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みんなちがってみんないい

ビリー・アイリッシュ

全米高校生のアイドルでもあるミュージシャンのビリー・アイリッシュトゥレット障害・症候群(音声と運動のチックを併せ持ち、発達障害も併発していることが少なくない)を抱えた暮らしについて語り、ファンと繋がることで「より心が休まる」ようになったと話しています。

現在18歳の彼女は、2019年の米ビルボード・アルバム・年間チャートで、デビュー・アルバム『WHEN WE ALL FALL ASLEEP, WHERE DO WE GO?』が1位に輝きました。ビリーは「エレンの部屋」(アメリカ版 徹子の部屋?)に出演して自身の抱えている障害について語っています。この症状は日本ではビートたけしさんや石原元都知事のチック症状で知られています。

「『トゥレット症候群のアーティストのビリー・アイリッシュが“エレンの部屋“に登場』みたいなことは言われたくないのよ」「(チックを)抑える方法は身に付いているしね。大抵、事前収録のインタヴューでは(適切に発言を)カットしてくれるわけでしょ。だけど、ある時、(発言を)カットしないっていうことを知らされずにインタヴューを受けたの」と、インタヴューが事前収録のものではないことを知らされずに、ビリーのチック症状が出た状態で放送されてしまったことを明かしています。「いろいろな形に編集されて、たくさんの人たちから『ビリーのこの(わざとの)表情はすごく笑える(イカしてる)』っていうことを言われたわ。本当は単なるチックの症状に過ぎないのにね」と彼女は語ります。

ビリーは「それから、ファンの中にもそれを抱えている人たちがたくさんいるっていうことが分かって、より心が休まるようになったわ。繋がりを感じられたの。こういうことを話すと、ファンたちが『嘘でしょ。私もずっとそうだったの。それが分かって、彼女は私の憧れになったわ』っていうことを言ってくれるの」と語っています。

映画界のトム・クルーズやスティーヴン・スピルバーグ、IT業界のビル・ゲイツやスティーブ”・ジョブズなど有名な人が発達障害をカミングアウトすることは、欧米では青少年にとてもいい影響を与えると言われています。彼女もまた、その希有の才能と特性は個性の中で共存するものだとティーンエイジャーに発信しています。

ゲーム障害

ゲームのやり過ぎで日常生活に支障を来す「ゲーム障害」が、世界保健機関(WHO)ICFによって新たな依存症に認定されました。実態把握はまだあまり進んでいないですが、依存状態に陥ると抜け出すのは容易でないとされ、世界各地で睡眠障害をはじめとした健康被害も報告されています。主にインターネットを通じたオンラインゲームに自制できないほどのめり込み、学校や会社に行けなくなるなど日常生活が困難になった状態が続くことを指します。通常は12カ月以上続く場合に当てはまるが、深刻ならより短い期間でも診断が下されます。オンラインゲームは生活スタイルの異なる人たちが同時にプレイするため、昼型の人が夜型の人とグループを組めば、どちらかの生活リズムが狂ってしまう。そのままゲームにのめり込めばリズムの狂いは深刻さを増し、さらに解決しにくくなります。

ゲーム障害は一般的に男性の方が多いといわれる。自閉症スペクトラム障害(ASD)や注意欠陥多動性障害(ADHD)といった発達障害の特性のある人もリスクが高い傾向にあるとされます。親の保護下にある子どもの場合は状態が顕在化しやすい一方、一定年齢を過ぎても引きこもりなどで社会との距離が広がっている場合は外部から見えにくいという側面があり、決して子どもだけに限った問題ではありません。

オンラインゲームの多くは明確な終わりがなく、延々とプレイできる特徴があります。ゲームを続けていれば、プレーヤーたちが集まるコミュニティーで目立つ存在になったり、攻略ランキングで上位に入ったりして、さらにやめるタイミングを逃してしまいます。こうした状況が続くうち、ゲームの優先度が次第にほかのさまざまな活動を上回るようになり、自分の意志ではやめることができない依存症に至ってしまいます。

家族がゲームを取り上げたとしても状況が改善するとは限らず、逆に本人との緊張関係が高まるだけというケースが多いです。医師ら家族以外の第三者が間に入り、フラットな目線で問題を整理することが望ましいのです。その際もプレイした時間や、学校や会社に遅刻した回数など、あくまで客観的なデータを示しながら状況が良くなる方向を目指すべきです。本人が殻に閉じこもらないような働き掛けができるよう、家族を支援する体制も求められます。

