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みんなちがってみんないい

片付けられない

片付けられない状態が悪化すると、家がゴミ屋敷化するだけでなく、精神的にも不安定になり約束を忘れたり締め切りが守れないなど社会生活も乱れてきます。それは原因と結果が逆じゃないかと言う考えもありますが、環境状況が精神に与える影響は絶大です。まずは環境に原因を求め、それでも効果がなければ病的な原因も考えます。要らない物やゴミを処分するには分別したり、ゴミ捨て場までゴミを運んだりしなければなりません。ゴミが大きければ簡単には捨てられませんし、高齢になるほど『捨てる』ハードルは高くなるでしょう。捨てられなくなっているのは、高齢者ばかりではありません。子育て中の若い世代にも片付けられない人は増えています。

『子育てに専念しているから』『忙しくて時間がないから』など理由はそれぞれですが、特に深刻なのが何らかのストレスでうつ病を発症した人です。婦人のうつ病は、産後のホルモンバランスの乱れから発症する場合が多く、発症すると何も手につかなくなります。片付けをする気力もわいてこないので、部屋が散らかっても対処できないのです。うつ病は、気力の喪失・判断力の低下が顕著です。様子を見ておかしいと感じたら、なるべく早く専門医に相談するように勧めることが大事です。

『AD/HD(注意欠如・多動症)』の人も片付けが苦手です。注意力に欠けていたり、落ち着きのない行動が目立ったり、頻繁に忘れものをするなどが症状です。発達障害は、脳の神経伝達物質が十分に機能しないために起こります。当人の意思とは関係ない不具合なので、この症状が出ているなら、片付け下手を責めても意味がありません。服薬などで解決しなければ『片付けが苦手』という個性として理解します。ただ、AD/HDとうつ病は併発しやすいので、医療のサポートが重要です。

家の中が片付いていない子は、物を大切にできない、忘れ物が多い、段取りが悪い事が多いです。片付けをしない家では物が散乱しており、何が大切で何がいらないものかわかりません。結果として子どもは物を大切にできなくなります。また、整理整頓とは程遠い暮らしのため、片付けられない親を持つ子は、段取りをつけて物事に当たることが苦手で、無駄な動きが多く、忘れ物の多さも目立ちます。また、掃除がされない家では、ダニやカビ、害虫が繁殖します。ホコリで気管支炎を患ったり、ダニや害虫でアトピー症状が出たりする子もいます。汚すぎる家での子育ては、一種のネグレクト(育児放棄)ともいわれます。気になる子を見つけたら、役所等に相談するとよいかもしれません。しかし、家の中をかたずけたいという気持ちが親になければ問題は解決しません。

サポートするのは、行政だけでなく協力者やサポートチームが必要です。近親者や友人、ご近所でも、その親が信頼できる方ならだれでもいいと思います。片付けを行う時に重要なのは、不要な物を捨てることです。しかし、物を捨てるなら、持ち主の承諾が必要になります。『捨てる、邪魔』などマイナスな言葉は使わず「不要な物を減らして、快適な暮らしをして欲しい」など暮らしをサポートしたいという気持ちを示すことです。それでも手に追えなかったり、片付けに時間が取れなかったりする場合は、片付けのプロに発注することも視野に入れます。例えば、イオングループで家事支援事業を展開する『株式会社カジタク』には、『片付け名人プレミアム』というコンサルティング型片付け整理収納サービスがあります。このサービスは、オリジナルな片付け方を提案してくれるのが特徴です。ライフオーガナイザーは、生活動線や生活パターンまで配慮してプランを提案してくれるので、自分たちでは難しい理想の片付けを実現できます。片付け終了後に渡されるアドバイスシートがあれば、その後もリバウンドなく綺麗な家を保てます。

片付けがうまくいったとしても、これまでと同じ生活パターンを送っていては、すぐに元の状態に戻ります。居心地のよい部屋をキープするには、部屋を散らかさないように努力しなければなりません。部屋を散らかさないために最も重要なのは、むやみに物を買ったりもらったりしないことです。物が増えてきたら収納を増やすのではなく、物を減らすのです。たとえそれが生活に必要な消耗品でも、大量に所持する必要はありません。物の保管スペースを決めて、そこに収まる分だけに所有すれば綺麗な部屋を長くキープできます。

こまめに掃除する習慣を身に着ければ、ゴミや汚れを溜め込むことはありません。掃除道具を身近な場所に置く、毎日決まった時間だけ掃除するなど、小さな事から習慣にします。それでもついつい忘れてしまうという人は、掃除スケジュールを管理できる掃除アプリなどを活用します。なかなか片付けに取り掛かれない人は、ブログやSNSで『#掃除宣言』するのも効果的です。他人に宣言すると、モチベーションが上がります。結果や成果も逐一SNSに上げていけば、同じような境遇の人からアドバイスや共感の声をもらえるかもしれません。片付け作業が孤独に感じる人は、他人と共有することで孤独感からも解放されます。

代筆・代読

視覚障害者高いニーズ代筆・代読「支援充実を」先進自治体、ボランティア養成し派遣

2020年10月1日 07時19分【東京新聞】


視覚障害者の代わりに、郵便物を読んだり、書類に必要事項を記入したりする「代筆・代読」。日常生活に必要な支援で、市町村が家事援助などの障害福祉サービスとして行っているが、十分に知られていない。代筆・代読の訓練を受けた人を有料ボランティアとして派遣する自治体もあるが、まだ少数で、関係者は支援体制の充実を訴える。(長田真由美)

「飲み物のメニューもありますが、全部読み上げましょうか」
八月上旬、名古屋市であった、視覚障害者の代筆・代読をする支援員の養成講習。受講生のうち、支援員役の女性(49)が障害者役の女性(47)に食事のメニューを読み上げた後、尋ねた。視覚障害者役の女性は「全部読んでもらっても覚え切れなさそう。冷たい飲み物は?」と質問。支援員役の女性は希望をていねいに聞きながら、やりとりした。

講習は、視覚障害者の支援に取り組む社会福祉法人「名古屋ライトハウス」が同市の委託を受け、七月から実施。ライトハウスの相談員で、講師を務めた藤下直美さん(46)は「一語一句正確に話す音訳とは違い、代読は相手への伝え方が重要」。例えば、メニューを上から全部読み上げると、情報量が多い場合は、聞き手も覚えきれない。まず大まかなイメージを伝えたり、好みを聞いたりと、利用者が望む情報を伝える必要があるという。

一方、代筆は支援員が障害者の思いを推測するなどして自分の意思を持ち込まないのが原則。障害者の意思をしっかり聞き取り、誰が見ても読める字で書き、下書きをすることもある。同市は今年から、「意思疎通支援事業」として視覚障害者向けの代筆・代読に特化した支援を開始。二日間の講習を受けた人を支援員として登録し、十月以降、希望者のもとに有料ボランティアとして派遣する。希望者は無料で、一カ月上限十時間まで、市内の自宅や外出先などで利用できる。ボランティアの報酬は一時間千五百円で、市が負担。支援員はこれまでに一般の主婦や会社員、ヘルパーなど四十~八十代の三十一人が登録している。

代筆・代読の支援は従来、市町村が行う障害福祉サービスのうち、外出時に同行する「同行援護」と、調理や掃除など家事援助をする「居宅介護」の中で行われている。ただ、藤下さんによると、同行援護の支援は同行中に限られ、居宅介護も、優先度が高い掃除や食事などに時間が取られることが多い。また、家族に頼もうとしても書類が多くて気兼ねしたり、家族が不在だったりすることも。藤下さんも全盲で、今は夫に代読を依頼。一人暮らしの頃は、職場の同僚に自宅に届いた郵便物や書類を読んでもらったこともあった。「個人的な手紙など、友人や家族に読んでもらうのはちょっと…という時に気軽に利用できるサービスが今までなかった」と意思疎通支援事業に期待する。

同事業は一三年に施行された障害者総合支援法に基づき、市町村が実施。ただ、任意のため、導入している自治体は少ない。日本視覚障害者団体連合(日視連)による一八年度の調査では、回答した全国千百三十四市区町村のうち、同事業の枠で代読・代筆の支援を行うのは十四自治体にとどまる。一方、千葉県我孫子市は〇九年から市独自で代筆・代読のヘルパーを派遣する事業を実施するなど、先進的な自治体もある。

日視連が視覚障害者に行った調査では、回答した約四百八十人のうち、全盲の人の九割、弱視の人は八割が「読み書きに困る」と回答。一方、障害福祉サービスで代筆・代読などの読み書きを支援する公的な制度があることは、四分の一が「知らない」と答えた。日視連の担当者は「支援のニーズは多い。将来的には全国の成功事例をまとめ、モデルとして紹介したい」としている。

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昔は長屋の熊さん八っつあんが字が読めないので、大家のご隠居さんに読んでもらおうと文書を持っていきます。「何々・・・」とご隠居さんが読み始めてお話が始まるというのが長屋落語のパターンです。識字率が低かった昔、代読代筆は日常茶飯でした。視覚障害の人も読み書き障害の人も、御隠居さんや旦那衆に気兼ねなく代読代筆をお願いしていたのかもしれません。

今の時代も、読み書きの困難は視覚障害者だけではありません。字が流暢に読めなかったり書けなかったり、意味がつかみにくかったり、作文ができなかったりするのは、視覚機能だけでなく手の運動機能の障害、音韻意識の問題や知的障害など様々な原因で顕在化します。長屋のご隠居さんがいない今、視覚障害者用のサービスだけでなく、ICT支援も導入し、障害のあるなしに関係なく、障害の軽重に関係なく、代読・代筆サービスがどんどん広がればいいなぁと思います。

 

<恋です!~ヤンキー君と白杖ガール~>杉咲花が盲学校に通うヒロインに

<恋です!~ヤンキー君と白杖ガール~>杉咲花が盲学校に通うヒロインに 勝ち気でポジティブ 「天然」な一面も

10/6(水) 【MANTANWEB】

女優の杉咲花さん主演の連続ドラマ「恋です!~ヤンキー君と白杖(はくじょう)ガール~」(日本テレビ系、水曜午後10時)が10月6日に始まる。原作はうおやまさんのマンガ「ヤンキー君と白杖ガール」(KADOKAWA)。勝ち気だが恋に臆病な盲学校生・赤座ユキコ(杉咲さん)と、ケンカっ早いが根は純粋なヤンキー・黒川森生(もりお、杉野遥亮さん)の繰り広げるラブコメディーだ。ユキコを紹介する。

◇実は数年前に母を亡くしていて…

ユキコは盲学校高等部3年生。色と光がぼんやり分かる程度の弱視で、外を歩く時は白杖を持つ。勝ち気でポジティブ。見かけによらず口が悪いが、気を許すと“天然”で可愛らしい一面も見せる。

ある日、森生と出会い、なぜかまとわりつかれるように。初めは森生に冷たい態度をとっていたが、次第に森生の真っすぐさに惹(ひ)かれるようになる。数年前に母を亡くしている。

 ◇初回ストーリーは…

ユキコは、カメラマンの父誠二(岸谷五朗さん)と心配性なネイリストの姉イズミ(奈緒さん)と3人暮らし。ある日、ユキコが遅刻しそうな時間に白杖をついて登校を急いでいると、点字ブロック上で話し込むヤンキーの森生たちに遭遇する。

どいてほしいと頼むユキコだが、白杖をつかまれる。反射的に蹴り上げたユキコの足が偶然、森生の股間にヒット。もだえ苦しむ森生を心配してユキコが顔をのぞき込んだ瞬間、彼女の顔の近さに驚いた森生は、恥ずかしさから思わず固まってしまう。

以来、森生は、話し掛けても心ここにあらず。異変に気付いた行きつけの喫茶店主・茜(ファーストサマーウイカさん)は「それが恋だよ」と森生に教える。その日の夕方、森生は下校するユキコを待ち伏せて……。

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障害者を描くドラマは、最近ではドラゴン桜のASDの健太役で細田佳央太が活躍していました。ただ、桜木先生役の阿部寛のASD説明が台詞ばかりでちょっとくどいなと感じました。今回はコメディータッチのドラマでプロローグはテンポよく、滑り出しは好調でした。視覚障害にも色々あることを映像で演出してくれるので分かりやすいです。主演の杉咲花は、昨年のNHK連続テレビ小説『おちょやん』で、浪花千栄子をモデルにしたヒロイン竹井千代役を演じてから、前向きイメージが定着したようです。

『ヤンキー君と白杖ガール』は、作者うおやまによる4コマ漫画です。2018年6月から漫画投稿サイトで自主掲載後一気に注目を集めました。顔に傷のあるヤンキー青年の黒川森生と、弱視の女子高生赤座ユキコの恋愛物語は、ふたりのラブコメを中心にしつつ、障害など社会で生きづらさを感じる人々の生き方も鋭く描いています。4コマ漫画として掲載されていますが、ほとんどの話が4コマでは完結せず連続する「ストーリー4コマ」の体裁をとっています。

これまでの障害者ドラマは、ドラゴン桜をはじめ、グッドドクター、ATARUと発達障害者、特にASD者を描いたものがヒットしましたが、視覚障害者では「君の名は」くらいしか思い浮かびません。おそらくドラマ展開に視覚障害を結び付けにくいという課題があったのかもしれません。今回のドラマがそれを打ち破っていくのかどうかが楽しみです。

学習障害

学習障害のある子どもは、勉強していく上で必要となる「書く・読む・聞く・話す・計算・推論」のいずれかまたは複数の力が、同年代の子どもに比べて一著しく低いです。中には知的障害やASD・ADHDなど他の発達障害が併発する人もいます。ただ、勉強ができない理由には、知的障害が原因の場合もあります。知的障害と学習障害では原因が違います。原因が違えば支援方法も異なるので注意が必要です。知的障害は読み書きが必要な学習面だけでなく認知の全般的な遅れです。学習障害は、認知能力の凸凹であり、会話をしていると全く遅れを感じないばかりか優れた洞察力や創造性がみられる子どもも少なくありません。近年、学習障害と診断される子どもが増えてきていますが、これは学習障害の認知度があがったためで、昔は学習障害に気づかれず適切なフォローをされないまま大人になっていくケースが多くありました。

学習障害は、脳機能の障害のため、その原因の一つは遺伝です。ただ、学習障害が親から子へと遺伝するメカニズムは未だ解明されていません。親や兄弟で学習障害の人がいると、学習障害の発症率が高くなることから原因の一つとして遺伝が挙げられています。ただ、学習障害でない親から学習障害をもつ子どもが産まれることもあり、単純に遺伝だけで説明がつくものでもありません。学習障害が遺伝するメカニズムが容易に解明されない理由の一つとして、「学習障害はある特定の遺伝子が原因ではない」ということが挙げられます。また、学習障害になりやすい原因となる遺伝子が親から子への遺伝しても、必ず学習障害の症状が出るわけでもありません。。

学習障害は環境要因も原因となります。遺伝は、学習障害の原因の一つでありますが、全てではありません。学習障害は、遺伝的要素の他に環境要因が合わさって発症するとされています。学習障害を含む発達障害の子どもに対して、「親の育て方やしつけがなっていないせいだ」と心無い発言をされることがありますが、様々な研究により学習障害を含む発達障害は、先天的な脳機能の障害のため、親の育て方が原因でないことは明らかになっています。現在は、学習障害に対しての世間の認知度も高くなってきているので、親を責める発言は減ってきていますが、学習障害児に対して学校や社会で適切なフォローがされず、親の責任とされているケースは今でもあります。以前は学習障害そのものが見過ごされていた事例も珍しくありません。ただ、先にも述べたように環境因も合わさって発症する場合があるので、通常の子どもの環境と比べて劣悪な場合(睡眠・食事・運動など日常生活のリズムが小さな頃から家族全体で崩れている等)は、保護者の責任がないとは言えません。

学習障害の子どもを持つ親にとって大切なことは、原因を知ることよりも、子どもが学校や社会で困難が少なくなるようにサポートしてあげることです。学習障害は、本格的に勉強を始める小学校入学以前はなかなか親も気づきにくいですが、子どもの様子に他の子どもと違う点が多いように感じたらできるだけ早く専門家に相談してみましょう。より早く学習障害と診断されることで、早期に療育を開始できるため、より高い効果を期待することができます。学習障害の原因は、遺伝だけでなく、様々な環境要因が合わさってています。環境要因の中には、親の力ではどうすることもできないものが多いので、学習障害を予防することはできません。学習障害の子どもに対しては、子どもの症状にあった学習法を見つけてあげ、子どもがより意欲的に学習に取り組めるようにサポートしてあげることが大切です。

「強度行動障害」医療が果たすべき役割

家族や施設では支えきれず…「強度行動障害」医療が果たすべき役割は

2020/10/1 19:00【西日本新聞】

自傷行為や身近な人への他害なども見られる強度行動障害。家族や施設だけでは支えきれず、長期間、精神科病院に入院する人も少なくない。「医療」はどんな役割を果たすべきなのか-。治療や支援に詳しい国立病院機構・肥前精神医療センター(佐賀県)療育指導科長の會田(あいた)千重さんが福岡市内で講演。病院側も地域生活への移行を見据え、「普段から福祉や教育など関係機関と連携を密にし、暮らし全体を支えていく意識が大切だ」と訴えた。

「医師が1人でできることは限られている」。同センターで約15年、強度行動障害の患者の治療や研究に携わってきた會田さんは、冒頭からそう指摘した。行動障害が表れるのはもともと自閉症や知的障害の人が多く、その特性や周囲の環境のミスマッチが原因とされる。治療にも、表面上に表れた行動を分析し、検証しながら当たる必要があることから「患者の24時間の生活に接する多職種の力が欠かせない」と言う。

家族などの安全網
全国で強度行動障害のある人は療育手帳交付者の1%程度とされ、行動障害関連の福祉サービス利用者を含めると5万人を超える。多くは自宅で通所施設などを利用しながら暮らしたり、障害者施設に入所したりしている半面、地域の精神科病院や、国立病院機構など専門の医療機関で入院している患者もいる。

行動障害そのものを軽減する治療だけでなく「自傷行為による失明や、キーホルダーなどを飲み込んで開腹手術が必要になるなど、病院が関わらないと命を落としかねない例も少なくない」(會田さん)ためだ。福祉での短期入所が難しい場合は、同居する家族や施設職員の一時的な休息のための短期入院も受け入れており、医療が「在宅や福祉での対応が難しい人々のセーフティーネットの機能」を果たしていることは間違いない。

薬物療法から脱却
ただ精神科病院では、特に状況が切迫しているような場合など、行動障害を薬で鎮静化する薬物療法が一般的。「薬を使いすぎれば、消化管の動きやのみ込みが悪くなるなど副作用も心配される」。個室や保護室などで24時間、行動を制限する対応も珍しくない。このため會田さんが強調したのは、問題行動に至る前後の様子をよく観察し、本人が落ち着きやすいよう部屋などの環境を整え、写真や絵のカードを用いて意思疎通する-など、福祉施設などで実践されている支援を医療に取り入れる「非薬物療法」の重要性だ。

同センターには看護師だけでなく、保育士や心理士、児童指導員など多様なスタッフが所属。入院患者には一日の生活スケジュールに合わせて治療や薬の調整を行い、徐々に個室から出て、小グループでの活動など行動の場を広げていくようにしている。いずれも患者が「自宅や施設に帰ったときのギャップ」を回避し、スムーズに地域生活に移行できるようにする狙いがある。「地域の精神科病院でも、個室でその人が好きな音楽や絵本を提供するなど行動拡大を促す取り組みは可能では」(會田さん)

院内にヘルパーも
理想の支援のあり方として會田さんが思い描くのは、医療が「セーフティーネットの最終手段」ではなく、本人や家族を中心に福祉施設や相談支援事業所、行政、学校などがつながるネットワークの輪に「医療機関も当初から関わる」姿。外出時にヘルパーが付き添う行動援護など、福祉サービスの入院中の利用も病院が積極的に認める▽本人が得意な意思疎通方法など個別の情報を学校が提供し、関係機関で共有、統一する-などしてそれぞれが多様なサービスを行えば「地域に帰ったときの生活保障」につながるからだ。

しかし現状では医療と福祉の間でさえ分断しがちで「連携していても、一病院と一事業所がお互い何とかしようと無理を重ねる例が多く、限界が出てくる」。どうすれば関係機関が手を携えていけるのだろう。現在は入院患者が行動援護を利用している同センターでも、当初、看護師からは「抵抗」があった。「本人はヘルパーとの外出を楽しみに出掛け、機嫌良く帰ってくる。そんな効果を実感すると、今後も(福祉サービスを)入れましょう、と変わっていった」という。

大事なのは「患者が地域に帰った姿を想像しながら、支援者同士も、お互いを知っていく」こと。それが支援の地域格差の解消にもつながっていくと、會田さんはみている。(編集委員・三宅大介)

【ワードBOX】肥前精神医療センター(佐賀県吉野ケ里町)
1945年に「国立肥前療養所」として開設された精神神経疾患の基幹医療施設。計564床のうち、全国の国立病院機構でも数少ない「療養介護・医療型障害児入所支援病棟」(計100床)で、重い知的障害や自閉症などの発達障害があり、強度行動障害を伴う患者の治療や療育を行っている。

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機能的コミュニケーションが確立していない子どもの場合は、思春期から大人と子どもの力の逆転が起こり、行動障害が激しくなることがあります。行動の問題は小さい時と同じなのですが、力が強くなるので家族や事業所では耐えきれないようになってきます。そんな時に、入所施設や入院施設を頼るしかない場合があります。ただ、どこも何人も同じ境遇の方が空ベットを待っていますので、簡単には入所も入院もできません。

また、入所や入院をして落ちついたからと帰宅すると、行動障害のリバウンドのような現象や、当事者のいない生活に家族が慣れてしまい、入所・入院前より家族の養育力が落ちてしまうことがあり、なかなか地域に戻れないことがあります。

従って、医療や入所施設は最後の砦と考えるのではなく、日常的に幼少から利用して関係者が当事者情報を共有しておくことがとても大事です。家族がちょっと疲れたらレスパイト的な利用もしていくと、お互いの対応の違いにも気づきますし、当事者も慣れたところ安心できるところを増やしていくことになります。そういう意味で、精神科医療も関与したグループホームなどの設置がもっともっと地域に必要です。

行動障害の多くの原因は機能的コミュニケーションの不全から生じるものですが、それだけでは説明できない気分変動や感覚の問題などがあり、記事にあるような「非薬物療法」だけではうまくいかない方も少なくありません。記事の真意は服薬だけに依存しないで、当事者の特性に合わせた実践が必要だと言いたいのだと思います。服薬にも頼りながら表出コミュニケーションの力を伸ばしていく取組が求められるのだと思います。

 

 

 

「一緒にいれば分かりあえる」は幻想だ…

「一緒にいれば分かりあえる」は幻想だ・・・小山田氏「障がい者イジメ」発言で注目、知られざる「ダンピング」の実情

2021.10.07【文春オンライン】

『ロッキング・オン・ジャパン』等、複数の雑誌で小山田圭吾氏が過去の障害者いじめを語り、東京五輪開会式の演出チームを辞任した問題は広く報道された。その際に、彼個人よりも、背景にある障害児教育の問題に目を向けていたのが野口晃菜博士だ。

インクルーシブ教育の専門家として各種委員を務めるほか、学校・自治体・民間企業などと連携して共同研究、仕組み作り、助言等を行っている野口氏は「ダンピング(投げ捨て)」という問題が障害児へのいじめの背景にある可能性を指摘する。重度脳性麻痺と発達障害を持つライターのダブル手帳(@double_techou)が野口氏に「ダンピング」について伺った。

「ただ一緒にいるだけでわかりあえる」は幻想だ
▼ダンピングとは何ですか。

野口晃菜博士(以下、野口▽)ダンピングを説明するために、まず「インクルーシブ教育」の説明をしますね。

これは日本だと単に「障害のある子とない子が同じ場で学ぶ」という意味で使われがちです。しかし本来は「ただ一緒にいる」のみならず、「合理的配慮」の実施も含意する言葉で、それが為されて初めてインクルーシブ教育といえます。

多数派の人のみを中心とした教育でなく、「障害」を含む多様な子どもの存在を前提とした教育をつくっていくことがポイントです。

たとえば読み書きの困難や色々な障害など、学び辛さを抱える子がいたとしましょう。既存の方式を彼らに強いると学ぶ機会を奪ってしまう。眼鏡の子に裸眼で黒板を読めと言うのと同じです。

そこで一人一人に合わせ、音読の代わりに読み上げツールを使う、黒板を書き写す代わりに写真を撮る、タブレットで入力する等々、本人と相談しつつ他の子と同様に学びにアクセスするための工夫をすることが「合理的配慮」です。

そうした工夫もなくただ一緒にいるだけ、障害のある子どもを通常の学級に放り込んでいる状態がダンピングです。

▼このダンピングは、いつ頃から問題になっているのですか。

野口▽米国や英国では70年代以降、障害のある子も同じ場で学ぶことが重視され、その機会が増えていった。その中で「何の工夫もなくただ一緒にいるだけでは逆に学びからの排除が起こってしまう」という指摘が出始めたという経緯です。

日本の場合、障害のあるなしにかかわらず、積極的に一緒に学ばせようという地域と、障害のある子どもは基本的に特別支援学級に通わせる地域があるなどかなり差があって、「ダンピング」以前に、子どもたちが一緒に学ぶ環境が、全国的に実現できていません。

▼小山田圭吾氏が通っていた小中高一貫校は、障害を持つ生徒を積極的に受け入れ、一緒に学ばせていたといいます。「子どもは一緒にいれば何もせずとも自然と分かり合える」と言う人もいますが……。

野口▽幻想だと思います。社会には「障害」という言葉があり、偏見も蔓延していて、幼い子もその中で生きてますから。

子どもは大人の言動や態度を実によく見ています。私が気になるのは、学校でも、家庭でも、メディアでもはびこる能力主義です。その下で学級経営をしたら、障害のある子はどうしてもできないことが目立ってしまい、「なんでこんなこともできないんだ」という感情を他の子から向けられたり、本人の自己効力感もどんどん下がっていったりしかねない。

だから、「できる」「できない」が最重要のものさしにならないように学級経営する必要がある。特別な工夫もなくただ一緒にいれば分かり合える訳ではないと思います。

▼現実にはそうした配慮を受けられてない障害児も多くいるでしょう。ただそれを是とする意見もあります。曰く、障害児にとっても、虐められたり、皆できることが自分だけできなかったり、といった惨めな経験こそ、社会の何たるかを体感するまたとない授業になる、と。割と上の年代だとこうした教育観の人は珍しくないと感じます。どう思われますか?

