掲示板

みんなちがってみんないい

強度行動障害

強度行動障害とは、自分の体を叩いたり食べられないものを口に入れる、危険につながる飛び出しなど本人の健康を損ねる行動、他人を叩いたり物を壊す、大泣きが何時間も続くなど周囲の人のくらしに影響を及ぼす行動が、著しく高い頻度で起こるため、特別に配慮された支援が必要になっている状態のことを言います。
この定義に加えて、「家庭で通常の育て方をし、かなりの養育努力があっても著しい困難が持続している状態」という但し書きも付されています。つまり、精神医学的な診断(例:精神遅滞、自閉症、統合失調症)とは別に、さまざまな養育上の努力はしていても、行動面の問題が継続している状態に対して付けられる呼称が「強度行動障害」であるということです。

下に厚労省が示した障害支援区分に基づく行動援護の判定基準表があります。合計10点以上が行動援護の対象となる要件の1つとなります。

行動援護の対象が強度行動障害というわけではありませんが、強度行動障害と普通の行動障害に質的な境界線はないといった方が正しいと思います。強度と表現しているのは支援側の理由からです。自傷や他害、飛出や奇声は、またはその前駆症状と認められるような指示待ち等は、その程度に関わらず必ず同じ原因があります。少々の行動障害だから見過ごすというのは、困っている姿を見過ごすのと同じだと思うのです。

下記リンクの「強度行動障害支援者養成研修【基礎研修】」のテキストは支援者用に国立のぞみ園が作成したものです。今回は、このテキストに沿いながら、何故行動障害になるのかどんな支援が行動障害の予防につながるのか、連続シリーズで考えたいと思います。

http://www.nozomi.go.jp/investigation/pdf/report/04/05.pdf

 

カミングアウト

栗原類さんは、イギリス人の父と日本人の母を持つハーフで、5歳ごろからモデルの活動を開始し、中学2年生の時からファッション雑誌『MEN’S NON-NO』に掲載されます。俳優業にも積極的に挑戦している栗原類さんがNHKの番組で自分が発達障害だということを告白しました。その番組では「冷蔵庫にいつも入っている牛乳がない、または配置が違うだけで気持ちがわるくなる」「聴覚が敏感なので不穏な音は非常に苦手である」と言っていました。子どもの頃はアメリカにいてそのアメリカの音楽の授業がどうしても苦手だったのでと急で教室から逃げ出したこともあるそうです。苦手なことも得意なことも個性として捉えることが必要だと言います。

スティーブン・スピルバーグは、「未知との遭遇」「ジェラシックバーグ」という世に衝撃を与える大ヒット映画を指揮する映画監督です。彼も発達障害であることを告白しています。発達障害と一口で言っても様々なタイプがあり困っていることは一つだけではないのですが、一番厄介な思いをしたのは「失読症」だそうです。本を読めない・文字を読めない・文字が認識できない、特に子どもの頃はこの発達障害が原因で進学に遅れをとり、それがきっかけでイジメを受けていたそうです。児童期は抜き出た個性が嫌な面で目立ってしまい、さらに勉強できないというハンデで酷く悩んだと言います。しかし、字を読む事が出来ないことでより「想像力」を高めたり、普通の人とはものが異なって見えてしまうことでより想像性を刺激され、創造力の源泉となったのかもしれません。

時代を変える偉大な人、アインシュタイン、エジソン、ステーブジョブス、トムクルーズ、他多くの人は、特別な才能があるゆえに、変人(発達障害)と言われました。今も多くの才能を日本の教育は潰しています。これは人類の大きな損失です。このような後世に残るような人物が「自分は発達障害である」という発言をすることで、これは病気でなく『個性』だと社会が認識できるようになります。人と違うというだけで好奇な目で見られたり、いじめの対象になってしまうのは世の常ですが、公平な社会を目指していくのであれば、こうし著名人が勇気を持ってカミングアウトすることで誰もが生き易い社会へと変わっていくはずです。

ドラゴン桜

『ドラゴン桜』は現実味ゼロ──関係者が語る「底辺校」の残酷な現実

2021/05/14 【日刊サイゾー】
文=藤井利男(ふじい・としお)

『ドラゴン桜』(TBS)
低偏差値の高校に通う落ちこぼれの生徒たちが、カリスマ教師の優れた指導のもと、半年で東大に合格する──現在放送中の『ドラゴン桜』(TBS)は、そんなストーリーで好評を博したドラマが16年ぶりに復活した作品だが、現実は常にドラマよりも残酷だ。