保護者の子どもの障害受容

早期の気付きと、早期からの支援が後の子どもの成長発達に効果的なことは言うまでもありません。子どもに何らかのつまずきがあるのではないかと気付いた場合は、早いうちに専門機関等に相談し、場合によっては診断を受けておくことが望まれます。LD、ADHD、高機能自閉症は、全般にわたり発達に遅れがあるわけではないので、気付くことが難しいと言われることがあります。しかし、その一方で、親の会の調査によれば、言葉の遅れ、特定のものへのこだわり、動作がぎこちない、集団行動が取れない等の特性から、大半の保護者は3歳位までに子どもに何らかの障害があるのではないかと気付いています。LD、ADHD、高機能自閉症の子どもたちは、幼児期には診断が難しい場合や、その状態が成長に従って変わってくる場合もありますが、保護者は子どもが得意なこと、苦手なこと等、子どもの特性をきちんと把握し理解した上で、それに合わせた援助や療育に将来を見据えて取り組んでいくことが大切です。

一般に、保護者が子どもの障害に気付き、受容に至るまでには、下記に示すようなプロセスを経ていく傾向があるとされています。多くの保護者から、もっと早く対応しておけばよかったという声があがっています。障害を受容していくことは難しいことですが、結果として子どもにもよい影響を与えることにつながります。
1 疑念・混乱
LD、ADHD、高機能自閉症の子どもたちは、乳幼児期には育てにくかったり、逆に手間がかからなかったりする場合もありますが、通常の発達とずれを示すことがあります。幼児期には、何か気になるという思いを多くの保護者が感じるようです。落ち着きがなかったり、集団行動が取れなかったりする場合には、育て方の問題として責められる場合もあります。原因が分からないために、子どもの様子に心配を抱きつつも否認したり、混乱に陥ったりしてしまいます。
2 ショックと安堵
こうした葛藤の時期を経て診断を受け、LD、ADHD、高機能自閉症といった診断名が付いた時には大きなショックを受けます。一方で、育て方の問題ではなかったことが明確になったことで、多くの保護者が一瞬ほっとした気持ちになります。
3 努力・挑戦
そして何とか発達の遅れを取り返そうという取組が始まります。親子ともに目の前にある課題や行動等に対して一所懸命取り組みます。
4 障害の受容
以上のような段階を経て、子どもの状態を正面から受け入れられるようになります。目の前の課題に背伸びして取り組むのではなく、将来を見通して現実的な対処への取組を始めます。適切に支援・療育を重ねていくと、苦手な部分を克服したり、得意な分野で補うことにより問題を克服したりして、目立たなくなるケースもあります。しかし、各種の支援や療育を重ねても、どうしても克服できない苦手な部分が残り、生涯にわたり何らかの困難を伴うケースもあります。

LD、ADHD、高機能自閉症の子どもたちは、一所懸命やっているのに勉強がうまくいかない、周囲から仲間はずれにされ、忘れ物をして先生から叱られる等、成功体験が少なくストレスを貯め込んで、自信を失ってしまったりする場合があります。こうしたことの積み重ねで意欲を失ってしまったり、いわゆる二次的な障害に陥ったりする場合もあります。家庭内では、小さな成功体験の場を作ったり、よいところを誉めたり、好きな遊びの時間を作ったり、自信を付けさせたり、精神的に解放される場面を作ったりすることが大切です。

また、本人が自分は他の人とはどこか変わっていると気付き、思い悩む時が来ます。子どもがそのようなサインを出して来た時には、子どもの不安を解消するために、子ども自身の自分への気付きに添って説明することが必要です。子どものよい点を話題にし、人はそれぞれ個性や違いがあり、得意なことや苦手なことがあること、障害や困難は子ども自身のほんの一部に過ぎないこと、苦手な部分を補うためには努力が必要なことなどを、子どもの自尊心を尊重しながら、理解できるように説明することが大切です。さらに、保護者は親として子どもの養育に取り組むだけでなく、よき支援者であることが求められます。時として叱ったり、厳しく教えたりすることも必要となりますが、そうした中にも子どもが常に保護者の愛情を感じ取れるよう心がけ、子どもの心を支え続けるよき理解者として、共に歩んでいくことが大切です。

LD、ADHD、高機能自閉症の子どもたちは「中枢神経系に何らかの機能不全がある」と推定されていますが、原因は完全に解明されているわけではありません。また、医学的に根本的な治療をする方法もないというのが現状です。これらの子どもたちには、医学的な診断が必要な場合がありますし、医療からの支援が有効な場合もあります。特にADHDについては、子どもによっては症状の抑制に高い効果を示す薬があり、薬物療法が用いられることがあります。

ADHDの薬物療法はあくまでも症状を一時的に抑制するものであり、根本的に治療するものではありません。しかし、注意集中困難などの主症状を一時的に抑制することにより、療育に効果が出てきたり、本来もっている能力を発揮したりすることが期待できます。

