。どうすれば集中できるのか、失敗をどうリカバリするのかを具体的に教える必要があるのです。

A病院では自閉傾向、BセンターではLD。C心理士はADHDと、結局のところよく分からないままでは、子どもに伝えようがありません。診断や評価は支援のためにあります。逆に言えば支援に結びつかない診断や評価は価値の低いものでレッテル貼りです。支援内容が具体的に出てこない診断名だけの診断・評価では、やればできると子どもに思わせるのは無理です。最初に、得手・不得手とその理由(見方・考え方のクセ)を具体的に見きわめます。子どもの見方・考え方のクセは、親にはあまりにも身近すぎて見えにくいです。子どもの考え方のクセを教えてほしいと事前にはっきりと伝えて、医療機関・療育機関・教育機関での評価を利用してみましょう。

子どもへの告知(医学心理学教育)の最も重要な部分は診断名を伝えなくてもできます。特性に合わせた具体的支援から始めるのです。親の判断はLDだったけれど医学診断は軽度精神遅滞だった、親の判断はADHDだったけれど医学診断は自閉症だった、ということは良くあります。子どもに診断名を伝えた後で修正の必要が生じると親子ともども混乱します。診断名を子どもに伝えるのは熟練した専門家の判断を受けてから行います。

赤ちゃんは、誰に強制されたわけでもないのに毎日努力を続けて這い立ち歩行へと進んでいきます。子どもというのは、本来、誰に言われなくても前へ進んでいきます。大人が邪魔し続けて、前に進むことへの希望を奪わなければ前へ進むのです。子どもが診断名を言い訳のように使うとしたら、その子は言い訳をする以外に自分の心を守る方法を手に入れていないのかもしれません。子どもにも達成可能な、人からも歓迎される具体的な方法を教えてあげてください。子どもの意欲を引き出すのは説得ではなく達成感です。

ASDやADHDは病気ではありませんから、治す必要はありません。でもそのために不都合が生じないための工夫や努力は大切です。でも最も大事なことは、子どもたちに何かの技術を教えるのは、子どもたちのやり方は間違いだから正しいやり方を教えるのではないということです。ASDが人口の99%を占める世界があったなら、研修の参加者が「187名が主催者発表でした」ではなく「まぁ200くらい?」なんて平然と表現する曖昧さや、「会話は、興味なくても相手に注目して、キャッチボールのように話す」という変なこだわりは、きっとASDの皆さんにあきれられてしまうでしょう。私たちの教えているのは「多数派のやり方」です。ASDの皆さんの感じ方も一つの真実だけど、みんなの暮らしやすさのために多数派のやり方に合わせるワザを使って欲しいということです。この続きは明日。

緊急事態宣言 京都大阪兵庫解除

 緊急事態宣言 北海道は継続へ
05月21日 11時56分【NHK】


緊急事態宣言の解除をめぐり、政府が専門家に意見を聴く「諮問委員会」が開かれ、大阪など関西2府1県で解除するとした政府の方針は妥当だとする見解が示されました。東京など首都圏の1都3県と北海道は宣言が継続されることになります。
新型コロナウイルス対策の特別措置法に基づく緊急事態宣言の解除を前に、政府が感染症の専門家などに意見を聴く「諮問委員会」が午前10時ごろから開かれました。
冒頭、西村経済再生担当大臣は「8都道府県のうち京都府、大阪府、兵庫県では直近1週間の新規感染者の報告数が10万人あたり0.5人程度以下となり、医療提供体制や監視体制も十分と認められることなどを総合的に勘案し、宣言を解除することが妥当と判断される」と述べ、関西2府1県で宣言を解除する方針を諮問しました。
このあと西村大臣は記者団に対し、関西2府1県で解除するとした政府の方針は妥当だとする見解が示されたことを明らかにしました。
東京など首都圏の1都3県と北海道は宣言が継続されることになります。
これを受けて政府は午後、衆参両院の議院運営委員会での報告と質疑を経て、21日夜に開く対策本部で正式に決定することにしています。
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あちこちの放デイでは「もう限界」と言う声が聞こえていたので、やれやれというところです。おそらく冬までは第2次宣言はないと思いますが、放デイのマンパワーがかなり疲弊して、ボロボロになっているのは間違いないです。

みんなと違う子だから発達障害?

『みんなと違う子だから発達障害』という考え方はなぜ危険なのか

5/27(木) 12:31【婦人公論】

個性の強さから学校で問題児扱いされるような子どもたちを集め、彼らに自由な発想と学びの場を提供することを目指した教育が、東京大学にて行われています。ディレクターを務める中邑賢龍教授が「みんなと違う子だから治療する、という考え方は危険すぎる」と警告する理由とは?