『ドラゴン桜』は同名のマンガが原作の物語。「つべこべ言わずに東大に行け」を決めゼリフとする主役の「桜木建二」(阿部寛)が教壇に立つ高校は、偏差値が32といういわゆる底辺校で、そこから東大合格者を出すのがミッションだが、偏差値が40に満たない県立高校出身の30代男性のOさんはいう。

「偏差値が低い高校というと“不良の巣窟”みたいな想像をされますが、決してそうとは限りません。私はヤンキーではなかったので、入学する前は身構えていましたが、いざ入学すると、不良はごくわずか。欠席、遅刻、早退をする生徒がとにかく多く、教室は静かなものです。授業中は大半の生徒が寝ており、教師もいちいち怒りません。本人も親も教育というものにまったく興味がないので、『東大に……』と叫んでもまったく響かないでしょうね。

卒業後、地元の塾経営者と知り合いになり、出身校を言うと、私の母校は教育関係者の間で“無気力校”と言われていることを知りました。喜怒哀楽が欠落していて、他人に興味が無い子ばかりだったので、腹が立つというより『何てピッタリな表現なんだ』と思いましたね」(Oさん)

いくつかの不幸が重なり、実力よりはるかに偏差値が低い高校に通ったOさんは、奮起して大学に進んだが、高校時代は「暗黒の3年間」だったそう。マンガを読むか寝ているかの同級生ばかりで、学園祭も体育祭もまったく盛り上がらず、友達はほとんどできなかったという。一方、20年以上の教師経験を持つTさん(40代男性)は、よりシビアな現実を語る。

「これまでいくつもの高校で教鞭をとり、その中には偏差値が学区ビリの高校もあって、大きなカルチャーショックを受けました。赴任が決まった時は、マンガに出てくるようなヤンキー高校を想像しましたが、予想に反して教室は静かで、生徒も授業を聞いています。けれども小テストをやると、まったく理解していない。授業のペースが早すぎるのかと思い、ペースを落としてもダメです。

生徒を見ていると、高校生とは思えないくらい言動が幼稚だったり、極端に特定のことにしか興味が無かったり、中には会話がほぼ成立しない子もいて、知能指数が知的障害ギリギリの子、発達障害の子が恐らく相当数いたはずです。低偏差値校の生徒が“アルファベットが書けない”“分数の計算ができない”などと笑いの種にされることがありますが、マジメにやってもできない子がいるということを知ってほしいです」(Tさん)

そんな重たい話がドラマになるわけはないが、「つべこべ言わずに…」と尻を叩けば誰でも出来るほど、世の中は甘くないのだ。

----------------------------------
『ドラゴン桜』(ドラゴンざくら)は、メディアミックス・ジャパン(MMJ)・TBSテレビ制作によりTBS系「金曜ドラマ」枠で2005年7月8日から9月16日まで毎週金曜日22時 - 22時54分に放送された日本のテレビドラマ。三田紀房の漫画作品『ドラゴン桜』を原作に、元暴走族の貧乏弁護士が平均偏差値36の高校生を東京大学に現役合格させるまでを描いた作品。阿部寛主演。

2021年4月25日から、前作の15年後を描いた続編『ドラゴン桜』が「日曜劇場」枠で放送開始。第1シリーズで主要人物を演じた阿部寛と長澤まさみが同じ役で引き続き出演する。また、TBSとMMJの共同製作だった第1シリーズと違い、第2シリーズはTBSの単独製作となる。漫画版の続編『ドラゴン桜2』が原作だが、今の時代に合わせたエッセンスを入れ、ドラマオリジナルの展開が予定されている。

あらすじ
第1シリーズ
元暴走族の弁護士・桜木(阿部寛)は、経営難の三流私立校・龍山高校に債権者代理として乗り込む。教師・真々子(長谷川京子)らを前に、学校の解散と教師の解雇を通達。だが、弁護士としての名を上げるため、桜木は解散ではなく、東大合格者を輩出する進学校にする再建案をブチ上げる。桜木は東大受験のための特別進学クラスを創設し、生徒たちの東大合格のために奮闘する。
第2シリーズ
龍山高校での成功をきっかけに、同様の底辺高校再生の仕事が舞い込むようになった桜木は虎ノ門に事務所を構える順風満帆な弁護士人生を送っていたが、2年前に依頼された高校で特進クラスの8人中7人を東大に合格させたものの、一人だけ不合格だった男子生徒・米山がナイフで桜木を刺した上に自殺未遂を起こしたことによりマスコミから叩かれる一大スキャンダルとなり、自身も消息不明となっていた。前シリーズでの教え子であり、東大卒業後に弁護士となって桜木法律事務所で働いていた水野直美は独立して事務所を設立したものの経営が行き詰っており、かつての龍山に匹敵する落ちこぼれ校「龍海学園」から翌年に東大合格者を5名出す条件で再建を引き受けることで起死回生を図る。福井県で自堕落な生活をして落ちぶれていた桜木を見つけた水野は、彼を再び教育の場へと連れ出そうとする。
----------------------------------
水野直美弁護士こと長澤まさみは、『コンフィデンスマンJP』の「ダー子」にしか見えないなぁと思いつつ観ています。底辺高校は発達障害の受け皿でもあります。今回のドラマでは重度のASDとはっきり分かる昆虫大好き高校生(原健太=細田佳央太)まで登場します。「桜木建二」こと阿部寛の台詞は学ぶことの本質を語るので、一言一言胸に刺さります。

