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パラリンピック メダル授与のウクライナ選手「戦争をやめて」

パラリンピック メダル授与のウクライナ選手「戦争をやめて」

2022年3月7日 【NHK】

ロシアによる軍事侵攻が続く中、北京パラリンピックのバイアスロンで7つのメダルを獲得したウクライナの選手たちが6日夜のメダル授与式で祖国や国民への思いを語りました。

5日に行われた北京パラリンピックのバイアスロンにはウクライナの選手20人が出場し、男子6キロの視覚障害のクラスではメダルを独占するなど金メダル3つ、銀メダル3つ、銅メダル1つの合わせて7つのメダルを獲得しました。

6日夜のメダル授与式で選手たちは表彰台でメダルを受け取ったあとインタビューに応じました。

このうち、男子6キロの立って滑るクラスで金メダルを獲得したグリゴリー・ボブチンスキー選手は「この金メダルはウクライナの人たちのものだ。私はウクライナ国民、そして祖国のことを考えている。多くの人たちが戦い亡くなっている」と話しました。

また、男子6キロの視覚障害のクラスで金メダルを獲得したビタリー・ルキヤネンコ選手は「国のために金メダルを獲得できたのはうれしいはずだが今のウクライナの状況を考えると素直に喜べない。家族は空爆を受けた地域に住んでいる。私の町を攻撃しないでほしい。戦争をやめてほしい」と話しました。

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大義のない戦争で多くの人が傷つき新たな障害者が作られている中では、パラリンピックを楽しむことはできません。先月24日ロシアのウクライナ侵攻から今週木曜で2週間が経とうとしています。国際大会は政治とは無縁と言いながらナショナリズムを高揚させるし、武力攻撃があればさらにその傾向は強まりスポーツを通じて双方の国民が憎しみ合うことになります。だから、オリパラから前後1週間を含め59日間は戦争は止めようと国連で決めたのです。ロシアはこの約束を3度も裏切りました。ジョージア、クリミア、今回のウクライナです。

クリミア半島への侵略などは150年も前にオスマン帝国にクリミア戦争で敗れて失った領土を取り返すというのがプーチンの本音です。ウクライナでロシアとプーチンに批判的な大統領が当選すると、クリミア半島のロシア人を守るためだとしてクリミアを「併合」したのです。たとえ話ですが、日本に親中国政権ができたからと沖縄を50年ぶりに米国に復帰併合するのを武力威嚇して併合しても良いという理屈です。

中国も南沙諸島や尖閣諸島、台湾で同じような昔話をして、元々我が領地だと言って国際ルールを守りません。共産主義国も元共産主義国も自己正当化して全て周囲が悪いと自国に都合の良い話を作ります。今度は、ウクライナが核兵器を密かに製造しているから原発を攻撃して占領したのだと誰が聞いてもわかる嘘を大真面目にプーチンは語ります。そもそも原発攻撃はジュネーブ協定で禁止されていますが、国際法など無法国家にはないに等しいのです。

ソ連邦崩壊後、ロシア・米国・英国はウクライナの安全を保障すると言って、ソ連時代からウクライナが保有していた核兵器を放棄させたのが「ブダペスト覚書」です。もちろん、ロシアがこんな国際ルールを守るわけがないことは、2014年のロシアのクリミア併合で分かっていたことです。こんな無法なロシアからの攻撃に祖国を守ろうとする人々に自衛隊の防弾チョッキを送るとした日本政府を、武器輸出に当たると非難した日本共産党は誰の敵か明らかで、プーチンと同じ穴の狢です。ルキヤネンコ選手の「国のために金メダルを獲得できたのはうれしいはずだが」と言った言葉が心に刺さります。

コミュニケーションスキルとPECS

PECS(Picture Exchange Communication System)は代替・拡大コミュニケーションシステムで、1985年にアンディ・ボンディ(Ph.D.)とロリ・フロスト(MS. CCC-SLP)によってアメリカで考案され、最初にデラウェア自閉症プログラムの自閉症の未就学の児童に実践されたことから始まりました。それ以降、PECSは世界中、年齢関係なく、様々な障がいを持つ(認知、身体、そしてコミュニケーション)沢山の学習者に実践されてきました。

人は自ら伝えることで社会との調和を図っていきます。他者が言っていることが分かるだけでは人は社会や環境の奴隷です。自ら表現をし、折り合いをつけることで他者と対等の参加となるのです。

 

絵カード交換コミュニケーションシステムの導入とトレーニングをお望みの方はスタッフまでご連絡ください。

https://eikaiwa.weblio.jp/mirai-junior/column/developmental-disorders/pecs/

https://pecs-japan.com/絵カード交換式コミュニケーションシステム/

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僕の髪誰かのためにヘアドネーション

僕の髪誰かのためにヘアドネーションに挑戦中石巻・鹿又小5年佐々木君

2021年02月24日 10:43【河北新報】

病気や事故で頭髪を失った子どもたちに無償提供される医療用ウィッグ(かつら)のために髪の毛を寄付する「ヘアドネーション」に、石巻市鹿又小5年の佐々木佑真君(10)が挑戦している。「誰かのために」と、強い思いで伸ばし続ける髪は、長い部分は45センチほどになった。小学校を卒業する来年まで、50センチ以上を目標にしている。