※本稿は、中邑賢龍『どの子も違う――才能を伸ばす子育て 潰す子育て』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。

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◆たくさん届く相談メールを前にして

毎日、さまざまな人から子育てについての相談メールが私のところに届きます。
自分の気に入らないことには感情を剥き出しにして抵抗する子、苦手なことに関して心を閉ざし、貝のようになってしまう子など、少し読んだだけで、見守る家族のご心労がひしひしと伝わってきます。

ここで見方を変えてみましょう。私からすれば、それらの子どもたちは、みな人間らしいとも言えます。親の苦悩を感じつつも、実際、その行動のユニークさや豊かさには、思わず頬が緩むこともしばしば。

しかし、だからといって、現状の学校や社会は必ずしもそんな彼らに優しいわけではなく、「集団に馴染めない=困ったこと」と一元的に捉え、彼らに特別な教育や指導を受けるように求めています。

実際、それが機能する子どももいるでしょう。しかし、その教育や指導に苦しみ、闘う子も少なからず存在します。

なぜ、子どものことをしっかり考えているはずの学校や社会が、結果として彼らにとっての《壁》になってしまうのでしょうか? 以下いくつかの事例を紹介しながら、彼らの行動の本質について考えてみたいと思います。

◆なぜ小学4年生はカーテンの中で授業を受けたがったのか
子どもが大人の常識とかけ離れた行動をとると、ほとんどの親は驚き、「信じられない! 何でこんなことするの! 早くやめなさい!」などと声を荒らげます。その行動の裏に、実は子どもなりの事情があるにもかかわらず、大人はそれを理解しようとする前に、まず声を出してしまう。

たとえば私の知る例として、カーテンの中に入って授業を受けようとする小学校4年生のA君がいました。

先生は「椅子に座って授業を聞きなさい」と怒るのですが、彼はカーテンから出ようとしません。先生が怒れば怒るほど、クラスの子どもたちの目も「勝手なことをする変わった子だ」というものになっていきます。

そこでA君に「なぜ授業中にカーテンに入りたがるの?」とお母さんがたずねたそうです。すると彼は、「カーテンに入っていたら、ノートを取らなくていいから」「そうしたら聞くことに集中できて、授業がよく理解できるようになる」「授業が分かると楽しい」と話したそうです。

◆「ルールを外れたから悪い」を改めよ
いったい、誰がこんな答えを想像したでしょうか? 子どもが机から離れてカーテンに入っている、と聞けば「授業を受けずにサボっている」と感じる親がほとんどでしょう。だからこそ、「椅子に座って授業を受けなさい」とたしなめると思います。

しかしA君の場合は、自分に一番合った学び方を自分で発見していたのです。
背景を知れば、カーテンに入ることは批判される行為ではなく、褒められるべき行為だったと私は思います。しかし日本の多くの学校においては、「授業は椅子に座って正しい姿勢で受ける」というルールが存在します。

つまり、彼がいかにカーテンの効用を説明したとしても、その理由や事情を理解していない先生にとって、この行為は単にルール違反となってしまう。

大切なのは「ルールを外れたから悪い」と一律に判断するのでなく、まずはその背景を探ってみること。彼らのユニークな行為の背景には、個々の子どもの有する性格や、認知の特性が影響していることが多々あるのです。

◆理解できない行動をとる可能性もある
これまでの日本では、そういった「違う」子を区別してきました。しかしそれでは進展がありません。「彼は『違う』子だから治療する」「ほかの集団に移す」といった発想にしかならないわけです。

自らの経験や知識に乏しい人が、A君の行為を受け入れることは容易ではないでしょう。
一方、最初から自分とは「違う」認知特性や、性格特性を有する人がいるのが当たり前で、理解できない行動をとる可能性がある、という事実を理解しておけば、次に出会ったA君のような子どもにも、温かく接することができるようになるはずです。

◆発達障害と診断される子どもがなぜ増えているのか
最近では自分の子どもが発達障害の診断を受けた、と相談される機会が増えています。国が積極的に発達障害支援を進めているという影響もあるのかもしれません。

なお私自身の考えを記せば、単にユニークなだけの子どもまでが発達障害の診断を受け、治療を受ける機会が増えているようにも感じており、そうした流れには危機意識を持っています。

もちろん社会に適応できず、子ども本人が困っているケースもあるでしょう。しかし、多くの場合は本人ではなく先生や親が困っているだけ、というのが現実です。子どもが一人で好きにしている分には何も問題ない。なのに、集団に適応するために治療が行われている、というのが実態ではないでしょうか。