日刊サイゾーの編集部は学習障害についてもう少し正確に書いてほしいなと思いました。書けないだけ、計算ができないだけで知的な差異はないのだということや、偏差値とはワーキングメモリーを含む記憶力を測ったばらつきを指しているだけだということです。今後、原健太君がサバン症候群の能力を発揮して「記憶」と「偏差値」について一石投じてくれると思います。

その2:行動障害に有効な支援

上の図は、行動障害の人の支援を説明するのに定番で使われている資料です。有効な支援ベスト3は、1構造化支援・2コミュニケーション支援・3薬物療法です。やっかいなのは4番のキーパーソン(信頼できる人)ですが、大変曖昧な表現です。信頼できる人とはあくまで本人が決めるのです。信頼できる人とは、上位二つの支援を当たり前のように自然に支援してくれる人は必ず含まれているはずです。見通しのある環境を準備し、本人の伝えられる方法で言いたいことを聞いて周囲と折り合いをつけてくれる人がキーパーソンの条件だと思います。この二つのサポートを抜きにして、自分は信頼されているという支援者がいればそれは根拠のない妄想でしかないと思います。

しかも8割以上の有効票を得た上位2つと比べれば5割ですから、有効半分無効半分です。良いキーパーソンに当たるか当たらないかは裏表の賭けと同じ結果とも言えます。この結果からどうすれば行動障害が予防できるのかは明確です。そして行動障害の原因は何か次回に考えていきます。

SNS

発達障害の中でも特にASD(自閉スペクトラム症)の方は、相手の気持ちを汲み取る事や、相手の発言の行間を読むことが苦手です。その為、SNS上でも相手の気持ちがわからず、当事者が気づかない間に相手を傷つけてしまう可能性があります。Twitterで不適切な発言をしてしまい、本名が晒される報復を受けたりします。この場合、被害を受けるのは本人だけでなく、家族や親戚に迷惑をかけてしまうことになる為、「拡散」がされやすいSNSでの発言は要注意です。また、その他に、発達障害を持つ方がSNSを利用する際に気を付けないといけないことは、他のユーザーから誹謗中傷等のリプライ(返信)を受けてしまう事です。

インターネット上には様々な人がいます。中には憂さ晴らしの為にわざわざ攻撃の対象を見つけて、誹謗中傷を浴びせかけるような人たちもいるのです。発達障害の方がターゲットとされた時に、そのような人たちをうまく無視することができればいいのですが、ムキになって相手をしているとどんどんメンタルが疲弊してしまいます。ただし、不適切な発言をしてしまうのは発達障害の方やその特性に限りません。むしろ人口から考えれば少数です。匿名性が不適切発言を助長すると考えられます。ADHD(注意欠陥・多動障害)を抱えている方は衝動的な言動が少なくないので、SNSの利用時に衝動性が出てしまうと、SNS上での対人関係においてマイナスの影響が出てしまいます。

発達障害を抱える方が上手にSNSを使う為には、文章や画像を送る前に、「この投稿を見た人はどのような気持ちになるだろう」「この投稿をすることによってどのような影響が出るだろう」と考えるルーチンを作るために、キーボードの横に【入力したら吟味する】等の標語シールを貼っておきます。また、多くのSNSには「限定公開」という機能があり、自分の友達や知り合いの間のみでSNSを楽しむという事もリスク回避になります。おススメは「ミュート」です。ブロックをすると相手のアカウントと自分のアカウントを完全に隔離することができますが、ブロックをしたこと自体が相手にバレてしまうSNSが多いですが、ミュートであれば、相手にミュートしたことがバレずに相手からのリプライを見えなくしてくれるので、相手に余計な感情を抱かれる危険性がありません。