佐々木君は、テレビ番組でヘアドネーションを知ったことをきっかけに約2年前に髪を伸ばし始めた。番組は小学生ぐらいの男の子がヘアドネーションに挑戦する内容で、「自分もやってみたい、寄付してあげたいと思った」という。母の吏(つかさ)さん(35)は「自分で決めて気が付いたら伸ばしていた」と振り返る。

髪は背中の真ん中まで伸び、学校には一つに結んで行く。赤ちゃんの時から丸刈りだった佐々木君は長い髪の洗い方も結び方も分からなかったが、練習してできるようになった。洗った髪を乾かすには20~30分かかり、少しでも良い状態で寄付できるようトリートメントもしている。

初めの半年ほどは、学校でからかわれたり公園で女の子に間違われたりして落ち込むこともあったが、伸ばすことはやめなかった。吏さんは漫画に登場する長髪のキャラクターの魅力を伝え、「切らない」と固い決意を口にする佐々木君を励ました。事情を知る同級生や先生が周囲に説明してくれたこともあり、理解は広まっていった。

佐々木君は発達障害があり、吏さんは「自分にとっての普通が一般的な感覚と違い、男の子の髪が長くても違和感がない。自分でやろうと思う男の子はなかなかいないと思う」と話す。

へアドネーションには31センチ以上の長さが必要とされ、50センチ以上あればロングヘアなどにもできる。佐々木君は50センチ超えを目指す。

中学校の校則では長髪が認められない可能性があり、伸ばすのは小学校卒業までと決めている。佐々木君は「人のためになると思えば続けられる。大切に使ってもらえたらうれしい」と話す。

吏さんは「ヘアドネーションに限らず、変わったことをしている人がからかわれることがなくなるといい。本人も頑張って良かったと思ってほしい」と見守る。

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講師「何でわからへんねん」、泣きじゃくる男児…発達障害ある小5に暴言

2021年02月23日 10時38分 読売新聞

大阪市立小学校の20歳代の男性講師が授業中、発達障害のある5年生の男児(10)に「何でわからへんねん」などと暴言を繰り返していたことがわかった。男児に当時の様子を尋ねると動揺して泣き出すといい、学校は両親に謝罪。市教委は事実関係を確認したうえで、男性講師の処分を検討する。

学校や保護者によると、男児は算数と国語については特別支援学級で授業を受けている。男性講師は1月20日、特別支援学級での授業中に算数のドリルを解いていた男児に「問題をちゃんと読んでみろ」「前にもやったのに覚えてないんか」などと何度も怒声を浴びせた。

次の授業時間になっても男児が泣きじゃくっていた様子に気付いた女性教諭が校長らに伝え、問題が発覚。暴言について男性講師は学校の調査に対し、「(男児の)解答が違っていたので腹が立った。障害を理解せず、自分本位のペースで授業を進めてしまい、申し訳ない」と話しているという。

男性講師は1月26日から学校を休暇中で、2月15日には校長らとともに両親と対面し、謝罪した。母親は読売新聞の取材に「息子は問題の意味を理解できず苦しんでいたのに、高圧的な言動で追い込んだのは許せない」と話している。

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子どものみずみずしい感性と社会に貢献したいという気持ちや、それを微笑ましく見守る保護者の存在に温かいものを感じます。一方で、子どもの気持ちや子どもに注ぐ家族の視線は全く感じていないと思わせる教員の言動、社会的未熟さにはがっかりします。

普通、自分が出した課題を子どもが理解しないのは自分の見立てや力量の問題なのに、「私が正しい。子どもが問題だ」と感じている教員は彼だけではありません。一人では解けない宿題を学校で一度指導したからと繰り返し出題する教員も、怒りはしないけれども結果としては子どもを貶めている意味では変わらないと思います。

勉強がわからなくて辛かったり、友達にいじめられて悲しい思いをしている一方で、みずみずしい感性や素直な気持ちを子どもから感じる教員であれば、自分の出した課題ができないからと怒鳴ったり、一度教えたことだからと一人ではできない課題を宿題に何度も出せないはずです。

ドライブ・マイ・カー アカデミー賞4部門ノミネート 作品賞は初

ドライブ・マイ・カー アカデミー賞4部門ノミネート 作品賞は初

2022/2/8 【毎日新聞】

米映画界最高の栄誉とされる第94回アカデミー賞(映画芸術科学アカデミー主催)の候補が8日に発表された。濱口竜介監督の「ドライブ・マイ・カー」が最高峰の作品賞、監督賞、脚色賞、国際長編映画賞(旧外国語映画賞)の4部門にノミネートされた。日本作品が作品賞にノミネートされたのは初めて。受賞すれば、英語以外の作品としては韓国映画「パラサイト 半地下の家族」(ポン・ジュノ監督)以来2年ぶり2回目の快挙となる。

