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愛知県で初めて開校へ 知的障害と肢体不自由どちらも受け入れる特別支援学校 西尾市

愛知県で初めて開校へ 知的障害と肢体不自由どちらも受け入れる特別支援学校 西尾市

3/29(火) 【CBCテレビ】

知的障害者と体の不自由な子ども、どちらも受け入れる特別支援学校が、愛知県で初めて開校します。

愛知県西尾市の「愛知県立にしお特別支援学校」は、県内初となる、知的障害と肢体不自由、どちらの児童・生徒にも対応する特別支援学校です。

4月1日の開校を前に29日、内覧会が開かれ、愛知県の大村知事や関係者ら約30人が真新しい施設を見学しました。

校舎には愛知県産のヒノキやスギが使われ、壁には西尾市の名産品などの楽しいイラストも描かれています。

また、全ての児童・生徒が交流するための施設「ふれあいホール」も備えています。

(にしお特別支援学校 神本聡・校長)
「(障害の異なる児童・生徒が)授業や行事の交流を通して、お互いを理解しあうこと。すべての教職員がどの子に対しても、適切な指導を行えること(が“この学校”の意義)」

これまで安城市の特別支援学校は教室不足が、岡崎市の学校は長距離通学者が多いことが課題でしたが、今回の開校で、これらの解消にもつながると期待されています。

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京都の人たちにしてみれば、知・肢の総合は当たり前のことです。京都府は縦長に広く、肢体不自由校と知的障害校を分けるとそれぞれの校区が広すぎて通学に支障が大きいので、1979年の養護学校義務制頃から事実上総合化していました(正確には知的障害だけの桃山養護学校を閉じた2011年から)。京都市は総合養護学校と名称変更した2004年から知・肢総合となっています。

今頃、愛知で珍しそうに報道されてもなんだかなぁとも思います。愛知でも決して地の利の良い支援学校ばかりではないはずなのに、新設学校を作るまで事実上放置されていたという事です。今後既存の支援学校が総合化される可能性は報道されてないのでそのままだということです。ただ、知的障害と肢体障害の学校を分けるのが全国的には標準です。お隣の大阪府も兵庫県も滋賀県も別々です。その結果、長時間通学の問題や医療的ケアを必要とする子どもの課題が肢体不自由学校に集中します。

障害種で学校を分けるメリットは、身体の障害の重い子がゆったり過ごせたり、職員が専門的知識を獲得しやすいという面があります。ただ、知的障害学校のASD児対応などを見ていると専門的支援を御存知ないように見える教員もいて、学校を分けたことが専門性の担保にはならない気もします。

さらに通学時間は身体に障害のある人が不公平と言えるほどの通学時間をかけて登校しています。このことについて自治体はもっと考えるべきです。できれば、通常学校に専門性の高い教員が来て特別支援教育を実現し、皆が同じ学校で学ぶのが理想なのです。ですから、通学時間は長いし専門性も人それぞれでは困るのです。テレビ局は官制発表を右から左に流すような報道ではなく、こういう課題にも焦点を当てて取材し放送してほしいと思います。

 

【第94回アカデミー賞】作品賞は「コーダ あいのうた」 聴覚障害を抱える家族を支える少女を力強く描く

【第94回アカデミー賞】作品賞は「コーダ あいのうた」 聴覚障害を抱える家族を支える少女を力強く描く

3/28(月) 【映画.com】

第94回アカデミー賞授賞式が3月27日(現地時間)、米ロサンゼルスで開催され、シアン・ヘダー監督作「コーダ あいのうた」が作品賞に輝いた。Apple TV+によるオリジナル作品で、動画配信系の作品初の受賞作。男性のろう者の俳優でトロイ・コッツァーが初めて助演男優賞を受賞した。

【感動の瞬間】男性のろう者の俳優で初 助演男優賞を受賞したトロイ・コッツァー

2014年製作のフランス映画「エール!」のリメイク作で、家族の中でただ1人の健聴者である少女の勇気が、家族やさまざまな問題を力に変えていく姿を描いたヒューマンドラマ。テレビシリーズ「ロック&キー」などで注目の集まるエミリア・ジョーンズが主人公ルビー役を演じ、「愛は静けさの中に」のオスカー女優マーリー・マトリンら、実際に聴覚障害を持つ俳優たちがルビーの家族を演じた。

