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親を困らせる子どもの本当の気持ち
気づいてあげて!「わざと」親を困らせる子どもの本当の気持ち
10/6(火) 20:21【ベネッセ】配信
気付いていないのは自分だけ? わざと親を困らせる子どもの本当の気持ち
何度注意しても、保護者のかたを困らせる行動をとる。しかも、大人の顔色をうかがいながら「わざと」やっている。お子さまのそんな姿を見たら、イライラしてしまいますよね。でも、この行動の裏には「かまってほしい」というお子さまの気持ちが隠れている可能性もあります。
わざと親を困らせる「試し行動」
まだ小さいお子さまなら、いろんなことを学んでいる段階。注意されたことを繰り返すというのは、よくあることです。でも、大きくなってきて物事の良し悪しもわかってきているはずなのに、親をわざと困らせてくる子どももいます。たとえば、このような行動です。
・絵本や大事な本を破る
・飲み物をわざとこぼす
・クレヨンを折る
・弟や妹をいじめる
このように、わざと親を困らせようと行っている行動を「試し行動」といいます。これは、「自分は本当に愛されているのだろうか」ということを確かめる行動。もちろん、困った行動がすべて試し行動なわけではありません。発達障害などが原因であったり、不注意でやってしまったりすることもあります。
しかしそうではない場合は、「試し行動かもしれない」と思ってみることも必要。そうすることで、お子さまの気持ちに気付きながら、困った行動を解決できる可能性もあります。
「かまってほしい」「認めてほしい」試し行動の心理
試し行動をしている時、子どもはどんなことを思っているのでしょうか。
・「こっちを見て」「私をかまって」と気を引こうとしている
仕事が忙しかったり、きょうだいが生まれたりして、少しお子さまとの関わりが減ってしまった時。そんな時に子どもは、「自分をもっと見て!」と気を引こうとします。これが、親を困らせる時の子どもの気持ち。赤ちゃん返りとも似ていますよね。
でも、どうしてわざと「悪いこと」をするのでしょうか。それは、子どもにとってこの方法が一番効果を感じるからです。子どもが「良いこと」をしている時は、手がかかりませんよね。だから、つい放置してしまいがち。そうすると子どもは、保護者のかたの気を引くために「悪いこと」をしようと考えます。
悪いことをすれば、「ダメでしょ!」「いけません」とすぐに駆け付けてくれる。たとえ叱られたとしても、子どもにとっては「かまってもらった」ことになります。「良いこと」をするよりも「悪いこと」をした方が、お母さんやお父さんを簡単に独り占めできるからなのです。
・「どんなことをしても自分を見捨てないか」を試している
その名の通り保護者のかたを「試している」こともあります。「どんなに悪いことをしても、私のことを好きでいてくれるだろうか」ということを、保護者のかたの反応を見て確認しているのです。
これは、「自分が愛されているのか不安」だからしてしまう行動。保護者のかたに対して、何か不信感を抱いてしまっている可能性もあります。だから、愛情が確認できるまで何度も繰り返してしまうのです。
「困った行動」だけに注目しないで!意識して子どもとの関わりを増やそう
子どもの困った行動が「試し行動かも」と思った時は、どうしたらよいのでしょうか。
まず、試し行動そのものに対しては、きちんと注意をしてOKです。ダメなことはダメと注意してください。でもこの時、子どもを否定する言葉は言わないようにしましょう。「〇〇をして、あなたは悪い子ね」ではなく、「〇〇はしちゃいけないよ」と行動だけを叱るようにしてください。
そして叱った後は、「どんなことをしてもあなたのことが好き」だということを、言葉や態度で伝えてあげましょう。抱きしめてあげるだけでも、お子さまはホッとするかもしれません。
また、困った行動だけに着目していても問題は解決しません。子どもの「かまってほしい」「もっと見てほしい」という気持ちに答えてあげる必要があります。ですから、少し意識してスキンシップを増やしたり、「ほめる」ことを増やしたりしてあげましょう。困った行動をしている時ではなく、良いことをしている時や何でもない時こそ、愛情を伝えてあげるチャンスです。