野口▽あり得ないと思います。私は成人した障害のある人と接する機会もありますが、その中には学校で一生分の傷を負った方もいます。そんな形じゃない学び方で教えるのが学校でしょう。

▼暴力を使わず学ばせる。

野口▽そここそ教育の役割なのに、それを放棄して、いじめや排除を正当化するのは虐待です。

得意不得意や「どんな時助けてほしいか」を口に出す
▼国が出している「合理的配慮」の事例集(※1)を読んだら「児童間でのコミュニケーションを増やす」「トラブルを未然に防止する」などと書いてあったのですが、学校側からの働きかけでこうしたことを実現するのは実際に可能なのでしょうか。

野口▽私が学校に勧めるのは、自分の得意不得意や「どんな時助けてほしいか」「こう接してほしい」等を考える授業を全員に行うことです。その中に障害のある子どももいたりするでしょう。でも自分の特徴を周囲に喋る力は、障害の有無にかかわらず皆に必要です。

人との距離が近すぎる子もいれば、一方的に自分のことを喋る子もいますよね。互いの特徴や適した意思疎通の仕方を知ればトラブルの未然防止にもなる。障害のある子どもだけ助けが必要なのではなく「得手不得手は皆ある」前提での学級経営が重要です。

▼小山田氏の炎上の際に複数の障害者団体が声明を出す中で強調されていたのが、いじめの懸念を理由に「障害のある子と無い子とを分けて教育しよう」という流れに傾くことへの危惧です。「ダンピングが悪いから分離教育が良い」とはならないわけですよね。

野口▽はい。ただ「いじめを受けるリスクがあるのなら別の場に」と思わざるを得ない状況も理解できますし、そう考える保護者も多いでしょう。

▼分離教育について考えさせられたのが、東京都教委が企業就労率100%を目標に特別支援学校への導入を進める特別なカリキュラ厶が人気との記事です(※2)。企業が障害者枠で雇用する人のために切り出す仕事は事務や清掃などの間接業務が多いため、就労対策もそうした業務中心の訓練とのことでした。

野口▽大学に進む障害のある人も今後増えるでしょうが、高卒ですぐ働く方がまだ圧倒的に多いです。だから特別支援学校の高等部では「18歳で自立しなきゃ」という理由で作業学習ばかり詰め込まれている印象です。その中で「うちに来れば就労できる」と謳う学校も出てくる。

それが高校の果たすべき役割かは疑問です。そのぶん部活や他の高校生が青春時代を満喫している活動に割ける時間は短くなってしまっています。

※1……独立行政法人国立特別支援教育総合研究所インクルーシブ教育システム構築「合理的配慮」実践事例データベース
※2……障害児向け「エリート校」が生まれる根本理由(東洋経済、2018年6月13日)

▼大学も就職予備校と揶揄されますが18歳と22歳の差は大きいですね。社会的に不利な障害者の方が実質的に4年早く人生設計を迫られる。考えれば不思議です。

野口▽本来逆ですよね。米国で私が見た学校では、障害のある人は22歳まで公教育において就労移行支援、地域移行支援を無償で受けられるんですよ。

▼大学に行かずとも4年の猶予がある。米国の教育から学べる点は多そうです。

野口▽もちろん米国にも課題は多いですが、私自身、米国イリノイ州で教育を受けたことが今の活動の原点でもあります。

小6の時に米国に引っ越したのですが、同じクラスに様々な障害のある子がいたんです。脳性麻痺で車いすに乗っていて首を少し動かすことしか難しい同級生もいました。

それまでそういう人に会ったことがなかったので衝撃を受けたし、日本ではどこにいるんだろうと思いました。その子はセンサー式のボタンで意思疎通していて「こういう技術を使えばコミュニケーションができるんだ」と興味を持ちました。

▼その子達の周囲との関係はどうでしたか?

野口▽皆「ハーイ」みたいな感じでいつもカジュアルでした。コミュニケーションを積極的に取っている人が多かったです。

あと私が米国にいた90年代~2000年にかけてはADHDと診断される人が増えていた時期でした。あくまで私が通った学校の話ですが、クラスにもかなりそういう子がいて、彼らが実に抵抗なくそれを話すんです。

「俺、ADHDだからちょっと保健室行って薬飲んでくるわ」みたいな。私にはすごく新鮮でした。でも他の子も「へえ」みたいな反応なので、私も「へえ」みたいな感じで。

多動で机に座って勉強できないんだけど、バスケが得意でドリブルしながら本読んでる友達もいました。そのほうが覚えられるらしくて。

「タブレットを持っていくと『ズルい』と言われる」
▼懐の深い教室ですね。逆の意味で印象深かったのが、野口先生が以前あるシンポジウムで発言されていた日本の話です。タブレットを使えば学習できて、他の子どもたちと一緒に授業を受けられる子でも「これを通常学級に持っていくと皆に『ずるい』って言われるから」と嫌がるケースが多いと仰っていますね。

野口▽学級経営の方法を工夫せず急に「あなただけタブレットで勉強しよう」と言えば本人も嫌がって当然なんです。今の教育現場には皆と同じペースで同じことをするのが正しいという価値観があり、生徒自身もそれを内面化していますから。

まずは、学級に「学び方は一人一人違っていい」と浸透させることや、本人が自分に合った学び方を知ることが必要です。

▼理解を醸成して初めてタブレットが活きると。

野口▽ええ。テクノロジーをただ導入するだけでは解決しません。

▼関係者が一致して地道な努力を続けられるかが鍵になりそうです。

野口▽ただ、「通常学級を選んだら何の支援も受けないよう覚悟しなさい」などと言って自己責任にする人も未だにいるのが現状です。

▼何か改善を要望しても「好き好んで普通学級に来たんだろ」とダンピングの正当化に使われる?

野口▽はい。これは先生個人よりも構造に問題があると思います。そもそも障害を理由に普通学級と特別支援学級の選択を迫られること自体、酷でおかしいんです。障害のない子どもはそうした選択をしなくてもいいわけですから。

当然に地域の学校に通い適切な支援を受けられるのが前提であるべきです。その仕組みを国として整備していかねばなりません。

「特別扱いはしない」が正しいわけではない
▼インクルーシブ教育を語る上でリソースの話は避けて通れません。

野口▽ええ。時に異なる障害種同士によるパイの奪い合いになることがあります。しかしその根本にはそもそもの教育予算全体が少な過ぎるという問題がある。従って、一致団結して全体のパイを増やしていくのが大事だと思います。

▼実際の教育現場に着目するといかがですか。

野口▽個々の合理的配慮を具現化するにあたっては、本人も含めた関係者間で「今あるリソースの中でどれだけできるか」の合意形成を図らねばなりません。

しかし障害を持つ子どもやその保護者と学校・教育委員会とが対立するケースもあります。

▼普通学級への就学を断られたり?

野口▽それもあるし、普通学級へ就学した上で、プリントを他の子よりも拡大してルビをつけてほしい、別室で試験を受けたい、タブレットを持ち込みたい等様々です。こうしたことに学校側が初めから「無理です」と対応したことが引き金になったりするんです。

合理的配慮の紛争を調停する独立した公的第三者機関を設け、そこが間に入り一緒に解決していく仕組みだと相当違うでしょう。本人が最大限自分らしく学び過ごすために何ができるか、各々が知恵を出し合えばやれることは沢山あります。

▼「皆に合わせろ、特別扱いはしない」と言われて育ったので、教育と合意形成は対極にあると思っていました。

野口▽確かに教師という人がいて皆を指導する側面や、皆が同じ時に同じ事をせざるを得ない場面もあるでしょう。

しかし国の方針も教育現場も、主体性を育む方向に進みつつあるのもまた確かです。例えば、先生だけが勝手にルールを決めるのではなく、生徒達自らが話し合って校則を見直す動きも現れています。

▼ルールは皆で作ってもいいし、その過程も学びである、と。

野口▽ええ。だから合理的配慮にしても「ずるい」みたいなことがあれば皆で考えたらいいんですよ。むしろそれは子どもに人権や障害を教えるチャンスです。先生が全て正解を持ってて渡すのではなく、子どもとともに考える。

「そうか、なんでずるいと思うんだろうね」とか「じゃあなんで合理的配慮ってあるんだろうね」とか。子どもたちが主体的に学び先生が一緒に考えながら支える。そんな教育観を大切にしたいです。

◆ ◆ ◆

なぜインクルーシブ教育が必要なのか
野口氏はダンピングを入り口にインクルーシブ教育の何たるかを語った。つまり障害児と健常児のお互いにとって、同じ教室で机を並べることが幸せな体験になるようにする知恵だ。

ただそもそも何故両者が同じ教室で一緒に学ぶべきなのか。これは健常者の中にはピンとこない方もいるかもしれない。

私が考える最大の理由は、子供の頃から両者の接触機会を多く確保しておかないと、障害者の存在が忘れられたまま回っていく今の社会が続いてしまうからだ。

今回の問題にせよ、小山田氏の報道は過熱する一方、虐められる側の障害者の存在は置き去りにされた。

彼が自身のサイトで公式の謝罪文を掲載した数日前、私はヤフーニュースで彼のインタビュー記事を見つけ、コメント数の膨大さに圧倒された。それはさわりだけの無料記事で話の中身は殆ど不明にも関わらず、想像を絶するほどバズっていたのだ。

しかしメディアが彼への取材を熱心に試みたのとは対照的に、障害者の側の話はこの間ほとんど聞かれなかった。仮に当時の直接の関係者に当たれずとも、現在や過去に虐められた経験がある障害者、保護者、障害者団体、障害児教育に携わる教師など、この問題を語れる人は多い。彼らに発言の機会を与える努力がもっとあって良かった。

こうした報道姿勢と障害者への関心の低さは強力なサイクルを形成しており、メディアはあまねくこの構造に囚われている。大切なことでありつつもメディアを介して伝えるのはとてつもなく難しいメッセージは多い。それは私自身も、何かを発信する側に回った時に思い知らされることだ。ここでは特にそのうちの三つを挙げたい。

第一に、報道に登場していなくとも私達障害者は絶えずどこかに存在し続けていること。悲惨な事件や旬の話題が起きた時だけ瞬間的に現れて消える陽炎ではない。

第二に、私達は露悪的なキャラを作るためのアクセサリーではないし、人を社会的に抹殺するための武器でもない。つまり何かの目的のために作られた道具ではないということ。

第三に、私達は何らかの行為の対象や目的語になるだけでなく、行為の主体、動詞の主語にもなれるということ。

私達も人間である以上はどれも当然だ。しかし常に肌感覚として持てる人がどれだけいるか。そう簡単なことではないし、まして報道を介してやり取りできるたぐいの感覚ではない。

それを培うには同じ空間で一緒に長い時間を過ごす経験が必要であり、インクルーシブ教育への期待は大きい。幼少期の経験から私達を頭の片隅にでも置いてくれる人が増えていけば、報道が変わり、制度が変わり、社会が変わる時が来るだろう。

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※野口 晃菜
株式会社LITALICO執行役員 LITALICO研究所所長
1985年生まれ。小学校6年生の時にアメリカへ渡り、障害児教育に関心を持つ。高校卒業時に日本へ帰国、筑波大学にて多様な子どもが共に学ぶインクルーシブ教育について研究。その後小学校講師を経て、現在障害のある方の教育と就労支援に取り組む株式会社LITALICOの執行役員・LITALICO研究所所長として、障害のある子ども8,000名への一人ひとりに合わせた教育の実現のための仕組みづくり、公教育や児童養護施設との共同研究などに取り組む。共著に「インクルーシブ教育ってどんな教育?」や「地域共生社会の実現とインクルーシブ教育システムの構築―これからの特別支援教育の役割」などがある。博士(障害科学)。
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長い記事を引用したのは、記者のスタンスよりもインタビューに答える野口さんの明快さに惹かれたからです。彼女の話は5年程前にLITARICOの長谷川社長の話の前座?で聞きました。とにかく長谷川社長も野口さんと同年齢で、会社全体が若武者集団と言う感じでした。創業が2005年から就労移行支援事業を皮切りに、全国展開の障害者福祉の会社に急成長して、2000名を超える従業員を擁しているのがLITALICOです。日本の障害者福祉に新しい時代が来たなのと感じさせてくれました。

もっと、驚いたのが、こうした福祉や教育ベースの研究は大学研究者や政府関係の研究所所属の研究者が行うものという常識を覆し、会社の中にシンクタンクをもって自分たちの理念を企業ベースで進めようとしている事でした。もちろん、現在の福祉や教育関係の民間事業所でかつて研究者だった人が経営している法人はいくつかありますが、シンクタンクが持てるほどの資本力があるところはここだけです。

LITALICOの経営が全て上手くいっているわけではないし、マニュアル対応に傾きすぎてサービスに合わない利用者が離れていく傾向も耳にしますが、サービスコンセプトがはっきりしているので全体の療育や就労支援の方針がぶれる事はないと思います。野口さんが米国やイリノイ州の教育を正確に紹介してくれているので、インクルーシブを目指す我々には貴重な示唆を与えてくれています。若いと言うのはまっすぐで良いなと思います。

 LITALICO研究所 facebook.comより

障害支援区分調査

 

わが子を悪く言うようで…葛藤する障害程度の調査慣れてるつもりでも

2020年9月29日【読売新聞】
シリーズ:アラサー目前! 自閉症の息子と父の備忘録 梅崎 正直

「なんかやったな!」
キッチンで妻が叫んでいる。言われてみると、家じゅうにいい匂いが漂っている。これはシャンプーかボディーソープだろう。

匂いのする液体があると、洗面所に全部、流してしまうという行為に洋介がハマってしまったのは、この5年ほどだろうか。シャンプー類ならいいが、化粧品や洗濯用の洗剤や漂白剤などに手を出すこともあるので、気をつけなければならない。歯磨きのチューブも好きで、これは一気にギュッと絞り出す。大量に流れだすのが面白いのか、気持ちよいのか。たぶん、スカッとするのだろう。キッチンにも魅力的なものが多く、ペットボトルを逆さまにし、豪快に全部流してしまい、家族のひんしゅくを買うのだ。

なので、こちらもボトル類は隠し場所を決め、シャンプーなどの詰め替えの際には中身をいつも半分以下にキープし、流されても被害が少ないようにしている。しかし、敵もさるもので、家の中であればだいたい探し出すし、この日は買ってきたばかりの洋介用のトニックシャンプーが、一度も使わないまま餌食になってしまったので、買ってきた妻のショックは大きかった。「もう、洋ちゃんにはかなわないわ……」などと嘆きながら、妻はふと何かを思い出したもよう。「これも明日、言おうかな」

障害支援区分調査は“真剣勝負”
翌日は、市が洋介の障害支援区分を判定するため、面談をする日なのだった。洋介は最重度の「6」判定を受けている。区分は受けられる福祉サービスや事業所への報酬にかかわるから、この面談は思いのほか“真剣勝負”となる。本人の状態が現実に良くなってはいない以上、区分は維持したい。

しかし問題は、洋介にも一応、「よそ行きの顔」があって、知らない人の前だと妙におとなしく、妙に聞き分けがよくなってしまうことだ。普段の 狼藉ろうぜき ぶりが影を潜め、「実際よりも軽い判定を受けてしまうのでは?」と心配になる。

厚生労働省が示す調査項目は、「寝返り」「歩行」など身体的なことや、「食事」「入浴」「排泄はいせつ」などの自立度、「金銭管理」「電話」など社会的なことなど多岐に及ぶ。主治医の意見書も必要だ。面談で普段の様子を伝えるとなると、結局、わが子の「できないこと」「問題行動」を、親が自ら並べ立てる状況になる。「食事は一人でできません」「お風呂では自分でちゃんと洗えません」……。

前回は3年前で、市の調査員の前に、本人と妻と通所施設の施設長が臨んだが、畑仕事の途中だった洋介が顔じゅうに自分で泥を塗りつけた状態で登場するというナイスアシストがあった。

初めはつい息子を「擁護」して
最初に「判定」を受けたのは、洋介が小学校に入ったばかりのころで、場所は県の中央児童相談所だった。初めて「療育手帳」の交付を受けるためで、この時も、身の回りの自立度や言葉の発達などを聞かれたが、「できると思います」「できるときもあります」などと言ってしまうことが多かった。障害の判定をするのは支援のためだと頭ではわかっていても、つい、わが子の評価を良くしようという心理が働いた。心のどこかでは、依然として障害を受け入れられない気持ちが色濃かったのだろうと思う。

その時の判定は中度の「B」。これが、小学校高学年には「A」となり、成人の手帳に移行してからは、さらに重度の「マルA」となった。学校を卒業し、通所施設などを利用するようになってからは、市の障害支援区分や年金の手続きもあり、僕らも「できないこと」や発達の遅れを並べたてることに、少しずつ慣れてきた。

やっぱりその日の夜は…
日々の暮らしの中で、わが子が「重度」だという実感があまりないのは、特別支援学校などで洋介よりもずっと大変そうな子どもを多く見てきたからだ。そのため、こうした「判定」になると、「今度はランク引き下げかな?」などと思うのだが、今回の面談を担当した市の調査員の感触は「変わらないのでは?」ということで、やはり客観的に見て最重度なのには違いなさそうだ。「うちの子、何でもできそうに見えるから……」との心配も、親の欲目なのだろうか。

これまで、数えられないくらい経験した「評価」の場。平日の面談に出かけることが多く、僕よりもずっと慣れているはずの妻も、そんな日の夜はきまって頭が痛くなるという。平気なようでいて、息子を悪く言い続けるのは、やっぱり今も相当なストレスなのだろう。(梅崎正直ヨミドクター編集長)

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障害判定の記事はみなさんあるあるだと思います。小さなうちは完全にできないことでも「できるときもある」と表現し、大きくなるとできることでも「完全ににはできない」と表現が変わっていくのです。これは、支援か自立かというステレオタイプで見るのではなく、支援と自立は共存するという事がだんだん理解できてくるからだと言われています。

そして、実はこの判定内容が放デイのサービスにも影響します。放デイでは事業所内の放課後等デイサービス指標該当「有」の利用者が半分を切ると、区分1-1の事業所の平均収入では年間百万円以上変わります。つまり指標該当「有」は人手がいりますという判定です。しかし、この制度は個人への還元ではなく事業所全体の収入に影響するので良い制度とは言えないのです。そして、マンツーマンの療育を行う場合も、生活自立度は関係ありません。軽度の人にも人手は同じようにいるし、軽度の人のほうが長時間の療育になることもあるからです。

公平な判定というのは難しいものですが、重要なことはその人の自立度が支援付きでもよいのでどの程度向上するのかということです。そして、小さな時期の支援が少なく大きくなって支援が多くなるのでなく、小さな時期にたくさん投資的支援をして成人してからの自立度が向上するのが本来の支援のあり方のように思います。

大津・男子生徒いじめ自殺から10年

遺族「子どもを取り巻く環境は変わっていない」大津・男子生徒いじめ自殺から10年

10/11(月) 【MBSニュース】

滋賀県大津市で、中学2年の男子生徒がいじめを受けて自殺してから10月11日で10年になります。男子生徒の自殺をきっかけに新たな法律もできましたが、遺族は、子どもを取り巻く環境は変わっていないと話します。

10月11日午前8時半ごろ、大津市役所では教育長や職員らが黙とうをささげました。

10年前の2011年10月11日に大津市の当時中学2年の男子生徒が自宅マンションから飛び降りて自殺しました。当初、市教委は『いじめと自殺の因果関係』を認めていませんでしたが、第三者委員会が「いじめが自殺の直接的な原因」と認定しました。

また、遺族が加害生徒らに損害賠償を求めた裁判は最高裁まで争われて、2021年1月にいじめと自殺の因果関係を認めた判決が確定しました。

亡くなった男子生徒の父親は10月11日の午後に会見を開き、父親は子どもを取り巻く環境は当時から変わっていないと話しました。

(亡くなった男子生徒の父親)
「とても10年前より子どもをとりまく環境が良くなっているとは考えられません」

生徒の自殺をきっかけにいじめの早期発見を学校に義務付ける「いじめ防止対策推進法」が成立しましたが、いじめは今も後を絶たないとして、父親は法律の実効性に疑問符を投げかけます。

(亡くなった男子生徒の父親)
「全ての学校、全ての教育委員会がそうだとは申しませんが、新しい法律ができても変われない学校、それを所管する変われない教育委員会があることは間違いありません」

一方、教育現場では新しい取り組みも始まっています。大津市教委は2020年からAI(人工知能)による数値化を始めました。市内の小中学校から報告される「いじめ事案報告書」について、いじめかどうかの判断が難しい事例をAIに分析させると、約5200件の過去のデータをもとに『深刻ないじめに発展する可能性が何%あるのか』を教えてくれます。

(大津市教育委員会児童生徒支援課古蒔順一朗指導主事)
「このAIを使った深刻度を学校にも提示することで、客観的な根拠を持って学校に指導助言しやすくなった。全ての子どもたちの笑顔を守っていくためのいじめ対策を進めていきたいと思っています」

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前向きにやろうとしていることに水はさしたくないのですが、このブログで一貫して主張していることは、市長がまずやるべきことは責任者の更迭です。一罰百戒で全てが解決するものではありませんが、管轄下で事故が起きたときは、責任者の職を解き降格するなどの懲戒を最高責任者が行うべきです。子ども同士の事件に公務員の業務の瑕疵を問えるのかという意見もあるでしょうが、管轄内で業務と因果関係のある事故が生じたなら、まずは綱紀粛正のために責任者降格は民間会社ならあたりまえです。

けれども市長は校長や学校責任者、役人の降格すらできていません。市長が腹をくくれないからです。第3者委員会では関係者を切る権限はないのですから、この委員会はどこまで行っても市民の不満のガス抜きでしかありません。市長は人事の一新で改革を訴えることもできません。そして、機械に任せたら公平に判断するだろうという、方向性がまるで違う答えを出してきます。大津事件や様々ないじめ死亡事件の怒りは、いじめた子どもへの怒り以上に、学校組織や教育委員会をはじめとした行政が真摯な対応しないという事への怒りです。

例え、校長や教育長が更迭されても遺族の怒りは収まらないとは思います。しかし、いじめの対応の瑕疵は明々白々なのですから、行政はAI導入などと小賢しいことをしてお茶を濁すのではなく、リアルに組織が組織としてけじめをつける事を断行すべきです。そうした上で予防策を講じない限り、その予防策ですらまともに動くことはありません。人が人にできることはそう多くはないです。詫びて人事で責任を取るのは最高責任者の最低限の仕事です。

渋々でも納得する練習

子どもが何か希望通りに行かず機嫌が悪くなった時などに、納得させようとして言葉で色々説明したり、子どもの希望が通るように(要求が通るように)動いてあげることがあります。また、事前にそのような状況にならないように工夫し、機嫌を損ねないように環境を整えるかもしれません。

思った通りにいかない場面や、要求が通らない場面があまりにも多ければ、ストレスが大きすぎるので配慮してあげる必要はあります。しかし、子どもの機嫌を損ねないように配慮するだけではなく、思い通りに行かないことがあることを知り、渋々でも納得するという経験を積むことも大切です。

日常生活を送っていると、物が壊れて直せなかったり無くしてしまったり、決まった時間に家を出ないといけなかったり、家族に急な用事が入って楽しみにしていた予定をキャンセルするなど、実際にどうすることもできない場面があると思います。そのような場面で、機嫌を大きく損ね、長く引きずるようであれば日常生活に困難をきたします。また、少し思い通りに行かない些細なことで、機嫌を損ねるようになるかもしれません。集団生活にも支障をきたします。上手くいかなくても渋々納得する力をつけるためには、渋々納得する経験を積んでいく必要があります。

状況を理解する力や知識をつけるため、なぜ我慢しないといけないかを分かりやすく説明してあげることは大切です。例えば、「壊れてしまったからもう動かない、お母さんも直すことができないから、あきらめるしかないです」など。子どもの言語スキルによっては、絵にかいて説明してあげても良いです。しかし、説明しても子どもが納得せず、怒ったり、駄々をこねたりしたとき、それ以上言葉や絵で説明して納得させる必要はありません。もうその状況を受け入れるしかないことを経験させてあげてください。「もう仕方ないです」とだけ言って取り合わないようにし、子どもから離れます。

子どもは泣いたり怒ったりすると思いますが、時間が経つと諦めます。子どもが諦めて落ち着いたら、何もなかったように普通に接してあげてください。「よく我慢したね」と軽く声をかけてあげても良いです。子どもが思い通りに行かず混乱したり、怒ったりした時に、機嫌を直すために何とかしてあげようと働きかけるのではなく、学習の機会と考えて渋々納得させる、諦めさせるということも大切です。そういった経験を積むことで、思い通りに行かない時に怒っても仕方がないことを知り、我慢できるようになってきます。このような対応に合わせて、状況を理解する力や知識を伸ばしてあげることで、大きく混乱することなく生活できる時間が増えていきます。

ただ、大人の勝手な都合(大人側のミス)だけでなくなったり変更したりする理不尽なトラブルで諦めさせることを経験させると、信頼関係が崩れて本人も約束を破るようになって回復がとても困難になるケースがあるので、大人側のミスであるなら、正直に理由を述べて丁寧に謝る、がっかりさせたことについて詫びる、お詫びのしるしに金品を与えるのではなく子どもの苦情をよく聞いて共感するという行動を大事にする必要があります。

ピースマンのまほうのハサミ【本】

散髪苦手な発達障害児の髪を「スマイルカット」美容師が10年の集大成を絵本に

2020年10月3日 15時18分【毎日新聞】

散髪が苦手な発達障害児への支援活動を、京都市伏見区の美容師、赤松隆滋さん(46)が始めて10年になった。これまで延べ4000人の発達障害児の髪を切った経験を基に、3月には絵本「ピースマンのまほうのハサミ」(電気書院、1320円)を出版。赤松さんは「子どもには散髪が苦手なのは悪いことではないということを、大人には子どもたちの言葉にならない心の声に気付くことが大切だということを伝えたい」と話す。

赤松さんが発達障害児の散髪を始めたのは2010年。児童館での子どもの前髪カット講座の講師を務めた際、参加した小学2年生の男児の母親から「他の美容院で切ってもらおうとしたら、聴覚過敏で耳元の音を嫌がり、うまくできなかった」との相談を受け、カットを引き受けた。来店した男児は静かに鏡の前に座り、5分間で大部分を切ることができた。「この調子なら大丈夫。仕上げまでできる」と思い、襟足をそろえようとバリカンの電源を入れた。そして、耳元に近づけたところ、男児はパニックになって店内を走り回った。なだめる母親を横目に、自分は何もできなかったことがショックで、その日は眠れなかったという。

自分にできることは何だろう
「ピースマンのまほうのハサミ」の一場面=電気書院提供
「美容師である自分にできることは何だろう」と自問自答。発達障害についてインターネットや本などで調べたり、福祉関係のセミナーに参加したりした。発達障害児の散髪も積極的に受け入れ、それぞれの特性に配慮し、ペースに合わせて無理をさせずにできるプロセスにした。さらに、常に笑顔を保ち、褒めたりハイタッチしたりして子どもとの距離を縮められるよう心掛けた。こうした取り組みを知り合いが「スマイルカット」と名付け、14年にはそれを広めるためにNPO法人「そらいろプロジェクト京都」を立ち上げた。

こうした経験を基に出版した絵本は、美容師が主人公。泣きながら嫌がる少年の散髪をどうしたらうまくできるようになるか主人公が悩んでいたところ、ヒーローの「ピースマン」が現れ、「魔法のハサミ」を渡す。主人公がこのハサミで髪を切ると子どもの心の声が聞こえるようになり、一人一人に寄り添うことの大切さを学ぶ。そして、再び少年が来店すると……というストーリー。

心の声を聞き工夫することが必要
絵本には物語のほか、美容院の内部や散髪の手順のイラストも付けた。さらに、ピースマンの絵描き歌をQRコードを読み取って聴けるようにするなど、親子で楽しめるように工夫した。赤松さんの小中高の同級生のイラストレーターが作画。本の帯には赤松さんが憧れている元「THEBOOM」のシンガー・ソングライター、宮沢和史さんが「自分と他人(ひと)との違いを楽しむことができたら、世界はもっとつながるのに…」とのメッセージを寄せてくれた。