また、日本作品の監督賞ノミネートは黒沢明監督の「乱」以来36年ぶり、脚色賞は初めてで、受賞すればいずれも初。国際長編映画賞でのノミネートは「万引き家族」(是枝裕和監督)以来3年ぶりで、受賞すれば「おくりびと」(滝田洋二郎監督)以来13年ぶりとなる。

ドライブ・マイ・カーは村上春樹さんの短編小説が原作。妻を亡くした演出家(西島秀俊さん)が、専属運転手となった女性(三浦透子さん)らとの対話を重ね、妻の死と向き合っていく姿を描いた。脚本は濱口監督と大江崇允さんが手がけた。今年1月の第79回ゴールデン・グローブ賞で日本作品として62年ぶりに非英語映画賞に選ばれるなど、米国内外で受賞ラッシュが続いている。

受賞発表と授賞式は3月27日(日本時間3月28日)にある。【ロサンゼルス福永方人】

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まだノミネートだけですが筆者も興味のあった映画です。昨年、カンヌ受賞の後京都シネマに来ていたのですが、タイミングが合わずに観ることができませんでした。アカデミー賞ノミネートのおかげでアマゾンプライムでも配信が始まり先日観たところですが、アカデミー賞の発表が待ち遠しい作品です。

この映画は、村上春樹の短編小説に、チェーホフの『ワーニャ伯父さん』を劇中劇として取りこんだ作品です。この点で、チェーホフの村上春樹的解釈であるだけでなく、村上の原作を超える解釈をした映画かもしれません。パク・ユリム(ソーニャ役)は、聴覚障害者で韓国手話を使う女優役として舞台へ参加します。

ポリティカルコレクトネスとダイバーシティを狙ったと最初に観客は思うかもしれません。しかし、終盤での劇中劇でパク・ユリムは圧倒的な存在となり、そんなことは快く忘れてしまいます。また、パク・ユリムが、エレーナ役のソニア・ユアンと、屋外で立ち稽古するシーンの素晴らしさも圧巻です。

妻を喪失した失意の中で西島秀俊がワーニャ伯父さん役で本番の舞台を立ち、そのクライマックスで、ソーニャ役パク・ユリムの手話の語りは、ただただ美しく、静まり返った中での彼女の手話はスクリーンを超えて観客の心を温めます。
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生きていきましょう。長い長い日々を、長い夜を生き抜きましょう。
運命が送ってよこす試練にじっと耐えるの。
ほかの人のために、今も、年を取ってからも働きましょう。
そしてあたしたちの最期がきたら、おとなしく死んでゆきましょう。
そしてあの世で申し上げるの、あたしたちは苦しみましたって、涙を流しましたって、つらかったって。

すると神様はあたしたちのことを憐れんでくださるわ、
そして、ワーニャ伯父さんとあたしは、明るい、素晴らしい、夢のような生活を目にするのよ。
そうしてようやく、あたしたち、ほっと息がつけるんだわ。
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村上春樹がモチーフとした、ビートルズの"Drive My Car"(1965, アルバム"Rubber Soul"収録)が、この原作タイトルです。ジョンとポールは、ジョークに満ちたこの曲で
「あなた、私の車を運転しなさいよ。そうよ、私はスターになるわ。そしたら、あなたの事好きになるかも。」
と歌います。「Drive My Car / 車を運転すること」とは、「愛すること」「生きること」だと、西島と霧島・三浦・朴の3女優が演じていきます。3時間は長すぎましたが、たぶんアカデミー受賞だろうなと思わせる映画でした。パク・ユリムの美しい韓国手話(日本手話とよく似ている)を観るだけでも値打ちがあると思います。

インクルージョン??エクスクルージョン??

インクルージョンとは、 ラテン語の語源によれば、 中に招き入れて入口を閉めるという意味があります。 包摂と翻訳されることもあるようです。 エクスクルージョンは、 戸を閉ざして建物の外に締め出す、 排除するという意味です。

ダイバーシティー社会は異質な人々が共存する社会の姿であり、これをさらに進めて皆が貢献参加するのがインクルージョンな社会だと言います。

どんなことでも分け始めるとキリがありません。合理的で効率的だと思っていてもいつの間にか排他的になってそれが日常に変わってしまうこともあります。

うまくいかないから、合理的でないからと環境の工夫や支援の方法を顧みず、場所を分けてしまおうとするエクスクルージョン志向に陥るのではなく、昨日より少しでもうまくいくように、コツコツ工夫していく地道なスタイルこそインクルージョンを進める王道なのかもしれません。