かつて「キャバレー」(73)で主演女優賞を獲得している大女優ライザ・ミネリから作品賞タイトルが読み上げられると、キャストと製作陣は会場の観客から拍手を表現する手話で祝福された。

助演男優賞を受賞したトロイ・コッツァーらキャスト陣、手話通訳者とともに壇上に上がったプロデューサーのフィリップ・ルスレは「歴史を刻むことができました。候補となった他の作品も素晴らしいものでした。初日からキャストとクルーは大変でした。大きな問題が山積みでしたが、船は浮かび続けました。素晴らしい船長、素晴らしいプロデューサー、そしてキャスト。皆が愛する家族をスクリーンに作り上げてくれました」と、各方面への感謝の言葉と共に、数々の困難を乗り越え手にした栄冠に万感の思いを述べた。

海の町でやさしい両親と兄と暮らす高校生のルビー。彼女は家族の中で1人だけ耳が聞こえることから、家族の耳となり、家業も手伝っていた。新学期、合唱クラブに入部したルビーの歌の才能に気づいた顧問の先生は、都会の名門音楽大学の受験を強く勧めるが、 ルビーの歌声が聞こえない両親は娘の才能を信じられず、家業の方が大事だと大反対する……。今回、第94回米アカデミー賞で作品賞、助演男優賞、脚色賞の3部門にノミネート。ルビーの父親フランク役を務めたトロイ・コッツァーは、男性のろう者の俳優で初めてオスカー候補になった。

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やっぱりアメリカ映画は直球勝負が最高です。前回、ドライブ・マイ・カー アカデミー賞4部門ノミネート: 03/08を掲載した後、最有力候補の「パワー・オブ・ザ・ドッグ」と「ベルファスト」を観ましたが、今一つしっくりこない感があって、アカデミー賞発表の直前に第3候補の「コーダ あいのうた」を観に行きました。前回、「ドライブ・マイ・カー」のパク・ユリムの手話の語りが美しく温かいと書きましたが、今回の「コーダ あいのうた」の手話は力強く情熱的で、何よりカッコいいのです。アカデミー作品賞の受賞はとても納得のいくものでした。

役者本人も聴覚障害者である父役トロイ・コッツァーと家族で唯一の聴者である娘役エミリア・ジョーンズのハイライトシーンは障害を超越した親子愛を深く深く映し出します。いわゆるヤングケアラーの彼女は、ろう者漁師の漁業無線通訳者として家族のために午前3時から働いています。この家族から離れることはできないと、バークリー音楽大学への進路を諦めかけます。が、星空の下でのハイライトシーンで、父の思いの全てを受けとめた彼女は巣立ちを決意します。クライマックスは、試験会場に忍び込んできた家族に彼女は手話をつけて歌い出します。曲は「青春の光と影」(原題: Both Sides, Now)。ジョニ・ミッチェルが作詞作曲した大ヒット曲です。

この力強く情熱的な手話と歌がスクリーンから観客に直球で届く感覚は映画を観た人しかわからないものだと思います。「ドライブ・マイ・カー」の国際長編映画賞は嬉しいものでしたが、その感動をはるかに凌いだのが「コーダ あいのうた」の鑑賞後の気持ちでした。アメリカ映画は真っ直ぐなのがいいと久々に感じた映画でした。メディアは聴覚障害者の俳優を交えたダイバーシティな撮影経緯の素晴らしさを報じていますが、何よりも娘役エミリア・ジョーンズの歌声を聴いてほしいと思います。ちょっと日本映画では太刀打ちできないなぁと、ハリウッドの底力を見せつけられました。

 

NIPT 新出生前診断を全ての妊婦に知らせる新指針への不安 差別や排除が助長されないか

NIPT 新出生前診断を全ての妊婦に知らせる新指針への不安 差別や排除が助長されないか 細川暁子

2022年3月24日 【東京新聞】

NIPTは今 新出生前診断を考える(3)

陽性確定の9割が中絶を選んでいた
新出生前診断(NIPT=Noninvasive prenatal genetic testing)を受けた妊婦のうち、陽性が確定した人の9割が中絶―。日本医学会が認定した、検査の実施施設でつくるNIPTコンソーシアムが行った調査は、厳しい現実を浮き彫りにした。

NIPTは、妊婦の血液から、ダウン症など胎児の疾患の可能性を推定する検査だ。調査によると、2013年4月~2021年3月に検査を受けた10万1218人のうち、陽性だったのは1827人。羊水検査などで陽性が確定したのは1397人で、そのうち1261人が中絶を選んでいた。