赤松さんは主人公の子どもと関わって悩んだり迷ったりしながら成長する姿に自身を重ね、少年は実際にスマイルカットで出会った数人の子どもをモデルにした。赤松さんは「できないことで誤解や偏見を持つのではなく、心の声を聞いて工夫することが必要。残念ながら、すべての美容院が発達障害児を受け入れていない。あらゆる分野のプロが一人一人に寄り添うのが当然だという社会になって、いつの日にかスマイルカットが不要になってほしい」と願う。【柳澤一男】

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子どもは、なじみの散髪屋さんを持っていますか?小さい時からのことを知ってもらっていると、大きくなってからでも何かと便利です。感覚を嫌がる子どもの散髪も大事ですが、女の子のカットも重要です。自己フィードバックが弱いので漫画の女の子のようなロングヘアの髪型に憧れたりするのですが、これが似合うよとアドバイスしてくれる美容師さんの存在も大事です。

“あかさたな”で研究者になる~天畠大輔 39歳~

「あかさたな」で研究者になる~天畠大輔 39歳~

2021年10月12日【Eテレ】

天畠大輔さん(39)は中学生の時、医療事故により脳が大きく損傷。話すことも、字を書くこともできなくなり、生きる希望もなくしかけた。やがて母親が見つけた「あかさたな話法」によってコミュニケーションを回復。多くの人の手を借りながら大学に進み、研究者となり、自らの25年の経験を世に伝えようと1冊の本を書いている。題名は『弱さを強みに』。そこにこめた思いとは。ノンフィクション作家柳田邦男さんと語り合う。

再放送 京都10月19日(火)午後1:05放送予定https://www.nhk.or.jp/heart-net/program/heart-net/1880/
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自己紹介

http://www.tennohatakenimihanarunoka.com/profile/index.html

天畠 大輔
14歳の時、医療ミスにより、四肢麻痺・発話障がい・視覚障がい・嚥下障がいを負い、重度の障がい者となり車椅子生活を余儀なくされる。 ルーテル学院大学を経て、立命館大学大学院先端総合学術研究科先端総合学術専攻一貫制博士課程修了【2019年3月博士号(学術)取得】。現在は、㈱Dai-job highを運営する傍ら、中央大学にて「『発話困難な重度身体障がい者』と『通訳者』間に生じるジレンマと新『事業体モデル』」の研究を行う。立命館大学生存学研究所客員研究員。日本で最も重い障害をもつ研究者。東京都武蔵野市在住。1981年生まれ。

研究テーマhttp://www.tennohatakenimihanarunoka.com/profile/dai.mp4

将来の夢
研究者として、「障がい者とコミュニケーション」を専門に研究し、 障がい者がよりよい生活を送れるようにすること。
ロックトインシンドロームの支援者の財団を立ち上げること。
(ロックトインシンドローム=閉じ込め症候群、頭のてっぺんからつま先まで、全身が麻痺状態だが意識や知能はまったくもとのまま。自分という人間の内側に閉じ込められてしまうといった状態。映画「潜水服は蝶の夢をみる」の主人公にもみられるもの。)

資格
相談支援専門員(2019年7月取得)
認定心理士(2011年6月取得)

趣味・特技
昔から映画が好きで、邦画はほとんど見ている。翻訳家の戸田奈津子に憧れて英語の勉強を始めた。
音楽鑑賞(サザンオールスターズ、Mr. Children、スピッツ、斉藤和義ほか)。オシャレすること。聴覚だけで英検準2級取得。

症状
14歳の時、急性糖尿病で倒れた際の医療ミスにより、それ以来四肢麻痺になった。
心停止の状態が20分以上続いたことにより、脳の運動野が破壊されたからである。
視力にも障害があるが、全く見えないわけではなく、立体や色、もちろん人の顔も認識できる。
ただし、紙面やパソコンの画面など、平面のものは見えにくい。知能における障がいはなく、情報を受けとる際は聴覚情報が中心。
発話が困難なためコミュニケーションには時間を要するが、本人の手を引いて一語一語を確認することでコミュニケーション可能。

コミュニケーション方法
介助者が私の手を持つ。介助者が「あ・か・さ・た・な・・・」と子音を言う。
私が伝えたい子音の所で手を引く。子音が決まる。
例えば「あ」で止まった場合、今度は介助者が「あ・い・う・え・お」と母音を言う。
「う」で止まったら、最初の言葉は「う」となる。
この繰り返しで会話していく。

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天畠さんは、他人の介助なしには何もできない自分の弱さがあるから、人間関係のありかたやコミュニケーションのあり方を深くとらえる強さになると言います。「弱さは強さだ」と言う考え方は、多様性社会を作る上で培われた考え方です。強いものや等質なものだけでの社会は持続しないし進歩もないと言われています。弱い者も異質な者も共生できる社会は懐深く賢い社会になるという事です。

天畠さんは、自分の意思と関係なく体が動く不随意運動があるほか、時々あごが外れて息ができなくなるため、24時間の見守りと介助が必要で、約20人が交代で介助に携わっています。天畠さんは、学者ですから論文を書くのにも介助者が必要です。その際には、介助者も天畠さんの研究に関わることになります。

彼の「あかさたな」話法で論文を書く場合は、それまでの文脈を介助者が理解し、彼が次に言わんとすることを予測して、最初の言葉から僅かな文字数で次の文章を予測完成させて、その是非を彼に確認する作業が必要になります。天畠さんにとってもこの話法は煩わしいのですが、文字が読めず不随意の筋緊張が激しい彼には、視線入力などの人工センサー入力は難しく、人の介助を要するこの話法以外のコミュニケーション方法は今のところ見つかっていないようです。

そこで、彼は研究論文に、「通訳者」と「介助者」の「分離二元システム」を提唱し、優秀な通訳者を養成すべきだと言う結論に達します。つまり、介助者に優れた「通訳」までを求めることには無理があり、彼のような学者レベルの通訳だけでなく、表出コミュニケーションの障害を持つ人たちの通訳は専門的にトレーニングした人が必要だと言うのです。この考え方は、実は私たちの仕事にも通ずるところがあります。

アウトプットに障害を持つ者は、自己の障害を説明することすら難しいため、社会的理解を得られにくいです。このような一方通行のコミュニケーションに陥ってしまった人々は、やりたいことを諦めて「妥協」生活を余儀なくされている現状があります。上野千鶴子氏は「ケアされる側の沈黙とケアする側のパターナリズム」(上野 2011:159)が両者のミスコミュニケーションを生むと言います。

表出性コミュニケーションの障害を持つ子どもたちの療育を考える時、その障害が身体的(麻痺等が原因)であれ、機能的(心理発達の障害が原因)であれ、その障害に基づき相手の心象を正確に読み取るスキルがないと、間違った代弁者となってしまいます。「~君は~したいと思っている」「~したくないと思っている」という生活欲求の理解ですら本人と介助者は全く違う事を考えている場合があることは、このブログで何度も紹介してきました。私たちは、そのレベルでは絵カードやICT機器などによる代替コミュニケーションを子どもに教えることを提案しています。

しかし、話が込み合ってくると長々と表現しないと伝わらないことはたくさんあります。それは年齢が増し、生活や対人関係が複雑になるにつれて、的確に通訳してくれる人はますます必要になります。わずか30分の放映ですべてが理解できたわけではないですが、彼と彼に関わる介助者の経験を無駄にしてはいけないと強く思いました。以前、「こんな夜更けにバナナかよ」という筋ジス・鹿野靖明さんとボランティアたちを描いた映画がありました。この話も、当事者と介助者の関係性を描きましたが、今回のドキュメンタリーはこの映画にも勝る強いメッセージが伝わってきました。ぜひご覧ください。

 

家で子どもが荒れる理由

家で子どもが荒れる理由はいろいろあります。保護者はあれこれ環境の変化を考えて外で何かあったと推測します。学校でなにかあったんだろうか?学童保育所や放デイで嫌なことがあったのだろうか?いじめられているんだろうか?怒られたのだろうか?あれこれと考えてみます。でも、お世話になっている先生に何かあったかとは聞き辛いものです。また、何かあれば先生から書面や電話で連絡してくるし、先生が何もないと考えていれば、聞いたとしても「いつもとかわらない」という返事が返ってくるのがほとんどです。

次に、傾向や確率で考えてみます。A先生が担当なら荒れることが多いとか、何曜日がよく荒れるとかそれなりに根拠を探します。そこに法則性が見いだせるなら、次に原因を推測します。同じ曜日に荒れるのは、嫌なことがある日と考えて共通する取り組みを考えます。実は、このようにして原因を追究するのは事業所も学校も同じなのです。家で何か変化があったかと考えるのです。そして、少ない情報から多大な憶測を元に原因を探します。保護者と関係がとりにくい場合はなおさらその憶測と思い込みは激しくなります。

結論としては、わずかな情報と憶測で原因がわかるなら、誰も苦労はしないということです。多くの事象の原因は一つではなく複合的で、複雑に絡み合っていることが多いです。ただ、一つだけ言えることは、自分の目の前で起こっている子どもの荒れなのに、他の場所に原因を求める発想では、その荒れはなかなか収まらないことです。原因は自分かもしれないという可能性を捨てず、まず自分の対応を見直すことが大事です。自分の対応を見直す中で子どもの課題がわかってくるし、他の場所での子どもの課題や成長も見えてきます。ただ、この作業は子どもに関わる全員が取り組む必要があります。家庭と支援先で子どもの発達や障害に基づく支援について同じ理解ができていない場合は子どもの混乱は長引きます。つまり、関係者が一同に連携して支援を見直すことができれば、トライアンドエラーの時間はかかっても必ず子どもの混乱は減少していきます。

その連携のために、相談支援という仕事を専門に引き受けている事業所があるのです。親や事業所や学校は相談事業所に動いてもらって連携できるようにするわけですが、これは絵に描いた餅だなと思うことがあります。相談事業所はまず保護者と話し合ってサービス利用の中身を考えサービス利用計画書を作り行政にも会議で示します。次に必要な事業所を保護者と一緒に選びます。運よく一度で決まったなら次は最長でも半年後にモニタリングの文書を保護者聞き取りや複数の事業所から聞き取って作成します。これが定型の仕事です。

少なくとも3回の会議と2回の文書作成がノルマです。継続モニタリングだけでも年2回会議は必要です。年間稼働日が250日とすれば相談事業者が抱えることができる利用者は100人が限界でしょう。相談員はだいたいこの件数を超えて抱えています。新規で最初の基本報酬は年3万円程度、継続のモニタリング2回で年2万6千円程度、一人が稼働して必要収入を得るには新規継続合わせて100人程が経営収支ラインでもあるからです。

基本の会議だけでこんなにパンパンな状態のところに、さらに他の連携会議を入れる余地は少ないし、丁寧に会議を重ねるとなると持ち出しが多くなります。事業所や学校は招集されても会議費すら保障されないものですから善意で来てもらうしかありません。家で子どもが荒れる理由を探して解決する連携会議が合理的に専門的にできるようになるには、まず相談事業の根本から見直さないと難しいという課題が見えてきます。そうはいっても真摯な連携に勝る策はありません。

 

発達障害の息子と父描く「靴ひも」

発達障害の息子と父描く「靴ひも」10月17日から公開

9/30(水) 10:45配信【産経新聞】

お皿の上の食べ物の配置や寝る前のルーチンなど、独自のこだわりがある発達障害の息子と、かつて妻子を捨てた父親。約30年ぶりに共に暮らすことになった親子を描いた映画「靴ひも」(イスラエル)が、10月17日から全国で順次公開される。監督のヤコブ・ゴールドヴァッサー氏自身も、発達障害を持つ息子の父親。9月29日に東京都内であった試写会にオンラインで登場し、「スペシャルニーズ(特別な支援が必要な人)へのイメージを改善する責務があると感じた」と、制作への思いを語った。

物語は、発達障害を持つ主人公・ガディが母親を交通事故で亡くし、自動車の整備工場を営む父親のルーベンに引き取られるところから始まる。工場の仕事を手伝うも、急ぎの作業より自分のスケジュールを優先して怒られるガディ。子育てから逃げた負い目もあり、息子への接し方が分からず悩む不器用なルーベン。互いに戸惑いながらも新しく親子関係を築き始めた頃、ルーベンが末期の腎不全と診断される。

映画では、ガディが靴ひもを結ぶシーンが3度ある。手先が不器用な発達障害の人にとって靴ひもを結ぶことは苦手な行為であり、親子関係の変化やガディの成長の象徴として描かれている。

ゴールドヴァッサー氏はこれまで、「公私を分け、作品はあくまでも他人の問題を扱う」と障害をテーマにしてこなかったが、「父親の責務として、当事者が成長し続ける姿を描こう」と決意したという。「悲しい出来事でも『ハート&ソウル』を感じられるものを」と考えたといい、「この映画は父と息子のラブストーリー」と語った。

「発達障害」(文春新書)の著者で昭和大の岩波明教授は映画に対し、「発達障害をテーマにした作品の中で、『レインマン』以来の傑作。多くの人に見ていただきたい」とのコメントを寄せている。

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京都 京都シネマ 10月23日(金)公開

「ネットいじめ」5年で倍増 チャット悪用

「ネットいじめ」5年で倍増 チャット悪用

10/14(木) 【産経新聞】

文部科学省が13日に公表した令和2年度の問題行動・不登校調査では、パソコンやスマートフォンを通した誹謗(ひぼう)中傷といった「ネットいじめ」の認知件数が1万8870件と過去最多を更新した。東京都町田市立小学校に通っていた6年生の女子児童=当時(12)=が昨年11月に自殺した問題をめぐっては、文部科学省が進める「GIGA(ギガ)スクール構想」で児童に1人1台配備されたタブレット端末のチャット機能を悪用したいじめが行われた可能性が指摘されていて、対策が急務となっている。

「ネットいじめ」の認知件数は平成27年度が9187件。この5年で倍増した。また「ネットいじめ」は年齢が進むにつれ割合が増加する傾向にある。令和2年度でみると、小学校ではいじめ全体に占める割合の1・8%だが、中学校では10・7%、高校では19・8%だった。

今回の調査によると、「ネットいじめ」に関する啓発活動を実施したと回答したのは小中高校全体の約8割。しかし、急激な増加傾向を考えれば、効果が出ているとは言い難い。また匿名性が高いなどのネットの特性を踏まえると、認知件数と実数の乖離(かいり)も想定される。都内の女子高生(17)は、「授業中は学校で配られた端末が使い放題。先生に隠れて友達同士でチャットでやり取りをしている。中には悪口が書かれたという話を聞いたことがあるが、履歴を消してしまえば分からない」と話す。

町田市で小6が自殺した問題では、市教育委員会がいじめの詳細を調査中で、当初、端末の履歴からはチャットを悪用したいじめの痕跡を発見できなかった。その後、専門家に依頼して履歴の復元などを行っているが、当時の状況をどこまで把握できるかは不透明だ。

都内のベテラン小学教員は「パソコンやタブレットに関しては子供の飲み込みが早く、善しあしは別として教員にとって想定外の使用をするケースが出ている」と指摘。しかし、過度な利用制限を行うことは、教育現場のデジタル化の恩恵を大きくそぐことにもつながりかねず、ジレンマがあるという。ある都内自治体の教育長は「結局は学校でのネットリテラシー教育を徹底し、家庭でも指導をしっかりしてもらうしかない」と話していて、改善には時間がかかりそうだ。

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え?違いますよね。学校でのネットリテラシー教育の程度が「ネットいじめ」の多い少ないの原因ではありませんよね。思わず呟いてしまいました。いじめが人権問題だと言う人権教育の程度がネットいじめを含むいじめの増減の原因です。チャットで他者を貶めるのはダメで会話ではいいと言う問題ではないからです。どうしてメディアは事の本質からわざと外すような意見を流布するのかさっぱりわかりません。

昨今のいじめ件数が増えたと言うニュースも、もともと現場が教委に忖度して少なく見積もりすぎた自治体が昨今のいじめ事件から啓発されてこれまで認知していなかった案件を上げて修正しただけだと思います。その証拠に京都府は最初から些細ないじめ案件まで全てすくい取って集約しているので、調査開始時からずっと10名に1件と言う全国ワースト10のいじめ認知件数です。メディアは表面的な事だけを報道して内容を吟味するものがあまりにも少なく、逆に、感染症の報道などは憶測だけで事実が存在するかのように描く印象操作の報道が後を絶ちません。

おそらくこの記事のヘッドラインだけを読む人は、子どもへのICT機器の普及がネットいじめの原因なのだと思う人は少なくないでしょう。報道はもう一歩踏み込んで人権教育が教育内容にどう反映しているのか、何時間くらいが取組まれているのかを報道すべきです。都内の女子高生(17)の取材も、学校配布の端末のチャットで「悪口が書かれたという話を聞いたことがあるが、履歴を消してしまえば分からない」という発言をそのまま掲載していますが、履歴はメインサーバーに記録されていて端末で消去したつもりでも消去はできない(サーバー設定は必要)ということを付け加えるべきです。こういう中途半端な取材記事は不信感を煽るだけです。もう一歩踏み込んだ取材をメディアの方にはお願いしたいと思います。

感情を学ぶ

感情は、チャールズ・ダーウィンが提唱した6つの基本的感情である<喜び><驚き><悲しみ><恐怖><嫌悪><怒り>の他に、心理学者のポール・エクマンが加えた10の感情<楽しみ><軽蔑><満足><当惑><興奮><罪悪感><得意><充足><官能的な喜び><羞恥>の16の感情があります。

基本的感情は赤ちゃんも持つ感情で、追加された10感情は成長ともに持つようになる感情です。例えば、軽蔑の感情や罪悪感に苛まされる赤ちゃんはいませんが、成長過程で軽蔑や罪悪感などの感情を持つようになるからです。

なぜ人は感情を持つのかは多くの議論があり、大きく分けると「遺伝」「身体的反応」「思考」「文化」の4つ仮説があります。どれか一つではなく複合的な要素が絡みあっていると考えられていますが、ネガティブ感情をコントロールできるようになるのも成長の証です。

ネガティブ感情を持った時に感情をコントロールできるようなれば、※人前であがらなくなる。※怒りにまかせて酷いことを言ってしまうことがなくなる。※失敗しても消沈せず、平静な気持ちでいられる。※自分の欠点を恥ずかしいと思ったりしなくなる。※恋に盲目的になり、感情に突き動かされて大失敗しなくなる。その為には、それぞれの感情がどんな時に、そしてなぜ沸き起こるのかを理解する必要があります。

最近、怒りのコントロール方法が紹介されるようになりましたが、文化的遺伝的側面で考えるのであれば欧米人のように怒りを抑えずに自分が怒っていることを表す傾向がある民族もいれば、日本人のように怒りを抑えてしまい鬱積した感情としてストレス化してしまう民族も存在します。「怒り」の感情ひとつをとっても生活ベースによって対処方法が違う場合もあるでしょう。

「恥ずかしい!」と思った瞬間や嫌な気持ちになった時、それがなぜ起こっているのかを冷静に判断し対応することができる人を社会性が高い人と言います。感情の揺れは、自己肯定感に大きく影響します。自分の失敗に関する感情(怒り、悲しみ、罪悪感など)を処理しきれない状態が続くと、自分のことを認めることは難しくなってきます。レジリエンス(逆境から離脱する力)は、「自己肯定感」の影の力で「感情力」とも言えますが、自己肯定感というベースを固めるために「感情コントロール」は避けて通ることができません。

「怒り」「羨望」という感情のコントロールは「自分との関係」(自己肯定感や自己評価)を改善することができます。自分との関係が良好になると、次に変化するの家庭や職場など、身近な人との人間関係が変化します。感情を学ぶと相手の感情を理解し、共感することができるようになるからです。感情の学習は集団活動の中でしか行えません。しかし、自然に身につく人とそうでない人がいます。そして現代社会は、後者の人たちが増えています。感情を学ぶことが必要な社会になっているのかもしれません。

聞こえているのに 聞き取れない

「聞こえているのに 聞き取れない」 APD当事者の悩み

2020.09.30【NHK:未来スイッチ】
APD取材班 ネットワーク報道部 井手上洋子

「雑音の中では話が聞き取れない」「早口や小さな声が聞き取りにくい」こうした症状、APD=聴覚情報処理障害といいます。
聴力は正常でも、人混みなど雑音の多い場所では必要な音や話を選び取れず理解できなくなってしまう症状で、いま、こうした悩みを訴える人が増えています。あまり知られていない症状のため周囲に理解されず、仕事や対人関係につまづくことも多いことから、当事者たちが苦しい現状を知ってほしいと、ネットを通じて発信する動きが広がり始めています。

異変感じた高校時代「話聞いてないよね」
笑歩さん
症状に悩む笑歩さん(23)です。
異変を感じたのは、高校生の頃でした。
「話を聞いてないよね」「たまに変なところであいづちするよね」。
友人からの思いがけない言葉が、きっかけでした。
当時、聴覚情報処理障害の症状を知らなかった笑歩さんは、うまく聞き取れないことを友人に説明してもわかってもらえず、戸惑ったといいます。 近所の耳鼻科など、複数の医療機関をまわって聴力検査を受けましたが、正常だと言われました。
医師に違和感を訴えたものの「そういうこともある」、「気にしすぎ」と言われ、明確な診断はつきませんでした。 悩んだ笑歩さんが、インターネットなどで調べたところ、出てきたのがAPD=聴覚情報処理障害という初めて聞くことばでした。

APDの聞こえ方って?
周囲に理解されにくい症状を知ってほしいと去年始めたのが、動画投稿サイトの配信です。
笑歩さんには、実際どのように聞こえているのか投稿した動画で再現しています。

例えば、次のようなことばも。
「携帯電話はマナーモードにしていただくか電源をお切りください」。
にぎやかなレストランでは、人の話し声や食器の音にまぎれ、一部の音しかわからないというのです。 「携帯電話は・・・・にしていただくか・・・・切りください」

「コンビニやスーパーなど、買い物の時が大変です。
いろいろな音が入って、耳に入ってくる情報が多いし、色々な音が入るので、頭がパンクしてしまいます。苦手なことはいっぱいあります」

ポンコツだと自分を責めた 仕事を失った
症状に悩み、仕事を失った人もいます。
ことし7月、自分の経験を漫画にした、きょこさん(39)です。

「このあいだ日曜日さー家族で水族館に行ったんだけどね」という何気ない会話も。
会話の音は聞こえていても、雑音にまぎれて、もやがかかったようになり、内容が理解できないといいます。

症状に気づいたのは、2年半前、工場でパートの仕事を始めた時でした。
上司の指示は全て口頭でしたが、機械の大きな音で聞き取れず、何をすればよいのかがわからなかったといいます。
さらに状況を悪化させたのが、仕事で着用するマスクでした。
上司の声がこもって聞き取りづらくなるうえ、口元が見えず話の内容がわかりづらくなってしまい、思うように仕事をこなすことができませんでした。

当時は育児のストレスも重なり、落ち込んだというきょこさん。
結局、仕事を辞めざるを得なくなったといいます。

きょこさん
「みんなふつうにできているのに何で自分はできないんだろう。
まさか聞こえのせいなんて思っていなかったので、ただただ自分がポンコツなんだ、自分ってできないんだと思ってしまって、それがつらかったです」

実態つかめていない日本 支援体制も不十分
聴覚情報処理障害は、脳の神経機能の問題などが原因とも指摘されていますが、詳しい原因はわかっておらず、明確な治療法もありません。
海外では、学齢期の子どもの約3%に症状があるなど、さまざまな研究報告もありますが、日本では詳しい実態がつかめていないのが現状です。
長年、聴覚情報処理障害の研究をしている国際医療福祉大学の小渕千絵教授は、日本では支援体制が整っていないと指摘しています。


国際医療福祉大学 小渕千絵教授
「いろいろな研究を見ると、日本でも海外と同じ位の割合の人がAPDの症状を持っていると考えられます。
ところが、日本では海外のように幼い頃に症状を発見し、支援する体制が整っていません。
このため、大人になってアルバイトや就職をしたあと、仕事でミスを繰り返して初めて症状に気付くケースが多いのが特徴です。
症状は個人差が大きく、症状を疑った場合は、専門の医療機関を受診して、自分の症状の特性や対処法を知って欲しい」

症状に悩む人たちが当事者会を作って生活の悩みや医療に関する情報を発信しています。 「APD当事者会」のwebサイトはこちらです。(NHKサイトを離れます)

中学生へのコロナワクチン保護者 75%「接種望む」

富山市中学生へのコロナワクチン保護者 75%「接種望む」

2021年10月15日 【中日新聞】

学校感染症対策会議アンケ 「情報量足りぬ」半数超
中学生の新型コロナウイルスワクチン接種を巡り、小児科医などでつくる「富山市立学校新型コロナウイルス感染症対策検討会議」は、市内の中学生の保護者向けに実施したアンケート結果を公表した。保護者の75%が子どもにワクチン接種を求める一方、ワクチンに関する情報量が「足りていない」と答えた保護者が5割を超えた。(広田和也)

アンケートは九月十~十七日に市内中学校の生徒約一万人の保護者向けに実施し、四千四十六人が回答した。検討会議がリーフレットで結果を公表した。
子どもにワクチン接種をさせる予定かの問いには、「すぐに接種させたい」が48%で最多、続いて「できれば接種させたい」が27%と、接種を希望する保護者が全体の四分の三を占めた。希望する理由には「病気が怖い」「周囲に感染させたくない」「学校行事に参加させたい」が挙がった。

ほかに「できれば接種させたくない」が5%、「絶対接種させたくない」が2%、「しばらく様子をみたい」が18%。希望しない理由には「副反応が怖い」「情報が不足」「効果が信用できない」などがあった。

子どもにおけるワクチンの安全性や副反応などの情報量については「ほぼ十分」が最多の41%、「十分」が7%だった一方、「やや不足」(37%)「不足」(15%)と不足を指摘する保護者が五割を超えた。子ども自身が接種をどう考えているかの問いには、接種を希望する子どもの回答が53%と半数を超えたが、保護者よりも22%ほど少ない結果となった。

検討会議の種市尋宙(たねいちひろみち)座長(富山大講師、小児科医)は「情報量が足りない状況でも、接種を求める保護者が多いという矛盾が生まれている。このワクチンが明確に副反応が出ることを納得した上で、接種するかを検討すべきだ」と強調。今月中旬にも、最新の医学的情報を踏まえ、接種する場合と接種しない場合の注意点をリーフレットで伝える方針で、「情報を提供することで、接種について家族で話し合えるようにしたい」と語った。回答結果を示したリーフレットは、富山市のホームページで入手できる。

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3回目の摂取と小児への接種が課題になるほどワクチン接種が進んできた証拠です。子どもの感染症状のほとんどは無症状か微熱程度なので、小児のワクチン接種は推奨する程度で良く、家族で決めればいいと個人的には考えています。ただ、情報提供と称して副反応をやたらに強調すると子宮頚がんワクチンの二の舞を演じることになるのではないかと危惧しています。

日本の子宮頸がんワクチンの接種率は先進国中最下位です。その結果、新たに毎年1000人以上の若い女性が亡くなり、がんを発見しても子宮を全摘出しなければならない女性も後を絶ちません。これは朝日新聞のワクチン副反応キャンペーンに他のメディアも同調した結果、厚労省が訴訟を恐れて任意接種に変更したからです。それまで70%あったワクチン接種率はみるみる落ちていき、イギリスの86%接種率にはるかに及ばない1%未満に激減したという特殊な反ワクチン事情が日本にはあります。