子どもに自信をもたせ、自己の存在感、生きがい等を育てていくことが、二次的な障害を未然に防ぎ障害を克服する力となっていきます。保護者は、時には叱ったり、厳しく接したりすることが必要ですが、その場合でも「私は貴方が可愛くて、好きで、誰よりも愛している!」というメッセージを絶えず送り続けることがとても大切です。子どもの困難を克服していくためには、子どもと保護者が信頼関係を築き上げ、一緒になって取り組んでいくことが必要です。そのためには上述の愛情のメッセージとともに子どもを認め信頼している姿勢を示すことなどから、家庭の中で子どもとの信頼関係を築き上げていくことが、人間として人生を豊かに送るための土台づくりになっていきます。特に知的に高い子どもほどLD、ADHD、高機能自閉症かどうかの見極めが困難な場合があります。性格の偏りなのか見極めが難しい場合もありますが、発達のアンバランスを生活全般にわたって観察することにより見分けることができます。早期に発見し、適切にかかわっていくことが、将来の社会生活をスムーズに送れるようにするために何より大切です。

勉強面や生活面など不得意な部分の改善に一所懸命取り組んでいると、いつも注意をしているような状況に陥ってしまいがちです。こうなると、かえって逆効果になり、子どもと保護者がともに精神的にまいってしまいます。これだけはというポイントに絞り、細かいことはあまり注意しないことが時には必要です。LD、ADHD、高機能自閉症の子どもたちの中には、学校の勉強は何とかこなすものの、基本的な生活習慣が身に付かないまま、成人期を迎えてしまう場合が多く見受けられます。整理整頓、金銭管理、身だしなみ、忘れ物をしない等は自立に欠かせないスキルであり、将来を見据えて幼少期から日常生活の中で計画的に取り組んでいくことが大切です。また、家事などの手伝いに取り組ませることも大切です。洗濯物たたみ、食器洗い、部屋の掃除、風呂の掃除など、子どもが一人で行うのが難しいことは、最初は一緒に取り組み、徐々に援助を減らして、一人でこなせるようにしていきます。やり方を覚えた時や、手伝いができた時は必ず誉めるなど、意欲を高め、楽しく取り組めるように心がけます。

こだわり、自分勝手、強迫観念、対人関係の形成の困難さ等、子どもたちがもつ特性は、周囲の理解を得ることが難しく、学校生活だけでなく将来自立し社会生活を送って行く際にも問題になってきます。この子どもたちは、経験のないことについて頭では判っていても実際の場面でうまく対応できないことがあります。本人の特性を生かしながら、社会に適応していくためには、人間関係をスムーズにしていくための対応の仕方を身に付けていくことが大切です。様々な経験や体験学習をする中で考えさせながら、対処方法を身に付けさせたり、行動の自己調節、自己制御の心を育てたりすることも必要です。子どもが自己制御を身に付け、多動、パニック等の行動面の問題を克服していくことは簡単ではありません。無理じいや周囲の焦りは、かえって逆効果になることもありますので、じっくりと取り組むことが必要です。本人がストレスを少しずつ発散でき、親子ともに精神的に解放できる場を作ることも忘れてはならない大切なことです。

LD、ADHD、高機能自閉症の子どもたちは、全般的には知的発達に遅れがなく、周囲から学習面の遅れを本人のやる気のなさや努力不足と思われがちです。しかし、視覚・聴覚等の認知特性や注意集中等に困難があるために、子どもそれぞれに、得意な分野、不得意な分野があります。学校の先生とも相談しながらその特性に合わせた取組が必要です。家庭で勉強に取り組む時にも、学校の先生に相談しましょう。また、専門機関を利用している場合は、担当の先生とも相談して、役割分担をしながら、一貫性のある指導となるよう心がける必要があります。

不得意な分野については、子どものつまずきを把握し、スモール・ステップで取り組みます。不得意な分野で追いつめたり、無理に努力を強要したりすると逆効果になりかねません。小さな成功や努力を誉め、自信や意欲を高めるように心がけます。例えば計算については、電卓を使うなどの補助具を活用することにより、その問題を克服していく方法もあります。机上の勉強では理解が難しいことでも、身近なことや実体験に結び付けると理解しやすくなります。例えば、今日学校であったことを話す、旅行に行く場所を一緒に地図で調べる、アルバムの写真を見ながらその時の話をする、買い物の計画を立てて金額を計算してみる等、実体験と結び付け、楽しみながら取り組めるようにすると効果的です。不得意な分野にばかり目を向けるのではなく、得意な分野を伸ばすように心がけることが大切です。得意な分野が伸びてくると、やればできるという気持ちが育ち、本人の自信にもなります。また、このことによって不得意な分野をカバーすることや、自立に生かすことにつながりますので、うまく支援していくことが大切です。

児童養護施設

児童福祉施設に入所する理由のNo.1は「虐待」です。児童養護施設に入所している子の約6割が、虐待を受けたことがあると答えています。また、障害などのある児童も近年増加していて、平成25年では28.5%の児童が障害ありとなっています。もし何らかの事情により児童養護施設に子供を預けたいと思ったときは、お近くの児童養護施設、もしくは児童相談所、民生委員・児童委員、福祉事務所、保健所、市町村保健センターへご連絡ください。秘密を守りながら、相談を受けることができます。