◆集団に適応すべく投薬治療や訓練を受ける子どもたち
幼稚園や小学校のような一斉指導の場で、勝手な行動は認められません。事故が起こるのを防ぐ、また、他児の学びの妨害とならないため、結果として立ち歩きや発声、攻撃行動などを持つ子どもは、投薬治療やソーシャル・スキル訓練(SST: Social Skills Training)を受けるのが一般的になりつつあります。

しかし大人の立場として困る特性の多くは、実は子どもの持つユニークな個性であり、才能でもある。
私のまわりにいる研究者を見ていると、空気を読まない、集中力がすごい、こだわりが強い、思考が面白いほど拡散している、といった人たちばかりです。そしてその特性があるからこそ、ユニークな研究ができているわけです。もちろん、周囲が支えてくれる環境があるのが前提とはなりますが。

◆彼らを修正するのではなく環境を調整しよう
少し前なら、個性の強い子も、ある程度まで集団の中で許容される雰囲気がありました。
しかし、今の社会では基本的に「人と違う」行動は許されず、子どもたちも相当なストレスを感じているはずです。個性の強い子は、果たして本当に治療されなければならないのでしょうか。

このまま早期から子どもの治療を続けていく時代が続くと、おそらく個性が乏しくなる分、画期的なイノベーションが起こりにくい社会になる気がしてなりません。
ユニークな子どもたち、その全てを障害と認定し、性急に治療する、という考えはとても危うい。むしろもう少し、ゆるやかに支えていくことが重要です。

彼ら自身を修正するのでなく、環境の方を許容できるものに調整できれば、個性を伸ばしながら、成長することは十分可能なのです。

中邑賢龍

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中邑先生の主張に同意します。ただ、こういう主張を誤解して取り上げ、だから服薬も支援も必要なく昔のようにおおらかに構えていればいいのだというほったらかしの自然放置論は百害あって一利なしです。かつての民主党の「コンクリートから人へ」のスローガンに似ています。ダムは自然破壊だと主張してステレオタイプに全国の治水工事をストップした結果、大洪水の被災が毎年起こっています。なんでもかんでも同等に扱うと被害が大きくなる例はいくらでもあります。

中邑先生は東大で「異才発掘プロジェクト」を主催し、多くのユニークな子どもと触れ合っていますから彼らの事が良くわかるのだと思います。放デイで働く私たちも行動や学習不振の問題から支援学級に入級し才能を埋もれさせている子どもに出会う事があります。子どもの特性に大人が気づかず、やってもやっても分からない勉強を繰り返す事で学習性無力感に苛まれている子もいます。ある子は教室を飛び出し、ある子は教師に悪態をつき、仲間からは異端としていじめを受ける元々の原因は、特性に応じた大人の手立てが遅れたためです。

初期の段階で少し支援すれば、少し服薬すればこんなに傷つかずに済んだだろうと思うケースの方が多いのです。中邑先生のメッセージを読んで我が意を得たりと特別なニーズ支援を否定する輩がいそうで危惧します。大事なのは早期発見と早期支援です。もちろん、周囲の大人や集団が本人を受け止める度量を広くするのは大前提ですが、何もしないのはダンピングといって安上がりの教育施策に理由を与えてしまいます。アメリカのブッシュ政権の時期にインクルーシブ教育が大事だと言う建前で多くの発達障害児が通常学級に放置され大失敗をしました。個性の尊重と支援・治療は本来対立するものではありません。本人をしっかり見ないで、機械的でステレオタイプな支援が優れた能力まで摘み取ってしまうと言う警告だと受け止めたいと思います。

その2:特性は長所でもある

支援者が子どもに伝えるべき事柄は個々の具体的な困難への対処方法です。それは子どもが実践可能で、効果的でなくてはなりません。手助けと自分の工夫で、毎日の暮らしが安定する!嫌なこと・困ることも、やりようで変えていける!こうした経験を子どもにもたせてから告知は始まります。自閉症の特性は不都合の原因となる場合も多いものですが、人間としての長所でもあります。興味が偏る裏返しは、好きなものには集中でき探究心も高いところが長所です。自分の特性は長所でもあると告知の前に伝えて置くべきことです。叱られてばかりの暮らしの中で取ってつけたように誉められても子どもはそれを信じられません。「自分の特性は長所でもある」という認識は「やりようはある」という実感と不即不離のものです。

やりようはあるという実感・長所でもあるという実感を、毎日の生活の中で、個々の具体的事柄に関して積み重ねていくこの第一段階が、子どもへの告知の基盤です。これを子どもに充分に経験させるには支援者に技術力が必要です。この段階では診断名の告知は必要ではありません。この具体的対応を教える段階を充分に経験しているか否かが、告知が支援となるか、意味のない宣告となるかの分かれ目です。