SNS上では自閉スペクトラム症(ASD)のことを「アスぺ」と呼んで揶揄する人がいます。そして、その「アスぺ」という言葉の使い方は間違った意味で使われていることが多いです。特に、文を誤解して捉えてしまった人に「アスぺ」という言葉がかけられることが多いのですが、読解能力と、ASDのコミュニケーションの特性とは関係がありません。また、ADHD(多動症・注意欠陥)についても、誤った認識のもと、SNS上に投稿がされているケースが散見されます。こうしたSNS上でのスラングが発達障害に対して間違った認識を生む原因の一つにもなっています。

発達障害の当事者やその両親の方がSNSから得ることができる恩恵はたくさんあります。例えば、発達障害に特化したSNSを利用して発達障害による日常的な困りごとについて相談できる相手が見つかるかもしれません。発達障害の当事者やその両親は、周りに発達障害の悩みを相談できる人がおらず、孤独感を抱えてしまいがちです。しかし、SNSならば同じ悩みを相談し、共感しあえる相手が見つかるかもしれません。発達障害の当事者やその両親にとって、悩みを共感しあえることは大変喜ばしい事です。また、発達障害に特化したSNSではなくても、Facebook等には、発達障害の情報交換を目的としたコミュニティもあります。

自分が「馴染めそうだな」と感じたコミュニティに入ってみて、普段抱えている発達障害の悩みを打ち明けあったり、共感したりすることができれば孤独感の解消に繋げることができます。直接、発達障害のコミュニティが主催する場に足を運ぶのは抵抗があるかもしれません。しかし、SNSを利用することで発達障害のコミュニティに入ることの心理的障壁を下げることができるかもしれません。ただし、SNSは匿名性が前提なので、場所や氏名等の個人情報が特定できないようにする注意が必要です。

SNSは根拠がなかったり、嘘を平気で拡散して喜びにする人や、その嘘に乗っかって本気で信じてしまう人たちも少なくありません。でもそれはSNSに限ったことではありません。テレビや新聞など大手のメディアでも平気で根拠のないことを拡散することがあります。メディアの目的は嘘だろうが真実だろうが大衆に注目してもらい金を稼ぐことですから、過激になり尾ひれがついて連日報道されます。

今流行りの「#検察庁法改正案に抗議します」も、発端は63歳で今年2月退職のはずの検事長を、検事総長にするために退職延長したのはけしからんし、これでは65歳定年の総長を68歳まで任用を延長できることになるので更にけしからんと言います。しかも今回の法案はこれを正当化するので言語道断というものです。しかし、この法律を施行するのは2年後の4月なので、仮に今の方が総長になっても2か月前に65歳を過ぎており新しい法の影響はありません。現行政の人事権限の問題は法案とは関係のない話で、法案の何が問題なのか説明になっていません。それでも、著名人がこのハッシュタグ付けるとファンが爆発的に拡散します。もう、正しいか間違いかは法案の内容とは関係ないようです。

武漢ウィルス恐慌という最大の危機を前にして、今そんなことでもめてる場合かというのが、大勢の意見ではないかと思います。SNSとは情報の一方通行時代から、市民が双方向性のメディアを手に入れたという意味では画期的なものです。ただ、使い方によっては、個人だけでなく社会の毒にも薬にもなる代物だという事も理解しておくことが大事です。

 

中止・延期。子どもたち不在で事を進めていいのか?

今年も修学旅行、運動会が中止・延期。子どもたち不在で事を進めていいのか?
妹尾昌俊 | 教育研究家、学校・行政向けアドバイザー

5/17(月) 【Y!ニュース】

新型コロナウイルスの影響を受けて、1年前と同じく、今年も修学旅行や運動会などの学校行事の中止、延期などが各地で起きています。

「楽しみにしていた運動会は中止することにしました」。10日、福岡市の小学校では校長が校内放送で告げた。1年生のクラスでは「えー」と悲鳴が上がり、「寂しすぎる」と泣きだす児童もいたという。40代の女性教諭は「なぜ東京五輪はできて、運動会はできないのか」と憤る。

 福岡県教育委員会は10日、運動会やクラスマッチ、文化祭、学習発表会、修学旅行などの学校行事は宿泊等の有無にかかわらず、実施しないよう県立学校に通知。福岡や北九州、久留米、飯塚各市なども宣言期間中は運動会を実施しないと決めた。

(西日本新聞2021年5月14日)

変異ウイルスが猛威をふるうなかですから、理解できる部分も多々あります。しかし、一方的な中止等は、学校教育の根っこに関わる、別の問題もあります。

■多くの自治体が修学旅行や運動会の中止を呼びかけ
教育新聞(2021年5月7日)は、その日時点で緊急事態宣言が出ている都府県の状況を整理しています。(※5/7現在の状況。今後の状況等しだいで変更がある可能性はあります。)