まずは各都道府県が運営している「児童相談所」や市町村の「福祉課」に連絡をすることが必要です。専門の職員が相談内容を聞いて、心理的検査や医師の診断・家庭環境の調査などを行います。その結果に応じて生活指導をし、必要と判断したら児童養護施設に入所という流れです。

入所理由で一番割合が多いのが虐待で、「父または母の虐待・酷使」が18.1%です。それに次いで多いのが「父または母の放任・怠惰」、つまりご飯を作らなかったり子供に無関心で世話をしないネグレクト(育児放棄)で14.7%です。特にネグレクトは、父1.8%なのに対して母12.9%と、母の方が割合が多いことが表からわかります。特に虐待を受ける児童の数については、近年急激に増加しています。児童相談所に報告される児童虐待の数は、1990年から2010年の20年で50倍以上に拡大しています。児童虐待の背景には、母親の育児ストレスが挙げられます。実際、虐待行為の6割は実の母親によって行われているというデータがあります。つまり、母親だけの理由で言えば1位ネグレクト、2位精神疾患となります。この母子への社会的セフティーネットが日本は大変弱いといます。

近年社会情勢が大きく変化しているのに、未だに母親が育児の大半を担うのが日本の社会です。自己責任論で育児の責任全部を背負ってストレスを溜め、その矛先が子供に向いてしまうこともあるのでしょう。虐待の場合は通報等により発覚し、親の意思に関係なく養護施設に預けられることが多いのですが「今のままでは虐待をしてしまう!」と苦しんでいる親が福祉施設に相談をし、一時的に児童養護施設に預けるといったケースもあります。

精神疾患は全体の12.3%です。育児ストレスやその他の原因により、親が精神疾患になり治療をしながら子を預ける方もいます。子供が病気になったら休むのも、PTA会議に出るのも母親が未だに多いので、ママ友づきあいや仕事のストレスで精神を病んでしまい、子供を施設に預ける判断をする親御さんもいます。こちらも母親が精神疾患になってしまった例が父親よりも多く、父0.6%に対して母は11.7%です。ひとり親ではない場合、父親が精神を病んでも傷病手当等を利用し、母親が仕事と育児を担当することができますが、父親が仕事をしながら育児家事をすることが社会的にまだ難しいです。

仕事や入院などで、物理的に子供と離れなければならなくなった場合も、児童養護施設の入所対象となります。仕事や入院の他には父や母が警察に捕まった(拘禁)などの理由で、養護施設に預けられるパターンもあります。経済的に子供を養育できないというのも、養護施設に子供を預ける理由の一つです。

これらの一番の問題は、障害のある子もない子も一時預かりを含めて入所できる余裕がほとんどないことです。これは虐待が増えだしてからというより、慢性的にキャパが少ないのです。特に障害のある子は児童相談所では人手の問題で預かれない事が多いので児童養護施設に一時保護になるケースがほとんどですが、私の知る限り簡単に2カ月までの一時保護が実現したケースは見たことがありません。行政も児相も他にもケースがあるからと言う理由をつけて、速やか(訴えから1週間以内)に措置されたケースを見たことがありません。お任せされる施設にしてみれば空きのスタッフをいつも複数名用意するには財政負担があるので、できるだけ絞り込んで経営しようとしますから無理もないのです。財政的制度の面から見直さないとこの問題は解決できません。障害者をできるだけ地域に戻すというインクルージョンの流れから入所施設への資金の流れがさらに弱くなったことも原因の一つかもしれません。

福祉事業所の働き方改革

事業体が生き残る戦略の一つとして、働き方改革を進めていかなければなりません。ポイントは、3つあります。
1)長時間労働をなくす
2)休暇取得に向けた環境づくり
3)誰もが働きやすい雰囲気づくり
長時間労働をなくしていくためには、管理職の意識改革や、非効率な業務プロセスの見直し、従来慣行(利用者や関連事業所に対する非効率な業務)の改善が必要です。これは、結果的には生産性向上というメリットをもたらします。意識改革や業務設計・役割分担といったソフト面からのアプローチと、ITツールの活用・ペーパーレスといったハード面からのアプローチが「両輪」となります。

厚生労働省のヒアリングによると、年休取得が進んでいる法人では、一週間ごとのミーティングにて業務の進捗状況を所属長や同僚と共有し、仕事を個人ではなくチームで行うことによって労働者が休暇で不在となっても業務が回るよう、取り組んでいる事例がありました。労働者一人ひとりが責任感をもってしっかり仕事をすることは勿論重要ですが、仕事をチームで行い、チームの中で仕事の進行状況について情報共有することで、休みやすい職場環境へと変わってゆくのです。
トップが主導となり、休暇の取りやすい雰囲気や働きやすい環境づくりを行っていくことが大事です。