親だからわが子に合った育児ができるなんて絶対にありません。子どもが自分の良さを発揮するために特別な工夫を必要としているように、特別な工夫を必要とする子どもを育てる親にも特別な工夫が必要です。子どもがその工夫のために支援者を必要としているように、親もまた支援者を必要としています。自閉症協会や親の会、保健所や発達障害支援センター、或いは発達障害の知見に詳しい地域の福祉事業所にも連絡を取ってみることをお勧めします。学校にも相談部門がありますから聞いてみましょう。ただし、担当者によって腕が違うのは病院やいろんな技術職と同じで、ある意味当たり前のことです。親同士の情報も参考にしましょう。この続きは明日。

将棋道

将棋は、藤井聡太四段のように身近な家族から教わることが最初の第1歩です。しかし、最初から8種類20枚の駒(コマ)を使って将棋をすることは難しいものです。そこで段階を踏んで将棋に興味をもってもらい、強くなるための本格的な指導は将棋教室等強い人に教えてもらいます。
将棋には、大人でも難しいと感じる「漢字」がたくさん書かれています。そのため「苦手意識」を持ってしまう子供も多数います。実は将棋には様々な遊び方があります。「遊び」を通じて、将棋の駒への抵抗感を下げていきます。

◎まわり将棋
将棋盤と駒をつかった2人対戦の「すごろく」ゲームです。お互いに「歩」1枚を将棋盤の「隅」(対角線状)に置きます。4枚の「金」をさいころのように振って、出た目を合計した数だけマスを移動します。
裏 ⇒ 0マス
表 ⇒ 1マス進む
横向き ⇒ 5マス進む
上向き ⇒ 10マス進む
下向き ⇒ 20マス進む
マスは将棋盤の端を時計回りに移動します。コマが将棋盤を1週するか。「隅」に止まると大きなコマに変ります。
歩 ⇒ 香 ⇒ 桂 ⇒ 銀 ⇒ 角 ⇒ 飛車 ⇒ 王将
早く王将になった人が勝ちです。自然に「駒」の格(強さ)を学ぶことができます。

◎将棋崩し
2~4名で対戦するゲームです。将棋の四角い箱に、全ての駒を入れた状態で将棋盤にひっくり返して「山」を作ります。指1本だけを使って、音を立てないようにコマを将棋盤の外に出します。出したコマは自分のものになります。もし、「カタッ」と音が鳴ってしまったらその瞬間に、次の人に交代します。山がすべてなくなり、最後に持っているコマの数が一番多い人が勝ちです。

◎はさみ将棋
2名で対戦するゲームです。それぞれ9枚の「歩」を将棋盤の端に並べます。「歩」は左右上下のいずれかに動かすことができます。交互に1つずつ「歩」を動かし、相手の「歩」を自分の2つの「歩」で挟み込むと相手の「歩」を取ることができます。1つだけはなく、隣同士で並んでいる「歩」の両端を挟めば、2個以上とることが可能です。相手の「歩」を全てとったほうが勝ちです。

◎スタディ将棋で駒の動かし方を覚える
本将棋をはじめる子供は、「くもん出版」から販売されている「スタディ将棋」を使うことが多くなっています。動かせる方向が描かれているため、わざわざ動かし方を覚えなくても将棋を楽しむことができるからです。実は、話題の藤井四段も子供のころに使用していました。藤井四段への注目度があがるにつれて、「スタディ将棋」も人気となっているため、現在は品薄状態になっています。

将棋はゲームのひとつであるため、将棋を一生懸命頑張ったからと言って学校の成績がよくなるわけではありません。しかし、将棋を楽しむことによる副次的なメリットがいくつもあります。
1.礼儀・マナーをおぼえる
将棋教室に参加すると、同世代はもちろん、年上のお兄さんから年配のおじいちゃんまで幅広い年代の人と対局をすることになります。将棋も日本の古い武道とおなじく「礼」に始まり「礼」に終ることを重んじているため、しっかりとした礼儀作法を身に着けることができます。
2.地道な努力の大切さを学べる
将棋で強くなるためには、無数にある局面において、どのように指した方が有利かと言う「記憶」が極めて重要です。したがって、過去の棋譜を地道に覚えるという作業が必須になります。将棋以外の分野でも良い成績を収めるために努力が必要と言うことが理解できます。
3.達成感を得ることができる
一生懸命努力をして、今まで勝てなかった相手に勝てた時の喜びはとても得難いものです。その喜びを知っているからこそ、日々の地道な努力を続けることができるのです。将棋の世界は細かく「級」にわかれており、自分がどんどん強くなっているという実感が持ちやすく、特にやり始めの時は達成感を得やすい習い事です。