まとめ & 実践 TIPS
試し行動をする相手というのは、子どもにとって大切な相手。「この人に愛されたい」と思うから、気を引こうとします。それだけ、子どもはお母さんやお父さんが大好きなのですね。
もしお子さまが「わざと親を困らせている」と感じたら、少し自分の行動を振り返ってみましょう。「最近遊ぶ時間が取れていない」「スキンシップが減ったかも」「怒り過ぎているかも」そんな心当たりがあれば、ちょっと意識してお子さまと向き合ってみてください。
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息子が強度行動障害、在宅で介助「もう無理」 入所先見つからず
息子が強度行動障害、在宅で介助「もう無理」 入所先見つからず・・・疲弊する両親
2021年10月21日 【福井新聞】
自傷行為や暴れるといった「強度行動障害」のある人は、全国に少なくとも2万5千人いると言われる。重度になると常に介助が必要だが、施設側は人手不足に加え、他の利用者や職員の安全確保の面で入所を断らざるを得ないケースもある。入所先が見つからず、在宅で息子の見守りを続ける福井県福井市の夫婦は「24時間気が休まらず、普通の生活も困難になってきた。家で支えるのはもう無理」と悲鳴を上げる。
50代の夫婦の次男(23)は2歳で広汎性発達障害(自閉症)と診断された。特別支援学校小学部6年の頃から強度行動障害の兆候が現れ始めたが、在学中は比較的安定していた。高等部を卒業後、建物から飛び降りたり、電卓を投げつけたりする重度の症状が見られるようになった。家の部屋の窓ガラスを割ってしまうため、アルミ板に交換した。
次男は、障害者総合支援法に基づく支援の度合いが最も重い「6」。現在は週1回のショートステイと週4回の通所で、二つの施設を利用している。夜間は訪問ヘルパーが介助に当たる。夫婦は「環境の変化に敏感なので、1日の生活リズムが決まっているのが理想」と、施設への入所を切望している。
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福井県によると、夜間も排せつや食事を介助する指定障害者支援施設は県内に26カ所ある。昨年9月時点で、このうち17カ所に強度行動障害のある人が計408人入所しているが、次男のような重度の人数までは把握していないという。
知的障害者ら40人が入所する勝山市の障害者支援施設「九頭竜ワークショップいずみの郷」は一昨年、重度の男性1人を初めて受け入れた。3、4人で交代しながらマンツーマンで24時間介助する。担当職員は「行為の理由が分からない時もあり、意思疎通が難しい」と話す。
同施設は常に満員状態だ。男性と同時期に入所を希望した強度行動障害の女性もいたが、日中の通所で対応している。担当者は「重度の人をもっと受け入れようとすると、設備を整えなければならない。お金も人もまだまだ必要」と苦しい胸の内を明かす。
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国や自治体は「入所施設から地域へ」とうたい、生活介護や自立訓練などの福祉支援サービスを活用し、障害者の地域生活移行を推進している。それは、夫婦には遠い世界に見える。
「自分たちが死んだら、息子はどうなるのか。行政には現実を知ってもらいたい」。介護疲れから夫は十数年間、心療内科に通う。今年5月に症状が悪化し現在は休職中だ。「息子が喜んで、安心して暮らせる場所が社会にあってほしい」と願っている。
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動画を見ているだけでは、修羅場の時の様子はわからないです。でも、表出のコミュニケーションは弱い感じがします。成人にしては人との距離が近いですが、豹変して暴れだすことを気にされているのでしょう。そして、この家族はSOSを出しているのですから、入所施設が必要です。「入所施設から地域へ」というのはノーマラーゼーション社会には必要なことですが、家族の犠牲の上に成り立つものではありません。