東京都:学校行事で感染リスクの高い活動は中止。修学旅行は中止または延期。
京都府:学校行事で感染リスクの高い活動は中止。修学旅行は緊急事態宣言中は実施しない。※京都市も同様。
大阪府:府県間移動を伴う学校行事は中止、延期。修学旅行は緊急事態宣言中は中止・延期。※大阪市、堺市も同様。
兵庫県:学校行事で県外の活動は見合わせる方向。修学旅行は原則行わないが、一部は学校判断。
神戸市:児童生徒が接触する学校行事の活動などは中止。修学旅行は中止または延期。
愛知県:修学旅行を含め学校行事は中止または延期。
名古屋市:検討中。
福岡県:検討中。
福岡市:検討中。
北九州市:運動会や体育祭は延期

中止または延期という判断のところが多いようです。修学旅行は大人数で飲食や宿泊を伴う活動ですし、運動会、体育祭などでは接触する種目もありますから、新型コロナの感染防止の観点からは、延期等もやむを得ないという判断であろうと思います。

理解できる部分は多いのですが、一方で、とても気がかかりなこともあります。ここでは2点に整理したいと思います。

■疑問1:「中止」という選択肢しか本当にないのか?
延期はまだわかりますが、早々に「中止」を決定する自治体、学校もあります。本当に「中止」しか選択肢はなかったのでしょうか?

修学旅行について言えば、感染リスクが低い地域に変更、延期したり、日帰りの体験活動に変更したりする例が昨年度もありました。運動会なども、学年別に分けて開催したり、接触の多い種目は除いたり、保護者等の人数を限定したり(あるいは無観客にしたり)する例もありました。

こうしたことは、教育委員会も教職員もよくわかっているとは思いますがが、感染リスクが心配なので「中止」しかない、という考えのところもあるようです。

■疲弊して萎縮する学校現場
「もう少し柔軟に、幅広い選択肢から考えたらよいのに」と、私は感じますが、「行事を強行して、感染者が出たときには、すごく学校が非難される」という心配、もっと言えば、恐怖が学校や教育委員会には強いのだろう、と思います。

ある教員も「もちろん、やれるものなら、やりたいという気持ちは先生たちにもありますよ。でも、何かあったときすごくバッシングされるのはいつも学校です」と言っていました。

実際、行事にかぎらず、普段の学校で感染者が出たときも、学校の対応がマズかったのではないか、という批判、非難が多く寄せられる地域はあります。地域のかたや議員さんからクレームが入るのです。家庭内感染が主なルートであったとしても。冷静に話をしてくれる人ばかりではありません。

ただでさえ、多忙を極めているのが、多くの学校現場です。やっかいなクレーム電話に対応するのは、精神的にもすり切れてしまいます。

※もちろん、学校の対策が十分だったかどうかという検証や検討は重要なので、こうした苦言をすべて「クレーム」と見なすことも適切とは言えませんが。

「中止」とすぐに決めてしまう教育委員会や学校のなかには、こうしたこれまでの痛い経験があるため、萎縮してしまっているところもあるのです。

なお、文科省は感染対策は講じた上で、修学旅行等をなるべく実施してほしい、という考えです。再三通知を出していますが、この4月1日にも、「令和3年度における修学旅行等の実施に向けた配慮について」という文書を出しています。

■疑問2:子どもたち不在で決めていくのが「教育」か?
ちょうど約1年前の状況を振り返っても、修学旅行や運動会、体育祭、文化祭などの中止が相次ぎました。私が問題視しているのは、中止の是非というよりも、その決め方です。

すべての地域がそうだったとは申し上げませんが、一部の教育委員会や校長は、子どもたち不在でいろいろ事を進めようとしてきました。教育委員会と校長会でゴニョゴニョと協議し、早々に決めたところも多かったですし、昨年度は夏休みを大幅に短縮する動きも一方的でした。調査データがないので、推測になりますが、おそらく多くの地域では、こうした決定の前に児童生徒の声を聴いたという形跡はほとんどありません。保護者もほとんど関与できなかったところが多いのではないでしょうか。

約1年前に見られたことが、また今年も繰り返されつつあります。

本当にこんなことでよいのでしょうか?

ある学校(複数)では、修学旅行の代替となる校外学習を小6、中3の子どもたちが話し合いながら企画しました。そういう学校と、「コロナで残念だったね」で済ませる学校で、どちらが子どもたちが育つでしょうか?