「安易に受けていい検査ではない」
障害がある子どもを育てる親たちの思いは複雑だ。

ダウン症の息子(5つ)がいる名古屋市内の女性(35)は「検査を受ける人の気持ちは理解できる」と言う。生まれてすぐにダウン症と分かった息子には心臓の疾患があり、生後3カ月で手術をした。

「もし2人目も障害があったら、上の子の世話ができない」。現在、生後11カ月の次男の妊娠が分かった際、女性はうれしさとともに、大きな不安に襲われた。そこで、認定施設でNIPTを受けた。

結果が出るまでには約2週間かかる。その間も、おなかに宿った命は育っていく。陽性ならどうするか。胸がつぶれそうだった。わずか10ミリリットルの血液を腕から採取すれば終わるNIPT。認定施設だけでも年間約1万5000人に実施されているが「私と家族の心の負担は重かった。安易に受けていい検査ではない」と声を絞りだした。

「検査しなかったの?」に傷ついて
「娘さん、妊娠中に検査しなかったの?」。あるとき、名古屋市内の女性(44)の母親に、知人が問いかけたという。小学3年になる女性の長男(9つ)はダウン症だ。そのやりとりを母親から聞いた際は傷ついた。まるで長男の存在を否定されたように思えた。

これまでNIPTの経験はない。第2子となる長女(4つ)を妊娠したときも受けなかった。「もうダウン症の子がいるんだから、育て方は分かっている」と夫は言った。「どんな子でも育てよう」と二人で決めた。

「事情は一人一人違うし、NIPTを受ける、受けないに正解はない」。ただ、これだけは思う。「障害がある本人や家族が『肩身が狭い』と感じる世の中にしてはいけない」

障害児への支援とセットでなければ
NIPTについて、国や日本産科婦人科学会(日産婦)はこれまで、妊婦には積極的に知らせない姿勢を取ってきた。しかし、国も関わった日本医学会の運営委員会が2月に示した新指針では、母子手帳を配布する際、チラシで全ての妊婦に知らせる方針が示された。正確な情報を提供し、日産婦の指針を守らない無認定施設に妊婦が流れないようにするのが目的という。

一方で無認定施設への罰則はなく、新指針はむしろ検査を促進するとの見方も強い。「全妊婦に知らせる方向にかじを切ったことで、命の選別にもつながる検査に強い『お墨付き』が与えられた印象がある」。そう話すのは生命倫理を専門とする北里大の斎藤有紀子准教授(59)だ。その上で「障害や病気がある人への差別や排除が助長されるのではないか」と危惧する。

「NIPTの広がりと、障害がある子どもを支える制度や情報提供の充実はセットでないといけない」と強調。「具体的にNIPTの何を妊婦に伝えるのか。国と医学会には開かれた議論が求められる」
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がん予防のために、ガンマーカーで血液検査をし、がんの種類を見つけ画像診断で場所を特定しごく小さながん細胞のうちに取り除くがん治療と、出生前検診を同じようには比較できないですが、命を守るか命を間引くかに決定的な違いがあります。もちろん、一昔前は弱い胎児は流産して自然淘汰されていました。それを人類の英知で弱い胎児の命でも守ることができるようになりました。しかし、その子が健康に育つかどうかは医療が進歩すればするほど高いリスクがあります。

この記事ではダウン症など遺伝疾患の胎児の早期発見についての考え方を取り上げています。確かにダウン症や一部の染色体異常にも知的障害が生じたり、寿命が短かったりすることがあります。しかし、知的に遅れているから、命が短いから不幸だと言うのは当事者の意見ではありません。大昔、貧しい家族の食い扶持を減らすとして、子捨てや子殺し、姥捨て山で老人を捨てるのと大して変わらない話だと思えてなりません。NIPTの結果が陽性で子どもが可愛そうだから堕胎するという最も大きな背景には、家族が今の時代を暮らすうえで子育ては負担が大きいと感じているからだと思います。

障害のある子がいても、経済的余裕と豊かな社会的支援があれば堕胎を選択する人たちは減ると思います。もちろん母体が危険にさらされるような事態が予め分かっているなら出産は避けるべきですが、染色体異常の陽性反応だけで堕胎を選ぶような行為は個人の問題ではなく、社会体制全体の問題として議論すべきです。将来は、DNA検査によってIQや生存年齢、がんの罹患率や痴ほう率まで分かるようになると言います。ならば、数値的に思わしくない人は子どもを持たない方がよいというところまで行きつくかも知れません。どこかで歯止めになる大きな議論が必要だと思います。