しかし、国の政策は入所施設を経営するより通所施設を経営したほうが利用料がたくさんとれるように変わってきています。その結果、本当に必要な人が利用できず、入所する必要のない人が入所している傾向がさらに強まっているような気がします。行動障害が激しくなったり両親が老いて養育ができない理由で入所施設を待つ家族は全国でどれくらいおられるのでしょうか。
誰かのせいにしてもしかたがありませんが、23年間、早期療育から学校教育、児童通所事業、障害児医療と公的にかかわってきた結果でもあるわけですから、家族だけに責任を負わすのは筋違いだと思います。以前にも書きましたが、「入所施設の職員は、学校に足を向けて寝たらいけない。施設職員の仕事があるのは学校のおかげ」と皮肉を言った強度行動障害施設の施設長の言葉を忘れてはいけないのです。
行動障害があるのは家族の責任ではありません。ノーマライゼーション施策が、本人が成人しているのに親と暮らす事は不自然だというならわかります。ノーマライゼーションと言うなら独立させて、24時間の支援が保障されなければなりません。それが実現しないうちは、家族が望むなら入所施設で支援されるのが当たり前だと思います。自分たちの息子だからと自分に言い聞かせている様子を見ると、どこが世界第3位のGDP国なのかと情けなくなります。
上手く謝ることができない
発達障害の中でも、上手く謝ることができない傾向が多く見られるのは自閉スペクトラム症(ASD)の子どもです。ASDの特性は、コミュニケーションが苦手・他人と目を合わせられない・人の気持ちを理解できない・その場の状況に合わせることが苦手・皮肉やたとえ話が理解できない・柔軟な考え方をすることが苦手・決まった順序や道順、食べ物などのこだわりが強い。これらの共通点は、コミュニケーションが苦手で人の気持ちを理解できないことです。相手がどう思ったか、どんな状態なのかということに関心が持てないのです。このため、自分が悪いとしてもなぜ謝らなければならないのかを理解できないのです。
ASDの子どもに謝ることの大切さを教える前に、まずは大人である私たちが普段どんなときに謝罪しているのかを考えます。1.相手の健康を損なった場合 2.故意や不注意で相手にケガをさせた 3.まわりに迷惑や不利益を与えた場合 4.経済的な損失を与えた 5.行動の邪魔をした 6.時間と労力を無駄にさせた 7.社会のマナーに反した場合 8.公共の場で騒いでしまった 9.飲み物をこぼしてしまった 10.自分がミスをしてしまった場合 11.グループ行動で一人だけ遅れてしまった 12.頼まれたことができなかった。ざっと思いつくだけでもこれだけあります。相手に与えてしまった被害の大きさや状況によって、どの程度の謝罪が必要かは変わってきます。しかし、ASDの子どもはその微妙な加減を理解できません。一般的に考えると、上記の前半の場面では特にしっかりと謝罪する必要がありますから、子どもにも優先的に理解させていきましょう。
ASDのない人は、その場の状況や相手の反応に合わせて謝罪の仕方を変えることができます。しかし、ASDの人は、場の空気や相手の気持ちを汲み取ることを苦手としており上手に謝罪ができません。そのため、「こういう時は謝罪が必要」という風にパターン化させて覚えさせることが必要です。
①どんなときに謝るべきかを理解させる
「ごめんなさい」と言うべき場面をイラストなどを見せて教える。
子どもがイメージできる状況を例示し、そのときの相手の気持ちも交えて、なんと謝ればいいかを教えていきます。
例えば、友だちにケガをさせてしまった。友だちが嫌がることを言ったりやってしまった。友だちとぶつかってしまった。約束を破った。等です。
②ロールプレイングで練習する