■日本の教育は「従順さ」ばかりを育てている
子どもの権利条約では、子どもは自分に関係のある事柄について自由に意見を表すことができ、おとなはその意見を子どもの発達に応じて十分に考慮することを求めています(第12条)。

日本が子どもの権利条約を批准したのは1994年。25年以上経っているのに、学校や教育行政では、いまだに、子どもたちの意思や意見が十分に尊重されているようには見えません。子どもの権利・法律問題に詳しい、佐藤みのり弁護士はこう話しています(強調は引用者、大人んサー「夏休み短縮、部活動中止…子どもの意見を聞かず、大人だけで議論していいのか」) 。

 こうした声(引用者注:子どもたちの声、意見)に耳を傾けず、大人だけで物事を決めてしまうと、子どもは『どうせ自分たちが意見を言っても大人は聞いてくれない』と感じ、次第に『何を言っても無駄だ』と諦めるようになってしまいます。教育が大きく変わる可能性のある今こそ、大人が子どもの意見にしっかり耳を傾けるチャンスです。

 子どもの意見をよく聞き、それを踏まえて議論し、その過程や結論を子どもに分かりやすく説明することが大切です。そうすることで、子どもは大人が真剣に向き合ってくれたと感じ、今後もあらゆる場面で、自ら考え、意見を言えるようになるでしょう。

「主体性のある子どもを育てる」「自律的に学び続ける大人になっていってほしい」。こう日本中の先生たちは言うわけですが(学校目標にはそういう文言がよく入っています)、まったくきれい事ではないでしょうか?

「教育委員会や先生の言うことに黙って従うのが〝いい子〟」ではありませんよね?

■理不尽な校則を押しつけることも、根は同じ
茶髪禁止、ツーブロック禁止、スカートはひざ下5センチ、下着は白のみ。「ブラック校則」と言われることもある、合理的な理由がよくわからない校則を押しつけることも、行事の中止等と同じ根っこの問題がある、と私は見ています。

かつて荒れて生徒指導がたいへんだった時代に、頭髪や服装などを厳しくしないと、地域等からクレームがたくさん来る学校もありました。ともかく校則を守らせておけばそうしたクレームにはならないだろうという安直な考え方が教職員に引き継がれ、また、日々忙しいなかで、校則や学校の決まりを見直そうというエネルギーさえ生まれてこない。そして、子どもたちの意見表明や主体性を軽視してきたことが、こんにちまで続いているのです。

学校や教育委員会だけを責めて解決する問題でもありません。教育関係者に加え、保護者や地域のかたなど、多くのかたが、「大人の言うことを子どもたちは黙って従っていればいい」という教育をしてしまっている現実に気づき、「もっと子どもたち主体で練り直そう」、「コロナでたいへんだけれども、だからこそ、子どもたちと一緒に考えていこう」と転換できるかかどうかが、問われています。

※本稿は、拙著『教師と学校の失敗学:なぜ変化に対応できないのか』(PHP)を加筆して作成しました。

------------------------------
筆者も妹尾氏の意見に同意します。一度決めたら変えられない。その理由に政権や学校の「権威がなくなる」ことを恐れているのだそうです。明治維新然り太平洋戦争然り、幕府の攘夷方針を変えることができず薩長に政権を明け渡した徳川、ミッドウェー海戦で空母を致命的に失うのに停戦協定等に移行できなかった大本営と同じです。そこに横たわっているのは、権威とか言うけど、それは言い訳でかっこつけてるだけだと思うのです。農耕型ムラ社会が足並みを揃える事で生産性を維持するために作った文化、身に染みた同調圧力が怖いだけではないかと思います。子どもと共に語り合う事は、自分たちのことは自分たちで決める自立心を育てていくのだと思います。

その3:二つのコミュニケーション

行動障害の予防には原因を正確につかむことが必要です。この図は障害による二つのコミュニケーションの障害が行動障害の直接原因だとしています。そして環境要因としてのモノ・ヒト・コトが掛け合わされて長い年月をかけて積みあがり行動障害が形成されます。

さて二つのコミュニケーションと書きましたが、このブログをお読みの方はもうお分かりだと思います。

そうです。理解コミュニケーションと表出コミュニケーションの二つです。最近は、理解コミュニケーションは構造化支援や視覚化でずいぶん取り入れられるようにはなってきました。昔は絵カードなんて社会では使えないからと平気で言う方がおられましたが、さすがに影を潜めました。障害のない人でも記憶が定かでなかったり、すべてを知っているわけではないので書いてあるものを頼りにするのだから、聴覚入力や記憶がさらに弱い人なら視覚支援は当たり前だということがやっと広まってきたからです。