校庭に住民も出入り自由 神戸唯一「学校公園」変わる姿 子どもの安全考慮、境界にフェンス設置

校庭に住民も出入り自由 神戸唯一「学校公園」変わる姿 子どもの安全考慮、境界にフェンス設置

2022/3/24 【神戸新聞NEXT】

神戸市内で唯一、校内グラウンドと校外の公園との境に仕切りがなく、保護者や住民が自由に校内に立ち入ることができた成徳小学校(神戸市灘区備後町1)で、敷地の境にフェンスが設置され、学校の内外が区切られた。これまでグラウンドは「学校公園」の愛称で住民に開放され、早朝や放課後は近隣住民が自由に出入りしていた。文字通り、地域に開かれた学校を象徴した光景が姿を消した。

■走り回る児童の横で…

平日の昼休み、グラウンドを走り回る児童のすぐ横で、住民が成徳公園の清掃や花壇の水やりを行う。本来はグラウンドも住民がジョギングなどで自由に利用できるが、登校から下校までは立ち入らないというマナーが地域で浸透した。

しかし、校内にいる児童の安全を守るため、校内外の敷地を区切るフェンスが設けられた。今後は3カ所の扉を教職員が開閉し、授業時間中は閉めるが、放課後や休日は開け放ち、これまでと同様に地域に開放する。

■「人の輪がフェンスの代わり」     

成徳小は1995年8月に新校舎が完成した。教員らから「フェンスがなければ公園も含めてグラウンドが広くなり、子どもがたくさん遊べる」と意見があり、当初は予定されたフェンスを設置しなかった。

同校によると、阪神・淡路大震災直後は、市内で高倉台小(同市須磨区)、若宮小(同)も敷地を区切るフェンスがない小学校だったが、現在は成徳小だけが残っていたという。

これまでも、2001年に大阪教育大付属池田小学校の児童殺傷事件が起きた際などに防犯上の心配があったが、「人の輪がフェンスの代わりになる」として、住民の見守りで安全を支えてきた。しかし、衝動的に校外に飛び出してしまう児童などもいて、保護者と教職員の不安はぬぐえなかった。

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公園をめぐる問題はこれだけではないです。2019年、神戸祇園小学校の校庭の広さが児童数に見合っていなかったとして、市が近隣の公園を校庭として拡幅する工事を進めていたところ、公園を利用していた住民からの反発が記事になっていました。つまり統廃合で子どもが増えたからと公園を校庭にするのはけしからんという話です。開放は危険だと言ってはフェンスで仕切り、校庭が狭いからと言っては公園を潰しと、神戸だけではなく土地のない自治体は皆公営の空間問題で頭を悩ませています。

どこの自治体でも同じですが、高度経済成長期に住民が都市部やその周辺に移り住み、家屋を驚くべき速度で建てまくった結果、都市の区画整備などとても追いつかず、とにかくどんどん増える人口に対応して学校建設やごみ処理、上下水道の敷設で精いっぱいだったのが都市や衛星都市の実情です。ようやく都市の人口増加も一息つくと、今度は子どもの減少で学校の空き教室が目立ち始めて、統廃合して空いた学校跡地に文化施設や公園を作るフェイズに入ってきています。

そうなると、共有していた公園と校庭も少し余裕が出てくる中で、「何かあったらどうする」という「脅しと怯え」の中で、子どものいる空間はできるだけ区切るのが当たり前になってきます。近所のおばちやんおっちゃんと自然に交流する中で住民と子どもの双方が獲得する社会性より、何万分の1の学校襲撃の可能性の防御をフェンスに託します。

なんだかなぁと思いますが、校庭に花を植えに来た人たちも「何かあっても私たちでは何もできない」とフェンス仕切りを認めざるを得ません。襲撃の抑止には、個別の防備と集団的自衛の両方が効果的に働く時に抑止効果は高まるのですが、「何かあったら」の殺し文句には勝てません。

 