今回、メディアは新型コロナの感染者が重篤な症状ばかりを報道して煽りすぎた結果、さすがにワクチンの副反応キャンペーンは真逆の報道をすることになり控えたと言う経過もあって、瞬く間に世界のトップクラスに接種率が追い付きました。それなのに、隙あらばと、小児のワクチン接種をネタに副反応を強調し始めています。政府の役人も、医師も日本の反ワクチンキャンペーンの痛手を負い大変ナーバスになっています。

メディアの副反応キャンペーンで、さらに役人や医師の接種意欲が後退していくという、負のスパイラルを起こしはしないかと案じています。新型コロナの症状の多くは軽微なのでそう心配はしていませんが、子宮頸がんワクチンのように本当に必要なワクチンを、エビデンスもなく煽り報道で抑止して多数の子どもの健康が害されると言う結果が再び起こらないように注意が必要です。

「お節介な人」と「気が利く人」

同じことをしていても、「お節介な人」と言われる場合と、「気が利く人」と言われる場合があります。人それぞれ、考え方や感じ方が違うので、お節介になったり、気が利く人になったりします。電車に乗っていて、年配の方に席を譲る行為も、席を譲られた方によっては、「お節介だな」と思って断る人もいれば、「気の利く人だな」と思って、ありがたく席を譲ってもらう人もいます。受け取り方は人それぞれです。

同じことをしても、全員から「気が利く人」と受け取られる訳ではありません。逆に、全員から「お節介だな」と受け取られるということもないでしょう。でも「お節介」と「気が利く人」の受け取りは相手次第と言うわけでもありません。お節介な人と称されることが多い人と、気が利く人と称されることが多い人の違いは自分優先か他者優先かです。

自分の意見を押し付けたり、相手が拒否しているにも関わらず何かをしようとする人は、お節介と称されることが多くなります。それは、相手の内面を見ているというより、自分を見ているからです。「何かをしてあげることができる自分」に意識が向いているのです。だから、相手がそのことに対して、「お断り」の意思表示をしたときに、落ち込んだり、傷ついたりもするのです。相手の気持ちや意志、状況に、あまり関心がなく、自分に関心があると、お節介な人として称されることが多くなってしまいます。一概には言えませんが、お節介と称されることが多い人は、自信がない人が多いかもしれません。自信がないので、「何かをしてあげること」で、自己有能感を得たくなるのでしょう。また、意識が自分に向いていますから、相手が明確なお断りをしないで、困った顔をするだけでは、相手が困っていることに気づくことができません。

気が利く人と称されることが多い人は、相手の気持ちや意志、状況に関心をもっています。「何かしてあげることができる自分」ではなく、「相手」に意識が向いているのです。だから、相手が明確なお断りの意思表示をしなかったとしても、相手が困っていることに気づくことができます。そして気付いたら、「必要なかったのだな」と、サッと手を引くことができます。また、「余計なことをしてしまって、ごめんなさい」と謝ることもできます。自分ではなく、相手を尊重することができていると、気が利く人と称されることが多くなります。気が利く人と称されることが多い人は、相手の態度に左右されないですし、自分の気持ちと相手の気持ちの両方を見ることができますので、自信がある人が多いのかもしれません。人と自分の意見や気持ちが違っていても、それで自己価値が左右されることがないのです。

相手が、「お断り」の意思表示をしたときに、それを快く受け入れることができるかどうかは、「お節介」と「気が利く人」の違いなのかもしれません。「お断り」を「拒絶」と受け取ってしまうと、快く受け入れることができないので、相手への押し付けということになってしまい「お節介」になってしまうのです。自分に意識が向いているか、相手に意識が向いているかの違いなのかもしれません。

デジタル教科書

「教科書は原則デジタル化を」平井デジタル担当相、文科相に提言課題は

2020年10月06日 20時25分 [樋口隆充,ITmedia]

平井卓也デジタル改革担当相は10月6日の定例会見で、義務教育で使用する教科書を原則デジタル化するよう、萩生田光一文科相に提案したと明らかにした。平井大臣によると、2日に開催された萩生田大臣とのオンライン教育に関する意見交換の場で提言。萩生田大臣からは「(実現に向け)前向きに検討したい」との返事があったと明かし、「デジタルファーストは時代の要請だという共通認識を持てた」と強調した。一方の萩生田大臣からは、生徒の学習データや学校での健康診断のデータを各生徒が個人で活用する条例改正に向けた提言があったという。

教科書のデジタル化完了に向けた具体的なスケジュールについては、「GIGAスクール構想の下、1人1台に端末が行き渡っているのが前提だ」として明言を避けたものの、「今のままでは、次の時代に中心となって活躍する人材を育てるのは難しい。早くデジタル化を進めたい」と話した。

普及に向けた課題は、デジタル端末の長時間利用による近視や斜視といった健康上の懸念だ。このため、「各教科等の授業時数の2分の1未満」の利用になるよう、文科省は2018年にガイドラインを定めた。児童や生徒の健康に配慮しつつデジタル教科書を活用していく方法については、文科省は7月に有識者会議を設置し、議論を進めている。「2分の1未満」の制限について平井大臣は「私からするとナンセンスだ」と批判した。

価格にも課題がある。デジタル教科書は1台の端末に複数の教科書をまとめられるため、持ち運びが楽になる一方、端末1台の価格が紙の教科書に比べて高価になる傾向があるという。平井大臣は「紙(の教科書)よりも高いのは考えられないので、何とかしたい」と述べた。

文科省が設置したデジタル教科書に関する有識者会議は、今年度内に中間報告をまとめる方針。また、全国の最大7割の国公私立小中学校にデジタル教科書を配備するため、2021年度予算の概算要求に52億円を計上している。

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「デジタル教科書」配備へ全国最大7割の小中学校に文科省、21年度実証事業
2020年9月29日 18時09分【毎日新聞】

文部科学省は2021年度、タブレット端末などの画面に表示する「デジタル教科書」を、全国の最大7割の国公私立小中学校に配備する方針を決めた。本格的な普及に向けた大規模な実証事業の位置づけで、21年度予算の概算要求に配信費用などとして約50億円を計上した。紙の教科書の無料配布も継続する。

文科省は19年度から、全国の小中学生が1人1台の端末を使って学べるようにする「GIGAスクール構想」を進めている。当初は23年度までに端末をそろえる予定だったが、新型コロナウイルスの感染拡大によってオンライン授業の環境を早く整備する必要に迫られ、20年度に前倒しすることを決めた。

この決定に伴い全国の市区町村を調査したところ、8月末時点で99%以上が年度内に端末をそろえられる見通しを示したため、21年度からデジタル教科書が使える条件が整うと判断した。

デジタル教科書を試験的に活用するのは小学校5、6年生と中学校の全学年。小学校は1教科、中学校は2教科分について、各教育委員会が採択しているものと同じ教科書の配信費用を国が全額負担する。端末に教科書を保存する形ではなく、教科書会社が用意したサーバーにアクセスして閲覧する「クラウド方式」を想定しており、サーバーがアクセス集中の負荷に耐えられるかどうかなど普及に向けた課題を検証する。

教科書の無料配布は教科書無償措置法で定められており、小中学校の教科書の購入費は国が全額負担することになっている。対象は紙の教科書に限られ、文科省は今回の予算措置と並行してデジタル教科書も無償化の対象とすべきかどうかについて、有識者会議で議論している。【大久保昂】

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9月の記事を読んで、いつまで試験運転(実証事業)するのかと思っていました。デジタル教科書など10年以上前から完成しています。ただ、紙の教科書以外は有償なので全く広がらず、一人一台のPC(タブレット)を買っても意味がないという「鶏が先か卵が先か」という堂々巡りを文科行政はしていたのです。今回、平井デジタル大臣の後押しもあって、やっと「両方無償にすればいい」という今回の発表になったのです。

デジタル教科書の有識者会議の「2分の1未満」のデジタル教科書制限は今回初めて知りましたが、平井大臣が言う通り意味がありません。子どもは家庭でもゲームをはじめとするデジタル媒体を使います。教科書だけを制限をしても意味がないし、大きなお世話です。どうして、こんなつまらないことに学者や医師を集めて時間を浪費しているのかと思います。逆に、弱視の人には拡大でき、読めない人には音読もでき、ユニバーサルな使い方で少なくない読み書きの障害を持つ人に役立ちます。デジタル教科書を制限したいのは出版・印刷業界ではないかと勘繰りたくなります。

東大阪 中学生自殺 いじめが直接原因と判断難しい 調査委

東大阪 中学生自殺 いじめが直接原因と判断難しい 調査委

10月15日 【NHK】

おととし、東大阪市の中学生が自殺を図りその後、死亡したことについて、市の教育委員会が設けた弁護士らでつくる調査委員会は、中学生がいじめを受けていたことを認めたものの、自殺の直接的な原因だと判断することは難しいとする報告書をまとめました。
そのうえで、委員会はこの生徒には発達障害があり、学校側の対応などが不十分だったと指摘しています。

おととし1月、東大阪市の中学校に通っていた当時2年生の女子生徒が自宅で自殺を図り、翌月、死亡しました。
その後、市の教育委員会は、女子生徒の両親からの要請を受けて、大学教授や弁護士らでつくる委員会を設置し、調査を進めてきました。

15日に公表された報告書では、女子生徒は、▼ほかの生徒が所持品を紛失した際に、教室や校門の付近でカバンの中身を見せるよう複数の生徒から迫られたことや、▼「うざい」、「不細工」などの悪口を言われたり、蹴られたりしたことがあったとしたうえで、これらの行為は「いじめ」に当たると判断しました。
ただ、こうした行為が執ようになされたものではなく、「著しく悪質ないじめとまでは言えない」としました。

さらに、女子生徒には発達障害があり、学校生活での友人関係などにストレスを抱え、その苦しみを周囲に理解されず孤独感を募らせていたのではないかと指摘しています。
そして、最終的な結論は「いじめが自殺の複合的な要因の1つであるとは言えるものの、直接的な原因であったと判断することは難しい」としています。
そのうえで、▼学校で発達障害に配慮した指導ができておらず、▼教員の間で生徒に関する情報の共有も十分でないなど、課題があったと指摘しています。

【市教委 課題受け止め再発防止を】。
報告書の公開を受けて、東大阪市教育委員会は会見を開き、諸角裕久 教育次長は、「このような事案が起きてしまったことは残念だ。報告書の中で指摘を受けた課題や提言を真摯(しんし)に受けとめ、再発の防止に努める」と述べました。

また、報告書をまとめた調査委員会の委員長で、京都教育大学の元教授の初田幸隆氏は、「いじめから自殺までに時間があり、直接の原因になったのかは判断が難しいが、亡くなった生徒の心理的な負担になったと思う。生徒の通っていた学校には、いじめについての解釈が限定的なところがあり、改善を求めたい」と話しています。

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小学6年生の利用者を前にして一番気になっているのが中学校でのいじめです。中学校と小学校の違いは担任の目の行届き方です。一日教室で児童を見ている小学校担任と1日にホームルームと担当教科でしか生徒を見ない中学校担任では目の行き届き方が違います。子どもにとっては四六時中同じ担任の目がないことで自立心を促す事にもつながりますが、担任教師の目が行き届かない場所でいじめが起こりやすくなることもあります。

特に、対人関係やコミュニケーションに課題を持つ生徒の場合、どうしても上手く集団に溶け込めなかったり、仲間からの誘いがあっても場にそぐわない反応をして、生徒間でのその異質感を共有確認する話題にあがりやすく、いじめの芽になっていくこともあります。ただ、だからと言って四六時中大人が見守れば良いと言うわけではないと思います。

障害のある人の理解は、車いすや白杖や補聴器などシンボルがあるものは理解しやすいです。しかし、発達障害は見えない障害なので説明しても子どもには理解しにくいし、本人自身も知らされていない場合も多いので、当事者にも周囲の子どもにも双方に誤解が生じます。多くは、たまたま関わったときに嫌な思いや大きな違和感を感じて「変な子」というレッテルが先に貼られてしまいます。

本人にしてみれば、周囲からの扱いは他の人とは違うことくらいは感じるけれども、どうすればいいかわかりません。相手の思いが読めないことや、そもそも交流している仲間が少ないかいないことから自分の誤解も修正できません。それでも、小学校は本人の事を保育所から知っている仲間や、入学当時から本人を知っている先生が、自然にサポートをしているのです。

中学では価値観の同調性に目覚める時期の生徒たちと、当事者を初めて知る教職員がサポートをすることになります。確かに当事者の事を良く知る生徒も入学していますが、まずは自分が安定した関係性を確保することで精一杯だというのが中学生の事情です。記事の生徒の場合、特支級だったのか通級支援があったのか、何もなかったのかが分からないので何とも言えませんが、不安定な彼らを見つけ出し支援する相談室や支援室があってよいと思います。そして、不十分ではあっても、早期発見と早期支援が彼らの命を支える担保にはなると思います。

喜怒哀楽の感情表現が難しい

ASDを持つ人は、「喜怒哀楽」の表現をすることに、人一倍苦労します。ASDを持たない方の場合、辛い時は「辛い!」という表情や表現をしますが、表現に労力を要する人が辛い時、表現そのものができなくなります。辛いことで「無表情」「無反応」になっているのですが、客観的には「全く堪えていない」「受け止める気がない」ように見えてしまいます。受け手はASDの方を反応をさせようと、語気を強めるなど「力」を使ってくることがあります。そして、さらに思考が停止して相手の語気が強まる…という悪循環が生じます。また、苦しくて困っているのに「嬉しそうな表情」をしてしまうことすらあります。こうなると双方のコミュニケーションは取りようがありません。

ASDを持たない人は動揺している時ほど感情表現が激しくなります。しかしASDを持つ人は一つ一つの感情表現にエネルギーを使うため、急激な驚きや不安はフリーズ(思考停止)してしまいます。怒られて反省しているのに、それが伝わらず「反省の色がないな!」と言われてしまう方も多いです。ASDを持つ人は、怒られるなどの激しい感情を受けた場合、激しく動揺します。これを真正面から受け止め表現しようとすると、精神が壊れてしまうので、感情に「フィルター」をかけて「何も感じない」ようにすることで身を守ろうとしているのかもしれません。

ASDを持つ人は、対人緊張を持ち合わせているケースが多くあります。そのため、人と対面しているときは常に張り詰めた状態でいることがあるのです。緊張していれば、当然表情は硬くなります。表情が乏しいと、相手にはどのように受け止めているかが分かりにくくなります。また、表情が乏しいことで相手には「余裕を見せている」「微笑すらしている」ように見えることがあります。「挑発されているのではないか」と誤解されることで、相手はさらに感情が高まります。そうしてどんどん、コミュニケーションが難しくなってしまいます。

ASDを持つ人は反応がなくても、心のダメージは残っています。また過去の情報をうまく消化することが苦手です。そのため、フラッシュバックが生じ、いつまでも悪い記憶がよみがえってしまうのです。そして今回の「傷」がもとで、フラッシュバックされた分もまとめて感情を爆発させることがあります。「あの時も分かってもらえなかった!!」と過去の分の怒りまでその時の相手にぶつけてしまうこともあるのです。このようなヒステリック状態になるとお互いの関係に溝ができるほか、何より本人にさらに深い傷がついてしまいます。

このような事態を未然に防ぐには、事前に辛い時にどうなるかを伝え周囲が理解しておくことです。「辛い時には無表情もしくは微笑しているようになります」と事前に伝えておく、ということです。相手の中で「辛い=無表情」ということが分からないからこそ、語気を強めたり感情的になったりするわけです。『無表情』は障害を持たない方にとっての「堪えていない」反応だからこそ、最悪の形で誤解されてしまいます。

また、辛い時の対応も大切ですが、そもそもは辛くなる前に対処することが前提です。定期的にキーパーソン等と相談をもち、辛いことや悩み、問題を早めに解消させるように心がけます。相談の機会が多ければ、その中でどういう感情表現をするのか相手に理解してもらえるからです。対面でのやり取りだと、表情や雰囲気など「ASDにとって誤解されやすい状況」が多いです。大切な報告や指示などは書面などの対面以外の方法を双方が使えるようにすることも大事です。

ペアレント・トレーニング(ペアトレ)が注目されている

発達障害の子 接し方学ぶ…ペアトレ親が褒め方変え

2020年10月9日【読売新聞】

発達障害などの子どもへの接し方を親が学ぶ「ペアレント・トレーニング(ペアトレ)」が注目されている。親が変わると、子どもの行動も良い方向に向かうという。9月下旬、福岡市博多区で、発達障害の子を持つ親の集まりが開かれた。ペアトレを受けた母親ら8人が「学校の忘れ物が減った」「息子が進学に前向きになった」などと報告しあった。

開催したのは、福岡県筑紫野市の放課後等デイサービス「発達こどもアカデミー」原田校の施設長で精神保健福祉士の南川悠さん(42)。8年ほど前から保護者にペアトレを指導している。発達障害には、自閉スペクトラム症(ASD)や注意欠如・多動症(ADHD)などがあり、相手の感情を読むのが難しい、順番を待つのが苦手、忘れ物が多いといった特徴がある。親が「なぜできないのか」と思って怒り、親子関係が悪化するケースが多いという。

国内で紹介されているペアトレの方法は複数あり、南川さんは普及団体「日本ペアレント・トレーニング研究会」認定のインストラクター。子どもの行動の分析や、褒め方の練習など、全12回の講座を行っている。講座では、子どもの行動を「好ましい行動」「好ましくない行動」「許しがたい行動」に分ける。子どもが好ましい行動をしたときは褒め、好ましくないことをしたら、好ましい行動に変わるまで待って褒める。人を傷つけるなどの許しがたい行動をしたら、いけない理由を伝え、適切な行いを教える。親が対応を区別することで、子どもは良い行動と、やめるべき行動を理解するそうだ。

重視するのは褒め方。ささいなことも褒める習慣をつけ、「着替えができて偉いね」など、良い行動を具体的な言葉にすることが大切だ。言葉や笑顔、スキンシップなどで「あなたを認めている」と伝えるよう心がける。3年ほど前に受講した福岡市の女性(46)は、ASDと診断された小学6年の息子に、褒め言葉をかけてから「次は宿題ね」などと促すようにすると、以前より素直に聞くようになった。「親が変わることが大事と教わった」と振り返る。

南川さんは9月、ペアトレや子どもとの接し方をまとめた本「発達障がい見方を変えればみんなハッピー」(梓書院)を出版。「子どもは自己肯定感や成功体験が得られ、親も育児に自信を持ち、親子関係の改善につながる。一般的な子育てにも応用できます」と話す。

日本では30年前導入
発達障害の当事者団体などでつくる「日本発達障害ネットワーク」(東京)によると、ペアトレは1960年代に米国で始まり、日本では約30年前に導入された。厚生労働省は、ペアトレの普及を目指し、今年3月に「ペアレント・トレーニング実践ガイドブック」を発行し、ホームページで公開。進め方などをまとめ、自治体などの実施例も紹介している。

ペアトレに詳しい福岡県立大の福田恭介特任教授(67)によると、実施機関はまだ少なく、人材の育成が課題。「小児科や保健所など身近な場所で行われれば、子育てに悩む親を支えることができる。ペアトレが広まり、様々な困難を抱えた子どもたちが生きやすい社会になってほしい」と話す。

体験ワーク三つ選んで
ペアトレを体験するワークを、南川さんに教えてもらった。自分に合った子どもへの関わり方を見つけるワークで、継続できそうな方法を三つ選び実行。難しいと感じたら別の項目に変えてよい。

・子どもの目を見て話す・ハイタッチをする
・OKサインをする・グーサインをする
・子どもを抱きしめる・子どもに笑顔を見せる
・穏やかな声で伝える・10分子どもの話を聞く
・子どもの遊びに付き合う・「ありがとう」を伝える
・「助かったよ」を伝える・「大好きだよ」を伝える
・子どもの切り替えを待つ・一緒に寝る
・気持ちを文字で伝える・子どもの怒りに共感する
・親がイライラしたらその場を離れる・15分親だけの時間を作る

(南川さんへの取材に基づく)

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ペアトレが子育てに有効なことは、いくつもの研究で実証され、エビデンスの高い保護者支援です。京都府でも福知山市が早くから取り組んで成果を上げています。ただ、他の地域では笛吹けど踊らずが20年近く続いています。

普及しない理由は、保護者に声掛けをする人がいないからです。子どもの行動問題に周囲の人が気づいていても、他の子どもと比べたり、「子育てに困っていませんか」と親と関係性の薄い第3者が保護者に声をかけにくいというのです。

ならば、毎日身近に接する保育所や幼稚園の先生、児童通所事業所の職員なら声はかけやすいはずです。しかし、ペアトレを開催しようとすると、園も相談事業所も放デイもかなりの時間とトレーナーとしての人材を使う(全7回×90分)のに、それに見合う公的な収益が保障されていないのです。京都府では各保健所管轄で補助金を出していますが間尺に合いません。(民間有料例で、全6回1名3万5千円程度の経費、京都府の子どもの各年齢平均人口は2万人、行動の問題が3%の発生とすれば600人、毎年の必要予算は2100万)。

それでも、京都府の山城南地域等では放デイと支援学校と保健所が力を合わせてその普及に5年以上取り組んでいますし、取り組めば必ず成果が上がっています。ペアトレはチーム学習ですからチームで勉強した親同士がその後も連絡を取りながら励ましあう関係もたくさんできています。こうした成果を知り、ペアトレを有料でも受講したいという保護者も増えてきています。当法人でも保護者から要請があれば取り組む方向で考えています。

 

授業もテストもなし 映画「屋根の上に吹く風は」 問う学びの形

授業もテストもなし 映画「屋根の上に吹く風は」 問う学びの形

2021/10/17 【毎日新聞】

鳥取県智頭町の山あいにある「新田サドベリースクール」は、授業やテストのない異色の「学校」だ。そこへ集う児童・生徒らの日々を記録した映画「屋根の上に吹く風は」が23日から、名古屋市中村区のシネマスコーレで上映される。浅田さかえ監督(60)は「先行きが見えない今だからこそ、一つの学びの形として紹介したい」と話している。

浅田監督「撮影は驚きの連続」
新田サドベリースクールは、不登校などの子どもを受け入れるフリースクールで、義務教育の場として認められる学校教育法の「1条校」ではない。6~22歳を受け入れているが年齢別のクラス分けはなく、先生にあたるスタッフも含め全員が「ちゃん付け」やニックネームで呼び合う。主体性を重んじる教育が特徴で、映画の冒頭、床に寝転がって一日中携帯ゲーム機で遊ぶ子どもたちの姿が出てくるが、これがサドベリーの日常風景だ。

浅田監督が撮影を行ったのは2018年2月~19年6月。「昭和の価値観の教育で育った私にとっては驚きの連続。最初は『この子たち、大丈夫かな』と思った」と振り返る。豊かな自然を生かした稲作をしたり、一緒に過ごすスタッフを自分たちが選挙で選んだりする独特な学習環境を撮り続けた。「何事も話し合い、異なる意見に耳を傾ける姿を見て、普通の学校とは別の良さがあると感じていった」

これまでテレビのドキュメンタリー番組を多く手がけてきた浅田監督にとって、今作が映画初挑戦だ。「このまま大人になって、どうなるか想像がつかない」と吐露する保護者の不安や「ここの教育になじめず離れていった親子もいる」とのナレーションも入れて、押しつけがましくならないことを心がけた。

文部科学省によると、2020年度に不登校と判断された小中学生は19万人を超えた。浅田監督は日本の学校教育を否定するつもりはないが、「これだけの数がいるのだから、従来とは別の教育スタイルも社会に受け入れられていいのでは」と提起している。

サドベリーの子どもたちはよく屋根に上って遊ぶ。そんな近ごろ見なくなった光景をタイトルにした。「彼らのいるその場所に、新しい教育の風が吹いている気がした」

シネマスコーレの上映は11月5日まで(10月30、31日を除く)。初日の23日は、上映後に浅田監督による舞台あいさつを予定している。【井上知大】

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サドベリースクールは、1968年米国マサチューセッツ州で創設された私立校サドベリー・バレー・スクールが最初です。その後、同じ理念を持った学校が世界各国で登場しました。日本に導入されたのは1997年。兵庫県に「デモクラティックスクール まっくろくろすけ」が開校されました。日本ではまだ20数年しか歴史がありませんが、小説家の吉本ばななさんらが情報発信をされており少しずつ注目を集めています。

サドベリー・モデルの信念は、子どもは生まれながら好奇心を備えていて、生きていく上で必要のあることは自分で学んでいくことができる、という考えです。サドベリー・スクールは生徒とスタッフだけが参加できる「スクール・ミーティング」によって民主的に運営され、学費額・予算配分・職員採用なども生徒とスタッフが決めていきます。自分たちの学校自治を当事者が行っていく、デモクラティックスクールと呼ばれる所以です。

またサドベリー・スクールはすべての年齢の子どもたちが一緒に過ごすことによって生徒たちの学びと成長が促されると考えており、恣意的に生徒たちを年齢によってグループ分けすることはしません。自由教育の考えは、19世紀までの教師教授者中心の注入主義の旧教育を子ども中心主義の教育に改革しようとした流れです。

わが国でも大正デモクラシーから様々な自由教育が生まれては消え、消えては生まれてきました。最近は不登校の子どもの行くフリースクールも手続きによっては出席と認める流れの中で、こうした様々な「学校」が注目されています。京都シネマでの上映は今週金曜日からです。

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京都シネマ
10/22(金)公開『屋根の上に吹く風は』舞台挨拶決定
日時:10/22(金) 11:00の回上映後
ゲスト:浅田さかえ監督
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「9歳の壁」「10歳の節目」

9歳の壁とは、こどもの発達課題を示す表現で、1.学習の深化についていくのが難しくなり 2.対人関係の複雑さについていくのが難しくなり 3.本人の発達の凸凹が矛盾となって様々な困難が顕在化してきます。

1.は3年生からの学習が急に難しくなることです。割り算があり、時間の60進法があり、四則演算をつかってものを考えるという学びもはじまります。やっと計算法則を手に入れたこどもたちにこの展開や文章題は本当に難しいのです。3年生の学習はその後の学力を決定づけるターニングポイントです。

2.は子どもたちの対人関係の発達的変化です。ギャングエイジという同性集団で群れ合う時期に入ります。現代は遊び集団が小さくなる中で厳密な意味でのギャングエイジはみえにくくなっているようですが、排他的で、同一性を重視する仲間集団という性質は同じです。3年生だけでは遊びに響きあえない仲間を巻き込める余裕はないので、適応できない子どもは締め出されます。

3.は発達障害児自身の発達的凸凹とその変化のことです。5歳台で難しかった心の理論(相手の立場になって考える)や内言の育ちがこの時期ようやくできる(理屈でわかる)ようになり自己を対象化できるようになります。みんなと違う自分が意識されるようになります。当然できない自分も意識できるので不安も強まります。合わせて幼児期に多動性衝動性のために意識しにくかった母親への愛着がこの時期に形成される子らもいて、不安を家族との密着でしのごうとする言動もみえたりします。「どうせ僕なんか」という語りに直面して家族の困惑も深まります。

この時期はいろんな手立てで困難を軽減=壁を低くする足場つくりをしたいです。高学年に向けて学びの場や仲間の居場所作り。学びの質も、がむしゃらな訓練ではなく普通のエネルギーでできる特性に合った学習方法の確立。また、困難が顕在化してきたらピンチはチャンスという視点も持って別のやり方を模索する機会として考えたいとも思います。自己対象化できる育ちの中で、自分の特性を知るチャンスも訪れてきます。自分を知ることは困難もつらいことも多いですが、そこからはじまることも多いのです