例えば以下の経験のない人がいるでしょうか。みんな物事を理解するために、忘れないために視覚支援という情報に大半頼っているのです。(1)カレンダーに予定を書き込んで、忘れないようにしていいる人。(2)《すべきこと》のリストを作って、机や冷蔵庫に貼っている人。(3)何がほしいかを伝えるときに、広告やメニューの写真を指さしたことがある人。(4)買い物に出かける前に、買い物リストを作る人。(5)「列に並んで下さい」、「入口・出口」などの標識を見たことがある人。(6)料理本のレシピを見ながら、食事を作ったことがあり、その料理を作る度に、そのレシピを繰り返す人。(7)家族への伝言を、メモに書いておく人。(8)レストランで注文を決めるとき、メニューに目を通す人。(9)子どもが歯磨きを忘れないように、チェックリストを作った人。(10)やるべきことを思い出すために、付箋紙に書いて鏡や玄関ドアに貼ったことがある人。(11)《イラスト入り組み立て説明書》を見ながら、買ってきた家具などを組み立てたことがある人。(12) 電車やバスに乗るときに、時刻表や接近情報を見る人。(13) 車を運転するときに、様々な道路標識や交通信号を見る人。(14) 新幹線や映画館で指定席に座るとき、座席の番号を切符を見て確認する人。(15) スーパーなどで買い物するとき、値札を見て買うかどうか考える人。あげだすときりがありません。理解コミュニケーションに障害があれば、もっと丁寧に支援するのは当たり前だと思います。

二つ目のコミュニケーションは最も大事なコミュニケーションです。表出のコミュニケーションです。どんなに周りのことや大人の言うことが理解できても、何も伝えることができないとすればあなたならどんな気持になると思いますか?それが毎日毎日です。永遠にその感じが続くとすればどうでしょうか?周囲のことが少々理解できなくても、自分から伝えることができれば大体のことは解決できると思いませんか?

明日は表出のコミュニケーション障害と行動障害について考えてみます。

大阪モデルと視覚化の効能

大阪府では5月5日、『大阪府新型コロナウイルス対策本部会議』で、約1カ月延長が決定した緊急事態宣言の規制を早期に緩和させるための独自基準「大阪モデル」を決めました。吉村洋文知事は、「感染状況を4つの信号に分ける。警戒信号が7日間点灯しなかったら自粛を解除する」と発表しました。

この日の会議では、府独自の基準にも基づく自粛要請もしくは要請解除の基本的な考え方について検討。モニタリング指標として、4つの警戒基準案を資料にして公表しました。
1つめは、新たに発見された感染経路(リンク)不明陽性者の増加比(前週比1未満)
2つめは、新規陽性者における感染経路不明数(10人未満)
3つめは、新規PCR検査での陽性率(7%未満)
4つめは、重症の患者を受け入れる病床使用率(60%未満)
(5月4日時点で、1=0.68、2=7.29人、3=4.5%、4=33%とすべて基準値以下)

この4つを「警戒信号」とし、陽性者の発生を抑えて4つの信号すべてが原則7日間消えれば自粛は段階的に解除します。一方、解除後であっても1から3までの信号が全点灯した場合には、改めて府民へ自粛などの対策を要請するという方針です。現在の緊急事態措置において、5月31日までは自粛を継続しますが、吉村知事は「14日の国の判断も参考にしながら、15日に府としてどう判断するかを発表したい」と、大阪府ではこれら警戒基準案をベースに段階的な解除が可能か判断するといいます。今後、府下の警戒状況については、「より分かりやすく行動変容を促せるよう大阪城や太陽の塔、通天閣にも協力をお願いし、大丈夫は緑、警戒は黄色、注意は赤などライトアップで見える化したい」と語りました。

大阪城のライトアップは金がかかりすぎると松井市長に断られましたが、視覚化と言うアイデアは安心感をもたらします。発達障害の人だけでなく、誰だって視覚化すれば見通しがもてて頑張ろうとするのがよくわかる事例だと思います。今日で達成6日目で後二日で判断です。基準や枠組みを示し視覚化すれば、辛いことなのに楽しみさえ持てるのが視覚化のすぐれたところです。

大阪市の小中学校 24日から通常授業

大阪市の小中学校 24日から通常授業を再開へ

05月17日【NHK】

今回の緊急事態宣言を受けて、大阪市立の小中学校が自宅でのオンライン学習と、学校でのプリント学習を組み合わせる形で対応していることについて、市の教育委員会は、今週後半から授業を段階的に再開したうえで、来週24日から通常の形での授業を再開することを決めました。