福祉現場での働き方改革の視点
離職率の低下、採用難の解消、労働生産性の向上、長時間労働の是正は、介護業界全体の共通の課題です。福祉現場における離職防止に向けた取り組み 5つのポイント
(1)「心身の不調」へのケア…腰痛予防、メンタルヘルスケア
(2)「支援観の違い」への対策…理念・指針の浸透
(3)「働き方」への固定概念の払拭…短時間勤務、時間単位年休、時間帯の固定
(4)「就労後ギャップ」の防止…入社前に誠実な情報の開示
(5)「持ち味の理解」と「承認」…多様性を許容し良い所に着目。事実+意味づけ
離職につながる長時間労働の是正については、昨今の働き方改革の流れもあり、一定の改善がみられている事業者もあるようです。単なる業務の削減はサービスの低下に直結する懸念があり、見直しを行う業務は慎重に検討するべきです。特に利用者に接する部分は、過剰と思われるサービスを除き、施設の「魅力」や「付加価値」になりますので、そこの見直しは必要最小限にとどめ、申し送りや会議・書類の作成といった、利用者に接遇しない業務や運営管理に関する部分について、手順を踏んで着実に業務効率化を推進していくことが大切です。

福祉現場における長時間労働の是正 5つのポイント
(1)「過剰サービス」の削減…「したい」と「できる」の見極め
(2)スタッフの意識改革…奉仕の心による「自主的な残業」の功罪
(3)デジタル化、ペーパーレス…効果絶大!
(4)申し送り、会議の短縮化…重要事項のみとし、残りは各自で確認
(5)定時退社の為の工夫…「仕事の再分配」と「職員間の連携」
中でも、デジタル化、ペーパーレス化による業務効率化は、介護福祉業界においては特に効果が大きいものと思われます。有給休暇の消化や、勤務間インターバル制度の施行などによって、従業員の勤怠の管理が複雑になります。デジタル化による管理の効率化は、今後多様なスタッフが納得して働いていく環境をつくっていくにあたり、従来以上に有力な切り札になります。働き方改革は、福祉業界にとっても待ったなしの経営課題です。全職員で改善状況の進捗を共有しながら、粘り強い取り組みが必要です。

スマホ・ゲーム利用と不登校

不登校・・・スマホ・ゲーム利用「条例、ルール化を」 大阪市の松井市長

小中学生がスマートフォンやオンラインゲームに依存するのを防ごうと、大阪市の松井一郎市長は15日、スマホの使用時間を条例でルール化することも視野に、実効性ある対策を検討するよう市教委に指示した。
松井氏は同日市役所で開かれた会議で、不登校の要因の一つがスマホやゲーム依存であるとの実態が紹介されたことを受け、「夜は何時までとか、条例でルール化したらどうか」との考えを示した。
市内では旭区が平成26(2014)年に、スマホやゲーム機を午後9時以降は使用しないなどのルールを決定。校長判断で各校で適用されているが、市教委として統一したルールは定めていない。松井氏は、使用制限に強制力を持たせたり罰則をつけたりすることは難しいとの認識を示した上で「理念的なものにはなるが、(大阪市として)ルールを作ったよというのが(不登校を減らすのに)大事なのかもしれない」と述べた。
スマホやオンラインゲームの使用制限をめぐっては、香川県が子供がインターネットやゲーム依存になるのを防ぐ全国初の条例制定を目指している。今月10日の検討委員会ではスマホやゲームは「平日は1日60分まで」などとする条例素案が示されたが、ネット上でも賛否が分かれるなど物議をかもしている。
2020.1.15産経新聞--------------------------

この記事は、松井市長の言ったことがすぐさま条例化されるように見出しに書いていますが、市長の言ったこととはかなり異なり産経新聞の勇み足に読めます。ただ、前回も掲載したように(1/13ゲーム障害)オンラインゲーム依存が深刻であることは事実です。ただ、不登校の一因がゲーム依存なのか、不登校になる子がゲーム依存になりやすいのかよくわかっていないのも事実であり、ゲームだけを悪者にしても解決はできないと言われます。

重要なことは家庭での対応であることは間違いがなく、この支援を公の子どもが守るべきルールだよと言うだけでなく、ペアトレなど実質的な子育て支援を強め、学校でゲーム障害や睡眠障害の健康教育に力を入れるべきことは、大阪市や香川県だけでなく国民的に差し迫った課題であることは間違いがありません。

 

ICDー11

昨年、WHOの国際疾病分類は、ICD-10から30年ぶりに改訂されICDー11になりました。厚生労働省は、WHO承認後、国内への適用作業を進め、1〜2年で施行するという予定を案として公表しています。今回の改訂では、心理的発達の障害を神経発達症群とカテゴリー名を変えました。区分は米国精神医学会のDSMー5に沿った「神経発達症」の概念が採用されています。また、我が国ではDSMー5の翻訳の時からdisorderとdisabilityのどちらも「障害」と翻訳するのではなく、特に小児の場合は症状が変わるし治療で軽快する例も少なくないので「症」を使う方向性が示されています。