「9歳の壁」の姿は「10歳の節目」ともいいます。早期から支援にとりくみ、継続してきたこと、チャレンジしてきたことが実ってくるのは10歳頃です。障害の影響の強い時期を経て、家族と支援者が頑張ってきたことが、生活の積み重ねとしてかたちになってくる時期です。簡単に言うと、落ち着いてくる。思春期の前のまとまりなんてことを感じる時期でもあります。「9歳の壁」と「10歳の節目」一見すると矛盾すると思われるかもしれません。しかし、こどものあらわれ全体像を見つめた時に困難だけではなく新しい息吹もあるのです。


 

発達障害のある生徒の自立支援 大阪府教委

発達障害のある生徒の自立支援 大阪府教委が指導書

2020/10/08 19:45【産経新聞】

発達障害のある生徒に適切な指導をするための教員向け指導書「高校で学ぶ発達障がいのある生徒のための社会参加をみすえた自己理解~『よさ』を活かす指導・支援~」(ジアース教育新社、税別1900円)を、大阪府教育委員会が出版した。大手書店でも購入できるが、府教委は全府立高校に配り、教員の指導力強化を目指すとしている。

発達障害を抱える生徒が高校卒業後の就職や大学進学といったそれぞれの進路先で、実際に直面した困り事の具体例から、在学中にどのような指導を行い、自立を手助けすればいいかを考える内容となっている。

たとえば、勤め先で机周りの整理整頓ができず、必要な書類が見つからないなど業務に支障をきたした事例を紹介。在学時にも保護者宛てのプリントを管理できなかったが、担任教師が保護者に内容を直接伝えるなどして配慮したため、トラブルにならずに済んでいたことが遠因と指摘した。

その上で、同様の傾向がある生徒には、生徒自身がプリントを管理できるようにすることや、整理整頓を意識づけることの方が有用としている。

府教委によると、府立高に在籍する生徒約12万人のうち、発達障害などで支援が必要な生徒は平成26年度の2266人から30年度には2861人に増えており、指導の充実が求められている。

放課後デイ11事業所で過大請求

放課後デイ11事業所で過大請求=定員超過、6年で1億円―検査院

2021/10/18 【時事通信】

障害を持つ児童生徒が通う「放課後等デイサービス」などのうち、6道県と2政令市の11事業所が、定員を超過して受け入れたにもかかわらず、給付費を過大請求していたことが18日、会計検査院の調査で分かった。過大請求額は6年間で1億円を超え、検査院は厚生労働省に是正を求めた。

放課後デイや就学前の子どもを対象とした児童発達支援を行う事業者に対し、厚労省は定員を超過した場合、市町村に請求する給付費を70%に減額するよう求めている。過度な受け入れを未然に防ぐのが目的で、国の負担は2分の1。

利用者の多い474事業所を検査院が調べたところ、8事業者が運営する11事業所が、減額せずに請求し、総額は2014~19年度で計1億1589万円に上ることが判明した。事業者側が減額制度を知らなかったり、誤って理解したりしていたという。検査院は厚労省に対し、過大請求分を返還させた上で、減額制度を周知徹底するよう求めた。

厚労省によると、ニーズの高まりを受け、放課後デイや児童発達支援の事業所は年々増加している。一方で、給付費の不正請求などを理由に指定取り消しの行政処分を受けるケースもある。
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この記事を読めば、また放デイの不正があり、感染症対策の不正請求と同じように税金を食い物にする事業所への怒りが湧いてくると思います。ただ、厚労省関係のたくさんある会計検査の中で、放デイが狙い撃ちされている感もします。この間、不正の目立つ放デイ事業者に対して一罰百戒の効果を狙ったのではないかとも思えます。

例えば、すてっぷの例で考えると、定員が10名ですから15名を超えるとその日の全員の利用料を3割で減算請求、または、過去3か月の利用者の1日平均が13人を超えても当月は3割減の請求となります。これを過去6年間、行政指導で是正を求める事もなく事業所だけに責任を擦り付けるのは無理があるように思います。おそらく、地域に事業所が少なく、やむを得ず定員を超えて利用させたという事例もあるのではないかと推測します。つまり、あくまで善意で定員越えについて市町行政の暗黙の了解事例もあると思うのです。

ちなみに、新型コロナ禍の厚労省の通達には休校などのイレギュラーがあって、保護者負担を減らすために、定員を超えた利用者を受入れざるを得ない場合は減算しなくてもいいという通達が出ています。すてっぷの利用者の学校でも少なくない学校が感染予防で休校になったりして、保護者が休まざるを得ない状況が続きました。この月曜日は先の土曜日の運動会の学校代休という事もあり15名を超えて利用者を預かっています。普段なら振替をお断りするのですが、感染休校が続き予防のために放デイを利用できなかった利用者支援と保護者負担を和らげるための配慮です。

今回は、通達があるので請求は認められると思います。このように、利用者超過の原因は様々な地域や家庭の状況があり、市町行政がそれを知らないわけがないので、霞が関の机上の理屈だけで不正があったとリークしたのだろうなと想像します。会計検査は5つの観点で検査します。正確性や合規性だけでなく有効性や効率性も考えて総合的に判断してほしいと思います。地域の事を正確に把握して行政を適正かつ柔軟にコントロールする政治家を選ぶことが大事だと思います。

 

ナンバーセンス

読み書きのつまずきと同じ位に子ども達が苦戦しているのが、算数です。すてっぷにも算数が苦手な子が多くいます。小学校入学前の子ども達は、ことばを次々と覚え理解して行きます。同時に、「数」についての理解も進んでいくのですが、「数の習得」には、視覚・触覚・筋感覚など全身の感覚が関与しています。「大きさ・長さ・重さ」などは目で見るだけではなく、手で持って感覚的に理解していきます。1個の積木を運ぶだけなら、軽くて小さいからつまんで運べるくらい。でもそれが10個だったら?もっと多い20個だったら?両手を使わなきゃいけない位に大きくなり、材質によってはかなり重くなります。こうした経験と運動・感覚によって1より10が、10より20が、大きく重たいということを感覚とともに学んでいきます。

さらに、物の移動を把握することで、「多い/少ない」だけでなく「増える/減る」がわかるようになります。これが、足し算・引き算などの演算の源になると言われています。ことばも体を動かし、経験の中で学びますがそれ以上に「数」と「身体・運動」には密接な関係があります。数はかなり感覚的なもので、日常生活に密着したものです。3歳頃から、めきめきと発達する「数に関する感覚」を「数感覚(ナンバーセンス)」や「数量概念」と呼び、研究が進んでいます。これらは、算数・数学の土台となり視覚的に捉えるものが多いです。

このナンバーセンスが育っていないと、四則演算は意味を成しません。つまり、増えるのか減るのか感覚でわからないまま計算手順だけ獲得してもそれで量を把握したという実感が伴わないからです。分数で躓くのはこの感覚のあるなしで決まります。2分の1と4分の1のどっちが大きいかは二人で山分けと四人で山分けする経験があれば即座に量の感覚がイメージできるはずですが、このイメージがでてこないと4のついた方が大きいと誤解するのです。さらに2分の1と4分の2が同じだという事も、物を切り分けた経験があれば感覚としてわかるのです。算数は論理的で訓練的なものだと思われがちですが、実は経験による感覚がものをいうのです。従って、やってもやってもできない算数があるなら、一度ナンバーセンスを確認してみましょう。子どもの発達は全て具体から抽象へ進むからです。食事の給仕やピザが上手に切り分けられる子は分数理解の素養があるのです。

ビール作って、多様性のある社会を

ビール作って、多様性のある社会をある精神科医の挑戦

2020年9月28日 14時44分【朝日新聞】大村治郎

京都・一乗寺ブリュワリー(京都市左京区)という地ビール醸造所を精神科医が経営している。会長の高木俊介さん(63)は20日、南区で開かれた研究会「嗜好品(しこうひん)文化フォーラム」で、「なぜ精神科医がビール醸造に挑むのか」と題して講演し、「ビールを通して、障害がある人もない人も、笑いながら多様性を認め合える世界をつくりたい」と夢をふくらませた。

高木さんは2004年、中京区に診療所を開いた。医師や看護師、ケースワーカーらの専門家でチームを組み、重度の精神障害者らの自宅を訪問してケアをする包括型地域生活支援プログラム(ACT)を導入。「症状が落ち着いた時、次に仕事があるとうまくいく」と気づいたという。

いろいろと模索した末、たどり着いたのがビール作りだった。「醸造のほかにも瓶詰め、ラベル貼りなど様々な仕事があり、将来的に精神障害者を雇用できるのではないかと思った」。ビールはいろいろな付加価値をつけることができ、社会や人とのつながりをつくれるとも考えた。

ビールは種類が豊富な酒で、世界中で作られている。原料は大麦やホップといった乾燥物で、すぐに運ぶことができる。さらに日本酒やワインに比べて醸造サイクルが速く、約1カ月でできる。高木さんによれば、職人の間にもあまり徒弟制度がなく、若い人が参入しやすい魅力もあった。


しかし、参入した11年当時、地ビールの評判は良くなかった。「高い」「まずい」と言われた。赤字経営が続いて苦労したが、職人たちが試行錯誤の中、腕を上げ、地ビールの国際大会で入賞するようになった。

比叡山のふもとに建設した醸造所では、スパイスを使ったエール、小麦を使ったビール、京都のユズの風味を生かしたビール、黒ビールのスタウトなどを作っている。高木さんの思いに共感した飲食店経営者のアイデアで16年、中京区御幸町通錦上ルに直営のビアパブ「ICHIYA」を開くと、人気店になった。

農業と福祉を結びつける「農福連携」にも取り組んでいる。自閉症の人たちの支援に取り組むNPO法人が運営する醸造所「西陣麦酒」(上京区)と協力。群馬県の障害者就労支援施設で作った大麦、ひきこもりの若者を支援する宮城県石巻市の農場で育てたホップを使ったビール「ふぞろいの麦たち」も作った。こうした取り組みを広げていきたいと高木さんは話す。

歴史をさかのぼれば、京都府内では明治の文明開化の中で、清水寺(東山区)の近くにあった京都舎密局(せいみきょく)麦酒製造所がビール醸造を始めた。京都舎密局の初代局長を務めたのが明石博高(ひろあきら)。京都の医者で、日本最初の公立の精神科病院の設立に携わった。精神科医の高木さんは、深い縁を感じるという。「ビールを通して、多様なものをつなげたい」と意気込んでいる。(大村治郎)

たかぎ・しゅんすけ広島県因島市(現・尾道市)生まれ。京都大医学部卒。京都大医学部付属病院勤務などを経て、2004年、重度の精神障害者の地域生活を医師、看護師、介護福祉士らの訪問で支援する包括型地域生活支援を始めるため、たかぎクリニックを設立。その活動の中で、精神障害者の就労支援の必要を感じ、11年には地ビールを醸造する京都・一乗寺ブリュワリーを創業した。

 

 

高校生向けインターンシップ 社会の課題気付く場に

高校生向けインターンシップ 社会の課題気付く場に

2021年10月20日 【中日新聞】

高校生を対象としたインターンシップ(就業体験)が変わりつつある。単に就職したい分野での職業体験というよりも、社会の課題を知り、長期的な視野でキャリアを描くきっかけや、目的意識を高める場になってきている。背景にあるのは社会情勢の変化の速さ。今、高校生に求められる職業観とは。(白井春菜)

新時代の「職業観」養う
愛知県立横須賀高校一年の広瀬玄太さん(16)、安藤優翼(ゆうすけ)さん(16)の二人は八月、自転車でのまちづくりを進める名古屋市の一般社団法人「サイクルライフマネジメント」のインターンシップに参加した。伊藤透代表理事(32)が語る「皆が安全に道路を共有できる社会をつくりたい」との団体設立の思いに耳を傾け、外を走る際は常に周りに気を配り、変速時は手元のレバーではなく前方を見るなど自転車の安全な乗り方も教わった。その後、実際に自転車で名古屋市内を二時間ほど走り、自転車専用レーンや信号機の設置状況などを確かめた。

二人とも大学進学を希望。広瀬さんはまちづくりなどに関心があり、社会の課題を事業で解決する「社会起業家」の話を聞きたくて応募した。「起業した人は身近にいないし、将来は入った会社のために働くイメージが強かった。社会のために働く選択肢もあると気付けた」安藤さんはものづくりと、これからの働き方に興味があった。「二年から文系、理系にクラスが分かれる。その前に進路を考える機会になった」

同校の一年生有志十四人が参加したインターンシップは、事前学習と就業体験、振り返り学習で計三日間のプログラム。県が二〇一二年度から実施する事業の一環で、委託を受けたキャリア支援団体が学校と事業所を橋渡しする。生徒の関心がある分野を考慮し、受け入れ先は在日外国人向けメディア、発達障害児のデイサービス、有機栽培農家など愛知、岐阜両県の六事業所。多文化共生や環境問題などの解決に向け起業した若手経営者ばかりだ。

来年四月からの新学習指導要領では、「公共」に、インターンシップでどのように職業観が変わったかなどを振り返る活動の必要性と、職業選択の前に経験を積み、適性を知る大切さが示されている。同校のキャリア教育担当教諭は「社会貢献と利益追求の両立を目指す若い経営者は、新しい視点として生徒の刺激になる。しかし学校だけでは受け入れ先とのネットワークに限りがある」と実情を語る。

今回、調整を担当したコーディネーターの荒井直人さん(50)は「高校生向けインターンシップは近年、職業選択のためだけでなく、社会課題を意識する機会としての役割も重視されるようになった」と指摘する。「時代の変化で今ある仕事がなくなっていき、自ら課題を見つけて仕事をつくり出す力が求められる。社会課題と向き合う先輩たちの姿はヒントになる」と話す。

名古屋23日体験者が報告
高校生向けにインターンシップのプログラムを提供するキャリア支援団体「アスバシ」(名古屋市)は、本年度の報告会を23日午後1時半から、同市北区の愛知学院大名城公園キャンパスで開く。

プログラムに参加した生徒有志が座談会などをする予定で、高校生や学校関係者が体験者の声を聞く絶好の機会だ。例えば、建設会社で体験した女子生徒は、建設現場で働く女性の少なさを目の当たりにし、志望する業界を女性も働きやすい環境に「変えていかなければ」との思いを強くしたという。

アスバシでこのプログラムを統括する鈴木友喬(ゆたか)さん(19)によると、新型コロナ下、本年度はできるだけ現場に行けるよう感染状況に応じて時期を調整し、事前、事後学習はオンラインを併用した。「体験した生徒からは、前向きな意味で『思っていたのと違った』という声が多数届いた。進路選択の前にさまざまな大人と出会うことで選択肢が増える」と、インターンシップに参加する意義を強調した。

報告会は参加無料。専用フォームから事前申し込みが必要。
https://asubashi.org/vision/

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高校生からのインターンシップのねらいは、何のために大学行くのかを問い直すいいきっかけです。先日、就職面接に来た福祉系の学生さんの話ですが、「教師になりたいが、採用試験に合格するまでの間、放デイで働かせてほしい」とのことでした。「教師になりたいなら、講師の道があるからここで働くよりキャリアが積めて有利だよ」とお断りしました。本音がそうであっても、面接で言うべきことではないという事を置いといても、単に安定した収入を得るのではなく、働いて自分を活かすというキャリア観がまるでないなと感じました。

確かに、大学を卒業するまで目の当たりにするのは学校の教師しかありませんから、教師になりたいというのは自然です。しかし、ではそれまで自分が専攻してきた大学の中身は何だったのでしょう。もちろん、教師になりたいからと教育系の出身大学ばかりの教員では子どもも息が詰まってしまいますから、様々な専攻をした学生が教員を目指すことに異論はありません。ただ、採用試験に通るまでは放デイで働くという感覚が分からないのです。教員へのキャリアを積み上げていきたいならここじゃないよねと思うからです。

高校生のインターンシップは、そういう意味で、自分のやりたいことを見つけたり、実際にやってみて想像と違ったりするギャップを修正したりする意味で大事だなと感じます。本当に大学に行く意味があるのかどうかも含めて、中学・高校の時代に様々な就労体験をしたり考える機会を与えていくことは大事だと思います。その一方で、人生100年の時代にそんなに慌てて就労先を選ばなくても色々躓いたり考えたりすればいいのではないかと言う考え方もあります。

これは大学時代はモラトリアムでもかまわない、30歳くらいまではあれこれ転職するのも人生の幅を広げるという団塊世代の経験談を語る人もいます。団塊の世代の若者の時代は日本は高度成長期で何をしても暮らしていける時代で、給与もどんどん上がっていた時代です。少子化の日本は今後、超人手不足時代を迎え、売り手市場になるのは間違いないです。今よりはどんな職にも就きやすくはなると思います。そういう意味では慌てなくてもいいというのは一理あるかもしれません。

けれども、だからこそ、自分を活かす職業を高校生から探し始めるという攻めの姿勢は大事にしていいと思います。大卒で自分探しだとニートを続けている人を目にしてもったいないなぁと思う事もあります。モラトリアムが長ければいいと言うものでもないように思います。選択することはパワーのいる作業なので、個人差はあるけど選択する時期と言うものがあると思います。

明日の支度

子どもが明日の支度に自分から取り掛かり、習慣化させる方法はあります。小学生のうちに、自分で明日の支度ができるようになると、忘れ物を減らせたり、自分で予定を決めて実行できるようになります。

夕方の時間帯は1日の疲れが出るので、子どもが明日の支度をするのは、大人が思っている以上に大変です。まずは、子どもと明日の準備がしやすい時間を話し合ってみます。支度をする時間帯は、帰宅後すぐ、おやつ前後、夕ごはん前後、お風呂前後、就寝前などがの候補となります。そのなかに、子どもが取り組みやすい時間が、必ずあります。時間を決めたら、毎日その時間に、明日の支度をするように習慣付けます。

明日の支度や宿題を忘れて困るのは本人だと分かっていても、親はあれこれ言いたくなるものです。しかし子どもは、親からうるさく言われなくても、「自分がやらなければならないこと」を案外よく分かっていますす。宿題をしたり翌日の支度をする時間は、子ども自身が決めるほうがいいです。本人に任せると時間は掛かりますが、自分で決めたことに責任を持つようになっていきます。

学校の持ち物といっても、さまざまなものがあります。教科書、ノート、ドリル、筆記用具、習字道具、体操服のほか、高学年になれば細々とあります。それらを1度にまとめる作業は、子どもにとっては大変です。そこで、まずは教科ごとに分けておく習慣を付けましょう。例えば「国語」であれば、教科書、ノート、漢字ドリルを1つのファイルや袋へまとめてしまいます。「家庭科」なら、エプロン、三角巾、マスクを全て1つのケースや袋へ入れておきましょう。必要な袋やファイルをすぐに取り出せるよう、教科名を書いておくことをお忘れなく。こうしておけば、時間割に合わせてカバンへファイルを入れるだけで支度できるので、支度がぐっと楽になります。

子どもが1人だけで支度できるようになるには、時間が掛かります。まだ1人では大変そうな場合は、親がそばで見守ってあげます。大人がそばで見てくれているだけでも、子どもは嬉しいものです。低学年のうちは、支度と宿題ができたら「ごほうびシール」を貼ってあげるのも効果的です。子どもは一進一退を繰り返しながら少しずつ成長していきます。できるようになったらすぐに任せきりにしてしまわず、時どきそばで見守ってあげると、支度や宿題の習慣が定着しやすいです。

翌日の支度は、できるだけ同じ時間に取り組むようにすると、体が覚えて定着しやすくなります。なかなか支度の習慣が定着しない我が子のせいにする向きがありますが。支度が習慣化しない原因は、帰宅後とても疲れていることが多いのです。支度に取り組む時間を子どもと相談して決め、子どもがスムーズに支度できるようにサポートしていくことで、だんだんと支度の習慣が定着します。「自分で支度できない」「支度をしようとしない」といった問題の背景には、子どもなりの理由があるのです。紹介した方法以外にも、その子にあったやり方が必ずあります。子どもができる方法を一緒に探って、子どもが「自分でできる喜び」を感じられるように応援したいものです。

 

親を困らせる子どもの本当の気持ち

気づいてあげて!「わざと」親を困らせる子どもの本当の気持ち

10/6(火) 20:21【ベネッセ】配信

気付いていないのは自分だけ? わざと親を困らせる子どもの本当の気持ち
何度注意しても、保護者のかたを困らせる行動をとる。しかも、大人の顔色をうかがいながら「わざと」やっている。お子さまのそんな姿を見たら、イライラしてしまいますよね。でも、この行動の裏には「かまってほしい」というお子さまの気持ちが隠れている可能性もあります。

わざと親を困らせる「試し行動」
まだ小さいお子さまなら、いろんなことを学んでいる段階。注意されたことを繰り返すというのは、よくあることです。でも、大きくなってきて物事の良し悪しもわかってきているはずなのに、親をわざと困らせてくる子どももいます。たとえば、このような行動です。

・絵本や大事な本を破る
・飲み物をわざとこぼす
・クレヨンを折る
・弟や妹をいじめる

このように、わざと親を困らせようと行っている行動を「試し行動」といいます。これは、「自分は本当に愛されているのだろうか」ということを確かめる行動。もちろん、困った行動がすべて試し行動なわけではありません。発達障害などが原因であったり、不注意でやってしまったりすることもあります。

しかしそうではない場合は、「試し行動かもしれない」と思ってみることも必要。そうすることで、お子さまの気持ちに気付きながら、困った行動を解決できる可能性もあります。

「かまってほしい」「認めてほしい」試し行動の心理
試し行動をしている時、子どもはどんなことを思っているのでしょうか。

・「こっちを見て」「私をかまって」と気を引こうとしている
仕事が忙しかったり、きょうだいが生まれたりして、少しお子さまとの関わりが減ってしまった時。そんな時に子どもは、「自分をもっと見て!」と気を引こうとします。これが、親を困らせる時の子どもの気持ち。赤ちゃん返りとも似ていますよね。

でも、どうしてわざと「悪いこと」をするのでしょうか。それは、子どもにとってこの方法が一番効果を感じるからです。子どもが「良いこと」をしている時は、手がかかりませんよね。だから、つい放置してしまいがち。そうすると子どもは、保護者のかたの気を引くために「悪いこと」をしようと考えます。

悪いことをすれば、「ダメでしょ!」「いけません」とすぐに駆け付けてくれる。たとえ叱られたとしても、子どもにとっては「かまってもらった」ことになります。「良いこと」をするよりも「悪いこと」をした方が、お母さんやお父さんを簡単に独り占めできるからなのです。

・「どんなことをしても自分を見捨てないか」を試している
その名の通り保護者のかたを「試している」こともあります。「どんなに悪いことをしても、私のことを好きでいてくれるだろうか」ということを、保護者のかたの反応を見て確認しているのです。

これは、「自分が愛されているのか不安」だからしてしまう行動。保護者のかたに対して、何か不信感を抱いてしまっている可能性もあります。だから、愛情が確認できるまで何度も繰り返してしまうのです。


「困った行動」だけに注目しないで!意識して子どもとの関わりを増やそう
子どもの困った行動が「試し行動かも」と思った時は、どうしたらよいのでしょうか。

まず、試し行動そのものに対しては、きちんと注意をしてOKです。ダメなことはダメと注意してください。でもこの時、子どもを否定する言葉は言わないようにしましょう。「〇〇をして、あなたは悪い子ね」ではなく、「〇〇はしちゃいけないよ」と行動だけを叱るようにしてください。

そして叱った後は、「どんなことをしてもあなたのことが好き」だということを、言葉や態度で伝えてあげましょう。抱きしめてあげるだけでも、お子さまはホッとするかもしれません。

また、困った行動だけに着目していても問題は解決しません。子どもの「かまってほしい」「もっと見てほしい」という気持ちに答えてあげる必要があります。ですから、少し意識してスキンシップを増やしたり、「ほめる」ことを増やしたりしてあげましょう。困った行動をしている時ではなく、良いことをしている時や何でもない時こそ、愛情を伝えてあげるチャンスです。

まとめ & 実践 TIPS
試し行動をする相手というのは、子どもにとって大切な相手。「この人に愛されたい」と思うから、気を引こうとします。それだけ、子どもはお母さんやお父さんが大好きなのですね。

もしお子さまが「わざと親を困らせている」と感じたら、少し自分の行動を振り返ってみましょう。「最近遊ぶ時間が取れていない」「スキンシップが減ったかも」「怒り過ぎているかも」そんな心当たりがあれば、ちょっと意識してお子さまと向き合ってみてください。

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息子が強度行動障害、在宅で介助「もう無理」 入所先見つからず

息子が強度行動障害、在宅で介助「もう無理」 入所先見つからず・・・疲弊する両親

2021年10月21日 【福井新聞】

自傷行為や暴れるといった「強度行動障害」のある人は、全国に少なくとも2万5千人いると言われる。重度になると常に介助が必要だが、施設側は人手不足に加え、他の利用者や職員の安全確保の面で入所を断らざるを得ないケースもある。入所先が見つからず、在宅で息子の見守りを続ける福井県福井市の夫婦は「24時間気が休まらず、普通の生活も困難になってきた。家で支えるのはもう無理」と悲鳴を上げる。

50代の夫婦の次男(23)は2歳で広汎性発達障害(自閉症)と診断された。特別支援学校小学部6年の頃から強度行動障害の兆候が現れ始めたが、在学中は比較的安定していた。高等部を卒業後、建物から飛び降りたり、電卓を投げつけたりする重度の症状が見られるようになった。家の部屋の窓ガラスを割ってしまうため、アルミ板に交換した。

次男は、障害者総合支援法に基づく支援の度合いが最も重い「6」。現在は週1回のショートステイと週4回の通所で、二つの施設を利用している。夜間は訪問ヘルパーが介助に当たる。夫婦は「環境の変化に敏感なので、1日の生活リズムが決まっているのが理想」と、施設への入所を切望している。

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福井県によると、夜間も排せつや食事を介助する指定障害者支援施設は県内に26カ所ある。昨年9月時点で、このうち17カ所に強度行動障害のある人が計408人入所しているが、次男のような重度の人数までは把握していないという。

知的障害者ら40人が入所する勝山市の障害者支援施設「九頭竜ワークショップいずみの郷」は一昨年、重度の男性1人を初めて受け入れた。3、4人で交代しながらマンツーマンで24時間介助する。担当職員は「行為の理由が分からない時もあり、意思疎通が難しい」と話す。

同施設は常に満員状態だ。男性と同時期に入所を希望した強度行動障害の女性もいたが、日中の通所で対応している。担当者は「重度の人をもっと受け入れようとすると、設備を整えなければならない。お金も人もまだまだ必要」と苦しい胸の内を明かす。

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国や自治体は「入所施設から地域へ」とうたい、生活介護や自立訓練などの福祉支援サービスを活用し、障害者の地域生活移行を推進している。それは、夫婦には遠い世界に見える。

「自分たちが死んだら、息子はどうなるのか。行政には現実を知ってもらいたい」。介護疲れから夫は十数年間、心療内科に通う。今年5月に症状が悪化し現在は休職中だ。「息子が喜んで、安心して暮らせる場所が社会にあってほしい」と願っている。

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動画を見ているだけでは、修羅場の時の様子はわからないです。でも、表出のコミュニケーションは弱い感じがします。成人にしては人との距離が近いですが、豹変して暴れだすことを気にされているのでしょう。そして、この家族はSOSを出しているのですから、入所施設が必要です。「入所施設から地域へ」というのはノーマラーゼーション社会には必要なことですが、家族の犠牲の上に成り立つものではありません。