同じ謝るという行為でも、目も合わせずにボソッと「ごめん…」と言うのと、きちんと相手の目を見て「ごめんなさい」と言うのとでは、伝わり方が違います。実際に起こりうる場面を再現し、相手が泣いているとき、怒っているときなど、どういう態度でどのくらいの謝罪をすればいいのかを考えて謝ることを練習させましょう。謝ることができなければ、友だちと付き合っていくことが難しくなってしまいます。出来るだけ早い段階から、謝罪の必要性や状況に応じた謝り方を丁寧に教えていきます。他者の感情の学習にもなりますから、理解が進めば子どもの対人関係も良くなっていく場合があります。
また、何より大事なことは褒められること「ありがとう」と言われることを、一方でたくさん準備しておくことが謝罪の学習の成功につながります。教育支援の原則はバランスよくです。
「靴ひも」を結ぶ
「靴ひも」を結ぶ=大治朋子
2020年10月13日【毎日新聞】
障害を抱える人々との交わりを難しくするものがあるとすれば、それは障害そのものなのか、それとも障害を持たない人々が心に宿す「壁」なのか。そんな問いに改めて向き合う機会をくれた映画だった。
日本で近日公開予定のイスラエル映画「靴ひも」(ヤコブ・ゴールドバッサー監督)を見た。約30年前に離婚した妻との間に生まれた発達障害を持つ中年の息子と、妻の急死を機に同居することになった父親の物語。
自動車整備会社を営む1人暮らしの父親は、職場にこの息子を同伴して新生活を始める。心の距離を縮めようとする息子と、なかなか壁を崩せない父親。それを見抜いたかのように息子が言う。「出来損ないの息子でごめんね。父さんは僕を恥じてる」
率直な言葉や行動で果敢に壁に挑む息子が求めているのは、一人の人間としての尊厳だろう。すれ違う二人の心は、ちょうど息子がなかなか結べない2本の「靴ひも」のようにも見える。描かれているのは障害をめぐる親子の心の葛藤から生まれる、成長の記録だ。
日本での上映を前に先日、記者会見した監督は、自分も発達障害を抱える息子を持つと語った。そして、かつて自ら「心の周りにセメントの壁を築いていた」と打ち明けた。映画のモデルになったのは実在の別の親子だが、障害児を持つ親としての思いと目線が映画の随所に見て取れる。
イスラエルで6年半を過ごした私にとって、この映画のもう一つの見どころはイスラエルならではの「関わる」文化だった。親子と病院で偶然知り合った人が、かなりプライバシーに立ち入って父親にアドバイスをする。レストランで歌いだした息子を歓迎したり、公然と差別的な言葉を発したりする「率直」な客。政敵とされるアラブ人の医師の熱意にイスラエル人ながらほだされる父親。
そこから浮かび上がるのは、障害をめぐり葛藤する親子を傍観せず、良くも悪くも関わろうとする市民の姿だ。リアルなイスラエルの日常そのものに見えた。車椅子の人がいると、イスラエルでは通行人らが文字通り「寄ってたかって」乗り物への乗降などを手助けする。それ一つをとっても傍観したりためらったりしがちな日本社会との違いは大きい。
だが監督によれば、イスラエルでもまだまだ差別は根強いという。「映画が障害を持つ人々に対する世間の見方を変えるきっかけになれば」。日本の傍観グセに問いかける作品でもある。17日から順次全国各地で上映。(専門記者)
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イスラエルは、いまアメリカの橋渡しでアラブ国家と国交を広げようとしています。イスラエルと言えば、パレスチナとのし烈なミサイル合戦で戦時国家のようなイメージですが、実は敬虔なユダヤ教徒の国です。そんな国民の障害者観に興味を覚えます。京都シネマでそろそろ封切です。席数が少ないので当日券で入れない方がいたと、「スペシャルズ!」09/18の情報がありました。ネット予約がおすすめです。発達障害の息子と父描く「靴ひも」
人ごとではない介護や老後 映画「僕とオトウト」
人ごとではない介護や老後 映画「僕とオトウト」
2021年10月21日【大阪日日新聞】
重度の知的障害を持つ弟とどう向き合うのか?重いテーマながら爽やかな映画に出会った。第40回「地方の時代」映像祭優秀賞受賞作「僕とオトウト」(制作・元町プロダクション、配給宣伝・「僕とオトウト」上映委員会)。京都大学の大学院生である髙木佑透(ゆうと)さん(25)が、弟の壮真君と自分の今後を考える為(ため)、家族を撮影し、監督したドキュメンタリーである。
