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1. 教諭の叱責で不登校「わが子も同じ」保護者から反響

投稿日時: 2021/07/05 staff2

教諭の叱責で不登校「わが子も同じ」保護者から反響 毎日嫌だと涙/授業の前に気分悪く

7/5(月) 【岐阜新聞】

岐阜県内の小学校で児童が担任の教諭の叱責(しっせき)をきっかけに不登校になっている問題を取り上げた「あなた発!トクダネ取材班」の記事を受け、取材班のLINE(ライン)には、複数の保護者から「わが子も先生に怒られて学校に行けなくなった」という声が寄せられた。教育関係者からは「学校も指導の在り方を見直すべきだ」との声が上がった。

可児市の40代の女性は、小学5年の長男が「先生に怒られるのが怖い。話しかけても怒られるだけ」と登校を渋っていると話す。きっかけは週に1回の花の水やり当番を忘れ、担任の教諭に叱られたこと。忘れた本人が悪いことは理解しつつも、「叱るべきところで叱るのは当然だが、一人一人性格が違うのに全員に完璧を求めるのはどうなのか」とも思う。

「毎日なんとか頑張って学校に行っているが、担任は『来て当たり前、嫌なことがあるから逃げるのはずるいよ』と長男に言い、さらに追い詰めていると感じる」という。「毎日嫌だと泣く中、学校に行かせ続けて良いのか本当に困っている。私も甘やかして育てたのかと、自問自答の毎日だ」と複雑な胸中を明かした。

県内の別の女性は娘が小学1年の時、合唱祭に向けた練習中に教諭の厳しい指導を受け、一時不登校になった。その後叱責はなかったが、音楽の授業の前になると、めまいを起こしたり気分が悪くなったりする症状が2年生になるまで続いた。

「2年生での担任は若い先生だったが、娘の話をちゃんと聞いてくれた。ささいなことでも褒めてくれたり、悩んでいたら励ましてくれたり。様子を見ながら対応してくれたことで娘は乗り越えられた」といい、現在は問題なく通えているという。「褒めて育てると言われる世の中で、叱る指導は逆効果なのではないか」と疑問を投げ掛けた。

学校現場を知る関係者にこの問題について尋ねると「指導をきっかけに児童が教員を怖がり、学校に行けなくなるケースはよく聞く」との声が上がる。

県内のある小中学校関係者は、「厳しい先生に低学年学級を受け持たせると学級のまとまりが生まれ、3年生以降も教職員の指示をよく聞き、それが良いこととされる時代があった。だが不幸な子を生んでいるのなら、学校も考え直すべきだ」と話す。

「昔よりも保護者の教員に対する『かくあるべき』という許容範囲が狭くなっているのは確かだが、保護者や児童に理解されてこその教員だ。プロとして対応していかなければ」と言い切る。「問題が起きた際に、教員と児童の間で生じたずれを修復するためにも、学校と保護者が協力して何がいけなかったのかを振り返り、改善に取り組む必要がある」と強調した。

県立高校の男性教諭(42)は、過去に定時制高校で勤務していた時を振り返り、「生徒の6割が小中学校で不登校を経験しており、絶対に怒鳴ってはいけなかった。生徒は繊細で、必要がない場面で怒鳴ると恐怖や理不尽さを感じさせるのだということを常に意識していた」と明かす。

「厳しい指導で子どもは伸びる」「親が叱らなくなった今だからこそ、学校が叱らなければ」と考える教職員もいるというが、「100人のうち99人がその指導で育ったとしても、1人が教員のせいで学校に来られなくなることは公教育の場では許されない。こぼれ落ちる子の原因になっていることを学校は自覚すべき」と指摘する。

その上で「教室は閉鎖的な空間で、教職員が『自分が正しく導かなければ』と悪意なく指導をエスカレートさせやすい。違う目線を持った第三者の存在が学校には必要ではないか」と述べた。

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「叱咤」は、大声をあげて叱る、あるいは叱って励ますこと。「叱責」は、責任者が下の者の失敗や過ちをきつく非難すること。 要するに大声を上げたり、心が痛むほど叱ることを言います。私たちが、学校にお迎えにいっても他人が見ていることもお構いなしに、子どもをしかり飛ばしている光景をたまに目にします。先生ご本人は、子どもとの信頼関係の中で大声を上げているのかもしれませんが、それは独りよがりな大きな勘違いです。

定時制高校の先生が言うように、不登校経験者の中には発達障害の子もいて、彼らには叱責へのトラウマがあります。発達障害のために不注意や配慮に欠けた言動で叱られ、幼少期から言っても言っても繰り返すので、声を荒げる大人も少なくありません。その結果、大きな声や叱責に対して敏感に反応する子どもが多いのです。また、虐待は世代間で繰り返すと言われますが、不適切な躾も繰り返されます。怒鳴られて育てられた子は、成人して無自覚のままだと怒鳴って躾をするしか術がないのです。しかし、教員であるならこれは言い訳に過ぎず、指導力不足教員と言わざるを得ません。

教員の中にも、怒鳴られて育てられた人はいます。しかし、教員自身の家族性の問題を公教育に持ち込まれたら先生を選べない子どもはたまったものではありません。職場の同僚は、こうした先生には気づいています。しかし、触らぬ神になんとかで放置したままか管理職に押し付けてしまいます。管理職は、逆切れされて教員からパワハラを訴えられるのを気にして毅然と指導できないこともあると言います。人格の尊重を学ぶ場で、子どもの人格が傷つきトラウマを持ってしまう事ほど理不尽なことはありません。