しかし、国の政策は入所施設を経営するより通所施設を経営したほうが利用料がたくさんとれるように変わってきています。その結果、本当に必要な人が利用できず、入所する必要のない人が入所している傾向がさらに強まっているような気がします。行動障害が激しくなったり両親が老いて養育ができない理由で入所施設を待つ家族は全国でどれくらいおられるのでしょうか。

誰かのせいにしてもしかたがありませんが、23年間、早期療育から学校教育、児童通所事業、障害児医療と公的にかかわってきた結果でもあるわけですから、家族だけに責任を負わすのは筋違いだと思います。以前にも書きましたが、「入所施設の職員は、学校に足を向けて寝たらいけない。施設職員の仕事があるのは学校のおかげ」と皮肉を言った強度行動障害施設の施設長の言葉を忘れてはいけないのです。

行動障害があるのは家族の責任ではありません。ノーマライゼーション施策が、本人が成人しているのに親と暮らす事は不自然だというならわかります。ノーマライゼーションと言うなら独立させて、24時間の支援が保障されなければなりません。それが実現しないうちは、家族が望むなら入所施設で支援されるのが当たり前だと思います。自分たちの息子だからと自分に言い聞かせている様子を見ると、どこが世界第3位のGDP国なのかと情けなくなります。

上手く謝ることができない

発達障害の中でも、上手く謝ることができない傾向が多く見られるのは自閉スペクトラム症(ASD)の子どもです。ASDの特性は、コミュニケーションが苦手・他人と目を合わせられない・人の気持ちを理解できない・その場の状況に合わせることが苦手・皮肉やたとえ話が理解できない・柔軟な考え方をすることが苦手・決まった順序や道順、食べ物などのこだわりが強い。これらの共通点は、コミュニケーションが苦手で人の気持ちを理解できないことです。相手がどう思ったか、どんな状態なのかということに関心が持てないのです。このため、自分が悪いとしてもなぜ謝らなければならないのかを理解できないのです。

ASDの子どもに謝ることの大切さを教える前に、まずは大人である私たちが普段どんなときに謝罪しているのかを考えます。1.相手の健康を損なった場合 2.故意や不注意で相手にケガをさせた 3.まわりに迷惑や不利益を与えた場合 4.経済的な損失を与えた 5.行動の邪魔をした 6.時間と労力を無駄にさせた 7.社会のマナーに反した場合 8.公共の場で騒いでしまった 9.飲み物をこぼしてしまった 10.自分がミスをしてしまった場合 11.グループ行動で一人だけ遅れてしまった 12.頼まれたことができなかった。ざっと思いつくだけでもこれだけあります。相手に与えてしまった被害の大きさや状況によって、どの程度の謝罪が必要かは変わってきます。しかし、ASDの子どもはその微妙な加減を理解できません。一般的に考えると、上記の前半の場面では特にしっかりと謝罪する必要がありますから、子どもにも優先的に理解させていきましょう。

ASDのない人は、その場の状況や相手の反応に合わせて謝罪の仕方を変えることができます。しかし、ASDの人は、場の空気や相手の気持ちを汲み取ることを苦手としており上手に謝罪ができません。そのため、「こういう時は謝罪が必要」という風にパターン化させて覚えさせることが必要です。
①どんなときに謝るべきかを理解させる
「ごめんなさい」と言うべき場面をイラストなどを見せて教える。
子どもがイメージできる状況を例示し、そのときの相手の気持ちも交えて、なんと謝ればいいかを教えていきます。
例えば、友だちにケガをさせてしまった。友だちが嫌がることを言ったりやってしまった。友だちとぶつかってしまった。約束を破った。等です。

②ロールプレイングで練習する
同じ謝るという行為でも、目も合わせずにボソッと「ごめん…」と言うのと、きちんと相手の目を見て「ごめんなさい」と言うのとでは、伝わり方が違います。実際に起こりうる場面を再現し、相手が泣いているとき、怒っているときなど、どういう態度でどのくらいの謝罪をすればいいのかを考えて謝ることを練習させましょう。謝ることができなければ、友だちと付き合っていくことが難しくなってしまいます。出来るだけ早い段階から、謝罪の必要性や状況に応じた謝り方を丁寧に教えていきます。他者の感情の学習にもなりますから、理解が進めば子どもの対人関係も良くなっていく場合があります。

また、何より大事なことは褒められること「ありがとう」と言われることを、一方でたくさん準備しておくことが謝罪の学習の成功につながります。教育支援の原則はバランスよくです。

 

「靴ひも」を結ぶ

「靴ひも」を結ぶ=大治朋子

2020年10月13日【毎日新聞】

障害を抱える人々との交わりを難しくするものがあるとすれば、それは障害そのものなのか、それとも障害を持たない人々が心に宿す「壁」なのか。そんな問いに改めて向き合う機会をくれた映画だった。

日本で近日公開予定のイスラエル映画「靴ひも」(ヤコブ・ゴールドバッサー監督)を見た。約30年前に離婚した妻との間に生まれた発達障害を持つ中年の息子と、妻の急死を機に同居することになった父親の物語。

自動車整備会社を営む1人暮らしの父親は、職場にこの息子を同伴して新生活を始める。心の距離を縮めようとする息子と、なかなか壁を崩せない父親。それを見抜いたかのように息子が言う。「出来損ないの息子でごめんね。父さんは僕を恥じてる」

率直な言葉や行動で果敢に壁に挑む息子が求めているのは、一人の人間としての尊厳だろう。すれ違う二人の心は、ちょうど息子がなかなか結べない2本の「靴ひも」のようにも見える。描かれているのは障害をめぐる親子の心の葛藤から生まれる、成長の記録だ。

日本での上映を前に先日、記者会見した監督は、自分も発達障害を抱える息子を持つと語った。そして、かつて自ら「心の周りにセメントの壁を築いていた」と打ち明けた。映画のモデルになったのは実在の別の親子だが、障害児を持つ親としての思いと目線が映画の随所に見て取れる。

イスラエルで6年半を過ごした私にとって、この映画のもう一つの見どころはイスラエルならではの「関わる」文化だった。親子と病院で偶然知り合った人が、かなりプライバシーに立ち入って父親にアドバイスをする。レストランで歌いだした息子を歓迎したり、公然と差別的な言葉を発したりする「率直」な客。政敵とされるアラブ人の医師の熱意にイスラエル人ながらほだされる父親。

そこから浮かび上がるのは、障害をめぐり葛藤する親子を傍観せず、良くも悪くも関わろうとする市民の姿だ。リアルなイスラエルの日常そのものに見えた。車椅子の人がいると、イスラエルでは通行人らが文字通り「寄ってたかって」乗り物への乗降などを手助けする。それ一つをとっても傍観したりためらったりしがちな日本社会との違いは大きい。

だが監督によれば、イスラエルでもまだまだ差別は根強いという。「映画が障害を持つ人々に対する世間の見方を変えるきっかけになれば」。日本の傍観グセに問いかける作品でもある。17日から順次全国各地で上映。(専門記者)

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イスラエルは、いまアメリカの橋渡しでアラブ国家と国交を広げようとしています。イスラエルと言えば、パレスチナとのし烈なミサイル合戦で戦時国家のようなイメージですが、実は敬虔なユダヤ教徒の国です。そんな国民の障害者観に興味を覚えます。京都シネマでそろそろ封切です。席数が少ないので当日券で入れない方がいたと、「スペシャルズ!」09/18の情報がありました。ネット予約がおすすめです。発達障害の息子と父描く「靴ひも」

人ごとではない介護や老後 映画「僕とオトウト」

人ごとではない介護や老後 映画「僕とオトウト」

2021年10月21日【大阪日日新聞】

重度の知的障害を持つ弟とどう向き合うのか?重いテーマながら爽やかな映画に出会った。第40回「地方の時代」映像祭優秀賞受賞作「僕とオトウト」(制作・元町プロダクション、配給宣伝・「僕とオトウト」上映委員会)。京都大学の大学院生である髙木佑透(ゆうと)さん(25)が、弟の壮真君と自分の今後を考える為(ため)、家族を撮影し、監督したドキュメンタリーである。

髙木監督は2016年の相模原障害者施設殺傷事件以来、障害について考え続け、今は発達心理学と障害学を専攻し“障害者のリアルに迫る京大ゼミ”も運営している。

「障害って何やろう?両親がいなくなれば、僕が弟と同居するべきなんやろか?と悩み、自分の心や弟の状況を見つめようと、初めて映画を作りました」

何をどう撮るのか?迷い続けて「気合と覚悟で完成させた」と言う「僕とオトウト」。壮真君を巡る髙木ファミリーの生活が飾り気なく映し出される。農園での就労面接に行く。収穫の合間につまみ食いしてしまう弟。見守る兄の髙木監督が謝る。しかし弟は、売り物にならない傷ついた果実のみを食べていた事も判明する。路上で、多動の壮真君の保護に懸命な母に、ほんの小さな桜のつぼみを見つけた壮真君が教えたこともある。

日常は波乱に富む。以前、壮真君の行動により自宅が火事になり、自宅ドアに全て鍵を付けた。本作撮影中に再び騒動が起こる。半端ない緊張感。観客の私もハラハラする。

映像作品は編集により変化するが、ドキュメンタリーは特に編集の影響が大きい。髙木監督はパソコンで編集し、映像に磨きをかけた。監督と父の対話バトルシーンがある。“これまで何も話してくれなかった”と激しく迫る監督。しかし父の反応を映像は見せない。父の顔の代わりに、実家のある高松と神戸を結ぶフェリー上で撮った瀬戸内海のさざ波や、美しい夕景のカットへと繋(つな)ぎ、父子の葛藤について観客の想像力をかきたてる。

監督は長年、写真に力を入れ、音楽CDのジャケット写真を依頼され撮ったこともある。ドキュメンタリーにも意欲を燃やし、本作の池谷薫プロデューサー(「延安の娘」「蟻(あり)の兵隊」などのドキュメンタリーの監督)が開講した池谷薫ドキュメンタリー塾にも通い、研鑽(けんさん)を積んだ。本作で監督は池谷さんに綿密で厳しい指導を受けた。

自分と母が撮影した家族の映像を繰り返し見て、「多くの発見があった」と監督は言う。「弟に接する時、僕はいつも笑顔なんです。弟が何かしでかしても笑顔。険しい雰囲気を回避はできますが、根本的な解決にはならない。笑顔で全てに蓋(ふた)をして来たことに気付きました」。障害があっても全て受け身ではない。壮真君も撮られっ放しではなく、ガツンと意思表示するラストシーンが、本作の華である。

人と人の距離が神経質に問われる今、本作を観(み)ながら私は“誰とどんな距離で生きて行く?”と自問した。コロナ、介護、老後-。この映画は他人事(ひとごと)ではない。私やあなたの映画でもある。

上映は22日から京都みなみ会館、30日から元町映画館(神戸)、11月6日からシネ・ヌーヴォ(大阪)。オンラインでのトークイベントも開催予定。

問い合わせは、bokutootouto@gmail.comまでメールで。

(パーソナリティー西川敦子)
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笑顔で蓋をすること、とても重い言葉です。世間一般の障害者や弱者への考え方と、家族のスタンスは違って当たり前です。自分で選んだわけではない家族の絆で結ばれていた時、逃げ出しようのない運命とどう向き合うのか、高齢者のいる家族や障害のある「きょうだい」の問題は古くて新しい課題です。昨日掲載した強度行動障害のある息子のいる家族の話も深刻ではあるけど質的には同じです。

前回紹介した、ドラマ『恋です!~ヤンキー君と白杖ガール~』の第2話の内容も視覚障害の妹と晴眼者の姉の葛藤でした。妹を思いやる姉の立場と、自立したい妹の立場が交互に描かれていました。妹がお気に入りのブティックで、店員にサポートをお願いして気に入ったドレスを買う姿を、姉がそれをそっと店の外から見ていて、姉妹だけで支えるのではなく社会も支えてくれるという姉妹の気づきを描いていました。

京都みなみ会館は、昔は床が傾いていてとても座りにくい座席だったのですが、2年前に道路を隔てた前に移転リニューアルされて素敵な映画館になったと聞きます。機会があれば行きたかったので、ぜひこの映画で「封切」したいと思います。10/22~10/28は上映後、連日監督の舞台挨拶があるようです。

疲れやすい原因

発達障害を抱える方は、周りの人や環境に適応しようとする中で神経をすり減らしてしまうことで疲れやすい方が多いです。例えば、ASDの方は、空気が読めないという特性があるために、周囲の人の雰囲気や感じていることを把握するために、頭をフル回転して周りの状況を分析するケースが挙げられます。このように、発達障害ではない多くの人が無意識にしていることでも、発達障害を持つ人にとっては心身に過度の負荷をかけていることがあるのです。

発達障害を持つ方は、二次的な問題として、睡眠障害を抱えて疲れやすい方が多いです。具体的には、音が気になって寝つけなかったり、逆に日中の仕事で疲れ果てて夜に寝すぎてしまったりで、日常生活に支障をきたしてしまう場合がある、ということです。睡眠不足や過眠は、疲れにつながります。特にADHDの方は、子どもの場合25%〜50%が睡眠に問題を抱えていると言われています。発達障害の方の中には、一般的には不快に感じないレベルの音、光、匂いや肌触りなどの刺激に対してとても敏感で、疲れやすい方がいます。例えば職場のエアコンの音が気になって仕事に集中できない、首周りに触れる服(タートルネックなど)を着ると違和感で吐き気がするなどがあります。

発達障害を持つ方の中には、極端に不器用だったり、力の入れ具合を調節することが苦手だったりするために、身体を効率よく動かすことができないことで疲れやすい方がいます。「電車でつり革を持って立つ」、「靴ひもを結ぶ」といった日々行われる動きを上手にできず、普通に生活しているだけでも疲れてしまう方が多く見られます。

発達障害者の方には、注意がそれやすい一方で、自分の興味がある事に対しては過度に集中することで疲れやすい方がいます。締め切り間近の書類仕事を短時間で終わらせたり、学校の試験中に問題へ没頭することで高得点をあげたりといったメリットも見られます。ですが、過集中は、多くの場合で心身に大きな負担をかけることになります。

対策①周囲への適応を気にせず、社会常識にとらわれないようにする
周囲に適応しようと無理をして疲れやすい方は、社会常識にとらわれない考え方を身につけるとよいでしょう。「常識」に無理に合わせないことで、疲れが発生しなくなります。

対策②睡眠のためのリラックス法を行う
睡眠をうまく取れなくて疲れやすい方は、寝る前にリラックスする方法を試してみるとよいでしょう。良質な睡眠を取ることができれば、疲れは発生しません。

対策③敏感な感覚を緩和するため、器具を使ったり服装を工夫したりする
感覚が過敏で疲れやすい方は、ITやテクノロジーの力を借りたり、身体に触れるものを工夫しましょう。特に、周囲の環境によって症状を大きく左右される方にオススメです。自分の特性に合う器具や工夫が見つかれば、疲れなくなります。

対策④身体を上手に動かせないなら、苦手な動作などを避ける。
体を上手に動かせなくて疲れやすい方は、苦手な動作を求められる状況をなるべく避けるとよいでしょう。変えられる動作を見つけて変えることで、疲れなくなります。

対策⑤集中しすぎてしまうなら、アラームを使う
集中しすぎて疲れやすい方は、アラームを使って、意識的に集中を途切れさせるとよいでしょう。特に、自分では集中していることに気づかない人にオススメです。過集中が発生しなければ、疲れも発生しません。

 

10歳くらいから要注意「思春期の入り口」

10歳くらいから要注意「思春期の入り口」で親が気をつけたい4つのこと〈AERA〉

10/9(金) 11:30【AERA】配信

急に口数が減った、話しかけてもうるさがる……。小学校4年生頃からこんな子どもの変化を感じる親御さんが多いようです。「なんか反抗的」「そっけなくて寂しい」などいろいろな思いにかられますが、「これって思春期?」と思ったとき、親はどのようなかかわり方をすればよいのでしょうか。『AERA with Kids秋号』(朝日新聞出版)では、「思春期の入り口の子ども」の接し方について、花まる学習会で小学校高学年から中学生を教える大塚剛史先生に取材をしています。

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「10歳ぐらいになって、親の言うことをうるさがったり反抗的になったりするのは、思春期の入り口に立ったサイン。喜んでいい」
大塚剛史先生はこう話します。反抗的な態度が喜ばしいとはどういうことでしょうか。
「そのような態度は順調に成長している証拠です。これまでちゃんと育ててきたから、お子さんがちゃんと反抗期に入れたんですよ」

そうはいっても子どもの変化に戸惑うもの。実際、子どもはどのように変化していくのでしょうか。
「一般的に、10歳ごろになると自我が芽生えます。それまでは親の言うとおりにしていればいいと思っていたけれど、自分はどうしたいのか考え、現実とのギャップに思い悩むようになる。これが思春期です。中学生くらいでこの葛藤を十分に経験すると、高校に入るころには“じゃあ自分はこうしていこう”と、見えてくる。そして自分の道を歩き出します」

葛藤したり思い悩んだりすることが思春期の姿となると、親子関係がぎくしゃくするのもうなずけます。
「しかし、ここで子どもの変化に親がうまく対応できないと、子どもが心を閉ざしたり、衝突したりすることが出てきてしまいます」

対応の失敗の一つが、親の過干渉だと大塚先生は話します。
「自分で解決しようとがんばっている最中に、親が以前と同様に手を貸し続ける。“うるさいな、自分でする”と反抗できる子はいいのですが、自分で解決する気力が奪われてしまう子も。親の言うとおりにしたほうがラクだからです」

では、親はどうしたらいいのでしょうか?
子育ては昆虫観察に似ている、と大塚先生は話します。思春期の子どもは繭(まゆ)の中にいて、中で何が起こっているかわからない。でも無理に知ろうとナイフを入れては、子どもが育たない。だから親は環境を整えて見守るしかない――。

「小学校高学年は、まさに繭の中で一生懸命『自分』をつくっている最中です。自分と向き合わせるためにはある程度そっとしておくことがこの時期大事ですが、すべて放っておいてほしいわけではなく、認めたりほめたりしてほしいときもたくさんある。それらは繭の中で成長の糧となるので、なるべく子どもの姿を受け止めて声をかけてほしいですね」

繭越しだから表現がトーンダウンして伝わることもあるので、親からすると戸惑うことも。
「例えば思春期の子がいう“普通”は、ほめ言葉です。“お父さんってどう?”と聞いて“普通”といったら、大好きということ(笑)。“別に”や“普通”の一言から、満足なのか不満なのかうれしいのか楽しいのか、親御さんが注意してみていたらわかります」

勉強して点が悪くても、それをどう変えていくかは自分次第。“〇点しかとれなかったの?”とネガティブな言葉とともに勉強のおぜん立てをするのではなく、横でそっと見守ってほしいと、大塚先生は話します。
放っておくことと認めることのさじ加減は毎日の関わりの中で少しずつ見えてくるもの。関係が悪化しないよう、関わり方の4つの注意点を見てみましょう。

1.根掘り葉掘り聞かないでそっとしておく
友だちと遊んできた子に「楽しかった?」と聞いても「別に」。もしかしたら友だちとトラブルがあって、自分で解決しようとしているのかもしれません。しつこく詮索せずに見守って。

2.本人が言いたそうなら受け止めて聞く
まだ甘えたいこともあるのが、この時期。本人から話してきたり、なんとなく質問してほしそうなそぶりを見せたら、話を聞いて。何か具体的なアドバイスをするより、聞くことに徹するのがおすすめ。

3.正面切って戦闘態勢にならない
親子で衝突すると、子どもが自分の葛藤に向き合いにくくなるうえ、イライラを外で発散しかねません。自分がどんな大人を目指せばいいのかわからなくなってしまう可能性も。

4.日によって気分のムラがあることを理解
昨日はいろいろ話してくれたのに、今日は質問しても「うざ」。そんなこともあるものだと受け流すことが大事。次に子どもから話しかけられて、「どうせうざいんでしょ!」の仕返しは禁物。

(取材・文=松田慶子)

放課後デイサービスは2類型へ厚労省方針

障害児が通う放課後デイサービスは2類型へ厚労省方針

10/26(火) 【福祉新聞】

厚生労働省は10月13日、学齢期の障害児が通う放課後等デイサービスについて、2類型に分ける方針を固めた。現行の運営指針にある創作活動など四つの活動をすべて行う「総合支援型」と、理学療法など専門性の高い支援を提供する「特定プログラム特化型」の二つに整理する。それぞれの機能を明確にすることで、支援内容のバラツキを是正する。

同日の障害児通所支援の在り方に関する検討会(座長=柏女霊峰・淑徳大教授)に報告書案を示し、大筋で了承された。今後、関連する法律や障害報酬に反映する。

親の就労を支えることも重視し、支援時間の長短も報酬上の評価に反映する。学習塾やピアノ教室のような事業所は、障害特性を踏まえた支援になっていないと判断された場合、給付の対象外とする。

放課後デイは6歳から18歳までの学齢期にある障害児が通う事業所。現在は年齢に応じてどのようなサービスを提供するかは事業所に委ねられ、その内容のバラツキがかねて問題視されていた。

インクルージョン(包摂・参加)の観点から、障害児以外の子どもと過ごす時間を増やすことも促す。通う場所を放課後デイから学童保育に移したり、それに向けて併行利用したりすることは現在も行われているが、実績は多くない。

今後、それを増やすため標準的な手法を確立し、障害報酬でも適切に評価する。

都道府県による事業所指定の拒否(総量規制)については、住民の身近な生活圏域ごとのニーズと供給量をみて判断する仕組みに改める。

未就学児が通う児童発達支援事業所についても放課後デイと同様の考え方で2類型に分け、保育所との併行通園なども促す。総量規制の仕組みも同様に改める。

2020年度は放課後デイの事業所数が月平均で1万5408カ所、児童発達支援の事業所数が同様に7722カ所。12年以降急増し、障害福祉全体の給付費増大の要因とみられている。

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雨後の筍のように増えている放デイにも、淘汰の時期がやってきたようです。看板で発達障害に対応と打ち出していても、フォーマルアセスメントもできない放デイは学習塾と見なされ、給付の対象から外されていくのでしょう。逆に言えば専門的な支援をしている事業所は淘汰された事業所の子どもが流れ込んでくる情勢とも言えます。ただ、学習塾の「ような」事業所は切っていくという理解を地方行政がした時に、学習障害の捉え方が気になるところです。

この掲示板に何度か書きましたが、発達障害の一つに学習障害があるのに、学習とついているので学習のケアは学校教育の管轄だと誤解している行政関係者が結構いるように感じます。その結果、相談事業所の職員までもが行政の誤解に右慣れしてしまう傾向があるのではないかと危惧しています。学習障害は生まれつきの脳機能の障害で、親の育て方や本人の性格の問題から生じるものではありません。身体が動かないように、目が見えないように、耳が聞こえないように、文字や文が流暢に認識できなかったり出力できなかったりするのが発達性ディスレクシアを中心とする学習障害なのです。

学校や家庭で通常児の学習方法で学ばせようとしても、学習成果があがらないのに、それは家庭か学校でやれば良いというのは全く違います。まず、知的な遅れがないかどうか知能検査をして、知的な遅れがなければ次は読み書きの検査をして発達性ディスレクシアの傾向が認められた上で支援が始まります。

ところが、発達障害に対応しますと大きな看板を上げながらも、中に入ると売っているものが何もないような事業所もあるのです。検査によるエビデンスもなく、コグトレ(認知力を高めると言われる訓練:人によって違います)のプリントをさせて支援をしていますというのはまだ良い方で、従来のやり方で宿題に付き合ったり、ICT支援をしますと言いながらタブレットの学習ソフトを使わせるだけに終わっているところが散見されます。

一方で、地域には発達障害に対応している学習塾もあり、臨床心理士による発達検査(1~2万円)を行ってから支援計画を立て、週1回個別指導60分5千円を相場にして入会金も含めると年間30万近い授業料が相場です。対して放デイの保護者負担は1割負担の方がほとんどですから先の学習塾と同じ利用時間でも年間8万円ほどです。しかし、事業所への収入は40万円ほどになります。つまり同じように支援している学習塾よりも収益は高いのです。放デイの方が収益が多いからと適切な支援もせずに胡坐をかいている事業者を淘汰しようというのは良いことですが、真面目にやっている学習障害対応の放デイまでが駆逐されたのでは、角を矯めて牛を殺すことになります。

解離症状

発達障害の人は二次障害を抱えている場合が少なくありませんが、解離性障害とも関係があると言われています。特にASDの人に多いのですが、対人関係や感覚の問題が多いASDの方は日常生活において他の方より精神的に疲れて不安も高いので解離しやすいのかもしれません。

大きなストレスを感じた時、記憶がなくなってしまう解離健忘症
自分で行っている事でも自分が行っていないような感覚になる離人症
気付いたら知らない所にいる事がある解離性遁走
人と話をしたり体を動かす事が出来なくなる解離性昏迷
昏睡状態や思っているように体が動かなくなる解離性てんかん
複数の人格を持つ多重人格、解離性同一障害

どのような症状かで細かな病名も変わるのですが、記憶がなくなったり過去をすっかり忘れる場合もあります。また、頭の中か遠くから音が聞こえるなどの場合は統合失調症か解離性障害の可能性があり、発達障害の人にとって程度の差はあっても何等かの症状があってもおかしくはないです。

先にも掲載したように「疲れやすい原因:11/12」、定型発達の人でも強いストレスを感じたり嫌な事があれば自己防衛能力が働きます。ASDの人は常に強いストレスを抱えている場合が多く、人間関係が円滑に進まない・空気を読んだ会話が出来ない・人に理解してもらえないなど、普通なら感じない部分で問題を抱えています。そのため常に自己防衛をしている状態だと考えると、診断は出ていなくても同じような状況を感じた事があってもおかしくはありません。

症状があるなら、まずは医療にかかる事が何よりも大切です。ASDやAD/HDの診断と精神疾患を疑い相談すれば、何が問題になっているか分かるはずです。この症状はセロトニンが少ない事で発症することが多いので、ASDは合わせて発症しやすいのかもしれません。早めの処置が出来れば改善していく部分や楽になれる事も沢山あります。本人は混乱していて的確な判断ができないことが多いので、家族や関係者が解離性障害かもと考えて医療に一緒に足を運んであげてください。

ドローンパイロット・高梨智樹さん(21)

障害でも大空飛べるドローンパイロット・高梨智樹さん(21)/神奈川

毎日新聞2020年10月17日神奈川県

小型無人機・ドローンは、撮影や物資の輸送、災害現場での人命救助など、幅広く活用されている。厚木市のドローンパイロット、高梨智樹さん(21)は、航空機などの運用に支障がある場所を除いてどこでも飛行活動ができる国の特別許可を取得。行政から災害時の被災現場の状況の把握を要請されるほか、映画の空撮や橋の安全点検など、多岐にわたる分野で活躍している。【聞き手・長真一】

――ドローンとの出会いを教えてください。
◆僕は知力や言語の発達には遅れがないのに、読み書きがうまくできない学習障害の一つ「識字障害」があり、日常生活でも急に吐き気が起きる「周期性嘔吐(おうと)症」があったため、小学校へもあまり通えなかった。外に出て遊ばない子だった僕に父親が勧めたのが無線操縦のヘリコプターだった。ドローンはその延長でインターネットで知り興味を持ったが、当時は完成した既製品がなかった。中学1年の頃、海外から機材を輸入して始めたのが最初だ。