緊急事態宣言を受けて、大阪市立の小中学校では、子どもたちの感染リスクを抑えるため、先月26日以降、原則、自宅でのオンライン学習と、学校でのプリント学習を組み合わせる形で対応しています。

これについて、大阪市教育委員会は、この間、子どもの感染者数が徐々に減少傾向となっているほか、重症化した事例の報告もないとして、今週後半から授業を段階的に再開したうえで、来週24日から通常の形での授業を再開することを決めました。
具体的には、今週20日から、各学校の実情を踏まえながら授業を最大で4時間実施し、残りの時間は、オンライン学習などを行うとしています。

そのうえで、来週24日から通常授業を再開するとしています。
また、先月26日以降、午前のみの保育としている市立の幼稚園についても、来週24日から通常の保育を再開し、このうち、今年度、新たに入園した子どもについては、段階的に保育時間を延ばすとしています。

松井市長は、記者団に対し、「病床のひっ迫や、変異株の感染リスクを考慮し、子どもたちの接触機会を減らすための対策をとってきたが、幸い重症例もなかったので、通常授業に戻していく」と述べました。

------------------------------------

武漢風邪のピークアウトは連休前にあり、その後は下げ止まりの感があり、3月頃の100名以下にはなりそうにありません。それも踏まえて、宣言延長による学校の自粛登校の効果もあまりなかったということで、緊急事態宣言終了日の1週間前倒しで「再開」したのかも知れません。大阪市長の「幸い重症例もなかったので、通常授業に戻していく」の主語は子どもですが、もともと子どもの重症例は世界的に報告されていないどころか、無症状がほとんどです。通学自粛には結果的に意味がなく、他市と平等であるべき子どもの学習機会を根拠なく奪ったことへの取り繕いのコメントだとすれば残念です。

その4:表出のコミュニケーション

前回の二つのコミュニケーションで重要なのは表出のコミュニケーションだと述べました。ただ、表出のコミュニケーションと言えども誰にでも伝わるものでなければ役に立ちません。また、自発的に使えないと肝心な時に役に立ちません。

言葉での表出は、発声機能に問題がないこと、言語処理機能に問題がないこと、聴覚的短期記憶や長期記憶に問題がないことが前提です。身振りはどうでしょう?身振りはそのサインを模倣できる力や相手にもそのサインが何をさすかがわかる必要があります。絵や写真はどうでしょう?相手にものを渡せる機能と、絵が現物を表現する方法だと分かればだれでも使えますし、誰でも伝わります。つまり、意思伝達に絵カード表現は最短距離で到達できるということです。

二つ目に大事なことは、表出コミュニケーションの自発性を獲得していることです。私たちは用もなく話しかけることはほとんどありません。必ず目的があります。ところが、行動障害の方は、相手に自分から情報を与えて目的をかなえる、「自発的」な表出コミュニケーションが困難な方がほとんどなのです。

また、日常相手が黙っていると「どうしたの?」と私たちは声を掛けます。「どうしたの?」は、「何か欲しいの?」「どこか痛いの?」「何か気分が悪いの?」「何か困っているの?」「何か助けがいるの?」等の意味です。自発的な表出に困難がある人は、「どうしたの」が聞かれなければ何も表出(言えない・身振りできない・カードが示せない)人が多いのです。中には何か言ってほしそうにじっと相手の顔を見つめる人もいます。これが「指示待ち」です。つまり「どうしたの?」や「~してね」を待っているのです。

相手が自分に話しかけたり相手が自分にはたらきかけたりして、初めて伝えるもの、初めて行動を起こすものという理解をしている方が大変多いのです。この状況を想像してみてください。自分の要求を叶えるために相手が自分に話しかけてくれるのを四六時中ずっと相手の様子を見守り待つのです。万が一、話しかけてくれたにしても表出スキルが低くかったり相手の理解力が低かったりして上手く伝えられなかったらまた待つのです。実力行使する行動障害の人たちの気持ちが分かります。

適切な意思伝達は自分から起こすものだということを理解してもらうには、適切なコミュケーションスキルで意思伝達ができ要求が叶ったという経験を蓄積するしか方法がありません。日常場面では、スキルを教えるよりこの自発性を教える方がはるかに難しいと感じています。それはある程度のコミュニケーションの成功体験の回数が必要だからです。その人にもよりますが、1日100回を超えなくては文字通り話にならないと思います。つまりその人が便利だと気がつくまで生活のあらゆる場面で経験が蓄積される必要があります。