知的障害の名称は「知的発達症」で、軽度、中等度、重度、最重度の区分分けはそのままで、IQが相対的に高くても社会的適応能力が低ければ相対的に重い判定となるのも変わりません。

会話及び言語の特異的発達障害は「発達性発話または言語症群」となりました。詳細区分として、発達性語音症・発達性発話流暢症・発達性言語症に名称が変更になります。あとに出てくるLDの読字不全やASDを除外した発達性言語症の判別が整理されていないように感じます。

広汎性発達障害は、自閉スペクトラム症で小児自閉症やアスペルガー症候群などの下位分類が改訂され知的発達症や機能的コミュニケーションのレベルで分類されます。

学習障害は発達性学習症になり、読字不全・書字表出の不全・算数不全と詳細区分もDSM-5に揃えました。運動機能の特異的発達障害も、発達性協調運動症となりました。全て「発達性」で統一しました。

情緒障害の分類だったチック症は、神経発達症の分類へと移動しました。詳細区分に、トゥレット症候群・運動のチック症・音声のチック症が入ります。

AD/HD多動性障害は、注意欠如多動症で「欠陥」が「欠如」に変更されます。不注意優勢型・多動衝動性優勢型・混合型の分類はそのままです。

話は変わりますが、障害は理解できるが発達がわからない(?)という放デイ業界の方が少なくないと聞きましたICDやDSMの神経発達のカテゴリーは発達の問題を扱った症状カテゴリーです。知的発達症は全般的な発達の遅れです。これに対して、ASDは社会性の発達、AD/HDは衝動性や注意の調整力の発達、LDは音韻・書字・数量処理の発達、つまり全般ではなく部分的な発達の遅れや凸凹を原因とした症状をさします。発達の遅れにはいろいろなバリエーションがあるという分類です。

それとも、発達がわからないというのは、子どもの通常の発達の順序性をよく知らないというのが同義でしょうか。例えば、数量認識が通常4歳頃で、まだ序数(数える量)段階なのに、繰り上がりな量の合成分解の操作をさせている間違いです。算数障害で量感覚がイメージできない場合も量の合成分解で躓きます。

「こぶた たぬき きつね ねこ」のしりとりは、単語を音に分解したり構成したりする能力(音韻操作)通常6歳の言語発達で完成することを知らずに取り組む現場。全般的遅れがなくても音韻意識に遅れがあれば就学年齢でも困難は続きます。結局、障害は分かるが発達が分からないというのは肢体不自由など目に見える障害は分かるが、目に見えない発達障害やは理解されてないという事でしょう。

社会性発達の順序性が無視された指導も少なくないです。通常6歳の自己認知の発達は経験を蓄積してだんだんできるようになる自分を認識して自尊感情を育てていく時期ですが、この大事な時期にやってもやってもできない課題を与えたり、逆にすぐにできてしまう課題を与えてしまう誤りなどです。発達には順序性がありその段階に合わせた指導をしたときに発達の伸長が望めるのです。ハイハイしている子どもには歩く指導ではなくたっぷり四つ這いできる環境と励ましを与えるのと同じ事です。

ただ、発達の順序性とは言うけれど、あくまでこの順序の子が多いと言うだけの話でしかありません。この平均の物差しで測っているに過ぎない事を忘れて、平均でない多様な子どもを理解したかのように思い込む人もたくさんいます。物理的に歩けない子には車椅子の操作を教えるように、聴覚記憶の弱い子には視覚情報で補う支援をします。車椅子の子に、平均は歩く事だという人はさすがにいませんが、絵カード支援を見て、特別(平均的ではない)事をするから聞く力が伸びないと思い込み、子どもの才能と自尊心を悪意もなく潰し続ける人はまだいます。

大事なことは子どもにはみな凸凹の個性があり、その個性に合わせた支援にはあらかじめ決まったものなどないと、専門家なら心得ているはずです。子どもができない事を障害や発達の遅れに還元してしまわず、指導している自分のせいだという謙虚さがあれば、おのずと良い支援のアイデアは思いつくものですし、そのアイデアに必要な情報は自分で手に入れているものだと思います。

木村泰子さんの言葉

大阪の大空小学校初代校長の木村泰子さんの言葉にはパワーがあります。映画『みんなの学校』の舞台となった大阪の大空小学校は、発達障害と診断された子や不登校だった子など、さまざまな問題を抱えた子どもたちがともに学び合い、元気に卒業していきます。日本の教育システムが変わらない原因は何なのでしょう?社会は、人と違う考えや行動ができる「ふつうじゃない人」を求めるようになっているのに、大人が勝手に決めた「ふつう」の基準に当てはめて判断しようとします。社会が求めるニーズと教育現場が、どんどん乖離しています。本来、子どもの成長度合いを検査する目的は、その子の特性を知ったうえで、周りの子どもたちと安心してつながって、一緒に集団生活を送るためであるべきと木村さんは言います。以下、木村さんのインタビューです。ごく当たり前のことしか言っていないのですが、強烈なパンチ力があると感じるのは私だけでしょうか?