――中学生で海外から輸入した機材を作るのは大変だったのでは。
◆幼少期からゼロベースの形のモノを工夫したり分解したりして、何かを作りだすのが得意だった。それに、性格的にできないことをできないままにするのが嫌。小学生時代からパソコンを使い始め、動画サイトで識字障害のツールとして役立つ音声読み上げソフトがあることを知った。ソフトを駆使しながら自分で知りたい情報を調べていたので、ドローンに関する情報も徹底的に収集して、英語は翻訳機能で日本語に変換。あとは読み上げ機能を使い理解できるようにした。16歳で挑んだ国内大会の初レースで優勝し、日本代表として世界大会出場も果たした。

--現在の職業にまでなったドローンの魅力はなんでしょう。
◆ドローンはカメラを搭載して、手元で撮影現場をリアルタイムに見ることができ、安定性と手軽さがある。僕の場合はゴーグルを着けて操作するので、自分が飛んでいるように見える。大空を自由に飛べる。シミュレーターでは感じられない風の具合やリアルさが全然違うところに一番の魅力がある。

--ドローンの会社「スカイジョブ」を父の浩昭さんと設立しています。
◆スカイジョブではドラマや映画、CMなどの空撮のほか、橋梁(きょうりょう)やビルのひび割れなどを見つける安全点検作業などにあたっている。僕が操縦して瞬時に突風などの状況に合わせ対応する操作をAI(人工知能)に覚えさせるなど、特殊な訓練を必要とせずに誰でも飛ばせるドローンの開発もしている。

――操縦の指導はしていないのですか。
◆スカイジョブの業務内容にはないが、提携しているドローンスクールで技術的な指導をして、パイロット資格の認定書の発行にも携わっている。現場の状況次第でドローンを瞬時に操作するには、考えながら飛ばしていては無理。ゴーグルを通してリアルな場面をどう飛ばすかということを体に覚えさせることが必要だ。僕は訓練として必ず週に1回、約2~3時間は飛ばしている。
「活き活きと生きて」

――ドローンと出会い、いまの生き方に飛び立つまでをまとめた著書「文字の読めないパイロット」を8月に出版しました。
◆識字障害があるので字を書くことや文章の点検はできないけど、出版社の方から「同じ障害を持つ人たちを少しでも勇気づけられるから」と言われ、僕自身も「識字障害」という障害を理解してほしいと思って本にまとめた。障害を抱えるなど、同じような境遇の人やその家族に読んでほしい。できないことがあっても、周囲の支援や便利なツールを活用しながら、「自分は何ができるのか、何をしたいのか」という自分の道を見つけ、「活(い)き活きと生きてほしい」というメッセージを込めた。

--今後の目標は。
◆小学生の頃からヘリコプターのパイロットになりたいと思っていた。僕はこれまで多くの人に助けられてきた。だから、今は多くの人の助けになるドクターヘリのパイロットになりたい。免許を民間で取得するには多額の資金が必要になるので、いまは父親と立ち上げた会社を大きくして、夢を実現させたい。=毎週土曜日掲載

■人物略歴
高梨智樹(たかなし・ともき)さん
1998年、厚木市生まれ。高校2年の2016年、初参戦した国内ドローンレース大会で優勝。日本代表として、アラブ首長国連邦(UAE)のドバイで開催された世界大会など数々の海外大会に出場している。17年、父浩昭さんとドローン操縦・空撮会社「スカイジョブ」を設立。

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 「21歳ドローンパイロットは弱みを強みに変えた 」08/20から二回目の掲載です。

文字が読めなくても音声読み上げソフトがあることを知れば、ソフトを駆使しながら自分で知りたい情報を小学生時代から調べたという彼の好奇心こそ大事だなと思うのです。

それを面白がって、会社にしようと勧めた親の度胸にも脱帽です。おそらく彼は政府公認のドローンパイロットでスポンサーもついているので、年収は1000万を超えると思います。

こうした、発達障害の方の成功体験を紹介しても、たまたま環境が良かったとか、もともと優れていたなど、特別扱いしてしまう風潮があったり、「感動ポルノ」(障害者を登場させて感情を煽る)だと揶揄する向きもあるのですが、それは間違いだと思います。この話をそのまま生活や学習で苦労している子どもたちに伝えてほしいと思います。

プロサッカーや野球の選手になりたい、アニメーターになりたいと普通に子どもたちが思うように、ドローンパイロットになりたい、トム・クルーズのような役者になりたいと彼らが思えるように、もっともっとこうした「好きなことを仕事にした人」の話を広げて、子どもたちに勇気と憧れを与えてほしいと思います。

「なぜ勉強できないの?」 学校を追われたアフガン少女たち

「なぜ勉強できないの?」 学校を追われたアフガン少女たち

2021年10月26日【カブールAFP=時事】

アフガニスタンのアメナさん(16)は、通っていた女子高校が今年5月、イスラム過激派組織「イスラム国(IS)」の爆弾攻撃を受け、同級生数十人の死を目の当たりにした。それでも教育を受け続ける覚悟だった。

ところが、中等教育を受けているほとんどの女子と同様、アメナさんは今、授業からまったく締め出されている。アフガニスタンで政権を奪還したイスラム主義組織「タリバン」は9月に学校再開を命じたが、女子生徒は除外された。

「勉強したいし、友達に会いたいし、明るい未来がほしいです。でも今はそれができません」。首都カブール西部にある自宅でアメナさんはAFPに語った。「最悪の状況です。タリバンが来てから、とても悲しいし、怒っています」

国連児童基金(ユニセフ)の幹部が15日に語ったところによると、タリバン暫定政権の教育相は同機関に対し、すべての女子生徒が中等教育を受けられるようにする枠組みを近く発表すると述べたという。だが今のところ首都カブールを含むアフガン全土で、女子生徒の大部分は授業を受けられていない。

一方、小学校はすべての子どもに対して再開した。また私立大学には女子も通うことができるが、服装や行動について厳しい制限が課せられている。

■「希望がない」
アメナさんはジャーナリストになることを夢見ていたが、今では「アフガニスタンに希望はない」という。

家ではきょうだいに勉強を助けてもらっている。学校襲撃で心に傷を負った妹はカウンセリングを受けている。アメナさんは時折、このカウンセラーからも勉強を教わっている。
「兄弟が本を家に持ってくるので、それを読んでいます」と語る。「それから、いつもニュースを見ています」

なぜ男子だけが勉強することができて、女子には許されないのか、理解できないとアメナさんは訴える。「社会の半分は女子で、残りの半分が男子。なんの違いもありません」
「なぜ私たちは勉強できないのでしょうか? 私たちは社会の一員じゃないのでしょうか? なぜ男子だけに将来があるのでしょうか?」

■消えた夢
米軍主導の多国籍軍が旧タリバン政権を追放したのは、2001年。それから何年もたって生まれたザイナブさん(仮名、12)は、タリバンの5年におよぶ圧政の記憶もなく、学校通いを楽しんでいた。それも復権したタリバンの命令が出るまでだった。

先月、男子だけが学校に戻る様子を窓から見てがく然とし、「恐ろしい気持ち」になったという。「毎日、どんどん悪くなっています」とザイナブさん。身の安全のために本名は伏せて取材に応じた。

姉のマラレーさん(仮名、16)は涙ながらに「絶望と恐怖」を感じていると明かした。今は掃除や皿洗い、洗濯など家事を手伝って過ごしている。母親の前では涙をみせないようにしている。「母はたくさんのプレッシャーを背負っていますから」と説明した。

マラレーさんは女性の権利を向上させ、彼女の権利を奪う男性たちを説き伏せることを夢見ていた。「学校、そして大学に行くのは私の権利です」とマラレーさん。「私の夢や計画はすべて、消えてしまいました」

【翻訳編集AFPBBNews】
〔AFP=時事〕

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アフガニスタンの女子への差別は、以前(タリバンは女性の権利守るのか、アフガンに渦巻く疑心暗鬼: 08/19)でも書きました。タリバントップの約束と違うのは、タリバンが嘘をついているというよりも、その程度の統率力しかないということでしょう。ややこしいのは、アメリカが撤退したことでISも息を吹き返し、首都でのテロを繰り返してタリバン政権の脆弱さをあぶりだすのに一役買っており、それが更に政権トップの求心力を失わせるという悪循環に陥っているということです。

2001年以前のアフガンの多くの女子はマラレーさんのように考える事は少なかったかもしれません。しかし、今は20年間続いた男女同権の蓄積があります。今更、男女同権の思想をなかったことにするのは不可能です。もちろん、体制批判についての表現や思想信条の自由については、中国共産党政権によって弾圧が続いていますし、ロシアでは暗殺の恐怖を感じながら報道の自由を守ろうとしているノーベル平和賞のドミトリー・ムラトフ氏らの戦いもあります。

それでも、どんなに弾圧されても、必ず自由は勝利すると歴史は教えています。自由主義社会はアフガンの行方をずっと見ています。がんばれアフガン女子!

いじめの原因と対処

誰にでも、どこでも起りうるのが「いじめ」です。なぜ、いじめられるのか?いじめてしまうのか?大きな原因は「人と違う」ということです。学校は集団で生活をする場所です。全員が同じ勉強や生活をしています。しかし、人には個性があります。体型や性格など違いますよね。大人でも特異な人に警戒心を抱いたりすることがあります。特に子どもは自分と違うということを受け入れることが出来ない場合があります。太っていたり、家が裕福じゃないなど原因は様々ですが自分と違う服装や体型、考えを持った子を見ると「変な奴!」となって、それを受け入れられず排除しようとしてしまうのです。特に年齢が低いほど「人と違う」ことが、いじめのキッカケになりやすいです。

子どもの世界は楽しい事ばかりではありません。勉強や家庭の中でのトラブルなど、ストレスを抱えてしまっている子がストレス発散のために友達をいじめてしまうことがあります。自分より弱い存在をストレスのはけ口にしてしまいます。子どもがストレスを抱えたときに周りの大人が気づいてケアをしてあげることが予防につながります。

親が日常的に暴言を吐いたり暴力をふるったりしていると、子どもはそれが普通だと思ってしまい悪い事だと思わなくなり気に入らないことがあったら暴言や暴力で解決すればいいと思ってしまうのです。それから親が子どもに無関心な家庭もさみしさから、いじめっ子になってしまうこともあります。逆に過干渉な親の子も、普段は家では良い子でいなければならないため、ストレスが溜まってそのはけ口を外に向けて友達をいじめてしまったりしてします。

たとえば、友達が「学校に遅刻した」「宿題をやってこなかった」「遊ぶ約束したのにこなかった」など、周りの和を乱した時、「あの子が〇〇したから注意しただけ!」と言ったことから、いじめが始まることもあります。いじめる方は和を乱した子が悪いから自分は正しいと思っているので、いじめているという感覚がない場合があります。いじめられる側の子も自分が悪いから、といじめられても周りに相談できなくなってしまいます。いじめる側の正義感からくるいじめはエスカレートしやすいです。

いじめというのはクラスの中に首謀者がいるものです。その子がリーダー的存在だったらその子に同調していじめてしまう事も多いです。また、被害者側についたりしたら今度は自分がいじめられるかもしれないと言った不安から、みんなに合わせて、いじめてしまうのです。「みんながするから」「やらないと仲間外れにされる」そんな理由でいじめに加担してしまう子は多いです。

いじめは被害者になるばかりではなく、誰でも加害者にもなれます。我が子が加害者になった時は、まず事実を確認したうえで、子どもと家族で話し合い、何があってもいじめはいけないこと、いじめによって起きる悲しい事件などを良く話し、子ども自身に「いけないことをしたんだ」と自覚させることが大切です。「二度としない」としっかり約束させてください。被害者への誠意を込めた謝罪の覚悟もしなければいけません。被害者が納得いくまで謝罪をしましょう。そして家庭の在り方を見直してみることも再発防止には重要です。子どもがストレスを抱えてないか、信頼関係など良く振り返ってみます。

子どもが、いじめられているとわかった時、なるべく冷静に確実に対処します。「なぜ言わなかったのか?」などと責めたり、問い詰めたりしないで、子どもが話をしやすい雰囲気を作ってあげます。そして子どもが話をしてくれたときは、子どもの話をしっかり聞いて決して否定したりせず子どもの辛い気持ちを受け止めてあげます。できれば父母一緒に話を聞いてあげます。「パパもママもあなたの味方だよ」と、子どもに安心感を取り戻させます。それだけで気持ちがスッキリして元気になることもあります。今後どうするかも親子で意見をすり合わせて行動します。

いじめが原因で「学校に行きたくない」と子どもが訴えてきたときは無理に登校させてはいけません。子どもが学校へ行きたくないと言ってきたときは緊急事態で、もう限界なのです。そんな時は無理に登校させずに、ゆっくり休ませます。いじめを解決するには学校との連携は不可欠です。まずは事実関係をしっかり確認して、まずは担任の先生に相談し、埒が明かなかったときは教頭や校長に相談しましょう。そのときに証拠などがあるのであれば、それも持参しましょう。もし、学校の対応がイマイチであれば教育委員会へ直接訴えることも考えます。

いじめを受けた子の心は深く傷ついて、自分の存在価値を見出せなくなっていることが多いです。しっかり子どもの心のケアをします。親は味方であること、ママもパパもあなたが大好きで大切なんだということを教えます。時には抱きしめて気持ちを伝えます。家は子どもにとって安らげる場所であることが一番です。いじめは何があってもいけないこと、気に入らないからといじめて良いわけがないのです。

もしも、自分だけで解決する自信がないならいくらでも相談機関がありますから遠慮しないで利用しましょう。

発達障害の子どもが通う塾

「さくらんぼ教室」30周年
テキストも声の大きさも「個性」に合わせ 
発達障害の子どもが通う塾の歩み

2020年10月17日 18時30分【毎日新聞】

発達障害などを持つ子どもたちに、独自の工夫を重ねた教材で勉強を教える学習塾「さくらんぼ教室」(本部・千葉県市川市)がこの秋、30周年を迎えた。東京、神奈川、千葉の1都2県11教室で約2500人が学ぶ。塾を経営する伊庭葉子さんは「最初は公民館の一室を借り、教え子も数人だった」と歩みを振り返った。【山内真弓/統合デジタル取材センター】

独自の教材で小さな階段を一歩ずつ
子どもたちの個性は多様だ。計算はよくできるのに文章問題は解けない。漢字は大好きでたくさん覚えているが、自分の言葉で日記を書くのは難しい。文章を読むのは好きだが、書くのは苦手。読んだり書いたりは好きだが、うまく話せない。書いてある内容は全部分かるが、書いてないことを想像するのは困難……。

さくらんぼ教室では、通常学級の一斉授業で学ぶのが難しい子どもの発達段階や特性に応じて学習を指導する。テキストや学習スピード、声の大きさも子どもに合わせる。教材は目標を細かく設ける「スモールステップ」が特徴だ。何度も繰り返し練習し、小さな階段をひとつずつ上る。市販の教材ではステップが大きすぎて上れないのだ。

鉛筆を持ったことのない子は、机に向かって座るところからはじまる。鉛筆は投げたりかじったりするものではなく「書く道具」だと丁寧に教え、始点から終点まで動かすと線が引けることを教える。

伊庭さんは言う。「ひとつひとつのステップに時間をかけ、子どもの障害に応じて練習することで、できることが増えていく。発達に見合った練習ができないせいで取り残されてしまうのはもったいない。『うちの子が名前を書けた』と涙を流す保護者もいました」

最初は教室の確保もひと苦労
教室は1990年、東京都江戸川区で地域ボランティア活動としてスタートした。
伊庭さんは特別支援学校(当時は養護学校)の教員免許を持ち、大手学習塾や教育関係のメディアで働くなか、保護者の「教育を受けさせたい」という思いに背中を押された。「親子の姿が『さくらんぼ』のように見えるところから名付けました。お母さんが小さいお子さんと手をつないでやって来る。私の原風景です」と話す。

しかし、当時は「障害児が塾なんて」と否定的な見方をされることもあり、場所を借りるのもひと苦労だった。「『教育会館』と名が付いた施設で受け入れてもらえず、『福祉会館』に行っても『障害児が勉強するのはちょっと……』と言われて。朝からお母さんたちが並んでくれて場所取りをし、今週はこの公民館のこの部屋が取れたから、という具合でした」

法施行で「発達障害」が広く知られる
当時の養護学校のカリキュラムは身辺自立を目指すものだった。「鉛筆を持つことより食事がきちんとできることが重視されていました」(伊庭さん)。障害児にとって勉強は二の次だったのだ。

最初のうちは重い障害を持つ子が中心だったが、通常学級に通う勉強が苦手な子も集まるようになった。世の中で「発達障害」という言葉はまだ知られていなかった。広く知られるようになったのは2005年、発達障害者支援法が施行されてから。知的障害ではないが支援の必要な子が通常学級にもいると認知された。それ以降、教室へ通う発達障害を持つ子や、得意と苦手がアンバランスな子が増えていく。

「これが難しい」ではなく「どうすればできるようになるか」を丁寧に見つける。「その積み重ねがいま使っているカリキュラムやドリルです。子どもたちががんばってきた道筋が、後に続く子どもたちの学びに役立つ。それが私たちの自慢です」(伊庭さん)。

「そういう適切な教材がなく、広告の裏にシールを張って作ったりしました」。そんな手作りの教材が今は出版され、全国の特別支援学級などで活用されている。

「社会性の指導」にも取り組む
教室で学ぶのは勉強だけではない。「友達付き合い」「整理整頓」「買い物」など、ふつうの子が生活の中で自然に身につけていくことが難しい子もいる。子どもの生活年齢に合わせた「社会性の指導」(SST)にも取り組んでいる。

現在、東京都教育委員会から都立高校生を対象にした「コミュニケーションアシスト講座」を委託され、コミュニケーションが苦手な200人以上の高校生が学んでいる。同世代と会話ができず、友達ができない。提出物が出せない。テスト勉強の計画がたてられない。自分に自信がない……。学校の教員も「あの子は変わっているが障害ではない」と考え、本人の「困り感」に気づいていないケースも多い。そんな時は学校に支援方法を教える。

教室で学ぶ子どもたちの進路は特別支援学校、普通高校や専門学校、大学、大学院とさまざまで、特別支援学校の受験に向けて公開模擬試験も実施する。学校を出たあとは障害者として就労するケースが多いが、スキルを磨いて一般就労する人たちもいる。しかし中には社会人や親になっても「困り感」を抱え、通う人もいる。

コロナ禍での気づき
さくらんぼ教室はこの春、新型コロナウイルス感染拡大に伴い休校に迫られた。それをカバーしようと通信教材を作って自宅に送ったり、教材をウェブで公開したり、オンライン指導に取り組んだりと工夫した。

そんな取り組みを重ねれば重ねるほど「直接的な関わりが大事だと感じた」と伊庭さんは言う。「同じ空間で生徒の心の動きや表情、反応を捉え、指導ができるのだと改めて思いました。いま集中しているな、興味をもっているな、疲れているな、飽きたな、と。そんな指導がオンラインだと難しいですね」教室は6月、感染予防に留意しながら授業を再開した。

30周年イベントに落語家招く
さくらんぼ教室は10月18日、発達障害の一つ「識字障害」(ディスレクシア)であることを公表した落語家の柳家花緑師匠を招き、関係者向けの記念イベント「一人ひとりちがうからこそ、人生はおもしろい!自分らしく豊かに生きるコツ」を都内で開く。各教室の代表生徒が個性豊かな「思い」を発表する。

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30年前の我が国では、養護学校の子どもには教科教育と生活教育のどちらを優先すべきかという幼稚な二者択一の論争が行われていました。その昔、学習理論(応用行動分析)は教育に馴染まないとして教育界で嫌われていた経過もあり、この種の教育実践に教師は振り向かない(振り向けない)ようにしていたようです。

けれども、子どもたちはできるようになれば分かることも増え、褒められることが増えるので、自尊感情も高まります。日常生活に埋没したように見える「発達段階に合わせた」実践よりも、学習理論に基づいた実践はスマートに行動問題も解決していくようになります。

今では、実際の生活の課題を、機能的な学習とどう結びつけるのかというハイブリットな考え方が当たり前になってきていますが、いまだに学校教育は左右に揺れているようにも感じます。さくらんぼ教室の実践は、「親こそ最高の教師」という、古今東西で成功した療育実践のエッセンスを持っています。当事者と親がその特性を理解し可能性を信じて取り組んでこそ、周囲の優れた支援が生きるのだと思います。

 

家庭でも学校でもない、疲弊する子どもに必要な「第3の居場所」とは

家庭でも学校でもない、疲弊する子どもに必要な「第3の居場所」とは

2021年10月28日 【京都新聞】

少子化が進む一方で、貧困や児童虐待、ヤングケアラーなど子どもを巡る問題が深刻化している。31日投開票の衆院選でも各党が子どもに関わる公約を打ち出している。そんな中、福祉の専門職として京都府内の小中学校で活動するスクールソーシャルワーカー(SSW)が学校現場から見た疲弊する子どもの実情を明かし、家庭や学校以外の「第3の居場所」の充実など、国全体で解決策を考えるべきだと訴えた。

「問題を抱える子どもは、家庭も社会から孤立している。子どもを助けるためには、家庭も含めた生活環境に働きかける支援が大切だ」。SSWの60代女性は実感を込めて語った。

女性は拠点の中学校で週2回勤務し、近隣の小中学校も年間に数日間だけ派遣される。社会福祉士の資格を持ち、貧困や児童虐待などの問題に「かじ取り役」として学校外の機関とも連携して対応する。例えば不登校の子どもで発達などの障害があると判断すれば、市役所の福祉部署を通じて放課後等デイサービスの利用や障害者手帳の取得などを促す。家庭の貧困が絡む場合は、子ども食堂や社会福祉協議会の学習支援につなげる。

子どもの問題は現代社会のひずみが影響している。「新型コロナウイルスの影響で親が自宅待機や在宅勤務になり、狭い家庭空間で一緒に過ごす時間が増えて虐待が起きるケースもあった。仕事を失ったひとり親から『他人に言いづらい内容のパート勤務となり就労証明書をもらいにくいため、子どもを学童に通わせられない』と悩みを聞いたこともあった」と明かした。

18歳未満で家族の介護や世話をするヤングケアラーの問題もあるといい、「ある中学生は親が弟を保育園に送迎しないため代わりに自宅で世話していた。別の中学生は、障害のある親の代わりに家族の食事を作っていた」と語った。スマートフォンも子どもの世界に影響し、「知らずに膨大な課金をしてしまったり、男女間トラブルに陥ったりすることもある」とした。

衆院選も終盤戦に差し掛かり、女性は「社会がひとつとなって子どものことを考える雰囲気を感じない。もっと子どもにお金をかけてほしい。学校の施設だってボロボロの所は多い」と各政党に求める。

SSWの課題も指摘する。女性が受ける相談事案は年間百件を超す。しかし、府教育委員会のSSWは68人のみで、全員が非常勤。府教委は全校カバーの態勢を2017年度に整えたとするが、常勤化にはほど遠く、女性は「それぞれの問題にじっくりと対応できない」と嘆く。

また、家庭や学校の環境が厳しい子どもにとって、異年齢の子や多様な世界を見せてくれる大人と出会える第3の居場所の存在は大きいとし、「子ども食堂に行くように勧めても断られることもある。例えば、児童相談所に民間と連携した居場所を設けられないか。子どものショートステイや家庭へのヘルパー派遣の拡充など、日常的な受け皿が増えてほしい」と求めた。

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放デイを居場所にしている子どもは少なくありません。学童保育だと子どもが多すぎてゆっくり話を聞いてもらう事もできず、中学年以降は大人が決めたルールに縛られることを嫌がって行こうとしなくなります。放デイなら、自分の特性も見抜いて接してくれる職員や、同じような傾向のある仲間がいて、安心して生活ができるのかもしれません。今大事なことは、子どもの周りに理解者である大人の人垣をどう構築するかという事です。

昔は、隣近所の大人が気にかけてくれたものですが、そんな地域はとっくの昔に消滅してしまいました。今地域での子どもの関りと言えば小中学校と福祉サービスくらいしかありません。福祉サービスの関係者が子どもの人垣となるなら、あまり杓子定規に基準を決めてしまわず、ゆとりを持たせて受け止めたいものです。子どもの理解者を家族以外に作るためには「子ども食堂」等の篤志家の登場を待っていても仕方がありません。今あるサービスを人垣にしていく地域毎の福祉デザインこそが求められているのだろうと思います。

インチュニブ

最近インチュニブと言うお薬を服薬されている方が増えてきました。これはAD/HDの症状を軽減するお薬です。AD/HDの治療薬というのは大きく二つに分けられます。一つは中枢神経刺激薬です。これは脳のドーパミンを増やす事で脳の覚醒度を上げ、AD/HDの症状を改善させるお薬になります。具体的には、コンサータ(一般名:メチルフェニデート)などがあります。中枢神経刺激薬は、AD/HDの諸症状に対してしっかりとした効果がありますが、耐性・依存性や乱用などといった副作用の問題もあります。「効果は良いけども副作用にも注意が必要なお薬」なのです。そのためコンサータはどんな医師でも簡単に処方できるお薬ではありません。「コンサータ錠登録医師」に登録されている医師が処方します。リタリン(一般名:メチルフェニデート)というお薬も以前はAD/HDの治療薬として用いられていましたが、現在では依存性や乱用の問題からAD/HDの治療薬としては使えなくなっています。リタリンもコンサータも同じメチルフェニデートという中枢神経刺激薬ですが、コンサータは徐放製剤というゆっくり効き始めるタイプのお薬ですからリタリンよりも安全性が高いのです。

もう一つは、非中枢神経刺激薬です。これはノルアドレナリンを増やす作用を持つ「ストラテラ」、そしてアドレナリン2A受容体を刺激する「インチュニブ」があります。非中枢神経刺激薬は効果の強さの面で言えば中枢神経刺激薬に劣りますが、その分安全性に優れます。耐性や依存性、乱用といった問題が生じにくいというのが特徴です。中枢神経刺激と非中枢神経刺激薬はそれぞれ作用機序が異なるため、一方のお薬が効かない場合でももう一方は効く可能性があります。一般的には中枢神経刺激薬が効果が強くて、非中枢神経刺激薬は効果が弱いそうですが個人差があります。人によっては非中枢神経刺激薬の方が効く方もいるそうです。

インチュニブはAD/HDの治療に用いられ、効果は穏やかで、アドレナリンA2受容体を刺激する事で、AD/HDの症状を改善させる効果が速いそうです。不注意・多動性・衝動性の三大症状すべてに効果を認めます。中枢神経刺激薬ではないため、依存性や乱用のリスクがないといった特徴があります。また中枢神経刺激薬のコンサータはコンサータ錠登録医師として登録している医師しか処方できませんが、インチュニブは医師であれば誰でも処方することが可能です。従ってインチュニブは、AD/HDの方で薬物療法が必要である場合、まず用いるお薬として適しています。お薬は安全性の高いものから始めることが原則となるため、まずは安全性の高いインチュニブなどのお薬から開始し、それでも効果が不十分である場合はコンサータなどの中枢神経刺激薬を試すのが良いと言われています。