ロシア ウクライナ侵攻 子どもたちにどう教えるか 学校で模索

ロシア ウクライナ侵攻 子どもたちにどう教えるか 学校で模索

2022年3月22日 【NHK】

ロシアによるウクライナ侵攻が続く現状に、不安や疑問を抱く子どももいることから、学校現場でどう教えていくべきか、各地で模索が始まっています。

“意見を出し合う授業” 東京の小学校 
このうち、東京 日野市の日野第四小学校では、ウクライナ情勢に関する不安を抱え込まないよう、高学年を対象に意見を出し合う授業に取り組んでいます。

5年生の道徳の授業では、まず教員が、東京オリンピックで日野市はウクライナのホストタウンだったことや、地元企業の工場がロシアにあること、東日本大震災では両国から日本に支援があったことを紹介しました。

そのうえで、現状への思いや平和な社会に必要なことを話し合う時間が持たれ、児童からは「意見がぶつかっても戦争や暴力以外の方法がある」といった意見が出されていました。

男子児童は「子どもで力がないから助けられない。話し合いで解決すべきなのに戦争が起きてしまい悲しい」と話していたほか、別の男子児童は「交流のあるウクライナで多くの人が命を失っていて、自分のことのように思いました」と話していました。

閏井研司教諭は「認め合う大切さなど、日頃学んできたこととは逆の『戦争』が起きてしまい、子どもたちは漠然とした不安を感じているように思います。『戦争』について話してはいけないと思っている雰囲気も感じたので、まずは考えを出し合うことが大切だと思っています」と話していました。
“遠い国の遠いできごとでなく 私たちの問題として” 横浜の高校 
一方、さまざまな国にルーツがある生徒も学ぶ、横浜市の県立横浜国際高校では、生徒から「ウクライナのことを学びたい」という声が寄せられたことから、歴史の教員が授業を行いました。

この中では、両国の歴史を踏まえたうえで、日本にいるウクライナ人とロシア人の思いを伝える記事やウクライナ情勢に関する歴史の専門家の考察、情報の捉え方を考える資料を読み込み、議論しました。

各班では「いま苦しんでる人がいるのに、それを放置して無知のままでいるのがいちばん怖い」とか、「『国』と『個人』を同じように扱い誹謗中傷が起きているが、情報をうのみにせず自分で考えることが大事だ」といった意見が出ていました。

また、「国の指導者や歴史学者の意見も大事だが、SNSが普及したいまだからこそ、個人個人の声から考えることも大事」などと議論を深めていました。

女子生徒は「ウクライナの状況に無力感を持っていましたが、結論に至らなかったとしても自分の中で考えを持ち、情報を得て知識を深めて、友達と意見を共有することが私にできることだと思えました」と話していました。

徳原拓哉教諭は「ウクライナやロシアと大きな主語で語られますが、学校の友達にも関わることなので、遠い国の遠いできごとではなく、いま目の前で起きている私たちの問題として、迷いも含めて共有して一緒に考えていけたらと思っています」と話しています。

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今起こっていることを、子どもたちに理解できる程度に情報提供することは大事なことです。ただ、戦争はいけないことだという道徳的な話に終始すると、それが分からない人たちにはどう対応するのかという袋小路に陥ってしまいます。戦争の悲惨な事実を伝えるとともに、戦争は安全保障の同盟関係がないところで生じやすく、均衡した戦力や双方が同盟関係で守られている国同士は例え紛争が生じても戦争に拡大しにくいという事実を歴史教育や世界史教育の中で教える必要があります。

そして、残念ながら、世界には理性の通じない国もあり、国連の常任理事国なのに国際ルールも無視してしまう国が存在することを伝えなければなりません。そんな無法者が暴れ出すのを抑止するのはどいう方法があるのか、リアリティーのある柔軟な討議をすることで子どもたちの不戦の知恵は育てられていくのだと思います。そのことは、必ず自分たちの暮らしを守る政治への関心に繋がり、若者の選挙行動にも成果は表れてくるはずです。

戦火の下、自分と同じ世代の生身の子どもたちがミサイル攻撃に傷ついていることについての悲しさを交流することも重要ですが、どうすれば無法者を抑止できるのかというところに関心が向くようにしてこそ平和教育と言えます。武力も含む抑止力について子どもにも考えさせてみる事が未来の安全保障の一歩につながります。現実に生じている事なのに特定の内容については議論しないというタブーを作ると袋小路にはまって無力感や無関心を生み出だしてしまいます。世界は良き方向に変える事ができると子どもたちが信じられるようにするためには、まずは大人たちがタブーなしの議論を行う事が必要です。