Qーーーー大空小学校に転校してきた子が、前の学校で体操服に着替えるのを嫌がり、「例外は認められない」という理由で、体育の授業を受けさせてもらえなかった話がありました。

Aーーーー体操服に着替えるのが嫌なら、そのままの服で体育の授業を受けさせればいいんです。子どもには学習権があります。憲法二六条は、「すべて国民は、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」と定めていますからね。子どもが学校にくる目的は、体操服を着ることじゃない。体育の授業を受けることですから。私がその子の親なら、「この子は自宅以外では着替えられないので、この服装のままで体育の授業を受けさせてください」と学校に言います。それでも「困ります」と言われたら、「憲法にある子どもの学習権についてはどうお考えですか?」と勝負をかける(笑)。体育の授業の目的は、運動をすることにあるのです。本当の公平は、体操服に着替えられない子がいても、「体育ができれば、その服のままでもええよ」と、その子の個性を認めて安心させること。そして、周りの子も安心して授業を受けられるようにすることです。「ふつう」ができない子どもがいても、お互いを認め合って尊重することを、子どもたち自身で学ぶ。その手助けをするのが先生の役割ですし、それこそが本当の公平な関係性なんですよ。例外を認めず、みんなと同じようにさせるのが公平という考え方は100パーセント間違ってます。

Qーーーー大空小学校では、さまざまな子どもたちが一緒に学ぶ環境でありながら、先生は定時退勤できていました。なぜそのような教育環境を作ることが可能だったのでしょうか。

Aーーーー私が9年間校長を務めた大空小は、全校児童260人中、「発達障害」と診断され(障害者)手帳を持っている子どもが50人を超えていました。そう聞くと「先生の負担が多くて大変そう!」と思われるかもしれませんけど、日常は勤務時間が終われば帰っていました。 じゃあ、なんで他の学校の先生たちは、いつ死んでもおかしくないほど長時間労働しないといけないのか?大空小では、一人一人の子どもが自分から学校へ来て、1日学んで、納得して家に帰ります。それは、私たち教師が子ども同士をつなげて、子ども同士で教え合ったり助け合ったりしているからです。大空小学校のルールはただひとつ。「自分がされていやなことは人にしない 言わない」。この約束を守ることだけです。子どもが学校生活を楽しんで納得できると、いじめも不登校もないし、親からクレームがくることもありません。教師は生徒や親の問題解決や相談事に時間をとられる必要がないから、本業だけやっていればいいんですよ。教師の働き方改革より、学び方改革をしないといけないわけです。

 

DSM-5

前回のICD-11の説明でいきなりDSM-5(米国精神医学会:精神障害の診断と統計マニュアル第5版)の名前が出てきたので解説しておきます。発達障害についての世界的に使われる基準は前回示したWHOのICDと、米国のDSMです。2013年にDSM-5は、20年ぶりの改訂がされました。「神経発達症群」はDSM-5から新設され、いわゆる「広義の(知的能力障害群等も含む)発達障害」として捉えられています。前回も書いた通りICD-11は、DSM-5に沿って改訂されています。心理発達から神経発達に変えた考え方や自閉症のレベルを連続体としてとらえる「スペクトラム」の名称で、アスペルガー障害などをこの中に含むものにしたことなどです。
DSM-5「神経発達症群」における分類
1 知的能力障害群
知的能力障害・全般的発達遅延・特定不能の知的能力障害
2 コミュニケーション症群
言語症・語音症・小児期発症流暢症・社会的(語用論的)コミュニケーション症
3 自閉スペクトラム症(ASD)
自閉スペクトラム症
4 注意欠如・多動症(AD/HD)
注意欠如・多動症・他の特定される注意欠如・多動症・特定不能の注意欠如・多動症
5 限局性学習症(LD)
読字の障害を伴う・書字表出の障害を伴う・算数の障害を伴う
6 運動症群
発達性協調性運動症・常同運動症・
7 チック症群
トゥレット症・持続性(慢性)または音声チック症・暫定的チック症・他の特定されるチック症・特定不能のチック症
8 他の神経発達症群
他の特定される神経発達症・特定不能の神経発達症

 

愛着障害

虐待された子どもにとって世の中は、どこに危険が隠れているかわからない恐ろしい場所であり、彼らには見るものすべてが災いの種に映ると言われます。子ども時代、愛と慰めに満ちた安全な家庭で育つことは、健全な心を持った大人になるために大変重要なのですが、残念ながら現実はそうはいかない場合が多いようです。