インチュニブを開始するに当たっては、次の2つを満たしている必要があります。6歳以上18歳未満である事。AD/HDと診断されている事。またインチュニブは体重によって「開始用量(飲み始めの量)」「維持用量(維持で用いる量)」「最高用量」が細かく設定されています。また中止・減量する際もいきなり中止するのではなく、原則として3日以上の間隔をあけて1mgずつ慎重に減薬していく必要があります。インチュニブがこのようにゆっくりと増量・減量するように決められているのは、急激に増減すると血圧や脈拍に変動をきたす副作用が生じやすい事が分かっているためです。元々アドレナリン2A受容体刺激薬は血圧を下げるお薬として使われていますから、血圧低下には注意が必要です。インチュニブはアドレナリン2A受容体を刺激する事で、血圧を下げたり脈拍を下げたりする可能性があります。特に飲み始めや量を増減した時に生じやすいため、投与初期やお薬を増減する時は特に慎重に経過を見る必要があります。インチュニブは効果発現の早いお薬で、1~2週間で効果を感じられる事も少なくありません。特に衝動性や多動性については服用開始1週間後から効果が認められる事が多く、不注意も服用開始2週間後には効果が認められるそうです。

ビバンセは、今年3月に認められたAD/HDの新薬です。

親と共に歩む放課後等デイサービス

発達障害児と親に寄り添う本放課後等デイサービス施設長、南川さん出版/福岡

2020年10月20日【毎日新聞】

「大丈夫。みんなで歩いていきましょう」「あなたは一人ではありません」――。ふと心が軽くなるようなメッセージを込めた、発達障害のある子供やその親を支援する本「発達障がい見方を変えればみんなハッピー」(梓書院・税抜き1500円)が出版された。【末永麻裕】

著者は、児童発達支援の放課後等デイサービス「発達こどもアカデミー」原田校(筑紫野市)の施設長で研修認定精神保健福祉士の南川悠さん(42)。

約15年間、未就学児から高校生までの発達障害の子供たち300人以上の療育に関わり、発達障害などの子供への接し方を学んでもらう「ペアレント・トレーニング」で保護者700人以上の支援に携わった経験から「親子に寄り添う本になれば」と執筆した。

子供に対しての関わり方や対処法として、「片付けなさい」といった大まかな指示ではなく行動一つ一つを具体的に指示することなど、視点を変える36のポイントを分かりやすく解説した。症例チェック表や受診できる医療機関、デイサービスの支援内容、利用相談などに関する情報も収録している。

南川さんが福岡市で月に1度主催している保護者の交流や相談の場「はこでみ親の会」についてもあとがきで紹介した。

南川さんは「ポイントを知ってもらい、時間をかけて一緒に歩んでいきましょう。本をきっかけに、親の会にも足を運んでもらえたら」と話している。

書籍購入の問い合わせは梓書院(092・643・7075)。

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15年間で「ペアレント・トレーニング」保護者700人はすごい数です。ペアトレは援助も必要なので3人程度で取組みます。230組ほどなのでフォロアップ含めて8セッションで2240回。毎日休まず実施しても10年近くかかります。放デイをやりながら親を組織して実施したとすると、ものすごいパワーです。

ただ、ペアトレにはそれくらい保護者が変わり子どもが変わっていく様子が、スタッフに手に取るように実感できる魅力的な取組です。一専門家の力は知れていますが、保護者の子育てのスキルアップのパワーはものすごいです。それを知っているいる専門家がペアトレを重視するのは当たり前だともいえます。「親に寄り添う本 放課後等デイサービス」というよりは「親と共に歩む本、放課後デイサービス」だと思います。

 

自閉症の息子へ 主演の加賀まりこさんの提案で監督が加えたシーン

自閉症の息子へ 主演の加賀まりこさんの提案で監督が加えたシーン

2021年11月2日 【朝日新聞】

自閉症の息子がいる母親が主人公の「梅切らぬバカ」が12日から全国公開されます。親子の絆を軸に、親子と近隣の人とのかかわりや、障害のある人たちが暮らすグループホームが抱える課題も描かれています。持病のてんかんを他の患者と語る「ぽつラジオ」も配信する和島香太郎監督(38)に、映画に込めた思いを聞きました。

ドキュメントでは描けなかった
――この映画を作ろうと思ったのはなぜですか。

数年前、自閉スペクトラム症の男性が主人公のドキュメンタリー映画の編集をしたことがありました。男性は親が残した家で、親族や福祉サービスの力を借りながら1人で暮らしていました。そうした交流は記録されている一方で、隣人には取材ができず、編集作業では映り込んでいた隣人を画面の外に出す作業をしました。

完成後、男性の置かれている状況や障害を、近隣の人にも理解してもらいたいという思いで映画を見てもらったが、「あなたたちは障害を肯定的に描きすぎていないか」という手紙が届きました。

長年にわたる男性の障害による予測のつかない言動で、近隣とは修復困難なあつれきが生まれていたんです。ドキュメンタリーでは描けなかったこの部分を、フィクションだったら表現できるのではないかと考えました。

――ご自身のてんかんも関係しているのでしょうか。

14歳でてんかんを発症しました。僕も含めて患者は、家族から「病気のことは誰にも言うなよ」と言われてきた人が多く、学校や勤務先で症状に悩んでも相談できる人が周りにいなくて、孤立してしまいがちです。病気のことをオープンにしながら社会とつながっていくためにどうしたらいいかを模索している人もいて、障害がある人が抱える課題と通じる部分だと感じています。

迷惑をかけることで、障害への理解広がることも
――脚本にあたって、どんなリサーチをしましたか。

自閉症など障害がある人の家族、地域でグループホームの建設に失敗した人たちに話を聞きました。どういうプロセスで進めて、どんな人に、なぜ反対されたのかを取材しました。

この映画では、一つ問題が起こることで、逆に理解が進むことがあるということを描きたかった。障害がある人にかかわる人から、「人に迷惑をかけることで存在が認められて、障害が理解されることがある」と言われて、そういうことも大切だと伝えたかったんです。

――母親の山田珠子役を演じる加賀まりこさんの「このまま共倒れになっちゃうのかね」というせりふが印象的です。

撮影の直前に、加賀さんと同年齢で、自閉症の息子を1人で育ててきた女性から話を聞きました。「このまま息子の住む場所が見つからなければ、一緒に死ぬしかないかもしれない」と打ち明けてくれました。いくら周りに支援者がいたとしても、当事者は困難な現実の中で生きていると感じました。

プレッシャーから救ってくれた加賀さんの存在
――加賀さんからの助言で生まれた場面があるそうですね。

珠子が、息子のちゅうさん(塚地武雅さん)を抱きしめて、「ありがとう」と言うシーンがあります。最初はこのシーンはなかったんですが、脚本を読んだ加賀さんから、「(息子に)『ありがとう』と言った方がいいよ」と言われたんです。

僕は、「珠子さん、そんなこと言うかな」と半信半疑でしたが、先ほどの自閉症の息子がいる女性からも、同じことを言われたんです。障害がある子を育てる人を、38歳の僕が描こうとしていること自体、かなりのプレッシャーなんですが、加賀さんの存在で救われるところがありました。

――地域で障害のある人が暮らす上で、課題と感じることはありますか。

障害者施設の建設・運営に反対する人たちが「子どもたちの安全を守る」と掲げることがあります。それは危害を恐れての本音でもあると思うが、子どもに偏見がなければ、大人の差別活動の口実に自分たちが利用されていると、子どもは感じると思うんです。

障害者への偏見を子どもに植え付けていくことにもなるし、将来、大人たちと同じように差別することも懸念される。教育の観点から、共生の可能性を模索してもいいんじゃないか。

子どもたちの安全を守るということを盾にしているのが、一番引っかかっている。僕が取材した町では、そういう大人に不信感を持った子どもがそのことを作文に書いて、注目されたということも聞きました。「梅切らぬバカ」に子どもが出てくるのは、そうした部分を伝えたいという思いも込めています。

ぽつぽつとてんかん語る「ぽつラジオ」
――ユーチューブやポッドキャストで、てんかん患者が出演する音声番組「ぽつラジオ」を2017年から続けています。

最初は、てんかんをテーマにしたドキュメンタリー映画を作りたいと思っていたんです。てんかんだと周囲に明かさずに働いている人たちの悩みをテーマに扱いたかった。でも、彼らにカメラを向けたら、「クローズ」ではなくなり、テーマと矛盾してしまう。顔は出せないけれど、伝えたいことは山ほどあるんです。匿名で出演してもらい、声で思いを伝えてもらえる手段として、「ぽつラジオ」を始めました。

以前は知り合いに出演を頼んでいましたが、最近は、ツイッターで知り合った人に依頼することが多いです。意外に思われるかもしれませんが、「日本てんかん協会」の存在を知らない患者さんもいるんです。子どもの頃から、誰にも言うなと育てられ、病気で人とつながることがありえないと思っているため、つながる機会が少ないんです。僕も、30歳を過ぎてから、主治医から「他の患者さんと話してみませんか」と言われました。

――映画監督の仕事をする上でも「ぽつラジオ」の存在は大きいですか。

大きいです。仕事場で発作を起こしたことをきっかけに、職場の理解を得られた人の話も「ぽつラジオ」で聞きました。でも、仕事を辞めるまで追い込まれたり、面接で落とされたりする人もいます。それでも模索して、タフに生きている人がいるのも事実で、「ここでだめでも、他のところで映画を撮れるんじゃないか」と思えるようになりました。

監督という仕事をしていく以上、発作のリスクを周囲と共有できないと、自分自身も不安なので、徐々に伝えていくようになりました。僕が発作を起こしたら現場が止まり、人件費などで負担を負わせてしまう。

今回の撮影前には、スタッフとてんかんのリスクを共有しました。すると、撮影場所の近くにホテルを取ってくれ、僕は自宅からではなく、ホテルから通うことで移動時間を短縮できました。睡眠時間を確保できれば、発作のリスクを減らせます。スタッフがきちんと対応をしてくれたことで、僕自身が、周囲の人がてんかんをどう見るかを決めつけて恐れていたことに気づかされました。

――映画を見る人たちへメッセージを。

映画の始まりと終わりで、ささやかな変化が起きていて、それがどういうものかを注目して欲しいです。小さな変化が積み重なっていくプロセスを見てもらえたら。(及川綾子)

映画「梅切らぬバカ」は12日から全国公開
占いをなりわいとする母親(加賀まりこ)が、きちょうめんで馬好きの息子「ちゅうさん」(ドランクドラゴン・塚地武雅)と閑静な住宅街で暮らす日常を描く。庭にある梅の木は伸び放題で、引っ越してきた隣家から苦情が届いていた。ちゅうさんは母親と離れてグループホームに入居することになったが、ホームは住民とのあつれきを抱えていた。ある日、ちゅうさんはホームを抜け出してしまう――。

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今回も、障害のある人と暮らす家族の物語です。前回はきょうだいの関係性でしたが、今回は親子の関係性です。ただ、塚地さんはドラマ「裸の大将」の山下清のイメージが強すぎて、シリアスなテーマではベタな感じになりはしないかと一抹の不安もあります。親亡き後の障害のある一人息子への片親でもある母親の思いがどう描かれるのか注目しています。前回掲載した、映画「僕とオトウト」では、兄が小さな時期から笑顔で蓋をして言えなかった怒りを父親に爆発させて、「オトウトを撮り続ける」事でカタルシスを得ていこうとする過程が描かれました。兄は親に思いをぶつけられますが親の場合となると考えさせられます。

また、福祉施設と住民との関係性で「近隣とは修復困難なあつれき」について監督の映画製作の経験から描かれるというのも重要な見どころだと思います。私たちが運営している事業所を近隣者はどう感じているのか、面と向かって口に出す人はいませんがマイナスの感情が必ずあるはずです。時折聞こえてくる子どもの奇声や大声、道端に派手に座り込む姿、職員より背の高い子どもが大人と手をつないで歩く姿、小さな子どもが遊ぶ公園で大きな人がブランコを思いっきり漕ぐ姿等を住民が見て思う事はたくさんあるはずです。これは、映画だからこそ描けるものがあるのだろうと思っています。

久々に、大スクリーンで上映される障害者をテーマにした映画ですから多くの方に見てほしいと思います。この映画は54年ぶりの主演となった加賀まりこさんと人気芸人・塚地武雅さんが親子役で共演する映画としても観たい映画です。また、監督・脚本を務めた和島香太郎監督が、2008年に「ndjc:若手映画作家育成プロジェクト」に参加し短編映画を製作後、2019年に実施されたndjc「90分程度の映画脚本開発」に『梅切らぬバカ』で応募し研修生に選ばれた経緯のある映画なので、文化庁のいわゆる監督育成事業の成果発表として観る価値もあると思います。

T・ジョイ京都(京都駅前)『梅切らぬバカ』 11/12公開

感覚統合アプローチ

頭の固い支援者によくあるのが、椅子に座っていない、立ち歩く、姿勢が悪い、頬杖を付く、寝そべる、体をゆするのは集中していないからと理解して、その行動を叱ったり修正しようとします。或いは、姿勢を正して人の話がきけないのは支援者や大人へのリスペクトが足りないからと、何時代だよと思うような発想の方もいます。頭の柔らかな支援者は、体を動かすのは子どもが体を覚醒させて集中しようとする表れかもしれないと考えます。このように旧態依然とした考えの支援者とスマートな支援者では発想が真逆なのです。

感覚統合によって、人は脳に入ってくる様々な感覚を整理したり、まとめたりしています。人は普段、様々な「感覚」に囲まれています。感覚には一般的によく聞く「五感」(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)の他にも、「固有受容覚」と「前庭感覚」という感覚が存在します。脳は次々と入ってくるこれらの感覚を統合(整理・分類)し、無意識に自分の身体をコントロールしています。逆に感覚統合がうまくいっていないと感覚の受け取り方に偏りが出て、他人と同じように状況を把握して、それに応じた行動をすることが難しくなります。その結果、落ち着きがなかったり、乱暴な動作が多いと思われたりします。感覚統合を理解することで子どもの行動を理解し、問題がわかったうえで対応することができるようになります。

「固有受容覚」とは、筋肉や関節によって自分の身体の位置や動き、力の入れ具合を感じる感覚です。固有感覚の役割は大きく分けて5つあり、 ①自己存在感 (例:抱っこを求める) ②身体のイメージの把握 (例:人がしていることを真似できる) ③力加減、動きのコントロール (例:飲み物をそっと注ぐ) ④距離感、方向の把握 (例:自分の下駄箱の位置がわかる) ⑤一連の手順の記憶 (例:文字の学習) があります。子どもは様々な経験をしながら、固有受容覚を養い、他の感覚と統合させて発達しています。例えば、固有受容覚があることで、自分の力や動きをその場に応じて変えることができます。子どもたちは綱引きで力いっぱい引っ張ったり、ジャングルジムをぎゅっと掴んだりして100%を知ったあと、飲み物を注いだり、卵をそっと持ったりするなど力を加減することを学びます。逆に、固有受容覚が未発達だと力の加減がうまくできず、自分は軽く叩いているつもりでも相手にとって痛いと思わせるほど強く叩いてしまうなどのトラブルが起きる可能性があります。

私たちは「前庭感覚」によって、耳石器と三半規管が受容器となって、揺れ、傾き、重力、スピードを感じています。
前庭感覚の役割は大きく分けて4つあり、 ①姿勢とバランスの発達 (例:なわとびができる) ②眼球運動 (例:鬼ごっこをする) ③覚醒の調整 (例:ジェットコースターに乗って興奮する) ④自律神経系の調整 (例:車酔いを防ぐ) があります。前庭感覚は、加速、回転、傾き、高さ、重力などに対して身体のバランスを保つために大切です。例えば、動きながら物を見続けることができるのも、前庭感覚によるものです。子どもたちが遊んでいるときにボールを目で追いかけながら走ったり、教科書を読みながら音読したりすることにも関係しています。一方で、前庭感覚がまだ未発達の状態だと、トランポリンでジャンプしたときにうまく着地できなかったり、ブランコなどで身体が大きく揺れたりすることを極端に嫌がったりします。

固有受容覚と前庭感覚などの感覚の統合がうまくいかないと、落ち着きが無かったり、発語の遅れおくれが見られたり、友達と上手く遊べなかったりと情緒面、言語面、対人面などでつまずくことがあります。しかし、感覚統合が未熟な子どもたちが直面するつまずきに対して、様々な方法で支援することができます。例えば、教科書の文字を意味で句切って読むことができない子どもには、行ごとに定規をあてたり、色を変えたりして指導することで視線があちこちに飛ばないように指導します。これを繰り返すことで上下・左右の眼球運動をコントロールできるようになります。また片手で消しゴムを持ち、もう片方の手で紙を押さえて文字を消したり、アーチ状に浮いている定規を使ったりと、両手を使った動作がうまくできない子どもに対しては、押さえている感覚を強調する支援を行うことで改善することができます。これらはあくまで一例で、それぞれの子どもにあった、感覚統合を成熟させるための支援を行うことが大切です。また、大人にとっては支援・指導でも、子どもたちにとっての遊びになるようにすることが大事です。子どもたちが支援を楽しみ、成功体験を積むことで、さらに別の支援にチャレンジして感覚統合を発達させていくことができます。

感覚統合アプローチは、例えば、子どもたちが立ち歩いたり集中できなかったりするのは感覚統合がうまくいっていないからではないかと考えます。上履きを脱ぎたい人は「机の下できちんと並べる」というルールを作り、自分の集中しやすい、落ち着く姿勢で学習して良いと伝えたクラスでは、子ども達の集中力が上がり、今まで授業中に席に座り続けることができなかった子どもが授業中に立ち歩かなった事例もあります。傍から見ると変な体勢でもその子にとってはその姿勢が一番集中できるのです。このように、子どもたちの行動を頭ごなしに否定するのではなく、その裏にある原因を考え、「気になる」行動が良くなっていくように様々な工夫をするアイデアの理屈が感覚統合理論なのです。

「GoTo修学旅行」

「GoToトラベル」「GoToイート」で、政府施策として1兆6794億円(国民一人当たり1万4千円)が実施されています。これは、観光地での3密解除と外食時のノーマスクを黙認しているとも言えます。つまりそれくらい、今後も武漢ウィルス感染で重篤化しないという見通しを政府が持っているとも言えます。9月1日に、「Go To トラベル」を利用した人は延べ556万人いたとされ、その利用した人の中で新型コロナウイルスの感染が確認されたのは6人であることを菅元官房長官が会見で公表したことも、政府の自信の表れだと思います。

それにもかかわらず教育界では、修学旅行で3密を避けられないと日帰り日程に替え、戸外でもマスクを着用させ、マスクができない子は、「マスクができません」プレートを見えるところに貼っておく配慮までしています。

同じ国の中で、このちぐはぐな対応は何でしょう?学校を感染予防として臨時休業にした政治家や文科官僚のメンツでしょうか?願わくば学校にも文科省から一斉に「GoTo修学旅行」や「GoTo社会見学」「「GoTo音楽鑑賞会」など、経費全額無料の補助をしてほしいものです。そうすれば、クレーム予防の無意味な感染対策も鳴りを潜めていくと思います。

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「GoTo」食事券、どのくらいお得?予約分は即完売、ネットやはがきで購入可京都

2020年10月20日 20:04【京都新聞】

新型コロナウイルスで影響を受けた飲食業界を支援する「GoToイート」で、購入価格の25%が上乗せされるプレミアム付き食事券の利用が京都府内で20日に始まった。先行予約の10万冊(5億円分)は5時間で完売し、関心の高さを示す一方、京都新聞社の双方型報道「読者に応える」では「売り切れが早いのはなぜ」「どのくらいお得なのか」と次々に疑問が寄せられた。注目のキャンペーンの制度や狙いを探ってみた。

「イート」は7月に始まった観光支援の「GoToトラベル」に続く国の消費喚起策。飲食予約サイトを通じたポイント付与と食事券の2種類があり、ポイント事業は1日から全国で始まった。

食事券は都道府県ごとに発行し、京都では5千円分(千円券3枚、500円券4枚)を1冊4千円で販売する。発行冊数は160万冊(80億円)で、7日に先行予約を受け付けた10万冊を除き、20日正午から20万冊、26日から50万冊、12月14日から80万冊と、段階的に数を増やして販売する。

予約は「京都GoToイート事務局」のホームページ(HP)から行い、その2日後からファミリーマートのマルチメディア端末「ファミポート」で食事券を購入できる。利用できる飲食店は事務局HPに掲載し、随時更新する。

1冊4千円の価格設定について、事務局は「2倍の価格ならば単純に発行数は半分となる。多くの人に使ってもらい、幅広い飲食店の活性化につなげたい」と話す。初回予約は「想定以上のスピード」で売り切れたが、不当な買い占めなどは見られなかったという。食事券の1回の取得上限額は全国一律で1人2万円。京都は1回で最大5冊購入でき、事前予約分は1回の平均購入数が約4・2冊だった。まとめて買う傾向が強いようだ。

家にパソコンがない人やネットが使えない人は、往復はがきでの申し込みもできる。事務局が代理でウェブ手続きを行い、発券に必要な番号をはがきに記載して返信する。発券、購入は各自で行う。ファミリーマートが近くにないなど、購入自体が難しい場合は事務局が個別に対応する。問い合わせは075(276)4051。

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京都の観光地、GoTo東京追加に期待都民向け割引プランも「堂々と楽しむ雰囲気に」

2020年10月3日 10:00【京都新聞】

政府の観光支援事業「GoToトラベル」に今月から東京都発着の旅行が追加され、初の週末を迎える。新型コロナウイルスの感染拡大で大打撃を受けた京都市内の観光地は初日から多くの観光客が見られ、宿泊施設の予約も持ち直しつつある。京都観光が最もにぎわう秋の紅葉シーズンに向け、客足の回復に期待が高まっている。

ホテルグランヴィア京都(下京区)によると、今週末の客室稼働率は5~6割程度で、東京を含む首都圏からの予約が増加。例年京都が混み合う10月下旬から11月の週末は、現時点で客室予約が9割に達した。担当者は「宿泊が伸びる秋の需要を、GoToがさらに後押ししている状況だ」と分析した。

東京都民限定の割引サービスも登場した。京阪三条駅近くの京都花ホテル(東山区)は、懐石料理店での夕食と宿泊をセットにしたプランを、都民向けに3割引きで提供している。吉田良副支配人は「都民からの予約は多くはないが、まだ始まったばかり。これから増えることを期待している」と話した。

GoTo効果は、外出自粛に苦しんできた交通業界にも波及しつつある。タクシー大手エムケイ(南区)によると、売り上げが前年比8割に回復する日もあるという。同社は9月から市内の飲食店での食事と送迎をセットにしたツアーの販売を始めた。近隣府県に加え、東京からの観光客を取り込む考えだ。

清水寺(東山区)周辺の三年坂や清水坂には2日も、修学旅行生や着物姿の観光客が列をなして歩く姿が見られた。GoToを利用し、同僚3人と京都旅行に訪れた東京都板橋区の男性(38)は「ようやく東京が追加されたので早速使った。同じことを考えている人は多いはず」と笑顔で話した。

1日からは旅行中の買い物や飲食に使える地域共通クーポンも始まった。

嵐山商店街(右京区)で竹製品専門の土産店を営む男性(51)によると、2日午前までに6人が利用したという。「お客様も堂々と観光を楽しもうという雰囲気に変わっている。京都府内の感染者も少ない人数で推移しているので、このまま盛り上がってほしい」と希望を込めた。

事務局が作ったポスターを掲示する居酒屋の店頭(京都市中京区)

危険な「放課後デイ」送迎サービス…障害児へのわいせつ行為横行

危険な「放課後デイ」送迎サービス・・・障害児へのわいせつ行為横行

2021/11/04 【読売新聞】

障害のある子供が利用する「放課後等デイサービス(放課後デイ)」で職員による子供へのわいせつ行為が相次いでおり、車での送迎中にわいせつ行為に及ぶ手口が横行していることがわかった。自力での通所が難しい障害児に欠かせない送迎サービスが、悪用されている形だ。

動画も撮影
読売新聞の全国調査では、放課後デイで2016~20年度に少なくとも職員25人が、39人の子供にわいせつ行為をした疑いのあることが明らかになっている。

「男の勤務態度は真面目だった。まさかそのような意図があったとは……」。9月上旬、取材に応じた関東地方の放課後デイ代表の男性(74)は、苦い表情で口を開いた。

数年前、男性が代表を務める施設で、40歳代の職員の男が知的障害のある女児らにわいせつな行為などをしたとして、強制わいせつ容疑などで逮捕された。

男は面接時、「子供に関する福祉の仕事をしたい」と熱意を語った。障害児施設での勤務経験もあり、人手不足から採用を決めた。だが、男は女児にばかり近づこうとし、子供と接しない業務へと配置換えをした。

ある日、男は送迎車に添乗員として勝手に乗り込み、運転席の後ろで女児の下半身に触れ、動画を撮影。帰宅した女児が両親に伝え、発覚した。男は、別の女児3人にもわいせつ行為をしていたとして、強制わいせつなどの罪で懲役7年の判決を受けた。代表の男性は「被害者には大変申し訳ない。二度と起きないよう徹底したい」と謝罪した。

犯行1年半
送迎サービスでは、同様の事案が各地で起きている。

静岡県内では19~20年、放課後デイに勤務していた元保育士の30歳代の男が、送迎中に知的障害などのある少女3人にわいせつな行為をし、その様子を動画で撮影。男は約1年半犯行を重ね、静岡地裁沼津支部は今年6月、男に懲役12年の判決を言い渡した。

19年にも、石川県内の放課後デイの職員の男が送迎中の車内で、当時7~11歳の障害がある女児6人にわいせつな行為を繰り返した。金沢地裁は昨年7月、「被害を訴えることが困難な女児の特性につけ込み、職員という立場を悪用した」などと指摘し、懲役7年の判決を言い渡した。

厚生労働省障害福祉課障害児・発達障害者支援室は「送迎中のわいせつ行為という手口は把握していなかった。あってはならず、遺憾だ。事業所には、わいせつ行為など虐待防止の職員への周知徹底を求めている」としている。

放課後デイ事業者でつくる「全国放課後連」の真崎 尭司たかし 事務局次長は「子供は被害を訴えにくく、障害があればなおさらだ。利用できる施設も限られ、泣き寝入りしているケースもあるだろう。放課後デイは、低賃金や新規参入しやすいといった構造的な問題もある。行政にはこうした問題の解決や新たな研修制度など対策を進めてほしい」と話している。

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利用者を顧客だと思っていないからできるのでしょう。見てやっている、世話をしてやっている、教えてやっている、教育や福祉の仕事で陥りがちな感覚です。子どもを顧客だと考えることは、公立だろうが民間だろうが同じです。「させてもらっている」というサービス感覚は子どもと接する職員に教えなければ身につくものではないです。「わいせつ事件」は職員全体にそうした感覚が薄い職場に多いのではないかと思います。

低賃金で人手不足とか利用施設が少ないとか、そういう問題ではないと思います。賃金も待遇も福祉職より良いにも関わらず、教員のわいせつ事件も後を絶たないのですから待遇の問題ではないと思います。わいせつ事件も虐待事件も職場規律の弱いところに多いように感じます。規律と言うと職場の管理が強くて働きにくいのではと勘違いする人がいますが、顧客である子どもに対してリスペクトするように職員教育がされていれば、子どもや保護者への向かい方は自ずと変わってきます。

子どもを大事にするというのは当たり前の事ですが、職場規律がないところは、子どもを大事にしない言動を抑止することができません。送迎の密室性の問題のように記事は書きますが、大事なことは事業者の顧客・子どもへの姿勢の問題だと思います。研修保障や賃金アップは大事な課題ですが、別の問題だと思います。