髙木監督は2016年の相模原障害者施設殺傷事件以来、障害について考え続け、今は発達心理学と障害学を専攻し“障害者のリアルに迫る京大ゼミ”も運営している。
「障害って何やろう?両親がいなくなれば、僕が弟と同居するべきなんやろか?と悩み、自分の心や弟の状況を見つめようと、初めて映画を作りました」
何をどう撮るのか?迷い続けて「気合と覚悟で完成させた」と言う「僕とオトウト」。壮真君を巡る髙木ファミリーの生活が飾り気なく映し出される。農園での就労面接に行く。収穫の合間につまみ食いしてしまう弟。見守る兄の髙木監督が謝る。しかし弟は、売り物にならない傷ついた果実のみを食べていた事も判明する。路上で、多動の壮真君の保護に懸命な母に、ほんの小さな桜のつぼみを見つけた壮真君が教えたこともある。
日常は波乱に富む。以前、壮真君の行動により自宅が火事になり、自宅ドアに全て鍵を付けた。本作撮影中に再び騒動が起こる。半端ない緊張感。観客の私もハラハラする。
映像作品は編集により変化するが、ドキュメンタリーは特に編集の影響が大きい。髙木監督はパソコンで編集し、映像に磨きをかけた。監督と父の対話バトルシーンがある。“これまで何も話してくれなかった”と激しく迫る監督。しかし父の反応を映像は見せない。父の顔の代わりに、実家のある高松と神戸を結ぶフェリー上で撮った瀬戸内海のさざ波や、美しい夕景のカットへと繋(つな)ぎ、父子の葛藤について観客の想像力をかきたてる。
監督は長年、写真に力を入れ、音楽CDのジャケット写真を依頼され撮ったこともある。ドキュメンタリーにも意欲を燃やし、本作の池谷薫プロデューサー(「延安の娘」「蟻(あり)の兵隊」などのドキュメンタリーの監督)が開講した池谷薫ドキュメンタリー塾にも通い、研鑽(けんさん)を積んだ。本作で監督は池谷さんに綿密で厳しい指導を受けた。
自分と母が撮影した家族の映像を繰り返し見て、「多くの発見があった」と監督は言う。「弟に接する時、僕はいつも笑顔なんです。弟が何かしでかしても笑顔。険しい雰囲気を回避はできますが、根本的な解決にはならない。笑顔で全てに蓋(ふた)をして来たことに気付きました」。障害があっても全て受け身ではない。壮真君も撮られっ放しではなく、ガツンと意思表示するラストシーンが、本作の華である。
人と人の距離が神経質に問われる今、本作を観(み)ながら私は“誰とどんな距離で生きて行く?”と自問した。コロナ、介護、老後-。この映画は他人事(ひとごと)ではない。私やあなたの映画でもある。
上映は22日から京都みなみ会館、30日から元町映画館(神戸)、11月6日からシネ・ヌーヴォ(大阪)。オンラインでのトークイベントも開催予定。
問い合わせは、bokutootouto@gmail.comまでメールで。
(パーソナリティー西川敦子)
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笑顔で蓋をすること、とても重い言葉です。世間一般の障害者や弱者への考え方と、家族のスタンスは違って当たり前です。自分で選んだわけではない家族の絆で結ばれていた時、逃げ出しようのない運命とどう向き合うのか、高齢者のいる家族や障害のある「きょうだい」の問題は古くて新しい課題です。昨日掲載した強度行動障害のある息子のいる家族の話も深刻ではあるけど質的には同じです。
前回紹介した、ドラマ『恋です!~ヤンキー君と白杖ガール~』の第2話の内容も視覚障害の妹と晴眼者の姉の葛藤でした。妹を思いやる姉の立場と、自立したい妹の立場が交互に描かれていました。妹がお気に入りのブティックで、店員にサポートをお願いして気に入ったドレスを買う姿を、姉がそれをそっと店の外から見ていて、姉妹だけで支えるのではなく社会も支えてくれるという姉妹の気づきを描いていました。
京都みなみ会館は、昔は床が傾いていてとても座りにくい座席だったのですが、2年前に道路を隔てた前に移転リニューアルされて素敵な映画館になったと聞きます。機会があれば行きたかったので、ぜひこの映画で「封切」したいと思います。10/22~10/28は上映後、連日監督の舞台挨拶があるようです。