自分ではまだ何もできない子ども時代に、基本的欲求を満たしてくれ、呼べば助けてくれ、心が傷ついたら愛を持って気持ちをなだめてくれる大人が、もし周りに一人でもいれば、その子どもは大きくなって、「困難な状況に遭遇してもなんとかなるものだ。人生を思うとおりに変えて、切り開いていく力を、自分は持っている。」という、自己肯定感を抱き、自己コントロール力を持てるようになります。自分の意志や欲求に沿って反応してくれる大人が周りにいるということは、周囲の環境と共鳴して生きるということで、これを経験した子どもは、たいてい、自己認識力や共感力を身につけ、人と調和し、社会に適応して生きていくことができるようになります。

虐待やネグレクトのある環境に育ち、自分の基本的欲求や感情的なニーズが満たされず、親または世話をしてくれる大人が自分に合わせてくれない場合、子どもは周りの大人の「子どもはこうあるべき」という概念に自分を合わせる以外なくなります。つまり、大人のニーズに自分を合わせることになり、これによって、「ありのままの自分ではいけないのだ、自分はどこか間違っているのだ」という観念を抱くようになります。虐待された子どもは、周りの人たちの声や表情にとても敏感ですが、それに共鳴するというより、そのサインを脅威とみなして反応する傾向があります。そのため、虐待された子どもは、防衛的になったり怯えたりしやすいといえます。そういう子どもは、やがて、強いふりをして内心の恐怖感を隠すようになったり、心を閉ざしてコンピューターゲームに一人で没頭するようになったりすることもあります。

回避型愛着(avoidant attachment)と呼ばれるタイプの子どもは、母親がいなくなっても泣かず、戻ってきても無視して、一見、何が起こっても知るもんか、というそぶりを見せます。けれども、実際のところ、子どもの身体の方は過覚醒(神経過敏で緊張が高まっている)状態にあります。このタイプの子どもの親は、子どもを触ったり抱いたりするのを嫌がる傾向が強いようです。回避型愛着タイプの子どもは、学校に行くようになると、しばしばいじめる側にまわり、大人になってからも、自分や相手の気持ちに無頓着である場合が見受けられます。

不安型愛着(anxious attachment)、またはアンビバレント愛着(ambivalent attachment)と呼ばれるタイプの幼児は、泣いたり、わめいたり、しがみついたりして、常に自分に注意を引こうとします。母親の姿が見えなくなると非常に取り乱しますが、かといって母親がそばに戻ってきてもあまり満足しません。不安型愛着タイプの幼児の不安傾向はしばしば大人になっても継続し、学校ではしばしばいじめられる側(=犠牲者)になります。

上記の二つの愛着型に加えて、世話をしてくれる大人自体が自分に苦しみや恐怖をもたらす原因である場合、子どもは混乱型愛着(disorganized attachment)という第三タイプに分類されることがあります。混乱型愛着の子どもは、生きるために依存しなければならない相手が、同時に身を脅かす危険な人物であるというジレンマに置かれます。逃げることもできず、つながることもできない、という手立てのない状態にあるわけです。結果として、誰が安全で誰に愛着を示していいかわからないこのタイプの子どもたちは、知らない人に過度に愛情深く接したり、または誰も信じなかったり、といった極端な愛着のしかたを見せるようになります。混乱型愛着を引き起こす要因はなにも虐待ばかりではありません。親自身が、家庭内暴力やレイプ、深刻な喪失などのトラウマを抱えている場合、自分の感情が不安定なために、親は子どもと向き合って安定した保護や慰めを与える場合ができないことがあります。親が感情的に引きこもってしまい、子どものニーズにこたえられない場合、しばしば役割の逆転が起こり、子どもの方が親のニーズを満たそうと懸命になります。こうして親の世話をせざるを得なかった子どもは、大きくなってからしばしば自分や他者に対して攻撃的になり、自分や人を傷つけるようになることがあります。

ただ、理想通り完璧な子育てができなくても、基本的部分で愛情がありさえすれば、子どもは親と適切なつながりを維持して育つものです。感情にまかせて怒ったり、思い通りに世話をできないことが時々あったとしても、本当は愛するわが子にそんなふうにしたくなかった、という思いがあれば、子どもが親に対する信頼を失うことはありません。そもそも「理想通りの完璧な子育て」というもの自体、存在しないです。誰しも、時折迷ったり後悔したりしながら、子どもを育てています。また、仮に、虐待やネグレクトにあって、辛い子ども時代を送ったとしても、その後社会に出て、愛情を感じる経験をしたり、本人の生まれつきの回復力(レジリエンシー)が強い場合、心の傷を自ら癒やして、健全な心をもった大人へと成長することは十分可能です。